〈あとがきのあとがき〉プーシキンの言葉の穴の深さ、背後の広さを測量する 『スペードのクイーン​/ベールキン物語』の訳者・望月哲男さんに聞く - 光文社古典新訳文庫


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〈あとがきのあとがき〉プーシキンの言葉の穴の深さ、背後の広さを測量する 『スペードのクイーン​/ベールキン物語』の訳者・望月哲男さんに聞く

cover205_atogaki.jpg ある日、トランプを使ったゲームが終った後に、「必ず勝つという3枚のカード」のエピソードが披露され、それを信じた青年の物語が始まります。伯爵夫人が知っていたカードの秘密を手に入れた青年の運命はいったいどうなるのか......現実と幻想が錯綜するプーシキンの代表作『スペードのクイーン』です。

そして、皮肉な運命に翻弄される人間たちを描く5作の短編で構成されている『ベールキン物語』。たとえばロマンチックな駆け落ちのシナリオが天候の気まぐれによって書き換えられてしまう物語(「吹雪」)、家同士の争いと変装をモチーフとする地主貴族の娘のロマンス(「百姓令嬢」)という具合です。

確かに、ここに収録された作品を読んでいくと、プーシキンが現代のロシアでも広く読まれ愛されられていることが納得できます。

そして、今回のこの文庫は、付された「読書ガイド」が実に興味深いのです。この解説がなければ、ただ「オモシロイ小説を読んだ〜」で終ったのかもしれません。

翻訳をした望月哲男さんは北海道大学の特任教授。古典新訳文庫ではトルストイの『アンナ・カレーニナ』、『イワン・イリイチの死/クロイツェルソナタ』、ドストエフスキーの『死の家の記録』を訳しています。その望月さんが書かれた「読書ガイド」は、プーシキンの作品を巡る様々な論者の「読み」が競い合う「読書ゲーム」ともいうべき魅力的な読み物になっているのです。

今回は望月さんに、プーシキンの魅力を語っていただくとともに、その「読書ガイド」を書くに当たって意図されたことをお聞きし、そこからさらにもう一歩踏み込んで、プーシキンのならではの言葉の特性を探求していきたいと思います。

レーニンバッジにプーシキンバッジ! この国民的作家の愛され方

------まず、プーシキンが現代のロシアでどう読まれているのか、教えていただけますか。

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『アレクサンドル・プーシキンの肖像画』
(キプレンスキー作、1827年、
トレチャコフ美術館所蔵)

望月 ロシアの本屋さんは、古典志向が強いんですよ。日本だと売れ筋の現代作家の読み物が前の台に平積みにされ、古典文学なんていうのは、ずっと奥にあるものですが、ロシアの場合は現代と古典の区別が緩く、文学系の書物一般が本屋の広いところを占めています。その中でもプーシキンは大物ですから、一番目立つところに置かれています。

研究者用の難しい本もありますが、一般読者用のきれいな装丁の本や子ども用の絵入りの本も並んでいます。この詩人の作品は、童話風の物語が展開されるものがあるでしょう。絵が付けやすいんですね。お化けみたいなものや美女も出てきますし(笑)

------日本の作家でいったら、誰になるんでしょう?

望月 う〜ん...宮沢賢治と夏目漱石を合わせた人みたいな感じでしょうか。

------国民的な作家なんですね。そんなプーシキンが、現代ロシアで、どんな風に親しまれているのですか?

