連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(4)(番外編) - 光文社古典新訳文庫


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連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(4)(番外編)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月20日更新)

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vol.2 中村妙子さんに聞く

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さんにつづく、連載シーズン2は、中村妙子さんにご登場いただきます。1923年2月21日生まれの中村さんは92歳を迎え、翻訳を手がけて70年近くになられます。ロングセラーの『サンタクロースっているんでしょうか?』「くまのパディントン」シリーズ(ともに偕成社)『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(岩波書店)をはじめとするたくさんの翻訳のほか、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社)『鏡の中のクリスティー』(早川書房)などの著作もあります。

子ども時代の読書体験、戦争中の恵泉女学園、津田塾での学びはどのようなものだったのか、そして1942年秋に繰り上げ卒業した後、内閣情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で働き、敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤めたという中村さんが、どのようにして翻訳の仕事をするようになったのか、お聞きしました。
(文中に登場する方々のお名前は一部敬称を略させていただきます)

4回 番外編(裏の回) あのころ、あの人、あんな本

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中野好夫さん
(写真提供:みすず書房)
今回は「裏の回」ということで、中村妙子さんの人生に深く関わった人物のひとり、中野好夫さんに焦点をあてます。

連載第2回め、妙子さんにシェイクスピアの講義をした先生として登場した中野好夫さんは、英文学者、翻訳家、評論家で、著書・訳書は膨大な数にのぼる。1903(明治36)〜1985(昭和60)年。

中野好夫さんが生まれた1903年は――と言われても、多くの読者はイメージがわかないだろう。どのような時代を生きたのか、中野好夫さんご自身の本から引用してみる。

「明治四十三(一九一〇)年、わたしは数えの八つで小学校に上がった。定かな記憶の残り出すほぼ最初の齢頃だが、いまにして思うと奇妙な一年だった。一応年表的にいえば、五月には例のハレー彗星なるものが、晴天ならば夜ごとに見られ、翌六月からはいわゆる大逆事件の検挙が一斉にはじまっている。そして八月には韓国併合だった。

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表紙の写真はハレー彗星

もちろん、深いことなど知る由もない。日韓併合はただ紙の日の丸小旗を振り旗行列をやらされたことだけが記憶のすべて。それでもやはり正直にいって、日本が何かえらい国にでもなったような気がしたことは事実。大逆事件に到ってはまことに妙な記憶の一コマだけがある。今も残る城山公園(正しくは徳島中央公園)入り口の通称下乗橋、あの石橋の上でのことだが、ある日(時期は完全に知らず)近所の友だち数人と遊んでいた。そのときおそらく上級生の一人だったのだろう、突然声を潜めたかと思うと、悪い奴がおるぜよ、赤旗立てて天皇陛下殺そうとした奴がいるんだてよ、と言った。......もちろん報道禁止中だったはずだが、やはり風聞はどこからともなく四国にまで伝わっていたものとみえる。」

『主人公のいない自伝 ある城下市での回想』(筑摩書房、1985)より

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徳島中学の管理教育に反発して、京都の旧制高校へ。そして東京帝国大学文学部英文学科に入学する。

最近も就職氷河期などと言われるが、中野さんの卒業時も大不況だった。

img_nakamura04-08.jpg「はじめて社会に出た昭和初期というのは、やがて柳条溝事件(旧満州事変)の陰謀へと突入する昭和不況時のドン底で、学校出の就職難は、とうていいまどころの騒ぎではなかった。わたし自身も型通り失業者群の一人になり、家庭教師、ミニ演劇雑誌の編集手伝い、三流私立中学の教師などで、なんとか食いつないだ。東大法科での友人の一人が、どこへ行ってもお断りばかり食い、業を煮やした末か、書きつぶしの美濃半紙履歴書をタコに張り、下宿の二階から空にあげて、わずかに鬱憤を晴らしていたのが、ひどく印象に残っている。」

「私にとっての昭和五十年」1976年2月『人は獣に及ばず』(みすず書房、1982)

こうして教員をしながら執筆や翻訳を手がけ、1931(昭和6)年に初めて活字になったものが出版された。イギリスの文学批評家・作家であるF・L・ルーカスの「批評論」翻訳が『文学論パンフレット2』(研究社)に掲載されている。

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『バニヤン』中野好夫/著(研究社、1934)

東京女子師範学校教授になり、T・S・エリオット「ボードレエル」の翻訳や、「英国現代文学と風刺」などの批評を雑誌に発表していく。1934(昭和9)年、32歳で最初の単行本著作『バニヤン』が「英米文學評伝叢書」シリーズ12(研究社)として刊行された。ちなみに、ジョン・バニヤン(1628--88)は、貧しい鋳掛け屋で清教徒革命に参加し、ベッドフォ―ド教会で宗教活動をするが、12年間も牢獄生活を送り、代表作『天路歴程』を執筆した人物だ。

