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マルクスの「生き生きとした人間」

2010年7月6日(火)に東京堂書店 神田本店で行われた長谷川宏さんのトークイベント「ヘーゲルからマルクスを、 マルクスからヘーゲルを読む。----新しい思想はいかにして生まれたか?」に参加された近藤伸郎さんからレポートをいただきました。

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 『経済学・哲学草稿』は、マルクスが二十代のときに書いた原稿で、まさに「マルクスの原点」の書と言える。人は誰でも自分の原点があり、その大部分は若いあいだに作られる。そして、それは人生を通して、そう変わるものではない。『資本論』が「よく分からない」という方々も、本書を読めば、『資本論』の本質をえぐり出すことができるかもしれない。

photo_hasegawa0706_01.jpg 僕が考えるマルクスの原点は「彼は生き生きとした人間が好きだったのだなぁ」ということにつきる。彼は根源的なヒューマニストなのだ。人間の生き生きとした日常生活という理想に対して、労働者の状況はあまりにも矛盾のかたまりであった。「あぁ、資本はなんて人間に無関心なのだろう」「自然のなかで社会的な営みをする人間はどこにいったのだろう」、こんなマルクスの叫びが聞こえてくるようだ。そういった問題意識で、マルクスがやったことは、徹底的な現実の解明だった。第一草稿は、国民経済学などの引用で埋め尽くされている。マルクスが現実と格闘した軌跡が描かれているのだ。「ロマンティックな幻想は打破しなければならないのだ。これが現実だ」。ロマンティックな想いに夢想しがちな二十代だからこそ、マルクスのある種の〈信仰告白〉がいたるところでなされている。

 長谷川さんの講演の内容も、基本的には第一草稿の「疎外された労働」に関してだった。ドイツ観念論の系譜を辿り、ヘーゲルからマルクスへの継承、転倒を説明して下さった。とくに〈自然--社会--人間〉のモデルは興味深く、やっぱり、マルクスは自然の中での生き生きとした人間という理想を描いていたのだな、と再び確信させられる。長谷川さんは根っからの在野の哲学者。その意味で、マルクスのアカデミズム批判を実践として継承しているとも言える。彼の塾では合宿があるらしく、10日間ほど自然に出かけていくという話を聞いたことがある。これは、まさにマルクス的実践ではないか。

 一方で、第三草稿の哲学の話をあまりされなかったのが、少し、心残りだった。マルクスの人間主義の、では、その人間とは何かということに関する哲学の深さ、これが第三草稿にあたる。類的存在とはどういうことなのだろうか。そのあたりを突き詰めていくことが、僕の課題でもあるし、教条主義に陥りがちな現代のマルクス「主義」者の方々にも、いっそう深刻な課題になるにちがいない。

近藤 伸郎(東京大学教養学部文科I類)

大阪出身。浪人時代に思想・哲学に目覚める。大学では,立花隆ゼミナールに参加し、全共闘運動、学生運動の現状をリサーチ。(成果は『登紀子1968を語る』/情況新書)表三郎主宰スペース研究会にて、フォイエルバッハなどを扱い、今回の『経済学・哲学草稿』の長谷川講演に興味をもった。最近の興味は、英文読解を思想としてとらえること。塾で英語講師のアルバイトをしている。

2010年8月 8日 光文社古典新訳文庫編集部 |