光文社古典新訳文庫: 検索結果


光文社古典新訳文庫で“あとがきのあとがき”タグの付いているブログ記事

〈あとがきのあとがき〉もう一人のニーチェを掘り起こす 「いま、ここで、生きるということ」──『この人を見よ』の訳者・丘沢静也さんに聞く

「矛盾」と「自律分散」に市民権を!
img_atogaki_okazawa_book240-03.jpg
ニーチェ
(1844年〜1900年)

ニーチェと言えば、「超人」だろう。「神は死んだ」と毒づき、「永遠回帰」を唱え、最後には発狂して逝ってしまった、何やらよくわからない孤高の人、あるいは近寄りがたい哲人......。でも、果たしてそうだろうか。それだけでいいのだろうか。彼の生きた魅力、彼が生きた切なさを感じ取るための、何か別の回路があるのではないか。

名著『マンネリズムのすすめ』(平凡社新書、1999年)の著者でもあるドイツ文学者の丘沢静也さんに、『この人を見よ』(光文社古典新訳文庫)の訳了・刊行を機に語ってもらった、「哲学」よりも広く、より文学的な「わたしにとってのニーチェ」。とくとお読みください。


point01.jpg

------「この人を見よ」の「この人」は、イエスのことですよね。「神は死んだ」と言って憚らなかったニーチェが、なぜイエスのことをタイトルにもってきたのだろうかと忖度するとしたら、丘沢さんはどうお答えになりますか。

img_atogaki_okazawa_book240-01.jpg

丘沢 ニーチェは生前、自分は、世の中によく理解されてはいないと思っていて、イエスも、自分はあまり理解されていないと考えていました。それで、ちゃんと自分を見てほしいという気持ちが強くあって、あの聖書の言葉を持って来たんだと思います。これまでの自分がどんな仕事をしてきたのかということを、わかってほしかったんじゃないでしょうか。イエスと自分を重ね合わせた趣向も、反語的ですね。ニーチェは、キリスト教の道徳を徹底的に批判してますから。『この人を見よ』は、自分を理解してくれない世間に向けて、ニーチェが書いた就活エントリーシートなんですよ。

------タイトルの原語は、Ecce homo。「あとがき」には、捉えられ、いばらの冠をかぶせられたキリストを、ローマ帝国のユダヤ総督ピラトが指差し、ユダヤ人たちに向かって発した言葉のラテン語訳だとありました。この言葉を使ったニーチェの心はどういうところにあったと思われますか。

丘沢 キリスト(=油を塗られた者、救世主――編集部)と言うのには、ちょっとひっかかります。私は、いつも「人間イエス」という感じで見たいので......。

古典新訳文庫の『この人を見よ』を送ったら、先輩の逸身喜一郎さん(いつみ きいちろう:1946年生。西洋古典学者)から、こんなメールをもらいました。

「この人を見よ」という題名は、やはり「文献学者」として気になります。「〜を見よ」というと対格(≒目的格。「〜を」の意――編集部)です。

しかしご存じのように ecce は注意を引くためだけであって、「ほら、人間がいる」「人間なんだよ」の意味でしょう。(ヨハネのその部分だけを読めば、「この男だよ」みたいな意味になりますが、私はそのあとの展開では、「ほら、神ではない、人間だ」みたいな意味合いが入っていると思っています。)(下線は編集部)

なるほどな、と思いました。ニーチェは『人間的な、あまりに人間的な』という本も書いていますが、「人間的」という言葉と「理想的」という言葉を対置させています。つまり、神などの「理想」にとらわれ過ぎていたから具合がよくないので、いろいろな貌を持つ自然な「人間」というものを、丸ごと引き受けなければという気持ちがあった。

------ディオニュソス的というか、体系ではないというか、プルースト風に言うと脈絡もなくあちこちから噴き出してくる間歇泉のようなイメージが、ニーチェの言葉にはありますね。

丘沢 ええ、逸身さんの言うように、「ほら、神ではない、人間だ」という含意を考えると、『この人を見よ』がますます身近に感じられます。

------「解説」の冒頭に、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の引用があります。とても印象的でした。

『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳)から (『この人を見よ』の「解説」冒頭)

私には依然として目の前に、切り株に座り、カレーニンの頭をなで、人類の崩壊を考えているテレザが見える。この瞬間に私には他の光景が浮かんでくる。ニーチェがトゥリン[=トリノ]にあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。

それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところへ来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザを私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の保有者」の道から、退きつつある。

丘沢 クンデラはすばらしい作家です。まだノーベル文学賞をもらっていないのが不思議です。でも、まあ、賞なんて......。私は大学で十数年前から恋愛の授業をやっているのですが、パートナー選びのリトマス試験紙として、この小説をすすめています。相手の知性と教養と大人度を測れますからね。千野栄一さんがチェコ語から訳した集英社文庫(1998年)。たたずまいのある翻訳で、私は大好きですね。学生には、『存在と時間』なんかよりずっと面白くてタメになると言って、すすめています。ただ、『存在の耐えられない軽さ』は、しっかり屈折している小説なので、あまり本を読まない学生にはとっつきにくくなってきてるようです。去年から教室ですすめるリトマス試験紙に、『原発プロパガンダ』(本間龍著、岩波新書、2016年)を追加しました。相手の情報リテラシー度は、ますます切実な問題ですからね。

------引用部分では、(犬の)カレーニンの頭をなで、人類の崩壊を考えているテレザが見えた瞬間にニーチェが登場します。テレザとニーチェの間には、表向きの脈絡はないけれど、クンデラ自身の中には、そういうテレザの姿を見たときに、馬を思いやるニーチェにつながっていく何かがあるわけですよね。一つわからなかったところがあります。「ニーチェはデカルトを許してもらうために」というところです。

丘沢 創世記で神は人間に生き物の支配をまかせたけれど、クンデラによると、それは支配を委任したにすぎないと考えることができる。人間は惑星の管理人にすぎないのに、デカルトが決定的な一歩をすすめて、人間を「自然の主人で所有者」にしてしまった。でも、狂気により人類と決別したニーチェも、死にかかっている愛犬のカレーニンを膝にのせているテレザも、「自然の主人で所有者」の道から退きつつあるわけですからね。

------お聞きしたのは、デカルトとニーチェの対立はわかるとして、クンデラが、この場面で、馬の近くに寄ってきたニーチェの目的を説明するために、「デカルトを許してもらうために」とあえてデカルトの名前を出したのには、デカルトを好意的に考えるところもあったからかなと思ったからです。デカルトは、脳にある「松果体」のことを、「こころ」と「からだ」が相互に作用する「魂のありか」と呼んで、二元論を逸脱するようなことを言っていますから。デカルトは、世に言うほどの近代的二元論の祖ではないよと思うところもあったのかなと。

img_atogaki_okazawa_book240-02.jpg

丘沢 うーん。ダマシオの『デカルトの誤り』が象徴的ですが、やはりデカルトの心身二元論というくくりじゃないでしょうか。キリスト教が肉体を軽蔑していることへの反発もあって、ニーチェは「からだ」に目覚めたともいえそうです。『ツァラトゥストラ』(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫上・下、2010・11年)でも、「からだは大きな理性」「精神は小さな理性」と言ってます。『ツァラトゥストラ』は、「からだの聖書」と呼んでもいいと思います。

------鞭を打たれる馬を見た途端、「記憶の間歇」のように、ニーチェの「からだ」に不思議な何かが立ち上がったことが大事なんですね。 人間は惑星の管理人にすぎない、という創世記の記憶とかが。

丘沢 ニーチェというと、最近はとくに、「哲学」や「思想」に回収してしまおうとする傾向がありますね。それは文学にすぎない、とか言っちゃって。でも、哲学や思想って、そんなに偉いのかな? ひとつのリンゴを哲学のナイフで切るか、文学のナイフで切るか、の違いなんですよね。それに、まともな哲学というのは、研究室や哲学本のなかにあるんじゃなくて、料理や森のなかにあるわけでしょ。

ニーチェ自身は『この人を見よ』のなかで、恩師のリチュルに、「君はね、文献学の論文までも、パリの小説家のように、馬鹿に面白く構想するんですね」なんて言われたと書いている。ニーチェは学者とちがって、コアに集中しようとはしない。むしろ世界を揺さぶったり、空気を切り裂くのが好きだった人ですよね。

------安易にまとめちゃいけませんが、学者には合目的性ばかりが目立って、初めから結論の方向が決まっている人が多いですね。だから、意外性がない。

丘沢 ええ。まず材料があって、レシピを考えるのが、料理の基本なのに、下手な学者は、レシピを決めてから、材料を調達しますからね。矛盾を怖がって。ニーチェの魅力は、コアに集中じゃなく、自律分散だと思います。ヴィトゲンシュタインは『哲学探究』(岩波書店)で、「矛盾にも市民として居場所があること。または、市民社会において矛盾にも居場所があること。それが哲学のあつかう問題なのだ」と言っています。

ヴィトゲンシュタインもニーチェもアカデミズムが大嫌いで、アフォリズムで仕事をしました。ニーチェの場合、1つのアオフォリズムが2行のこともあるし、100行のこともある。どちらも1つの段落で書いているのが味噌。それが1単位なのだから、勝手な改行はせず、翻訳でも、1つの段落で対応するべきですね。

------確かに、哲学的な論理性や体系性ばかりを意識されると、読むほうは辛くなります。

丘沢 「死んだ哲学者であるよりは、生きた犬でありたい」というイギリスの諺がありますが、私は訳者として、いつも作者に忠実な犬でありたいと思っています。ニーチェは自分のことを「心理学者」と呼ぶようになってますね。ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を書いて、哲学の問題は全部解決したと考え、哲学を捨てちゃいます。

実は私は愚かにも大学で哲学を勉強しようと思い、哲学科に進学したのですが、授業はどれもつまらなかった。ちょうど進学した年に大学紛争で、1年ほどストで授業がなくなり、入試も中止になったりして、授業が再開したときに、なんでも自由にやらせてくれる独文に転科したんです。その前後かな、日本にヴィトゲンシュタインやレヴィ=ストロースが入ってきたのは。どちらもものすごく新鮮だった。

ニーチェとヴィトゲンシュタイン

------ニーチェにかかわる表層的なイメージの一つに、「ニヒリズム」という言葉があります。それから「永遠回帰」や「神は死んだ」とか。今回の『この人を見よ』を読むと、そういう固定的なイメージで教えられてきた「常識」には、大きな見込み違いがあったんじゃないかという気がしてきます。先生は「あとがき」で、自分は「非常識」だと書いていらっしゃるけれど、そうでないと伝わらないニーチェがいる。

img_atogaki_okazawa_book240-07-3.jpg
1861年のニーチェ

丘沢 ヴィトゲンシュタインというと、「常識」では条件反射のように『論理哲学論考』と返される。圧倒的に面白いのは後期の『哲学探究』なのに! ニーチェというと、「力」とか「超人」とか、いかめしいイメージがあるけれど、ドイツ語をていねいに読んでみると、晴れやかで楽しい印象が強いですね。花田清輝が「イエスはレトリックの達人であった。そうしてロジックのみをあやつるパリサイの徒を、いかに鮮やかに論破したことであろう」と言ってますが、ニーチェにもあてはまる言葉ですね。

精神科医の中井久夫さんが、医学部の入試の国語には、一義的には答えにくい文学の問題を出すべきだと言っています。臨床の現場では、一義的には決められない微妙な場面で判断を迫られますからね。そういう意味での文学的なセンスが必要なんでしょう。ニーチェも、「ニヒリズム」や「永遠回帰」の説明を探すようにして読むより、文学的というか、臨床的につき合うほうが、ずっと面白くなる。からだが弱かったニーチェは、人間の、心とからだの健康を真剣に考えていました。お医者さんには、昔から文学好きな人が多いですよね。

------森鴎外、齋藤茂吉、北杜夫、なだいなだ、藤枝静男、加賀乙彦......。たとえば「超人」を、丘沢さん流にひらがなに開くとどうなりますか。

丘沢 それは、『この人を見よ』を読んで感得してもらいたいと思います。

------感得するって、論理的な理解にとどまらずに「からだ」で納得する、というようなことですか。

丘沢 説明はできないけれど、絵として見えてわかることってあるでしょ。アウグスティヌスが、「時間とは何でしょうか?」と質問されて、こう答えたんです。「ああ、それはね、質問されないかぎり、みんな、時間とは何か、わかってる。でも、もっと詳しく教えてほしいと言われると、誰も、時間とは何か、説明することができない」

「存在とは?」とか、「神とは?」なんて問いは、むなしいんですよね。ちゃんとした定義がないと動けない自然科学や法律は別だけど。ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を書いて、哲学の問題はすべて解決したとして、哲学を捨てたわけですけど、彼が問題にしていたのは論理言語だけだったんです。論理言語による理想の宮殿は、氷のように透明で純粋だけど、ツルツルすべって歩けない。ずいぶん後になってからヴィトゲンシュタインは、歩くためには摩擦が必要だと気づいて、日常言語の「ざらざらした地面」に戻ったわけです。そこで生まれたのが主著の『哲学探究』です。

で、『哲学探究』では、いろんな「言語ゲーム」を手がかりに、言語の現象を考えていくわけです。で、そのとき注目したいのは、言語の「本質」とか、言語と呼ばれているものすべてに「共通するもの」なんかない、と言っていることなんです。そのかわりヴィトゲンシュタインは「家族的類似」を提案する。言語と呼ばれる現象たちは、じつにさまざまなやり方で、おたがい親戚関係にあるわけですからね。体型、顔つき、目の色、歩き方、気質などなどが、重なりあい、交差しあって。

『哲学探究』66(丘沢静也訳、岩波書店2013年)

66 たとえば、「ゲーム」と呼ばれるプロセスを観察してみよう。ボードゲーム、カードゲーム、ボールゲーム、ラグビーなどのことだ。これらすべてに共通するものは、なんだろう? 「なにか共通するものがあるにちがいない。でないと、『ゲーム』と呼ばれないだろう」などと言わないでほしい。――これらすべてに共通するものがあるのかどうか、よく見てほしい。――というのも、よく見てみると、すべてに共通するようなものは見えないけれど、類似点や親戚関係が見えてくるだろう。それも、たくさん。くり返しになるが、考えるのではなく、見るのだ。――たとえば、ボードゲームを見てみよう。そのいろんな親戚関係もいっしょに。つぎは、カードゲームに行ってみよう。そこではボードゲームに対応しているたくさんの点に気づくだろう。けれどもたくさんの共通点が消えて、そのかわりほかの共通点が見えてくる。つぎにボールゲームに行ってみると、いくつかの共通点は残るけれど、たくさんの共通点が消えてしまう。――ゲームはみんな「楽しい」? チェスをミューレ三目並べと比較してみるといい。――あるいは、ゲームにはかならず勝ち負けがあるだろうか? プレーヤーが競争するのだろうか? ひとりでやるペーシェンスを考えてみればいい。ボールゲームには勝ち負けがある。子どもが壁にボール投げをしているときは、勝ち負けという特徴は消えている。技能や運がどんな役割をはたすのか、見てみよう。しかしチェスの技能とテニスの技能ではずいぶんちがう。こんどは、「輪になって踊ろ」ゲームを考えてみよう。そこには娯楽の要素はあるけれど、それ以外の特徴はなんとたくさん消えてしまうことか。こんなふうにして、いくつもいくつものグループのゲームをながめていくことができる。類似点があらわれては消えていくのを目にすることになる。

で、この観察の結果はこういうことになる。類似性は、重なりあい交差しあいながら、複雑なネットワークをつくっているのだ。スケールの大きな類似性もあれば、細部についての類似性もある。

img_atogaki_okazawa_book240-04.jpg

『論理哲学論考』とちがって、『哲学探究』は、コミュニケーションの問題を考えている。で、ですね、「本質」ではなく「家族的類似」で話を進めるほうが、話もはずみ、視野も広がると思うんですよね。「超人とは、〜である」式ではなく、「〜は、超人である」式で。

------主語ではなく述語に持ってこいということですね。「超人」を述語にもってくることで、定義に緩さと幅が出ますね。

丘沢 そうです。それで家族の一人一人のメンバーも見えてくる。実際の生活では、そういう形でコミュニケーションをしているわけです。それを「超人とは」という形にすると、話がはずまなくなり、学校の試験のように、〇×式の答えを求めることになってしまう。そうではなく、「これもツァラトゥストラだ」という形でつきあっていけばいい。

------お話を聞いていて思い出しましたが、光文社古典新訳文庫の『歎異抄』の「あとがき」で、翻訳した文芸評論の川村湊さんが、「なんとなくわかる」という伝わり方があると言っています。

丘沢 ええ、ありますね。逆に、「なんとなくわからない」ということもあります。なにかというと「言葉だ、言葉だ」という人がいますが、苦手ですね。言葉はもちろん大切だけど、言葉には限界があるんだから、もっと不信感をもつ必要があると思うんです。中井久夫さんが、「精神科医は、よく、伝達の内容は音調その他が三割、言語の文法構造によるものが一割、あとは伝わりそこなうという」と言っているのですが、私はこれを1・3・6問題と呼んで、恋愛の授業の軸のひとつにしているんです。

それで、思い出しましたけれど、『竹内敏晴』*1のなかに、失語症的になってよく話ができなかった若いころの竹内さんが、子どもたちを相手に童話を語って聞かせるところがあって、あれがすごく面白かった。

自分のことについて語ろうとすると、カオスになって喘いでしまう。ところが物語を話そうとすると外に目が向いて、あるいは相手が理解しているかどうか、表情などにも注意するようになるので、語りやすくなると実感し、それから戦争中と戦後の傷で負うことになった失語症がじょじょに癒えていく。とても重要なエピソードだと思いますけど。

*1『竹内敏晴』:(今野哲男著、「言視舎評伝選」、2015年)

------相手が子どもたちですからね。論文の言葉などは、てんから使えない。わからないこと、伝わらないことへの理解と対応があって、はじめてやり取りが成り立つような、本来のコミュニケーション空間です。その逆説的に豊かな土壌のなかで、他ならぬ自分が癒されていく。

img_atogaki_okazawa_book240-07-4.jpg
1868年のニーチェ。
除隊する際に撮影1875年。

丘沢 ええ。相手の首の傾げ方ひとつ見ても、これは伝わっていなさそうだ、じゃあこうしてみようなんて、考えながら話をしていくというのが、竹内さんが物語るということだった。『この人を見よ』は、ニーチェが自分のために書いた自伝文学です。ニーチェは、キリスト教の道徳という巨大な敵とひとりで戦った。『この人を見よ』は、徹底的に自分のことを語っているけれど、カオスにならなかったのは、キリスト教の道徳に苦しめられてきたみんなの姿がくっきり見えていたから、自分にたいしても距離をとって、ちょっとほら吹き男爵ふうの物語に仕立てたんだと思います。ニーチェに不案内な人にも、面白くて親しみやすい。私がニーチェ・ファンになったのも、『この人を見よ』のおかげです。

------それはいつごろですか。「からだ」に目覚められたころでしょうか。

丘沢 ええ。若いころは日本語で読んでいて、とくに『ツァラトゥストラ』なんか波長が合わず、苦手でした。中年になってコンスタントに運動するようになって、からだの喜びに目覚めてからですね。ドイツ語で『この人を見よ』を読んだら、からだのことがいっぱい書かれている。「栄養、住居、精神の食餌、病気の治療、清潔、天気の問題」が、「人生で真剣に考えられるべきすべてのこと」と主張している。伝統的な哲学の問題じゃなくて。おお、これは健康読本だっ! それに味をしめて『ツァラトゥストラ』もドイツ語で読んでみたら、なんと「からだの聖書」だった。手塚富雄訳は、「からだ」ではなく「肉体」となっています。日頃よく運動している人は、まず肉体とは言いません。 身体しんたいとも言わずに、ほとんどがからだ、あるいは「からだ」と言うんです。だから使う言葉で、運動している人かどうかがわかる。

------そのおかしな例外が、三島由紀夫ですね。彼は「からだ」のこともよく知っていたはずですけど、意地を張って、二元論的に「肉体」と言っている。

丘沢 そうなんです。そして、「肉体」が衰える前に自死した。腹の出た自分を見たくない、見せたくなくて。

ドイツ語に翻訳されたワーグナー

------ところで、ニーチェとワーグナーのつきあいについてはどうお考えですか。二人は仲が良かったのに、後に別れてしまうわけですが。ワーグナーのことは相当意識していたみたいですね。年譜を見ると、ワーグナー、ワーグナー、ワーグナーと、別れた後でも、まるで通奏低音のように登場しています。

丘沢 そうですね。ニーチェは「トリスタンとイゾルデ」の音楽に感動して、ワーグナーに心酔するようになり、ワーグナーは若い優秀なニーチェを自分にとって絶好の宣伝係になると思った。でもワーグナーがドイツ市民社会に迎合するようになって、ニーチェは「ワーグナーがドイツ語に翻訳されてしまったのだ!」と批判して、決別するわけですね。でも今回、『この人を見よ』を翻訳していて感じたのは、ニーチェがワーグナーのことをどんなに好きだったのか、ということです。

img_atogaki_okazawa_book240-05.jpg
ワーグナー(1813年〜1883年)

「星の友情」というアフォリズムがあります。ワーグナーと決別してから書いたロマンチックな文章です。ニーチェは、ロマン主義の嘘を嫌ってた人ですけどね。私たちは別々の道を歩くようになったけれど、大きな星の軌道を考えれば、私たちの人生なんて、星の軌道に含まれるちっぽけな道のりにすぎない。だから、星の友情というものを信じようではないか。地上では敵であらざるをえないとしても。

「星の友情」(ニーチェ『楽しい学問』第4卷279)星の友情

私たちは友達だった。そして友達ではなくなってしまった。だがそれが事実である。私たちはそれを恥じねばならないかのように、ごまかしたり隠したりするつもりはない。私たちは船である。それぞれに目的地と航路をもった二隻の船だ。だから以前のように、航海中に出会い、祝杯をかわすこともあるだろう。--そう、あのとき、私たち行儀のよい船はじつに穏やかに、おなじ港に停泊し、おなじ太陽の光を浴びていた。おなじ目的地をめざしていて、すでにもう目的地に到着したかのように思えるほどだった。だが、そのとき、私たちの使命がもつ全能の力によって、私たちは無理やり離ればなれにされた。ちがった海へ、ちがった太陽の照りつける国へと駆りたてられた。ことによると、もう二度と会うことがないかもしれない。--いや、ことによると、会うかもしれないが、おたがい相手が誰なのか、見分けがつかない。ちがった海とちがった太陽が私たちをすっかり変えてしまったのだ。疎遠にならざるをえないということが、私たちを支配する掟なのである。だからこそおたがいに、もっと深い畏敬の念を抱きあうべきなのである。だからこそかつての友情への思いを、さらに神聖なものにするべきなのである。おそらくは、目には見えない巨大なカーブが、星の軌道が存在しているのだろう。私たちのかくも異なった道や目標は、その星の軌道のなかに含まれた、ちっぽけな道のりでしかないだろう。--自分を高めて、そのように考えようではないか。だが、私たちの人生はあまりにも短く、私たちの視力はあまりにも弱い。だから私たちは、「この崇高な可能性の意味における友人」以上のものには、なることができない。--だからこそ星の友情というものを信じようではないか。たとえ地上の敵であらざるをえないとしても。

  • 丘沢静也 訳
  • グロイター版ニーチェ全集(KSA)Bd.3に所収
  • dtv/de Gruyter、1980年

------丘沢さんは、ワーグナーはお好きだったのですか。

丘沢 若いころは熱狂的に好きでした。が、近ごろは、全曲を通して聞くのは、ちょっと長いな、と。ブルックナーやマーラーの長さは気になりませんけどね。若いころ苦手だったモーツァルトを、ようやく、すごいなと思うようになりました。ワーグナーとちがって、ひとはけでさっと書いていて。

永遠回帰/nowhereということ

------『ツァラトゥストラ』の「解説」にあった「神はない。彼岸もない。実は、謎もない。永遠を探しても、どこにもない。英語の"nowhere"は"now"と"here"に分解できる、あるのは、この地上のいま・ここにあるものだけ。...」というコメント。読みながら、膝をうちました。これがニーチェなのかなと。

「永遠回帰」について、述語的に「これが永遠回帰だ」と言える一例のようなものがありますか。

丘沢 歴史や時間じゃなく、構造を考えると、わかった気になれるかもしれませんね。ハイデガー、ジンメル、ベンヤミンなどなど、いろんな人がいろんな解釈をしていますが、どうもすっきりしない。

クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の冒頭は、永遠回帰の話から始まっているんです。構成は「第Ⅰ部 軽さと重さ」と「第Ⅱ部 心と身体」に対して「第Ⅳ部 心と身体」「第Ⅴ部 軽さと重さ」というように鏡に写したようになってますね。

「永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。われわれがすでに一度経験したことが何もかももう一度繰り返され、そしてその繰り返しが際限なく繰り返されるであろうと考えるなんて! いったいこの狂った神話は何をいおうとしているのであろうか。...

『存在の耐えられない軽さ』冒頭(ミラン・クンデラ、千野栄一訳、集英社文庫1989年)

福岡伸一の「動的平衡」によると、たとえば私という個体が死んでも、分子レベルでは他のものに変わっているだけの話で、世界はつづくんですよね。

私がニーチェに目覚めたのは、中年になって毎日のように運動するようになった時期なんです。からだの喜びに目覚めた。「筋肉の力を抜き、意思の馬具をはずして」無理せず、だらだら走ったり、のんびり泳いだりしていると、ハイにはならず、ほんわかと気持ちがいい。気持ちのいいことは、もう一度やりたい。「これが生きるってことだったのか? よし! じゃ、もう一度!」。地上での、いま・ここの幸せの感覚が、永遠回帰とつながってるような気がします。

------最後に今回の新訳について、翻訳なさった立場で一言いただけますか。

丘沢 近ごろ気になるのは、「性」の氾濫です。やたら「方向性」や「関係性」が使われてますね。頭の悪い社長が、頭の悪い社員を集めて、えんえんと会議をするんだけど、ろくなアイデアが浮かばない。そんな部屋が見えます。「方向」や「関係」で伝わるなら、「性」などつけずに、すっきりした言葉で翻訳したいですね。

img_atogaki_okazawa_book240-06.jpg

私がこれまでに翻訳したカフカやヴィトゲンシュタインは、すっきりした言葉で仕事をしています。シンプルな言葉の順列・組合せで、深いことを鋭く伝えている。"Less is more."ですね。カフカやヴィトゲンシュタインとちがって、ニーチェは歌舞伎の見得を切るようなところがあって、強くて晴れやかな文章だけど、でも、すっきりしていて重くはない。

ドイツ哲学やドイツ文学に重くて深刻な印象があるのは、むずかしい訳語が好まれてきた翻訳のせいかもしれません。『哲学探究』に出てくる「指さして定義する」は、ヴィトゲンシュタイン業界では「直示的定義をする」が定訳です。がんばった、いかめしい訳語を好んで、りっぱな学問をやってる気分になってる若い研究者もいます。ニーチェの読者でも、その種の邦訳から、がんばったニーチェ像をつくって、そのイメージに合わないものは「ニーチェじゃない!」と切り捨てたりして。アマゾンのカスタマー・レビューでの、「一票の格差」問題です。

というわけで、私は、がんばらない翻訳を心がけました。『この人を見よ』は、私の一番好きなニーチェです。「どうか私のことを勘違いしないでもらいたい!」と痛切な思いをもって書かれているので、わかりやすい。病弱な身で、巨大な敵とひとりで戦ったのに、悲壮感はなく、晴れやかで痛快な自伝です。数年前、大学で翻訳のゼミをやったことがあるんです。ベンヤミンとか、ニーチェとか、ヴィトゲンシュタインとかをネタにして。哲学科の学生も参加してました。「ドイツ語と日本語を1対1に対応させて訳さなくてもいいんですか。それにまた定訳を無視すると、哲学の先生に叱られます」と言ってました。ふふ、だから私は、哲学科から逃げ出したわけですけどね。

(聞き手・今野哲男)

この人を見よ

この人を見よ

  • ニーチェ/丘沢静也 訳
  • 定価(本体740円+税)
  • ISBN:75341-2
  • 発売日:2016.10.12
  • 電子書籍あり
変身/掟の前で他2編

変身/掟の前で 他2編

  • カフカ/丘沢静也 訳
  • 定価(本体480円+税)
  • ISBN:751369
  • 発売日:2007.9.6
  • 電子書籍あり
ツァラトゥストラ(上)

ツァラトゥストラ(上)

  • ニーチェ/丘沢静也 訳
  • 定価(本体780円+税)
  • ISBN:752179
  • 発売日:2010.11.11
  • 電子書籍あり
ツァラトゥストラ(下)

ツァラトゥストラ(下)

  • ニーチェ/丘沢静也 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:752225
  • 発売日:2011.1.12
  • 電子書籍あり
論理哲学論考

論理哲学論考

  • ヴィトゲンシュタイン/丘沢静也 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75284-2
  • 発売日:2014.1.9
  • 電子書籍あり

2017年2月21日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉100年前からもうポストモダン!?  唯一無二の作家、ウラジーミル・ナボコフの不思議な魅力 『偉業』の訳者・貝澤哉さんに聞く

img_cover241_atogaki.jpg

『カメラ・オブスクーラ』『絶望』に続き、光文社古典新訳文庫のロシア語で書かれたナボコフ作品の第三作目、『偉業』の翻訳が完結した(2016年10月刊)。『ロリータ』『アーダ』をはじめとして、1945年にアメリカに帰化した後に英語で書かれた多くの作品と、多彩な技巧を駆使した難解な文体で知られるこの大作家が、ロシア革命から逃れたヨーロッパの地で、亡命ロシア人たち向けに書いたロシア語原文の初期作品群には、どんな特徴があるのだろう。一作目の翻訳開始から都合7年をかけて三作を訳し終えた、貝澤哉さんに話を聞いた。

見えてくるナボコフの「新しさ」
img_atogaki_kaizawa_book241-01.jpg
ウラジーミル・ナボコフ

長い間、ナボコフと言えば「複数の言語で書く亡命作家」というイメージが先行し、7、80年代ころの一般的な印象では、貴族としてロシアに生まれ、革命後に亡命してイギリスのケンブリッジに学び、ベルリンやパリの暮らしを経てアメリカに帰化した後に英語で発表した『ロリータ』で大成功、晩年はスイスのホテルに住んで悠々自適、趣味のテニスや蝶の採集をしながら創作を続けた高踏的でゴージャスな作家、といったところだろう。つまり、「国際化」が声高に言われ、バイリンギャルなどという言葉があった当時は、エキゾチックな魅力のある、難解でエロチックな作家という、わりと表面的でステロタイプ化したイメージが拭えなかったと思うのだ。

それが、今では「国際化」はほとんど死語になり、世界が「グローバル」になってきて、エキゾチックという感覚自体が摩耗してしまった。同時に、貝澤さんのロシア語からの翻訳作品で初めてナボコフに接する若い人も増え、そういう人たちの多くには、そもそも「国際化」というドメスティックなバイアスがないから、エキゾチックで表面的だったナボコフ理解にも変化が出ているのではないだろうか。

------最初にご相談したときに、難解で聞えたナボコフを、この初期三作でやってみようというご提案をいただきました。あのときに意図をあらためてお聞かせください。

 

貝澤 この三作を、文庫の形にして安く読んでもらえれば、ナボコフの敷居の高さが少しは和らいで、一般の人にも広く彼の良さを知ってもらえるのじゃないかと思ったことが一つです。

もう一つの「エキゾチズム」という問題ですが、当初ナボコフは、『ロリータ』の影響で、エロティシズムや少女性愛といったイメージだけで理解されがちだったんですね。ところが70年代初頭に、知性は国や言語をまたいで多様な領域を横断すると主張したジョージ・スタイナーの『脱領域の知性 文学言語革命論集』(由良君美ほか訳、河出書房新社、1972年、新版1981年)という有名な本が出て、世界の文学を比較研究する「比較文学」が流行ったりして、国別に分かれた「ロシア文学」や「フランス文学」の研究を超えたところに別の価値と面白さを見出そうという動きがでてきました。川端(香男里)さんや沼野(充義)さんなどが、「亡命」や「多言語」といったキーワードでナボコフを論じるようになった。「エキゾチック」とまでは言わないまでも、そういう国境を越えた視点からナボコフが読まれていた側面は確かにありました。

それが今では東京の街を歩く人の国籍や人種も多彩になったし、日本の企業でも日本人と外国人を分け隔てなく採用するといった時代です。その意味では、ナボコフ的な世界がエキゾチックではなく、普通のものになりつつある時代とは言えるでしょうね。

------それでも読みたくなるナボコフには、いまの読者にとって、一昔に考えられていたのとはまた違った魅力があると想像しますが、それは何だと思われますか。

貝澤 私の考えでは、大衆化された新しいメディアの時代が到来するなかで、小説をいかに面白く読ませるか、技巧を尽して追求しているところが、ナボコフの作品の魅力ということになるでしょうか。

もともと小説は大衆的な読み物として始まっていて、文学のなかでのヒエラルキーは相対的に低かったわけです。ロマン主義時代にも詩の方が高級で、散文つまり小説は低位のジャンルでした。それが19世紀に大衆的な人気を獲得して最も重要な文学形式に躍り出るわけですが、20世紀に入るとすぐ、今度は文学以外の強力なライバルが出現して、小説はそれと闘わなくちゃいけなくなる。たとえば映画です。映画によって物語を消費する別の選択肢が生まれました。映画が生まれてすぐアニメも誕生していますし、そうするとストーリーのあるものは全部映画になっちゃうわけです。ロシアで言うと、映画が入ってきたのはリュミエールの発明の翌年、1896年ですが、その直後から小説が原作になった映画が次々に作られて、人々が本を買わなくなる。映画を観たらそれで満足して、物語欲は映画で満たされてしまう。では小説はどうすればよいのか、心ある作家たちは考えたはずです。

おそらく、その考えた結果が20世紀の文学のあり方に影響しているのでしょう。私もよく学生たちに訊くんです。小説が映画やドラマやアニメやゲームに勝つにはどうしたらいいかと。実は答えはそんなに難しくはありません。映画やドラマやアニメやゲームにはできないことをすればよい。要するに、言葉自体を面白くするということですね。

------『カメラ・オブスクーラ』に目が見えなくなった美術の専門家クレッチマーに、元イラストレーターの悪漢ホーンが嘘をついて周りを想像させる、とてもスリリングな場面がありますね。あそこでナボコフは、言葉では物を見ることができない、しかし、その言葉でしか見えてこないものもあるとでも言いたげに話を運んでいく。それはどういうことなのか、ということに小説家ナボコフの魅力が、たぶん隠されているというわけですね。

cover134_atogaki.jpg

貝澤 そういうことです。映画やアニメや漫画に勝つためには、言葉自体を面白くすれば小説にしかない独自の価値が出ると。だから、小説は物語を利用はするけれど、それを語る言葉自体を磨き上げ、面白くするほうにより傾いていく。少なくとも20世紀以降の小説はそうなってきたと思います。ナボコフはそのことに極めて意識的で、彼の小説を読むと、私の訳した三作品もそうですが、映画に出たい人物だとか、映画製作者、美術関係の人間など「見る人」がたくさん出て来る。その人たちが「目」を奪われて、「言葉」を通してしか物が見えないような事態に巻き込まれたり、「見た目」や「似たもの」に欺かれたりするわけです。そしてそれを読む我々自身も、言葉であらわされた不可視のイメージをどう読み解くべきか、という課題を突き付けられるわけですね。まさにそのこと自体に小説の面白さがあると教えてくれるのが、彼の作品だと言えます。

img_atogaki_kaizawa_book241-02.jpg
「悪魔のような恋人」("Камера Обскура/Laughter in the Dark")1969年イギリス、監督:トニーリチャードソン 出演:ニコル・ウィリアムソン、アンナ・カリーナ

------『カメラ・オブスクーラ』のあのシーンは、クレッチマーの想像が当たっているかいないかということとは別に、言葉で映像を喚起することの不可能性がまざまざと見えてくると言うか、読む側にとっては彼が想像すること自体がアクロバティックでスリリングに感じられる場面です。ナボコフは、意図的にそういうメタ小説風の面白さを仕掛けたのでしょうか。

