連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(6) - 光文社古典新訳文庫


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連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(6)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月20日更新)

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vol.2 中村妙子さんに聞く

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さんにつづく、連載シーズン2は、中村妙子さんにご登場いただきます。1923年2月21日生まれの中村さんは92歳を迎え、翻訳を手がけて70年近くになられます。ロングセラーの『サンタクロースっているんでしょうか?』「くまのパディントン」シリーズ(ともに偕成社)『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(岩波書店)をはじめとするたくさんの翻訳のほか、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社)『鏡の中のクリスティー』(早川書房)などの著作もあります。

子ども時代の読書体験、戦争中の恵泉女学園、津田塾での学びはどのようなものだったのか、そして1942年秋に繰り上げ卒業した後、内閣情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で働き、敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤めたという中村さんが、どのようにして翻訳の仕事をするようになったのか、お聞きしました。
(文中に登場する方々のお名前は一部敬称を略させていただきます)

6回 人間はどこにいても同じように考えることがある
クリスティーが別名で発表した作品を発見
『火曜クラブ ミス・マープルと13の事件』(早川書房)

最初に中村さんが訳したアガサ・クリスティーの作品は、1959年に刊行された『火曜クラブ ミス・マープルと13の事件』(早川書房)だ。翌60年、夫がフルブライト奨学金で渡米することになり、中村さんもイギリスとアメリカに行った。

アメリカの大学の図書館でカードをめくっていると、Westmacott,Mary という名前のあと、括弧して(Christie,Agatha)とあった。読んでみると、最後まで殺人事件が起こらない小説。クリスティーが別名で発表していたのだ。この Absent in the Spring は、中村さんには珍しく、自分から出版社に翻訳したいと持ち込んだ。それが、『春にして君を離れ』(早川書房、1973)である。

こうして、クリスティーの推理小説以外の「叙情的ロマンス」を訳すようになり、やがて作家の人生に興味が湧いてきて、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社、1986)、『鏡の中のクリスティー』(早川書房、1991)を執筆した。

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『鏡の中のクリスティー』(早川書房、1991)、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社、1986)

もうひとつ、中村さんの代表的な翻訳書といえば、C・S・ルイスだ。

ルイスの著作には『ライオンと魔女(ナルニア国ものがたり)』(瀬田貞二訳、岩波書店)のような児童文学・ファンタジーのほかに、詩集や神学論文集もある。中村さんは、『C・S・ルイスの秘密の国』(アン・アーノット著、小峰書院、1978)などの評伝を翻訳するなかで、キリスト者である彼の生き方に関心をもつようになった。

『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(マイケル・ホワイト著、岩波書店、2005)を訳したとき、中村さんはインタビューでこう答えている。

「翻訳者にとってルイスの著作を訳すことはひとつの挑戦みたいなところがあると同時に、濃密な読書でもあります。ルイスは比喩がとても巧みです。たとえば私の訳した『痛みの問題』でも、人間はひとりひとりが様々であることを鍵の鋳型にたとえています。鋳型を見ただけではとても奇妙な形で、それが何の役に立つのかわからない。けれどもそれが鍵の鋳型だとわかれば、そうした奇妙な形だからこそ、意味があるのだと納得する。人の魂も、神性の限りない凹凸に合うように様々な形にできていて、それぞれが多くの棟からなる屋敷のドアのひとつひとつを開ける鍵なのだと。こういう刺激的な表現に出会うと、私は訳していることを忘れてしまいます。深い思想を日常的なやさしい言葉に変えて言うことができた、それがルイスの言葉の力なんですね」

(「ダ・ヴィンチ」2006年1月号、メディア・ファクトリー、取材・文 瀧晴巳。掲載時の記事に、中村妙子さんが今回あらためて一部加筆しました)

ルイスを訳しているときは気持ちが高揚して、翻訳を中断して部屋の中を歩きまわっていることもあったそうだ。

子どもはさまざま、本もいろいろな種類があったほうがいい

「ロザムンドおばさん」短篇シリーズ(晶文社)や『シェルシーカーズ』『野の花のように』『九月に』(以上、朔北社)のロザムンド・ピルチャーも、中村さんが翻訳をたくさん手がけている原作者だ。

