連載『古典の森から ぶらり気ままな「読書散歩」』──第6回「本の国がイギリスから独立する?」 - 光文社古典新訳文庫


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連載『古典の森から ぶらり気ままな「読書散歩」』──第6回「本の国がイギリスから独立する?」

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『本の国の王様』
リチャード・ブース/著
東真理子/訳
(創元社 2002年)

イギリスという国はヨーロッパの中でもとびきりの奇人変人を輩出することで有名です。なにしろ『エキセントリック・ピープル 英国奇人変人列伝(キャサリン・コーフィールド著、井上篤夫訳、文藝春秋、1987年)なる本まで出版されているほどですから、筋金入りの奇人変人がわんさといる国なのです。彼らはときには他人に迷惑をかけますが、真に人間らしい愛すべき存在でもあります。

この『本の国の王様』を著したリチャード・ブースも、そんなイギリス社会が生んだ、超のつく変わり者の一人です。彼はロンドンから北西に200キロほど離れたウェールズのヘイ・オン・ワイという小さな町で、何度かの破産と二度の奇妙な離婚劇を乗り越えて、元気に古書店を経営し続けました。そして、ヘイの町を「本の国」としてイギリスから「独立」させ、みずから王に即位するという(最後にはなんと皇帝になります)、きわめて破天荒な行動で世界的に知られている人物です。

ブースは1938年、第二次世界大戦がはじまる直前のミュンヘン危機の最中に生まれ、幼少期をイギリス南東部にあるサセックス州のウェスト・ウィタリングで過ごします。第二次世界大戦末期に軍を退役した父親は、それが人生のただひとつの目的であるかのように三人の子供の教育に熱を入れ、とりわけ長男のブースには徹底したエリート教育を施しました。ブースの通ったパブリック・スクールのラグビー校は名門中の名門で、教師が生徒に「君たちはこの国の上位5%に属していることを忘れないように」とつねにお説教しているような学校でした。しかしブース自身は自分がその5%のなかの最下層の5%に属する落ちこぼれである、と明確に自覚していました。卒業後、運よくオクスフォード大学への進学が決まりますが、入学前に金融街シティにある祖父の会社で研修生として働かされることになりました。でもさすがはブースです。あまりの退屈さに三週間で辞職を申し出ます。10代も終わるころ、彼は自分に社会への適応能力が決定的に欠けていることをはっきりと認識していました。

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『エキセントリック・ピープル 
英国奇人変人列伝
キャサリン・コーフィールド/著
井上篤夫/訳
(文藝春秋 1987年)

しかしながら大変な本好きだった彼は、エリートばかりが集まるパブリック・スクールの同級生の何十倍も本を読んでいたといいます。教育熱心な父と母はそんな息子の姿を見ておおいに喜び、本棚を増設し、次々と本を買い与えました。

ある日、 父親に連れられて古書店を初めて訪れた彼は、その空間が持つ趣味の良さと知性溢れる雰囲気に心を奪われます。そのころのイギリスでは古書業が盛んで、どこの町にも古書店が並んでいました。以後彼はあちこちの古書店に好んで顔を出すようになります。それからは自然のなりゆきとして、オクスフォードの古書店でアシスタントとして本格的に働き初め、古書業のノウハウを覚えていくのです。20代半ば、そのころ両親が移り住んでいたヘイ・オン・ワイで売りに出された、かつては消防署だったという大きな建物を安く買い取り、そこで自身の古書店をオープンします。

1971年、33歳の彼にある転機が訪れます。ヘイの町で、古城が売りに出されたのです。12世紀から要塞として使われ、幾度も戦火をくぐりぬけてきたその城を、ブースはすぐに購入し、大掛かりな修復作業を施して、大型の古書店として生まれ変わらせました。すぐに城の内部はブースが買い集めた世界中の古書で埋め尽くされていきます。なにしろ大きな城なので、スペースだけは十分にあるのです。ヘイ城は、古書店として順調に滑りだしました。余勢をかって町の映画館も買い取り、こちらは「シネマ書店」と名付け、二号店として開店させます。

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店にある余分な本を屋外に並べた「正直者書店」。
買った分だけ代金を入れる仕組みで大好評だった。これもブースの発案。

ヘイはロンドンのような大都市とはまったく違う本物の田舎町です。しかしヘイのあるウェールズ地方には昔から炭鉱労働者向けの図書館がたくさんありました。労働者階級の人々の知識欲を満たすために、これらの図書館は次々と建設されたのです。かつて、あのカール・マルクスがサウス・ウェールズを訪れたことがありましたが、この地方の労働者たちの教養の高さにたいへん驚いたという逸話が残っているそうです。リチャード・ブース書店も、こういう伝統に育まれ、ヘイの市民のなかで信頼を得ていきます。

