「新・古典座」通い -- vol.2  2011年10月 - 光文社古典新訳文庫


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「新・古典座」通い -- vol.2  2011年10月

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。 その時々の街の話題と一緒に。
[文 : 渡邉裕之・文筆家]

〈今月の新刊〉
『詐欺師フェーリクス・クルルの告白(下)』(マン 岸美光/訳)
『羊飼いの指輪 ファンタジーの練習帳』(ロダーリ 関口英子/訳)

先月、この「『新・古典座』通い」をバタバタと始めてしまったので、少しだけ自己紹介を。
 最近の私の仕事は、『ポスト・ブックレヴューの時代 倉本四郎書評集』上下巻(右文書院)を編纂したこと。といっても一年以上も前のことですが。この本、ナボコフの研究家としても知られる若島正さんに毎日新聞で書評してもらった本で(2010年6月6日)、一部の本好きだけにウケたもの(涙)。

倉本は、「週刊ポスト」(小学館)で1976〜97年、「ポスト・ブックレヴュー」という書評ページを21年間連載していた人。彼のテクストの特徴は、書物を巡る無数の声が響き渡っていることだ。具体的にいうと、書物を紹介する地の文と、インタビューの会話が交互に置かれる形で構成されていた書評だった。インタビューに登場するのは、その著者の場合もあるが、テーマに関心のある者、関連する研究者など。この人選が実に面白い! 紹介したいが、ここではやめますね。とにかく様々な人物が登場し、楽し気に書物について語りだすのだ。その無数の声が響き渡るというのが、倉本四郎の特異な書評でした。(もっと知りたい方は、文芸誌「新潮」昨年の5月号、倉本についての私の文章を見て下さい)。

こうした仕事をしたこともあり、この連載コラムでも書物を自由に大らかに語りたいなと思っているわけです。人の声や街のノイズを響かせながら。ということで、10月の新・古典座通いを始めましょう。

トーマス・マンからワーキングプアな若者へ

cover135_shinkotenza.jpgさて一冊目はトーマス・マンの『詐欺師フェリークス・クルルの告白』の下巻。8月に出版された上巻とともに読んでみました。そして読後、あの雨宮処凛さんに、ぜひ読んで欲しいと思った。ワーキンングプアの若者たちが抱えている様々な問題に取組んでいる彼女だったら、この小説の主人公の魅力をよくわかってくれるだろうから。

2002年、日本青少年研究所が高校生の意識調査を行った。その中で「自分には何の価値もない?」という問いに「その通り」「だいたいその通り」と答えた高校生は61.8%もいる。研究所は1980年にも同じ調査をしていたので、それを見てみると、同じ答えが28.2%。この20年ですごい増加だ。

この自信のなさ激増の理由は、若者たちとつきあってみればすぐにわかる。90年代中期から動きだした日本の企業の雇用形態の変化が影響しているのだ。

あの80年、高校生ではなかったが十分に若者だった私も仲間も、やけに自信たっぷりでした! その理由は、私らが本質的にバカだったことと、もうひとつ会社が若者を正規雇用でしっかり入れていた背景があったからだと思う。今の雇用状況を見れば、「自分は価値なし」といいたくなる気持も十分にわかる。

そこで主人公フェリークス・クルルなのだが、こやつは嫌になるくらい自信たっぷりの若者なのだ。その自信過剰を、さすがトーマス・マン、意義深く描写している。

タイトルに詐欺師の言葉があるので、巧妙な詐術が次々と、文豪ならではの筆さばきで書かれてあるものと予想していたのだが、読み進んでいるうちに、そうではないことに気づいた。

人を騙すというよりは、他者と交渉する前提となる「私」が、普通の人とは違うのだ、このクルルは。翻訳をした岸美光さんは、本書に付された「読書ガイド」で、この作品が「教養小説」の一種のパロディだと書いている。「青年が、社会を遍歴し、様々な人や組織と触れ合いながら」自覚を得て「理想の人間の姿を獲得していく」のが教養小説なら、この小説のクルルは、遍歴を確かにするのだが、精神形成がまったく行われない。

私が考えるに、「アンチ精神形成」を実にリアルに描いているのが、この小説であり、その魅力を今の若者たちにたっぷり味わって欲しいのだ。

青年クルルは、パリのホテルに雇われエレベーターボーイやウェイターの仕事に就く。そこは企業内技能訓練を放棄した日本の企業と同じく労働者の使い捨ての場所である。今と同じように現場の大人たちに愚弄されるわけだが、彼は負けない。自分は無価値だとは思わないことによって自己の尊厳が生まれる、結果、尊厳が醸し出すやけに魅惑的な香りによって女たちや貴族が騙される......。

はっきりいってこの自己認識は危険だ。しかし仕事場で愚弄されている人間には、違った意味、たとえばサバイバル力の意味をもつのではないか。雨宮処凛さんに読んで欲しい、そして若者たちにこのクルルの危ない「私の尊厳」を伝えてくれないか。

そうそう、ゴスロリ・テイストの疑古典的なファッションの彼女なら、20世紀の小説でありながら、一時代前の雰囲気がある本作のエクリチュールも好みだと思う。

ロダーリが子供たちと集団創作する

cover136_shinkotenza.jpg二冊目は、イタリアの作家ロダーリの『羊飼いの指輪 ファンタジーの練習帳』

このファンタジー短編集のポイントは、物語を作家が子供たちと一緒につくっていることだ。69〜70年に放送されていたイタリア国営放送のラジオ番組を基に書かれている。

テクストの特徴は、集団創作が反映されているのだろう、すべて結末が3つ用意されていること。様々なタイプの子供がいたから結末が複数に、あるいは子供たちが色々な意見がいえるようにロダーリがラストをいくつか用意したという。