ピルチャーの作品は、アガサ・クリスティーのことを調べにイギリスに行った帰り、ヒースロー空港でまったく偶然に見つけたんです。読んでみたら本当に面白い。雑誌の「婦人之友」で数篇紹介したら、読者からの反響が大きくて、それで後に単行本として翻訳しました。

とくに『シェルシーカーズ』は読者が友人に勧めるという口コミで広がっていったようだ。

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ロザムント・ピルチャー著、中村妙子訳の朔北社の本。美しい表紙も印象的。
(『九月に』上・下(2006)『シェルシーカーズ』上・下(2014、新装版)『双子座の星のもとに』(2013)

ピルチャーのものには、若い登場人物ばかり出てくる作品もあるけれど、高齢の登場人物もいいですよね。「ああいうふうに歳をとりたい」「自分の母親を思い出した」という読者からのお便りが来て、翻訳してよかったと思いましたね。遠い外国の人が考えていることを、とっても身近に感じるというお手紙もあります。人間ってどこにいても同じように考えることがあるんじゃないかしら。とくに人間関係についてはね。
 詳しく書きこまれた風景描写もピルチャー作品の特徴ですけど、自然の情景を訳すのはむずかしいですね。海や空の色でも、日本人の描写とはかなり違うし。私、スコットランドには行ったことがないから、写真集をみて想像しながら訳しましたっけ。

中村さんとピルチャー、そしてもう一人、アリータ・リチャードソンも同じ世代だ。リチャードソンの「メイベルおばあちゃん」シリーズ(朔北社)は、一昔前のアメリカを舞台にした、おてんば娘のお話だ。

昔、『家なき子』より『家なき娘』が好きだったという。その『家なき娘』にちょっと似ていて気に入ったのが、ガートルード・ウォーナーの「ボックスカーのきょうだい」シリーズだ。

アリータ・リチャードソンさんと中村妙子さん
アリータ・リチャードソンさん(左)と中村妙子さん
『三本の苗木』(みすず書房)より

ウォーナーは小学校の先生をしていた女性で、1年生が習う英単語だけを使って、ミステリや冒険を身近なところで書いています。子どもを見ていると、さまざまでしょ。本もいろいろな種類のものがあるほうがいいと思うの。
 最近は、なんでもテンポが速いし、テレビに出てくる子どもたちも、きびきびした子が多いのよね。でも、まわりのスピードに合わせて無理をしている子もいます。おっとりしていて、ゆっくり物事をすすめるような、そういう子の居場所、そんな子どもが楽な気持ちになれる本も必要だと思うんです。自分であれこれ想像できる余地を残している本ね。

ほかにも、マイケル・ポンド著「くまのパディントン」シリーズや、ロングセラー『サンタクロースっているんでしょうか?』(ともに偕成社)など、子ども向けの本を訳しながら、子育てをしてきた。

翻訳のおかげで、本当にいろいろな本を読むことになりました。たとえば海外の家庭や子どもの状況が出てきますでしょ、子どもの願っていることと親の考えが違うときに、子どもに押しつけても仕方ないとか、本質的なことがさりげなく語られています。そういう本を読んでいると、子どもに「勉強しろ」なんて言えなくなっちゃうんですよね。知らず知らずのうちに子育てについても学んでいたのかもしれません。その意味でも、翻訳をしてきてよかったと思います。
 子どもが学校に通っている頃、私も家庭教師のアルバイトをしていましたから、自分の子にも教えようとしましたよ。けれど、あっさり拒否されまして......(笑)。まあ、試験前にまとめて質問されることはありましたけど、直前に言われてもねえ。だいぶたってから、その娘たちに、翻訳の調べものなどで助けてもらうようになりました。

その後、津田塾大学で、「翻訳演習」を担当した。クラスのために、それまでの翻訳の仕事で培ってきたものをカルタで表現した。「中村式いろは翻訳カルタ」である。そのいくつかを紹介すると......

