マルクスは新しい!:

ホーム > 読者レポート

国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈2〉

1月8日(土)から国立市公民館で行われた "哲学講座「長谷川宏さんと読む一冊の本」"(全5回/毎土曜日)の参加者のレポート第二弾です!

img_report.gif

あれは現代史の大きな分水嶺だったのだろうか......? 20世紀も終わりに近い1989年晩秋、突如ベルリンの壁が崩壊し、それを祝する花火が夜空につぎつぎと打ち上げられたとき、即座にだれもが隣接する東欧社会主義圏諸国もいずれ雪崩を打って崩壊するのではないか、と予測したものだった。事実、その後の歴史はそのように展開し、1991年末にゴルバチョフ大統領が辞任した瞬間、東欧社会主義圏諸国の盟主であったソビエト連邦まで崩壊し、ロシア連邦に移行した。歴史の変容を予測していても、これほど急激に展開するなんてだれが予見し得ただろう。短期日のあいだに東欧諸国を巻き込み激動した歴史的連鎖にマルクスの『経済学・哲学草稿』を翳してみると、世界の変容の実態が確かな感触となって伝わってくるように思えてならない。

実際、声高にグローバリズムが唱えられて以降の世界経済の暴走を紐解ける書物は、いくら探しても眼につかない。しかもその傘下で生じている顕著な兆候が、貧富の差がますます拡大することでしかないのは、歴史の皮肉としか言いようがなく、そのもどかしさに駆られて回答を求めずにいられなくなる。そうした現実に『経済学・哲学草稿』を翳して、マルクスの提言する支配、労働、疎外等の基本概念を鳥瞰すると、劣悪な現状が鮮明に浮かび上がってくる。世界経済はオープンな機構を謳いながら、実体はかつての政治がそうであったようにカーテンの裏側で秘かに遣り取りされる秘儀に似て、一般市民が見ることも関与することもできない虚構の祭りと見えてくる。

ソ連の崩壊にともない、長らく米ソ二大国によって強いられてきた緊張関係が緩和したとき、核の脅威から開放されてだれもが安堵せずにいられなかった。そして、アメリカ一国主義の弊害を懸念しつつも、そのときはそれほど大きな危惧を抱いたわけではなかった。ところがそれから10年と経たないうちに9・11同時多発テロが起き、それを契機にアメリカは世界の制止を振り切ってイラクに進攻、その収拾さえつかないうちにリーマン・ショックが生じ、アメリカの威信も経済も根底から大きく揺らぐことになった。それを追うように中国のめざましい躍進があり、だれの眼にもアメリカの力はもはや世界の頂点に君臨しつづける余力を失ってしまったように映る。

だれがこうした事態まで予測し得ていただろう......? どこか遠くから、一輪車よりやはり二輪車のほうが安全なのではないか、と不安に満ちた囁きが聞こえてくるようだ。
その意味で、このたび長谷川宏氏が新たに訳されたマルクスの『経済学・哲学草稿』が出版の運びを迎えたことは、時節を得た刊行と呼ぶべきだろう。われわれ一般市民が氏を長谷川先生と仰ぐのは、氏の全体像に歴史の体現を見るからだ。長谷川先生は、それを誇張されない。むしろ眼も耳も口も常に平易たろうと心掛けておられる。そのことがなおのこと敬意を促がし『経済学・哲学草稿』の講読に耳を傾けずにいられない気運をつくり上げてきたと言える。講義の合間にふと洩らされた、敗戦直後から60年代にかけての長谷川先生ご自身の多様なご経験も、われわれの共感をさらに高め自覚を呼び覚ます動機となった。

マルクスが『経済学・哲学草稿』を書いたのは1844年、マルクス26歳のときであり、もとより167年後の世界を予見した書ではないし、現在の世界が示す変容はこの書の枠をはるかに超えている。しかし、26歳のマルクスが筆を走らせた情熱のほとばしりは、今日の世界秩序に大きな影を落とし余波を幾重にも重ねている。たとえば書のなかで大きく取り上げられている、労働、賃金、疎外のどれをとっても、今日の社会的矛盾に符合しないものはない。否、歪みはかえって大きくなっていると言えるほどだ。その端的な表われが、貧富の差の拡大だ。なぜ、経済を全面的にコントロールしやすい現代において、貧富の差がこれほど急速に拡大してしまったのだろうか。ベルリンの壁が崩壊した直後から声高に叫ばれはじめたグローバリゼーションは、あっという間に世界の隅々にまで浸透し、だれもその網目から逃れられないし、否定できない状況に囲繞されている。これは一般論だが、なにごとにも表と裏があり、すぐれた薬にも副作用がある。それと同じでどんなに優れた理念であっても必ず弊害が付きまとう。要は計画の初期段階に想定される弊害を予測して事前に対処の方策を講じておかねばならないのに、真っ先に旗を掲げねばならない主要諸国が協調してグローバリゼーションに対処する方策を講じたとは聞いていない。