望月 それを知るのにちょうどいい本があります、坂庭淳史さんという早稲田大学のロシア文学研究者の方が、『プーシキンを読む』(ナウカ出版)という本を昨年(2014年)出版されたのです。そこにこんな光景が書かれている。

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チョールナヤ・レーチカにある
プーシキン決闘の場の記念碑(写真=坂庭淳史)

プーシキンは1837年に、37歳の若さで決闘で亡くなったのですが、その決闘の地チョールナヤ・レーチカに坂庭さんは行ったんですね。そこには記念碑が立っていて、傍らの陽のあたるベンチで、若いお母さんが子どもにプーシキンの本を読んであげているという光景です。これなんかプーシキンの愛され方をよく表していますね。読書の世界では、今でも生き生きと感情移入できる同時代詩人として受容されているんです。

坂庭さんはモスクワにあるプーシキン記念第353中学校という学校についても書いています。これは没後100年を記念して1937年に開校された学校で、毎年プーシキン祭というのをしているんです。プーシキンの作品をベースにしたお芝居などを上演する他、子どもたちが描いた絵や看板などの展示もあるようです。

プーシキンが死んだのは、先ほど言ったとおり1837年ですから、あと20年ちょっとしたら没後200周年ということで、大騒ぎが始まりますよ(笑)。実際、生まれが1799年ですから、世紀の変わり目毎にプーシキン生誕祭が行われるのですが、これも大きなイヴェントです。

------どうしてそんなに人気が?

望月 プーシキンは、何よりもロシア詩の表現性、叙情性、物語性を広げた天才的本格詩人であり、同時に皇帝の権力に言葉で対抗するような、自由で反逆的な精神の代弁者であり、また一方で、女性を愛し、賭け事に熱中し、決闘事件を起こすような、無頼者的なところもある。

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ソ連時代のプーシキンバッジ
エレガンスと悲劇性とトリックスター的なものが同居していて、ひとつの個性にまとまらない面白さが、最大の魅力でしょうね。

風貌もいい。ちょっとアフリカの血が入っていて浅黒く、サル顔とからかわれたりもする顔立ちなんですが、それが魅力なんですね。

比べるのは適切か分かりませんが、あの国にはレーニンという人がいまして(笑)、彼にはカルムイク人の血、つまりモンゴル系の血が入っている。

二人は全然タイプが違いますが、いわゆる純ロシア系でないエキゾチックな風貌という点では共通しています。だから、キャラクターとしていろんなところに使われる。たとえば、ソ連時代には、レーニンバッジにプーシキンバッジ!(笑)。

------ゲバラのTシャツみたいに?

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レーニンバッジ

望月 まさにそれ! そんな風に愛されていました。ただしもちろんレーニンバッジは、共産党青年団の若年下部組織であるオクチャブリャータとかピオネールといった集団のシンボルとして、よりオフィシャルに使われていたのですが。

------プーシキンの魅力を作品で教えて下さい。何か、これという詩をひとつお願いできませんか。

望月 私好みの詩をひとつ紹介しましょう。彼にとってゆかりのあるペテルブルグを詠った詩です。

「華やかな町 貧しき町
虜囚の気分 風雅な景観
空はどんよりと生気なく
倦怠 冷気 御影石...
でも僕は ちょっと去りがたいのだ
なぜならここを時々
かわいいあんよが行き来して
金の巻き毛がゆれるから」

------前半は、ペテルブルグという都市が倦怠感のある感じで描かれていて、後半は、そのイメージをひっくり返して、ストリートを闊歩する女の子が出てくる、さっき望月さんが話してくださった詩人のイメージですね。

望月 そう、前半は都市文化に対抗する反逆の詩人で、後半は色好みのプーシキン。それがひとつにぱっと組合わさった作品です。しかもよく見ると、ペテルブルグという都市自体も、華麗さとうら寒さの両面から捉えられています。もっと優れた詩もありますが、プーシキンのことをよく表した作品として選んでみました。

今でも彼の詩は多くの人に愛されています。ロシアでは誕生日に娘さんが詩を一節朗読したりすることがあるのですが、プーシキンの作品が一番読まれているといいます。

------それだけロシアで愛されているプーシキン、日本ではどうでしょう?