貝澤 そういうふうに私は読みますね。クレッチマーを陥れようとするホーン、彼は漫画家なのですが、悪意の塊のような男です。このホーンは、ある種、作者的な行動をする人物としてこの小説の中に書き込まれているんですが、面白いのは、クレッチマーの甥が山荘に駆けつけて悪事が露見したさいに、ホーンが素っ裸だったことです。これもよく学生に読ませて「なんでこの人、見つかったときに素っ裸なんだと思う?」と聞いてみるんですが、私の読みでは、ふつう小説の語り手、作者というものは、神の視点をとって自分は見られないところに隠れていて、ほかの人や全てのことを見渡して描写している。自分は姿を見せないのだからどんな格好していてもいい。たぶん、だから素っ裸なんですね。ところが、実は作者だってやっぱり生身の人間にすぎないので、結局は見つかってしまう。ナボコフは、そこを戯画化したかったんじゃないか。小説の語り手の視点とか、語りの仕掛けですよね、そういうものをすごく意識していると言えます。

ポストモダン文学の先駆として

------ホーンは場面を構想し、構成する男で、クレッチマーをチェスの駒のように思い通りに配分するんですよね。こっちこっち、あっちあっちなどと言いながら。そこには、楽しむばかりで真偽や善悪とはまるで関係がない。それが最後に足下を掬われる、自分があまりにも構想し過ぎたが故に掬われる、そういうところは、ポストモダンというと語弊があるかもしれないですが、時代を先取りしていた感じがします。

貝澤 それは鋭い指摘ですね。実はロシアでは1990年代にポストモダンにかんする議論がけっこう流行って、ロシアのポストモダン文学の歴史的系譜についても、いろんな批評家が論じてるんですが、そういう場合に必ずといっていいぐらい、ナボコフとバフチンがポストモダン文学の先駆として挙げられるんですよ。だから、その感想は的を射ていると思います。

------『偉業』は、『カメラ・オブスクーラ』や『絶望』以前に書かれた作品ですが、この二作と比べても、「見えない言葉で見る」ということの仕掛けを、読んでいて一番感じます。さらにポストモダンを感じさせるのは、「解説」にもありましたが、たとえば冒頭に突然出てくる水彩画のイメージですね。子どもの頃に見たこの絵にある暗い森の小径のイメージが、その後も一見なんの脈絡もない、無関係の場面で何度か登場する。同様のことはほかにもたくさんあって、貝澤さんは「繋がりなき繋がり」「無関係という関係」と書いていらっしゃいますが、僕はあれでプルーストの「記憶の間歇」を思い出しました。何か表向き脈絡のないことをきっかけに、突然昔の記憶が間歇泉のように吹きだす。それは文学として新しいものだったのだろうし、面白い。のっぺらぼうなただのリアリティではなく、時間の奥行と言うのか、立体的なアクチュアリティがあります。これが早くも『偉業』で出ているんですから、ナボコフという人は、その文学者のキャリアの最初からそこまで行っていたのかと驚いてしまいます。

貝澤 そういう点では、ナボコフは最初から完成されているところがありますね。一番核になる部分は、ある種できちゃっているんです。この3つの作品はジャンルこそ全然違いますけど、実はとても似ていて、たとえば『カメラ・オブスクーラ』の場合、ホーンが勝手に場面を構想してそれには善悪が関係しないという話がありましたが、『偉業』のマルティンも、政治的な良し悪しとは無関係に、自分勝手な計画を作って勝手な冒険に出かけてしまう。

------やることや構想することに、統合性や統一性が全くない。それってやっぱりポストモダン以降ですよね。そういう意味でも凄い。で、見かけは一番読みやすい。青春小説風に次々に物事が立ち上がって、考えてみると何の意味もないようなんだけど、読むとすらすらと読めてしまう。そこに「記憶の間歇」めいた深みがチラチラ見える感じが凄いと思う。完成されたナボコフという考え方には、作家論とは言いませんが、ナボコフの生い立ちとか経歴などから考えて、何か言えることがないでしょうか。

貝澤 それは難問ですねぇ。ナボコフが一体どこで、そういう自分のポエティクスや創作の核になるものを得たのか。いろんなインタビューや回想を読むとその核が何かということはわかるけれども、それが歴史的にどう形成されたかとなると、なかなか難しい。おそらく一つだけ言えるのは、ナボコフは1890年代の生まれですね。ロシア文学史の流れで見ると、象徴派がフランスから入ってくるのが1890年代、ちょうど彼が生まれたころだった。そのあとに、「ポスト象徴派」と呼ばれている世代が出てくるんですが、彼はその世代にどんぴしゃりなんです。マンデリシュターム(ポーランド出身のロシアのユダヤ系詩人、エッセイスト)などもちょっと年上ですがその世代で、ほかにもパステルナークやバフチン、ヤコブソンなどがいます。象徴派を簡単に説明するのは難しいけれど、象徴はシンボルですよね。つまりあるものを、そのものでない何かで指し示す。なので、象徴派の人たちは、異なるものどうしがつながりうる、つまりすべてのものは潜在的につながっていると考えていた。ボードレールの「万物照応」のように、世界のありとあらゆるものはつながり得ると、そういう統一的な考え方を持っていた。ところが、ポスト象徴派の世代の人たちはそれを拒否するわけです。「そんなことはないよ」と。

たとえばマンデリシュタームは、自分にできるのは、石工のように一つ一つの石を積むことだけだ、というようなことを言うわけです。要するに全体を見渡して、世界はこうなっているなんてことは言うことができないと。ナボコフにも、それに非常に近いところがあって、具体的な細部や実際に触ることのできる事物、そういったものが大事で、合理的な全体が先にあって細部が決ってくるようなあり方ではだめだと。嫌いなんです。そういう世代的な問題はある程度あるのかなという気はします。

------その相互の連関がなくバラバラで大切な一部を積み重ねていったときに、結果的に統一されていないのかというとそうでもなくて、たとえば演劇などの役者の舞台感覚には「記憶の間歇」に類することが実際にある、と言うか、それをきっかけに活き活きすることが多いと思います。

貝澤 それは深い問題で、イメージとか表象に関わる大事なことですね。芸術は具体的なもので、とりあえずはひとつひとつ形を作っていくわけですけど、表面の形だけがあるのではなくて、形があることによって、われわれを形の向うにあるものに誘うと言うか、感覚させようとするわけです。

------意識を越える、受動とも能動ともつかないものの大切さを、したたかなナボコフは意識的に知っていると?

貝澤 そう思います。ナボコフは、共感覚と言って、ピアノで或る特定の音を鳴らすと或る色が見えるとか、自分にはそういう不思議な感覚があるといろいろなところで書いていますけど、それもその一つですよね。つまり、ある表徴がシステムの違う別の表徴になぜか結びついていて、それが合理的、統一的に説明出来たり、互いに同じ全体の一部分というかそういう形で結びついているわけではなく、繋がっていないけれど繋がっているとでも言えばいいのでしょうか。そう考えていくと、たとえば同時代のベンヤミンの星座に関する理論、彼は一見バラバラの星の配置が星座として形を成して見えるということを引き合いに出して、モノゴトの単体では見えてこない本質は、他との繋がりなき繋がりにおいてこそ見えてくるということを語るわけですけども、それとも近いものがある。

ナボコフの文章、翻訳家としての苦労

------『偉業』の小説としての魅力を、翻訳者の立場に立って言うとしたらどうなりますか。

貝澤 いろいろな読み方があると思いますけど、やっぱり言葉そのものの魅力でしょうか。翻訳しているので、私は原文を読んでいるわけですが、ロシア語そのものが面白いのです。すごく面白いんだけど、その分、翻訳はし辛いわけです(笑)。

------読者としての感想を言いますと、読点の続く長い一文を読みながら感じる、時間の経過を含めて折れて曲がって捩れるような感覚、それはとても面白かったです。何が面白かったかと言うと、ストーリーが面白いから読んだことはもちろんあるけれど、それよりも、読点が続くあの訳文を読む持続する感触とでも言うか、それが面白かったと言っていいように思います。

貝澤 そう言っていただけると嬉しい。ロシア語で読んだときのその感覚を、なるべく日本語に移そうとしたので、すごく救われます(笑)。

------「わかりやすさ」という点では、どうですか。

貝澤 わかりやすさと面白さが根本的に矛盾するとは思っていませんが、私自身は、どちらかというと長い文章の方が好きなんです。吉田健一、石川淳、金井美恵子などの息の長い文体にむしろ魅力を感じる。普通、大学で研究論文を書くときもそうですが、文章を学んだり訓練をしたりというときには、それこそ「わかりやすく」とか、「論理的に」とか、「余計なことを入れずに、なるべく短く文章を切れ」などと言われるわけですが、これが自分の好みには真っ向から反しているわけです(笑)。なぜそうなるかというと、文学的な論理性、それぞれの作家が持っている論理性というのは、普段われわれが使っている合理的な論理とは違うと思うんですね。石川淳や金井美恵子もそうかもしれませんが、ナボコフの場合は、ある言葉が出てくると、勝手にそれに引きずられて出て来る次の言葉があって、そこで幾多の脱線や紆余曲折を経て、最後は元にふっと戻ってくると。そのジェットコースターのような感覚が面白いわけです。『偉業』は旅と冒険の小説ですが、もともと旅というのは新しいことや珍しいことが次々と起きるものです。だから文章もそれにあわせて、いろいろなところに行き着ついちゃあ、そこから連想してまた別のところに行くというふうに紆余曲折を経ていくという、まるで文章がストーリーを擬態しているような構造になっている。こういう作り方って、今だと、たとえば保坂和志のずっと鎌倉を散歩しているだけの小説なんかにも似てますよね。その意味では、非常に早い時期に、ある種ヌーボーロマン的とも言える狙いを持って出てきた、先駆的な小説だったと言えると思います。

いま大学などで教えられている文章術のノウハウは、やたらと「短くしろ」の一点張りです。私の大学でもそういうコースがあって、入学してすぐ「文章を短く切れ」と教えられ、実は文章が下手糞になってしまう。それで二年にあがった学生を、自分の授業でまた直すっていう二度手間になることをしています。問題は長いか短いかではないのに。

               

------そういうふうに言葉を情報化してしまうと、一義的に表した表面的な意味以外の隠れたニュアンスが見えなくなりますね。コミュニケーションは、ディスコミュニケーションへの配慮があって初めてコミュニケーションになるという、当たり前の前提が伝わりません。

貝澤 ええ。小説を読むことの大切さは、そういうことの中にもあります。言葉は情報伝達以外の拡がりを持っていて、それって我々の日常生活でも大事なわけですね。井戸端会議なんて、内容のないことをただ喋りあっていて、それが楽しいわけでしょう。一方で、ラインなどで使われている言語は疑似的な言文一致みたいな省略を重ねて、短くなる一方で、外の者にはほとんど通じない。

------もう一つナボコフの言葉について伺いたいことがあります。ナボコフはアメリカに帰化した後は、小説を英語で書くようになり、ノンネイティヴであるにも関わらず、外から見ると書く作品の構造がますます緻密かつ複雑になったという印象があります。母語であるロシア語で書いた作品の方がある意味でシンプルなのは、どうしてでしょう。

貝澤 それもなかなか答えを出すのが難しいし、要因はいくつか重なっていると思いますが、一つの考え方としては、まずロシア語で書いていた初期のナボコフには、読者の姿がわりと身近に見えていたことがあると思います。帝政末期のロシアは、識字率がとても低くて、小説を読めるのは限られた非常に教養ある層の人間だけでした。当時フランスやドイツなどにいた亡命ロシア人のなかにはそうした知識層が多く、彼らはナボコフに近い教育や教養を持っていたので、新人作家ナボコフには、そういう人たちにうまくアピールするように、ある程度わかりやすいコンセプトを打ち出して自分を売り込もうという狙いがあった。そういう意味では、彼はそうとう野心的だったようで、自作をいろんなところに売り込んだり、朗読会をしたり、『絶望』の映画化を画策したりと、かなりそういうことをしています。生活のためということもあったでしょうが、売るために相当奔走したようなんです。ただ、アメリカに行ってからは、大学で教えたり、とくに『ロリータ』で成功して巨万の富を得てからは、晩年をスイスの高級ホテルで過ごしたことからわかるように、こう言っちゃ悪いですけど、小説がある意味で道楽になった。要は、読者のことを考えなくなったということです。

img_atogaki_kaizawa_book241-03.jpg
サンクトペテルスブルクのMorskaya通りにあるナボコフの生家。1917年まで暮らした。現在は1階をナボコフ博物館として公開している。

これについては自身が、インタビューの中で実際に語っています。「私は読者のことなんて考えていません」と。こんなことを言える作家ってなかなかいないと思いますけど、読者に媚びなくとも生活はできるし、自分の好きな実験もいくらでもできるようになってしまったので、そういう点では『アーダ』や『青白い炎』のような怪物的な小説には、一般読者の能力を超越しちゃってる部分があるように思いますね。

------ナボコフのドストエフスキー批判などにも、そういう自由さというか、ある種、文学的な気位の高さを感じますが。

貝澤 ええ、貴族的と言いますかね。彼はもともと自由主義的な貴族なんで、そういうところは、はっきりしていますよね。

------話が前後しますが、亡命ロシア人の実態と言うか、彼らは社会的にはどういう階層をなしていたのですか。

貝澤 1917年の革命が起こってすぐにヨーロッパに亡命者が集結したわけではなくて、1920年代にかけて断続的に流入しているんですね。当初はドイツにいちばん人が集まりました。ドイツは亡命者に好意的だったし、第一次大戦後には巨額の賠償を負ってインフレが凄かったですから、外貨を持っている外国人にとっては有利で、たとえば日本の村山知義*1がベルリンの大邸宅に住んでいたのもそうですが、過ごしやすい面があった。それが20年代初期のマルクの切り替えでインフレが終息し、亡命先の中心が、フランスに移っていく。

img_atogaki_kaizawa_book241-06.jpg
ロシア時代、毎年のように避暑に訪れた一家の別荘。初めての恋人タマラと会った家でもある。文化財として保存され、ナボコフ記念館として公開されている。

今となってはちょっと想像しにくいですが、当時の亡命ロシア人たちは、革命政府はそのうちにつぶれて、みんなすぐにロシアに帰れると思っていた。グレープ・ストルーヴェという人が書いた『亡命ロシア文学史』という有名な本がありますが、それによると、少なくとも1920年代の後半になるまでは、みんなロシアに帰れると考えていた、自分を亡命者などとは誰も思っていなかったそうです。だから「亡命文学」という言葉もないと。彼ら自身は、自分たちは正統のロシア文学の続きをやっている感覚でいたようですし、ナボコフもおそらく自分の仕事を「亡命文学」とは考えていなかったはずです。

*1 村山知義 (むらやま ともよし):1901~1977年、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。若いころに原始キリスト教を学ぶつもりで一年ほどドイツに遊んだ。のちに全日本無産者芸術連盟(ナップ)、日本プロレタリア文化連盟(コップ)の結成に努力、日本共産党入党するなど左翼文化人として活躍した。

私とナボコフ

------貝澤さんとナボコフとのなれそめについて教えてください。

cover177_atogaki.jpg

貝澤 今となっては、きっかけが何だったかは思い出せないですけど、学生のとき、80年代の初めころに、あの当時はナボコフの翻訳が古本屋にけっこう出回っていて、早稲田の古書店街に週に3回くらいは通っていたので、安く売っていれば買って帰るというような感じでしたね。たぶん最初に読んだのは『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』だったと思います。あれはかなり図式的でわかりやすい小説で、語り手がある人物を探していくんですが、実はそれが自分だってことに最後に気づくという構造を持っているんです。ちょっと『絶望』に似ていて、語り手と、語られる対象である登場人物が混同されてしまうわけですね。

そのころには加藤光也さんが翻訳された短編集(『ロシアに届かなかった手紙』集英社、1981年)なんかも出ていたと思うんですが、そういうところから入って、その後、露文の大学院に進んだ頃には、神田神保町の交差点の近くのロシア語の本屋さんに、初期ナボコフのロシア語初版をアメリカの出版社が復刻したものが、ペーパーバックで1冊2000円くらいの手頃な値段で並んでいたんです。それを片っ端から買って、全部はもちろん読めないけれど、ちょっとずつ読んでいました。実はそのときに『偉業』も復刻版で買って、これはかなり真剣に読んだはずです。でも、その頃は語彙力もないですから、辞書を片っ端から引かないとわからないような珍しい言葉がたくさん出て来て、何と人工的な文体なんだろうと思いながら読んでいました。『マーシェンカ』もロシア語で読んだ記憶があります。そんな感じでしょうか。もともと私の研究対象はロシアの象徴派だったものですから、ナボコフについて研究論文を書くわけでもなく、読者として好きで読んでいたという感じです。

img_atogaki_kaizawa_book241-04.jpg
img_atogaki_kaizawa_book241-05.jpg
「絶望」(Despair- Eine Reise Ins Licht)、1978年西ドイツ、監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 出演:ダーク・ボガード、アンドレア・フェレオル

ところがあるときに『ユリイカ』でナボコフ特集の話があって、沼野充義さんが執筆を勧めてくれました。それがナボコフについてちゃんと何かを考えて書いた最初です。ナボコフがロシア語で書いていた頃の亡命ロシア語雑誌をいろいろと当って、当時の批評などを調べて書いた簡単な文章でしたが、そこからナボコフについて真剣に考えるようになった。

------『ロリータ』でナボコフに入った人がかなり多いと思うのですが、貝澤さんはそうではなかったわけですね。

貝澤 ええ。私は、たぶん最初じゃなかったと思う。

------『ロリータ』がロリコンと連動している世代がいそうな感じがしませんか。吾妻ひでおなどの80年代のロリコンブームに乗って二義的にナボコフを知ってという。

貝澤 なるほど。でも、オタク文化やアニメ全盛のなかで今でもロリコン志向は根強いようですけど、おそらくそっち側から入って、逆コースで『ロリータ』を読んでも、物足りないのではないでしょうか(笑)。だから、あまり関係がないような気がしますね。

なぜナボコフは、「ペドフィリア(小児性愛)」や「少女愛」みたいなテーマに拘るのか、それは『ロリータ』だけのことではなくて、『カメラ・オブスクーラ』や『魅惑者』のような小説にも出てきて、繰り返し使っているテーマです。だから自分にとって使い勝手がいい、重要なテーマだったんでしょう。じゃあ、なぜそれが「小児性愛」や「少女愛」だったのか。この問題はずいぶん考えましたし、別の場所で話したこともあるんですけど、非常に広い意味で言うと、ナボコフの小説の根本的なありかたが、「繋がってるもの」が実は繋がっていなくて、「繋がっていないもの」がふっと繋がっていることを書くことにあるんだとして、その論理関係みたいなものを家族関係に適応したらどうなるだろうというふうに考えを拡げると、たとえば『ロリータ』の場合だと、ハンバートという男はロリータのお母さんと結婚してるわけです、再婚で。つまりハンバートとロリータは義理の父親と義理の娘という関係であるわけですよね。その親族としての関係が、恋愛関係というか恋人関係というか、それに向かってずらされていくわけですね。ですから、通常の関係が切れて別の関係がふっとできる。そういう意味ではこのテーマも彼の根本にある「繋がりなき繋がり」や「無関係という関係」、「全体を欠いた細部の肥大」に当てはまるのかなと。もちろん、それだけでは説明しきれない問題も多々ありますけど、少なくとも少女愛のテーマの元になっている論理性は大まかに説明できるんじゃないかなと思っています。

------ロリコンから『ロリータ』に遡るのは、どうやら無理があるようですね。ナボコフの作品にしても、今は貝澤さんにロシア語から訳していただいた初期作品を入口にして入る人の割合が増えてきているわけですからね。

貝澤 『ロリータ』のイメージが強すぎたことが、キワモノとは言わないけれど、ナボコフが普通ではない作家だと思われ、敬遠される要因になってきたのかなということはありますよね。ナボコフは最初に触れた「脱領域の知性」そのままに、いろんなものを縦横に横断して一つにつなげてしまう、そういう作品を書く人の一つの典型ですね。ナボコフという人は、そういう意味で、もともとはロシア人だけど、いわゆる昔の国民文学の作家とはまるで違うテイストを持っていると思います。不思議な作家で、似ている人がほとんどいない。最近では、国際的な作家はいろいろ現れていて、ロシア人でも、外国に住んで外国語とロシア語で書く多言語作家は多いですが、そうなった今の時代でも、ナボコフはダントツに変な人です(笑)。

(聞き手・今野哲男)

偉業

偉業

  • ナボコフ/貝澤 哉 訳
  • 定価(本体1,100円+税)
  • ISBN:75342-9
  • 発売日:2016.10.12
絶望

絶望

  • ナボコフ/貝澤 哉 訳
  • 定価(本体1,040円+税)
  • ISBN:75279-8
  • 発売日:2013.10.8
  • 電子書籍あり
カメラ・オブスクーラ

カメラ・オブスクーラ

  • ナボコフ/貝澤 哉 訳
  • 定価(本体895円+税)
  • ISBN:75236-1
  • 発売日:2011.9.13
  • 電子書籍あり

2017年1月30日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉ゴリオは、娘をダメにした変態オヤジかも?
『ゴリオ爺さん』の訳者・中村佳子さんに聞く

img_cover236_atogaki.jpg古典新訳文庫創刊10周年を飾る『ゴリオ爺さん』は、1819年、パリ下町にある下宿屋ヴォケール館を舞台にしたバルザックの代表作です。この新訳を手がけたのは中村佳子さんで、コンスタン著『アドルフ』に次いで古典新訳文庫は2冊目になります。

中村さんの出版翻訳デビューは2000年、映画の脚本『サン・ピエールの生命』で、その後もミシェル・ウエルベックの『プラットフォーム』『ある島の可能性』などを翻訳。『プラットフォーム』の冒頭には、偶然にもバルザック『浮かれ女盛衰記』の一節が引かれています。

中村さんにとって『ゴリオ爺さん』はどのような作品なのか、訳出の苦労や工夫に始まり、登場人物への思い入れ、フランス語との出会いなどをお聞きしました。

挿入句だらけのフランス語を立体感のある日本語に

------中村さんは古典新訳文庫の「訳者あとがき」に、既訳では読みづらい7頁から60頁までの"鬼門"を読みやすく訳してほしいと編集部から「難しい注文」を受けたと書いていらっしゃいます。でも中村さんにとっては、その冒頭部分こそがバルザックを楽しむための肝だったとも。まずは、その冒頭の難解な翻訳についてお聞かせください。

 

中村 自分が既訳や原書で『ゴリオ爺さん』の冒頭部分を読んだ時は、それほど抵抗感もなく、難しいと感じなかったのですが、今回、自分で訳してみて、今までの翻訳者がご苦労されたことがよくわかりました。

バルザックの文章は、とにかく挿入句が多い。話がそれて、それた先で、また情報が加わっていく。ちょうどネット上の文章みたいなんです。ある言葉をクリックすると別画面で関連情報が出てくる、というような感じです。

ちょっと詰め込み過ぎ、ちょっと話し過ぎなんじゃないか、翻訳する身にもなってくれという文章です。ただ、それができてしまうのがフランス語で、文法的に可能なんです。誤解を招くかもしれませんが、バルザックは文章がそれほど上手ではないというか、もっとスタイリッシュにできそうな文章です。おそらく時間がなかったこともあるのでしょうね、もう振り返らずに勢いで書いていったような印象を受けます。『ゴリオ爺さん』も4カ月で書き上げていますしね。

------わかりやすい日本語にするために、どのような工夫をなさったのですか。

中村 魔法みたいなことはなくて(笑)、地道にやるしかないですね。

日本語は挿入句が苦手というか、パーレン( )とか、棒(ダーシ)――くらいしか処理の仕方がないので、べたっとしがちなんですが、その気になれば日本語でも立体感は出せます。

日本語の強みは語順の融通が利くところです。それから助詞という豊かな表現材料がある。例えば、いま私が「豊かな表現材料がある」と言わずに「もある」といったら印象が変わりませんか? こういう微調整を地道に、それでいて近視眼にならずに全体を見ながら続けていくんです。

------中村さんのその工夫のおかげで、すーっと読み進めることができました。でも、次にひっかかるのが人名です。レストー伯爵夫人、アナスタジー、ナジーと、ひとりの人物なのに、いくつもの呼び名が出てきて混乱します。バルザックが意地悪なのでしょうか?

中村 「呼び名問題」は、もう翻訳の仕事のたびに、編集部とかならず一度は話し合う(もめる)問題なんですね(笑)。フランス文学につきものといいますか。バルザックがとりわけ意地悪なわけではありません(笑)。ひとつひとつ検討していくと、ここで呼び名を変える必要ある?という場合は多い。フランス人には文章を書くときに、連続して同じ名前を並べるのは野暮だという感覚があります。

私がフランス語を習ったときも、一人の人物に対して、どれだけの呼び方ができるかという授業がありました。例えば、小泉純一郎を名前以外でどう表現するか。総理大臣、首相、離婚男(バツイチ)、髪が白い男、変人と呼ばれる日本人などなど。ユニークな表現を挙げると、教室は「すごーい!」という感じになるんです。

日本語でも、語尾が、です、です、です、だ、だ、だ、と続くの抵抗ありませんか?それと似ているかもしれません。

『ゴリオ爺さん』の人名は、編集部とも相談してだいぶ整理したのですが、登場人物を印刷した栞を入れることにしたので、最終的にはいくつかの呼び方を残しました。

img_atogaki236-04.jpg

------ほかに苦労した点はありますか?

中村 最後まで、お金には苦労しました(笑)。

------翻訳料の印税率ですか?

中村 いいえ、そうではなくて(笑)。私がもともとお金の話に疎いんですね。でもバルザックはお金の話大好きなんです。浪費の話とか借金話とか、もう放っておいたらいつまでだってしていたいタイプです。だから訳者として、なんとかバルザックの金勘定のセンスに近づいて、読者にその面白味を伝えないといけません。手形についての本を読んでみたりもしたんですが、専門用語ばっかりなんです。借金の仕組みを理解するのに苦労しましたね。それを地の文に落としていくのもまた一苦労で。お金の単位や小切手帳の使い方など、フランス人には当たり前のことでも、わかりづらいところがあって、注で対応させてもらいました。あまりうるさくならないよう、物語のリズムを崩さないように注意しながら。

ゴリオ爺さんはかわいそう? 娘たちは親不孝?

------『ゴリオ爺さん』は、田舎からパリに来て、社交界に潜り込みたい学生ラスティニャックと、きらびやかな金持ちたち(でも借金だらけ)の話ですよね。オビにも"世の中カネがすべてなのさ!"とあります。訳す上で、どのようなことを心がけたか、作品の魅力はどのへんにあると思われますか。

中村 バルザックの中でも、この『ゴリオ爺さん』はすごく好きな作品です。ただ、私はお金ではなくて(笑)、人間のほうが面白いんですよね。

訳すにあたっては、ゴリオがただただかわいそうなおじいさんにならないように、哀れな感じにならないようにしました。

このおじいさんは、他の道もいっぱいあるのに、人の意見にまったく耳を貸さない、ものすごい我の強い人です。娘のために尽くし、場末の下宿屋で貧しい生活をしていると聞くと不幸みたいですが、自分の人生をまっとうしている。そこが衝撃的に面白いと思います。ゴリオ爺さんは、別に不幸ではないんです。

今回、一語一語翻訳して読みながら、最後のほうのゴリオ爺さんのセリフにも圧倒されました。うわごとなのに、このテンション。ここまで書くか、とくどいほどに話しているんです。むかし読んだ時には気づきませんでしたが、本当に圧倒されました。

ただ、何度も読み直してみて、娘としては身につまされるというか、長女のアナスタジーも次女のデルフィーヌも、そんなに悪い娘かしら?と思ったんです。

実際にゴリオという父親がいたとしたらどうでしょう? 娘のあらゆるわがままを許し、莫大なお金を与えて、甘やかすだけ甘やかして、娘をダメにしたのはこの父親だとならないでしょうか? 娘たちに金銭感覚がないのも、そういうふうにゴリオが育てたわけですし。

img_atogaki236-05.jpg
『ゴリオ爺さん』プレイヤード版原書

父親がうっとうしくなる娘というのは、現代でもよくありますよね。結婚して自分の家族が大事になり、実家の父親はめんどうくさくて顧みなくなる、それでいて困った時だけは頼るのですから、褒められたことではない、悪いですけど(笑)、でも訳していて、ゴリオの娘たちほども私は父親のところに行ってないなあ、電話しなきゃ、なんて思ったりしました。でも、そんなもんですよ、人間って。

------最近、日本では「毒母」が話題ですが、ゴリオ爺さんも重たい父親ですよね。

中村 ちょっとストーカー的ですよね。娘への愛がセクシュアルな感じになっていて、足を舐めんばかりとか、娘の膝に乗る子犬になりたいとか、これほど変態な父親はいないですよ。

バルザックが『ゴリオ爺さん』を書くにあたって、シェイクスピアの『リア王』をイメージしたのは間違いありません。リア王の三人娘のうち、上の二人ゴネリルとリーガンをアナスタジーとデルフィーヌに、末娘コーディリアを下宿屋にいるヴィクトリーヌ嬢に当てはめています。実はバルザックは舞台というものに、かなり思い入れがあって、戯曲もいくつも書いたけれど、成功しなかった。なぜでしょうね。『ゴリオ爺さん』なんて舞台にすると絶対面白いと思うんですけどね。キャラクターはめちゃくちゃ濃いし、セリフも本当に面白い。

ラスティニャックよりビアンションが死ぬほど好き!

担当編集者O  中村さんの新訳は、その会話が生き生きしていて面白い、登場人物一人一人のキャラクターが生きていると感じます。もう一人の主人公、大学生のウジェーヌ・ド・ラスティニャックは、訳者から見ていかがでしたか?

中村 ラスティニャックには、もしかすると、あまり思い入れはなかったかもしれません(笑)。嫌いではないのですが......。むしろ、彼の友人である医学生ビアンションが好きなんです。というか、実は、死ぬほど好きなんです。人間に温かみがあって、それでいて、若者らしくはじけてもいる。これほど素敵なビアンションは、他の作品ではお目にかかれません。

------「ゴリオ爺さん」は孤立した小説ではなく、90近い作品が織りなす〈人間喜劇〉の一つ、同じ人が別作品でも活躍する「人物再登場」でも有名で、宮下志朗さんの解説によると、ビアンションは29作品に出ていて、登場回数では第2位だそうです。

中村 他の人はお金のことばかり考えて行動しているのに、ビアンション一人だけが常識的というか、まっとうな人間性が前に出ています。特にビアンションとラスティニャックのやり取りがいいんですね。それでついつい思い入れが強く出ちゃう、私の訳は他と比べてビアンションがやけにかっこよくなっているかもしれません(笑)。

ラスティニャックがこれほど素敵なのも、『ゴリオ爺さん』だけですね。ここで学んだことを実践して、彼はその後、どんどん出世していきますが、他の作品では、もっと冷たかったり、卑怯だったり。デルフィーヌともずっとつきあっていくんですが、最後はポイッと捨てるような男になっていきます。

考えてみると、ゴリオと、同じく下宿屋にいる謎の男ヴォートランによる、ラスティニャックへの父親教育なんですよね。

とにかく『ゴリオ爺さん』は、中心人物の交差点のような作品なので、最初に読んでおくと、あとあとバルザックを読み進めるのが楽しくなると思います。

フランス社交界はパワーゲームが渦巻く恋愛スタジアム
img_cover184_atogaki.jpg
『アドルフ』
(コンスタン/中村佳子 訳)

------『ゴリオ爺さん』の前に、中村さんにはコンスタンの『アドルフ』を訳していただきましたが、当時のフランスの恋愛というか社交界というのは、今の日本の私たちからは想像しにくい世界ですよね。

中村 これって恋愛なのかな? むしろ、『ゴリオ爺さん』も『アドルフ』もパワーゲームですよね。パワーゲームって、日本人が最も苦手というか好きじゃないものだと思うんです。恋愛にパワーゲームなんか求めてない、もっと安らぎとかを求めている。でも、もしかすると、江戸時代の大奥とかは、フランスの社交界みたいな感じだったのかもしれません。

担当編集者O 「ゴリオ爺さん」には、まともな夫婦って一組も出てこないですよね(笑)。実質的に一夫一婦ではないし、夫が妻に、二人の子どものうち、どっちが俺の子か、と聞く場面もありました。

中村 恋愛のスタジアムにデビューするには、結婚してないと切符が手に入らない。女性は特に、結婚して「誰々夫人」にならないと、自分の立場がありません。恋愛スタジアムは、この人を支援して、あの人を陥れようとか。そこに恋愛感情も絡んでくるようなゲームですね。

ダブル不倫なんて普通ですし、みんなが知っている公然の事実なんだけれど、完全にアウトになるラインがあって、証拠を出してはいけない。その時は失脚します。しっぽを出したら踏まれてしまうわけです。貞操感覚など、ほとんどないですよね。

------参考になった面白い資料があったら教えてください。

img_atogaki236-06.jpg
LETTRES A MADAME HANSKA

中村 バルザックが恋人ハンスカ夫人に宛てた手紙集は面白いかもしれませんね。LETTRES A MADAME HANSKA 。写真のこの巻ではちょうどバルザックが『ゴリオ爺さん』を執筆していた頃、書いた手紙が読めるので、資料として貴重です。

バルザックという人はハンスカ夫人という異国の人妻から来たファンレターがあんまりいい感じだったので、もう会う前から惚れちゃうんです。それで手紙での遠距離恋愛になります。もう涙が出そうなくらい健気な手紙を書きまくります。その健気さ一途さ暑苦しさは、やっぱりゴリオ爺さんっぽいです。

『ゴリオ爺さん』でも『アドルフ』でも、恋愛関係にあった二人が別れる時に、送った手紙を返して欲しいという場面が出てきますよね。バルザックくらいになると、いずれ公開されることを意識していたかもしれませんが。ハンスカ夫人は――これは私の所感ですけど――自意識過剰な、今でいうとちょっと「イタイ感じ」の人かもしれません。この本は、中の写真も豊富で面白い資料です。

『ゴリオ爺さん』
出演: シャルル・アズナヴール, チェッキー・カリョ
監督: ジャン=ダニエル・ヴェラーゲ
(販売元: IVC,Ltd. 2004年 フランス作品)

『ゴリオ爺さん』は映画にはなっていないと思いますが、テレビドラマがあります。参考になるんじゃない?と友だちにおしえられて、すぐにネットで見てみたんですが、これがすごくつまらない(笑)。翻案されていて、私が面白いと思う箇所が、ことごとく変えられている。なんといってもゴリオ爺さんが、はなから賢そうなんですよ。ぜんぜん騙されそうにないんです! 私のキャラクター設定と、かなり違いました。

いまは日本語版のDVDもでているみたいです。あのシャルル・アズナヴールがゴリオを演じています。

ただ小道具とかを見るには、すごく役に立ちました。ヴォケール夫人の下宿屋の中の家具の描写を訳すときなんかに。たとえば小説には抽斗に番号がついていて個々人が自分のナプキンを仕舞っておく棚が出てくるんですが、そのドラマで現物を見てなるほどこうなっているのか、と。

Eugène-François Vidocq
フランソワ・ウージェーヌ・ヴィドック

『ヴィドック回想録』(フランソワ・ウージェーヌ・ヴィドック著、三宅一郎訳、作品社、1988年)は、ヴォートランと司法警察署長ゴンドゥローのモデルになった実在の人物、ヴィドックの回想録です。何回も脱獄しているのですごい犯罪人のように言われますが、これ読んでみるとそれほど極悪なことをしているわけでもないんですね。もっとつまんない小悪党です、面白いですね。


        
始まりは、二人のジャック監督の映画だった

------中村さんが最初に「ゴリオ爺さん」と出会ったのは、いつ頃ですか?

中村 26歳くらいの時、ジャック・リヴェット監督の「彼女たちの舞台」とジャック・ドゥミ監督の「ローラ」の2本立てを、今はなき吉祥寺のバウスシアターで見ました。二人とも大好きな監督だから見に行ったんですが、考えてみればバルザック特集とも呼べる2本立てだったんですね。原作がバルザックというわけではないのですが、すごく影響されている。それぞれの作品のプログラムを買って読んだら、どちらとも中条省平さんがバルザックについて書かれていました。例えばこんなふうに。

「......リヴェットにもっとも近い作家はバルザックである。バルザックもまた、近代リアリズム小説の確立者でありながら、極端に肥大したディーテイルの描写に執着するあまり、その小説世界はときとして、ほとんど幻想の領域に入りこんでしまうからである。」 (中条省平「楽しいリヴェットのために」映画「彼女たちの舞台」プログラムより、発行、1991年)

 

これは読まなきゃ! と読み出したのが『ゴリオ爺さん』、新潮文庫、平岡篤頼さん訳でした。次に読んだのは、『谷間の百合』だったかな。

ちょうどフランス語を習い始めたばかりの頃で、ここからバルザックに、はまっていきました。

img_atogaki236-07.jpg
「ローラ」と「彼女たちの舞台」プログラム

------大学でフランス語を学んだわけではないのですか?