かつて文化大革命が生じたとき、天安門広場を埋め尽くしたひとびとが手に手にかざしていた赤い冊子は『毛沢東語録』であった。今日では文化大革命は全面的に否定されているが、あのときに打ち振られた『毛沢東語録』と同じように、167年も前の26歳時に若きマルクスが著したこの『経済学・哲学草稿』は、混迷する世界経済の先導役を果たす《現代の書》と言えるのではないか。時代の《核》となる思索が見失われて久しい現代、改めてマルクスに関心が集まるのは、マルクスの先見性を求めての故ではないか。その意味で、若年のマルクスが情熱をこめて著した『経済学・哲学草稿』は、現代社会を生きようとするひとびとが混迷と向き合い自らの眼で方向を見定めて進もうとするとき、だれもが掌にすべき《必読の書》なのではないか。そう思える。(60代男性)

[関連記事]
国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈1〉>>
『経済学・哲学草稿』の読書会が国立市公民館で行われました--企画担当・和田正子さんからレポート>>

2011年3月 3日 光文社古典新訳文庫編集部 |

国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈1〉

1月8日(土)から国立市公民館で行われた "哲学講座「長谷川宏さんと読む一冊の本」"(全5回/毎土曜日)の参加者のレポート第一弾です!

img_report.gif img_20110115kunitachi02.jpg

大学の時、マルクスの本からの抜粋箇所を読んだ覚えがある。疎外、階級闘争、剰余価値、再配分、唯物史観、どれも自分からは遠い単語だった。ただ、その時の先生がマルクスはちょっと読んでも意味がない、それでも、読まないより読んだほうがよいと言われたのが記憶に残った。今回、その言葉に後押しされ、読書会に参加することにした。

マルクスをよく知っている参加者も多く、知識のない私は何度も読み直した。この本は明快な部分から突然難解な部分に飛び、なぜそういう展開になったのかよくわからないという難しさがあった。3回読んでも4回読んでも解らないところは解らない。だが、「社会的存在としての人間」を4回目に読んだ時、突然、本が頭にではなく心に響く言葉となった。最初からいっきに読み直した。私有財産、市場経済について理解できない記述も、煙に巻かれたように意味不明で何度も読み直した箇所も、スーッと読み進むことができた。前より理解ができたというのとも違う。ただ、本が自然に語り始めた。実際マルクスが熱く話す声が聞こえてくるような場面もあった。働くとは本来自然と共に豊かに生きること。労働は人を成長させるらしい。人が社会的人間としてよりよく生きることを可能にする労働が本来の労働なのでは。今のままじゃダメだ。本当? 本気? なぜ?と尋ね、そうかと溜息する。何を読んでも、何を聞いても、疑いを持つこと、先を、裏を読むことに慣れた自分がいる。そこに、読まれることを想定していないからか、無防備とも思えるマルクスが直球を投げてくる。若いマルクスの情熱と真摯さに、襟を正される思いがした。

先生を囲んだ夜の会で、先生が「人間は過ちをおかすが、軌道修正する力もあると思う。その意味で人間を信じている」と言われた。私も同感だった。マルクスも、物事を正す力が類として成熟した人間の本質にあると考えていたのでは、と思った。類としての本質を発揮できる社会の構築を心から望み、急務と考えたマルクス。楽観的、理想主義的と思う一方、類的人間を信じる気持ちに共感できる気がしてきた。

マルクスから約130年。その間にマルクス主義は敗退、資本主義は問題を抱えながらも、民主主義を友と呼び突き進んでいる。私たちはマルクスが知らない時代を生きている。だが、日々の労働を通し、社会や自然と関わっていることは変わらない。

『経済学・哲学草稿』を、私は哲学書というより、むしろ分析をさけた小説のように読んだ。正しい読み方ではないかもしれないが、大切な一冊になった。枝葉末節を気にせず読み進んでよいと先生から言われているように思えたのは私の思い込みかもしれないが、この本の力強さを感じ取ることができたのは、大きく、人間的なマルクスをとらえていこうとされた長谷川先生のおかげです。この機会を与えてくださった先生と、公民館に心からお礼を申し上げます。
(50代女性)

