〈あとがきのあとがき〉ヒーローなき世代の作家フローベールの「歴史+恋愛」小説 『感情教育』の訳者・ 太田浩一さんに聞く - 光文社古典新訳文庫


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〈あとがきのあとがき〉ヒーローなき世代の作家フローベールの「歴史+恋愛」小説 『感情教育』の訳者・ 太田浩一さんに聞く

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フローベールの新訳『感情教育』上巻が出版されたのが、今年の2014年10月。

そして、この12月。お待たせしました、下巻の刊行です。

上巻発刊の際のインタビューでも触れましたが、この下巻で物語の進展はスピードアップします。主人公フレデリックは、アルヌール夫人と逢い引きの約束をとりつけるのですが、その当日、二月革命が勃発してしまう。そして物語は、いよいよ最大の山場へ!

今回、翻訳者である太田浩一さんに話していただいたのは、フローベールがこの小説を「ある世代」に向けて書いた作品なのではないかということ。それはフローベールと同世代の人々です。この「ある世代」を語ることで、当時のフランスの社会状況が見えてきます。そして、当時の人々の挫折感もわかり、『感情教育』をもうひとつ深く読むことができるでしょう。

その他、フランスの恋愛小説における恋と金銭の関係性など、興味深い話をされています。

また前回のインタビュー同様、太田さんがパリで撮影されてきた写真を掲載しています。

前回のインタビュー:〈あとがきのあとがき〉フローベールの現代性と失われたパリ『感情教育』の訳者・太田浩一さんに聞く
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フレデリックが最初に住んだナポレオン河岸(現在のフルール河岸)
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1850年当時のパリ中心部の地図(地図作成:株式会社ウエイド)〈クリックで拡大〉
バルザックとゾラの間に位置するということ

------太田さんは、「訳者あとがき」で、この長編小説を訳し終えた後の気持について書いています。ちょっと特別な感じで......。やはり他の小説の訳とは違った感慨ですか?

太田 フローベールは、私が一番訳したい作家ですから。

1991年に、福武文庫でフローベールの晩年の短編集『三つの物語』を翻訳出版したことがありますが、あの時も嬉しかったです。しかし今回は長年熱望していた『感情教育』ですから、感激もひとしおでした。

それともうひとつ、この物語が、自分自身の青春時代とオーバーラップしているところがあることも大きいかもしれない。少しだけ自分のことをお話しさせて下さい(笑)。私が中央大学に入ったのが1970年。60年代末に学生運動が高揚し、68年にはフランスで五月革命が起こり、69年にはあの東大安田講堂事件があった。その翌年の入学ですから、まだ大学には運動の余熱が残っていて、学生たちはかなり政治意識が高かった。だから典型的ノンポリの私なんかでも「もしかしたら革命は起こるのではないか」とちらりと思っていました。『感情教育』の主人公フレデリックと同じように「革命」は決して遠いところにあるものではなかったのです。大学に機動隊が入ってきたりすると、すぐに学生たちは反応し集まって「帰れ、帰れ」の叫びをあげる。この小説でも、二月革命の勃発する前、幾度か学生たちが集団となって騒ぐシーンがありますね。訳していると、当時の学生運動の情景が重なってくるのですね。

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目ぬき通り(レ・グラン・ブルヴァール)に現存するジムナーズ・マリ=ベル劇場

------訳している最中は、青春時代の光景を思っていたのですか。

太田 いや、訳していてまず思ったのは、この長編小説はやはり面白いということでした。翻訳している最中に、この本の魅力の虜になってしまったのです。

フローベールの愛読者、「フローベール好き」は、「ボヴァリー派」と「教育派」に分かれると思うのですが、実はもともと私は「ボヴァリー派」でした(笑)。

二つの作品は、共に恋愛を主要テーマとしており時代設定も近い、しかし小説の方向性が違う。『ボヴァリー夫人』には文学としての先端的な考え方が見られます。たとえば、女性主人公のロマン主義的な憧れが、凡庸な現実に敗れ去るような物語構成には、従来の小説概念を突き抜けた革新性があります。

フローベールは、この作品でデビューすることになりますが、遅咲きで年齢は35歳です。しかし彼は若い頃から小説を書いていた。十代の頃の小説を読んでみると驚きます。雲泥の差がある。フローベールは、この『ボヴァリー夫人』によって、真の意味での作家になったということが了解できます。ジャン=ポール・サルトルの『家の馬鹿息子』という評論をご存知ですか? あれはギュスターヴ・フローベール論なのですが(日本では全5巻中、3巻目までで翻訳がストップしています)、その主題はフローベールが、いかにして『ボヴァリー夫人』のような作品を書く作家として自己形成を果たしたかというものだと思います。

つまり「ボヴァリー派」は、フローベールを作家として自立させたこの記念碑的作品をもっとも重要視するということです。そして『ボヴァリー夫人』は、作家がなによりも自身のために書いた小説ではないかと思うのです。

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ポルト=サン=マルタン劇場

------すると『感情教育』は、誰のために?