この『バニヤン』を、牧師である父親の蔵書で読んでいた中村妙子さん。中野先生の講義が聴けると楽しみにしていたことは、連載2回目に出てきたとおりだ。

妙子さんが津田英学塾に入った1930(昭和15)年、中野好夫先生は37歳。この1年だけで、なんと翻訳4作品、著書1冊が刊行されている。1月にモーム『雨』(岩波文庫)、スウィフト『ガリヴァー旅行記・上・下』(世界文庫・弘文堂)、8月にモーム『月と六ペンス』「現代世界文学叢書」収録(中央公論社)、9月に著書『アラビアのロレンス』(岩波文庫)、コンラッド『闇の奥』「新世界文学全集」収録(河出書房)。

戦後も、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」「ヴェニスの商人」「ロミオとジュリエット」『シェイクスピア選集』(筑摩書房、1950)、モーム『人間の絆』「モーム選集」(三笠書房1951--52)、オースティン「自負と偏見」「世界文学大系」(筑摩書房、1960)など翻訳に加え、社会批評、エッセイを膨大に書いてきた。

光文社古典新訳文庫で、別の訳者によって新訳された作品を最後に掲載しています

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『酸っぱい葡萄』(みすず書房、1978)

翻訳は「身すぎ世すぎ」だといい、「いったいどんな心構えでやってきているのかと開き直られると、これが困るのである」と書いている。

養うべき老人や親や子どもが多く、「なんとかしなければならぬ。そこで思いついたのが、なにを隠そう、翻訳であった。自家の論文、エッセイなどは、いくらこちらで自信があっても、駆け出しの若僧などに払ってくれる稿料は知れたものである。そこへいくと、翻訳の方は、原作の選択さえまちがわなければ、原作の評価がそのまま通用してくれる」と振り返っている。

あらためて「翻訳論」など語るほどのものはない、と斜に構えながらも、翻訳への思いや、個々の作品にまつわるエピソードは興味深い。「おもしろうて、やがて悲しき」翻訳については、敗戦直後の「迷訳ばなし」や「翻訳解禁」(『酸っぱい葡萄』収録、みすず書房、1978)、「翻訳雑話」『英文学夜ばなし』収録、新潮社、1971)、「翻訳論私考」(『文学・人間・社会』収録、文藝春秋、1976)がおススメである。

さて、中野さんの最初の著作はバニヤンの評伝だったが、その代表作で「聖書の次によく読まれた」という『天路歴程』を、1987年、中村妙子さんが子どもむけに翻訳している。その「あとがき」で妙子さんはこう書いている。

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『危険な旅 天路歴程ものがたり』(中村妙子 訳、1987→2013再刊、新教出版社)

「小学生のころ、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』の抄訳を読みました。いまでもあざやかに記憶に残っているのは、四人の姉妹の<巡礼ごっこ>。巡礼といっても日本のお遍路さんの旅とは違って、背中に荷物を背負って地上から天国への道筋をたどるのです。起点は地下室、終点の天国は屋上。途中の美わしの宮殿でやさしい娘たちのもてなしを受けたり、恐ろしいライオンのそばを通りぬけたり。これはルイザ以下、オルコット家の姉妹たちにとって、たいへん楽しいひとときだったに違いありません。......

もう少し大きくなって『若草物語』を全訳で読むころには、わたしも、この<巡礼ごっこ>がバニヤンの『天路歴程』にもとづいているのだということを知っていました。『天路歴程』はわたしの心のなかでメグやジョーたちの姿と重なって、固苦しいとか、むずかしいといった感じを受けたことがありません。」

『危険な旅 天路歴程ものがたり』(中村妙子 訳、1987→2013再刊、新教出版社)

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中野好夫 著『バニヤン』のなかに、『天路歴程』訳書のイラストがある。

若かりし中野好夫さんが伝記を執筆し、妙子さんは、その代表作を子ども向けに翻訳した繋がりに、なにか運命的なものを感じる。

中野好夫さんは戦後、社会評論の分野で精力的に発言・執筆した。その全貌は、「中野好夫集」全11巻(筑摩書房 1984-85)などで辿っていただくとして、ここでは、先の「昭和五十年」の続きから紹介する。

治安維持法の「お世話」にもならず(親しい友人はやられた)、反戦非戦の動きもできなかったかわりに、積極的に協力する気にもなれなかった。それでも知識人として背任であり、ある新聞社からの戦犯摘発のアンケートには「中野好夫」と答えた、と自嘲をこめて記したあと、政治的社会的な発言をし、実践にコミットするようになった理由をこう書く。

