「新・古典座」通い -- vol.4  2011年12月 - 光文社古典新訳文庫


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「新・古典座」通い -- vol.4  2011年12月

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。 
[文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『失われた時を求めて2』(プルースト 高遠弘美/訳)
『悪霊3』(ドストエフスキー 亀山郁夫/訳)

プルーストは、どんな部屋で読んだらいいか?

今月の新刊、一冊目はプルーストの『失われた時を求めて2』。高遠弘美さんが挑戦している大長編の翻訳の二冊目だ。本書では物語の語り手である「私」に大きな影響を与えた社交界の寵児スワンと、その恋人オデットの恋愛模様が描かれる。
「彼はもう一方の手を上げ、オデットの頬に沿わせていった。彼女はじっと彼を見つめた。その悩ましげで深刻そうな様子は、スワンがオデットと似ていると考えた、フィレツェの巨匠の描く女たちのものであった」
というような世界に、私たちは読書を通して沈潜していくことになる。

cover137.jpgこの『失われた時を求めて』に触れていつも思うのは、読者はこの大長編をいったいどのようなシチュエーションで読んでいるのかということ。電車の座席、喫茶店、食堂のテーブル、ベッドの中......他の本と変わらず読んでいるのだろうか。私は活字中毒なのでどんな状況でも本は読めるのだけど、プルーストのものだけは電車や喫茶店など雑踏の中では読むことができない。夜遅く、静かになった部屋でひっそりと読んでしまう。何故だろう? 登場人物の言動や起こった出来事を追うとともに、作者プルーストの意識の微妙な流れを辿ることが、この小説の醍醐味だからか。電車や喫茶店の中では、スワンとオデットのアヴァンチュールをイメージするのに手一杯で、プルーストの高揚やため息にまで触れることができないと思ってしまう。ということで、人がどのような空間でこの本を読んでいるのかとても気になるのだ。

ここで私が思い出すのは、『失われた時を求めて』の二人の読者とその読書空間である。一人は実在の人で、もう一人は映画の登場人物。両者とも女性である。

その人と会ったのは、15年くらい前。雑誌で老後の人生をルポする連載をもっていた私は、公民館などで映写技師のボランティア活動をしている当時70代の男性に話を伺うために、お宅にお邪魔した。

家は古びた共同住宅の一室だった。男性は堀田善衛を思わせる、ある教養を踏まえた頑固な顔の人。どこの世界でも第一人者になっていそうなその顔つきは、共同住宅の寒々しい廊下や素っ気ない鉄の扉と似合っていなかった。話を聞いてわかったのは、その人が戦後すぐに自動車工場の経営で成功したが、結核によって倒れ工場を兄弟に譲り長い療養生活を送ってきたということだった。

そんな話を聞いている時に現れたのが、その人の妻である女性だった。長い髪と大きな瞳、沖縄出身ということもあり、南国的な美しさがある人だった。60代の方だったが少女のような明るさをもっていて、飼っている文鳥を部屋で飛ばし、夫や私たちをなごませた。

それから、薄暗がりの部屋で真っ白な文鳥がとまった本棚に私がみつけたのが吉行理恵の本だった。吉行淳之介の妹であるこの寡黙な作家を、私もそしてこの人も大好きだったのだ。すぐに気があい本の話がはずんだ。そこで彼女がいったのが「愛読書はプルーストの『失われた時を求めて』、ずっと読み続けている」という言葉だった。

彼女は多分戦後何らかの文化活動をしてきた人で、夫と同じく病気でそこから離れたのではないか。話の端々から私は想像した。今はもう確かめることはできないけれど。

古ぼけた共同住宅だった。その部屋で若い頃から機械いじりが好きな夫は、映写機やテープレコーダーを分解しては部品を棚に並べ、妻は片隅で頭に文鳥を乗せてプルーストの本を読んでいた。世の中と隔絶したあの静かな部屋、忘れられないプルースト読書空間だった。

もう一つの空間は、映画の中に出てくる海洋冒険家の船室だ。『ライフ・アクアティック』というウェス・アンダーソン監督の作品である。主人公は、ジャック・クストーを思わせる海洋ドキュメンタリーを専門としている冒険家兼映画監督。その「冒険の旅」を追っていく物語なのだが、映画の資金不足を背景にした実にサエナイお話が展開していくコメディだ。といっても、わざとワンテンポずらしているようなコメディ。さらに昔の少年雑誌の巻頭特集の図版のような船の断面を見せていくセット、デヴィッド・ボウイの歌をサンバにした曲が全編に流れるなど、ツボにはまれば大好きに、ズレれば......という、ちょっとクセのある映画である。

問題の読書空間だ。海洋冒険家の記事を書くために女性記者が船に乗り込むのだが、彼女が船室に持ち込むのが全6巻の英語版『失われた時を求めて』。実は、女性記者は妊娠しており、胎教用に音読するために持ってきたのである。

映画の大筋とは関係のない小さなエピソードだ。しかし、好きなシーンである。プルーストの本を読むのに、船室もぴったりだなと、私は深く納得した。長い長い船旅をしながら、ゆっくり『失われた時を求めて』読むのだ......出来るなら将来してみたい。