太田 自分と同世代の人々のためです。訳していて思ったことは、繰り返しますが、小説自体の面白さです。この面白さはどこからくるかといえば、しっかり自分の目に見えている読者のために書いているからではないか、そう思ったのです。

------太田さんは、「解説」で、『感情教育』について、こう書いています。
「本書は、四十代に達した作家がみずからの青春時代に材をもとめ、多彩な登場人物を配して、ある世代の広範な歴史絵巻を、より具体的には七月王政後半期から第二共和制にいたる時代の壮大な「精神史」をつくろうとする野心的なこころみでもあったのです」

この「ある世代」が、フローベールが執筆時に読者として想定した人たちですね。いったいどんな世代なのですか?

太田 フローベールの作家としての位置づけを見るとわかりやすいと思います。1821年生まれの彼は、バルザックとゾラの間に位置する世代の小説家です。19世紀前半のフランスの文学はロマン主義の全盛期。簡単にいってしまえば、それまでの理性や合理性に対して感受性や主観を重視した文学です。1799年生まれのオノレ・ド・バルザックはその世代に属しています。そして1840年生まれのエミール・ゾラは自然主義の世代。これも端的にいえば、科学万能主義を創作に反映させた、実証主義に基盤をおく文学。このような文学世代の間に挟まれて、小説家として活動していたのがフローベールなのです。

フローベールは、バルザックやユゴーなどのロマン主義の作家の作品をよく読んで意識し、影響も受けていました。しかし、ロマン主義者にはならなかった、いや、なれなかった。決定的にロマン主義の作家とは違っています。それをよく示すのが、目標とする人物がいなかったことではないでしょうか。

ロマン主義のシンボルは、フランス革命に終止符を打った英雄、ナポレオン・ボナパルトなんですね。

革命期の混乱を収拾し、国内ばかりでなくヨーロッパ諸国の多くを勢力下に置いた英雄です。バルザックなどは「文学界のナポレオン」になろうしていた。しかし、フローベールが属す遅れてきた世代にとっては、ナポレオンはすでに失脚しており、自分たちにとってのアイドルにはなれない存在でした。彼の世代はヒーローなき世代です。

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ルイ=ナポレオン

フローベールは、七月王政の時代に青少年期を過ごしました。ブルジョワジーとパリ民衆による七月革命によって生まれた政権ですが、最終的には民衆を排除します。そこで1848年に民衆が起こしたのが二月革命で、この小説の下巻でしっかりと書き込まれています。そこで生まれたのが第二共和政なんですが、これもたちまち崩壊してしまう。そればかりか、より反動的な政権、ルイ=ナポレオンが皇位に即位したことで生まれる第二帝政が成立する。

フローベールがデビューしたのは、この第二帝政期、彼が活躍したのは、この時代なんですね。青年期の革命の夢が潰え去り、挫折感を抱えて生きる四十代、フローベールが意識していたのは、主としてそんな人たちなんです。

------小説の方も、民衆の夢見た革命が終わるエピソードが印象的に書かれていますね。

太田 ここでは、語りませんが、フレデリックの友人や知り合いが、殺す側と殺される側に分かれる。このドラマによって、革命の無惨な終焉を非常にうまく描いています。

------この小説の面白さは、革命を含む社会状況の変化と登場人物たちのドラマが、非常にうまく関係しているところです。フローベールはかなりしっかり構成を作っていたのでしょうね。

太田 そうだと思います。ここでフローベールの執筆の仕方について紹介しましょう。

フローベールが構想を書き留めた「作業手帖」が残されています。そこに彼はアイデアを書き込んでいた。構想が固まると、次にシナリオを書き出します。つまり筋書きを書いていく。きっとそこで、革命の展開と登場人物のドラマの絡め方が決まったはずです。そしてやっと手書きで小説を書いていく。それが草稿ですね、そして推敲が終わると筆耕に回す、筆耕とは清書をするプロ、そこから戻って来たテクストをさらに修正し、それでやっと印刷所に入れるのです。こうしてフローベールは小説を書き上げてきました。

先の「作業手帖」を活字にしたものが、フランスでは一冊の本になって刊行されています。翻訳の際には、私もその本も参考にしました。また、草稿についてもフローベールは執着があったらしく、保存状態がかなりいい状態で残されている。多分パリの国立図書館などに、製本されて保管されていると思います。

まあ、とにかく、この小説の構成は緻密です。翻訳していて、構成の巧みさを様々なところで発見できました。

------その構成の面白さと関連すると思うのですが、印象的なのがルイ=ナポレオンの扱い方です。太田さんは、「じつはルイ=ナポレオンという固有名詞は、『感情教育』において一度も登場しておらず、考えてみればこれはじつに奇妙なことです」と「解説」で書いていますが、これは興味深い指摘ですね。

