高遠弘美さん―産経新聞夕刊(大阪版)連載 第7回「プルーストと暮らす日々」 - 光文社古典新訳文庫


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高遠弘美さん―産経新聞夕刊(大阪版)連載 第7回「プルーストと暮らす日々」

産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第7回をお届けします。

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プルーストと暮らす日々 7


第一巻で挫折する人が少なくないと言われる『失われた時を求めて』だが、私は初めて読んだときからその世界の魅力にとらわれた。その理由の一つに、母親に対する「私」の異常なまでの執着があるかもしれない。


亡母は明治四十三(一九一〇)年、福岡県折尾(現北九州市)に生まれた。当時は珍しくない没落した旧家の出で、少女時代は有為転変を味わったらしい。信州出身の、やはり明治生まれの父とどこで出会い、結婚したのか、いや、結婚後にどういう生活をしていたかもよくわからない。

その代わり、折尾での少女時代の話はいくつかしてくれて、いわゆるモガ(モダンガール)張りの洋装をした母が、「花咲く乙女」さながらに、着物姿の娘たちと撮った写真が残っている。琴や和歌もたしなむ本好きの少女だったらしい。女学校を出たころには家運は相当傾いていたようで、母は裁縫を習わされたという。

私が小学校の時に世を去った父は世渡りが下手で、郷里の信州に疎開してからは何もかもうまく行かず、貧乏暮らしをしていた。母の小さな小箱には、つましい家には不釣り合いとも言える、戦前の泉鏡花全集の端本や、ゾラの『ナナ』やスーヴェストル『屋根裏の哲人』その他が入っていた。


父はまったく書物と縁のない人だったから、これは母が娘時代から愛読していた本に相違ない。ことに日本文学とフランス文学が好きだった母は、プルーストを知っていたのか。それが最近妙に気にかかってならない。

というのも、たとえば改造社の「文藝」のような文芸誌もその小箱にあったような気がするからである。

母が二十代の娘のときにそうした雑誌でプルーストの名前を知ったことは大いにありうる。とすれば、本屋の店頭で、戦前に刊行されたプルーストの翻訳を一冊くらい、買わないまでも手にとっていた可能性はゼロではないだろう。


泉下の母は、母に甘えてばかりだった私がいまプルーストを訳しているのをどう思っているだろうか。
(2011年6月23日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)


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失われた時を求めて 1 <全14巻>
第一篇 「スワン家のほうへ I」

プルースト/高遠弘美 訳
定価(本体952円+税)


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2011年6月30日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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