望月 明治期から訳されています。明治時代初期から中期にかけて、日本では散文体の模索が行われていました。小説というものを書くのに、どんな文体がいいのかということで様々な実験が行われていたんです。

その試みのひとつとして、二葉亭四迷はツルゲーネフのロシア語を媒介にした新たな散文体を作り上げました。翻訳という作業が小説のスタイルを作るということと連動していたわけですね。

その散文体が評判になったこともあり、ロシア文学が多く訳されていきます。ツルゲーネフを始めとしてゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、そしてプーシキンも訳されます。

プーシキンではプガチョーフの反乱という史実に基づいた『大尉の娘』という小説が最初です。いちばん有名なのが『エウゲーニイ・オネーギン』ですが、これが訳されるのは、しばらく後でした。全文韻文で書かれた、まさに詩人の小説で、ある一定のリズムで韻を踏みながら、当時の若者の複雑な感情や心理を描いていくという、高度な技術を駆使した作品です。

今読める『エウゲーニイ・オネーギン』の代表的な翻訳は、池田健太郎さんが1962年に訳されたもの(岩波文庫)と、木村彰一さんが1969年に訳されたもの(河出書房新社の『プーシキン全集』、および講談社文芸文庫)です。池田さんの訳は韻文ではなく散文訳になっています。

プーシキンはすでに大半の作品が訳されて全集の形になっていますが、詩作品の訳というのは、音やリズム、イメージの凝縮力が関わっていてとても難しいのです。だから、詩人としてのプーシキンの魅力、あるいは詩人が書いた小説の面白さをしっかり日本人の読者に伝えるのは、いつまでも難しい課題だと思います。

プーシキンの粒立った言葉、その文章のスピードについて

------そして今回、望月さんは『スペードのクイーン』と5作の短編からなる『ベールキン物語』を訳したわけですが、これらの作品を選んだ理由を教えていただけますか?

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ロシア語版『駅長』
(『ベールキン物語』所収)

望月 まずプーシキンを訳そうと思ったのは、詩人が書いた散文小説の独特な魅力に惹かれるところがあったからです。プーシキンにせよレールモントフにせよ、19世紀初期のロマン主義の詩人たちは、詩だけでなく散文にもチャレンジし、ジャンルにおいても小説、戯曲などへの展開を試みています。つまり明治期の二葉亭たちと同じように、散文物語のスタイルを模索していたのです。そういった時代の小説作品は、テーマ的にも形式的にもなかなか面白いし、また翻訳という観点からしても興味深い部分を沢山備えています。もっと多く読まれてもいいと思うのですが、実際にはトゥルゲーネフやドストエフスキー以降の長編小説の影に隠れてしまっている観があります。そんな思いから、まずプーシキンが最初に完成した小説『ベールキン物語』と、彼の中編小説の完成形と思える『スペードのクイーン』にアプローチしてみようと思ったのです。

『ベールキン物語』を選んだのは個人的な思いもありました。私は大学の3・4年次に、木村彰一というロシア文学研究の大家に教えていただいたのですが、3年次の授業の題材が『ベールキン物語』だったのです。当時使った本を今でももっているのですが、それを開くと、当時の私が書いたつたない書き込みが見られます。単語の意味やアクセント記号が、ページ全面にべたべたと書き込まれている。しかも先生に教わった分、すなわち5作中、3作だけ一生懸命書き込みがされているのです。翌年には『エヴゲーニイ・オネーギン』も習ったのですが、こちらの教科書は、何かで怠けたせいか、実にずさんな書き込みしかないのです(笑)。

ということもあり、この物語は、若い頃の記憶と結びついた、懐かしい作品です。ただし、両作品を訳すのにはためらいもありました。有名な神西清さんの翻訳(岩波文庫)があるからです。『スペードの女王』(『スペードのクイーン』)は1933年、『ベールキン物語』は1946年の訳ですから、言葉遣いという点では少し古いところも当然ありますが、文意の把握やスピード感、リズム感といった点で、決して古びていない。名訳なんです。この神西訳に何を付け加えることができるだろうかという迷いやたじろぎもありましたが、これらの作品への挑戦自体があまりに魅力的な課題だったため、「えい、やっ!」と翻訳をさせていただきました。

------翻訳では、どこが苦労したところですか?

