「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。
その時々の街の話題と一緒に。 [文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『うたかたの日々』(ヴィアン 野崎 歓/訳)
『純粋理性批判6』 (カント 中山 元/訳)
『カメラ・オブスクーラ』(ナボコフ 貝澤 哉/訳)
9月新刊の1冊目は、ボリス・ヴィアン『うたかの日々』。野崎歓さんの新訳は、デジタルマスタリングによって60年代ロックが鮮やかに蘇ったように、その日本語で戦後すぐのパリの若者たちのイメージをくっきりと浮かびあがらせた。
1990年代中期から、私たちの国の都市では洒落た喫茶空間を自前のセンスで作り上げるカフェブームが始まった。若き経営者たちは、店作りの参考資料として、那須のSHOZO CAFEの珈琲の味から、70年代のインテリア雑誌、カエターノ・ヴェローゾなどのブラジル音楽、そしてパリのカフェ系文物、その他多くのものを舌の先や頭脳にコレクションした。パリ・カフェ系文物の中に、件のボリス・ヴィアンもあったのだが、いかんせん扱いづらかった。いや率直にいおう、スペース作り用の鮮明な資料を求めている眼には、訳が「ちょっとピンぼけ」だった。
当時の若きマスターなら、この新刊を見てこういうだろう、「あっ、使える『うたかたの日々』が出た!」(確かに主人公コランの家のインテリアがはっきり見えます)
しかし既に、カフェブームは去り、ブームを支えていた若者も今や、コランの恋人クロエが肺に生長する睡蓮によって亡くなるという、若年の死しか似合わない哀切なイメージに涙する中年世代になっているだろう......。時の流れは早い。だが、情熱的且つ洗練された青春時代を過ごした者だからこそ深く楽しめる小説ではないか、この『うたかたの日々』は。
映画化の話がある。ご存知のように、視覚的な小説なので、既に映画作品はある。1968年に作られたシャルル・ベルモン監督作品(日本ではまさにカフェの時代95年に初公開)と、ともさかりえと永瀬正敏主演の「クロエ」(利重剛監督 2001年)だ。
そして、予定されているのが、最近ハリウッドに進出したフランスの監督ミシェル・ゴンドリーによるもの。彼の代表作「グリーン・ホーネット」を見れば納得するだろう。スーパーヒーロー、グリーン・ホーネットと助手でありながら実は優秀なカトーという設定は、本作のコランとコックのニコラ(料理もダンスもスゴイ!)の関係性に似ており、カトーが用意する武器は、こちらのカクテルピアノなどヴィアンデザインのキュートなインテリアと共振する質感だ......原作を読んで、映画化の予定をもっている監督の代表作を見るというのは、なかなか面白い遊びですね。映画界の「予定」はあてにならないが、ちょっと期待したい。

