「新・古典座」通い -- vol.20 2013年11月刊『ピグマリオン』 - 光文社古典新訳文庫


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「新・古典座」通い -- vol.20 2013年11月刊『ピグマリオン』

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。[文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈11月刊〉
『ピグマリオン』(バーナード・ショー 小田島恒志/訳)

『ピグマリオン』と『奇跡の人』の違いについて
ピグマリオン

親に連れられ観たオードリー・ヘップバーン主演の映画が、けっこう深い意味をもった作品であることを知ったのは、大人になってからだ。

『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー監督 1953年)は、赤狩りでパージされていたドルトン・トランボが名前を隠して脚本を担当し、舞台のローマもアメリカから離れることで撮影所上層部から管理されにくいということで選ばれたのだという話はよく知られている。また、ワイラーはヘップバーンがレジスタンス運動に関わっていたことが気に入っていたということも聞いたことがある。共産主義を異常に怖れだした50年代のアメリカ、密告と疑心暗鬼の人間関係から遠く離れ、人への信頼を恢復しようと集められた映画製作チームだったのだ。

こうした背景を知って見ると、確かに王女と新聞記者との心の交流を追ったあの映画は興味深い。

『ティファニーで朝食を』(ブレイク・エドワーズ監督 1960年)も、あのトルーマン・カポーティの小説だ。と書いたが、原作の意義深さはどうもわからなかった......。今度、村上春樹訳を読んでみますね。

そしてミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』(ジョージ・キューカー監督 1964年)の原作戯曲が、この『ピグマリオン』。階級問題を扱ったストーリー。これは確かに深い意味をもつものだろう。

11月28日、新国立劇場の昼の回で芝居を観た。
『ピグマリオン』(演出・宮田慶子 出演・石原さとみ、平岳大、小堺一機ほか 主催・新国立劇場)

最初の場面はロンドンの街角。夜半に激しい雨が降り、雨宿りのため様々な階層の人々が教会の回廊に集まってくるところから始まる。階級や出身地を示す言葉が集中的に次々と発せられる仕掛けだ。

渦巻く言葉の中に、主人公の花売り娘イライザが発する言葉もある。矯正すべき汚いロンドン下層階級の言葉。その言葉が耳をかすめ、すぐにまた様々な階級、出身地を示す言葉の渦に隠れてしまう。イライザの言葉がよく聴きとれなくなる。それを正確に聴き取っている人物がいる。もう一人の主人公、言語学者ヒギンズだ。

この場面を観ていて、「ああ、翻訳をした小田島恒志さんは大変な仕事を引き受けた」と思ったのだった。

この導入部、観客の多くは当然、「言葉の渦巻きを構成するひとつひとつの言葉が、音として階級や出身地、そして汚さが、その場ですぐに認識できたら、きっとこの場面はもっと楽しめるのに」と思うだろう。バーナード・ショーが書いた言葉が、あからさまに階級や出身地を示すものとして書かれていなくとも、観客は、イギリス人ならこの場面はダイレクトに楽しめるだろうと考えるはずだ。主人公は汚いコックニー訛りの娘、もう一人は、それを矯正する言語学者だ。言葉の問題は常に俎上にのる。となれば、「これは翻訳劇なのだ」と観客はいつも意識する上に、言語そのものに敏感になってしまう。「翻訳家は大変な仕事を引き受けた」と思ったわけだ。

といっても、本書27ページの註4を見ると、こんな文章がある。
「お、あれあんたの息子かい? ったく、どいう躾(しつけ)してんだかねぇ、貧しい花(あな)売り娘の商売もん台無しにしちまって、おあしも払(あら)わずドンズラかい。まあいいや、あんたに払(あら)ってもらおうか」

という開幕直後のイライザの台詞についている註だ。こう書かれている。
「原文ではこのあとで『ここまで花売りの娘の台詞の訛りを音声表現で表していたが、ロンドンの人間にしかわからないので、ここからは普通に表記する』と断っている。訳分では訛り(っぽい)表記を続ける」

ということは、この芝居は冒頭、この娘はこんなに強い訛りがある人間だという設定を示し、その後は、わかりやすい標準的な言葉で展開するわけだ。

つまりショーは、言語問題を、言葉の楽しさ、暴力、さらに差別性を、観客にダイレクトに経験させるという方法ではなく、言語問題に関する論理を意味として伝えることを選んだことになる。

違った方法の例として、『奇跡の人』(ウィリアム・ギブソン作)があった。あの芝居は、視覚・聴覚を失ったために言葉を話せないヘレン・ケラーに対するミス・サリヴァンの言語教育を、その場で見せていった。言語教育の困難さ、それを乗り越える実践を、教育の暴力性を含ませつつ、実際に観客の前に出現させるという方法をとっていたのである。

だからあの「ウォ......ウォ〜ラ〜」の「奇跡」の一瞬に観客は立ち会うことができた。その経験に観客は涙を流すのである。
(私は1986年、大竹しのぶがサリヴァンを演じる芝居を観ている)

『ピグマリオン』は、『奇跡の人』と違って、言語の経験ではなく、言語に関するメッセージを伝える方法をとっている。そのことを示すように、ヒギンズによるイライザへの言語教育の場面はほとんどない。