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ロシア語版の
『スペードのクイーン』の表紙

望月 詩人の文章というのは、意味というのか音というのか、言葉が粒立っていて、なかなか手強いのです。さらにプーシキンの場合は、文章がスピーディー。文と文の間に的確な距離があってダラダラしない、間合いの作り方が絶妙です。だから複雑な物語なのに非常に短く書かれてある。

そんなふうに日本語でできるのか、悩みました。翻訳の方もそういう文章にしたいのですが、はたしてどうなるか。スピーディーだからといって単純ではない、意味の裏表がある文章になっている。実際、プーシキンの言葉は、意味を限定することが難しく、ある種の多義性が保たれている。言葉のスピード感と多義性を残すこと。これが実に難しかった。

------では、作品についてお話を聞かせ下さい。『スペードのクイーン』は、カードゲームをモチーフにした小説です。偶然に翻弄される賭け事の快楽と恐ろしさを、物語として実にうまく作り込んでいます。

ここに出てくるカード賭博の妖しさにまいりました(笑)。

本書に付されている「読書ガイド」で望月さんは、プーシキンが生きていた社会の抑圧性に触れつつ、賭け事の意味を書いています。これが ドキッとする文章でした。あれは、ギャンブル中毒の友人なんかに読ませたいですね。

望月 この小説に出てくる賭博ということついて、「ちょうど決闘と同じように、抑圧的な社会にあって個人の自由な選択や裁量が保障される、数少ない自己発現の舞台でもあった」と書いた私の言葉ですね。

プーシキンが生きた「抑圧的な社会」について話しましょう。

19世紀、それも前半の時代に想像力を飛ばしてみると、国家と人々の関係が変わってきた時代だということが見えてきます。その前の封建的な社会というのは、貴族というのはそれぞれの領地をベースにした「一国一城の主」という存在でした。しかし18世紀以降国家の力が強くなってくると、そうはいえない状態になってきます。中央集権的になると、ある地域の主というよりは、国家の中枢にいる皇帝に仕える軍人あるいは公務員みたいな存在になってきます。

こうした19世紀前半のロシアの社会情勢の変化の中で、貴族たちもさまざま考えをしていく。とりわけヨーロッパの新しい思想に触れることができた知識階級は、皇帝と自分の関係はこれでいいのかと思案しだす。皇帝の家来だけの存在として扱われていいのか、さらには皇帝による専制政治ではないヨーロッパのような国家を夢見るようになってきます。

そういった考えの人はそれなりにいて、プーシキンも交流をもっていました。そのような貴族出身の青年将校たちが、専制政治と農奴制の廃止を目指し1825年12月に蜂起した。12月をロシア語でデカブリというので、デカブリストの乱と呼ばれます。このクーデターの試みは、すぐに政府軍によって鎮圧され、首謀者たちは死刑、その他の者たちもシベリアなどに徒刑となります。

こうした事態収拾も貴族たちにはショックだったようです。先ほど一国一城の主といいましたが、少し前の貴族というのは、処刑や体刑はまぬがれる存在だったのです。まさに特権階級だった。そのはずが、死刑に流刑です。はっきりと国家権力から「おまえらは家来なんだ」と明示されたわけですね。

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デカブリストの乱を描いた絵。場所はサントベテルブルグの元老院広場

デカブリストの乱以降のロシアは、貴族たちにとっては非常に抑圧的な社会と感じられたでしょう。政府の側も貴族知識人や文人を警戒して、政治警察や検閲の制度を強化させます。社会には鬱々とした気分が蔓延する。それではどうするか。小さな世界で気分を発散させるしかないですよね。場としては貴族の屋敷です。そこに仲のよい人が集まって議論をしたり酒を呑んだり、そう、賭博をするんです。