中村 大学は哲学科。第二外国語でもフランス語はやってないんです(笑)。専攻は中国哲学で、漢文をやっていたんですよ。

大学を出てから、地元広島の小さな広告代理店でコピーライターをやっていました。コピーだけでなく、会社で企業の雑誌を作っていたので、こういうふうに人にインタビューをたくさんして、記事を書いていたんですよ。それが日本語を書く訓練になったかもしれません。

その会社を辞めて結婚で東京に来て、フランス語を始めました。東京日仏学院(現在は「アンスティチュ・フランセ東京」)でabcからです。アテネ・フランセにも通いました。なんでフランス語かは、ほんとにいろんな要素あって......もともと語学は好きでしたが。ただ、やっぱりそのうちに行き詰まるんですね、ひととおりの基礎を終えてしまうと、ぱたりと伸びなくなるし(笑)、なに勉強していいか分からなくなる。で、そんなときに知人に薦められたのが、日仏学院の堀茂樹さんの文芸翻訳のクラスだったんです。アゴタ・クリストフ『悪童日記』(早川書房)を翻訳した、あの堀さんのクラスかあ、ちょっと覗いてみようかな、と最初はほんとに物見の気分だったと思います。そこで、まったく思いがけず、どどどっと、はまってしまったんですね、翻訳に。

担当編集者O 「ツール・ド・フランス」がお好きで、フランスによく旅行されるんですよね。『ゴリオ爺さん』の校了前にも最終確認にフランスに行かれましたが、わかったこととか?

中村 ごめんなさい。今回はパリには行ってない(笑)。実はサイクリング関係です。

もともとは教会美術が好きで、最初はそれを見に旅行していました。ある時、ツール・ド・フランスのテレビ中継を見ていたら、ロマネスクの田舎の教会が映っていたんです。ツール・ド・フランスって、地方の町おこしみたいな側面もあるので、空撮やアップで教会を映したり関連情報も流したりします。それで珍しい教会目当てに中継番組を見るようになって、あっという間にレースそのものにもはまってしまいました。見るだけじゃなくて、乗るようにもなって(笑)。

教会で聖歌を歌っているのを聞いて、いいね、ああいうのもやってみたいね、とコーラスを始めたり、ボランティアで外国人に日本語を教えたり、自分的には全部つながっていて、その中に翻訳もあるんですね。自分でも不思議です(笑)。

img_atogaki236-03.jpg
2016年、カルカッソンヌにて
img_atogaki236-02.jpg
(左から)2015年ジロ・デ・イタリア、 雨の山岳ステージジロ、 現世界チャンピオンのペーター・サガン選手。
                

------最後に、バルザックの他の作品で好きなもの、オススメを教えてください。

中村 『十三人組物語』でしょうか。犯罪ものというか、活劇というか、十三人組という秘密結社にまつわるシリーズで『フェラギュス』『ランジェ公爵夫人』『金色の目の娘』の3作品があるのですが、変人ばかりが出てきます。

『ゴリオ爺さん』の登場人物もたくさん出てきます。『金色の目の娘』は『ゴリオ爺さん』でデルフィーヌをぽいと捨てたド・マルセーが主役ですし、『ランジェ公爵夫人』というのは『ゴリオ爺さん』にも登場するランジェ公爵夫人とその恋人モントリヴォーとの恋の顛末で、奇しくも夫人は『ゴリオ爺さん』の中で自身が予言したとおり、非常に可哀想な目に遭います。これはジャック・リヴェットが同名で映画化しています。

実はリヴェットには『十三人組物語』の世界を下敷きにした「アウト・ワン」という映画があるのですがこれが日本でまともに公開されてないんですね。なぜかというと12時間40分あるからなんです! 彼が今年1月に亡くなって、その追悼映画祭の中で、字幕をつけて上映しようというクラウド・ファンディングが立ち上がりました。

クラウド・ファンディングは今年8月に目標額を上回るお金が集まって終了したので、来年あたりには観られるのではないでしょうか。これはものすごく楽しみです。これを機に、みんながバルザック大好きにならないかなあ、と期待しています。

巨匠ジャック・リヴェット追悼映画祭!『アウト・ワン』日本語字幕上映プロジェクト! WEBページ

リヴェットの代表作の一本でありながら、これまで世界的にもあまり上映されてこなかった『アウト・ワン』に日本語字幕を付けて上映するプロジェクトを立ち上げました。

(聞き手・大橋由香子&担当編集者O)

ゴリオ爺さん

ゴリオ爺さん

  • バルザック/中村佳子 訳
  • 定価(本体1,260円+税)
  • ISBN:75337-5
  • 発売日:2016.9.8
アドルフ

アドルフ

  • コンスタン/中村佳子 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75287-3
  • 発売日:2014.3.12
  • 電子書籍あり

2016年11月24日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉ラストシーンから、近代文学とは違った物語発生の場を垣間見る ──『虫めづる姫君 堤中納言物語』の訳者・蜂飼耳さんに聞く

cover217_obi_atogaki.jpg

『堤中納言物語』は、平安時代後期から鎌倉時代にかけた時期に書かれた物語が集められた作品集です。10編の物語とひとつの断章からなっているのですが、その中の「虫めづる姫君」は、あの宮崎駿監督が「風の谷のナウシカ」をつくる際に、発想の基にした物語だということで話題になったことがあります。

本書で「虫めづる姫君」は、「あたしは虫が好き」というタイトルに訳されています。ページを開くと、そこには、色々な虫を採集しては、脱皮したり羽化したりする様子を観察している姫君がいて、こんなことをいっています。

「人間っていうものは、取りつくろうところがあるのは、よくないよ。自然のままなのがいいんだよ」

「毛虫って、考え深そうな感じがして、いいよね」

なかなか魅力的な女の子ではないですか。

今回『虫めづる姫君 堤中納言物語』を翻訳したのは詩人・作家の蜂飼耳さん。1999年、詩集『いまにもうるおっていく陣地』(紫陽社)で鮮烈にデビューした彼女の詩は、とても素敵で刺激的です。(『蜂飼耳詩集』〔現代詩文庫、思潮社〕で多くの詩を読むことができます、ぜひ!)

その蜂飼さんが古典の言葉を現代語に訳した時に、どんなことを思ったのか、それぞれの物語について何を感じたのか、聞いてみました。

古典の言葉を、現代語に置き換える作業とは

------『堤中納言物語』を現代語に翻訳するというのは、具体的にどんな作業だったのですか?

蜂飼 ひとつの文章にも、いくつかの解釈があり、どんな理由にもとづいてどの考え方を選ぶか、判断が必要となります。たとえば「あたしは虫が好き」(原題「虫めづる君」)という物語から、例を見たいと思います。

------この物語の主人公は、虫が好きな変わった姫君。ある日、この姫君のところに贈り物と手紙が届きます。贈り物は作り物の蛇ですが、姫も侍女たちも本物の蛇だと思って大騒ぎ。その騒ぎの後、姫君は贈り物と手紙の主に対して返事を書きます。

蛇を贈ったのは、右馬佐(うまのすけ)という貴公子でした。そこからやりとりが展開するという物語ですね。

蜂飼 姫君が毛虫について語るシーンがあります。私の訳では、このようにしました。

「毛虫は、毛がいっぱいはえているのはおもしろいけれど、でも、詩歌や故事との関係がないっていう点が、ちょっと物足りないんだよね」

原文は次のような言葉です。

「かは虫は、毛などはをかしげなれど、おぼえねばさうざうし」

私が原文を読むために使っていた新日本古典文学大系26『堤中納言物語 とりかへばや物語』(岩波書店)の註では、この「おぼえねばさうざうし」について、「一般に、故事や詩歌など典拠が思い出されないので、と説くが意を尽くさぬ表現ではある」とされています。「意を尽くさぬ表現ではある」とは、よくわからないということですよね。

いっぽう、同じ箇所を「毛虫の数そのものが多くはないことが物足りない」と解釈する説もあるんです。

私は「詩歌や故事との関係がない点が、物足りない」の意味の方をとりましたが、このように、いくつかの解釈から、ひとつを選ぶという作業があります。

現代語に翻訳する作業はまた、ときとして必要最低限の言葉を添える作業でもあります。

同じ物語で、貴公子から寄せられた手紙の返事を書くところです。

原文では、「いとこはく、すくよかなる紙に書き給。仮名はまだ書き給はざりければ、片仮名に」というところを、訳してこんな文章にしました。

「姫君は、ごわごわした丈夫な紙、つまり、あまりすてきだとはいえない紙に返事を書いた。ひらがなは、まだ覚えていないので、カタカナでこんな歌を書く。」

ある程度王朝物語に馴染んでいる人であれば、貴公子から寄せられた手紙の返事をどんな紙でどんな書体で書くのかは、姫君の人物を表すことになる、だから非常に慎重になるということはわかるはずですが、やはりそういうことを知らない読者もいます。

その場合、「すくよかなる紙」を言い換えた「ごわごわした丈夫な紙」の含意が読みとばされてしまうのではないかと考えたのです。それで「つまり、あまりすてきだとはいえない紙」という言葉を添えてみたのです。そうしないと、ここでのポイント、紙の質感がじつはそのまま姫君の個性を表すところに目が止まらないのではないかと思ったからです。

このように言葉を添えることも、私が今回行った作業のひとつでした。

timeline_00.png
物語の不思議な終わり方は、何を示すのか

------今回、『虫めづる姫君 堤中納言物語』を読んでみて、一番強く感じたのはそれぞれの物語の終わりの素晴らしさです。それぞれ違ったパターンの終り方をするのですが、それが現代作家の作品では考えられないようなもので、且つセンスがいいものです。

蜂飼 「あたしは虫が好き」の終わり方は、突然「さてさて、この続きは二の巻にあるはずです。気になる読者の方は、読んでください。虫の好きなお姫さまと右馬佐、どうなることか」という言葉が出てきて、続きの物語を想像してね、と読者に提案して終わる。しかも、その二巻はどうやら書かれていないらしい(笑)。

私も最初に読んだ時はあっけにとられたんですが、今回訳してみてわかったことがあります。

それは、この終わり方は、読者に対して開かれた終わり方だ、ということです。どういうことかというと、この物語を聞いた人あるいは読んだ人が、この姫君の、当時の女性らしからぬ主張をする態度を「それはよくないよね」といって批判するのか、それともこの姫君の主張は「一理ある」と思って賛同するのか、どちらの立場にも立てる終わり方になっている、ということです。それはとても開かれた終わり方だと思います。姫君と右馬佐の行く末を想像させることで、このお姫さまに対して批判的になるか賛同するのかを、読む人(聞く人)に選ばせることをしているんですね。

このような終わり方が可能となったのは、物語の発生する場に、賛否両論の感想・意見を示す受け手たちがいたからだと思います。近代以降の文学の成立、基本的に一人の作者が執筆する文学とは違うんですね。この終わり方から、作者が一人であることが普通という次元とは異なる物語の発生の仕方、発生の場が垣間見える、そう思いました。

------なるほど。「ついでに語る物語」(「このつゐで」)も斬新な終わり方でした。

蜂飼 この物語は、(女性である)中宮がいて、最近は帝があまり自分のもとを訪れないという設定で始まります。そこに中宮の兄弟らしい宰相の中将が薫物(たきもの)をもって訪ねてくる。香りを試すことをきっかけに、三人の人物が物語を語り出す。中宮の寂しさをまぎらわすために、順繰りに三つの物語が続くのです。

------人生の試練や寂しさを、しみじみと伝える三つの物語が続きますが、そこに、帝がいらっしゃった合図の声がする! するとあたりは急にあわただしくなり、帝を迎える準備をする人々の光景となって終わります。蜂飼さんの現代語訳のおかげで、女房たちの立ち居振る舞いが映像的にまざまざと想像できました。まるでセンスのいい映画のラストシーンを見るようで、とても好きな作品です。

蜂飼 実はこの最後の場面は、原文では「上わたらせ給御けしきなれば、まぎれて、少将の君もかくれにけりとぞ」という一文があるだけなんです。

これでは何がどうなったのか、よくわからないですね。ここでは例外的にかなり言葉を補って、こう訳しました。

「にわかに、先払いの声が聞こえてきた。帝がこちらへいらっしゃる合図の声。あたりは急に慌しくなる。久しぶりに帝がお出でになるのだ。
 女房たちはさっと散って、片づけをしたり、帝をお迎えするしたくを始めたりする。いままで物語を語っていた少将の君も、その慌しさに紛れて、あっというまにどこかへ行ってしまった。
 このところ、なかなか中宮のところへいらっしゃらなかった帝が、もうすぐ、お出でになる。」

------そうですね。言葉を補っていますね。

蜂飼 当時の貴族社会、その環境に生きている読者たちにとっては、「上(うえ)わたらせ給(たまふ)御けしきなれば」という一言で、場が騒然としてみんなで帝を迎える準備をする光景が自然に理解できるのでしょう。しかし今の読者にとっては、それだけではすぐには想像ができないと思います。

物語の急展開、そのスピード感を表現するためにも、原文はその一行で終わらせているのだとしても、私はここはどうしても、現代の読者に対しては言葉を補う必要があると思ったので、言葉を足して訳すことにしたのです。

------和歌についても触れてみましょう。この『堤中納言物語』には、和歌が印象的な場面でいくつも出てきます。気に入っている歌を教えていただけますか。

蜂飼 「貝あわせ」というお話に出てくる歌が印象的ですね。たとえば、

しらなみに心を寄せて立ちよらばかひなきならぬ心よせなむ

意味はこんな感じです。「盗人みたいにこっそり忍び込んでいる私ですけど、もし頼りにしてくれるなら、甲斐のある味方になりますよ。ここに貝があるように。」

この物語は、ある意味では児童文学的な趣ももっていると思います。まだ大人にならない女の子同士が、貝の珍しさや美しさを競う「貝あわせ」というゲームをしますね。この競争を、お屋敷に忍び込んだ少将という貴公子が知って、お母さんが死んでしまって(後見者がいないため)立場の弱い姫君の方に味方するというストーリーです。

少将は、その姫君のために、いろいろな貝がどっさり入った小箱を贈ります。

姫君のまわりにいる女の子たちは「なにこれ、不思議!」「だれからだろう?」「仏さまがしてくださったんじゃない?」などと口々に言って、思いがけない助けを得たことを喜ぶんです。まるで想像もしないところから、ふいにおとずれる助けや味方というものを描き出している物語として「貝あわせ」は読後感も楽しい作品ですね。先に挙げた歌は、単独で考えた場合は、そんなによい歌かどうかわからないのですが、作品全体の結末に漂う幸福感があふれていて、その意味で好きな歌のひとつです。

それから、「越えられない坂」(原題「逢坂越えぬ権中納言」)に出てくる歌も印象に残ります。

うらむべきかたこそなけれ夏衣うすきへだてのつれなきやなぞ

------この物語の、主人公・中納言という男性は、なんでも器用にこなせて美貌の持ち主でもあるけれども、解決できない密かな悩みを抱えている。恋する姫君が自分の求愛に応えてくれないという悩みです。そういう、なかなかうまくいかない恋愛を描いた物語ですが、そのラストに登場するのが、この歌です。

蜂飼 夏の衣ですから薄い、しかし、こんな薄い隔てさえ取りのけられない。こんなにそばにいるのに、という歌です。

邸に忍びこんだ貴公子が、姫君に強引に迫ることはできず、その時の切なさをうたっている。最終的に縮まらない距離を嘆く歌です。そういう感情というのは、時代をこえて現代人にも届くものでしょう。そうした意味でも、印象に残る歌でした。

------物語すべてに、蜂飼さんが書かれたエッセイのテクストが付いていることが、本書の構成の特徴でもあります。これがまた独特なスタイルで、エッセイでありながら、解説でもある、というような......。

蜂飼 古典新訳文庫の本のつくりとしては、基本的には巻末に全体の解説が入りますね。確かに、作品全体の解説は、巻末で述べることができる。しかし本書の場合、せっかく短編集なのだから、一編ごとに、私がそれをどんな話として読んだのかをあらわすことで、読者の方にそれぞれの物語が、翻訳の本文を読むという形以外の形でも届くのではないか、と考えました。訳者というより、訳者を含みつつ一読者である私が文章を添えることで、翻訳のつくりとしても面白いものになるのではないかと思ったのです。

------この蜂飼さんのテクストを読んでいて不思議な感覚を覚えるのは、一種の「くりかえし」が行われるからです。たとえば「あたしは虫が好き」を読み終えページをめくると、「『あたしは虫が好き」をよむために」というテクストが始まる。そこには物語の筋に近いものも書かれているから、読者としては物語のくりかえしを体験することになります。

蜂飼 たんなるエッセイでも解説でもない文章を目指したので、ある意味ではあら筋や要旨を書いているといえる側面もあります。くどいかなとも思いつつ、そうしようと判断したのは、原文を現代語に置き換えたとはいえ、現代人が古典を読む時、いくら文章をしっかり追っても、全体が「見えなくなる一瞬」があるからです。

たとえば、人物の名前や官職の言葉などが出てきます。そこにある註を読むために立ち止まると、読んでいた流れが中断され、一編の物語の全体像が一瞬見えなくなってしまう。古典の現代語訳では、そういった「見えなくなる時」が続くことで、読者は読むのをやめてしまったりもする。そういうことに対応したいという気持ちも含め、くどいようでも、筋に近いものも書こうと最終的に判断しました。

また、要所要所においてひとことでまとめることも必要ではないか、と考えて書いた文もあります。先に紹介した「『ついでに語る物語』をよむために」はその代表です。

お話ししたように、寂しげな中宮をなぐさめるためにまわりの人がそれぞれにお話をしていく。「めぐり物語」と呼ばれますが、物語が順々に重なっていくというスタイルです。話が次々に続くので、現代の読者は、読み始めるとただ流れに沿って読んでいってしまう。いったいそれがどういう内容で、ある箇所がどうして肝になるのか、ということをむしろ述べた方が、読者は物語をより多様に楽しめるだろうと、思いつつ書いた文章です。

詩に向かうことと翻訳に向うことの違い

------詩に向うことと翻訳に向うことの違いを教えていただけますか?

蜂飼 翻訳というのは、言葉を置き換える作業ですよね。詩を書くときのような、ゼロから始める作業ではなく、そこにある言葉を別のいいかたにしていく。こういう言葉はどうだろう、ああいう言葉はどうだろうと、自分の中で並べて選ぶという作業なので、それは、ゼロからの創作とは違います。

しかし、単純に置き換えるということでもありません。先に触れた「ついでに語る物語」の終わりのシーン、帝がお出ましになる合図とともに急展開することを示す、原文の短い言葉、これをどのレベルで何をすれば、今の時点でよりよく置き換えたことになるのかという、判断、選択を重ねていくことです。置き換えるということの中身はそういうことですね。現代、現在の時点で、どの方向の、どういう言葉にすると意味があるのか、物語がよりよい方向に進むのか、そういうことを探っていき、置き換えることが翻訳ということなのかな、と思いました。

『堤中納言物語』の現代語に取り組んで、このひとまとまりの物語集にそなわる魅力を改めて知ることができました。ある言葉を別の言葉に置き換えてみることを重ねていく先に、初めて見えてくるものがある。そう思います。
(聞き手・渡邉裕之)

虫めづる姫君 堤中納言物語

虫めづる姫君 堤中納言物語

  • 作者未詳/蜂飼耳 訳
  • 定価(本体860円+税)
  • ISBN:75318-4
  • 発売日:2015.9.9

2016年2月17日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉古いイメージを捨てて「新たな幸徳秋水」。彼は、武力をもって海外に出ていこうとする国家に対して、何をどう主張したのか? 『二十世紀の怪物 帝国主義』の訳者・山田博雄さんに聞く

cover210_atogaki.jpg作家や思想家の中には、とても強いイメージに覆われてしまい、その著作を読むことがなんとなく敬遠されてしまう人物がいます。

日本では、幸徳秋水がその代表的な思想家ではないでしょうか。

今回、幸徳秋水が書いたこの『二十世紀の怪物 帝国主義』を読むと、多くの人が意外に感じ、驚くのではないかと思います。1901年に出された本ですが、そのグローバルなものの見方、29歳の年齢で(よく勉強する明治人だとしても)この豊富な知識! そして、事実に基づく合理的な推論によって展開していく明快な文章。これらのことに、人は驚くと思います。

冒頭に示した強いイメージというのは、大逆事件(1910年)で死刑にあった、強烈な反体制知識人、さらに禍禍(まがまが)しさも伴ったイメージです。

しかし、この本を読みながら、著者を想像すると、文章の明るさからでしょうか、自由、平等、博愛を追い求め、のびのびと生きようとしている青年が浮かび上がってくるのです。

原著は、漢文混じりの文語体で書かれており、それを現代の日本語に「新訳」したのが、日本政治思想史の研究者である山田博雄さん。

山田さんの「新訳」には、なにかちょっと不気味で禍々しい思想家のイメージを塗り替えたいという強い思いがあったようです。

今回は山田さんに、幸徳秋水がどんな人物であるのかを話していただくところから始めました。

山田さんは「訳者まえがき」で書いています。

「幸徳が生きた時代は、「帝国主義」という「怪物」が世界中で荒れ狂っていました。
「帝国主義」が意味する重要な要素の一つは、戦争へと突き進もうとする考え方・政策です」

今の日本も戦争への道を歩もうとしている。そう考える人も多いでしょう。 山田さんの「新訳」による新たなイメージの幸徳秋水から、当時の「帝国主義」について考えていきます。古今東西の歴史上の事実を挙げながら、それをもとに合理的な推論によって展開していく明快な文章は、21世紀の今にもしっかり届いています。

古い「怪物」を通して、今、私たちの目の前にいる「怪物」の正体を知ることができるかもしれません。

自由民権運動を乗り越えて帝国主義を批判する

------幸徳秋水は、どんな人物なのでしょう。古典新訳文庫には『三酔人経綸問答』が入っています(以下の『三酔人─』からの引用は新訳文庫による)。この著者の中江兆民とは師弟関係にあるということですが、その関係性を辿りながら教えて下さい。

img_atogaki-yamadahiroo01.jpg
幸徳秋水

山田 1847年に生まれた中江兆民は、明治時代の代表的な思想家のひとりでありジャーナリスト。自由民権運動の理論的指導者になった人ですね。幸徳秋水は、1871年生まれだから息子世代。二人とも同じ土佐の出身です。

「自由は土佐の山間から」というように、自由民権運動が盛んな土地でした。だから幸徳少年も、国会開設や憲法制定などを明治政府に要求する自由民権という考えには慣れ親しんでいました。16歳の時に『三酔人─』が出ます。17歳で同郷の好(よしみ)ということもあり、大阪で兆民の書生となります。

ここで幸徳は、兆民の日常を見て、思想として語っていることと実際の生活に乖離がないということに感銘を受けるのです。幸徳は、ものの考え方から暮らしぶりまで、もちろん『三酔人─』などの著作も含めて、大きな影響を兆民から受けたのですね。

幸徳はもともと虚弱体質で、よく病気して帰省したりなどもしています。途中の話は端折(はしょ)りますが、若くしてジャーナリストとして活動を開始、そして思想家となっていくわけです。1901年に発表したのが、今回訳した『二十世紀の怪物 帝国主義』です。

img_atogaki-yamadahiroo02.jpg
幸徳の師ともいえる中江兆民

当時は、日清戦争後の「三国干渉」があり、日露戦争(1904年開戦)に向ってロシアとの開戦へ世論が押されていく時代。その中で幸徳は、ひとつの国家が、その民族主義の拡大や経済繁栄のために、軍事力を背景として他の国家を侵略し、民族を抑圧する政策である帝国主義を痛烈に批判、それを踏まえ反戦論を説きます。戦争は少数の資本家や企業が利益を得るだけだ、ということを正確に指摘しています。

その後、1905年から6年にかけて幸徳はアメリカに渡航、そこでの経験を踏まえ、帰国後、直接行動論を提唱することになります。「直接行動」といっても、爆弾を投げるとかいうことではなくて、同盟罷工(どうめいひこう)つまり「ストライキ」などを行うという意味ですが。

しかし1910年、政府は大逆事件というでっちあげ(フレーム・アップ)によって、幸徳その他の社会主義者を逮捕します。明治天皇暗殺計画を企てたとして。翌年に死刑執行。まだ39歳の若さでした。

------鮮烈な人生を生きた幸徳だったわけですが、その人生の中で中江兆民から大きな影響を受けているんですね。先生である兆民が書いた『三酔人─』と、『二十世紀の怪物 帝国主義』の関係性はどうなりますか?

山田 この『二十世紀の怪物 帝国主義』は、『三酔人─』の続編みたいないところがあります。『三酔人─』の「洋学紳士」的な考えの一面を押し進めるというか。要するに「自由・平等・友愛」の主張ですね。それに「社会主義」という考えを加えるわけです。

『三酔人─』は、自由民権運動を通して近代化を考えてきた兆民が、では、国際社会の中で日本がどのように独立を維持していけるのかを考えた本です。表現形式としては、紳士君と豪傑君、そして南海先生という意見の異なる三人が、酔っぱらいながら議論をしていくという形になっています。

丁々発止の論議が展開し、最後は、紳士君と豪傑君の二人が南海先生に「日本の将来のヴィジョンをどのように作り上げたらよいか、先生のお考えを」という場面になる。

すると先生は、ともかく立憲制度を確立し選挙を行い議会を設置、憲法を制定し、それに則って外交政策をとればいいという。

それを聞いた紳士君・豪傑君の二人は、思わず笑って「もし今、おっしゃったようなことなら、今どきの子供や使い走りでもそのくらいのことは知っている」といったりする。

南海先生ばかりではありません。この本では登場人物の三人が三人ともそれぞれに批判されます。

『三酔人─』の面白さは、明晰な自己批評を踏まえたユーモア感覚で書かれているところにあります。他面では兆民の苦渋を表してもいますが。この本は、諧謔的な笑いを伴いながらも、ともかく自由民権運動が希求してきた国会開設、憲法制定が大切なんだというところでとりえあえず終るんですね。発表されたのは1887年、自由民権運動が最後の光芒を放った「大同団結」の時期です。

それから14年後の1901年『二十世紀の怪物 帝国主義』は発表されます。この14年の間に、大日本帝国憲法が発布(1889年)され、帝国議会が開かれます(1890年)。さらに日清戦争(1894年開戦)もやっていた。

img_atogaki-yamadahiroo03.jpg
日清戦争を描いた浮世絵。題材は、1894年9月の平壌の戦い。

この中で幸徳は、自由民権運動だけでは十分でないという考えにいきつく。

議会、憲法ができたということで、自由民権運動をやっていた連中の中には、やれやれといってそのままになってしまっている人がいるけれど、それではいけないと考えたのでしょう。

たとえば憲法発布の当日の兆民の様子を、幸徳は記録しています。兆民は憲法を読んで「唯(ただ)苦笑する耳(のみ)」だったと。それなのに、内容も見ないで憲法発布を喜び騒いでいる多くの日本人の姿をみて、幸徳もウームと感じたのではないでしょうか。

もう一つは、自由民権運動が、ある意味で「貧乏になる自由」を認めることにもなったということです。自由競争だけを良しとすれば、"格差"が生じるのもある意味、当然でしょう。まぁ世界は広いので貧乏になる自由を好む人もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、死活問題の人々も少なくありません。

要するに自由民権運動だけでは足りないという、その最大の理由は貧困問題です。日清戦争後に貧民の問題が出てきました。横山源之助の『日本之下層社会』が出版されたのは1899年です。いいかえれば、自由民権運動が抱えてしまっている自由思想は、いわゆる社会進化論の弱肉強食に容易に結びつく。貧困問題を解決するどころか、貧民をより苦しめるだろうと考えたわけです。

img_atogaki-yamadahiroo04.jpg
日露戦争の海戦で活躍した戦艦「三笠」の後部砲党(防衛省防衛研究所提供)

------そういった現状批判を踏まえ、日清戦争後の日本が日露戦争へ向っていこうとする時、幸徳はその流れにものをいったわけですね。

山田 本書で、幸徳は、帝国主義のことを「愛国心+軍国主義」といっています。愛国心の「愛」は、別にそれ自体は良くも悪くもないものと思います。郷土愛というような意味では。しかし帝国主義を叫ぶ政治家などはそれを悪用する。国を愛するといいながら、実は自国民に対する愛なんかないのだと、幸徳は批判します。富豪や資本家は、同国人に対していかに「慈悲心」や「同情心」がないことか、と。その典型的な例としてあげられるのは、たとえば本書49〜51ページにあるナポレオン戦争後のイギリスです。自国の貧困問題が発生しているのに、なんで戦争なんだと。日本もまた同じ。国内問題は多くあり、苦しむ人は多くいるのに、外国に対しては日本は素晴らしい国で、強い武力をもった国だといって威張っている。見事に帝国主義の本質をズバリと突いています。それが『二十世紀の怪物 帝国主義』です。

img_atogaki-yamadahiroo05.jpg
日露戦争で勝利した満州軍総司令部の凱旋式(新橋)。(防衛省防衛研究所提供)
思想を伝える言葉の説得力とリズム感

------原書は、漢文混じりの文語体で書かれているのですね。どんな文章ですか?

山田 声に出して読むとよくわかると思いますが、切れ味鋭い文章だと思います。思想が音によって運ばれていくとでもいうか......。たとえばこんな文章。

「盛なるかないわゆる帝国主義の流行や、勢い燎原(りょうげん)の火の如く然(しか)り」

倒置法で強調したいことを最初にバシッという。おそらく英語の感嘆文、あるいは漢文の口調でしょう。そして漢語表現の特徴のひとつですが、言葉の圧縮力があります。さらに「火の如く然り」といって勢いをつけて、スパッと言い切る。

訳文では、「いま、帝国主義の流行はなんとも勢いのいいことだ。まるで野原に火の放ったような手のつけられない勢いである」としました。......漢語表現をなるべく使わないで文に勢いをつけるのって難しいですね(笑)。

それから幸徳の文章は、しばしば読者に決断を迫るような訴えかけの言葉が出てきます。

「ああ帝国主義よ」といって、「お前は、進歩か、腐敗か。福利か、災禍か。天使か悪魔か」と書く。これは帝国主義自体に呼びかけていると同時に、読者に「さあ、おまえはどう考えるのか?」と決断を迫っているわけです。

------その言葉のノリでいけば、次に「じゃあ、おまえは何をする?」と迫ることになる。つまりオルガナイザー的な言葉でもあるんですね。

山田 そう、説得の技術がある。なぜそうなるのかといえば、いいたいことがはっきりしているから。そういう意味でいえば、この本は非常にわかりやすい本だと思います。

それからユーモア感覚。大笑いじゃないがニヤリとさせる皮肉の効いた笑い。

------「幸徳秋水」っていう人物は、なにか怖い人というイメージがあります。だから、ユーモアがある文章を書く人だと思いませんでした。

山田 どうも「幸徳秋水=怖い人」というのは、まさに大逆事件で権力が作り上げたイメージではないでしょうか。幸徳はユーモア感覚が豊かで、皮肉も言うし風刺もする。頭に血がのぼって冷静さを欠き、自分の言いたいことだけを一方的にいうのではなく、事実をよくみる、そして相手の論理もよくみて、その矛盾を突いていく。対象との距離が、乾いた笑いを生んでいますね。本書の至るところにそれをみることができます。笑いの要素は、兆民の『三酔人─』にも共通します。

たとえば日清戦争後の日本について幸徳はこう書いています。

「国民が苦労して手に入れたお金や財産をしぼり取って、軍備を拡張し、生産的であるべきはずの資本を非生産的なもののために使い果たす。その結果、物価の高騰を招き、輸入の超過を引き起こす」

そして次に「愛国心をふるい立たせた結果がこれだ。頼もしいものだな」と続ける。

こういう皮肉で日本の政治や社会をじわじわと批判しながら、いうべきところではメッセージを明確に発信する。それもリフレインを使ってリズミカルに。

たとえば、本文77ページの「本当の文明の進歩とは、こういうものなんだ」と語るところは、3つのメッセージを書くのですが、その3つの文の頭には、すべて「故に知れ」という言葉を置く。語頭に同じ音をくり返す、「頭韻(とういん)」ですね。

1番目が「故に知れ、迷信を去って智識に就き、狂熱を去て理義に就き、虚誇を去て真実(トルース)に就き、好戦の念を去て博愛の心に就く、これ人類進歩の大道なることを」(だから知らなくてはいけない、迷信を捨てて知識を求めること、熱狂を取り払って理想と道義を求めること、内容空疎な誇りを捨てて真実を求めること、好戦の念を取り払って博愛の心を求めること、これが人類進歩の王道だということを)

次の2番目は「故に知れ、彼野獣的天性を逸脱すること......(後略)」となる。

3番目は「故に知れ政治をもて愛国心の犠牲となし......(後略)」とパシッ、パシッとリズミカルに続く。

------まさに文語的表現! 声に出して読むと、そのリズム感でより説得的になります。

山田 明治20年代くらいまでは、新聞でもみんな声を出して読むのが普通だったといいます。そういった読書環境を踏まえて書いた、舌によく馴染む言葉の中に社会主義のメッセージを流し込んだ書物、それがこの『二十世紀の怪物 帝国主義』だったといえるのではないでしょうか。

------また、そのメッセージが非常に明晰なんです。

山田 今の言葉でいえばグローバルな視点で書かれている。当時の日本が行おうとしていた帝国主義を、幸徳は世界の動向を分析しながら批判した。

幸徳は、世界的な視野から、大資本家と権力が重なった恐ろしい状態を、帝国主義の本質と見なして批判した。これは1901年発表の本ですから、帝国主義を批判した二大論者ホブソンとレーニンに先駆けての帝国主義批判です。その意味でもすごいことを29歳の幸徳秋水は行ったわけです。

------その優れた思想家が、1910年大逆事件で逮捕、翌年に処刑されます。

山田 世界的な視野でものをいう思想家は、権力にとって本当に恐ろしかったのだろうと思います。本書を読めばわかりますが、彼の反戦論、非戦論は理にかなっているでしょう。

その頭脳明晰な思想家がアメリカに行き、他国の労働者や社会主義者の運動を知り、人びとと交流し様々な経験をして、帰国します。その後に説いたのは「直接行動」でした。先ほどもいいましたが、「直接」といっても爆弾を投げるとかいっているわけではない、議会を通して主張をするのではなく、日常の生活、労働現場で行動しようということです。たとえばストライキを行おうと。

img_atogaki-yamadahiroo06.jpg
サンフランシスコを訪れた時の幸徳秋水(前列左端)

------その「直接行動」を誤読するような形で、権力は幸徳を逮捕する。天皇への「直接行動」テロを計画した人物として、この思想家を捕らえた。

山田 「誤読」というよりは、権力者の幸徳一派に対する恐れから生じた「でっちあげ」ですね。その処刑の前に、獄中で幸徳が書いた文章を、この本には入れました。それが「死刑の前(腹案)」です。

スラスラと読める、非常に透明感のある文章です。自分は今、死刑に処せられようとしている。「けれども今の私自身にとっては、死刑は何でもないのである」と幸徳は書きます。

なぜなら「ものの本質には、もともと終わりもなければ始めもなく、増えもしなければ減りもしない」と考えるからだと。

物体は存在する限り形は変わるとしても存在そのものがなくなる、ということはないと考えるわけです。徹底的な唯物論です。これは中江兆民の影響でしょう。兆民は唯物論の立場から、死ぬことは物質としての存在がなくなることではないとずっといってたんです。『続一年有半』で書いています。釈迦(しゃか)やイエスの霊魂は消滅してすでに長い時間が経つけれど、路上の馬糞は世界と共に悠久であると。これが兆民哲学の象徴的な表現です。釈迦やイエスと馬糞をならべて論ずるというのもいかにも兆民的ですが(笑)。

それはともかく、「死刑の前」というこの透明感のある文章を残して幸徳は死刑にされたわけですが、その後、幸徳はその著作を読むことが非常に難しい思想家になってしまった。幸徳の書物はすべて発禁処分にされたからです。『二十世紀の怪物 帝国主義』が復刊され、人々がこの文章を読めるようになるのは、第二次世界大戦後、なんと1952年になってからのことです。

幸徳の非戦論で、日露戦争を止めることはできませんでした。しかし、幸徳は非戦の可能性がゼロじゃない限りはやってみた方がよかろうと、身をもって示した人でした。事実、その効果というか影響はゼロではなかった。幸徳が死刑になったことが、そのなによりの証拠でしょう。

------それにしても、一人の人間を国家が消し去ってしまう死刑というのは強力ですね。今日、インタビューをしていて、2015年に生きている自分が「幸徳秋水」という字面に、ある禍禍しさを感じているのだということに気づきました。この人物とユーモアが結びつかなかったのです。処刑から100年以上たっているというのに、まだ、その威力は続いている気がします。

山田 死刑という結果から見て、よほどすごいことをやってしまったんだろうという話になるんですね。幸徳自身が「死刑の前」で書いているとおりです。今回の「新訳」で私が望むことの一つは、その禍禍しいイメージを払拭させることです。

幸徳秋水は、グローバルな視点で日本を見ることができた思想家であり、ユーモア感覚もあり名文家であったこと。このことを多くの読者に伝えたいと思いました。

------この本をきっかけにして、若い読者の中には大逆事件に興味をもつ人がいるかもしれません。そんな人たちにお勧めの本はありますか?

