光文社古典新訳文庫 読書エッセイコンクール2016

高校生部門 審査員特別賞

「堤中納言物語を読んで」(『虫めづる姫君 堤中納言物語』)

井芹早希(東京学芸大学附属国際中等教育学校4年)

選択問題のうち、「仲間外れはどれですか?」という問いがある。今回この本を読んでそれは絶対「ついでに語る物語」だと思った。その他の話が、面白おかしい話や、恋愛話で、楽観的な話が多いなかで、この話だけはひと味違う。

「春雨がしとしと降るなかで、中宮がぼんやりと一人寂しく外を見ている。女房たちがかすかに香る香りに気づく……」このようななんとも曖昧な始まりを持つこの話。そして、宰相の中将が来たあと薫物を囲みながら宰相の中将、中納言の君、少将の君という順番に自分が聞いたこと、経験したことについての話をするのだが、どれもとても明るいとは言えない内容である。

宰相の中将が語った物語は二人の恋人の話である。恋仲であったが、本妻の目を恐れ、離れていく男。それを止めることもできずにいる女。別れ際に女がつぶやいた歌「子だにかくあくがれでれば薫物のひとりやいとど思ひこがれむ」(45ページ)を聞き、二人はまた一緒になる。という話だが、昔の“一夫多妻制”によって起こる切なさが描写されている。

次に中納言の君。 参籠さんろうしていたら隣の部屋から良い薫物の香りが漂ってくる、そして泣き声が聞こえてくる。気になるが、耳をすますだけの中納言の君。そして帰る日の前日、落ち葉が散る様子を眺めていると、「いとふ身はつれなきものを きことをあらしに散れる木の葉なりけり」(47ページ)と、隣の部屋から聞こえてくる。それはなぜ落ち葉は散るのに自分の身は散らないのか、と嘆いている歌。それを聞いた中納言の君は何も言えずにただ佇む。何があったのか、読者を疑問に包み、考えさせられるような話だ。

そして少将の君。祖母がお経を唱えるのに同行していると、庵の部屋から上品な雰囲気が感じられる。気になるので障子に穴を開けて覗いてみると、美しい姫君がいらっしゃる。法師に尼になる相談をしているようだ。法師もはじめはためらっていたが、姫君の決心は固いようなので、髪をおろしてさしあげる。世話をしてくれる年配の人はいなく、若い人たちばかり。そこで、少将の君は「おぼつかなうき世そむくは誰とだに知らずながらもぬるる袖かな」(53ページ)と読み、侍女に託す。という、身寄りのない姫君が出家する、悲しいお話だ。これらの三つの話、初めの話は恋愛ではあるが、どれも何か虚しさを感じさせる内容になっている。これは、この本のその他の話、面白おかしい話や普通の恋愛話とは違う。なぜそう感じるのであろうか?

春。それは曖昧な時期だ。寒い冬が終わったが、まだ夏には入っていない。そのような曖昧な時期に薫物の微かな香りを嗅ぎながら、人生の辛く悲しく虚しい部分を語ることにより、この本をもっと深いものにしたのではないだろうか。また、話の最後に、長い間顔を見せていなかった帝が顔をみせるシーンがある。暗い話が続く中、明るいエンディングを加えることにより、人生には暗い部分もあるが、明るく希望に満ちた部分もあるという希望を表したかったのではないだろうか。

少し視点を変えてみると、この話のなかで薫物は重要なキーポイントになっていることに気づく。最初の宰相の中将の話で薫物は歌に登場する。この薫物だが、これは話を始めた中宮の兄弟だと思われる宰相の中将の持ってきたものだ。この薫物が焚かれながら、話を聞いていくうちにだんだんと空気は重くなっていく。そこに帝が来るという話が届き、周りの者はバタバタとして受け入れ準備で忙しくなる。おそらくこの時点で香りはかき消されたのであろう。重たい空気は消えて、新しい空気へと変わったのだ。そしてそれと同時に宰相の中将もいなくなってしまう。私はこの話の中で薫物と宰相の中将はあらゆる暗いものの象徴だと感じた。つまり、話の中の雰囲気の重さ軽さ、登場人物の個性や感情の起伏は、香りによって補足されている。読み手は知らず知らずのうちに、この本の文章や文字に加えて、読み手が持っている香りの記憶を重ねあわせて読み解くことになるのだ。この話は大半は暗い内容だが、文章と匂いを上手にとりこんだ、日本独特の個性的な作品だと思う。

虫めづる姫君 堤中納言物語

虫めづる姫君 堤中納言物語

  • 作者未詳/蜂飼耳 訳
  • 定価(本体860円+税)
  • 発売日:2015.9.9