高遠弘美さんの翻訳はまだまだ続く、新刊が出る度に、小説や映画に出てくるプルーストの本を読む人、その空間を紹介したい。と今、思いついたのだが......はたして、そんなことはできるのか? この連載を読んでいる方で、プルーストの読者が登場する小説や映画をみつけたら、連絡をいただきたい。


『悪霊』と東京拘置所の読書

二冊目は、『悪霊3』(亀山郁夫訳)である。これでドストエフスキーの長編『悪霊』は完結した。実に重たい小説である。

 

cover137.jpgご存知のように、物語は19世紀後半モスクワで起こった、革命組織の内ゲバ殺人事件をモデルにして書かれている。理想を追い求めることによって生まれる悪、人を人とも思わぬ傲慢さの罪、激動の時代に使いものにならなくなってしまう思想......その他様々な問題が語られていく。

私が気になったのは、理想社会、思想を言葉で語れる人々(主に名前をもって小説に登場する特権階級の人々だ)と民衆とのディスコミュニケーション。社会変革を目指しているのに、ある者は民衆を見下し、反対にある者はひたすら聖化してしまう。また人々は、特権階級の者たちの命令に内在する暴力に脅え、憤懣を祭りの群衆、あるいは完全なアウトローになってしか表現できない。このコミュニケーションが欠如した社会こそ、問題の悪の温床なのだと私は考えるのだが、『悪霊』読後の意見としては、それはあまりに単純だろうか。

その愚鈍さを自覚して、私はある読書に関するエピソードをここに記しておきたい。『悪霊』を読むと、私たち日本人は、連合赤軍やオウム真理教を思い出してしまうのだが、もうひとつ東アジア反日武装戦線という政治グループについても私は考えていた。

1970年代初頭に登場した彼らが行ったのは、アイヌや朝鮮などを侵略してきた日本社会及びその中心的な役割を担う企業への攻撃だった。三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件がそのことによって起こった。

『悪霊』のテーマに関連していうなら、この東アジア反日武装戦線は、粛正や内ゲバを行わなかった。しかし彼らは企業爆破事件で多数の死傷者を出した。70年代中期にはほとんどのメンバーが逮捕されている。私が語りたいのは、逮捕後のエピソードである。

1984年、東京拘置所で『豆腐屋の四季』(講談社文芸文庫)という本が、東アジアのメンバーを含む政治犯たちの間で盛んに読まれるようになる。彼らの支援者で、本などの差し入れを行った者は「獄中は突然の『豆腐屋の四季』ブームです」と語った。

この本は作家、松下竜一の処女作。タイトルの通り、大分の豆腐屋の長男として生まれた松下が、仕事を継いだ青春期の悪戦苦闘の日々を短歌と短文で綴った手記である。その「四季」とは、1967〜68年の1年、まさに「全共闘の時代」だった。
「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」豆腐一丁満足にできない自分に怒り、そして短歌を詠う松下。弟たちは東京に出るが疲弊し荒れていく、貧しさや暮らしの惨めさに涙し綴られた本である。

68年、最初はタイプ印刷の自費出版本だったが、偶然が重なり翌年講談社より公刊、83年には文庫本になり、それが獄中に差し入れされたのだ。拘置所の政治犯が自著を読んでいることを知った時の感慨を松下はこう書いている。

「あの全共闘世代の中でも最も突出して爆弾闘争にまで走った彼が、なぜこの臆病で小さく閉じこもって生きた者の記録に心惹かれるのか、私にはまったく不思議だった」

ここで「彼」と言われている人物は、東アの中心的なメンバーだった大道寺将司。このことをきっかけに松下と大道寺の交流が始まり、ついに松下は『狼煙を見よ』(読売新聞社)という本を書き上げることになる。東アジア反日武装戦線の活動を扱ったノンフィクションだ(先の松下の文章もこの本からの引用)。

たくさんの死傷者を出したテロを行った彼らが、豆腐屋の青年の日常を綴った本から何を読んだのか、豆腐屋の長男の1968年に彼らは何を見たのか、そして著者とのコミュニケーションは何を意味したのか。

『悪霊』を読んで、思想を語る人間たちと語らない民衆とのディスコミュニケーションを強く感じた私が思い出したのは、1984年の東京拘置所での政治犯たちの読書をめぐるこのエピソードだった。


O・ヘンリーと今年のクリスマス・イヴ

さて今月の既刊本はO・ヘンリー『1ドルの価値/賢者の贈り物』(芹澤恵訳)を紹介したい。最近、増刷したということだが、きっと年末に近づいたからではないか。クリスマスを意識するとやはり人は、O・ヘンリーのことを思い出してしまうのだ。だってね、あの物語が......。

cover137.jpgということもあり、『1ドルの価値/賢者の贈り物』を取り上げるのだが、もうひとつ理由がある。本書に付された「解説」が実に面白いからだ。筆者は、立正大学文学部教授の斉藤昇さん。何が面白いかといえば、O・ヘンリーの生涯そのもの。まるで彼が書く物語のような人生なのだ。