山田 大きな本ですが、神崎清さんが書かれた『革命伝説 大逆事件』(全4巻 子どもの未来社)がよいのでは。大逆事件を総体的に描きだしてこの本を超えるものはありません。この事件で処刑された人たちの汚名を晴らそう、真理を解き明かそうという情熱がひしひしと感じられる本です。まだ存命だった事件関係者からの話もいろいろ記録されています。

大逆事件は日本という国家にとって非常に深い意味のあることなので、関連するさまざまな本が出ています。神崎さんの本をきっかけに、そういった書物を探し出していけばよいと思います。

img_atogaki-yamadahiroo07.jpg
大逆事件で処刑された幸徳秋水と菅野スガ。菅野は新聞記者であり社会主義活動家。
幸徳とは恋愛関係にあった。
山田博雄さんが研究する「日本政治思想史」について

------さて、これからは山田さんのことについてお話を聞かせて下さい。専門は、「日本政治思想史」ということなんですが、どういう学問なんですか? 

山田 学問の方法は様々あるのですが、私がしているのは、過去の思想家の思想を読んで、そこに見える政治や文化、社会に対する考え方を、今日のそれらに対する考え方と比較するというものです。何のために? 自分がいま生きている状況を把握するために、です。あるいはそれによって、いまある状況のよりよい方向性を探るために、ということになるでしょう。

私がとりあえず対象としていたのは、中江兆民と福沢諭吉。明治思想界の二大巨頭ですね。

どうしてこの二人なのかといえば、根本的な問題を突き詰めて考えようとしたからです。根本的な問題というのは、今日の言葉でいえば「近代とは何か」ということになります。

その「近代」とは、一つの定義として、「個人の尊重と平等とを基礎とした社会体制」とでもいいましょうか。つまり民主主義。士農工商から四民平等へ、ですね。中江と福沢が活躍していた時代は、試行錯誤の時代でした。欧米に学んで「近代」なるものを手探りで考えている時代。ことに明治ヒトケタ代は。そのいちばん最初の原点から日本の近代、ひいては現代を考えてみることが大切だろう、と思ったわけです。いま振り返って整理すれば、ということですが。

ところが幸徳の場合は、中江や福沢よりも年齢が下ですから、社会がある程度できあがってくる。大金持ちもいるようになって、体制を壊されたくないと考えたりするから、「個人の尊重と平等とを基礎とした社会体制」という民主主義の問題点がはっきり現れてくるわけです......。

------この研究を志したきっかけは?

山田 う〜む、その質問が一番難しいですね(笑)。こうなったから、こうなったんだとでもいうか(笑)。まるで『三酔人─』における進化論の話みたいですが(笑)。でもそれが事実に近いです。ただ、強いてあげるとすれば......、大学1年の時、一般教養科目で、日本思想史の家永三郎教授の「史学」の授業に出たことが何がしか影響しているかもしれません。同じ頃、加藤周一の「戦争と知識人」という論文を読んだのも大きかったですね。両者に共通するのは、アジア太平洋戦争、そして戦後日本をいかにとらえるかということです。

加藤周一については、たまたま家に『頭の回転をよくする読書術』というのがあって、高校生の時に読んでいました。不思議な縁ですが、この本、光文社のカッパブックスでした(笑)。その頃から、加藤周一という人には注目していました。なにしろ、いうことがとても面白くて、実に明快な語り口で、一読、圧倒されたという感じです。「読書術」という書名ですが、単なる読書の技術的な話を超えて、この世界において人生いかにいくべきかを説いているとも感じられたんです。大げさのようですが、田舎の素朴な高校生にはそう感じられたようです(笑)。考えてみると、幸徳の『二十世紀の怪物 帝国主義』の発想や書き方にも、通じるものがありますね。

で、ともかく大学で加藤周一をはじめ、いろいろ読んでいくうちに、日本人の思想と行動、といったことをよく知りたい、というように段々となっていった、という感じなんですね。

------加藤周一さんが、研究のきっかけの一人だったというお話しを聞いて、納得しました。というのは、本書の「解説」で山田さんが書かれていた、次の文章がとても印象的だったからです。

「幸徳が名文家であるのはよく知られた事実だが、文章の上手さは重要だ。「何を書くか」だけではなく「いかに書くか」を工夫すればこそ、多くの読者に読まれるのだから」

そう山田さんは書いて、今回の「解説」では幸徳の考え方だけでなく、表現のスタイルを多く語っています。この文章は、政治思想を語るものとして、とても面白いものでした。

翻って加藤周一さんのことを考えると、あの人は、国際的な政治状況などを語ると同時に、文学的教養もセンスももっていて、それをバランスよく表現できている物書きでした。

単に思想を伝えるのではなく表現スタイルにも目配りをするという山田さんの姿勢は、そこからきたのかと思ったのです。

山田 「戦争と知識人」が扱っているのは、知識人の「転向」の問題です。つまり知識と生き方とがどう関係しているのか・いないのかに注目して書かれた論文といえるでしょう。その点が非常におもしろかったのです。一方で加藤さんの文体です、興味を引かれたのは。内容と文体、その両者に引かれたことは、後に読むことになる日本政治思想史の丸山眞男にも共通するものでしょう(もちろん加藤と丸山はちがう点もありますが)。

そんな私から見ても、幸徳秋水は、魅力的な表現スタイルをもった思想家です。

そして今回、私の「新訳」の目標は、あたりまえのことですが、読んでそのままわかる日本語にすることでした。さらにいえば、漢文という壁や、大逆事件による禍禍しいイメージを乗り越えていける、現代の日本語にしようと思って訳したものなのです。気軽に『二十世紀の怪物 帝国主義』を手にしていただきたいですね。100年以上も前にああいうことを幸徳が考えてくれているんですから、パラパラとページをめくって、あれこれ自分でも考えてみるのも面白いのではないでしょうか。「あとがきのあとがき」でなくて、「まえがきのまえがき」みたいですが(笑)。
(聞き手・渡邉裕之)

二十世紀の怪物 帝国主義

二十世紀の怪物 帝国主義

  • 幸徳秋水/山田博雄 訳
  • 定価(本体860円+税)
  • ISBN:75311-5
  • 発売日:2015.5.12
三酔人経綸問答

三酔人経綸問答

  • 中江兆民/鶴ヶ谷真一 訳
  • 定価(本体1,040円+税)
  • ISBN:75286-6
  • 発売日:2014.3.12

2015年12月 7日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉プーシキンの言葉の穴の深さ、背後の広さを測量する 『スペードのクイーン​/ベールキン物語』の訳者・望月哲男さんに聞く

cover205_atogaki.jpg ある日、トランプを使ったゲームが終った後に、「必ず勝つという3枚のカード」のエピソードが披露され、それを信じた青年の物語が始まります。伯爵夫人が知っていたカードの秘密を手に入れた青年の運命はいったいどうなるのか......現実と幻想が錯綜するプーシキンの代表作『スペードのクイーン』です。

そして、皮肉な運命に翻弄される人間たちを描く5作の短編で構成されている『ベールキン物語』。たとえばロマンチックな駆け落ちのシナリオが天候の気まぐれによって書き換えられてしまう物語(「吹雪」)、家同士の争いと変装をモチーフとする地主貴族の娘のロマンス(「百姓令嬢」)という具合です。

確かに、ここに収録された作品を読んでいくと、プーシキンが現代のロシアでも広く読まれ愛されられていることが納得できます。

そして、今回のこの文庫は、付された「読書ガイド」が実に興味深いのです。この解説がなければ、ただ「オモシロイ小説を読んだ〜」で終ったのかもしれません。

翻訳をした望月哲男さんは北海道大学の特任教授。古典新訳文庫ではトルストイの『アンナ・カレーニナ』、『イワン・イリイチの死/クロイツェルソナタ』、ドストエフスキーの『死の家の記録』を訳しています。その望月さんが書かれた「読書ガイド」は、プーシキンの作品を巡る様々な論者の「読み」が競い合う「読書ゲーム」ともいうべき魅力的な読み物になっているのです。

今回は望月さんに、プーシキンの魅力を語っていただくとともに、その「読書ガイド」を書くに当たって意図されたことをお聞きし、そこからさらにもう一歩踏み込んで、プーシキンのならではの言葉の特性を探求していきたいと思います。

レーニンバッジにプーシキンバッジ! この国民的作家の愛され方

------まず、プーシキンが現代のロシアでどう読まれているのか、教えていただけますか。

img_atogaki-mochizuki01.jpg
『アレクサンドル・プーシキンの肖像画』
(キプレンスキー作、1827年、
トレチャコフ美術館所蔵)

望月 ロシアの本屋さんは、古典志向が強いんですよ。日本だと売れ筋の現代作家の読み物が前の台に平積みにされ、古典文学なんていうのは、ずっと奥にあるものですが、ロシアの場合は現代と古典の区別が緩く、文学系の書物一般が本屋の広いところを占めています。その中でもプーシキンは大物ですから、一番目立つところに置かれています。

研究者用の難しい本もありますが、一般読者用のきれいな装丁の本や子ども用の絵入りの本も並んでいます。この詩人の作品は、童話風の物語が展開されるものがあるでしょう。絵が付けやすいんですね。お化けみたいなものや美女も出てきますし(笑)

------日本の作家でいったら、誰になるんでしょう?

望月 う〜ん...宮沢賢治と夏目漱石を合わせた人みたいな感じでしょうか。

------国民的な作家なんですね。そんなプーシキンが、現代ロシアで、どんな風に親しまれているのですか?

望月 それを知るのにちょうどいい本があります、坂庭淳史さんという早稲田大学のロシア文学研究者の方が、『プーシキンを読む』(ナウカ出版)という本を昨年(2014年)出版されたのです。そこにこんな光景が書かれている。

img_atogaki-mochizuki09.jpg
チョールナヤ・レーチカにある
プーシキン決闘の場の記念碑(写真=坂庭淳史)

プーシキンは1837年に、37歳の若さで決闘で亡くなったのですが、その決闘の地チョールナヤ・レーチカに坂庭さんは行ったんですね。そこには記念碑が立っていて、傍らの陽のあたるベンチで、若いお母さんが子どもにプーシキンの本を読んであげているという光景です。これなんかプーシキンの愛され方をよく表していますね。読書の世界では、今でも生き生きと感情移入できる同時代詩人として受容されているんです。

坂庭さんはモスクワにあるプーシキン記念第353中学校という学校についても書いています。これは没後100年を記念して1937年に開校された学校で、毎年プーシキン祭というのをしているんです。プーシキンの作品をベースにしたお芝居などを上演する他、子どもたちが描いた絵や看板などの展示もあるようです。

プーシキンが死んだのは、先ほど言ったとおり1837年ですから、あと20年ちょっとしたら没後200周年ということで、大騒ぎが始まりますよ(笑)。実際、生まれが1799年ですから、世紀の変わり目毎にプーシキン生誕祭が行われるのですが、これも大きなイヴェントです。

------どうしてそんなに人気が?

望月 プーシキンは、何よりもロシア詩の表現性、叙情性、物語性を広げた天才的本格詩人であり、同時に皇帝の権力に言葉で対抗するような、自由で反逆的な精神の代弁者であり、また一方で、女性を愛し、賭け事に熱中し、決闘事件を起こすような、無頼者的なところもある。

img_atogaki-mochizuki04.jpg
ソ連時代のプーシキンバッジ
エレガンスと悲劇性とトリックスター的なものが同居していて、ひとつの個性にまとまらない面白さが、最大の魅力でしょうね。

風貌もいい。ちょっとアフリカの血が入っていて浅黒く、サル顔とからかわれたりもする顔立ちなんですが、それが魅力なんですね。

比べるのは適切か分かりませんが、あの国にはレーニンという人がいまして(笑)、彼にはカルムイク人の血、つまりモンゴル系の血が入っている。

二人は全然タイプが違いますが、いわゆる純ロシア系でないエキゾチックな風貌という点では共通しています。だから、キャラクターとしていろんなところに使われる。たとえば、ソ連時代には、レーニンバッジにプーシキンバッジ!(笑)。

------ゲバラのTシャツみたいに?

img_atogaki-mochizuki05.jpg
レーニンバッジ

望月 まさにそれ! そんな風に愛されていました。ただしもちろんレーニンバッジは、共産党青年団の若年下部組織であるオクチャブリャータとかピオネールといった集団のシンボルとして、よりオフィシャルに使われていたのですが。

------プーシキンの魅力を作品で教えて下さい。何か、これという詩をひとつお願いできませんか。

望月 私好みの詩をひとつ紹介しましょう。彼にとってゆかりのあるペテルブルグを詠った詩です。

「華やかな町 貧しき町
虜囚の気分 風雅な景観
空はどんよりと生気なく
倦怠 冷気 御影石...
でも僕は ちょっと去りがたいのだ
なぜならここを時々
かわいいあんよが行き来して
金の巻き毛がゆれるから」

------前半は、ペテルブルグという都市が倦怠感のある感じで描かれていて、後半は、そのイメージをひっくり返して、ストリートを闊歩する女の子が出てくる、さっき望月さんが話してくださった詩人のイメージですね。

望月 そう、前半は都市文化に対抗する反逆の詩人で、後半は色好みのプーシキン。それがひとつにぱっと組合わさった作品です。しかもよく見ると、ペテルブルグという都市自体も、華麗さとうら寒さの両面から捉えられています。もっと優れた詩もありますが、プーシキンのことをよく表した作品として選んでみました。

今でも彼の詩は多くの人に愛されています。ロシアでは誕生日に娘さんが詩を一節朗読したりすることがあるのですが、プーシキンの作品が一番読まれているといいます。

------それだけロシアで愛されているプーシキン、日本ではどうでしょう?

望月 明治期から訳されています。明治時代初期から中期にかけて、日本では散文体の模索が行われていました。小説というものを書くのに、どんな文体がいいのかということで様々な実験が行われていたんです。

その試みのひとつとして、二葉亭四迷はツルゲーネフのロシア語を媒介にした新たな散文体を作り上げました。翻訳という作業が小説のスタイルを作るということと連動していたわけですね。

その散文体が評判になったこともあり、ロシア文学が多く訳されていきます。ツルゲーネフを始めとしてゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、そしてプーシキンも訳されます。

プーシキンではプガチョーフの反乱という史実に基づいた『大尉の娘』という小説が最初です。いちばん有名なのが『エウゲーニイ・オネーギン』ですが、これが訳されるのは、しばらく後でした。全文韻文で書かれた、まさに詩人の小説で、ある一定のリズムで韻を踏みながら、当時の若者の複雑な感情や心理を描いていくという、高度な技術を駆使した作品です。

今読める『エウゲーニイ・オネーギン』の代表的な翻訳は、池田健太郎さんが1962年に訳されたもの(岩波文庫)と、木村彰一さんが1969年に訳されたもの(河出書房新社の『プーシキン全集』、および講談社文芸文庫)です。池田さんの訳は韻文ではなく散文訳になっています。

プーシキンはすでに大半の作品が訳されて全集の形になっていますが、詩作品の訳というのは、音やリズム、イメージの凝縮力が関わっていてとても難しいのです。だから、詩人としてのプーシキンの魅力、あるいは詩人が書いた小説の面白さをしっかり日本人の読者に伝えるのは、いつまでも難しい課題だと思います。

プーシキンの粒立った言葉、その文章のスピードについて

------そして今回、望月さんは『スペードのクイーン』と5作の短編からなる『ベールキン物語』を訳したわけですが、これらの作品を選んだ理由を教えていただけますか?

img_atogaki-mochizuki02.jpg
ロシア語版『駅長』
(『ベールキン物語』所収)

望月 まずプーシキンを訳そうと思ったのは、詩人が書いた散文小説の独特な魅力に惹かれるところがあったからです。プーシキンにせよレールモントフにせよ、19世紀初期のロマン主義の詩人たちは、詩だけでなく散文にもチャレンジし、ジャンルにおいても小説、戯曲などへの展開を試みています。つまり明治期の二葉亭たちと同じように、散文物語のスタイルを模索していたのです。そういった時代の小説作品は、テーマ的にも形式的にもなかなか面白いし、また翻訳という観点からしても興味深い部分を沢山備えています。もっと多く読まれてもいいと思うのですが、実際にはトゥルゲーネフやドストエフスキー以降の長編小説の影に隠れてしまっている観があります。そんな思いから、まずプーシキンが最初に完成した小説『ベールキン物語』と、彼の中編小説の完成形と思える『スペードのクイーン』にアプローチしてみようと思ったのです。

『ベールキン物語』を選んだのは個人的な思いもありました。私は大学の3・4年次に、木村彰一というロシア文学研究の大家に教えていただいたのですが、3年次の授業の題材が『ベールキン物語』だったのです。当時使った本を今でももっているのですが、それを開くと、当時の私が書いたつたない書き込みが見られます。単語の意味やアクセント記号が、ページ全面にべたべたと書き込まれている。しかも先生に教わった分、すなわち5作中、3作だけ一生懸命書き込みがされているのです。翌年には『エヴゲーニイ・オネーギン』も習ったのですが、こちらの教科書は、何かで怠けたせいか、実にずさんな書き込みしかないのです(笑)。

ということもあり、この物語は、若い頃の記憶と結びついた、懐かしい作品です。ただし、両作品を訳すのにはためらいもありました。有名な神西清さんの翻訳(岩波文庫)があるからです。『スペードの女王』(『スペードのクイーン』)は1933年、『ベールキン物語』は1946年の訳ですから、言葉遣いという点では少し古いところも当然ありますが、文意の把握やスピード感、リズム感といった点で、決して古びていない。名訳なんです。この神西訳に何を付け加えることができるだろうかという迷いやたじろぎもありましたが、これらの作品への挑戦自体があまりに魅力的な課題だったため、「えい、やっ!」と翻訳をさせていただきました。

------翻訳では、どこが苦労したところですか?

img_atogaki-mochizuki07.jpg
ロシア語版の
『スペードのクイーン』の表紙

望月 詩人の文章というのは、意味というのか音というのか、言葉が粒立っていて、なかなか手強いのです。さらにプーシキンの場合は、文章がスピーディー。文と文の間に的確な距離があってダラダラしない、間合いの作り方が絶妙です。だから複雑な物語なのに非常に短く書かれてある。

そんなふうに日本語でできるのか、悩みました。翻訳の方もそういう文章にしたいのですが、はたしてどうなるか。スピーディーだからといって単純ではない、意味の裏表がある文章になっている。実際、プーシキンの言葉は、意味を限定することが難しく、ある種の多義性が保たれている。言葉のスピード感と多義性を残すこと。これが実に難しかった。

------では、作品についてお話を聞かせ下さい。『スペードのクイーン』は、カードゲームをモチーフにした小説です。偶然に翻弄される賭け事の快楽と恐ろしさを、物語として実にうまく作り込んでいます。

ここに出てくるカード賭博の妖しさにまいりました(笑)。

本書に付されている「読書ガイド」で望月さんは、プーシキンが生きていた社会の抑圧性に触れつつ、賭け事の意味を書いています。これが ドキッとする文章でした。あれは、ギャンブル中毒の友人なんかに読ませたいですね。

望月 この小説に出てくる賭博ということついて、「ちょうど決闘と同じように、抑圧的な社会にあって個人の自由な選択や裁量が保障される、数少ない自己発現の舞台でもあった」と書いた私の言葉ですね。

プーシキンが生きた「抑圧的な社会」について話しましょう。

19世紀、それも前半の時代に想像力を飛ばしてみると、国家と人々の関係が変わってきた時代だということが見えてきます。その前の封建的な社会というのは、貴族というのはそれぞれの領地をベースにした「一国一城の主」という存在でした。しかし18世紀以降国家の力が強くなってくると、そうはいえない状態になってきます。中央集権的になると、ある地域の主というよりは、国家の中枢にいる皇帝に仕える軍人あるいは公務員みたいな存在になってきます。

こうした19世紀前半のロシアの社会情勢の変化の中で、貴族たちもさまざま考えをしていく。とりわけヨーロッパの新しい思想に触れることができた知識階級は、皇帝と自分の関係はこれでいいのかと思案しだす。皇帝の家来だけの存在として扱われていいのか、さらには皇帝による専制政治ではないヨーロッパのような国家を夢見るようになってきます。

そういった考えの人はそれなりにいて、プーシキンも交流をもっていました。そのような貴族出身の青年将校たちが、専制政治と農奴制の廃止を目指し1825年12月に蜂起した。12月をロシア語でデカブリというので、デカブリストの乱と呼ばれます。このクーデターの試みは、すぐに政府軍によって鎮圧され、首謀者たちは死刑、その他の者たちもシベリアなどに徒刑となります。

こうした事態収拾も貴族たちにはショックだったようです。先ほど一国一城の主といいましたが、少し前の貴族というのは、処刑や体刑はまぬがれる存在だったのです。まさに特権階級だった。そのはずが、死刑に流刑です。はっきりと国家権力から「おまえらは家来なんだ」と明示されたわけですね。

img_atogaki-mochizuki06.jpg
デカブリストの乱を描いた絵。場所はサントベテルブルグの元老院広場

デカブリストの乱以降のロシアは、貴族たちにとっては非常に抑圧的な社会と感じられたでしょう。政府の側も貴族知識人や文人を警戒して、政治警察や検閲の制度を強化させます。社会には鬱々とした気分が蔓延する。それではどうするか。小さな世界で気分を発散させるしかないですよね。場としては貴族の屋敷です。そこに仲のよい人が集まって議論をしたり酒を呑んだり、そう、賭博をするんです。

この『スペードのクイーン』で青年たちが夢中になっているカードゲームも、抑圧的な社会があってこその魅惑的賭博です。

狭い場所で、国がやっているゲームとは違ったゲームをする。えてして深刻な結果をもたらすものですが(笑)、ゲームをしている時は自分が主人公だと思える。誰にも文句をいわせない、ここだけは自分の責任で生きられる世界、それが賭博の場なのです。 『スペードのクイーン』に出てくるカードゲームの妖しさは、当時のロシアの青年たちの気持、数少ない自己発現の舞台に熱中する心情を考えると、より魅惑的なものに思えてきます。

様々な論者の「読み」が競い合う「読書ゲーム」ともいうべき解説

------望月さんは、『スペードのクイーン』に対して、このように当時の社会状況を背景とした賭博熱という切り口とする読み方を書いているのですが、実は、それは「読書ガイド」で、紹介されている幾つかの「読み」のひとつに過ぎません。

今回の「読書ガイド」の特徴は、『スペードのクイーン』と『ベールキン物語』を巡る多様な読解の仕方を幾つも紹介しているところです。結果として「読書ガイド」は、様々な論者の「読み」が競い合う「読書ゲーム」ともいうべき魅力的な読み物になっています。

望月 古くは戦前、新しいのは1980年代くらいかな、20世紀のいろいろな時期に文芸評論家や研究者が発表した、様々な「読み」を紹介しました。

19世紀の文芸批評というのはテーマ主義が主流でした。作品の中にテーマを発見して、その社会的意義を考えるというものです。

20世紀になると、様々な学問や思想が文芸批評に入り込んでくる。たとえば言語学、精神分析、マルクス主義的な社会論、あるいは文化人類学、こうした様々な学問の方法を使って小説を分析していくと、今まで見えなかったものが浮かび上がってくる。この豊穣さの一例として、プーシキンの小説の多彩な「読み」があるわけです。

たとえば『スペードのクイーン』のカードゲームに熱中する青年の行動を精神分析学で読み解いている者もいれば、この小説にファウスト伝説の要素を読み取ろうとする研究者もいます。また、青年が手にいれた秘密の掛け札の番号「3・7・1(A)」は何を表しているのか、ある人はフリーメイソンのシンンボル体系で読み解けるといい、デカブリストの乱と関連する暗号ではないかと考える者もいる。実際にアナグラム解読を試みた例もあります。

『ベールキン物語』は5つの短編の連作なのですが、各作品を四季折々の物語と解き、さらにその季節が4つの文学ジャンルと関連していると考える研究者もいます。では、欠落する5番目の物語は何かといえば「幕間」であり、それに関連する文学ジャンルも説明するという念の入れようです。

あるいは「パロディの詩学」として読み解いている人もいます。「射弾」という物語はバイロンやユゴーらのロマン主義的小説のパロディであり、「吹雪」はルソー、スタール夫人らの小説を意識しているという具合です。

------どうしてこのような、様々な「読み」が並ぶものを書こうと考えたのですか?

img_atogaki-mochizuki08.jpg
ペテルブルグ周辺にある
プーシキンが通っていた寄宿学校のプーシキン像(写真=坂庭淳史)

望月 読者ガイドには、読者の読みを一つの方向に誘導していくやり方と、様々な可能性を開いていくやり方があると思いますが、この場合は、一つの正解を提示するよりも、色々な人の意見をあるレベルで並べてみる、そこからにじみ出るプーシキンの魅力を伝えたかったのです。

プーシキンというのは、何より多様な「読み」を生み出すタイプの作家なのだと思うからです。

たとえばトルストイと比べてみましょう。人物を描く時、トルストイは髪を書いたり眉を書いたり、本当に絵を描くようにする。勿論文章ですから、どこか描いていない部分もあるのですが、丁寧に絵を描くように人物描写をするのです。

トルストイが造形をきっちりする人であるなら、プーシキンは一筆書きともいうべき仕方でさらっと人物を描く。それは詩人の書き方なんでしょうね。詩というのは大事な部分は書くけど、枝葉末節は何も書かないでおくものです。それが小説に転換された場合、意味の穴というか深みが生まれる、言葉の後ろ側が広く感じられるんです。そういった、いわば多義性に開かれた言葉が物語を構成していくわけですから、読み筋も複数にならざるを得ない。

さっき文学ジャンルや様々な小説のパロディについて触れましたけれど、確かにプーシキンは様々な物語のジャンルを意識して小説をつくっている。昔からの伝説にのっとって話を展開したかと思うと、あるところからは神秘思想を語り出し、さらには政治的な事件、デカブリストの乱を思わせる言葉を入れたりする。

物語を乗り物に喩えるなら、伝説に乗るところから始めて、途中で神秘思想や超常科学に乗り換え、さらには政治ストーリーの車に乗り込んでいくという感じです。

このようなプーシキンの作品は、やはり多様な「読み」を生み出します。

私が今回紹介した批評家・研究者の中には、深読みし過ぎた人もいるでしょう。それでも紹介したかった。こう読まなきゃといっているわけではないのです。やろうと思えば、こんな風にも読めるということ皆さんに見てもらいたかったのです。

------今、望月さんのお話を聞いていて思い出したのは、望月さんが、あのウラジミール・ソローキンの『青い脂』を訳した翻訳者の一人(共訳者・松下隆志)だということです。この小説は様々な観点から評価されていますが、そのひとつに文体模写の大傑作という評価があります。

批評家の山形浩生さんは、書評で「トルストイ風SM小説! ナボコフ式虐殺小説! どれも一見普通の書き出しから唐突に異様な世界に突入するソローキンの瞬間芸的作風が全開だ」と書いていました(朝日新聞 2012年10月21日)。

BOOK.asahi.com 文学の未来映す"低俗"ギャグ/書評:青い脂(山形浩生・評論家)

望月さんは、文学ジャンルや小説家のパロディなどがお好きなんですか?

望月 模倣の中からどうしても出てしまうオリジナリティというものが好きかもしれません。模倣という作業は、作家にとっては自分とはどういう作家なのかということに気づくチャンスになるものだと思うし、読む方は、その作家の心の奥深さを読み取っていける、よい機会です。

私にとっては、Aという作家は、Bという作家をこう捉えているのかということがわかることによって、Aの本性がわかる。三角測量みたいな方法ですね(笑)。そこが魅力なのかもしれません。

------三角測量という言葉は示唆的です。今回の「読書ガイド」は、紹介される批評家・研究者と紹介する望月哲男によるプーシキンに対する測量が、次々と行われる展開でした。

単に「読み」がただ並べたられたものではなくて、「読み」の方法論が意識されている文章だから、三角測量という方法の言葉にピンときたのかもしれません。

望月 ここに登場する批評家・研究者たちはプーシキンにも興味をもっているけれど、文学を分析する方法にも興味をもっている。他の作家にも適用できる方法論のひとつとしてプーシキンにチャレンジしているんですね。

------20世紀の文芸批評の方法論を明確に意識しつつ、多彩な「読み」が次々と並べられていく。非常に新鮮な読み物でした。

望月 古典新訳文庫は、「解説」を割と自由に書かせてくれるんですよ。この文庫で私はドストエフスキーの『死の家の記録』も訳しているのですが、そこで私はとても長い「解説」を書いています。作家のシベリア流刑という実際の経験を基にした小説ということもあり、読者に伝えたいことが多くあったのです。

それでかなりの量になって、これは本文のページ数を考えるとバランスが悪いんじゃないかというくらいの長さだったのですが、編集長の駒井稔さんは、そこらへん割と寛容なんです。というより、「もっとわかりやすく書いてくれ」といったりする、むしろ短くなるよりもっと長くなるようなことをいう(笑)。

そのような文庫の「解説」に対する考え方が、自分を自由にさせ、ああいう書き方をさせたのかもしれません。
(聞き手・渡邉裕之)

スペードのクイーン/ベールキン物語

スペードのクイーン/ベールキン物語

  • プーシキン/望月哲男 訳
  • 定価(本体1,020円+税)
  • ISBN:75305-4
  • 発売日:2015.2.10

2015年11月13日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉ドストエフスキーの中編・短編から 巨大な作品世界のテーマを覗いてみる
『白夜/おかしな人間の夢』の訳者・安岡治子さんに聞く

cover207_obi_atogaki.jpg ロシアの文豪ドストエフスキーといえば、『罪と罰』など暗く重たい長編小説が有名ですが、本書に収められた4つの中編・短編は、どれもせつないながらも明るさが感じられる作品です。

『白夜』はペテルブルグの夜、偶然に出会った空想家の青年と少女を描いた小品。白夜の街角で語り合う二人の姿が映像作家たちを刺激するのか、4度も映画化されています。『おかしな人間の夢』は、自殺を決意した男が、どこかの惑星にある理想社会を夢で見て、自殺をとりやめる話。そればかりか、男が人を救うために行動を開始するという希望ある結末が。

本書では、こうしたドストエフスキーの長編とは違った側面を読むことができる中編・短編に、「一八六四年のメモ」というテクストが付いています。1864年4月、ドストエフスキーは、最初の結婚の相手であるマリヤを亡くしました。その遺体を前にして綴ったというメモ。これは短いながらも、作家の真髄が記された重要なテクストです。

今回は、本書を翻訳した安岡治子さんに、お話をお聞きしました。ドストエフスキーの中編・短編の魅力から、この作家の思想の根底にあるロシア正教の特性まで、色々と質問をさせていただきました。

19世紀のロシア文学というのは、ヨーロッパの近代文学とはとても違ったところがあると思います。今回、インタビューに出てくる「復活」に関する、この作家の考えなどは、近代文学の文脈で読んでいくと、腰を抜かすようなところがあるかもしれません。  このあたりも味わっていただければ......。

(ここに掲載された写真は、今年2015年3月に ロシアの都市ペテルブルグを訪問した安岡治子さんが撮影したものです)

「ドストエフスキー的な世界」が、展開しないということ

------本書は、ドストエフスキーの中編・短編の作品集です。長編と比較して、中編・短編の魅力はどこらへんにあるのでしょうか?

2015-russia-01-01.jpg
ペテルブルグにある「ドストエフスキー博物館」前に立つ安岡治子さん(東京大学大学院教授)。博物館は、クズネチヌィ横丁の角地に立つドストエフスキーの元住居。建物の2階に、作家は1878年10月から1881年1月の死まで、家族とともに住んでいた。

安岡 この作品集を読むとわかるように、長編も短編もドストエフスキーの関心は変わらないと思います。人間の苦悩や愚かしさを相変わらずじっとみつめています。しかし物語としての展開が違うのです。

たとえば「百姓のマレイ」。書き手はシベリアの流刑地にいます。その日は復活祭で、囚人たちは労役に出されることはないので、お祭り騒ぎ状態。みんな泥酔して、罵り合いや喧嘩が始まります。まさしく苦しく愚かしい世界が作家を取り囲む。読み手は、おっ、今回もドストエフスキーはこの世界を突き進んでいくのかと思います。シベリアの獄中体験を書いた『死の家の記録』のように。

しかし、作家はなぜか9歳の子供の頃に出会った百姓の一人のことを思い出すのです。それがマレイという名の男。この人物の豊かな感情、優しさを綴っていく。ロシアの民衆の素晴らしさが描写されるのです。そして書き手は、シベリアの囚人たちの愚かしさを肯定していく。いつもとは違う展開です。

「おかしな人間」もそうです。主人公はこの世がいやになって自殺しようとしている。これも読者は、また苦悩の末の死を描く小説かと考える。けれど、そうはならない。思いもかけないことが起こり、この男は最終的には自殺をしないことになる。そればかりか他人を救済しようとまでする。

つまり、ここに集めた作品は、いわゆる「ドストエフスキー的な世界」が展開しそうなんだけど、そうはならない、別な側面を見せていくものが多い。別な側面というのは、大雑把にいえば、重く辛く冷たいロシア民衆の世界に、束の間、輝く希望の光です。

彼の中編・短編すべてではありませんが、長編と比べると、こうした明るさが見える小説が多いですね。

------『白夜』について、とても基本的な質問を。白夜のペテルブルグでの、内気で空想家の青年と少女の出会いを描いた物語ですが、実は白夜という状態がわかりません(笑)。どんな感じなんですか? 

安岡 白夜は、南極や北極に近い地域で、夏に起こる真夜中になっても太陽が落ちない現象のことですよね。私はペテルブルグに7月に行ったことがありますが、夜の11時くらいまでは陽がカンカンに照っている感じでした。そこで暮らしていた留学生は、真夜中の1〜2時間は暗くなるから本当の白夜ではないといっていましたが。

何にしても白夜の時期は、夜が明るいから人はよく眠れない。ですから昼間も寝不足状態。地に足がついていない感じの人も多いのでしょう。この小説はどこか幻想的なところがありますが、そういった非日常的な体験をしやすい日々なんですね。そんな時、夢のような出会いがある。夢想家の青年と少女が遭遇するわけです。

------ここで描かれるペテルブルグはとても素敵です。青年は歩き廻り、立ち並ぶ建物を見ながら色々な空想に耽る。実際、散策にはぴったりの都市ですか?

