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国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈2〉
あれは現代史の大きな分水嶺だったのだろうか......? 20世紀も終わりに近い1989年晩秋、突如ベルリンの壁が崩壊し、それを祝する花火が夜空につぎつぎと打ち上げられたとき、即座にだれもが隣接する東欧社会主義圏諸国もいずれ雪崩を打って崩壊するのではないか、と予測したものだった。事実、その後の歴史はそのように展開し、1991年末にゴルバチョフ大統領が辞任した瞬間、東欧社会主義圏諸国の盟主であったソビエト連邦まで崩壊し、ロシア連邦に移行した。歴史の変容を予測していても、これほど急激に展開するなんてだれが予見し得ただろう。短期日のあいだに東欧諸国を巻き込み激動した歴史的連鎖にマルクスの『経済学・哲学草稿』を翳してみると、世界の変容の実態が確かな感触となって伝わってくるように思えてならない。
実際、声高にグローバリズムが唱えられて以降の世界経済の暴走を紐解ける書物は、いくら探しても眼につかない。しかもその傘下で生じている顕著な兆候が、貧富の差がますます拡大することでしかないのは、歴史の皮肉としか言いようがなく、そのもどかしさに駆られて回答を求めずにいられなくなる。そうした現実に『経済学・哲学草稿』を翳して、マルクスの提言する支配、労働、疎外等の基本概念を鳥瞰すると、劣悪な現状が鮮明に浮かび上がってくる。世界経済はオープンな機構を謳いながら、実体はかつての政治がそうであったようにカーテンの裏側で秘かに遣り取りされる秘儀に似て、一般市民が見ることも関与することもできない虚構の祭りと見えてくる。
ソ連の崩壊にともない、長らく米ソ二大国によって強いられてきた緊張関係が緩和したとき、核の脅威から開放されてだれもが安堵せずにいられなかった。そして、アメリカ一国主義の弊害を懸念しつつも、そのときはそれほど大きな危惧を抱いたわけではなかった。ところがそれから10年と経たないうちに9・11同時多発テロが起き、それを契機にアメリカは世界の制止を振り切ってイラクに進攻、その収拾さえつかないうちにリーマン・ショックが生じ、アメリカの威信も経済も根底から大きく揺らぐことになった。それを追うように中国のめざましい躍進があり、だれの眼にもアメリカの力はもはや世界の頂点に君臨しつづける余力を失ってしまったように映る。
だれがこうした事態まで予測し得ていただろう......? どこか遠くから、一輪車よりやはり二輪車のほうが安全なのではないか、と不安に満ちた囁きが聞こえてくるようだ。
その意味で、このたび長谷川宏氏が新たに訳されたマルクスの『経済学・哲学草稿』が出版の運びを迎えたことは、時節を得た刊行と呼ぶべきだろう。われわれ一般市民が氏を長谷川先生と仰ぐのは、氏の全体像に歴史の体現を見るからだ。長谷川先生は、それを誇張されない。むしろ眼も耳も口も常に平易たろうと心掛けておられる。そのことがなおのこと敬意を促がし『経済学・哲学草稿』の講読に耳を傾けずにいられない気運をつくり上げてきたと言える。講義の合間にふと洩らされた、敗戦直後から60年代にかけての長谷川先生ご自身の多様なご経験も、われわれの共感をさらに高め自覚を呼び覚ます動機となった。
マルクスが『経済学・哲学草稿』を書いたのは1844年、マルクス26歳のときであり、もとより167年後の世界を予見した書ではないし、現在の世界が示す変容はこの書の枠をはるかに超えている。しかし、26歳のマルクスが筆を走らせた情熱のほとばしりは、今日の世界秩序に大きな影を落とし余波を幾重にも重ねている。たとえば書のなかで大きく取り上げられている、労働、賃金、疎外のどれをとっても、今日の社会的矛盾に符合しないものはない。否、歪みはかえって大きくなっていると言えるほどだ。その端的な表われが、貧富の差の拡大だ。なぜ、経済を全面的にコントロールしやすい現代において、貧富の差がこれほど急速に拡大してしまったのだろうか。ベルリンの壁が崩壊した直後から声高に叫ばれはじめたグローバリゼーションは、あっという間に世界の隅々にまで浸透し、だれもその網目から逃れられないし、否定できない状況に囲繞されている。これは一般論だが、なにごとにも表と裏があり、すぐれた薬にも副作用がある。それと同じでどんなに優れた理念であっても必ず弊害が付きまとう。要は計画の初期段階に想定される弊害を予測して事前に対処の方策を講じておかねばならないのに、真っ先に旗を掲げねばならない主要諸国が協調してグローバリゼーションに対処する方策を講じたとは聞いていない。
かつて文化大革命が生じたとき、天安門広場を埋め尽くしたひとびとが手に手にかざしていた赤い冊子は『毛沢東語録』であった。今日では文化大革命は全面的に否定されているが、あのときに打ち振られた『毛沢東語録』と同じように、167年も前の26歳時に若きマルクスが著したこの『経済学・哲学草稿』は、混迷する世界経済の先導役を果たす《現代の書》と言えるのではないか。時代の《核》となる思索が見失われて久しい現代、改めてマルクスに関心が集まるのは、マルクスの先見性を求めての故ではないか。その意味で、若年のマルクスが情熱をこめて著した『経済学・哲学草稿』は、現代社会を生きようとするひとびとが混迷と向き合い自らの眼で方向を見定めて進もうとするとき、だれもが掌にすべき《必読の書》なのではないか。そう思える。(60代男性)
2011年3月 3日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
『初期マルクスを読む』 長谷川 宏/著
長谷川 宏/著
岩波書店 (2011/02/ 出版)
価格: ¥2,415 (税込)
《目次》
序 章 マルクスとわたし
第1章 ヘーゲルからマルクスへ―マルクスのヘーゲル批判
第2章 対自然・対人間―『経済学・哲学草稿』を読む1
第3章 全人的人間像―『経済学・哲学草稿』を読む2
第4章 社会変革に向かって―マルクスの人間観
終 章 労働概念の変容
《内容》
疎外のない人間と社会の状態は、マルクスにおいてどのようにイメージされていたのか。初期論考から引用の束を編み、著者自身による翻訳を通して、感覚論・死生観・生活感覚を掘り起こしていく。ポジティヴな全人的人間像は、社会の構造分析と変革の思想にいかに組み込まれたのか。解放のヴィジョンの世界観的な土台を探って。
2011年3月 3日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