この『スペードのクイーン』で青年たちが夢中になっているカードゲームも、抑圧的な社会があってこその魅惑的賭博です。

狭い場所で、国がやっているゲームとは違ったゲームをする。えてして深刻な結果をもたらすものですが(笑)、ゲームをしている時は自分が主人公だと思える。誰にも文句をいわせない、ここだけは自分の責任で生きられる世界、それが賭博の場なのです。 『スペードのクイーン』に出てくるカードゲームの妖しさは、当時のロシアの青年たちの気持、数少ない自己発現の舞台に熱中する心情を考えると、より魅惑的なものに思えてきます。

様々な論者の「読み」が競い合う「読書ゲーム」ともいうべき解説

------望月さんは、『スペードのクイーン』に対して、このように当時の社会状況を背景とした賭博熱という切り口とする読み方を書いているのですが、実は、それは「読書ガイド」で、紹介されている幾つかの「読み」のひとつに過ぎません。

今回の「読書ガイド」の特徴は、『スペードのクイーン』と『ベールキン物語』を巡る多様な読解の仕方を幾つも紹介しているところです。結果として「読書ガイド」は、様々な論者の「読み」が競い合う「読書ゲーム」ともいうべき魅力的な読み物になっています。

望月 古くは戦前、新しいのは1980年代くらいかな、20世紀のいろいろな時期に文芸評論家や研究者が発表した、様々な「読み」を紹介しました。

19世紀の文芸批評というのはテーマ主義が主流でした。作品の中にテーマを発見して、その社会的意義を考えるというものです。

20世紀になると、様々な学問や思想が文芸批評に入り込んでくる。たとえば言語学、精神分析、マルクス主義的な社会論、あるいは文化人類学、こうした様々な学問の方法を使って小説を分析していくと、今まで見えなかったものが浮かび上がってくる。この豊穣さの一例として、プーシキンの小説の多彩な「読み」があるわけです。

たとえば『スペードのクイーン』のカードゲームに熱中する青年の行動を精神分析学で読み解いている者もいれば、この小説にファウスト伝説の要素を読み取ろうとする研究者もいます。また、青年が手にいれた秘密の掛け札の番号「3・7・1(A)」は何を表しているのか、ある人はフリーメイソンのシンンボル体系で読み解けるといい、デカブリストの乱と関連する暗号ではないかと考える者もいる。実際にアナグラム解読を試みた例もあります。

『ベールキン物語』は5つの短編の連作なのですが、各作品を四季折々の物語と解き、さらにその季節が4つの文学ジャンルと関連していると考える研究者もいます。では、欠落する5番目の物語は何かといえば「幕間」であり、それに関連する文学ジャンルも説明するという念の入れようです。

あるいは「パロディの詩学」として読み解いている人もいます。「射弾」という物語はバイロンやユゴーらのロマン主義的小説のパロディであり、「吹雪」はルソー、スタール夫人らの小説を意識しているという具合です。

------どうしてこのような、様々な「読み」が並ぶものを書こうと考えたのですか?

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ペテルブルグ周辺にある
プーシキンが通っていた寄宿学校のプーシキン像(写真=坂庭淳史)

望月 読者ガイドには、読者の読みを一つの方向に誘導していくやり方と、様々な可能性を開いていくやり方があると思いますが、この場合は、一つの正解を提示するよりも、色々な人の意見をあるレベルで並べてみる、そこからにじみ出るプーシキンの魅力を伝えたかったのです。

プーシキンというのは、何より多様な「読み」を生み出すタイプの作家なのだと思うからです。

たとえばトルストイと比べてみましょう。人物を描く時、トルストイは髪を書いたり眉を書いたり、本当に絵を描くようにする。勿論文章ですから、どこか描いていない部分もあるのですが、丁寧に絵を描くように人物描写をするのです。

トルストイが造形をきっちりする人であるなら、プーシキンは一筆書きともいうべき仕方でさらっと人物を描く。それは詩人の書き方なんでしょうね。詩というのは大事な部分は書くけど、枝葉末節は何も書かないでおくものです。それが小説に転換された場合、意味の穴というか深みが生まれる、言葉の後ろ側が広く感じられるんです。そういった、いわば多義性に開かれた言葉が物語を構成していくわけですから、読み筋も複数にならざるを得ない。

