高遠弘美さん--産経新聞夕刊(大阪版)連載 第56回 「プルーストと暮らす日々」 - 光文社古典新訳文庫


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高遠弘美さん--産経新聞夕刊(大阪版)連載 第56回 「プルーストと暮らす日々」

産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第56回をお届けします。

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プルーストと暮らす日々 56

フランスに長期滞在するためには日本で取得するビザ以外に、到着後すみやかに移民局に必要書類を送り、召喚されたら出向いて滞在許可証をもらう必要がある。召喚当日の手続きの中にはレントゲンと簡単な健康診断も含まれていて、医師の診察を受けなくてはならない。私の担当になったのは年配の女性医師で、いつの間にかワイン談義になった。医師が私に強く勧めたのがシャンパーニュ地方唯一の赤ワインだった。

さて、買い物の大半はスーパーで済ます私も、パンと肉とワインは専門店で買うことにしている。品揃えが違うし、品質もスーパーより信頼できる気がするからだ。先日、夕食のあとで散歩をしていたら、今まで気がつかなかったワイン屋を見つけた。そこでふと思い出して聞いてみると、医師の勧めた赤があった。迷わず買って翌日の夕食の友にしたのだが、これがめっぽう旨い。そのワイン屋が気に入って数日後、今度はイタリアワインを買いに行った。お目当てはピエモンテ地方のアスティのワイン。

「スワン家のほうへ」第一部「コンブレー」。語り手の家族が夏を過ごすコンブレーのレオニ叔母の家に招待された「ご近所」のスワンは訪ねてくる前に、語り手の祖母の妹にあたる老嬢二人のために「アスティ」のワインを一ケース届けさせる。スワンが来る前に祖父が二人に言う。「ちゃんとワインのお礼を言ってくださいよ。おいしいワインだし、箱だって大きかったしね」。たまたま話題にしたヴァントゥイユにかこつけて、老嬢たちが口にする感謝の言葉はこうだった。「親切なご近所がいるのはヴァントゥイユさんだけじゃないわ」。これでスワンに礼を言ったつもりでいるのが何とも可笑(おか)しい。

ところで私が買ったのは発泡性の「アスティ・スプマンテ」。甘口だが薫り高く、暮れなずむ初夏の夕刻に、できれば庭やベランダで冷やして飲むには理想的な一本である。その後語り手が抱くイタリアへの憧れを、さりげなくスワンから贈られるワインの銘柄に重ねるあたり、まことに心憎い伏線というほかない。
(2012年6月21日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)

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2012年6月28日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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