連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(5) - 光文社古典新訳文庫


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連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(5)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月20日更新)

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vol.2 中村妙子さんに聞く

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さんにつづく、連載シーズン2は、中村妙子さんにご登場いただきます。1923年2月21日生まれの中村さんは92歳を迎え、翻訳を手がけて70年近くになられます。ロングセラーの『サンタクロースっているんでしょうか?』「くまのパディントン」シリーズ(ともに偕成社)『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(岩波書店)をはじめとするたくさんの翻訳のほか、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社)『鏡の中のクリスティー』(早川書房)などの著作もあります。

子ども時代の読書体験、戦争中の恵泉女学園、津田塾での学びはどのようなものだったのか、そして1942年秋に繰り上げ卒業した後、内閣情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で働き、敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤めたという中村さんが、どのようにして翻訳の仕事をするようになったのか、お聞きしました。
(文中に登場する方々のお名前は一部敬称を略させていただきます)

5回 夫の学生寮での新婚生活、子育ての間に翻訳

1947年10月に中村英勝さんと結婚し、佐波妙子から中村妙子になった。英勝さんの姉が、中野好夫さんの妻であることは前回ふれたが、義姉になった中野静子さんは、かつて津田塾で英文法を教わった恩師でもあった。

結婚するまえは田無町に住んでいましたが、結婚して板橋区にある東大の学生寮に入居しました。夫の中村が住んでいた六畳の部屋に、私も布団と本だけの荷物を持ちこんだのです。大学生だけではなくて家族づれ、お子さんのいらっしゃる先生もおられました。まだまだ住宅難でしたから。

この板橋の学生寮は、大学当局が臨時の寮をもうける必要に迫られて、戦争中に印刷工場の女子寮だった板橋十丁目の建物を使わせてもらったものだという。『三本の苗木』(みすず書房)で中村さんは次のように思い出を記している。

「板橋寮には一種の暗黙の規律が存在しながら、自由な雰囲気がみなぎっていて、ここが新生活の拠点であったのは、わたしにとってたいへんありがたいことだったと思う」

「結婚二か月目の十二月の暮れ近く、寮の玄関に、『板橋寮の今年の十大ニュース』と題する一枚の紙が張り出された。十大ニュースのその一は『中村氏、華燭の典をあげらる。夫人は敬虔なクリスチャン』であった。"敬虔な"はクリスチャンの枕詞らしいから、とやかく言うことはないのだが、わたしたちの結婚は、学生寮にちょっとした波紋を引き起こしていたのかもしれない」

一念発起して大学を卒業、時間をやりくりする

1948年に長女を出産し、数か月後に、世田谷に引っ越しするが、そこも知人の家の間借りであった。1950年には一念発起して東京大学西洋史学科に入学。1951年には次女が生まれ、3学年制の旧制大学を3年がかりで卒業した。

学問をしたかったというよりも、家庭のことだけじゃつまらないという気持ちのほうが強かったという気がします。それは、今の女性たちと同じじゃないかしらね。でも大学は結局、出席できない授業が多くて、出席回数に関係なく試験に通れば単位がとれるという科目をフルに活用しましたね。教育学や歴史学の概論は、忠実に授業に出た学生のノートのプリントが生協で売られていて、それを買って試験勉強しました(笑)。みっちり勉強したと言える唯一の経験は卒論だけでしょうか。
 英語の家庭教師もしていました。あのころは生活が苦しくて、給料を袋ごと渡されても、半月で足りなくなるし、質ぐさがないから質屋にも行けず、家庭教師は必要に迫られてという感じでしたね。子どもたちに本も買ってあげたいし。
 子どもが小さいうちは、夫の母がみてくれたり、お手伝いさんを通いでお願いしたりしましたが、翻訳の仕事は家でできるので、外の勤めよりらくだったと思います。そのあと、恵泉の短大や津田塾大学に講師で行くようになりましたけれど、外出が毎日だったら大変だと思いましたね。私の場合は、子育てが主な仕事で、子どもたちが学校に行っている間とか、あいている時間に翻訳をするという感じでした。細々とでも続けていると、そのうちに子どもは大きくなります。そうすれば仕事ももっとできるようになります。
 それと、私はね、半端時間とか、短い時間でも、翻訳をするという空間にすぐ戻れるんです。集中力というより、まあ、時間のやりくり、という感じでした。凝って一生懸命やるほうではないの。何をやっても、全然、涙ぐましくないんですよ、私って。