「一に原文、二に原文」
「人称の一貫性」
「補足するのも訳のうち」
「時には発想を変えてみる」
「抜かさぬように、飛ばさぬように」
「書き出しにさりげない注意」
「おさらばしよう、受験英語」
「句読点、あるとないとで大違い」
「舌にのせる、耳で試す」
「知らないということを知っている必要」
(亀田帛子「中村妙子 訳書はいつしか背丈を越えて」『津田梅子の娘たち』ドメス出版より)

時代がだいぶ変わってきて、このごろは、入手しやすいように、コンパクトな本が多いですね。編集者の方は読者の代表だと思いますから、ご意見はだいたい受け入れます。とくに若い編集者の意見はね。光文社さんとは翻訳のご縁はなかったけど、文京のマンションのすぐ近くだから、たびたび本を買いにいったことがあるのよ。

文京区暮らしが長かったんですが、いずれは油壺に定住するつもりでこちらのホームを契約しました。主人が海辺の雰囲気が好きだったので、よく三浦半島をドライブしましたね。2014年の年頭に「産経新聞」に原稿を寄せたとき、翻訳書は300冊と出ていましたが、絵本や袖珍本を入れるともう少し多いんじゃないかしら。ホームの部屋はせまいので、大量の本は置けません。でも、自分の訳書には責任がありますから、油壺に引っ越すときに全部持ってきて、やっと本棚に収まりました。こちらで暮らすようになって5年くらい。今は、三食昼寝つきで、気楽(きらく)に過ごしています。仕事をしないと早く呆けてしまいそうで、老化を遅らせるためにも翻訳をもう少し続けたいと思っています。

「産経新聞」2014年1月5日号「翻訳机 幼いころのストーリーの濫読」
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(撮影:大橋由香子)

ダイニングテーブルのある部屋のガラスケースには、旅行先で買ってきた海外の人形とともに、手がけた本が並んでいる。文京区のマンションの雰囲気が、油壺のお部屋にも漂っていた。

映画「ドストエフスキーと愛に生きる」で見た、翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの姿とどこかで重なる。彼女も1923年生まれだ。

映画「ドストエフスキーと愛に生きる」公式サイト

翻訳が、からだや生活に、しっくりとなじんでいる。「仕事」というより、日々の営みになっているのだろう。中村さんが訳した書物は、いろいろな人の日常に、それぞれの味わいを添えていく。


[プロフィール]中村妙子(なかむら たえこ)

1923年2月21日大森生まれ。1935年大田区立蒲田尋常高等小学校卒業、恵泉女学園入学。1940年津田英学塾入学(1943年に津田塾専門学校と改称)。1942年秋、繰り上げ卒業となる。情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で嘱託職員として働く。敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤める。1947年「マクサの子どもたち」が『少女の友』(実業之日本社)に連載されたのを機に、以来ずっと翻訳をしてきた。1947年10月に中村英勝と結婚。1950年、東京大学西洋史学科に入学。1954年卒業。恵泉女学園、津田塾大学などで教鞭もとった。

翻訳を手がけて70年近くになり、最近の訳書は、ロザムンド・ピルチャー『双子座の星のもとに』(朔北社)、フランシス・バーネット『白い人びと』(みすず書房)、ジョン・バニヤン『危険な旅』(新教出版社)、アガサ・クリスティーほか『厭な物語』(共訳、文春文庫)、ストレトフィールド『ふたりのエアリエル』(教文館)など。

『ふたりのエアリエル』
ノエル・ストレトフィールド/著 中村妙子/訳(教文館 2014年)
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書斎にある中村さんの机。パソコン、プリンターとともに、愛用の万年筆も置かれている。(撮影:大橋由香子)

(「中村妙子さんに聞く」本編は今回で終わり、次回は中村妙子さんと本をめぐる人間関係の輪を番外編としてお届けします。更新は5月20日です。)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。


大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子』(インパクト出版会)ほか。


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2015年4月20日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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