興味深いのは、翻訳をした関口英子さんが「解説」で、この集団創作を紹介しつつ、ロダーリのファンタジーに対する考え方が、イタリアのレッジョ・エミリア市の幼児教育(レッジョ・アプローチ)に影響を与えていたと書いていることだ。

レッジョ・アプローチ、子どもの想像力を重視したユニークな教育だという。詳しい内容は、今夏、この教育活動に関する展覧会を行った東京・青山のワタリウム美術館で情報を入手できるので、アクセスしてもらうとして、私はここで鼻をピクピクとして動かすわけです。実は私、このファンタジー集の背後に子供たちや教育運動の気配が感じられるように、作品の向こう側に「集団性」が強く感じられるものって非常に好きなのです。

イタリアものでいうなら、劇作家ダリオ・フォのある時代の作品の背後に感じられる70年代中期のイタリア独自の左翼運動「アウトノミア」の存在。85年、日本で劇団民藝が上演した「払えないの? 払わないのよ!」(渡辺浩子演出)は、消費者が自ら商品の価格を決定していく、アウトノミアの特異な運動を扱った芝居でした。あるいは須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』(文春文庫)の向こうに見える60年代カトリック左派の動きという構図も好きです。

私の好みは、背後に見えるものが、政治運動というよりは、生身の人間たちが動きまわる集団として感じられるところ、運動によって領導されたのではなく、それこそ集団創作のような感じで生まれた作品です。あの「スローライフ」もグローバリズムに対抗するイタリアの地方都市のコミュニティ運動から発祥したものというけれど、イタリアものの背後には、権威的ではない集団性やコミュニティの自律性が感じられるものが多いなと思うのは、私の偏った見方かしら。

ここで街の話題を一つ。作品とその背後にあるコミュニティという構図を捉えた展覧会が行われている。早稲田大学坪内博士演劇博物館で開かれている「LIFE with ART 〜ダムタイプ『S/N』と90年代京都」だ。気鋭のパフォーマンスグループ、ダムタイプを扱った展示だが、注目すべきは、彼らを産み出した京都というコミュニティにフォーカスを合わせ、その集団創作を捉えているところだ。こういう構図、いいな! 来年2月4日までの展示。ささやかな規模だが注目したい。

さて、この『羊飼いの指輪』、「解説」のお陰で作品の背後に子供たちやレッジョ・アプローチの存在を感じられるようになり、より楽しめるようになりました。ファンタジーが個人の才能によってではなく、集団的想像力に分け入るころで生まれるのだということが、この構図だと、より納得して受けとめられるから。

黒人音楽からボリス・ヴィアンを視る

cover132_shinkotenza.jpg最後に、先月発刊された『うたかたの日々』(野崎歓/訳)の作者ボリス・ヴィアンについて話をしよう。本作は戦後のパリの若者たちの姿を独特な文体で活写したもの。その文体が作られた要因の一つに、ヴィアンが愛したジャズのアドリブからの影響があるという。すると、この作家のジャズ観を知れば、もっと楽しく読めるのだと考えてしまうわけです。

私は最近、ジャズに対するヴィアンの姿勢を、独自の立場から語れる人物に出会うことができた。ヴィアンはレコードに付いている解説原稿を多く書いているが、それを集めた『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』((シンコーミュージック・エンターテイメント)を翻訳した鈴木孝弥さんだ。彼はレゲエ専門の音楽ライター。なぜレゲエで、フランス語翻訳なのか? と思うだろうが、その理由がヴィアンに繋がる。

「90年代初頭、タワーレコードのジャズのバイヤーの仕事の合間に、パリに遊び行きました。そこで街貼りのポスターを見て驚いた。自分の好きなレゲエミュージシャンがいっぱいパリに来ている! 決心しました、住みつこうと。そのためのフランス語勉強でした」
----何故、パリにレゲエ?
「この都市には、アメリカで住みにくくなった黒人ミュージシャンを暖かく迎えたという歴史的背景がある。それを踏まえ放送局や雑誌があり、今、その一部がレゲエにものすごい愛情を傾けているわけです。そして戦後のパリで黒人ミュージシャンを歓迎した環境を作った一人がボリス・ヴィアンなのです」
----ライナーノートの原稿でも、黒人音楽への愛情は半端じゃないですね。
「好きなものを徹底的に擁護し、ダメな音楽はこてんぱんに、いや本来レコードを宣伝するための原稿だから(笑)、ねじくれた言葉を使ってけなしている。その微妙な言葉使いが最高に楽しめます。そして雑誌の原稿では、自分の好きなミュージシャンを黒人ということで差別するアメリカのジャーナリズムや社会をけちょんけちょんに批判しています」

アメリカで生まれた音楽にも関わらず、自由に表現できず、それが出力するところとしてパリがあったこと。その出力環境をつくりあげたヴィアン、そんな話を鈴木孝弥さんから聞いた。詳細は私のブログに載せたので、興味のある方はどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/hi-ro/20111011

さて今夜は、彼が徹底擁護したアート・ブレイキーでも聴きながら『うたかたの日々』を読んでみたい。隣町の大井町の狭小ジャズバーIMPROにでも行くかな。と思ったところで、また来月!


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2011年10月12日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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