安岡 そうですね。ペテルブルグは、ピョトール大帝が18世紀初頭に沼地に建てた、ロシア的な街というよりは、ヨーロッパの都市の色々な魅力を集めた人工都市です。

「ピーチェルFM」(オクサーナ・ブィチコヴァ監督 2006年)という映画があります(日本未公開)。これはペテルブルグの小さなFM局に勤めている女の子の日常を描いた映画です。タイトルのピーチェルというのは、ペテルブルグの愛称。この映画の中で、彼女のボーイフレンド、建築家なんですけど、彼は、いつも建物を見ながら歩いている。

確かにペテルブルグは建築物を楽しむにはぴったりです。ヨーロッパの様々な様式の建物が集められているので、それを見ながら歩くのには最適の都市だと思います。

2015-russia-02-01.jpg
ペテルブルグにある「血の上の救世主教会」。この地で、1881年3月(ドストエフスキーの死の2ヶ月後)に、ロシア皇帝アレクサンドル2世がテロリストによって暗殺された。皇帝を弔うために建立された教会。

------ドストエフスキーの作品を読みながら、ここに旅してみたいと思える希有な体験(笑)が、この「白夜」ではできます。

次に「おかしな人間の夢」について伺います。本書の「解説」で、安岡さんは、この短編作品のことを、バフチンが「ドストエフスキーの主要なテーマのほとんど完璧な百科事典である」といっていると書いています。

『ドストエフスキーの詩学』
ミハイル・バフチン
望月哲男、鈴木淳一共訳
(ちくま学芸文庫)

安岡 とても短い小説だけれど、確かにここにはドストエフスキーの様々な作品のテーマ、モチーフが満載なんですね。ロシアの文芸学者ミハイル・バフチンは『ドストエフスキーの詩学』(望月哲男、鈴木淳一共訳 ちくま学芸文庫)という本で、そう書いて、以下にテーマを列挙しています。

まずは、「賢い馬鹿」「悲劇的道化」という形象。自分はすごい真理を知っていると思っているが、人からはおかしな奴だと思われている人物が、ドストエフスキーの小説にはたくさん出てきます。『罪と罰』のラスコーリニコフ、『悪霊』のスタヴローギンなどですね。そしてこの「おかしな人間の夢」の男も、世界の真理を知っていると自分では思っているんだけど、他人にはただ「おかしな人間」に見える男です。

次は、「絶対的な無関心」というテーマ。男は「この世の何もかもは、どうでもいい」と思っていますが、これもこの作家の小説には多く出てくる。たとえば『悪霊』のキリーロフなどです。

それから「自殺に先立つ生の最期の数時間」というテーマ。男は、ある不幸な少女に出会っているのですが、彼は「私が、たとえば二時間後に自殺するのだとしたら、あの女の子が私に何の関係があるのだろう」などと考えたりする。こういった場面もドストエフスキーの小説にはいくつかある。

その他、バフチンがあげているのは、「危機の夢」。地上とは違った可能性を見せてくれる夢ですね。そして、たった一時間もあれば、楽園は一挙にできあがるという「瞬間的な生の楽園化」という考え、さらに「苦しむ子供」というテーマも。

------確かに、この作品は「ドストエフスキーの主要なテーマのほとんど完璧な百科事典」ですね。

安岡 こんなに重たいテーマを抱えつつも主人公は、最終的には物語の始めに出会っている不幸な小さな女の子を救済しようとするポジティブな方向へ行く。その思いもかけない展開が、この短編の面白いところなんです。

ロシア正教の特性について、少し

------その「救済」もそうですが、本書を読むと、キリスト教の影響を色濃く感じます。ドストエフスキーにとって、この宗教はやはり大きいものなんだなと改めて思いました。

安岡 はい、色濃く出ています。ドストエフスキーを語るには、キリスト教のことを知らないといけないというと、鼻白むようなところが日本にはありますね。「文芸批評や文学研究をしているのに、なぜそのようなことをいうのか」と。しかしドストエフスキーを考えるには、やはりキリスト教とりわけロシア正教には触れざるをえないと思います。

------ロシア正教というのが、これまた日本人にとってはわかりにくい。

安岡 わかりにくいし、ロシア正教について語ることも、とても難しい。

父(安岡章太郎)、母、そして私は、井上洋治神父によってカトリックの洗礼を受けました。その井上神父の経験を、まず話させて下さい。井上神父は1950年代、フランスに留学しました。そこで神父はカトリックの神学を学ばれた。しかし、なかなかうまく学ぶことはできなかったといいます。いくら本を読み、話を聞いても心の中に入ってこなかったと聞きました。その時に、ロシア正教について書かれた本を読んでいると、大地に水がしみ込んでいくようにその言葉が自分の中に入っていく経験をしたといいます。その時、神父は、キリスト教は普遍性のあるものだから、今、西欧世界で花開いたものではなく、ロシア人ならロシアの、日本人なら日本の文化内開花をしてもいいのではないかと思ったそうです。

井上神父は、もちろんその後、カトリックの司祭になられた方ですが、このエピソードは西欧の理性中心のキリスト教とは違ったロシア正教の特性を、私たちに教えてくれるものだと思います。

2015-russia-03-01.jpg
ロシア正教の「イサーク大聖堂」内の至聖所のステンドグラス。この建物はフランス人宮廷建築家によって設計され、19世紀に建てられてた。

------ロシア正教の特性とは、どういうものですか?

安岡 これも簡単に話ができるものではないですが、少しだけ触れる形でお話します。

まずロシア正教(元はギリシャ正教をはじめとする東方キリスト教ですが、)の特性のひとつに「否定神学」があります。神の本質を語れば「○○○ではない、○○○でもない」と否定を重ねることでしか表現できないないという、それは超絶的な存在であるという考えです。

では、そのような神に人間はいかにして近づけるのか。ひとつに人間の「神化」があります。これは頭で神を理解するのではなく、いわば神を体験することなんですね。キリストが受肉したことを、「神は人間が神となる(神化する)ために、人間となった」とする考えがあります。それを踏まえ、私たちも神化することができるとロシア正教は考えたのです。しかも人間が神化を遂げると同時に、周りの自然万物にも神化の変容の光が及ぶという考え方です。

これは、ロシア正教のもうひとつの特性「汎在神論(パンエンテイズム)」につながります。それは、神の存在は全宇宙を包括し、そこに浸透しているので、万物は神の内にあるとする思想です。それを踏まえ、正教では「自然(宇宙万物)と神の恩寵との間に明確な境界を区別せず、全被造物は、神との霊的交わりの中にある」とします。

「汎在神論」は、自然と神が同一視される「汎神論(パンテイズム)」では決してないのですが、たとえば『カラマーゾフの兄弟』に登場するゾシマ長老の「草の一本、小さな甲虫、蟻ん子、黄金色の蜜蜂一匹も、ありとあらゆるものが、神様の神秘を証している」という言葉を思い出してください。一木一草が神に祈りを奉げており、その美を通して人間が神の神秘を知るという、このゾシマの言葉は、人間中心主義、主知主義に慣れた者の目には、汎神論的に映るかもしれません。

汎神論も簡単にいうなら自然の中に神が宿っているという考えですが、仏教では「山川草木悉有仏性」とかいいますね。こういった「汎神論」は、神の絶対的な超越性を強調する西方キリスト教の正統教会の立場からは遠く隔たった概念です。ところがロシア正教の考えとは共振するようなところがあるのです。

井上神父が、ロシア正教について書かれた本を読んだ時、大地に水がしみ込んでいくようにその言葉が自分の中に入っていったというのは、この仏教的自然観との近しさと関係していると思います。

こういった自然観にドストエフスキーも共感し、また西欧の理性中心主義のキリスト教に違和感をもっていたのだと思います。それは、さきほどのゾシマ長老の言葉だけでなく、『おかしな人間の夢』に出てくる楽園の麗しき人々と自然全体との調和的関係にも見ることができるのではないでしょうか。

------ドストエフスキーの理性中心主義のキリスト教に対する反撥でいうと、この作家の小説には、愚者が多く出てきます。それがまたすごい存在なんですが、ロシア正教の世界だと「瘋癲行者(ふうてんぎょうじゃ)」という聖人として登場する。 「おかしな人間の夢」にも、その言葉が出てきます。「彼らは私を嘲笑するばかりで、とうとう私のことを瘋癲行者だとみなすようになる始末だった」という文章です。

安岡 瘋癲行者(ロシア語ではユロージヴィといいますが) とは、キリストの受難を自発的に追体験するため、痴愚者を装うロシアで特に愛される聖人ですね。西欧には、地位や富、家族を捨てて聖人になる人がいますが、瘋癲行者は、さらに人間の証である知性までも捨てる、そして狂いを装うというよりある意味で完全にクレイジーになってしまう人たちです。

モスクワの赤の広場に聖ワシリー大聖堂がありますが、あれは瘋癲行者ワシリーの墓の上に建設された聖堂です。瘋癲行者は、ボロを纏って放浪生活をし、奇行を重ねながらキリストの真理を明らかにする人たちなんですね。

ワシリーは、 16世紀、イワン雷帝の時代に生きていた人ですが、たくさんの人を殺してきたイワン雷帝を、血塗られた者としてずばりと批判したことで有名です。瘋癲行者は、誰もができない権力者に向って批判の言葉を投げかける人でもあるのです。

こうした愚者信仰は、ロシア正教の世界、さらにはロシアの民衆文化の特徴でもあります。おっしゃる通りドストエフスキーの小説にも多く登場しますし、他のロシアの作家の作品にも顔を出します。

『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』
ヴェネディクト・エロフェーエフ
安岡治子訳
(国書刊行会 1996年)

私が訳した本で『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』(国書刊行会)という本があります。ヴェネディクト・エロフェーエフという作家が書いた物語なのですが、主人公は最初から最後まで酒を呑み続け愚行を繰り返します。酒をあおり続けることで自己探求を極めようする人なんですね。彼はまさに瘋癲行者です。

モスクワ駅から列車に乗り込む酔どれの主人公が目指すのは、麗しき女性と可愛い幼子が待つペトゥシキ終着駅。その列車で奇妙きてれつな乗客たちと、妙ちきりんな酒を酌み交わし(笑)、文学・哲学・恋愛談義に花を咲かせる。自分が訳した本をこういうのもなんですが、お勧めの本です(笑)。

------面白そうです。その本、お借りします。

(『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』を、帰りの電車で読み始めたら、ズブロフカが匂いたつような小説で、確かに強力で......思わず途中の山手線五反田駅で降車、居酒屋に入り、酔どれになって読み続けました......)

「一八六四年のメモ」から、復活に触れる

------さて、今回の作品集は、4つの中・短編に加えて、もうひとつ「一八六四年のメモ」というテクストが入っています。このテクストについてお話いただけますか。

安岡 1864年4月、ドストエフスキーが『地下室の手記』を執筆をしている時に、最初の結婚の相手であるマリヤを亡くします。その遺体を前にして綴ったというメモです。

マリヤとの結婚は非常に不幸なものでした。初めて出会った時、彼女は既に人妻だったし、二人の結婚式の前の晩にマリヤは他の男といたといいます。そして結婚後はドストエフスキーも彼女を裏切るようなことをしていた。こうした生活を経て彼女は亡くなり、その遺体の前で彼は次のように書きます。

「キリストの教えに従い、己のごとく他人を愛することは、不可能である。この地上では、皆が個我の法則に縛られているからだ。我が障害となるのである」

そして、なぜ人間は個我の法則に縛られ、我を完全に他者に与えることができないかと考えます。それは、地上の人間はいまだ発展途上の状態にあるからだとし、未来、究極の理想の特性とは「娶らず嫁がず(犯さず)、神のごとく生きる」ことであると考える。さらに、その達成を、この世の終末に訪れるとされる普遍的復活として、ドストエフスキーはメモに記します。

エゴイズムの克服と、その達成、そこに訪れる復活。

こうした考えは、ドストエフスキーの思想の根幹にあるものだと思います。それが妻の遺体を前にしてのメモということもあり、直接的に表現されている。短いものですが、重要なテクストということで、この作品集に入れました。

------復活ですが、ドストエフスキーの小説では重要なモチーフです。そして、この復活、作家が考えているのは、どうも比喩的な話ではないらしい、肉体的な具体的復活を考えているようなんですね。

安岡 ドストエフスキーは、ニコライ・ニコラエヴィチ・フョードロフという思想家の考えに強く共感したのですが、この復活の考え方も、フョードロフの思想と通じ合うものだと思われます。

フョードロフは、死の克服と祖先の復活を人類全体の気宇壮大な共同事業と考えていた思想家です。

彼は復活を決して比喩として考えなかった。人は神化し、将来、死の苦しみに満ちた自然の状態から脱するであろうと考え、そこでは人間は他者を傷つけ犠牲にせずとも己を生かしていける新たな身体をもって完全に復活するとしたのです。

この考えは、ソビエトのロケット開発にも大きな影響を与えたといわれています。というのは、ロケット工学の父、コンスタンチン・ツィオルコフスキーと関わりがあるからです。若きツィオルコフスキーは、ある図書館で勉強をしていたのですが、そこで司書をしていたフョードロフと知合い、その思想に影響を受けます。

そのひとつは復活に関する考えです。フョードロフは人間が神化し、復活が実際に行われれば死者たちが甦ってくる、そうすれば地球は人でいっぱいになると考えた。そうなったら、他の惑星への移住が必要となる、そこでツィオルコフスキーのロケット工学が関わってきます。ソヴィエトの宇宙開発の根幹には、この特別な思想があったという説です。また、フョードロフの方も科学の力を使って復活を行おうとも考えていました。

そして繰り返しますが、この復活についての考えは、ドストエフスキーの小説にも強い影響を与えています。

------『カラマーゾフの兄弟』の最後のところで、アリョーシャと子供たちが、復活について語りますが、あれは本当に肉体として甦ってということなんですね。

安岡 今回の作品集には、西欧近代の理性中心主義では理解しにくい世界も垣間見える、そんな作品も入っています。そこも感じ取っていただければと思います。 またフョードロフの思想に興味を持った方は、私が亀山郁夫先生と一緒に訳した『フョードロフ伝』(スヴェトラーナ・セミョーノヴァ 水声社)がありますので、読んでみて下さい。

------とても難しくて深い話を続けて聞いてしまいました。......実は、安岡さんはこういった質問に答えるのは嫌がっておられたのですが、なんとかお願いして、話していただいたのです。すみませんでした。

安岡 簡単に話せるものではありませんからね。今日は、ほんのさわりだけです。

------ということで、終わりは軽い話を。最近ロシアに行ったと聞きました。いかがだったですか?

安岡 今年の3月に。ペテルブルクにも行ってきました。前から宿泊してみたいと思っていた「ドストエフスキー・ホテル」に泊ることができたのです。彼が最後に住んでいた家が今、ドストエフスキー博物館になっているのですが、ホテルから歩いて5分くらいのところにあるので、この名がついたのかもしれません。

------ドストエフスキー・ホテルは、その著作が聖書の代わりにベッドサイドに置いてあったりするのですか?

安岡 それはなかった(笑) 別に何もなくて......そう、「バー・ラスコリニコフ」という名のバーがありました。なんで(『罪と罰』の酔っぱらい)マルメラードフじゃないかと思いましたけど(笑)。

2015-russia-05-01.jpg
「ドストエフスキーホテル」内の「バー・ラスコーリニコフ」の看板。このホテルは、地下鉄駅ドストエフスカヤのすぐ傍にある。徒歩5分ほどに「ドストエフスキー博物館」がある。

この旅で写真を撮ってきましたので、どうぞ見て下さい。

------あっ、これは「白夜」の二人が出会う場面のような写真ですね! では、これから写真を楽しむということで、お話はこれぐらいにさせていただきます。

  

今日はどうもありがとうございました。
(聞き手・渡邉裕之)

2015-russia-04-01.jpg
ペテルブルグのフォンタンカ運河沿いの道。「白夜」に登場する少女ナースチェンカが寄りかかっていた手摺はこのようなものではなかったろうか。
2015-russia-06-01.jpg
「ドストエフスキー博物館」にある、「作家の書斎」。後ろの壁にかかってるのは、ラファエロのシスティナの聖母(マドンナ)の写真複製。アンナ夫人の回想によれば、ドストエフスキーは、この絵を、絵画の中でもっとも高く評価しており、晩年、入手、よく見入っていたという。
2015-russia-07-02.jpg
本書に収められた「キリストの樅の木祭りに召された少年」は、クリスマスの日に亡くなった貧しい少年の物語である。「ドストエフスキー博物館」展示室に、この小説の挿絵のひとつが展示されていた。少年が最期に薪の山の陰にもぐりこんだところの絵だ。
2015-russia-08-01.jpg
「ドストエフスキーホテル」のあるドストエフスカヤ駅から2駅ほど先にある「アレクサンドル・ネフスキー修道院」。そこに隣接する「チフヴィン墓地」にあるドストエフスキーのお墓。この墓地には、チャイコフスキーやムソルグスキー等のお墓もある。

白夜/おかしな人間の夢

白夜/おかしな人間の夢

  • ドストエフスキー/安岡治子 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75308-5
  • 発売日:2015.4.9

2015年5月19日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉内村鑑三が書く英文テキストは、どんな英語なのか 『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』の訳者・河野純治さんに聞く

cover206_obi_atogaki.jpg2015年3月の新刊は、明治大正期を代表するキリスト教思想家、内村鑑三(1861-1930)が書いた『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』。
『余は如何にして基督信徒となりし乎』という題名で知られている本です。

この本は、内村の日記を基に綴った若き日の自伝。武士の家に生まれた内村が、札幌農学校に入学、そこでキリスト教に改宗。その後にアメリカに渡り、働きながら大学で信仰を深め、神学校で学んだ後、帰国するまでのことが書かれています。本書は1895年に日本そしてアメリカでも刊行。内村は最初からアメリカでの出版を想定し、そのため原文は英語で書かれています。

今回の新訳で見えてくるものは「内村くん」と思わずいいたくなる若き明治人の姿。素朴で無鉄砲で、そして思い悩む青年の姿が赤裸々に描かれています。

新訳を手がけたのは、ノンフィクションを多く訳している翻訳家、河野純治さん。インタビューの前半は、内村の英語がどんな英語なのかを河野さんに語っていただきました。そして後半は「いかにして翻訳家になったか」についての話となります。

真面目に生き、真面目に改宗の実態を書くということ

------『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』を訳していく中で、内村鑑三について色々と感じたことがあると思います。いかがですか?

img_01.jpg
内村鑑三。1912年、52歳の時の
ポートレート(三島常磐撮影)。

[提供:内村鑑三記念文庫デジタルアーカイブ・転載不可]

河野 印象的だったのは、彼がキリスト教徒になる前に、神道や仏教を真面目に信じていたということです。

「ぼくが最も崇敬し、崇拝していた神は、学問と手習いの神だった。毎月二十五日はしかるべき儀式と捧げ物でその神を手厚く祀った。ぼくはその象の前にひれ伏し、書が上達しますように、記憶力がよくなりますようにと熱心に助力を願った」と書いていますし、また、神社の前を通るたびに、必ずお祈りをし、それぞれの神様にふさわしいお願いをするんですね。キリスト教入信とその後の信仰生活のベースには、この真面目さがあるんだなと思いました。それがあるから、あれほど熱心にキリスト教を信仰できたんでしょうね。

------とはいっても、入信のきっかけを真面目といっていいのか......。事実は凄まじいですよね。

河野 無理矢理入信させられたというのが事実ですからね(笑)。内村が札幌農学校の1年生になった時、すでに上級生は、あの「少年よ大志を抱け」のクラーク先生によって全員がキリスト教に改宗していた。先輩全員です(笑)。その上級生たちが一年生をキリスト教徒にしようと「嵐のように襲いかかって」くるという、凄まじさです。その中で彼は改宗する。

------あの内村鑑三ですから、もう少し劇的なキリスト教との出会いを想像していましたが、それがまったくない(笑)。

河野 彼は書いています。「ぼくのキリスト教への第一歩は、意志に反して強制されたものであり、白状すると、それはぼくの良心にも反していた」。

馬鹿正直なくらい正直に告白しています。まあ、この正直さが、本書の魅力なんだと思います。

img_03.jpg
1879年頃に撮影した札幌農学校信徒たちの集合記念写真。
[提供:内村鑑三記念文庫デジタルアーカイブ・転載不可]

------西欧の近代社会に参入する明治人の実体が描かれています。

河野 日本人としての信心深い暮らし、その後の熱心なキリスト者としての信仰生活のベースにある態度、さらにその改宗の実体を正直に書くこと。内村は真面目な人なんだと思います。歴史に残っている人って真面目だと改めて思いました。

------今回の新訳は、この文庫でも特別です。日本人が書いた英語の本を訳すということですから。内村鑑三の英語はいかがでしたか?

河野 最初の印象は、読みやすい英語だなというものだったんですよ。しかし、読んでいくとやはり明治の人の英語だなと思いました。自分の頭で考えた「日本人英語」があるし、それから引用文がけっこう多い。しかも出典が書いていない。それが誰の言葉なのか、探したり推理したりするのが、今回の翻訳の大切な作業になりました。

例文として、次の文章を持ってきました。

第三章は、初めて仲間たちとつくった教会の活動を書いていますが、そこに仲間たちを紹介するところがあります。そのあたりの文章です。

内村は、札幌農学校の寮生活をしながら、教会活動を開始します。その時、彼等は「人々の前で自分はキリスト教徒だと告白するからには、同時に洗礼名を用いるべきだ」と考えて、パウロとかヒュー、フランシスといった名で呼び合います。ちなみに内村はヨナタンといいます。

img_02.jpg
内村たちが初めて創設した教会、札幌独立基督教会(1882年)。
[提供:内村鑑三記念文庫デジタルアーカイブ・転載不可]

そして第三章の51ページ、フランシスという洗礼名の宮部金吾を紹介するところがあります。この宮部、後に植物学者になった人です。今日持ってきたテクストは、フランシスの紹介部分です。

Francis had the roundest character among us, with "malice toward none, and charity toward all." "He is naturally good," we used to say, "and he need not exert himself to be good." His presence was peace, and when the incipient church was on the point of dissolution on account of personal animosities or odium theologicum among its members, he was the cynosure around which we began to revolve once more in peace and harmony. He turned to be the best Botanist in the country, and as a Christian layman his service has always been invaluable in the advancement of God's kingdom among his countrymen.

img_04.jpg
1883年頃の写真。右から内村、そして宮部金吾、左端が新渡戸稲造となる。
新渡戸は後に教育者・思想家となる。著作に『武士道』がある。

[提供:内村鑑三記念文庫デジタルアーカイブ・転載不可]

まず、ひっかかったのは、最初にあるthe roundest character という言葉です。roundは、「丸い」という意味があるから宮部は丸顔なのかなと思ったんでよ、それで彼の写真をネットで調べてみると、ぜんぜん丸顔じゃない(笑)。

現代英語だとround character は、「立体的人物」といったような意味で、小説などに出てくる、背景やその性格が詳細に書かれた人物のことなんですね。宮部は実在の人物ですから、それも違うなと思って、岩波文庫の『余は如何にして基督信徒となりし乎』(鈴木俊郎訳)を見てみると「円満」と訳している。僕も踏襲しましたが、the roundest character は「日本人英語」ですね。「円」だからroundを使ってみようと内村が考えてつくった英語だと思います。

こういう「日本人英語」がところどころにあるんですね、後で考えると面白いのですが、訳している時は頭をひねりぱなしでした。

それからthe roundest character のすぐ後にある" malice toward none, and charity toward all." という言葉。これはクォーテーションマークが付いているから、何かからの引用であることはわかるのですが、出典が書いていない。内村はたいへんな読書家で、そこから引用した文章をいっぱい使って文章をつくっていく。しかし学者じゃないから、誰の言葉であるかと銘記していないことが多い。これもその一つです。

調べて見るとアメリカの大統領、リンカーンが1865年に行った演説の一節でした。南北戦争に勝った後、大統領に再選し就任した時の演説です。自分たちは、南北に分かれて闘ってきたけれど、これからは「悪意を持たず、互いに慈愛の心を向け合って、国を建て直していこうよ」というところで使っているmalice toward none, and charity toward all という言葉です。それを内村は、宮部の性格を説明する言葉として「誰にも悪意を抱かず、誰にでも慈愛の心を向ける」奴なんだよと使っている。

------大統領の就任演説の一節を友人紹介の言葉として借用しているわけですね。

河野 そうです。リンカーンは1809年生まれで、初めて大統領になった年の1861年に内村は生まれていますから、まあ、同時代の人ですよね。同時代のアメリカの偉人の言葉を読み、実際に使ってみたんでしょうね。こういう引用を内村は、この本でたくさんしています。時に出典の明記なしに(笑)。

これが日本人英語と出典なしの引用文の例です。先の英文テキストを僕はこのように訳しています。読んでみて下さい。

「フランシスはぼくらの中でいちばん性格円満で、「誰にも悪意を抱かず、誰にでも慈愛の心を向ける」ような男だった。「あいつは生まれつきの善人だ」と、ぼくらは言っていた。「だから善人になるのに努力する必要がないんだ」。その物腰は穏やかで、始めの教会が、会員間の個人的な反目や神学者同士の憎み合いのせいで解散の危機にあったとき、フランシスが北極星となり、ぼくらは平和と調和を取り戻して、その周りをふたたび回りはじめたのである。のちには、わが国最高の植物学者となった。キリスト教の平信徒としての彼の貢献は、わが国に神の王国を広めるうえで、つねに計り知れないほど貴重なものとなっている」

------引用元を調べるのはネットを使って行うのですか?

河野 はい、その文章を検索エンジンにかけて調べていきます。やはりよくわからない文章があって、検索してみると、札幌農学校の図書館に所蔵されている当時出版された書物のタイトルをヒットしたことがあります。ああ、内村はアメリカで発表する文章を書く時に、学生の頃、読んだ本のタイトルを使ったのかと思いました。

------内村の引用文は、伝達すべき誰かの意見の他にもうひとつ、自分の意見を英語で表現するために借用した言葉という意味もあるのですね。彼は読書家だから、借用したのは本の言葉が多く、それだから現在のデジタル技術で検索されてしまうのでしょう。

そして、最大の引用元はもちろん聖書となります。明治時代の日本の青年が聖書から借用した言葉を使ってアメリカで生きていく。本書では、入信と同じように、その様子がリアルに書かれています。あまりにリアルだから批判もしたくなる箇所もある。

今回、この文庫には社会学者、橋爪大三郎さんが書いている「解説」が付いています。そこで橋爪さんは、彼の生き方を踏まえ、その聖書理解、キリスト教信仰を批判的に書いています。

河野 厳しい文章です。橋爪さんはこう書いています。

「本書の題名『いかにしてキリスト教徒になったか』とうらはらに、内村鑑三はキリスト教徒に、なりそこねたのかもしれない。では、どうなったか。内村は、『日本流キリスト教徒』になった」

この明治の「日本流キリスト教徒」が時代とともにどうなっていくのかも「解説」では書かれています。

------そのどうなるかは、実際に手に取って読んで欲しいですね。日本の近代化の問題点となるところが書かれています。橋爪大三郎さんの「解説」、辛辣ですけど、たいへん重要な内容です。

ぼくはいかにして翻訳家になったか

------さて、今度は河野さんに「ぼくはいかにして翻訳家になったか」ということで聞きたいと思います。河野さんは、現在、主にノンフィクション系の翻訳家として活躍していますが、この職業を意識したきっかけを教えて下さい。

河野 大学受験の時、英語の勉強に役立つだろうということで「翻訳の世界」(バベル)という雑誌を購読していたんです。面白い雑誌で気に入っていました。その最後の方のページに、翻訳の課題が出て、読者がその英文を訳して投稿するというコーナーがありました。僕も投稿しましたが、ぜんぜんひっかかりませんでした(笑)。

まあ、その雑誌によって翻訳家になりたいなと思ったわけです。大学は明治大学の法学部に入学。翻訳家の夢はもっていましたが、夢は夢として就職をしました。中学生に教える進学塾の講師になったのです。難関校を目指す塾ですから、教える英語は大学受験並、こちらもかなり勉強しないといけないというものでした。そこで十数年続けましたが、中学生相手に自分の知識を分かりやすく伝えるということをし続けてきた経験は、今の翻訳の仕事に非常に役立っていると思っています。

2000年代になって景気が悪くなり、進学塾にも生徒が集まらなくなってきました。これは大変だ、「これからどうする?」となった時に思い出したのが、翻訳家になる夢でした。それで翻訳学校に入ったわけです。フェロー・アカデミーです。翻訳家の田村義進先生、越前敏弥先生にお世話になって翻訳の勉強をしました。

------最初の翻訳の仕事は何だったのですか?

河野 『青いドレスの少女』(シェリ・ホールマン DHC)というミステリーです。次に、田村先生の紹介で早川書房から『迷宮の舞踏会』(ロス・キング)を翻訳しました。それからフリーの編集者を紹介してもらって手がけたのが光文社の『アルジャジーラ 報道の戦争』(ヒュー・マイルズ)でした。

------これが、ノンフィクション系翻訳家の出発点ということになりますね。どんな本なのですか?

『アルジャジーラ 報道の戦争 すべてを敵に回したテレビ局の果てしなき闘い
ヒュー・マイルズ/著 
河野純治/訳
(光文社 2005年)

河野 2001年、アメリカがアフガニスタンに侵攻します。その時の報道で注目された放送局、アルジャジーラについての本です。オサマ・ビンラディンのメッセージ映像を独占放送するなどして知られるようになったアルジャジーラは、さらに2003年のイラク戦争ではイラク市民の戦争被害の様子を流すなど、欧米メディアではできなかった報道を行いました。そしてアルジャジーラは中東側からも欧米側からも叩かれました。逆にいえばどちらにも偏っていないメディアということになります。この本の著者はイギリス人ですが、欧米にもアラブ側にも立っていない中立的な書き方をしています。そこがアルジャジーラという対象に合っていて、非常に興味深い内容になっています。中立性がポイントの本だと思います。これがけっこう話題になり、書評でも多く取り上げられました。そのこともあってノンフィクション系の本の仕事をするようになりました。

------以降は、ノンフィクション一直線ですよね。

河野 ムンクの作品『叫び』の盗難事件を解決したイギリスの捜査官の話『ムンクを追え』(エドワード・ドルニック 光文社)、それからイスラエルの情報機関モサドの長官だった人物の回顧録『モサド前長官の証言「暗闇に身を置いて」』(エフライム・ハレイヴィ 光文社)、白水社では『アフガン侵攻1979-1989』(ロドリコ・ブレースウェート)、ソ連の軍事介入の実体ですね。こうした本を翻訳させてもらっています。

------ノンフィクション翻訳で気をつけていることは?

『ムンクを追え!
『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日

エドワード・ドルニック/著
河野純治/訳
(光文社 2006年)

河野 事実に基づいたテキストですから、書かれていることが間違っていないかをきちんと調べることがポイントになります。原文を尊重しつつ、その作業を行っていきます。だから資料を集めることが重要ですね。

それと、翻訳一般にいえることですが、読みやすさには気をつけています。中学生でもわかるくらいの文章にするということは、いつも念頭においています。その時に、先にいった進学塾での経験が生かされていると思っています。

------最近は、翻訳学校でも教えているのですね。

河野 ええ、週1ですけど、勉強した学校で今度は教師になっています。課題を出して生徒たちに訳してもらい、それを講評していくという授業です。

------翻訳を勉強している人たちに、どんなアドバイスをしているのですか?

河野 基本的にいっているのは、「たくさん本を読んで下さい」ということです。たとえばミステリーにはミステリーの言葉遣いがあります。それは、教わるより読むことで獲得できます。英語の本も日本語の本も、とにかく読むこと。そのジャンルの言葉を覚え使えるようになることは翻訳にとって大切なことです。僕は翻訳学校で勉強をしている時、かなりの本を読みました。

------内村鑑三のように。

『アフガン侵攻1979-89 ソ連の軍事介入と撤退
ロドリク ブレースウェート/著
河野純治/訳
(白水社 2013年)

河野 ええ、内村青年のように本を読み、そこで覚えた言葉を使ってみていました。「いかにして翻訳家になったか」のポイントは、本を読むことですね。

------近々、出版する本のことを教えて下さい。

河野 2012年、中国の人権保護活動家の陳光誠が北京のアメリカ大使館に駆け込み、渡米したことを覚えていますか。その陳光誠の自伝を、白水社から出す予定です。
(聞き手・渡邉裕之)


ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか

ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか

  • 内村鑑三/河野純治 訳
  • 定価(本体 1,080円+税)
  • ISBN:75307-8
  • 発売日:2015.3.12

2015年4月22日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉アンドレ・ジッドは 本当に、愛と信仰の相克の物語を書いたのか 『狭き門』の訳者・ 中条省平さんに聞く

cover204_01.jpg『狭き門』は、愛と信仰の相克を描いた物語として、ずっと読まれ続けてきた作品です。

主人公であるジェロームは、美しい従姉アリサに恋心を抱きます。彼女もまたジェロームに愛情をもち、周囲の人々も二人の愛が成就することを願うのですが、しかしアリサはジェロームとの結婚に、ためらいをもちます。

神の国にあこがれをもつ彼女は地上での幸福をあきらめ、遂に......。

ある意味理不尽な展開をするこのラブストーリーが、多くの人に読み継がれてきたのは、やはり作者アンドレ・ジッドの才能によるものだと思われます。

今回は、『狭き門』を新訳した中条省平さんにお話を聞き、才能あふれるジッドの小説の書き方や、この愛と信仰の物語の根幹にある特異な神のあり方などについて語っていただきました。

また、中条さんは優れた映画批評家としても活躍されている方です。そこで『狭き門』に関わりつつ映画についても語っていただきました。

ここでお断りしておきたいのですが、ロベール・ブレッソン監督の映画作品「ラルジャン」、「罪の天使たち」が話題になり、それぞれの結末が語られています。

これはインタビュー構成者として、『狭き門』の主題とも関わる大切な話と考えたからです。これらの映画を未見の方はご理解下さい。

映画を語りつつ、この小説の根元に触れていきます。

いつのまにか小説空間ができてしまう作家の本能

------中条省平さんがお書きになった今回の『狭き門』の「解説」には、「物語年表」が付いています。この作品は、確かに時間的な流れが掴みにくい小説です。物語の理解を手助けするため、小説の中で起きた出来事を時間順に並べた年表なのですね。

年表は、さりげなく置かれているのですが、「小説的才能あふれるジッド」の時間操作の技が感じられるものでした。小説の流れの順番で事態が語られたから、感動できたのではないかと思えてきたのです。

「物語年表」を作った視点から、小説家ジッドの書き方について語っていただけないでしょうか?

中条 最初は、読者のためというよりも自分自身のために作った「物語年表」でした。何度読んでも時間的な流れがどうもしっかり掴めない。それで翻訳者として間違いがないようにメモをしていって作ったのです。しかし、どうしてもうまくいかない。というより、おかしいところがいくつも見えてくる。たとえばアリサの誕生日、あるところではクリスマスカードを送ってきたジェロームに対して、私の誕生日が近いと書いている。しかし別の箇所では誕生日として5月の日にちが記されている(笑)。その他、時間的な流れでおかしいところはいくつもあります。

img_atogaki_Chujo-01.jpg
アンドレ・ジッド

そこでわかってきたのは、ジッドは客観的な構成図を作ってこの小説を書いているのではない、ということです。ミステリー作家は時系列的に事件を細かく把握していき、どこからつつかれても不備がないように構成していく、こうした小説の書き方とは違って、ジッドはロマネスクな流れに身をまかせて、いわば本能的に小説世界を構成しています。だから「物語年表」にしてみれば矛盾が出てくる。しかし、ほとんどの人がこれを問題視しない。

しかもこれは『狭き門』ですよ(笑)、ものすごい数の人たちに読まれてきた小説です。それなのに、ほとんどの人がそのおかしさに気づかない、これはやはり彼は自分が書きたいように書いていると、いつのまにか小説空間ができあがってしまう作家だからです。かなりいいかげんな時間構成を、われわれに不自然ではないと思わせる、内的な時間の統一性を自然にできる才能をもった小説家、それがアンドレ・ジッドなのです。

------この小説の後半部では、アリサの日記が導入されて、それまでのジェロームの間で起きていた事柄がまた違った形で語られます。しかし、その語られ方がよくある「もうひとつの視点で語られたもの」とは違っている。ここににもジッドの才能を感じました。

中条 普通、あの手法を使うなら、ずっと男の視点で語った後、アリサの日記で全部ひっくり返すということをしますよね。「実はこうだったんだよ」というミステリー的手法です。しかし、ジッドはそんなことはしない。

アリサが語っているところもあるけど語っていないところもある、ジェロームとアリサの見方が微妙にズレたり重なったりしている。

ジェロームの側から見るとこうなる、アリサから見たらこうなる、でもどちらかが正しいのではなくて、それぞれが補完しながら、しかも尚、二人の視点から抜けて落ちてしまう部分もある。

後にジッドは、真実の相対性を主張し、それに沿った実験的な小説『法王庁の抜け穴』や『贋金つくり』を書きました。時を経てヌーヴォー・ロマンの作家たちがそれを評価し、彼等は真実は見る人によって違っていくという小説を書いていく。

しかし、この『狭き門』でのジッドは、それほど意識的ではない。様々な視点を提供して読者を驚かせてやろうという意図もないし、真実の相対性というお題目があるわけでもない。それぞれの登場人物たちに添っていくと、そういう世界が見えてきた、ということを、ジッドは本能的な形でやっているだけです。

だからこそ読者は、アリサの日記の導入に、何か他の小説とは違う、ただならぬものを感じるのではないでしょうか。

------次に、この小説の読まれ方についてお聞きします。『狭き門』は愛と信仰の物語として読み継がれてきました。とりわけ日本では、信心深い女主人公の生き方を感慨深く受けとめた読者が多かったのだと思います。

しかし中条さんは「解説」と「あとがき」で、「『狭き門』における信仰は愛より小さな問題にすぎない」という考えを書いています。なぜ、そのように読むようになったのですか?