[関連記事]
国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈2〉>>
『経済学・哲学草稿』の読書会が国立市公民館で行われました--企画担当・和田正子さんからレポート>>

2011年2月23日 光文社古典新訳文庫編集部 |

『経済学・哲学草稿』の読書会が国立市公民館で行われました

1月8日(土)から国立市公民館で行われた "哲学講座「長谷川宏さんと読む一冊の本」"(全5回/毎土曜日)の企画を担当された和田正子さんからレポートをいただきました。

img_report.gif img_20110115kunitachi.jpg

国立市公民館では、この7年間、長谷川宏さんを講師に一冊の本を読むという読書会を行っています。インターネットが発達したこの時代に読書会、それも哲学の本をテキストにした会が成り立つかというと、これが好評で、募集定員をはるかに超えるほどです。心苦しくもお断りをしなければならないほど、申込みがあります。

今年度は、マルクスの『経済学・哲学草稿』(長谷川宏訳、光文社古典新訳文庫)をテキストに39名の参加者で読書会をしました。前半は講義、後半は参加者からの質疑、意見交換でしたが、思いがけない質問や核心をついたものなど、さまざまな方が参加している良さがあり、長谷川さんの講義と相まって深みのある講座となりました。

社会主義国の崩壊であまり読まれなくなったマルクスの本が、新しい長谷川さんの訳で生まれ変わりました。マルクス再評価の機運もあって、かつて読んだ50代以上の方や、これからマルクスを読みたいという20代の方が大勢集まったこの講座への参加の動機を聞きました。簡単ですが少し紹介させていただきます。

● 今の時代だからこそマルクスかなと思って、読みたかったので参加した。
● 一人では読む自信がなかったが、読書会があるというので申し込んだ。
● マルクスの解説書は読んだことがありますが、著作を読んだことはなかったので来ました。
● マルクスの著作は初めて読むので楽しみにしています。
● 1945年生まれです。興味はずっとありましたが、読む機会がなかったので参加しました。
● 大学のころに読まされた記憶があるが、そのときに理解していたかどうかと思うので、再度挑戦したい。
● 左翼ではなく、マルクスのヒューマンな面を知りたい。
● 最近、光文社の新しい訳でこの本が出たので、マルクスを読んでみようかと参加しました。
● この本を買いましたが、まだ読んでいませんでした。公民館だよりを見ていたら、この講座があるのを知って来ました。
● 安保から50年経って、長谷川先生のお話を聞きながら読み直すいいチャンスだと思いまして、参加しました。
● これから『経済学・哲学草稿』を読んでいこうと思っていたら、この講座があると知り参加しました。
● 一人では読めないので、こうした会に出てみました。
● 60年くらい前に読みましたが、また勉強をしたいと思い参加しました。。
● 長谷川先生のお話が聞けるので、楽しみにしていました。
● この本は、ずっと気になっていた本なので、参加しました。
● 卒論でこの本をとりあげました。長谷川先生のお話を楽しみにしています。
● 35年前に仲間と読んだんですが、そのときはすごく難しかったので、今回、参加してみました。
● 大学時代に読まされたと記憶しているが、10数年ぶりに読むのも新鮮だと思って参加した。
● 私の学生時代は"実存主義"の時代、哲学の時代でしたが、この新訳が出て懐かしく思って参加しました。
● 「疎外された労働」が卒論のテーマでした。それ以来、女性の労働というものを自分自身のテーマとしてずっと考えてきたので、これを機会にと思って参加しました。
● 今、大学生ですが、これからマルクスを読む良い機会だと思って参加しました。

 
それぞれの人生の中で、かつてこの本に出会った人、初めて読む人、この機会に再度読もうとする人が入り混じっての読書会でした。

長谷川宏さんの青年マルクスの思想への深い読みがあり、参加者のさまざまな感想・意見が活発にあって、2時間があっという間の連続5回の講座でした。


国立市公民館 和田正子
 

■ 続けて来週は、参加された方のレポートをお届けします!