1975年、「サンデー・ミラー」紙の取材を受けていたブースは、突然、天啓に導かれたように、ヘイ・オン・ワイのイギリスからの独立を宣言します。もちろんまったくの思いつきです。しかし「サンデー・ミラー」紙がブースの写真入りの独立宣言を大きく掲載すると、すぐに外国の新聞も「書店王が独立国を建設か」「ウェールズの書籍王が本物の王位を狙う」などと、ヘイの独立を面白おかしく報道し始めます。これだけ度を越した冗談には思わず引いてしまいますが、続く1カ月で、仲間や従業員たちをさまざまな大臣に任命し、ヘイ国政府の組閣を見事に行ってしまいました。このときブースは記者の質問に答えてこんなコメントを残しています。

「これは真面目にやってるんですか?」
「もちろん違います」私は思わずむっとして答えた。
「しかし、本物の政治よりはずっと真面目です」

いかにもブースらしい皮肉のきいたコメントですが、案外本当のことを言っているような気がします。ヘイが独立宣言を発表した1970年代の後半は、イギリス全土に消費資本主義の波が押し寄せていた時期です。ヘイの町にもスーパーマーケットが進出し、似たようなデザインの車があふれ、若者はみなそろってジーパンをはいている、そんな時代だったとブースは回顧しています。ゆっくりと、しかし着実に均質化しはじめた世界を、ブースは批判的な眼で見ていました。

こういう世界の潮流にあらがうように、ブースはイギリスのみならず外国での「古書の町運動」を主導していきます。最初の試みはベルギーで始まりました。ヘイの「独立宣言」に共鳴したノエル・マンスローという実業家が、母国の美しい小さな町ルデュで第二の「古書の町」計画を始動させるのです。次々と古書店やレストランをオープンさせ、計画は大成功、町おこしの成功例としてその名を知られることになりました。

その後、ブースはこのノエルから、南フランスのモントリューという村が「古書の村」になるためにアドバイスを求めているという知らせを受けます。モントリューは人口800人という過疎の村でしたが、ブースの協力のおかげで「古書の村」として世界的に知られる存在になります。このニュースは、読書家で知られていた当時の大統領ミッテランの耳にも届き、1992年には大統領自らモントリューの村を視察に訪れています。その後オランダ、スイス、ノルウェー、そしてアメリカでも、小さな町や村が「古書の町」の一員になりたいと名乗りをあげ、「古書の町運動」は大変な盛り上がりをみせました。

ブースは小さな町や村が大好きでした。「古書の町運動」は、すべてが商業的に成功したわけではありませんでしたが、彼はその活動に大きな意義を見出していました。彼にとってそれは、町や村がかろうじて保っていた、土地や風土に根ざした文化の自律性を守っていく活動だったのです。田舎で商売を続けることに幸せを感じる人々が集う「古書の町運動」によって培われた、資本主義にも共産主義にも偏ることのない中立的な経済のあり方を、ブースは「グレー・エコノミー(灰色の経済)」と呼んでいます。

本書によれば、現在の出版市場に流通している書籍の9割が1960年以降に出版されたものだそうです。ブースがその一生を通して集め続けているのは、主にそれ以前につくられた書籍、いわば本物の古書です。ブースは古書業についてこんな信念を語っています。

「古書業は明快で正直な商売だ。上質な文学作品を手ごろな価格で店に置けばかならず売れる。(中略)古書として永遠に生き残るのはシェイクスピアであり、モリエールであり、トルストイだ」

ブースの作った書店は現在に至るまで活動を続けています。本人も脳腫瘍という大病をしたにもかかわらず健在のようです。しかし今年で76歳になるブースは、数年前に引退し、住み慣れたウェールズからイングランドに戻ったとのことです。近況を確かめるために彼の書店に電話をすると親切なスタッフが教えてくれました。ついでにブースの自宅の電話番号まで教えてくれたのには驚きました。イギリスらしい応対だなと思いましたが、さすがに王様の肉声を聞くことは恐れ多くてできませんでした。

ところで、ブースは日本を訪れたことがあります。ジャーナリストの兼高かおるさんが彼を取材したことが縁で、彼女のテレビ番組の25周年を記念して、ブースを日本に招いたのです。もちろん彼は、神田神保町の古書街も訪れたのですが、「東京の町を歩いて目に入るのは日本人の黒い頭ばかりだった」と書いています。ちょっと残念な感想ですね。

惜しいことに本書も、現在では古書でしか手に入りません。僕もいつの日かウェールズのヘイ・オン・ワイを訪れてみたいと考えています。しかしながら同時に、この日本でも、リチャード・ブースのような人物が田舎の町に新しい古書店を開き、店を無数の本棚で埋め尽くしていく姿を想像せずにはいられないのです。
 誰かやってくれる若い人はいませんか。すぐさま応援に駆けつけますよ。

[文 : 翻訳編集部 編集長・駒井 稔]

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2014年8月15日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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