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国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈1〉
大学の時、マルクスの本からの抜粋箇所を読んだ覚えがある。疎外、階級闘争、剰余価値、再配分、唯物史観、どれも自分からは遠い単語だった。ただ、その時の先生がマルクスはちょっと読んでも意味がない、それでも、読まないより読んだほうがよいと言われたのが記憶に残った。今回、その言葉に後押しされ、読書会に参加することにした。
マルクスをよく知っている参加者も多く、知識のない私は何度も読み直した。この本は明快な部分から突然難解な部分に飛び、なぜそういう展開になったのかよくわからないという難しさがあった。3回読んでも4回読んでも解らないところは解らない。だが、「社会的存在としての人間」を4回目に読んだ時、突然、本が頭にではなく心に響く言葉となった。最初からいっきに読み直した。私有財産、市場経済について理解できない記述も、煙に巻かれたように意味不明で何度も読み直した箇所も、スーッと読み進むことができた。前より理解ができたというのとも違う。ただ、本が自然に語り始めた。実際マルクスが熱く話す声が聞こえてくるような場面もあった。働くとは本来自然と共に豊かに生きること。労働は人を成長させるらしい。人が社会的人間としてよりよく生きることを可能にする労働が本来の労働なのでは。今のままじゃダメだ。本当? 本気? なぜ?と尋ね、そうかと溜息する。何を読んでも、何を聞いても、疑いを持つこと、先を、裏を読むことに慣れた自分がいる。そこに、読まれることを想定していないからか、無防備とも思えるマルクスが直球を投げてくる。若いマルクスの情熱と真摯さに、襟を正される思いがした。
先生を囲んだ夜の会で、先生が「人間は過ちをおかすが、軌道修正する力もあると思う。その意味で人間を信じている」と言われた。私も同感だった。マルクスも、物事を正す力が類として成熟した人間の本質にあると考えていたのでは、と思った。類としての本質を発揮できる社会の構築を心から望み、急務と考えたマルクス。楽観的、理想主義的と思う一方、類的人間を信じる気持ちに共感できる気がしてきた。
マルクスから約130年。その間にマルクス主義は敗退、資本主義は問題を抱えながらも、民主主義を友と呼び突き進んでいる。私たちはマルクスが知らない時代を生きている。だが、日々の労働を通し、社会や自然と関わっていることは変わらない。
『経済学・哲学草稿』を、私は哲学書というより、むしろ分析をさけた小説のように読んだ。正しい読み方ではないかもしれないが、大切な一冊になった。枝葉末節を気にせず読み進んでよいと先生から言われているように思えたのは私の思い込みかもしれないが、この本の力強さを感じ取ることができたのは、大きく、人間的なマルクスをとらえていこうとされた長谷川先生のおかげです。この機会を与えてくださった先生と、公民館に心からお礼を申し上げます。
(50代女性)
2011年2月23日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