高遠弘美さん--産経新聞夕刊(大阪版)連載 第62回「プルーストと暮らす日々」 - 光文社古典新訳文庫


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高遠弘美さん--産経新聞夕刊(大阪版)連載 第62回「プルーストと暮らす日々」

産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第62回をお届けします。

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プルーストと暮らす日々 62

先日七月十日、プルーストの誕生日に、ポーランド出身のさるフランス大使夫人とプルーストの話をする機会があった。その方はポーランド出身の画家にして文筆家のユゼフ・チャプスキのプルースト論を教えてくださった。早速買って一読。深い感動を覚えた。

チャプスキ(一八九六~一九九三年)は一九四〇年からソ連軍の強制収容所に入れられていた。スターリンによる粛清の嵐が吹き荒れていた頃である。チャプスキはソ連の役に立つかも知れないと判断されて殺されずにいた四百人あまりのポーランド人のひとりである。とはいえ、いつ死刑の宣告がなされるかわからない。そんな日々のなかで、彼らは自分の得意分野で回り持ちの講義をしようと思い立った。チャプスキはプルーストについて話すことを決意する。長大なテキストも手許(てもと)になく、ほとんど記憶に頼りながらの「プルースト講義」はしかし、聴いてるひとびとに多大の感銘を与えた。講義ノートが今では本になっている。

「これは言葉の正確な意味で文芸批評の試みですらありません。むしろ、私が多くを与えられた作品、私が残りの人生で再び会えるかどうか判らない作品の回想なのです」

こう言って彼は講義を始める。

プルーストの実人生についても的確に語りながら、チャプスキは『失われた時を求めて』の勘所を多様な人物像とともに紹介してゆく。自らの後半生をなかば犠牲にして書き続けた『失われた時を求めて』にプルーストは死ぬまで細かく手を入れていた。最後はプルーストの臨終について語って幕を閉じる。「プルーストは死が迫っていることを感じていた。だが、彼は自分がしなければならないことに全力を注いだ。プルーストが作品にまだ手を入れるつもりで最後に小紙片に書きつけたのはさして重要でない人物の名前だった」

『苦境に抗するプルースト』と題されたこの講義ノートは、死を目前にしても生きる力を保ち続けようとする人間の意志を、プルーストを通じて私たちに訴えかけている。
(2012年8月2日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)

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2012年8月 9日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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