中条 僕も愛と信仰の対立を描いている小説だと思って読んでいました。しかし、なんだか腑に落ちない。ジッドの友人である詩人のポール・クローデルの言葉を読んで、その理由がわかってきたのです。クローデルは、神の恩恵や死後の救済を期待しないアリサの一見禁欲的な信仰は、むしろ神に対する冒涜なんだ、これでは神が残忍な無言の拷問者になってしまうとジッドに対していっています。

確かに、この物語に出てくる神は特別です。249ページ、アリサはその日記の中で「わたしからすべてを取りあげた嫉妬深い神さま」と書いている。つまり与えることをしないで奪っていくだけの神なのです。

251ページの言葉は「あなたがわたしを絶望の淵に沈めたのは、この叫びを引きだすためだったのでしょうか?」まさに絶望に淵に人を追いつめていく神がいる。

253ページにある「ああ神よ、なんぢ我をみちびきてわが及びがたきほどの高き磐にのぼらせたまえ」。これは聖書の「詩編」からの引用ですが、元の文を読むと、そんなにも神様は酷いものではありません。試練を与えるけれども許す部分ももっているのです。でも、アリサの手記にかかると試練を与えて処罰する神しか出てこない。

どうもこれはキリスト教本来の神ではないのではないか。カトリック教徒であるクローデルは、そこを強く受けとめて批判の言葉を投げたのです。

日本人が、『狭き門』を愛と信仰の物語といわれて、すんなりと受けとめてしまったのは、やはりカトリック的な信仰がわかっていなかったからだと思います。

この小説でジッドが行おうとしたのは、愛というのはどこまでいくのかを突きつめて考えることでした。それは、「解説」でも書きましたが、妻であるマドレーヌとのことが深く関わっているでしょう。彼の結婚生活は複雑な問題を抱えていた。だからこそジッドは考え続けていました。愛というものがあって、それは人間を完全に結びつけるのか。愛が成就して結婚をしたとしても、それが相互理解に結びつき二人は幸福になれるのか。ジッドが考えてきた愛について、この本には非常に難しい微妙な問題が表現されています。

そのうえで、結婚以降の矛盾を含んだ愛ではなく、それ以前の本当に「いと美しく清きもの」としての愛を書き残しておきたかった。それは小説でしか可能ではない、そうジッドは思ったのではないでしょうか。

------しかし、ジッドのその愛への思いも、中条さんの実際のジッド夫妻の結婚生活にも触れた「解説」を読むと裏があるようで、なかなか一筋縄ではいかない人ですね。しかしながら、アンドレ・ジッドは日本で多くの人に愛されてきた作家でした。戦前から多く読まれ、全集なども出されてきました。そして戦後まで人気は続きます。どうしてジッドはこんなに人気があったのでしょう?

中条 圧倒的に読まれているのは、『狭き門』と『田園交響楽』それに『背徳者』なんでしょうね。

一般の読者にも近づけるような恋愛をテーマに、人間の繊細な心理を扱い、しかも小説として面白く書くというところが、多くの読者に受けた理由でしょう。さらにジッドは、こうした小説を読む人にも読まない人にとっても、ヨーロッパを代表とする知性として存在していました。

ファシズムの時代にはファシストと闘い、ソビエトに行ってもしっかりとスターリン批判をする、またカトリック社会のただ中でキリスト教批判をした。今ある体制的なものと常に闘う筋金入りの知識人として、ジッドは崇めたてまつられていました。

ヨーロッパの思想や社会、文化を考えるのに、ジッドを読まないと話にならないというところがあったのです。

そのことを知ったのは、恩師である小説家・辻邦生さんの青年期の日記を読む機会があったからです。1951年のジッドの死を彼は大きな衝撃として受けとめています。そのような言葉を日記に記しているのですが、これほどの人としてジッドは認識されていたのかと深く感じました。

ヨーロッパの市民社会を代表する偉大な知識人、一方ではポピュラリティのある恋愛小説を書ける作家。これが人気の理由だったと思います。ポイントは知性を体現しているカリスマ的存在だったということです。ですから、ジッド本人が死ぬことで、その人気は必然的に冷めていったのです。

『狭き門』を映画でいうなら......

------中条さんは、映画批評家としても活躍されています。本を読むときも何か映像的イメージをもつのかと勝手に考えました。そこでお聞きしたいのですが、この『狭き門』を映画でいうなら、どんな作品をイメージされますか?

中条 基本的に僕は、本を読む時、映像をイメージするようなことはしません。ですので、この本もそんな風には読んでいなかったのですが......ただ、そうですね......『狭き門』には哲学者パスカルの名前が出てきます。これはその登場が納得がいく人物なんですね、というのは、彼はジャンセニストとして知られているからです。ジャンセニスムとは、カトリック教会によって異端視された思想で、とても簡単にいってしまうと、人間の救済と地獄落ちはすでに決まっていて、それは神様だけが知っているという考え方です。

それを突き詰めていくと、人はどんなに努力してもダメだ、神が既に決めているのだからということになる。この小説もどこかで、われわれはどんなにがんばっても運命は変わらない、救済も確実ではないといっている節がある。ジャンセニスムに近い考えの小説なのでは、と。

それで映画の話になります(笑)。映画界でジャンセニスムの考えを突き詰めた人が、フランスの映画監督ロベール・ブレッソンです。彼の作品には、人間どんなに頑張っても悪くなる奴は悪くなるという身も蓋もなさがある(笑)。

img_atogaki_Chujo-02.jpg
「ラルジャン」(1986年)
監督 ロベール・ブレッソン 
出演 クリスチャン・パティ、カロリーヌ・ラング

彼の遺作は「ラルジャン」という映画で、トルストイが原作です。この小説は、善良な老夫婦に世話になった男が、結局はその老夫婦を殺し、第二部では、その男が更生するというものです。しかしブレッソンの作品では、第二部がない残虐な殺しの場面で終ります。

ブレッソンの作品は冷徹に人間の運命をみつめているところが特徴です。この『狭き門』にもそういうところがあり、この映画監督を思い出したのでした。しかし「ラルジャン」ほど厳しいものではありません。この小説にはどこか牧歌的な優しさもある。

そういうことでいうと、『狭き門』を映画でいうなら、初期ブレッソンのイメージです。

------といわれても、わかりません(笑)。ブレッソンの作品はなんとかイメージできますが、初期といわれても......。

中条 後でDVDをお貸ししましょう(笑)。初期、中期の代表作、そして遺作の「ラルジャン」でいいですか?

img_atogaki_Chujo-03.jpg
「罪の天使たち」(1943年)
監督 ロベール・ブレッソン 
出演 ルネ・フォール ジャニー・オルト

ブレッソンの一番初めの長編作品に「罪の天使たち」があります。罪を犯した女が修道女に引き取られる。修道女は彼女を更生させようとするのだけど死んでしまう。これもやはりダメだった(笑)という感じの映画なんですが、しかしこちらは「ラルジャン」に比べて優しい感じがあるんですよ。女性同士の話だしロマネスクな膨らみもあって。ラストも救済の可能性をうっすら匂わせています。

『狭き門』は、後期の、すべてを削ぎ取っていく厳しいまなざしのブレッソンではなくて、初期の「罪の天使たち」みたいな優しさをもった作品に似ています。この小説の最初の方で描かれる自然はとても優しげで、僕はそのあたりが大好きなのです。

------映画の話が出たところで、せっかくですから、中条さんが最近見て印象に残った映画について教えて下さい。

中条 クリント・イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」とゴダールの「さらば、愛の言葉よ」ですね。両者とも今年85歳、それぞれの作品です。

イーストウッドの作品の迫力たるや、彼のフィルモグラフィーの中でも一番ハードな戦闘シーンが含まれていると思います。主人公は100数十人を殺してきた実在のスナイパー。舞台はイラク戦争、ブッシュ政権下の戦争ですから、アメリカ万歳の映画かと思う人もいるですようが、まったく違います。スナイパーが殺戮を繰り返していく中で、人間として壊れていくのを描いた映画です。

見終わった後、体が痛くなっていることに気づきました。まれにみるハードな映画で、緊張して見ていたんですね。

かたやゴダールの方は、キャノンのスチルカメラで撮っている作品です。動画機能を使っているのはいいのですが、それを2台同時にまわして、なんと3Dにしています。3DといってもアクションでもSFでもないので、われわれにとって未知の映画になっています。一番感動的なのは犬(笑)。今まで見たこともない犬が見れます(笑)。

いい方をかえれば、8ミリカメラをもらった子どもが、やってみたいことをすべてやっているような映画ですね(笑)。物語は、ある夫婦が仲が悪くなり、若い男がやってきて、女房がそいつと浮気をする。二人で逃げたところに夫がやってきて......物語はほとんどないです(笑)。

モネが睡蓮を描く時、みんなと同じものを見ているのに全然ちがうものとして描いた。「さらば、愛の言葉よ」を見ていて、そんな絵画史のエピソードを思い出しました。これと同じようなことをゴダールは、映画で、絵筆の代わりに日本のスチルカメラを使って行っているのです。

近刊は恋愛書簡について、そして次は雑誌「COM」

------最近出した本についてお聞きします。中公文庫で『恋愛書簡術』が出ましたね。

『恋愛書簡術-----古今東西の文豪に学ぶテクニック講座』(中公文庫)

中条 文学者の恋愛書簡を中心にしたミニ評伝集です。2011年に中央公論新社で出した本の文庫版です。登場する作家はアポリネールにエリュアール、バルザックにユゴー、そしてドビュッシー、日本では内田百閒に谷崎潤一郎です。

略奪愛、ダブル不倫、遠距離恋愛そして倒錯(笑)、色々とあります。そのラブレターには文学者ならではのレトリックがあり、そして人間性が出ています。大作家がこんなことまでいって女を口説いているのか......思わずツッコミを入れています(笑)。楽しく読める本になっているのではないでしょうか。

------これから出す本について教えていただけますか。

中条 ちくま文庫で『COM傑作選』という本を上下二巻で出す予定です。「COM」は手塚治虫が出した漫画雑誌(1967~1971)。手塚の代表作「火の鳥」、石森章太郎「章太郎のファンタジーワールド・ジュン」という素晴らしい実験的な漫画、永島慎二の「フーテン」という一世を風靡した作品。こういった三大漫画の他にも次々と優れた漫画が生み出されました。その中から僕が選んだもので、若き日の山岸凉子、竹宮恵子なども登場します。また、この雑誌は漫画に関する評論家も育てました。ここから出てきた人たちに草森紳一、小野耕世、峠あかね(漫画家・真崎守の別名)などがいます。その評論も載せる予定です。

それから近々ということではないですが、この古典新訳文庫で、フランスの幻想文学作家マンディアルグの翻訳を出そうと思っています。彼の最後の長編は訳しているので、それに短編を加える予定です。晩年の短編集が二冊あるので、そこから数篇選んで訳し、「マンディアルグ晩年傑作集」ともいうべきものを出そうと考えています。

------楽しみにしています! 今日はどうもありがとうございました。

中条 はい。今から、お貸しするブレッソンの作品をみつくろって来ますね。

(ということで、ブレッソンの3作品を中条さんからお借りしました。初期作品として「ブローニュの森の貴婦人たち」、中期は「バルタザールどこへ行く」、そして遺作の「ラルジャン」。
 感動したのは「バルタザール」でしょうか。その名をもつロバの受難劇。ロバをいじめる悪い人は、やはり最後まで悪人なのでした)
(聞き手・渡邉裕之)

狭き門

狭き門

  • ジッド/中条省平・中条志穂 訳
  • 定価(本体 980円+税)
  • ISBN:75306-1
  • 発売日:2015.2.10

2015年3月11日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉アランが注目する「芸術作品を生み出す現場」を通して、 哲学や暮らしを考える
『芸術論20講』の訳者・長谷川宏さんに聞く

cover203_01.jpg

『芸術論20講』は、『幸福論』などで知られるフランスの哲学者アランが語る、芸術に関する講義が並んでいる本です。

20本の講義でアランは、このようなメッセージを伝えます。
 芸術作品は、前もって頭の中で考えられたアイデアなどでは作れないと。

では、どう生み出されるのか?

たとえばアランは職人仕事に注目します。あるいは庭園術を見ておこうと語りかけます。ポイントは、職人仕事の中にある素材や技術の制約や、庭園術の要である自然への服従を注意深くみつめていることです。

芸術論を語るのに、なぜこのような一見地味な事柄を語ろうとするのか?

ここには斬新なコンセプトをもって登場してきたアーティストや、新時代を切り開いた芸術作品ばかりが目立つ、いわゆる「20世紀の芸術」とは違った、「もうひとつの芸術」があります。

アランの斬新かつユニークな芸術論について、本書を翻訳した長谷川宏さんにお話を伺ってきました。

『精神現象学』
ヘーゲル/著 長谷川 宏/訳(作品社 1997年)

長谷川さんは、長年哲学の研究を続けてこられ、ヘーゲルの著書の「わかりやすく且つ深い」新訳によって日本の哲学書翻訳の世界を更新させた方です。

しかし、こうした業績をもつだけの研究者ではありません。哲学することと、暮らしの中で考えることの接点を、ただ考えるのではなく、運営する塾を地域に開くという実践によって模索してきた哲学者です。

アランの芸術論と、長谷川さんの暮らしに対する考えを、続けて聞くことのできるインタビューとなりました。この組み合わせによって、アランが語る「もうひとつの芸術」の世界や、その基盤にある共同性の意味を深く感じ取ることができるのではないかと思います。

インタビューの入り口は、本書『芸術論20講』と、その前に書かれた芸術論『芸術の体系』との関係性と違いを見ることから。

アランが第一次世界大戦に従軍し、戦火の合間に書き綴った芸術論が『芸術の体系』です。長谷川さんは、この文庫でその新訳を2008年に出版しています。

『芸術論20講』は、その講演版ということになっているのですが、実はそれだけではないようで......さあ、インタビューを始めましょう。

アランは、なぜこのような芸術論を語ったのか

------まず『芸術論20講』と、『芸術の体系』の関係性と違いを教えて下さい。

長谷川 内容でいえば、『20講』は『体系』を踏まえた20本の芸術論の講義を集めたものです。『体系』で語ったことを修正したりしてはいません。が、語り方は変わっています。

アランという人は、「改めて語る、読む」ということについて、とてもユニークな考えをもっている人なんです。彼はスタンダールやバルザックが好きで、繰り返し同じ小説を読んでいたといいます。そんなアランに、こんな有名な言葉がある。

「スタンダールの『パルムの僧院』と『赤と黒』がどちらがよいかと聞かれると、とても難しいけれど、新しく読んだ方が少しよいように思える」

------あっ、なんかいい言葉ですね。

長谷川 要するに書物に接する時、過去に読んだとしても、その時々、新鮮な気持で一冊の書物に接し改めて考えたい、そういう態度を大事にするのがアランです。それは語るという行為でも同じで、新たな経験の中で語り直すことを大切にしている。

『体系』は、第一次世界大戦の従軍生活の中で書かれており、『20講』の方は、自分が非常勤講師をしている学校の女子学生相手の授業で話したことです。状況が違えば、アランはそれに即して考えますから、語り方が大きく変わったのです。

------内容はどうなんでしょう? 「訳者あとがき」では、担当編集者と『体系』では「ダンスについて話すことが多かったが、今回は建築についてことばを交わすことが多かったように思う」と長谷川さんは書いておられます。このエピソードから、2冊の違いが語れますか?

長谷川 できるかもしれない。それぞれの魅力的なところを語り合ったのではないかな。普通、芸術論が扱うジャンルというと建築、彫刻、絵画というのがパターンです。僕が訳に加わった『美術の物語』(天野衛、大西広らとの共訳 ファイドン)を書いた美術史家のエルンスト・ゴンブリッチの芸術観はその典型ですね。しかし、アランは違う。ダンスを最初の方にもってきて語ったりする、しかも村の人たちが集まって踊るようなダンスが、どうして美しいかを分析する。やはり一番読ませるところなんだな、そこを元々バレエが大好きな担当編集者と語り合ったわけです。

それで今回の『20講』で一番面白いのは、建築論ということになる。それもオーソッドクスな建築論ではなくて、建築と庭園を同じ枠組みの中で論じていたりする。これが非常に面白い!

------この建築論、感銘しました。アランは「大庭園芸術は自然に服従することによって様式を守っている(中略)庭園芸術ではほかの芸術よりも、しあわせな服従がどういうことか分かりやすい」と書いている。自然への服従を建築論の重要なポイントにし、その服従を幸福と結びつけているところなど、自然を制圧する大建築という考えからなんとか抜け出ようとしている、現代の若い建築家なんかに読んで欲しいと思いました。

長谷川 庭園術が何をするかというと、すでにある地形をどうやって庭として案配していくかということになります。今だったらブルドーザーで土地をガーッと壊して真っ平らな更地にしてしまうけれど、この本が出た20世紀前半のヨーロッパでは技術的にそれは無理だった。絵画だったらまっさらな紙の上でアートしてしまうけれど、庭はすでにあるものをどう生かしていくかを考えるしかない。その制約にアランは注目する。「自分の構想」が生かせるものではなく、「自然が望むもの」を生かして作っていくこと、それこそが素晴らしいと考える。この建築論には、アランの芸術論の真髄がわかりやすく語られています。

------素晴らしい芸術を生み出すのは「自分の構想なんかではない」というのは、本書のポイントですね。そこで質問です。この「作品の美や強さが、前もって考えている理念によって作られるのではなく、たとえば実作行為の中で生み出されのだ」という考えを、アランが強調するのは、どういう意図があるんでしょうか? それと、その考えは、当時の20世紀前半のヨーロッパ社会に於いて、どんな意味があったのでしょう?

長谷川 2つの問題は深く繋がっています。

アランが『体系』を書いていた第一次世界大戦は、1914年から1918年まで続く戦争で、その中の1917年に書いている。芸術史でいうと、そろそろ前衛芸術が出てくる頃、絵画なら抽象画、建築なら機能主義的なモダニズム建築、さらにはロシア革命と連動する構成主義などの芸術運動も盛んになり始める頃です。

このような新しい芸術の流れが少しずつ目に見えるようになってきた時代ですが、アランはそういう流れには乗らなかったんだと思います。反対に、今まで自分たちが享受し作り上げてきた伝統的な芸術のよさというものを、その流れから守ろうした。そういう意味でいえばアランはとても保守的です。

彼はこう思ったんじゃないかな。芸術作品というのは、そんなふうに自分たちの意志で勝手にできるものではない。若い芸術家が「新しい観念さえあれば何でもできるんだ」というが、そんなことはありえない。「オリジナリティ」を誇ったりもするが、芸術はそんな偉そうなものではないだろうと。

そんな時代の中で、アランの場合は、職人仕事に対する敬意がふつふつとわき上がってきたんだと思います。無名の職人が作り上げてきた、たとえばステンドグラス。ゴシック教会を飾るステンドグラス、この職人仕事の素晴らしさをどう伝えたらいいか。彼は、その職人仕事の中に入り込むような形で語ろうとしました。

img_atogaki_Hasegawa-05.jpg
スペインのレオンにある大聖堂のステンドグラス

ガラス一枚一枚を職人は半田の太い線で繋いでいく、決して洗練されたとはいえない線なのだけど、全体としては非常に美しいステンドグラスができあがる。どちらかといえば荒っぽい半田とガラスという素材、そういう制約の中で素晴らしい美しさが表現できることをアランは語ろうとした。さらに、素材や技術が要求してくるものを跳ね返して、自在にものごとを作れるなどというのは、製作条件としてはちっともいい条件ではないと考えた。そのことを語ることで、頭の中で考えてきたことがそのまま実現すると信じている者に対して、「嘘おっしゃい」といいたかったのではないでしょうか。

------しかし、抽象絵画の先駆者カンディンスキー(最初の抽象絵画発表は1910年)の名も、モダニズム建築の代表的学校、バウハウス(1919年設立)、ロシア革命(1917年)と芸術についても、本書では語られていませんね。

長谷川 『体系』でもいっさい触れられていません。アランはけっこう過激な社会主義者で、社会を批判的に見ていましたが、直接否定的な言葉を相手に投げつけるような人ではありませんでした。文章にも品性や節度が必要だと思っていたのでしょう。

アランの芸術論の根本にある共同性

------見えない敵が見えたところでアランの意図もなんとなくわかってきました。さて、本書は語り方や内容も面白いのですが、構成の仕方も魅力的です。『芸術論20講』というタイトルですが、20本ある講義の順番がとても納得がいくのです。

長谷川 最初の方にダンスについての講義があって、それから音楽、詩、見世物と続いていく。アランが考える芸術の基本のひとつは「からだ」なんですね。たとえばダンスは頭でアイデアを作ってやるというよりは、「からだ」がある均衡をもった状態になり、自身にとって心地よい状態になることがすごく大切で、それができることが作品として、あるいは人に見えるものとしての素晴らしさに繋がっていくと考える。そして、音楽や詩、見世物もその範疇の芸術としてある。

しかし後半に出てくる、建築、彫刻、絵画は、それとは少し違って自分の中にある観念が比較的実現しやすい芸術として捉えている。

それはまた「共同作業」という視点からも分けられているんです。たとえば絵画、19世紀くらいから絵を描くことは、「共同作業」から脱していった、一人でキャンバスに向かって描くようになってしまったんですね。

音楽だって今は一人コンピュータで作るようになってしまったけれど、アランが考えている音楽の基本は民謡みたいなもの。何かみんなで仕事をしていて誰かが「オ〜」と唄いだすと、あっちから誰かが「ア〜」と声を重ねる、そこでハーモニーが生まれたりリズムが刻まれたりする。アランが考えている音楽はそういうものです。 ダンスも同様で、普通の暮らしの娯楽として、あの人とこの人が踊りだすと気持いいという、一種の「共同作業」として捉えている。

芸術の美は、実作行為の中で生み出されるといった時の実作行為は、まずは集団的な作業なんだとアランは考えていたのではないでしょうか。その「共同作業」から個人の作業へ移行していく、すると作品も観念でコントロールできるようになり、抽象度が高まっていく。ダンス、音楽、詩、見世物、そして衣装が入り、建築、彫刻、絵画へと繋がっていく構成は、その「共同作業」から個人の作業への流れとも呼応しているんです。

------アランは、「共同作業」を大切なものとして考えていたのですね。

長谷川 みんなで踊るとか唄うとかは、作り上げていく過程が共有できるけれど、建築、彫刻、絵画などは製作過程が見えにくくなっていく。人々が働く姿がある種の芸術行為であり、そこからできるものが芸術なんだというのが、アランの芸術論の根っこにあるのだと思います。

------「共同作業」といえば、長谷川さんはいくつかの研究会や読書会をやっておられる。そのひとつの「美学の会」が、この『20講』を訳すきっかけとなったことを、「訳者あとがき」で書いていますね。

『ヘーゲル美学講義〈上〉』
長谷川 宏/訳(作品社 1995年)

長谷川 僕は、アカデミズムの外で哲学を勉強し続け、同時に小学生・中学生相手の塾をずっと長くやってきたわけだけど、その塾を会場にして地域の人たちと読書会をしてきました。他にも別のところで行っている研究会などが幾つかあって、その一つが、もう15年くらい続いている「美学の会」なんですね。

僕は1997年に『新しいヘーゲル』というヘーゲルの思想を紹介する本を講談社新書から出しています。ある大学の市民大学講座で、その本を基にして講義を一年くらい続けたんですが、そこで受講者の人たちとグループを作りました。僕の講座というのは、勧進元を離れて会が続いていくというのが多いのです。もう講座じゃないんだから講師料なんかいらない、「研究会にしましょう」ということになる。初めは僕が訳したヘーゲルの『美学講義』(作品社)を読むことにしたんです。それで「美学の会」という。参加者にたまたま芸術の仕事に携わる人が何人かいた。画家、写真家、劇作家、ピアニストとかね。勿論哲学に興味をもっている参加者もいたけれど、なんとくなく読む物も芸術系のものを意識的に選ぶということになっていった。その中の一冊がアランの『芸術の体系』というわけです。

------「そこで何度となくアランの分かりにくさが話題となった」と「あとがき」で書いています。

長谷川 そう、確かにわかりにくい。そこでフランス語原文に還っていったりするんだけど、合わせて『芸術論20講』の関連箇所も読むようになっていたんです。するとそこから新しい光が射してきて、わかりにくさを解きほぐしてくれる。こうして読むことが、本書の翻訳につながっていったわけです。

哲学の思考回路と暮らしで考えることの接点

------先ほど、大学とは離れて哲学研究をしつづてきたこと、塾も長く続けてきたことなどの話が出ました。塾は大学を出てから始めたのですか?

長谷川 僕はちょっと大学で教えていたのですが、1968年に東京大学でバリケード闘争が始まった。僕は学校側と学生たちとの中間にいるような位置取りから、だんだん学生側に肩入れをするようになった。そして、闘いの火の粉が飛んでくるようなところが好きだったというか(笑)、結局1年くらいバリケードの中で生活しました。ストライキの方はこれ以上続けてもどうにもならんということで、自分たちの方から解除しました。それで今さら大学に戻ることはあるまいと考え、外に出たんですね。友人と二人で塾を始めたのです。一緒にバリケード闘争を闘った嫁さんは「私はもともと東大なんか嫌いだったから」といってさっさと保育士となって働きだした。それが1970年くらいの話です。塾を一緒に始めた友人は途中で離れていったのですが、僕はもう45年間、塾を続けてきたことになる。

そんなに年月がたつと最初に教えた子供ももう50代中頃。今でもつきあいはあって、今年の正月も何人かやってきて呑んで大騒ぎしました。もう掛け替えのない友人という感じです。そして、この塾で何か面白いことをしようと計画する時は、そういう人たちが頼りになるスタッフとして働いてくれる。

------塾で面白いことって、なんですか?

img_atogaki_Hasegawa-01.jpg
演劇祭で上演された「ハムレット」の練習・公演などを記録した映画「劇・ハムレットが出来るまで」(監督・山本良子)の上映会のチラシ。赤門塾ホールというのは、塾の教室を転用した劇場の名前。(2004年)

長谷川 たとえば演劇祭。この塾の教室は演劇ができるようになっているんです。

------へ〜!(後で見学したが、教室の裏には楽屋になるスペースがあったり、天井には照明用のバトンが吊るされていたりする)

長谷川 小学生、中学生、高校生から大人というグループに分かれて演劇を上演するんです。たとえば子供の方は木下順二の児童劇、大人はシェイクスピアをしたりする。今年は「マクベス」ですね。シェイクスピアは5、6本やっているかな。ほら、ハムレットの写真とか見て下さい、カッコイイでしょ(笑)。このオフェリア、普通の女の子ですよ、それがこんな素敵な格好をして、これ見たら小学生は「あたしもやりたい〜!」ですよ(笑)。

清水邦夫の『幻に心もそぞろ狂おしのわれらの将門』が去年のOBの出し物でした。

------塾で、清水邦夫もやるんだ......。

長谷川 唐十郎の作品だって上演したことがある(笑)。

こういってはなんですが、芝居はけっこうみんなうまい。もう40年もやっているわけですから、ちょっとした劇団です。しかもプロでやっていた人が、面白がって参加してくれたりする......そう、塾の子供の母親が、「お父さんが最近鬱々としているんです。学生の時に演劇をしていたというから、入れてやってくれませんか」と頼んできたりする(笑)。最初はお父さんも恐る恐る参加するだけど、だんだん本気になって元気になる! そして芝居の打ち上げで「実は一時期、もう生きていたくないと思ったこともあって」なんてぽろりといったりする......。

------う〜む、舞台裏もドラマチックですね。......それから、お芝居だけじゃなくて、塾をギャラリーにして美術作品の展覧会などもしているんですね。今、チラシを見せてもらったんですけど、なかなかいい感じのデザインです。

長谷川 みんなでチラシもデザインして、遊んでいるんですね。そして毎年夏の最大の遊びが10泊11日の合宿。諏訪湖の近くの山奥に行って子供たちと暮らす。炊事も全部自分たちでやってドラム缶風呂に入って、広い空間にみんなで布団を敷いて寝る! 楽しいです。

img_atogaki_Hasegawa-02.jpg
2013年の合宿の様子。

塾では勉強を教えるからセンセーと呼ばれもしますが、一緒にいろいろと遊んでいると呼び方もオッチャンになってくる(笑)。

こんなことをずっとやっているとどうなるか。塾にいた子供は大きくなります。そして近所に暮らし続けていてくれたら、関係は深くなっていく。それを基に地域の人たちとの付き合いがだんだん濃厚になってくる(笑)。

------そういう暮らしをしながら、ヘーゲルの研究をしてきたわけですよね? 哲学とそういう生活はつながっているのですか?

長谷川 はっきりいって、そう簡単にはつながらないですよ。昼間はヘーゲルを読んだり、言語の問題を考えるのにソシュールなどの本を読む、夕方になって子供たちがやってくると「二二んが四、五五、二十五」などと教えてる。この二つはなかなかつながりません。だけど別のことをやっているとは思いたくない。大学にいなくても学問はできると考え外に飛び出た自分ですから。悩ましい時期がしばらく続きました。

それから時が流れ、塾の様々な活動と哲学の研究の接点らしきものが見えてくるようになった。高校生、あるいは大学生になっても塾に来る子がいて、そういう子供に何か問題を投げかけた時に、向こうからとても面白い答が返ってくる。こっちもそれを受けて改めて問題を考える。こういう思考の回路って、自分の哲学研究でやっていることとそれほど違わないのではないかという感触が掴めるようになってきたのです。そうだな、塾を始めて5年くらいたった頃かな、接点を掴めるようになってきました。

といっても、圧倒的に生活の方が大きいですよ。

僕には子供が四人いるのですが、子育てをして夕方から塾で教えて......それでもなんとか勉強の時間は確保していた感じです。哲学と暮らしの接点といっても、ヘーゲルの翻訳なんか、最初の訳稿は塾に来ている高校生や大学生に読んでもらって......。「面白くなかった」といわれるとカツンとくる。「じゃあ面白くしてやろうじゃないか」と何度もやり直したこともあった次第で(笑)。

今、僕は二人の孫の面倒を見ています。現在では塾はほとんど息子に任せていますが、それでも研究をする時間が少ないので、毎朝早く起きて、とにかく昼くらいまで机に向かっています。また、どうしても孫の面倒が見れないという時は、介護の勉強なんかをしているOBの大学生に助けを求める。地域に生きるというのはそういうことですよ。

img_atogaki_Hasegawa-03.jpg
2013年の合宿の様子。

------その研究ですが、現在は日本精神史を研究していると聞いたのですが。

長谷川 十数年前に丸山真男論『丸山真男をどう読むか』(講談社現代新書)を書いて、その中で彼が書いた日本思想史に色々と不満を感じまして、これは自分で書かなければいけないと思ったのです。それが研究の直接のきっかけになりました。

具体的には、ある時代に作られた仏像や絵巻物、物語や随筆、思想書などから時代精神を読み解き、大きな歴史の流れの中に組み込んでいく仕事です。

しかしこれも塾を営む暮らしと関係しています。随分前、中学3年の二人の塾生が卒業記念に奈良へ行って、すごい感激して、今度一緒に行こうよと誘ってきた。その次の年から行き始めて毎年奈良に行っています。これも40年続けてきました。東大寺や法隆寺はもう何十回と行っていて、百済観音や、日光・月光菩薩のよさが確実にわかったと思える時があったりするわけです。このような経験が、現在の日本精神史研究を培っていると思っています。

img_atogaki_Hasegawa-04.jpg
同じく合宿の球技大会。後ろに控えるバッターが長谷川宏さん。

------研究の背景には、塾や地域という共同性の場があるのですね。長谷川さんのお話を途中から、アランが考える芸術と共同作業との関係性と結びつけて聞いていました。そこから何故、長谷川さんがアランの芸術論に注目したのかも朧げながら見えてきたような気もします。

今日は、貴重な午前中という時間を割いていただき、本当にありがとうございました!

(聞き手 渡邉裕之)


芸術論20講

芸術論20講

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体1,100円+税)
  • ISBN:75304-7
  • 発売日:2015.1.8
芸術の体系

芸術の体系

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75147-0
  • 発売日:2008.1.10

2015年2月 3日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「ロマン派+SF的」というオブライエンの特異性 『不思議屋/ダイヤモンドのレンズ』の 訳者・南條竹則さんに聞く

cover200_atogaki02.jpg

お待たせしました、南條竹則さんの翻訳の新作です。

今回の作家は、フィッツ=ジェイムズ・オブライエン、19世紀中期のアイルランド生まれのアメリカの小説家。

24歳でロンドンからニューヨークに渡り、新聞・雑誌に小説や評論を発表。そして南北戦争勃発を機に北軍に入隊。その戦争で受けた傷がもとで34歳の若さで亡くなりました。

そのオブライエンが遺した独特な作品群の中から、南條さんが選んだ、幻想、神秘、奇想に富む8作を収録した短編集が、この『不思議屋/ダイヤモンドのレンズ』です。

オブライエンがどんな作家なのか、このインタビューの南條さんの言葉から想像してみて下さい。......ドイツ・フランスのロマン派の味わいに、SF的な要素という組み合わせ......この取り合わせ、不思議です。いったいどんな作家なのでしょう。

さあ、オブライエンという独創的な才能を発揮した作家を南條竹則さんに語っていただきましょう。

ロマンティックなのに、理知的で、さらに......
Fitz James O'Brien 001
Fitz-James O'Brien

------このフィッツ=ジェイムズ・オブライエンという作家は、一般的には知られていない作家だと思います。日本の幻想文学ファンは、どんな認識なのですか?

南條 大瀧啓裕さんが訳して『失われた部屋』(サンリオSF文庫)と『金剛石のレンズ』(創元推理文庫)の2冊を出していますから、それを読んでいる人でファンになった人もいたでしょう。しかし作品も少ないしマイナー作家だと思われているようです。

欧米でも本格的な伝記は一冊しか出版されていません。フランシス・ウォールによる『フィッツ=ジェイムズ・オブライエン』ですが、それが出たのが1944年、もう60年もたっているのにそれだけですから、やはり向こうでもマイナー作家という認識なのでしょう。また、評価の定まった作家であれば、定本作品集が大学出版局などから出るものですが、オブライエンの場合は、好事家が作品集を出しているという段階です。まだそのような扱いの作家なのです。

------実際に読んでみると、もっと知られていい作家だと思いました。

南條 ロマンティックな文章を書く人です。基本はロマン派の作家ですね。アイルランド生まれのアメリカの作家ですが、ホフマンやテオフィール・ゴーチェのようなドイツ・フランスのロマン派の味わいがある。色彩感が豊かで夢があって......しかし、そこにエドガー・アラン・ポーのような理知的な志向、SF小説の元祖といわれるような科学的要素が組み合わさっている。この取り合わせは、他にはありません!

------今、この短編集を出した理由は?

南條 オブライエンを私は非常に気に入っていましたから、古典新訳文庫の仕事を引き受けた時点から、短編集を出したいとは考えていました。ただし大瀧さんの翻訳もあったし、私が訳す必要は当分ないと思ってたのです。しかし、たまたま必要があって、大瀧訳の『金剛石のレンズ』を探すと品切れになっていたことに気づいた。『失われた部屋』はもうすでにないサンリオSF文庫ですから、読者はオブライエンを読もうと思っても入手困難......それだったら、訳そうということで、考えたのがこの短編集なのです。

------作品選択の基準を教えていただけますか。

南條 先に話しましたが、オブライエンはSF小説の先駆者といわれていました。科学的な発想で奇想天外な物語を作るという傾向がありましたから。しかし、ここでは、そのイメージから離れたゴーストストーリー的なものを多く選んでいます。ファンタジスト、怪奇小説作家としての側面に焦点を絞って編纂したつもりです。

ロボット物、貧民街物、中華物......