[関連記事]
国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈2〉>>
国立市公民館の『経済学・哲学草稿』の読書会に参加して〈1〉>>
                    

2011年2月16日 光文社古典新訳文庫編集部 |

「早分かりマルクス『共産党宣言』1日入門」的場昭弘さん―朝日カルチャーセンター新宿教室

2010年10月16日(土)に朝日カルチャーセンター 新宿教室で行われた的場昭弘さんの公開講座「早分かりマルクス『共産党宣言』1日入門」 を担当する川田さんからレポートをいただきました。

img_report.gif

img_101016_matoba.jpg

 いま、マルクスが静かに注目を集めているようです。あくまで、静かに、です。低成長時代を迎えた日本の現状にマルクスを読みなおす向きがあると思えば、それほど不思議ではないのかもしれません。そうは言っても、周囲を見まわして『資本論』や『経済学・哲学草稿』 を熱心に読んでいる人がそうそういるでしょうか。私の周りはけっこういます(笑)。たとえば2年前に始めた的場先生による『資本論』講座は、極度に難解でありながら、それでも10名ほどの受講生の皆さんが通い続けてくださり精読を続けています(※開始直後は30名以上いました)。

 そんな難しいマルクス思想。私など読む前からすでに降参です。でも、そのような私が、なぜだかご縁あってマルクス講座を担当し、にわかに興味を持ち始めています。先日も「早分かりマルクス『共産党宣言』 1日入門」という、1時間30分で『共産党宣言』をなんとかしようという講座を設けさせていただきました。今回は講座レポートといいながら、無知な私にまっとうな講座レポートができるわけはなく、『共産党宣言』についても的場先生のマルクスと私をご参照いただくということで、ここは一つ、マルクスから遠く離れた人間がこの講座を聴いて分かったことを3点お伝えさせてください。

1.『共産党宣言』 は聖書に次ぐほど世界中で刊行、翻訳されてきたベストセラーである。
2.『共産党宣言』は共産党について書きたかったわけではない。
3.『共産党宣言』はなにより人類の歴史、人間の理念について書かれている。

そんなこと知ってる。という方にはごめんなさい。でも、2つめなんて、おどろきではないでしょうか。的場先生が「この本は共産党のことなんてなんにも書いていない」と断言されたときには、それじゃ書名に偽りありじゃないのと思いながら、聴きおよんでいくうち、だんだんマルクス(やエンゲルス)の言いたかったことが分かってきました。彼らは、いま生きる社会のあり方がただ一つではなく、別のあり方があるんだと強く訴えているのですね(たぶん)。

 もちろん的場先生の本来の講義では、長年の知識と洞察にもとづいて思想の詳細に分け入り、示唆に富んでいます。そしてマルクスや共産主義についての誤解を嘆いています。たとえば共産主義というと「みんな一緒」主義かと思われがちですが(私もそう思っていましたが)、ぜんぜん違うようです。

 最後に担当らしいことをお伝えさせてください。マルクス先生もさることながら、40年間『資本論』を読み続ける的場先生や、毎日の生活のなかで深く深く思索されている長谷川宏先生など、この同時代に生きる彼らの言葉もまた、ぜひじかに聴いてもらいたいということです。真剣に人間と社会のあり方を考え続ける先生方からにじみでるなにかを、ぜひ体感してもらえたらと思います。

川田真由美さん(朝日カルチャーセンター新宿教室)

富山県出身。思想・哲学は朝日カルチャーセンターにて講座を担当するようになってから興味を持ち始めた。今後は東洋の思想・哲学講座も充実させたいと思っている。最近の趣味は東アジアに結晶した仏教美術の鑑賞。好きな仏像は蔵王権現。

2010年10月28日 光文社古典新訳文庫編集部 |

「マルクス− 知の巨人たちに未来を学ぶ」長谷川宏さんー朝日カルチャーセンター湘南校講座

img_report.gif

 10月16日(土)、朝日カルチャーセンター湘南校での長谷川宏さんの講座に参加しました。講座名は「マルクス----知の巨人たちに未来を学ぶ」。参加者は20名弱。土曜日の午後で天気は晴れ。しかも教室の窓から遠くに湘南の海が見えて......。

 少し遅れて始まった講座は3時間。講義が2時間あまり、休憩を挟んで質疑応答という時間割でした。マルクスの自然観、人間観、そして労働観について、特にその肯定的な側面にテーマを絞っての話でした。『経済学・哲学草稿』のなかの第1草稿の4.「疎外された労働」と第3草稿の2.「社会的存在としての人間」にあたります。