と笑いながらおっしゃるが、もちろん並大抵の努力ではなかっただろう。

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『ベッチイ物語』
ドロシイ・キャンフィールド
評論社、1950年

締め切りを守らないということはいっぺんもなくて、締め切りより早く出す性格(たち)なんです。出版社さんにとって、便利だったんじゃないでしょうか。もっとも、私は悪筆なので、その点、みなさんに迷惑をかけたと思います。『マクサの子どもたち』のあと、中野(好夫)先生が、"子どもの本の翻訳を共訳でやらないか"とおっしゃって、評論社から『ベッチイ物語』が出たんです。ところが、ゲラの誤植が多くて、私が「まちがいが多くて困ります」とこぼしたら、中野先生に、「あんな汚い字じゃ、印刷屋がまちがわないほうが不思議だ」って怒られたことがありました(笑)。
img_nakamura04-01.jpg  あまりに字がひどいと言われるので、他人さまに読んでいただくのだから申し訳ないと自戒して、途中から、親しい方にアルバイトで、お清書をお願いしました。その方は、私のひどい字も読みといてくださってね。かなり長い間お願いしていましたが、そのうちワープロが出てきて、ありがたかったです。私、機械には弱いけれど、タイプライターはできましたから、ワープロがすぐ活用できたんです。

おもしろいと思ったものを翻訳するのが基本

中野好夫先生は、『ベッチイ物語』の後も、『西洋史概説』や『イシ 二つの世界に生きたインディアンの物語』の共訳をまわしてくださった。あるときは、「もう少し砕いてもよかったな」、またあるときは、「筆が走りすぎんように」と言われたという。

『イシ』の訳者あとがきに、中野好夫さんはこう書いている。

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『イシ』
シオドーラ・クローバー 作、
岩波書店、1977年

「最後に中村妙子との共訳ということだけには、一言釈明をしておきます。もちろん、訳出はすべて妙子の労で、わたしはただ校正刷を一読しただけです。まったくといってもよいほど筆を加える必要はありませんでした。妙子はすでに十数冊の訳書を出しており、児童物の翻訳にかけてはわたし以上の名手だと信じています。この本の訳出にあたり、わたしが彼女を推薦したことまでは事実ですが、共訳者として名を列ねるとは考えも及びませんでした。彼女の功の半ばを奪うことは心苦しいからです。といって、妙子から機会を奪うことも心ないことですので、彼女がわたしの義妹ということもあり、まずは諒解してくれるものと信じて応諾しました。出来栄えのすぐれたところはすべて彼女の手柄です。まちがいのないよう、つけくわえます。

一九七七年八月」

翻訳をする出版社も増えていった。

「少女の友」に最初の翻訳を連載していたときに学研から声がかかり、新教出版社からは、フルダ・ニーバー『聖書物語』やアブラハム・カイパー『聖書の女性』の翻訳の仕事の注文がきた。

その後、偕成社から子どもの本の翻訳を依頼されたのが夏休みの課題図書に指定され、子どもたちによく読まれたようだ。

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『聖書物語』
新教出版社、1951年

キリスト教関係の翻訳は、依頼があれば、できるだけやりたいと思いましたし、ずいぶんお仕事をいただきましたが、ずっとやりたかったのは子どもの本です。やがてアガサ・クリスティーを翻訳したり、ロザムンド・ピルチャーに親しんだり。

基本は、原書を読んで、自分がおもしろいと思ったものを翻訳するということです。お断りすることがないわけではありませんでしたが、ほとんど引き受けてきたと思います。途中からは、編集者の方も私に合う作品をもってきてくださるようになりましたし。
 小さいときの本好きの延長という感じで、いまだにやっぱり翻訳が一番好きな仕事ですね。

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『聖書の女性』新約篇(左)と旧約篇
新教出版社、1955年

次回は、中村さんが手がけた作家について、さらに詳しくお話をうかがっていく。

(「中村妙子さんに聞く6回」更新は4月20日です)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。


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飯田橋にある富士見町教会(撮影 大橋由香子)

連載2回目に、4月15日蒲田の空襲で自宅も蔵書も焼けてしまったこと、一部蔵書は鉄筋コンクリートの富士見町教会に避難して助かったことが出てきた。その中には、妙子さんの父・佐波亘氏が『植村正久と其の時代』(教文館)編纂のために集めた資料があり、現在は東京女子大学比較文化研究所の植村記念・佐波文庫になっている。富士見町教会は、飯田橋駅前の再開発に伴い建て替えられた。

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子』(インパクト出版会)ほか。


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2015年3月17日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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