太田 第二帝政の中心人物、ルイ=ナポレオンには一言も触れず、さらにナポレオン三世の大事業、パリ大改造の時代をあっさり飛ばして、小説の終盤に置かれているのが、主人公フレデリックと離ればなれになってしまった恋の相手アルヌー夫人の再会の場面という構成なのです。

前回のインタビューでは、大改造で失われてしまったかつてのパリを文章で復元するのも、フローベールの小説執筆の大きなモチベーションであることを、お話しました。

そのパリのことや、青春期の夢を託した革命のことを考えると、革命を終わらせパリを変えたルイ=ナポレオンの名前が一言も出てこない構成は、なかなか興味深いものだと思います。

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ダンブルーズ氏の葬儀が行われたマドレーヌ教会
恋愛と金銭、そのシビアな関係

------『感情教育』は、歴史小説であるとともに、恋物語でもあります。しかし、この恋愛小説、気になるところがあります。主人公の財政状況と恋愛が密接に絡んでいるところです。はっきりいいますと、金のあるなしでフレデリックの恋心がものすごく変化する(笑)。

太田 そうですね。フレデリックはお金がなくなってパリで勉強ができなくなる。彼には資産家の伯父がいて、そこに訪ねたりするのだけど、色よい返事がもらえない。そこで彼は素直に落ち込むんですね(笑)。次にその伯父が死んで相当な遺産が転がり込む。そこでまた率直に大喜び(笑)。すると恋心が盛り上がり、パリに戻って恋愛劇が再び始まる。さらに、愛するアルヌー夫人のために金を貸したりする。

また、高級娼婦ロザネットとの恋は、当然金銭がらみです。その他、恋の展開には、いつもお金がからんでいる。

できれば読者のために、当時の1フランが日本円にするといくらになるかを示したかったのですが......19世紀の金銭事情というのはなかなか複雑でよくわからない。ある研究者にいわせると1フランは今の千円なのですが、300〜500円と主張するフランス人専門家もいます。これでは明確に示せないので、あきらめました。

まあ、『感情教育』だけでなく、フランス近代の恋愛小説では金銭のことがよく描かれています。というのは当時のフランスは自由に恋愛できなかった。家の事情で結婚し、その後の恋愛だったりしますから、財政状況はシビアに関わってくるのです。

------社会的な事件と登場人物との絡みが秀逸なように、金銭と恋愛のからみ方も、非常に上手にできている物語なんですね。

さて、今回は『感情教育』が刊行されたことで(2014年12月)行っているインタビューなのですが、「上巻」は10月に出版されています。反応はいかがでしたか?

太田 Twitterなどを見てみると、20〜30代の人の発言が読めて興味深かったです。その人たちの中でいくつかあったのが、「この小説のことは知っていたけれど、なかなか手が出しにくかった、これを機会に」という反応です。

それから仏文出身の方だと思うのですが、「授業で読まされたけれど、その時は難解でつまらなかった。しかしその後、評価が高い作品であることを知った。そのことを、この新訳で確認してみたい」という意見。
「今ごろ、よくフローベールを出したな!」という驚きの声もありました(笑)。それと「読み比べてみたい」という人もいましたね。「岩波文庫も河出文庫でも読んだが、今度出た新しい訳がどういうものか、自分の目で確かめてみたい」というご意見です。

------訳を比べてみるというのは、素晴らしいですね。岩波文庫は生島遼一さんの訳、河出文庫は山田ジャク(名前の漢字は書籍を参照して下さい)さん、さらに「新潮世界文学」では清水徹さんが訳されておられます。「あとがき」では、翻訳の際には、この3冊を「常時参考にさせていただきました」と太田さんは書いています。

太田 自分の誤りに気づくことができるし、またそれぞれの誤訳も発見できて、それが翻訳のよい参考になるのです。

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ダンブルーズ氏が埋葬されたペール=ラシェーズ墓地

------先の三人の方の翻訳と、今回の新訳の違いはどこにありますか?

太田 参考にさせていただいた翻訳はいずれも優れたものですが、会話の部分は日本語として当然古びてくる。それは仕方がないことですが、現代の読者にとって、新訳の会話は非常に読みやすくなっていると思います。

しかし、ただ現代的な言葉遣いを意識して訳しているのではありません。台詞によって登場人物のキャラクターはできあがってきます。ですから、人物のイメージを自分の頭の中でしっかり練り上げて、それにふさわしい台詞となるように工夫しました。他の訳と比べると、登場人物のキャラクターが味わい深くなっているのではないかと思っています。

楽しく読める『感情教育』になったと思います。

(聞き手 渡邉裕之)


● CENTRE FLAUBERT

ルーアン大学にあるフローベール・センターのウェブサイト。フローベールに関する研究論文、参考文献、画像、自筆原稿のデジタルアーカイヴ化など、貴重な資料を見ることができます。

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  • 定価(本体1,320円+税)
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2014年12月26日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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