------いくつかの作品についてのコメントをお願いします。表題作の一つ「ダイヤモンドのレンズ」は、ダイヤモンドを使った顕微鏡を完成させた研究者が、覗いてみた水滴の中に完璧な美をもつ女性を見いだすという物語です。

南條 これは極微世界の描写が素晴らしい。顕微鏡を覗く前の部分までは、まあ、エンターテイメント系の作家なら誰もが書けそうですが、覗いた後の描写が格別です。この作家でしか描けないよいうな色彩豊かな世界、そこに美女が待っています。

------これは他の作品にも共通していることですが、幻想場面の描写がこけおどしではなく、しっかり丁寧に書き込まれているんですね。この描写力の素晴らしさと、それから、現代の小説では味わえない、昔の文章の質感を強く感じました。

南條 台詞まわしとか、非常に大時代ですよね。私はこういうの嫌いじゃないんですよ。

短編集の最後に入れた「ハンフリー卿の晩餐」は、O・ヘンリーを思わせる貧困に陥った夫婦の人情劇ですが、そこで語られる夫と妻の会話も芝居がかっています。しかも19世紀の芝居みたいにレトリックをたくさん使った長ゼリフが出てくる......このあたりの大時代な味わい、私はこの人のそういうところが好きで、楽しく訳せました。

Attributed to Silas A. Holmes (American - Broadway Looking North from Between Grand and Broome Streets - Google Art Project
19世紀半ばのブロードウェイ
Broadway Looking North from Between Grand and B... (about 1853 - 1855)

------もうひとつの表題作「不思議屋」は、19世紀、ニューヨークの貧民街を舞台にしています。そこに店を出す謎の商人が、人形の群れを遣って殺人を行おうとする物語です。

南條 「ロボット物」の古典といわれている小説ですね。勿論ロボットという言葉はまだ使っていません。自動人形がテーマになっていると点で、後のロボット小説とつながりがあります。

------そういったSF的なところも面白いのですが、この小説で非常に魅力的だったのは、貧民街の描写です。

南條 このあたりは今、非常に難しい問題に触れてしまいますね。最初、私は日本語の言葉の規制をいっさい気にせず原作のニュアンスに忠実に訳します。しかし最終校正の時は、やはり「これはだめだ」と手直しを求められる。

------それが今の日本の言葉の現実なんでしょうね。しかし「不思議屋」を読んでいくと、貧民街が物語を発生させる優れた装置であることがわかり、「ロボット物」があるように「貧民街物」という物語のジャンルがあったことを思い出しました。

南條 そういうアンソロジーがあるとするなら、貧乏文士を描いたジョージ・ギッシングの『三文文士』が入るだろうし、ロンドンの貧民街イーストエンド出身の作家、アーサー・モリスンの『チャイルド・オブ・ジェイゴ』もいいですね。これはジェイゴと呼ばれる貧しい街の物語です。ヒューバート・クラッカンソープの『残り火』なんかもいい。

私が編むとしたら、漫画家の川崎ゆきおの『路地裏の散歩者』を入れるかな(笑)。大都市の片隅を独自の視点で描くこの漫画家の大ファンなんですよ。

------川崎ゆきおの名前が出てくるとは! 確かに日本の「貧民街物」を考えた場合、「ガロ」系の漫画を無視することができませんね。貧乏と幻想が結びつく多くの作品がありますから。

さて、オブライエンのこの短編集を読んでいくと、この貧民街もそうですが、19世紀中期のニューヨークの街角の光景や風俗が時々現れてきます。これは私たちがまったく知らなかったニューヨークだったので、とても新鮮でした。

南條 そうですね。オブライエンが書いた『トマトゥー』という小説があります(本書未収録)。これはトマトゥーというニックネームをもつ少女の物語です。物語の筋は大したことがないのですが、ニューヨークのスターテン島を舞台にして、そこの情景をよく書き込んでいます。この都市の知らなかった様子を見ることができます。

------この短編集には、『手品師ピョウ・ルーが持っているドラゴンの牙』という作品も入っています。中国を舞台にしたマジカルストーリーなんですが......これは欧米のファンタジーなどで時に見られる「中華物」というジャンルの作品ですね。

南條 このジャンルで有名な人に19世紀末に活躍したサックス・ローマーという作家がいます。ロンドンのチャイナタウンを舞台にした一連の小説を発表しています。怪人フー・マンチュー博士の生みの親ですね。

------フー・マンチューで、「中華物」の魅力がなんとなくわかってきました。白人俳優が中国人を演じる時に生ずる独特なエキゾチズムというのでしょうか、それが小説として展開するのが「中華物」ですね。

南條 解説に書いたのですが、「おおむねほんの少しの中国的な要素に、西洋人の抱く東洋幻想がたっぷりと混ぜられたカクテル」ということです。しかし、この小説では「ほんの少しの中国的な要素」が現実の中国、当時の清と関係をもっているところが面白いのです。

たとえば登場人物の大臣の名前が、1850年に起きた太平天国の乱の指導者の一人の名前に似ています。

その他、作中の固有名詞には漢字に復元できるものもあり、作者は、チャイナタウンあたりの中国人に協力してもらったのではないかと想像してしまいます。

私もこの小説に登場している名前を調べるのに、近所の広東人や福建人の知り合いに聞いたりしましたけど(笑)。ただ客家(ハッカ)語の発音は調べませんでした。

2014年は、『エリア随筆』の年でした

------さて、南條さんにはブラックウッドの『人間和声』以来、久しぶりに「あとがきのあとがき」に登場していただきました。ということで、近況を教えていただけますか。

『完訳・エリア随筆 Ⅰ』
チャールズ・ラム 著
南條竹則 訳/藤巻明 註釈
国書刊行会

南條 今年はなんといってもチャールズ・ラムの『完訳エリア随筆Ⅰ正篇[上]』を5月に、『完訳エリア随筆Ⅱ正篇[下]』を8月に、国書刊行会から出したことがトピックです。

------チャールズ・ラムというのは、19世紀前半に作品を発表していたイギリスの作家、名文家として知られていて、その代表作が『エリア随筆』となる......ということですが。

この「訳者あとがき」を読むと、国書刊行会の編集者に翻訳を勧められても、ずっと断っていたと書いています。その理由として「エリア氏(ラムのこと 引用者註)の長文癖と典故のおびただしさを考えると、とても手を出す気にはなれない」と記していますが。

南條 しかし、結局は翻訳をすることになってしまった(笑)。引き受けた理由のひとつが、知り合いの藤巻明さん(立教大学教授)が注釈をつけてくれることになったからです。

------この本は注釈の数とボリュームがすごいですね。『エリア随筆』での注釈の意義を教えて下さい。

南條 本文を読んだだけでは100%わからないところがあるんです。ラムは博識な人で古典の引用が多いのですが、それだけでなく、友人や身内が文章に出てきて、楽屋落ちみたいな冗談も書く、これは事情を知らなければ完全には楽しめません。

しかし注釈を付けるといっても、19世紀前半のことをよく知らない私などが書いても隔靴掻痒になってしまいます。その点、藤巻さんは19世紀前半の文学を専門としてしている。しかもラムの生涯の親友である詩人サミュエル・テイラー・コールリッジの研究家です。彼がこの仕事をしてくれるということで、私も『エリア随筆』の翻訳をする決心がついたのです。そしてやっと今年、正篇が完成することができました。

来年以降は、『エリア随筆続篇』をやはり上下巻で出すことが決まっています。

------大仕事ですね。今回は忙しいところ、ありがとうございました。

(聞き手 渡邉裕之)
不思議屋/ダイヤモンドのレンズ

不思議屋/ダイヤモンドのレンズ

  • オブライエン/南條竹則 訳
  • 定価(本体1,000円+税)
  • ISBN:75301-6
  • 発売日:2014.11.12
 

2014年11月25日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉『三文オペラ』の訳者・谷川道子さんに聞く

img_atogaki_tanigawa01.jpg

新訳の『三文オペラ』刊行が8月7日、そして、新国立劇場での宮田慶子さん演出の上演が9月10日〜28日に行われた。上演より1か月早く世に出た古典新訳文庫「あとがき」に、谷川道子さんは「どういう舞台になるのかは、いまだ定かではない。私も期待や楽しみを膨らませながら、ワクワクドキドキと、稽古と本番を待っているところである」と記している。そして、『三文オペラ』の稽古から初日にいたる過程はこのサイトでも随時レポートしてきた。

こうして怒濤の日々を駆け抜け、「三文ロス症候群」に陥っているという谷川さんに、あらためてブレヒトについて語っていただいた。


「肝っ玉おっ母」→「母アンナ」→「度胸アンナ」--息をする翻訳は進化し続ける

------今回の『三文オペラ』で、古典新訳文庫での谷川さんブレヒト翻訳は、『母アンナの子連れ従軍記』『ガリレオの生涯』に続く3冊目になりました。それぞれ、どのような経緯とお気持ちで取り組まれたのかをお聞かせください。

谷川 そもそも『母アンナの子連れ従軍記』は、「日本におけるドイツ年2005/06」とブレヒト没後50年に際して、2005年秋に新国立劇場で栗山民也演出(大竹しのぶ主演)により上演したいからと翻訳台本を依頼されました。その後に光文社古典新訳文庫が創刊されるということで、そこにブレヒトも入れたいと大橋由香子さんが声をかけてくださったのが最初ですよね。

その頃はまだ「光文社古典新訳文庫」はプランだけで、本当に光文社から新しい古典文庫が出るの? という状況でした。2006年に創刊されて「いま、息をしている言葉で」の新訳が評判をよんで、いまや200冊を超えつつあるのでしょうか。

そこで、それまで『肝っ玉おっ母とその子供たち』という有名な題で翻訳受容されていたものを、『母アンナの子連れ従軍記』と改題して編集者中町俊伸さんの手によって刊行されたのが2009年8月でした。この題名変更も英断(蛮勇)だった? 『母アンナ』でなくせめて『度胸アンナの子連れ従軍記』にすればよかったかなと、実はいまだにちょっと後悔・迷い中ですが......。

----それまでの千田是也さん、岩渕達治さん訳とは違う新訳ですから、「肝っ玉」にまとわりつく古いイメージを変えるために、タイトルを変えるのは必要であり必然だったと思います。でも、今から振り返れば、「肝っ玉」の母性イメージを覆す意味でも、「母」という言葉も取ってしまって「度胸アンナ」にしてもよかったのかも、という悔いでしょうか。

谷川 そうですね。新国立劇場での上演の時にすでに『母アンナとその子供たち』の題になっていたのですが、『子連れ従軍記』で母が同義反復になります。「度胸アンナ」のほうが格好いいでしょ。同じ作品と同定されない危険を冒すのならと。

『ガリレオの生涯』はもっと以前に、ブレヒト生誕百年に世田谷パブリックシアターから松本修演出(柄本明主演)で上演したいと翻訳台本を依頼され、1999年3月に上演されました。その後2011年3月11日に東日本大震災とフクシマ原発事故が起こり、ブレヒトが『ガリレオの生涯』にこれほどまでこだわった理由と『アインシュタインの生涯』という遺稿断片が遺されていることに、あらためて思い至って、そのことはやはりちゃんと語り継いでおくべきことではないかと中町さんに相談。それなら出しましょう、ということになって、『アインシュタインの生涯』遺稿断片もそのまま含めて、2013年1月に刊行されました。

3冊目がこの『三文オペラ』ですが、昨2013年夏、新国立劇場の芸術監督の宮田慶子さんから、是非とも新訳で原典・原点に帰って上演したいというお話を頂いて、中町さんに相談したところ、それなら是非、光文社文庫刊行を並行、いや先行させましょう、ということになりました。ですから、文庫本「訳者あとがき」には舞台について書かれていないので、この「あとがきのあとがき」欄で言及できることになり、嬉しく思います。

「こういう男たちや女たちがいたよ、こういう生き方もあるよ」--ブレヒトが提示したこと

----それでは、今回の『三文オペラ』は、そもそもどういう作品なのでしょうか。舞台化の経緯とともに教えてください。

谷川 『三文オペラ』は30歳前後の若いブレヒトが演劇変革の思いと試み・野心にあふれていた頃、作曲家クルト・ヴァイルと組んで空前の大ヒット作となったエネルギーと魅力あふれる私の好きな作品でした。ブレヒトの原点にも帰れると、喜んでお受けしました。

2014年9月のシーズン開幕作品ということは決まっていましたから、とりあえず出来上がった翻訳をもとに、今年の4月、宮田慶子さんと制作の茂木令子さんとの女性3人で我が家で合宿のような形で台本作りをして、7月から稽古はじめ。その稽古場報告や、初日の感想「三文ドラゴン始動!」などは、光文社と私のブログにすでに書きました。

「『三文オペラ』9月10日に開幕して初日、三文ドラゴン始動!」(2014年9月12日)

文庫版も8月初旬には刊行されたので、せっかくなら俳優や上演スタッフの皆さんにも、原作そのものの翻訳も読んで共有してほしいなと、上演台本は3時間余にまとまるように3分の2ほどに短縮してありますし、お菓子代わりの差し入れとしてプレゼントできたんです。

----差し入れに使っていただいたとは! ありがとうございます。今回の文庫の帯には<『三文オペラ』は女たちの芝居?>とありますね。

谷川 たしかに今回は、「女たちの芝居」という視点をキャッチコピーにしました。作品は共有財です。一人の翻訳者が抱え込むのではなく、時空によってもいろいろな読み方があるし、舞台用作品ならなおさらに、「いま息をしている言葉で」今の人に伝わるように訳したい。しかもこの作品は、女性が元気な作品です。今回の演出も、訳者も、制作者も女性トリオ。ブログに書いたように、新国立劇場のマンスリー・トーク(9月13日)も、宮田さんと私に、ヴァイル研究者の大田美佐子さんが加わって、女性トリオになりました。隔世の感があります。

面白いのは、『三文オペラ』の原作『乞食オペラ』は、17世紀初頭、市民階級が登場し、シェイクスピア戯曲のような王侯貴族でなく、市民が主人公になる市民劇、市民オペラだということです。はじめて市民同士の恋愛や家庭、結婚や家族の問題がテーマとなった。それをブレヒトは巧妙に、盗賊団のボスのメッキースと警視総監のブラウンがボーア戦争の戦友という形で、資本主義が勃興して、帝国主義が植民地支配を拡大していく20世紀初頭にずらしています。

男たちがブルジョアとして成り上がろうとするとともに、それまでは父や夫のものだった女たちが、やっと個人として自立して生きられるようになってきた時代でもある。この時代、やがて女性も選挙権を得るとともに大学にも入れるようになり、服飾デザイナーのココ・シャネルをはじめ、舞踏家イサドラ・ダンカン、音楽家アルマ・マーラーなどなど、数としては少なくても、生き生きした女たちが出てきたのは、そういう時代の息吹きの表われでもあります。

img_20140805_01.jpg
左からポリー役・ソニンさん、ピーチャム役・山路和弘さん、 ピーチャム夫人役・あめくみちこさん

劇中の登場人物でいうと、ポリーは、父ピーチャムに無断でメッキースと結婚式をしてしまうし、ルーシーも、父タイガー・ブラウンに内緒でメッキースと付き合っています。娼婦のジェニーは、かつてメッキースと所帯をもち、妊娠して流産してしまったという有名な「ヒモのバラード」という歌もでてきますが、結局愛するメッキースを二度も裏切ります。

男たちを取りかこむ、ポリーやルーシー、ピーチャム夫人、ジェニーなど、女たちのしなやかさとしたたかさがこの作品の魅力なのですよね。皆、自律しています、それを今回の役者さんたちは実に生き生きと演じていました......。

ブレヒトは、「こういう男たちや女たちがいたよ、こういう生き方もあるよ」ということを提示しているんじゃないかと私は思うんですよね。上演パンフの鼎談でも話したのですが、ある意味で、メッキースもピーチャムもブラウンも、ブレヒト自身です。人間の振り幅はそれだけ大きい。また実際に、ブレヒトのまわりには、魅力的で多才な男たちや女たちがたくさんいた。作品が誕生した当時、ブレヒトたちはみんな30歳前後、若いパワーで、果敢に、やりたい放題にやっていた(笑)。転換期のマグマが噴き出たようなエネルギーの塊です。

「矛盾のなかにこそ未来がある、矛盾こそ希望だ」--ブレヒトと女たちの共同作業
img_atogaki_tanigawa03.jpg

----谷川さんは、『聖母と娼婦を超えて ブレヒトと女たちの共生』(花伝社 1988)で、ブレヒトと人生や仕事を共にした女たちを描いています。私はこの本を読んで、ブレヒトのイメージが変わったというか、「ああ、そういうことだったんだ」と腑に落ちた感覚をよく覚えています。それで、古典新訳文庫で新訳していただきたいと思ったわけですが、『三文オペラ』制作にあたっても、すてきな女たちが関わっていますね。

谷川 私自身、それまで従来のブレヒトを論じたものすべてに違和感を感じていました。ブレヒトで「ブレヒト」を反復説明しているだけではないかと。別の視点から語りたいと思ったときに見えてきたのが、女性たちの存在と視点でした。

まず、『三文オペラ』の原作である200年前のジョン・ゲイ作『乞食オペラ』をエリザベート・ハウプトマンが見つけ、英語からドイツ語に訳していました。ハウプトマンは当時のブレヒトの女性秘書で、多くの作品の協力者です。語学の才にたけた彼女の翻訳があったからこそ、急にシフバウアーダム劇場の杮落としの演目が必要になったとき、ブレヒトはその『乞食オペラ』を下敷きにして、『三文オペラ』へと二人で改作できたわけです。ハウプトマンの手が翻訳で入り、台本も一緒に作ったので、彼女の眼差しが入っています。

亡命期のブレヒトの愛人で秘書でもあったルート・ベルラウは、デンマーク王立劇場の女優としての高い地位があり、立派な夫も子どももいたのに、なぜか亡命中のブレヒトについていきました。その後のブレヒトの作品に関わり、舞台写真のほとんどを撮影しています。

『三文オペラ』の実に自在で見事な音楽を作曲した共同制作者クルト・ヴァイルの妻のロッテ・レーニアも、『三文オペラ』ではジェニーを演じましたが、ブレヒト演劇になくてはならない女優でした。彼女は貧しい家庭に生まれ、父親から虐待を受けて家出して、6歳からサーカスに入って軽業や曲芸を、後にはキャバレー歌手をしていたようです。ヴァイルに出会って結婚し、彼の没後の復活にも未亡人として大きな影響を与えた。既成の常識を超えたこれもすごい女性なので、ヴァイルの評伝『ロッテ・レーニャ ワイマール文化の名花』(ドナルド・スポドー著、谷川道子訳、文藝春秋、1992)もぜひ読んでください。

そして、ブレヒトの妻ヴァイゲル。ある意味では一夫多妻的なブレヒトの性向に耐えながら、彼の一番の理解者でした。『三文オペラ』では、娼婦の館の女将役だったのに盲腸炎になってしまったので、そのパートはすべてカットされてしまったようで、残念でしたが。ブレヒトは亡命中、英語や外国語ができないヴァイゲルのために、『母アンナの子連れ従軍記』に聾唖のカトリン役をつくったと言われています。東ドイツ帰国直後には、ヴァイゲルが主役の肝っ玉/度胸アンナをつとめ見事に女優として復活、劇団ベルリーナー・アンサンブルの主宰者もヴァイゲルでした。戦後のブレヒト演劇の時代をともに築きます。

恋愛関係も絡みますから、もちろん、女たちはそれぞれが悩んでいます。ブレヒトと別れようか、どう生きようか、自殺未遂したり......。女同士の関係も微妙ながら、それでもお互いの存在を認め合っているようなところがあります。善悪とか倫理などということも、そこでは簡単に言えない。あの時代、一人で生きていくのはどの女だって大変だし、生きていくことは矛盾だらけ、みんな矛盾を抱えています。

こうした中で私は、矛盾のなかにこそ未来があるし、「矛盾こそ希望だ」ということをブレヒトとこうした女たちから教えられたように思うのです。この女性たちは、何を感じ考えながら生きたのだろうか、と。そのこと自体がとても興味深かった。

----ブレヒトが「女たらし」というのも事実かもしれませんが、それぞれの女たちも「男たらし」でもある?

谷川 そうですよね。むしろ女たちのほうが選んでブレヒトについていった、とも言えます。それにブレヒトは女性関係を隠したりしないで、あるがままにしてるでしょ、証拠もそのまま。女たちにも語るに任せ、たくさん彼女たちの自伝や評伝も出ている。そこが面白いんですよ。悪いと思っていない。

私がこの『聖母と娼婦を超えて』を書いたとき、「ブレヒトを冒涜するのか」と男たちから警戒されましたが(笑)、そういうことではありません。ブレヒトは女たちを搾取していたという観点からの、アメリカの著名なブレヒト学者ジョン・フエギの本が出ていますが、私はそうも思いません。協力者として彼女たちの名前も版権も明らかにしているし。〈ブレヒト演劇〉は協力者たちとの共同作業、まさに〈男女共同参画作品〉だと思うんです。だからマッチョではない。「ブレヒト」というのは、そういう男女の集合名詞なのです。作品は共同の果実。「皆で作った林檎」という言い方もしている。

----先ほど名前がでたアルマ・マーラーの場合は、夫のグスタフ・マーラーに作曲するのを禁じられたわけですし、ほかにも、共同・恊働作業なのに、女性の名は出さずに自分の成果にする例は、芸術でも学問でも日常生活でもたくさんあって、それは確かに搾取といえます。それと同時に、搾取と捉えてしまうことで、女たちの意志が軽視されてしまうジレンマもあって、ブレヒトの特異性とともに、谷川さんの『聖母と娼婦を超えて』は、女たちが主体的に動いた事実を明らかにしたのだと思います。とはいえ、共同作業で集合名詞でも、名前はやっぱりブレヒトになるというあたりは......。

谷川 演劇や芸術そのものが共同作業ですし、いわば〈ブレヒト工房〉でしょうか。「ブレヒト」の名はやはりブランド力がありますからね。『三文オペラ』で一躍世界的に有名になったし。ブレヒトは、印税のパーセントの数字を決めて協力者と分け合っている場合もあります。『三文オペラ』は成功初日のずっと前の契約なのですが、ヴァイルは25%、ハウプトマンは12.5%。全体を仕切ったブレヒトの取り分が62.5%と多いけど。ハウプトマンはブレヒトの亡命についていかず、英語教師や翻訳通訳で生きてきて、アメリカで再会。戦後にはまた東ベルリンでブレヒト文庫や戯曲の出版や版権を担当。ベルラウも写真や劇場の管理などによって暮らした。つまり彼女たちは、「ブレヒト」を創り、ブレヒトの死後も「ブレヒト」で生きているんですよ(笑)。

男女を問わず、友情と愛情がブレヒトを突き動かしてきたと私は思います。〈友愛〉がブレヒトのキーワードです。生涯を通じての男性の真の友人もたくさんいますよ。ベンヤミン、ヴァイル、カスパー・ネーアー、エーリヒ・エンゲル...。メッキースとブラウンの熱い友情も、そんな実態の反映でしょうね。

  • 「ああ僕たち、
  • 友愛のためにこの大地を準備しようとした僕たちは、
  • 僕たち自身では
  • 友愛をもつことはできなかった。
  • しかし君たち、いつの日にか
  • 人と人とが助けあうような時代が到来したなら
  • 思い出してほしい、僕らのことを
  • 広い心で」
  • ブレヒト、詩『あとから生まれてくる者たちに』(1937年)より
「ブレヒトはこんなにわかりやすく面白い」--<68年叛乱>の出会いから原典/原点に帰る

----そもそも、谷川さんがブレヒトに出会ったのは、いつ頃のことなのでしょうか。

谷川 私がブレヒトを読み始めたのは大学時代で、ベトナム反戦運動が盛んな、そして大学に機動隊が入った1967--68年頃でした。世界的に学生や市民たちの叛乱とカウンター・カルチャーやポップ・カルチャーがつながり、それらがさまざまな文化と社会のパラダイム・チェンジと連動していました。

卒論でブレヒトを研究しながら、実際に千田是也さんがブレヒトの舞台をやっているのでそれを観に行き、アングラ芝居でもブレヒトをやっていたので、黒テントや紅テントも観に行きました。

するとますます、ブレヒトって何者なの? 演劇って何なの? と謎が湧き出てくるんです。それからは、ブレヒトを核に、いろいろなものが見えていきました。資本主義、男と女の力学、戦争、科学、知識などなど......。近代が作ったこれらの問題に対して、疑問を感じたブレヒトは、単純に答えを出すのではなく、考えるヒントや道筋、仮説を提供しようとしているのだと思います。

いつ、どの演劇を見るかというのは、すごくパーソナルなことだけれど、その時々の個人史と時代史が交差して、場(トポス)がうまれるんですね。そのへんの面白さ、演劇というジャンクション(交点)に、はまってしまったのでしょうか。出会ったのは、ほぼ二十歳のときですから、ブレヒトとドイツ演劇とのつきあいは、もう半世紀近くになります(笑)。

----卒論でブレヒトの教育劇を取り上げ、大学院に進もうかと思っていた1969年、大学闘争で入試が中止になり、谷川さんはある劇団の研究科に入られるんですね。そのへんの話もふくめて、10月7日に刊行された『演劇の未来形』(東京外国語大学出版会)で谷川さんにとってのブレヒトや演劇が全面展開されるとのことで、楽しみです。最後に、『三文オペラ』の舞台について、もう一言お願いします。

谷川 9月28日に『三文オペラ』は無事に千秋楽を迎え、稽古初めから3か月余......ひとつの舞台を創り上げるというのはこんなに大変なことなのですね。いろいろ同時並行だったのでちょっと疲れましたが、「さあ、今日もはじけていきましょう」という宮田監督の掛け声に皆が敏感に反応し、日々「三文ドラゴン」が成長していくような、素晴らしいカンパニーでした。

女泣かせの色男・池内博之メッキースを核に、狂言回しのようなピーチャム夫妻役の山路和弘+あめくみちこさんや、女たちのポリー役のソニンさんやルーシー役の大塚千弘さん、ジェニー役の島田歌穂さんはじめ、泥棒や乞食たちのどの役者も、個性的にそれぞれの工夫やアドリブで観客との掛け合いや対話を試み、舞台の世界が現在世界との合わせ鏡のようで、客席との間に大きな対話空間が、新国立劇場のあの大きな中劇場に生まれました。舞台上に、楽団員も入れれば50名近い登場人物がいて、とくに千秋楽の公演は、観客もすっかり乗って、皆が『三文オペラ』の登場人物であるかのような、まさに現代の民衆劇に見えました。最後は拍手のスタンディング・オーベーション。

市民というのはブルジョア、ドイツ語でビュルガーと言うのですが、城壁に囲まれた中にいて、ちゃんと住民登録して認められた人たちなんです。でも役者は、住所不定のさすらい人だから、市民に入れてもらえない。教会にも入れないし、お墓も作ってもらえない。住所不定の浮浪者がやる芝居だから、原作は『乞食オペラ』だったのですよ。日本でも「河原乞食」と言われていた時代があったように、役者は法に守られないアウトローなんですね。

『乞食オペラ』から200年後の経済恐慌と失業者の時代に舞台化されたのが『三文オペラ』ですが、乞食、娼婦、泥棒たちが繰り広げる民衆劇。『三文オペラ』の時代からさらに100年近く経過した今、非正規雇用労働が増えて、ブラック企業からクビになっても訴える手だてもない格差社会になっています。民衆という概念がもう一度復活してもいいような状況ではないかと思います。いまなら民衆は、ネグリ/ハート流の「マルティチュード」でしょうか。

毎日見ていたツイッターなどではすごく好評で、乞食役で出ていた寺内淳史さんはほぼ毎日ツイート、楽しませて頂きました。『三文オペラ』という作品が「初めて分かった」という反応も本当にたくさんあったのですが、劇評は「驚きや新機軸がない」という辛口の印象。劇評家世代はひと回り上で、ブレヒトへの固定イメージがおありなのかもしれません。「〈ポストドラマ演劇〉の推進者のはずの谷川さんが何ごとか」という反応もあるようですが、その理由はブログで書いています。

谷川道子ブログ「『三文オペラ』補遺!」(2014年9月27日)

私も黒テント版や原サチコさんのポリー役の『三文オペラ』は面白い。でもそんなこんなの成立史を経た今だからこそ、ブレヒト+ヴァイルの原典/原点に帰る意味と理由があり、これは新国立劇場で宮田慶子監督だからできたことで、今後しばらくはできない試みではないかと思っています。

「こんなにわかりやすく面白いブレヒトでいいのか」という反応もありましたが、「ブレヒトはこんなにわかりやすく面白い」という原点にも帰りたかった。「民衆の生へのエネルギーを感じさせる良作」という評は嬉しかったですね。ヴァイルの音楽の側からもいろいろ新しい発見があり、音楽劇についてもいろいろに考えさせられました。廊下やトイレで「面白かった」とけっこう声もかけられて、すでに5回目だとか、数回観た方も何人もおられたことに、こちらが驚いたり。客席の楽しさが感じ取れたことが嬉しく、そんなこんなの意義ある試みで、私にも貴重な体験でした。

----本当にお疲れさまでした。個人的には、さらなるブレヒトの新訳を期待しています。

(聞き手・大橋由香子)

[関連リンク]
『三文オペラ』公式ウェブサイト
谷川道子ブログ
三文オペラ

三文オペラ

  • ブレヒト/谷川道子 訳
  • 定価(本体900円+税)
  • ISBN:75296-5
  • 発売日:2014.8.7

2014年10月10日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「新しい「老人」の誕生」──『老人と海』の訳者・小川高義さんに聞く

老人と海
『老人と海』
ヘミングウェイ
小川高義/訳

数々の伝説に彩られた作家、ヘミングウェイ。「失われた世代」を代表する作家として、また、釣りや狩りを愛する行動力あふれる作家としてよく知られています。短編から長編までさまざまなスタイルで創作を続けましたが、彼自身がカリスマとして振る舞い、全世界の注目を集める存在でした。そのヘミングウェイが最晩年に書いた小説が『老人と海』です。この作品でピュリッツアー賞を受賞したヘミングウェイは、その2年後にはノーベル賞も受賞します。『老人と海』は中編ではありますが、たいへん深い奥行を持った物語です。老いた漁師が巨大カジキを釣り上げるために3日4晩戦い続けるというシンプルなストーリーですが、読み終わると誰しもが、ある種の沈黙を余儀なくされるような特別な作品なのです。

ヘミングウェイ後期の傑作として名高いこの作品の画期的な新訳が、福田恒存氏の初訳からおよそ60年を経て、ついに光文社古典新訳文庫から刊行されました。

新訳を手がけられたのは、アメリカ文学の翻訳で数々の名訳を世に送り出した小川高義さんです。ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』『低地』をはじめとする現代小説の翻訳に親しんだ方も多いと思います。古典新訳文庫では、ホーソーンの『緋文字』、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、さらにエドガー・アラン・ポーやビアスの作品など、いくつもの重要な作品を翻訳されています。

「翻訳者は第二の語り手」は小川さんのモットーだそうです。今回の『老人と海』ではどのような新しい「語り」がなされているのでしょうか。新訳の話題とともに、これまであまり語られてこなかった小川さんの学生時代のことや、翻訳という仕事との出会い、さらには翻訳家としての修業時代のことについてもお聞きしてきました。

新しい翻訳によって「出現した」寡黙な老人像

------小川先生のご出身は横浜ですね。ロックミュージシャンの柳ジョージに「フェンスの向こうのアメリカ」という曲がありますが、アメリカ文学を専攻なさったのは、やはりもともとそういう文化に親しんでいたのでしょうか?

小川 いえ、がっかりさせてしまうようですが、私は横浜のハイカラな文化を享受してきた人間ではなかったんです。アメリカ文学や英文学をやろうと思いたったのも、そうだな...大学に入ってから2、3年目ぐらいのことですね。大学に入学するまでは、じつはドイツ文学を志望していたんですよ。

------それは驚きですね。どういったドイツ文学の作品をお読みになっていたんですか?

小川 それもドイツ文学が好きというよりは、むしろ音楽への興味とか、ドイツ語の響きが面白いとか、そういう素朴な理由からでした。ただ、受験勉強をするなかで、嫌でも英語の勉強をしなくてはならない。それで大学に入ってみたら、今更ドイツ語を一生懸命やるのも、ということで(笑)。それで英文科に進んだと。ある意味では、極めていい加減ですね。

------なるほど。意外なことでしたが、アメリカ文学がお好きで英文科に、という流れではなかったということですね。

フロリダ州最南端キーウエストの自宅で執筆に使っていた机。ヘミングウェイは1930年代をこの場所で過ごした。

小川 全然そういうわけではなくて、偶然の産物みたいものが多々ありましたね。当時、大学2年で専攻を決めなくてはならず、そこでたまたま出会ったのが、実は今回新訳したヘミングウェイだったんです。それほど深い理解ではなかったと思いますが、わからないなりにある種の力を感じたんでしょうね。自分でわかる範囲で、この作家はなにかすごいなってことを感じ取ったのかもしれません。

そのまま、卒業論文もヘミングウェイを選びました。初期から中期のヘミングウェイがそのころは面白くて、いまでも馴染みがあるのは、『武器よさらば』、あるいは初期の短篇作品でしょうか。ある種の弱さがあるといいますか、マッチョになる前のヘミングウェイ。そっちの方が好きでしたね。

そういったこともあって、当時からインタビュー集とか文献を多く集めていたんですが、その当時読んでいた本が30数年たって、今回の新訳に本当に役に立ったということはありました。

------ヘミングウェイの作品には、初期は素晴らしいものがたくさんあるけれど、後期は肉体的、精神的な不調があいまって、残念ながら文学的な評価はあまり高くありません。『老人と海』は後期の中では、例外的な作品なのでしょうか。

小川 そう思いますね。後期の作品の中では格別に素晴らしいと思います。中編ということもありますが、はじめから終わりまでずっと、緊張感が持続している。やたらと人物を強く見せようっていう、変な色気もないですよね。今回翻訳して、新しく気づいたこともありました。

------新訳の「あとがき」では老人の声の大きさについてお書きになっていましたね。今回、小川先生の翻訳で「出現した」老人像には本当に新鮮な印象を受けました。

小川 はい。 初めて福田訳を読んだときは、リズム感も優れているし、すごいものだなあと思っていたんですが、自分で原文に向き合ってみたときに、やや違和感が残りました。「叫んだ」、「叫んだ」とありますが、いやここは「叫んで」いないのではないか、と。

もうひとつ、原文を読んだときに感じた印象として、音はあまり聞こえてこなかったんですよ。ああこれは明らかに、視覚を優先した話だと思いました。カジキを刺すところなども、必ずしも大音響の効果を意図しているとは思えなかった。

------無声映画に近い?

小川 そう、ちょっとそういう感じがしましたね。スペンサー・トレイシーが出ていた、映画化作品がありますね(ジョン・スタージェス監督『老人と海』1958)。あれを見ても、あまり叫んだりするシーンはでてこないんです。

------なるほど。そうすると、舟の上の老人のイメージがかなり変わってきますよね。福田訳では、サメとの闘いを描いた勇壮な活劇というイメージがありましたが......。

小川 自分にとっても今回、新発見だったんですが、老人の語りは叫びというよりはむしろ、独り言であるという印象を受けました。ですから新訳では、そういう寡黙な老人像を前面に出しました。結果として、老人のキャラクターは、明らかにいままでとは異なるものになったと思います。

しかし、新訳が既訳を全否定するということではないんです。むしろ新訳によって、作品の解釈が変わっていくことを、肯定的に捉えたいですよね。翻訳というのは、ただ訳すだけではなくて、訳者が作品をどう「語る」のかということですので、過去にはあの訳があったが、こんなふうな新しい訳を作りましたと、そういう具合に、それぞれの訳が並立していると考えたいと思っています。そして、日本でこの作品が歴史的にこう読まれてきたんだというように、後の時代の人が受け止めてくれれば、それでいいんじゃないかと。

Ernest Hemingway at the Finca Vigia, 1953
1940年から60年までを過ごしたキューバ・ハバナ市郊外の自宅。1953年撮影。
『老人と海』はここで執筆された。

------もうひとつ、今回の新訳で印象的だったことがあるんですが、小説のラストの少年マノーリンの涙は、老人を「かわいそうだなあ」と思っての涙ではなくて、小さな子が初めて人生に触れたときの泣き方だなと思ったんですね。あの少年の涙は本当に印象的でした。新訳で初めて分かりました。

小川 少年と老人との関係性というか、この老人にとって少年は必要なのだろうか、ということを考えたんです。そのときに思ったのは「あの子がいたらなあ」というセリフは老人の本心、心の声なんですよね。彼にそばにいてほしい、いなくては自分の思考が進まない、ということがあると思う。老人はあくまで思索的な人物なのだなと思いました。

少年についていえば、初期のヘミングウェイの小説に現れる少年像が、マノーリンの中にほんのり見え隠れしている気もするんです。これから人生を知っていかなければならない、入り口に立った少年のイメージで、若い頃のニック・アダムズ(※編集部註:ヘミングウェイの初期短編作品の主人公。複数の作品に登場し、それらのなかで成長を遂げる)の姿と重なるのではないかなと感じました。老人はすでに様々なことを経験してきたのでしょうから、人生について教える側ですけどね。でも教える側にしてもようやく焦りが消えてきたところかな、と。

Ernest Hemingway poses with water buffalo, Africa, 1953
1950年代、アフリカ。いかにもヘミングウェイらしい一枚。
原作の「声」を大切にするということ

------ところで、先生はいつ頃から翻訳という仕事を始められたのでしょう?