さっき文学ジャンルや様々な小説のパロディについて触れましたけれど、確かにプーシキンは様々な物語のジャンルを意識して小説をつくっている。昔からの伝説にのっとって話を展開したかと思うと、あるところからは神秘思想を語り出し、さらには政治的な事件、デカブリストの乱を思わせる言葉を入れたりする。

物語を乗り物に喩えるなら、伝説に乗るところから始めて、途中で神秘思想や超常科学に乗り換え、さらには政治ストーリーの車に乗り込んでいくという感じです。

このようなプーシキンの作品は、やはり多様な「読み」を生み出します。

私が今回紹介した批評家・研究者の中には、深読みし過ぎた人もいるでしょう。それでも紹介したかった。こう読まなきゃといっているわけではないのです。やろうと思えば、こんな風にも読めるということ皆さんに見てもらいたかったのです。

------今、望月さんのお話を聞いていて思い出したのは、望月さんが、あのウラジミール・ソローキンの『青い脂』を訳した翻訳者の一人(共訳者・松下隆志)だということです。この小説は様々な観点から評価されていますが、そのひとつに文体模写の大傑作という評価があります。

批評家の山形浩生さんは、書評で「トルストイ風SM小説! ナボコフ式虐殺小説! どれも一見普通の書き出しから唐突に異様な世界に突入するソローキンの瞬間芸的作風が全開だ」と書いていました(朝日新聞 2012年10月21日)。

BOOK.asahi.com 文学の未来映す"低俗"ギャグ/書評:青い脂(山形浩生・評論家)

望月さんは、文学ジャンルや小説家のパロディなどがお好きなんですか?

望月 模倣の中からどうしても出てしまうオリジナリティというものが好きかもしれません。模倣という作業は、作家にとっては自分とはどういう作家なのかということに気づくチャンスになるものだと思うし、読む方は、その作家の心の奥深さを読み取っていける、よい機会です。

私にとっては、Aという作家は、Bという作家をこう捉えているのかということがわかることによって、Aの本性がわかる。三角測量みたいな方法ですね(笑)。そこが魅力なのかもしれません。

------三角測量という言葉は示唆的です。今回の「読書ガイド」は、紹介される批評家・研究者と紹介する望月哲男によるプーシキンに対する測量が、次々と行われる展開でした。

単に「読み」がただ並べたられたものではなくて、「読み」の方法論が意識されている文章だから、三角測量という方法の言葉にピンときたのかもしれません。

望月 ここに登場する批評家・研究者たちはプーシキンにも興味をもっているけれど、文学を分析する方法にも興味をもっている。他の作家にも適用できる方法論のひとつとしてプーシキンにチャレンジしているんですね。

------20世紀の文芸批評の方法論を明確に意識しつつ、多彩な「読み」が次々と並べられていく。非常に新鮮な読み物でした。

望月 古典新訳文庫は、「解説」を割と自由に書かせてくれるんですよ。この文庫で私はドストエフスキーの『死の家の記録』も訳しているのですが、そこで私はとても長い「解説」を書いています。作家のシベリア流刑という実際の経験を基にした小説ということもあり、読者に伝えたいことが多くあったのです。

それでかなりの量になって、これは本文のページ数を考えるとバランスが悪いんじゃないかというくらいの長さだったのですが、編集長の駒井稔さんは、そこらへん割と寛容なんです。というより、「もっとわかりやすく書いてくれ」といったりする、むしろ短くなるよりもっと長くなるようなことをいう(笑)。

そのような文庫の「解説」に対する考え方が、自分を自由にさせ、ああいう書き方をさせたのかもしれません。
(聞き手・渡邉裕之)

スペードのクイーン/ベールキン物語

スペードのクイーン/ベールキン物語

  • プーシキン/望月哲男 訳
  • 定価(本体1,020円+税)
  • ISBN:75305-4
  • 発売日:2015.2.10

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2015年11月13日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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