とはいっても、イライザが言語教育されなけばいけない人間であることを示すには、彼女がどんな言葉を話しているのを観客にわからせる必要がある。多分、イギリスの観客は、ロンドン訛りを提示されれば、それがずっと話されていなくとも、あとは彼女の身振り、表情で、その言葉を頭の中で経験できるのだ。

小田島さんが、先の註に書いてある通り、「その後」もイライザの言葉を強い訛りのある言葉で通しているは、日本人の観客のためであろう。それは、ロンドン訛りの「H」の音が落ちる特徴を生かした、小田島さんが作った人工方言だ。狭い地域の人々の間では存在するが、広範囲で階級性が認識できる方言が、日本にはないので、とられた苦肉の策。いやあ、大変な仕事である。

不文法憲法の国イギリスのリアルな芝居

開幕して十数分後、芝居を見ている自分も、ああこれは、作者のメッセージ性の展開を楽しむ作品だとわかり、観劇のモードを変換した。

ロンドンの下層階級の娘を立派なレディにするヒギンズの教育場面はさらりと流される。作者のいいたいことは、教育後の展開にある。

バーナード・ショーのメッセージとは、階級制とはそんなに簡単に越えられるものではないよ、さらには個人の特性を変えることも難しく、心の壁を越え愛しあうこともやはり困難である。ということだろうか。

こういう作品が、イライザとヒギンズが愛し合うハッピーエンドで終わる『マイ・フェア・レディ』に換骨奪胎されてしまうのだから、世の中は皮肉にできているものだ。

そう、勝手にレディにされたイライザが「どこへ行けばいい? 何をすればいい? これからわたし、どうなるの?」とヒギンズを責めるところから、この芝居は俄然面白くなる。

しかも階級の乗り越えの困難さを示す語り口が、非常にイギリス的で面白いのだ。

私がこの芝居を見て思ったことは、イギリスの憲法のことだった。ご存知のように、あの国の憲法は「不文法」だ。日本やフランス、アメリカの「成文法」憲法とは違う。いくつかの条文が文書としてひとつにまとまった法典があるのが成文法で、ないものが不文法だ。

イギリスは、17世紀、他の国に先駆けて市民革命を行い、議会主権を確立したにも関わらず、文書でまとまった憲法をもたない。

法律を大きな理念の下にまとめず、具体的な契約の次元にとどめたのである。

たとえばフランスなら、自由・平等・友愛などを憲法で高らかに謳い上げたりするのだが、イギリスはしない。彼等は抽象的な理想を語らず、たとえば表現の自由などは、法律の具体的な規定によって守るのだ。それがイギリスのやり方だ。

私はこの芝居を見て、フランスの芝居だったら、階級制についての理想論を語るんだろうなと思った。しかしイギリス人バーナード・ショーが書く『ピグマリオン』には階級に関する理想も、下手な幻滅もない。ただ具体的な人間関係があるだけだ。主人公の二人は、レディになってしまったイライザのその後の生活について真剣に議論を交わす(イライザは花屋経営をする、言語学研究者になるなどのアイデアが出る)

イライザとヒギンズは愛し合えるのか? 結末はハッピーエンドではない。二人は議論をする関係性の中で終わっていく。

だが、嫌な終わり方ではない。階級が違う二人の真剣な議論の中に、対等な関係性が見え隠れするからだ。

芝居の感想は以上のようになるのだけど、この本に関してはもうひとつ。

なんとバーナード・ショーは、戯曲に「後日譚」を付けているのだ。イライザとヒギンズがこれからどうなったのかということについて書いてある。

それが元も子もないキビシ〜内容なのだ。

実はこの芝居、イライザとヒギンズは結婚などしないけれど、でも将来愛し合うのではないかと観客に思わせるようなところがあるのだが......「後日譚」で作者は厳しい階級制の現実をしっかりと書き込む。イライザがその後、どんな暮らしになったのかを具体的に。

経験主義の国イギリスの社会主義者は、やはりリアルだと思わず呟いてしまうような文章だ。ぜひ読んでみて下さい。

実はこの原稿、2013年12月7日になったばかりの時間に書いている。特定秘密保護法案が成立して数十分ほどして書き出した。

6日夜には、国会前に行ってきて抗議の意志を示し帰ってきたのだけど、今、心配なことがある、......ワタシ、忘れやすいタイプなんだ。特に法律モノは日常レベルになると非常に地味なんで、何事も飽きやすい私のような人間には、今の思いを持続することは大変難しい......。

そんな時に読む、この「後日譚」は、非常に意義深かった。バーナード・ショーの、戯曲として自分のメッセージをしっかり伝えたというのに、その後も自分の主張を続けていくしつこさ。そこで展開される具体的な階級制論議。リアルな現実認識。

イギリスの社会主義者に学ぶところは大きいです。

特定秘密保護法案廃案! 歩き出します。

[関連リンク]
『ピグマリオン』公式ウェブサイト
小田島恒志のブログ~翻訳者雑感
 
ピグマリオン

ピグマリオン

  • バーナード・ショー/小田島恒志 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:75281-1
  • 発売日:2013.11.8

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2013年12月26日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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