光文社古典新訳文庫 読書エッセイコンクール2016

高校生部門 最優秀賞

「怪物は幸福になれるか」(『フランケンシュタイン』)

三原黎香(学習院女子高等学科1年)

生命への探究心に燃える若き科学者フランケンシュタイン。彼が作った人造人間は、容姿おぞましい怪物だった。しかしその心は愛と思いやりに溢れ、彼は人間との融和を図る。だがフランケンシュタインをはじめ人間達はその姿形に気を取られて彼を恐れ、疎外された怪物は残酷な殺人鬼と化すのだった。美しい心を持つ怪物が不幸な生涯をおくらなければならなかった理由とは? 愛とは、幸福とは何なのか、小説『フランケンシュタイン』から読み解いた。

幸福は、愛によってもたらされる。そして愛は、複数の生命体の間で共有されて初めて成り立つものである。心優しい怪物が殺人鬼となった理由、それは彼の愛を受け入れ分かつ存在がなかったことだ。人々から拒絶された彼は、孤独に苦しみ、生み出されたことに憎しみを抱いて心を閉ざす。創造主フランケンシュタインへの復讐の情熱を燃やしながら殺人へと走ったのだ。だが彼の心には良心が息づいており、復讐のための殺人は一方で彼自身をも苦しめる結果となった。怪物の変貌から、愛情が共有されることの必要性が見えてくる。彼の愛情は疎外によって一方通行の感情となり、幸せな時間を紡ぐどころか彼自身を苦しめ、さらには破壊の原動力に変わってしまう。愛情は幸福への第一歩である。しかし孤独によって自他の不幸を生む力になりかねないのだ。

世界では、祖国で苦境に立たされ、難民となる人々が数知れない。難民受け入れの拡大は日本でも重要な議題の一つだが、批判的な意見は多い。最大の理由は自分たち国民の安全を危ぶむためだ。難民が日本国内でテロを企てるのでは、という恐怖が、難民へのマイナスイメージを生んでいる。恐怖による拒絶。『フランケンシュタイン』で起きた負の連鎖の始まりと同じである。難民が国内に受け入れられたとしても、社会的に受け入れられず孤独になれば、暴力に訴える人も出てこよう。しかし、日本人が彼らと感情を共有し融和すれば平和な暮らしは実現可能だ。破壊は、その人一人からではなく、その人と、その人を拒絶した人々から生まれるということを忘れてはならない。国際社会の歴史が『フランケンシュタイン』と同じになってしまうか否かは、人類が他者を受け入れる精神を持つかどうかにかかっている。

視点を変えて、フランケンシュタインや怪物が出会った他の人々の行動に着目すると、愛情を育むのに欠かせない心の頼りなさを痛感する。怪物がいかに穏やかに話しかけても、人々の目に入るのはその容貌ばかりで、彼の心を受け止めようというものはいない。フランケンシュタインでさえ、愛すべき自らの創造物の姿におののき、見捨てたのだ。彼を拒絶したフランケンシュタインも他の人々も、家族や友人に対してはこの上なく温かい心をもつ人々であった。人間の心は、自分との相違や外見の印象によって簡単に閉ざされるのである。表面的な観察による拒絶によって生まれた壁は、融和を阻むのみならず、憎しみと破壊の種となってしまうのである。外国人移住者と地域住民のあつれきがしばしば問題にされる。いかにも温和そうな住民が「外国人はマナーが悪い」と険しい表情でマイクに向かって言うのを見ると、とても悲しい。しかし、生活習慣のことなる外国人観光客に時折不快感を覚える自分がいることも、また事実だ。日本人は、「外国人」と聞いただけで「マナーが悪い」という先入観を持つようになっているのではないだろうか。生きてきた環境が違えば、生活習慣の相違が大きいことは当然だ。その違いを理由に外国人に頭ごなしの嫌悪感を抱いていては、「日本人」と「外国人」の間の壁は消えない。愛と共に生きる融和社会の形成には、少数派への抵抗感を捨て、心を共有することが必要である。

愛の精神を持っていたのに、それを破壊のエネルギーに変える道しか与えられなかった怪物。愛情は生物がもつ最高の美点だが、分かち合う者がいなければ、憎しみを生む種となってしまう。美徳を幸福へ昇華させるためには、どんな相手とも内面の深い交流を図ることが必要である。人類は皆、フランケンシュタインによってつくられた怪物ともいえよう。怪物は幸せになれるか? それは私達同士が共感し合えるかどうかにかかっている。

フランケンシュタイン

フランケンシュタイン

  • シェリー/小林章夫 訳
  • 定価(本体800円+税)
  • 発売日:2010.10.13