1869年、O・ヘンリーは勤めていた銀行の横領容疑で起訴され裁判所から召還を受ける。彼は裁判に出るため、ヒューストンから西のオースティン行きの列車に乗り込む。だが彼は何を思ったか、乗換駅で、東に向かうニューオリンズ行きに飛び乗ってしまうのだ! そして中米ホンジュラスまで逃げ、約10ヶ月に渡る逃亡生活を送る。

当時ホンジュラスは、アメリカ人逃亡者格好の避難先であり、犯罪者が多くいたという。O・ヘンリーは彼らと交流し、たくさんの物語を仕入れる。それから逃亡先で彼は、妻の健康状態がたいへん悪いことを知る。それでメリカに戻り裁判を受けることになるのだが、その後は......本書の「解説」を読んでみて下さい。繰り返すが、まるで自分で書いた物語を演じているような人生が展開する。とにかくこの「解説」は面白い!

そして、もうひとつ斉藤さんに教えていただいたことを書いておきたい。O・ヘンリーにはニューヨークを舞台にした一連の作品がある。本書所収の「献立表の春」、「最後の一葉」など、彼自身がその都市に住み書き綴っていった物語だ。斉藤さんは、こう書いている。

「二十世紀に入ってまもないニューヨークは、ヨーロッパ諸国からの移民はもちろん、アメリカ各地からやってくる若い男女も魅了する都市だった。彼らはみな、近代資本主義が生み出した新しいタイプの労働者である。とくに、職業婦人や、"ショップ・ガール"と呼ばれた女性店員たちの生活は、O・ヘンリーにとって、この街に移り住むまでおよそ接したことのない世界であった」

この作家は知り合いの女性を通じて、新しい職業婦人たちに接近し取材を重ねた。そして彼女たちを主人公にした短編をいくつも書き上げた。きっとニューヨークで働く女性たちも、こうした小説をとても気に入ったはずだ。

ここで私が考えたのは、雑誌「アエラ」(朝日新聞出版)のことである。あの雑誌は、男女雇用機会均等法以降の企業で働き出した、それなりに知的な女性を読者対象にしていると思う。そして読み感じるのは、ルポなどで展開する紋切り型のストーリーだ。キャリアウーマンの孤独、高学歴の若者の結婚事情......。勿論私はそれを批判はしない。週刊誌などの雑誌記事は紋切り型でしかるべきなのだ。私がここでいいたいのは、20世紀初頭、O・ヘンリーのニューヨークものは、今の働く女性が「アエラ」を読むような感じで、読まれていたのではないか、ということだ。そういえば、あの「最後の一葉」は、グリニッチ・ヴィレッジにあるアトリエをシェアしている二人の女性アーティストの物語である。当時のショップ・ガールがもっていた、ボヘミアンな生活への憧れを前提に書かれた物語ではなかったか......などと想像したわけである。この「解説」によって、O・ヘンリーがこれまでとは違った「ライター」として見ることができたのだった。

そして本書の収録作品のラストは、あの「賢者の贈り物」。貧しいカップルのクリスマス・プレゼントを巡る、O・ヘンリー真骨頂のストーリー......さて、みなさんは今年のイヴはどうします? 何の予定もないなら、こんな催し物はいかがでしょう。

東京・千駄木にある古本屋でのコンサート。 「古書ほうろう」という、若い古書愛好家たちにはよく知られたお店。置いてある本もなかなかよいのだが、ここで行われるイベントやライブが魅力的なのだ。

今年を振り返れば、小沢信男・大村彦次郎の対談、大竹昭子のトークショー(ゲストに星野智幸)などがあった。また、知る人ぞ知るバンド、かえる目やプチだおんなどのライブがあり、そして毎月1回行われてきたのが、吉上恭太さんのコンサートだ。

彼のライブ「吉上恭太のサウダージな夜」が、12月24日の夜8時から行われる(料金無料)。彼の本業はライター・翻訳家。しかしギターが上手で歌が味わい深い。それを古書ほうろうの店主に見出され、毎月連続のライブを行うことになったのである。

私も何回か顔を出していますが、実によい。はっぴいえんどやはちみつぱい、小坂忠など初期の日本語ロックが好きな人だったら、絶対にハマリます。こういったバンドの楽曲を、ギター1本、ボサノバで歌ったりする。もちろんオリジナルやボサノバも歌う。

そして吉上さんの音楽の魅力は、「洋楽」が一部の趣味人や遊び人だけに愛されていた時代の匂いがどこかに感じられるところだ。もっというなら、倉本聡が北海道に移住する前の時代の彼の作品にあった都会的な雰囲気、あるいは60年代に建てられた高級マンションの廊下の匂い......う〜ん、伝わらないよね......。

今年のイヴ、古本屋さんのライブはいかがでしょう? O・ヘンリー的なつつましいけれど感動的な夜になると思います。

私も古書ほうろうに行こうと思っている。近所には酒屋があるので、いつものようにそこでお酒を買って、本棚の間に腰掛け呑みながら音楽を楽しもうと思っています。
●「吉上恭太のサウダージな夜」 http://www.yanesen.net/horo/info/detail.php?id=113


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2011年12月12日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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