 人間と自然とのかかわり、社会との関係について、マルクスが考えていたのは"三位一体"的関係であり、ここでの自然とは「自然破壊」とか「エコロジー」という現代的なイメージで捉えられるものではないということ。農漁業(いわゆる第一次産業)や工業(鉱物資源など)といった自然との豊かな交流による、また自然への働きかけとしての「労働の人間性」についてマルクスの考えを読み解き、 その箇所を読み上げる形で講義は進みました。

 後半の40分は、訳語について、またマルクスとヘーゲルの国家観(国民国家)の違いなどについての質疑応答があり、みなさんの関心の高さと意識の高さを実感。

 講座の後、名古屋で行われていた「生物多様性を考えるCOP10」の報道を見ました。途上国側の自然資源(動植物や微生物)をもとに先進国の企業(資本)が開発した医薬品が莫大な利益を生み出していて、その利益配分に対して途上国と先進国との間で厳しい対立があること、またその利益還元を途上国側が大航海時代にまで遡って要求しているとのこと。ここにはグローバリゼーションによる巨大な富とその偏差、また格差の問題もあり、マルクスならこの問題をどう考えるのか、また、マルクスの倫理観についても知りたいと思った一日でした。

中町俊伸
『経済学・哲学草稿』編集担当

2010年10月25日 光文社古典新訳文庫編集部 |

マルクスの「生き生きとした人間」

2010年7月6日(火)に東京堂書店 神田本店で行われた長谷川宏さんのトークイベント「ヘーゲルからマルクスを、 マルクスからヘーゲルを読む。----新しい思想はいかにして生まれたか?」に参加された近藤伸郎さんからレポートをいただきました。

img_report.gif

 『経済学・哲学草稿』は、マルクスが二十代のときに書いた原稿で、まさに「マルクスの原点」の書と言える。人は誰でも自分の原点があり、その大部分は若いあいだに作られる。そして、それは人生を通して、そう変わるものではない。『資本論』が「よく分からない」という方々も、本書を読めば、『資本論』の本質をえぐり出すことができるかもしれない。

photo_hasegawa0706_01.jpg 僕が考えるマルクスの原点は「彼は生き生きとした人間が好きだったのだなぁ」ということにつきる。彼は根源的なヒューマニストなのだ。人間の生き生きとした日常生活という理想に対して、労働者の状況はあまりにも矛盾のかたまりであった。「あぁ、資本はなんて人間に無関心なのだろう」「自然のなかで社会的な営みをする人間はどこにいったのだろう」、こんなマルクスの叫びが聞こえてくるようだ。そういった問題意識で、マルクスがやったことは、徹底的な現実の解明だった。第一草稿は、国民経済学などの引用で埋め尽くされている。マルクスが現実と格闘した軌跡が描かれているのだ。「ロマンティックな幻想は打破しなければならないのだ。これが現実だ」。ロマンティックな想いに夢想しがちな二十代だからこそ、マルクスのある種の〈信仰告白〉がいたるところでなされている。

 長谷川さんの講演の内容も、基本的には第一草稿の「疎外された労働」に関してだった。ドイツ観念論の系譜を辿り、ヘーゲルからマルクスへの継承、転倒を説明して下さった。とくに〈自然--社会--人間〉のモデルは興味深く、やっぱり、マルクスは自然の中での生き生きとした人間という理想を描いていたのだな、と再び確信させられる。長谷川さんは根っからの在野の哲学者。その意味で、マルクスのアカデミズム批判を実践として継承しているとも言える。彼の塾では合宿があるらしく、10日間ほど自然に出かけていくという話を聞いたことがある。これは、まさにマルクス的実践ではないか。

 一方で、第三草稿の哲学の話をあまりされなかったのが、少し、心残りだった。マルクスの人間主義の、では、その人間とは何かということに関する哲学の深さ、これが第三草稿にあたる。類的存在とはどういうことなのだろうか。そのあたりを突き詰めていくことが、僕の課題でもあるし、教条主義に陥りがちな現代のマルクス「主義」者の方々にも、いっそう深刻な課題になるにちがいない。

近藤 伸郎(東京大学教養学部文科I類)

大阪出身。浪人時代に思想・哲学に目覚める。大学では,立花隆ゼミナールに参加し、全共闘運動、学生運動の現状をリサーチ。(成果は『登紀子1968を語る』/情況新書)表三郎主宰スペース研究会にて、フォイエルバッハなどを扱い、今回の『経済学・哲学草稿』の長谷川講演に興味をもった。最近の興味は、英文読解を思想としてとらえること。塾で英語講師のアルバイトをしている。

2010年8月 8日 光文社古典新訳文庫編集部 |