「敗戦までのわたしは、専門の文学関係以外に、ほとんどなんの発言もしていない。つまり餅は餅屋にまかせればよいと、実に迂闊にも考えていたのだった。

その甘さ迂闊さを、眼からウロコでも落ちるように悟らされたのは、明らかにあの敗戦だった。当時国民の大部分は、恥かしげもなく騙されたと言ったものである。信じていたつもりの政治家軍人が、信頼に値いするどころか、国民を欺いて恥なき恐るべき人種だったことは、たしかにその通り。

だが、さればとてわたしは、騙されたとは言いたくなかった。だとすれば、これは専門、非専門をとわず、国民の一人であるかぎり、必要な発言と行動だけはしておかねばならぬ。それだけが騙されぬ途であることを、下司の浅知恵で悟ったのだ。これだけがわたしにとり、あの敗戦があたえてくれた唯一の貴重な教訓だった」

中野好夫さんには、33歳で病死した妻・信との間に息子ふたり、娘がひとり。新しい妻・静との間に息子ふたりがいた。

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『父 中野好夫のこと』(岩波書店、1992)

娘の利子さんは、少女の頃は父嫌い、20代になると「ナカノ・ヨシオ」菌というバイ菌がいるかのように父に関係するものに近づかなかったという。『父 中野好夫のこと』(岩波書店、1992)で、こう書いている。

「大学教授をやめ、翻訳家ではありつづけても英文学者であることはすぱりとやめた父の態度にも、父の意欲を感じる。......この道一筋といった執着を避け、なにからもある距離をおいたその余白が生み出すものを、父は父なりに深く楽しんだのではないか」

晩年に取り組んだギボン『ローマ帝国衰亡記』の翻訳について、

「自分にとって最も本質的な営みである翻訳、しかも、長くて面白くて難しいものの翻訳を、晩年の仕事の核にすえた。いろいろなことに無造作に手を出しているように見えながら、核はここだった。ここから出発し、またここに戻る」

と父の仕事を位置づけている。

父の書いたものは読まなかったが、翻訳だけは別だったという。子どもの頃、母が作った食事をそれと意識せずに食べたように、父が訳した本を、誰が訳したか忘れてしまって、食事をとるのと同じような無意識さで読んでいたという。

利子さんも、父の書いた『バニヤン』には、特別な思いを抱いていた。

さて、連載第3回の最後で、なんと、中村妙子さんの結婚相手が、中野好夫さんの妻・静さんの弟だという衝撃の事実が明らかになった。(え? そんなの常識?)

次回以降は、中野好夫さんと中村妙子さんが共訳した話も出てくるので、お楽しみに。

ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと

中村妙子さんにお話をうかがっているとき、「あなたはどちらの学校を出ていらっしゃるの?」と聞かれた。私が学校名を答えると、「あら、それじゃあ、利子さんの後輩だわね。それに、私の叔母の植村環も卒業生で教えていましたのよ」と上品なお声でおっしゃった。

妙子さんに導かれて読んだ中野利子著『父 中野好夫のこと』は、味わい深い1冊だった。卒業式の場面では、講堂の様子が思い出されて懐かしく、ちょうど私も父を亡くした時期だったこともあり、涙腺がゆるむ。

中野好夫さんは巨大な獅子か象のようだ。光文社の古典新訳文庫の仕事で既訳書を調べていると、「え? これも?」と古い文学全集のあちこちでお名前に遭遇した。

今回改めての発見は、パール・バック『大地』(新潮文庫)が、新居格/訳、中野好夫/補訳となっていたこと。あとがきを読むと、かなり中野さんが手を入れたようだ。

『大地』といえば、産気づいた女性が医者にも助産師にも頼らず赤ちゃんを産み落とし、近くにある何かの葉を刈り取り、ヘソの緒を切るシーンが衝撃的な作品である。中学生か高校生だった私の脳には、その出産場面がクッキリ刻みこまれた。

年月が経過して自分が妊娠し、これからくる陣痛や娩出について不安だらけのとき、『大地』が支えになった。ああやって産む女もいたんだから、きっと大丈夫、と自分を励ました。パール・バックもあきれる変則的読み方だが、あの訳文も中野好夫さんだったとは!(未読の方、『大地』はマタニティ実用書ではないので、ご注意ください)

沖縄関係の青い岩波新書も読んだ気がする。だが、新崎盛暉との共著者・中野好夫と、英文学者・翻訳家の中野好夫とは、私の脳内ではつながっていなかった。

産児調節運動で有名な馬島僴は、中野好夫さんの徳島中学時代の先輩で、神戸の診療所まで訪ねたという話にもビックリ。

無知で勘違いだらけの人生だけど、だからこそ色々つながる読書の心地よさに浸れるのである。

(「中村妙子さんに聞く5回」更新は3月20日です)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

 

構成・文/大橋由香子(おおはし ゆかこ)
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子』(インパクト出版会)ほか。

黒猫/モルグ街の殺人

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2015年2月20日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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