小川 実は、翻訳家になろうという気持ちが最初から強くあったわけではなかったんです。学生時代には、名の知れた文学作品は当時の一流の人たちが訳しているので、自分などの出番はないなという気持ちもあったんですね。ただ一方で、論文を書くっていう研究者の仕事にもちょっと疑問があって、研究だけが創造的で翻訳がそうでないということにはなるまいとも思っていました。

しかしながらすぐに仕事もないので、普段は授業をしつつ、翻訳にも惹かれつつという状態が何年か続いた。で、あるときに大学院時代の同期だった柴田元幸さんから、仕事を紹介されたんですね。白水社で新しいアメリカ文学のシリーズを出す企画があったんですが、企画がはじまったときに私も誘われて、ひとつやる気があるなら任せるよ、っていうことで。

------幸運な出会いですね。それはなんという作品だったんでしょうか?

小川 ロビン・ヘムリーという作家の『食べ放題』(1993)という作品でしたか。いま思うと、こういう誘いがあったことは、とても恵まれていたなと思います。

これもまた偶然ですが、編集を担当していた人が、私よりは年上ですけれども、当時の私の勤務先だった横浜市大の卒業生でした。だからというわけでもないのですが、それから白水社で2、3度仕事をさせてもらいました。そのあと文藝春秋の翻訳担当の方から声がかかって、しばらくそちらで本を出させて頂いて...。『骨』(フェイ・ミエン・イン、1997)もこのころですね。今思えば、この時期がとてもよい修業になったなと思います。

------そこのところをもう少し詳しく伺いたいのですが、実際にどういう風に翻訳の修業をされたんでしょう? 最近学生さんで、翻訳論をとられている人も多いですが、そういうのではなくて?

小川 うーん、それとは少し違うでしょうね。仕事しないと覚えないでしょう? 人の数だけ翻訳論があるとは思いますし、そのなかでは共通点もあると思うけれども、やっぱり実際に翻訳はやりながら覚えていくものだろうと。

------前に伺ったことがあるんですが、翻訳をしながら、書斎でひとり、ご自分で登場人物の動作をまねてみるそうですね。それを小さかった娘さんがそっと覗いていて、セリフの口真似をしたとか(笑)。

小川 その話、いろんなところでしましたからね(笑)。動作をまねたりしながら、この人は何を考えているんだろうと、一生懸命思い描くということをしているんです。実はそういうことが翻訳する時の、ひとつの勘所じゃないかと思いますよ。

一番大切なことは「訳しちゃいけない」ということだと思うんですね。言葉を移そうとか、置き換えようとしたりすれば、むしろ間違えてしまう。英文を読んで、この作家はこういうことを書こうとしているなっていう声が、自分の頭に伝わったとしたら、ではそれを日本語で書いたらどうなるか、と。それを書くだけなんです。原作の声を大切にするということを念頭においていますね。

------お話を伺うと、翻訳の修業というのは、まず水の中に入って、それから泳ぎを覚えましょうと、そういう感じがしてきますね。

小川 そう、やはり仕事をしながら覚えるものだと思いますね。もちろん、その前提として文法の知識とか、いわゆる読む土台、これはなくてはダメだと思います。読む力ですね。読み込む力。なんでここに冠詞がついてないのか、とか本当にささいなレベルから。

「第二の語り手」、そして「演奏家」としての翻訳者とは?

------なるほど。では、今日まで数多くされた翻訳のなかで「これはやりきった」というのはどの作品でしょうか。

『緋文字』
『緋文字』
ホーソーン
小川高義/訳

小川 実は古典新訳文庫の『緋文字』でした。いや、本当に難しかったです。長さのことも含めて。ある編集者が「先生、これって歌舞伎のセリフを何時間もしゃべるようなのに似ていませんか」と言っていたんですが、まさにその感じで。文体には本当に苦心しましたね。古めかしい感じも欲しい、ある種の格調も残さなければならない、しかしあまり難しい言葉は使えない。ある程度の文体を作るところまではできても、それを維持するのがとても難しかった。

よく、行間を読むと言いますが、こちらは文間を書くとでも言いましょうか、ある一つの文から次の文につなげるということが大事で、その調子をどうやったらずっと維持できるか。ある一定の語りの調子を保ち続けるのがとにかく大変でしたね、ホーソーンは。それが翻訳で一番大事なことだとも思うのですが。

------今回のヘミングウェイとも関連しますが、そういう日本語の表現については、どのように訓練されたんでしょうか。例えば、日本の近代文学から学んだというということはありましたか?

小川 父親の趣味で、子どものころ家の中に吉川英治とか山岡荘八とかそういうのがゴロゴロ転がっていたんです。『徳川家康』(全26巻、講談社)とか、小学校の時に読んでしまったんですよ。今から考えればあの経験が土台かもしれませんね。中学に入ると『三国志』とか『水滸伝』とか、中国文学の古典をおもしろがって読んでいました。

それから、自分が翻訳者として何冊か訳したあとに、言葉が詰まってしまってでてこなくなった時期がありました。この程度の言葉しかでてこないのかと、かなり悩んだんです。そこで、まともな日本語らしい日本語をもっと読まなきゃ駄目だなと思って、藤沢周平や山田風太郎などの本を読んで徹底的に練習しました。翻訳調の文体をほぐす為の解毒剤のようなものとして、意図的にそういう作家の作品を読みました。いや、本当にずいぶんお世話になりましたよ。

------なるほど。小川さんの解説やエッセイの日本語を読んで、いつも面白い文章だなと思っていたんですが、そういう土台があったのですね。翻訳の日本語もやはり、読者を意識されているなと感じます。

小川 やはり読者は常に意識しています。先ほどの話とつながりますが、翻訳者は第二の語り手だと思っているんです。演奏家といってもいいかもしれません。もともと別の作者の物語だけど、それをもう一回語り直す、自分は日本語で語りを引き受けたよ、という感じです。

これはよくいうことなのですが、例えばブロンズでできている美術品を、木を使って作ってみるとか、ピアノの楽曲をオーケストラで演奏してみるとか、翻訳ってそういう仕事だと思うんですね。素材を変えて、こちらで作ってみました。で、結果としてどっちが面白くなっていますかね、ということなんです。ひょっとしたらこっちの方が面白くなっちゃってもいいわけです。でなければ、原作に対する劣化コピーに過ぎないでしょう。これってどこか、ものまね芸人のようではないでしょうか(笑)。でも彼らも、オリジナルにたいして敬意を払ってやっているわけですから、近しいものを感じるんですね。

------昔読んだ作品を、年月を経てまた新訳で読むと、実は作品というものが非常に多面的であるということを感じることもありますね。

小川 はい。ふたたび音楽の演奏に例えれば、この指揮者とあの指揮者、どちらが絶対にいいということではなくて、それぞれの面白さがあると。翻訳でも同じで、どの訳者も誠実に作品に向かっているのであれば、強いて優劣を決める必要はなくて、それぞれが並立すれば良いのだろうと思っています。

翻訳には賞味期限があるという考え方もありますけど、新訳をすることによって、むしろ賞味期限を今の我々が伸ばしてやったらどうだろう、と思うんです。先ほども言ったように、それが後の世代の方々に伝わっていけば面白いなと。

もうひとつ、実は自分は結構ナショナリストな気がしているんです。翻訳って向こうの人が作ったものをこっちに頂いてしまって、こっちの文化の中で成立するものを作っちゃおうというわけですから。海外の文化が好きというより、むしろ日本語作品の豊かさを育てていきたい。まあ、グローバルになれない人間なんだなと思うんですが(笑)。

------最後に、今後の活動について伺えますでしょうか。古典新訳文庫で、今後やってみたい作品はありますか?

小川 基本的に今やっている路線は維持したいので、古典作品、現代作品ともにやっていきたいですね。とりわけ古典には今後も取り組んでいきたいです。古典作品の翻訳は労働量として、2、3倍になりますが、本当に修業になるなと。それから、古典作品の仕事を続けていると、翻訳というかたちで、自分がある種の文学史を編んでいるようにも思えてくるんです。もちろんすべての作家を訳すとまではいかないでしょうが、今後どこまでやっていけるか本当に楽しみですね。

じつは、来年度一杯で大学はやめて、翻訳に専念しようと思っています。『老人と海』の老人ではないですけれど、焦りがでてきてもいるんです。残りの人生、一体あと何年やれるのだろうかという気持ちが出てきたんです。残された時間のすべてを翻訳に費やすことを、本気で考え始めているところです。
(構成:井上遊介)

老人と海

老人と海

  • ヘミングウェイ/小川高義 訳
  • 定価(本体600円+税)
  • ISBN:75299-6
  • 発売日:2014.9.11

2014年9月25日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉D・H・ロレンスの速さと荒さ、その異質性 『チャタレー夫人の恋人』の訳者・ 木村政則さんに聞く

チャタレー夫人の恋人
『チャタレー夫人の恋人』
D・H・ロレンス
木村政則/訳
チャタレー裁判
1950年、伊藤整が翻訳した『チャタレイ夫人の恋人』の大胆な性描写が問題となり、訳者である伊藤と版元の小山書店社長の小山久二郎が、刑法第175条(わいせつ物領布罪)違反で起訴された。一審では小山が有罪、伊藤が無罪。二審では両名とも有罪となったため上告。1957年の最高裁による上告棄却で裁判は終結した。
この「チャタレー裁判」では、猥褻と表現の自由の関係が問われた。特別弁護人として文芸評論家の中島健蔵、評論家・劇作家の福田恆存らが出廷した。
その後、猥褻と表現の自由を巡って、サド裁判(1959年起訴)、四畳半襖の下張り裁判(1972)、日活ロマンポルノ裁判(1972)などが話題になったが、チャタレー裁判は、時代背景が他の裁判と異なると思う。時は1950代年初頭、戦争直後の時代。国家による表現の抑圧という問題は、戦前戦中の生々しい弾圧に関わる記憶を甦らせたろう。さらに、裁判が終結する年まで、GHQによる言論統制が行われていた。表現の自由の問題は、現在の私たちが思っていることとは、かなり違っていたはずだ。(文責・渡邉)

「かつて日本語に翻訳された『チャタレー夫人の恋人』は発禁処分にされたけれど、今読めば、性的な描写は猥褻なんかではなくてフツーに読めてしまうんだよね」と考える人はきっと多くいるでしょう。実際そうなのだけど、そのことによって、この小説が古くさいものだと思えてしまうのなら、とても惜しい。

そう、物語は、上流階級の夫人が領地の森番の男と関係を結び、地位や立場を超えた愛の世界へと突き進むというもの。

猥褻とかタブーを破るといったことに過剰に反応せず、今回新訳されたこの長編小説をゆったりと読んでいくと、一人の女と一人の男が出会い、そこで生まれた恋愛の全体性を、独特なタッチで描いた作品であることがわかってきます。

主人公の女と男の背景をD・H・ロレンスは書いていきます。20世紀初頭の工業化社会、イギリスの階級社会、そしてチャタレー夫人の夫を下半身不随にさせた第一次世界大戦など......その描き方が独特なのです。

その独特さは、今回の「あとがきのあとがき」に登場する『チャタレー夫人の恋人』を訳した翻訳家・木村政則さんの話からも伝わってくると思います。木村さんは、ロレンスの文章の速さと荒さについて語り、イギリスの階級社会におけるロレンスの特異性について触れます。

ペシミスティックな事態や人間関係も多く書かれている小説ではありながら、様々な場面でどこか希望の光が感じられるのは、ロレンスならではの文体や作家としての立ち位置と関係しているのでしょう。

木村さんにはその他いろいろと聞いてきました。この小説を翻訳した伊藤整のこと、そして木村さんがロレンスに感じているシンパシーから、話は横浜の肉体労働者の文化へと展開していきます。楽しんで下さい。

 
その文体と反抗の身振り

------今回の「訳者あとがき」で印象に残ったのは、木村さんがロレンスの文章を「速くて荒い」といっているところでした。

木村 イギリス文学研究の世界では、やはりD・H・ロレンスは王道の人ですから、ヘソマガリの僕なんかには、あまり縁がない作家でした。今回、『チャタレー夫人の恋人』を訳すというお話があって、初めて原文を読むと、「文章が荒い!」とまず感じました。

ウルフやジョイスなどは難解な言葉を使いますが、こちらは実に平易な言葉を使う。それで緻密な文章を組み立てればいいのですが、何度も同じ言葉を使ったりして実に荒っぽい文章を作り上げていくのです。

どうしてこうなってしまうのか。ひとつは速度の問題があると思います。読んでいてわかってきたのは、ロレンスの頭の中にはイメージがしっかりあって、とにかくそれをかなり速いスピードで文字に定着したいと考えたのではないか。そのために荒い文章になったのだと思ったのです。

抱えているイメージを言語化するには勢いが大事だったのでしょう。彼の伝記を読んでみると、案の定相当な速さで書いていました。

------このような文章の印象を踏まえて、木村さんは「ロレンスって、パンク」と書いています。

木村 速くて荒いのはパンクの演奏方法ですからね。階級を越えていく恋愛物語には、この書き方が必要だったのです。緻密な文章で書いたら、内容と文体に齟齬をきたしたと思います。

DH_Lawrence_1906.jpg
若き日のロレンス

そしてロレンスはパンクのように反抗的です。20世紀初頭のイギリスで彼のような労働者階級の人間が小説を書くということは、今では想像できないくらい特別なことでした。労働者階級が中産階級の文化である小説を書き出すのは第二次世界大戦後、たとえばアラン・シリトーといった作家の登場を待たねばなりません。

この時代、坑夫の息子が小説家になるということ、それ自体が反抗の身振りだったと思います。

------この小説ではイギリスの階級社会の問題がしっかりと描かれています。しかし社会主義的な視点でその問題が扱われてはいません。いわゆるプロレタリア小説の階級問題ではないのですね。

木村 ロレンスは階級社会を壊そうとはしていない、階級がないところで生きたいのです。
また、工業化社会になる前の世界に生きたいと思っているのだけど、この工業化社会がなくなるとは思っていません。

小説の主人公チャタレー夫人であるコニーと森番メラーズのことを考えると、やはりロレンスと、彼の奥さんになったフリーダのことをイメージしてしまいます。実際のロレンス夫妻も、労働者階級の男性と上流階級の女性の組み合わせです。この小説の主人公二人がこの物語の後にどうなるのかと想像してみると、実際のロレンスとフリーダのように二人して旅に出て、ある意味ドロップアウトした生活に入っていく姿がイメージされます。階級のない、そして資本主義に毒されていない生活が展開されるのでしょう。ロレンス自身も実人生でそういう世界を目指していました。

この作家の伝記を読むと、彼が商業的なものから離れて生きていこうとしていることがよくわかります。夫婦で旅を続け、そこでロレンスは、ふつうなら奥さんがやるような日常的なこまごましたこともしながら日々を過ごしています。

------あたりまえの男と女の暮らしなのに、ロレンスがするとどこか反抗的に選び取っているように感じられますね。この小説にもその感じが魅力的に表現されています。

木村 普通、労働者階級の男は仕事に行き、夕方からはパブで呑んでハメをはずすというのが日常のパターンですから、ロレンスの生き方は特別です。彼はイギリスの階級社会の中では異質な人なのです。

「伊藤整が好きだった」ということ

------「あとがき」で一番おもしろかったのは、冒頭いきなり「伊藤整が好きだった」という言葉から始まるところです。日本で『チャタレー夫人』といえば、それを翻訳し発禁処分を受け裁判闘争をした伊藤整。ですから、新訳をした木村さんが彼に触れるのは当然ですが、興味深いのは、ここで書かかれているのは小説家としての「伊藤整が好きだった」ということです。

木村 好きというよりは、伊藤整によって、ある時代を乗り越えられたと思っています(笑)。

若い頃って悩みごとがいっぱいあるじゃないですか。一応、僕もいろいろ悩みました。

今ならインターネットがありますから、きっと同じような悩みをもつ人のブログなんて覗くのでしょうが、80年代前期の頃のことですから、僕にとっては小説を読むしかなかったのです。最初に読んだのは漱石。とりわけ『行人』にはたまげました。僕と同じようにこんなに悩む自意識を抱えて生きる主人公がいるんだ! と思って。次は島崎藤村ですね、『桜の実の熟する時』といった自伝的青春小説を読んで、これも「自分に近いな〜」と勝手に思ったりしました。

普通、こういうのを読みあさっていると伊藤整には辿りつかないものです(笑)。だいいち時代は80年代ですからね。しかし出会ってしまった。

僕は少年時代から映画をたくさん見ていました。高校くらいになると昔の邦画も好きになって、たとえば東京・大井の「大井武蔵野館」なんかによく通っていたりしました。「あとがき」でも書きましたが、そこで増村保造監督の『氾濫』という映画を見て、原作者の伊藤整を知ったのです。これはある実業家と俗物教授、それぞれの家族たちを中心に、現代人の金銭や名誉、地位、セックスに対する欲望を描いた物語ですが、非常に強い印象を受けました。

『青春』伊藤整(新潮文庫)
『青春』 伊藤整
新潮文庫

さっそく書店に行って伊藤整という作家を調べると『青春』や『若い詩人の肖像』などという小説がある。『青春』なんて悩める若者にとっては、いかにも読みたくなるタイトルではないですか。こうした小説の主人公たちも悩んでいるんですよ、やっかいな自意識を抱えて。こういう自分みたいな奴について読むということは得難い体験です。

僕は現代の文学理論も齧ってきましたが、「小説は人生の糧になる」と思っている人間です。実際、夏目漱石、島崎藤村、そして伊藤整がいたから、あの時代を乗り越えられたと思っています。

------『チャタレー夫人』の伊藤整訳についてどう思われましたか?

木村 数多くある日本語翻訳の中で、僕は7冊の翻訳を参考にしましたが、伊藤整の訳はロレンス研究家でもある武藤浩史先生のものとは対極だと説明するとわかりやすいでしょうか。

武藤先生は、ロレンスの荒さと速さを意識してノリと方言で一気に読ませる。対して伊藤整訳はゆったりレイドバックしています。男と女の物語なんだということを意識して訳している。この主題で自分が小説を書いたら、こうなるんだという翻訳文です。

------それを踏まえて、木村さんは今回どう翻訳したのですか?

木村 速くて荒い文章で書かれた恋愛小説として訳そうと思いました。ただし荒い文章を速いリズムに乗せるということばかり意識すると、物語がぼやけていってしまう。その点、武藤先生の訳は文体と内容が一致した名訳ですよね。僕にはあれ以上のことはできません。そこで男と女の物語だということを重視しました。具体的には恋愛の機微がわかるようにしたつもりです。

恋の流れの中で、どちらかが一歩踏み出す瞬間ってあるじゃないですか。はっきりいってロレンスの英語では、そこがわかりにくい。なので「おっ、ここで男が動き出した!」とわかる形にしました。

------そこでお聞きしたいのが性愛の場面についてです。伊藤整訳『チャタレー夫人』が発禁処分になったのも、その描写が問題になったからです。木村さんは、今回、性愛の描写をのように考え訳したのでしょうか?

木村 すっかり張り切ってしまって、翻訳をする前、「性」に関する言葉ばかりを集めて辞書を何冊か買い込みました。面白くて、暇さえあれば、拾い読みしていました。小学生の男の子が「おっぱい」を引いて喜ぶのと同じです。まあ、そんなことしていたのは僕だけかもしれませんが(笑)。

それはともかく、実際にいくつか訳語として採用しました。最初の頃は凝った訳語も使ってみたのですが、原稿を繰り返し修正していくうちに、ほとんど削除してしまいました。やはりそこだけ浮くんですね。ロレンスが性に関する言葉を興味本位で使っていたのなら、読者を興奮させるつもりで使っていたのなら、それでいいと思います。でも、小説のテーマということを考えたら、そうではないのだろうなと思いました。もちろん、興味本位で使っていなかったのだとしても、そういう言葉が当時の読者にとってショッキングに響いたのだとすれば、現代の読者にもその衝撃を与えるべきだという考え方もあって、その場合は、まあ、放送禁止用語的な四文字言葉を使ったりしてもいいわけなのですが、しかし、いまの時代、そういう言葉が小説に出てきたからといって読者が衝撃を受けるとは思えません。むしろ、下手をすれば、笑ってしまうのではないでしょうか。

いずれにせよ、物語やテーマを無視して、性に関する言葉や描写だけを突出させるようなことは控えました。そのため、小説の中でうんざりするくらい使われている男性器や性行為を示す言葉は、この単語にはこの訳語というような方針はとらず、文脈に合わせて変えています。

ロレンスへのシンパシーと横浜

------さて、木村さんが翻訳家になったきっかけを教えて下さい。

木村 僕は映画が好きで、最初は字幕翻訳の仕事をしたいと思っていたのです。それで大学では英文学を専攻しました。じつは、そのときの先生の一人が、今回、同時期に古典新訳文庫で出版される『老人と海』(ヘミングウェイ)の翻訳をされた小川高義先生なんです。4年間、授業と読書会で鍛えられました。先生には、学生時代から、翻訳をするようになった現在にいたるまで本当にお世話になっています。ですから、自分が翻訳した小説が、恩師である小川先生と同時期に出版されるのはとても感慨深いものがあります。

大学では恩師としてもう一人、この古典新訳文庫で『嵐が丘』を訳された小野寺健先生がおられます。たくさんのことを教えていただいた小野寺先生ですが、その授業で映画『眺めのいい部屋』(監督・ジェイムズ・アイヴォリー)のビデオを見る機会を与えて下さったことにはとても感謝しています。80年代中期、この作品や『モーリス』(監督・ジェイムズ・アイヴォリー)など、イギリス映画がブームになっていた時期でした。『眺めのいい部屋』は、とてもいい作品で、原作がE・M・フォースターの小説ということもあり、これをきっかけに僕はイギリス文学にのめり込んでいきます。

イギリス小説は未知の分野だったので、まずは先生が訳されたアイリス・マードック、マーガレット・ドラブルなどを読み、あとは新旧取り混ぜて手当たり次第読んで、読めば読むほどイギリス小説は自分に合っているなと思いました。まあ、ひとことでいってしまえば人間臭く泥臭い小説、それが自分に合っていたんですね。  それで映画の字幕翻訳家から小説の翻訳家になろうと鞍替えしたわけです。

------よい先生に恵まれた大学生活を送られたのですね。

木村 とはいいますが、僕のような人間が大学や大学院に行くと、ものすごいコンプレックスを感じるんで、けっこう辛かったところもありました。

僕がロレンスにシンパシーを感じるとすれば、それは出自が似ているところです。ロレンスの父親は坑夫ですが、うちの父は横浜の山下埠頭で艀やボートを動かしているような人です。そして親戚にも大学にいったような人はほとんどいません。つまり僕も同じ労働者階級から出てきた人間なんですよ。

------生まれたのはどちらですか?

木村 鶴見ですね。それから一時期伊豆に引っ越して、戻ってきて高校まで住み続けたのは横浜の中区、わかりやすく言うと中華街の近くです。中学の同級生たちは寄せ場があるところから通ってくる子がけっこういました。ということもあり、肉体労働者の街で生まれ育ったという意識があります。

001.jpg
海芝浦駅から大黒埠頭方面を見る。
鶴見から横浜・川崎の京浜工業地帯へ向かう労働者たちのための鉄道路線が鶴見線(JR東日本)だ。その海芝浦支線の終着駅が海芝浦駅。ホームに降りると目の前に海(京浜運河)が広がる。振り向けば東芝の工場の建物が迫っている。京浜工業地帯ならではの絶景だ。

------私は鶴見から大黒埠頭あたりに向かう地域や、川崎の扇島、東京の平和島、京浜島などの京浜工業地帯の湾岸地区をそれなりに知っています。横浜の湾岸地域は、東京と比べると肉体労働者の文化が今でも色濃く残っているんですよ。大黒埠頭の倉庫街で日活「野良猫ロックシリーズ」の梶芽衣子さんが年とったようなおばさんたちが、けっこう気合いが入った喧嘩をしているとろを見たことがあります(笑)。

木村 僕が小さい頃に通っていた伊勢佐木町や馬車道の映画館には、まだ肉体労働者の娯楽のために行くところという雰囲気が残っていました。親父の映画の見方なんていうのは、上映している途中から入っていっても気にしない見方です。昔、『タクシードライバー』に連れていってもらったことがあって、親父は平気で途中から見るんですね。「鶴見文化」という名画座だったので、そのまま併映されている作品を見て、次にまた『タクシードライバー』を見るんですが、最初に見た途中の場面が来たところで「おい、帰るぞ!」ということになる(笑)。だから僕には、ロバート・デ・ニーロが変だという印象しか残りませんでした(笑)。

まあ、ある時代まではこんなふうに映画を楽しむことができたのでしょうが......、今の映画館ってふらっと行ってすっと暗がりの中に入れないじゃないですか。映画館も堅苦しい場所になってしまいましたね。

それでも僕は、映画は頭から見るものと思っていますが(笑)。しかし親父のような人たちが出かけていく映画館を忘れたくないのです。

------引き裂かれてますね〜。

木村 そんな自分が大学院にまで行こうと思ったのは、大学の教師にならないと純文学の翻訳家にはなれないと勝手に思い込んでいたからです。僕が行った大学院は、文学理論最先端のところでした。「マルクスが」とか言ってるんです。まったくちんぷんかんでした。「伊藤整の小説に救われました、小説が人生の糧になった」なんて口が裂けてもいえません(笑)。またまたコンプレックスを強く感じました。

しかし、先生や先輩たちに恵まれたおかげで、その文学理論にも少しはなじむことができました。悲しいことに、まったく理解はできていませんが......。

------そういった体験をしてきた木村さんが、階級を越えて男女が愛し合う『チャタレー夫人の恋人』を訳したんですね。

木村 普通に男と女の物語として読めるようにしました。文庫本で600ページはある小説です。何日間もかけて長い小説とつきあえる幸福を味わえるよう、すーっと読み続けられる読みやすい小説にしたつもりです。
(聞き手・渡邉裕之)

チャタレー夫人の恋人

チャタレー夫人の恋人

  • D・H・ロレンス/木村政則 訳
  • 定価(本体1,700円+税)
  • ISBN:75297-2
  • 発売日:2014.9.11

2014年9月16日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉中江兆民の「距離」と漢文の「成熟」 『三酔人経綸問答』の訳者・ 鶴ヶ谷真一さんに聞く

cover185.jpg

「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民が1887年に発表した『三酔人経綸問答』。

封建社会から近代社会に移り変わっていった明治期の日本、国際的には西欧列強が東洋に進出していった時代の中で、政府、在野を問わず国を担おうとする者たちは、強い危機感をもって対外関係を考えようとしていました。

自由民権運動を通して近代化の道筋を考え実践してきた兆民も、日本がどのように国際社会の中で活動をしていけばいいのかを考える時期にありました。また、明治政府の国会開設(1890年)を前にして、変質していく自由民権運動に対しても何かをいうべき必要があったのです。

とはいっても、兆民が書きあげたテクストは決して深刻なものではありません。タイトル通り三人の酔っぱらいの対話劇が笑いを交え展開します。自由平等・絶対平和の追及を主張する洋学紳士君、軍備拡張で対外侵略をと激する豪傑君の二人の客人、そして迎えるのは両者の論争を現実主義的立場に立って調停しようとする南海先生。

激しい論争も展開されるのですが、最後は「ふたりの客は声をあげて笑いながら、夜明けのなかをともに帰って」いくことになります。論争すべきこと満載の現代日本で、この余裕......気になるところです。

今回、『三酔人経綸問答』を訳したのは、鶴ヶ谷真一さん。本好きにはたまらない味わいのあるエッセイを書く書き手です。この本と鶴ヶ谷さんのカップリングを知った時は思わず「おっ」と声に出してしまいました。漢文が読める方であるとはどこかで聞いていましたが、兆民の著作の翻訳者として登場するとは......。

今回は、鶴ヶ谷さんと漢文との出会いから話をしてもらい、その後、問題の『三酔人経綸問答』がもっている余裕の感覚、ユーモアなどについて語っていただきます。

体で覚えて重力圏を抜ければ、漢文の宇宙が待っている

------今回、鶴ヶ谷さんは『三酔人経綸問答』の漢文を「新訳」しています。いきなりの質問ですが、どうして漢文が読めるのですか? というのは、鶴ヶ谷さんは、元々は仏文が中心の白水社の編集者だった方ですから、漢文とはすぐに結びつかないのですが......。

鶴ヶ谷 僕の漢文は独学なんですよ。中学校の時に漢詩が好きになり、高校に進んだら担任が漢文の先生で、これは面白そうだなと期待していたのですが、最初の授業がすごかった! いきなり日露戦争の日本海海戦の8ミリ映画を見せられたのです。教師自ら作ったのでしょう、水をはったところに木の模型の船が来て、これが連合艦隊、向こうからやはり糸でつながれた木製バルチック艦隊がゆらゆらと現れて、そこに見てきたような講釈がかぶさる。教師はやおら黒板に「見敵必殺」と書いた(笑)。60年代の話ですが、当時、漢文の教師にはこういう国粋主義者がいたのです。いま思うと、硬質の表現を通して先鋭な感性が透けてみえるようなものを漢文に期待していたのですが、みごとに裏切られたわけです。人生はそう甘くないということを学びました。そんなわけですっかり漢文が嫌いになりました(笑)。

大学では、フランス文学を学び、その流れで白水社に入った。まったく漢文とは縁のない生活が続きます。

それで漢文学習を開始するきっかけですが......古典新訳文庫のインタビューでこう話すのも何なのですが......翻訳関連の編集者をして30になろうとした時、どうも外国文学をやっている方が面白くない(笑)、どうも成熟していないところがある。ワカゾー編集者がと思われるでしょうが、とりもなおさず自分がそうだったのでしょう。だったら自分はどうするか。しっかりとした教養というか、自分の足下に礎のようなものが欲しいと考えたわけです。

もう若くはないという思いもあって、古いものにひかれ始めたのでした。以前から、鴎外、荷風、下っては百閒などを愛していたのでしたが、あまりに世に知られぬ随筆家、岩本素白(そはく)、柴田宵曲(しょうきょく)などをこの頃読んで、こういう世界があったのかと、目をひらかれる思いがしましたね。とくに素白を読んでいなかったら、自分でもエッセイを書くようにはならなかったでしょう。漢文と直接つながるわけではありませんが、その背後に戦前の漢文的な教養を感じたのです。それからしばらくして出会った本が、ひとつのきっかけとなりました。

富士川英郎さんの『江戸後期の詩人たち』(麥書房 1966年刊、現在は平凡社の東洋文庫)。タイトル通りの内容なのですが、非常に新鮮でした。富士川さんはホーフマンスタールやリルケなどを研究するドイツ文学者でしたが、その視点で江戸の時代の漢詩人たち、管茶山(かんちゃざん)、館柳湾(たちりゅうわん)、柏木如亭(かしわぎじょてい)など、みずみずしい抒情性を感じさせる漢詩人たちを読みといている。

漢詩というと古めかしくてカビが生えているようなイメージですよね、しかし、この本の中の漢詩はまったく違っていました。この驚きと、文化的な礎を手に入れたいという思いがひとつになって、32、3の頃かな、漢文を勉強し始めました。

------独学の開始ですね。編集者として忙しい日々を過ごしていたと思います。どんなふうに勉強したのですか?

鶴ヶ谷 確かに忙しかった。とにかく1日20分は漢文の勉強をしようということで、朝起きたら20分、漢文を読むようにしました。

一番最初、漢文の参考書を手に入れてやってみようと思ったのですが、どうも受験勉強を思い出してやる気が起こらない。どうするか。古書店に行くと、江戸時代の寺子屋で使っていた初学者向けの漢文の本が、手頃な値段で売られている。これを使って、江戸人になったつもりで学ぶのも面白そうだと。

(カバンから和綴じの本を取り出して)これは天保15年(1844年)に発行された『童子通(どうじつう)』(山本庄一 東都書林)という本ですが、それこそ師が手をとって教えてくれるようにできている。たとえば「朱引きの歌」なんていうのがある。先生が文字に朱を引いて生徒に色々と教えるわけですが、その線の位置で、その字が何を意味をするかがわかる。それを覚えるためにこんな歌があったんですね。「右トコロ中ハ人ノ名左リ官中二 ハ書ノ名左二ハ年号」。見て下さい。「京都」という文字には右に線が引かれているし、「孔子」という人名には線が真ん中に引かれている......(写真参照)まあ、このくらい何も知らない連中のための教科書ということです。こういった本を使ってみることにしました。

『童子通』表紙 「朱引きの歌」を教えるページ
『童子通』表紙/「朱引きの歌」を教えるページ

漢文の勉強の基本は暗唱です。「四書(ししょ)」、つまり儒教の経典とされる『大学』『中庸』『論語』『孟子』の総称ですが、これは大前提の書籍なので「四書」の暗唱を試みました。とはいっても、最初はとうてい覚えられるものではないなと思っていたんです。ところが予想に反してけっこう暗記することができる。いや、覚えられるように出来ているのですね。何代にもわたってつくられてきたリズムがあって、それが身体の深いところに根づいてゆくように、繰り返しているうちに自然に覚えられるのです。また、漢文を学んで初めて実感したことですが、自分の育ってきた自国の文化に漢文がいかに深く溶け込んでいたのかを肌で感じました。西洋の思想とはちがって、あるときズバリとわかるのです。

声に出して読み且つ書いていくと、言葉が感覚として体の中に入ってくる。

ロケットは、重力圏を抜ける前まではエネルギーがいるけれど、ある程度の高度になると安定した慣性飛行に移る。漢文もロケットの飛行みたいなもので、学習期間を過ぎると楽になってくる。自然に身についてきます。40代になってからは、それなりに本が読めるようになりました。

------どんなものを読んでいたのですか?

鶴ヶ谷 もちろん漢詩は好きですが、漢詩を読むのは通常の読書とは意識のレベルがやや違うような気がします。あまり長く読みつづけられないのです。漢学者や漢詩人の書いた随筆の類いにも面白いものがあります。ただしこの分野は玉石混交なので、つまらないものも多いのですが。

随筆というとエッセイと思うけれど、その当時は、本についての文章、読書随筆なんです。森鴎外が書いていたけれど、明治初期の貸本屋では曲亭馬琴(きょくていばきん)や山東京伝(さんとうきょうでん)の小説を読んでしまうと、もっとも高尚なのがこの種の随筆で、これを読んで卒業ということになるらしい。読者も扱っている本をそれなりに知っていなければ面白くありませんから、程度が高い読み物なんです。

------体で覚えて重力圏を抜ければ、あとは書物の宇宙が待っているんですね。

鶴ヶ谷 僕はそこで遊びましたが、昔の人は、その漢学の宇宙で大きな世界や歴史を考えたり、人間の本質を哲学したのだと思います。

本来中国語の文章を日本人が工夫をして、自分たちの言葉にした漢文は、江戸時代にはそれなりの成熟をとげた独自の文学世界をなしていたようです。

------成熟ですね。

鶴ヶ谷 はい。それは明治期にも、そして戦前にもなお命脈を保っていた独自の文化であったことを感じます。

「論理の直線」ではなく「迂曲の逕路」で

------さて『三酔人経綸問答』です。1847年、黒船来航の6年前に生まれた中江兆民は、明治期に漢学の宇宙で大きな世界や歴史を考え、そして漢文を使ってこの本を書きました。

中江兆民
中江兆民

鶴ヶ谷 日本人の「もののあはれ」とかポエジー、詩精神は日本人が本来もっていたものですが、批評精神、思想、哲学はほとんど外からもってきたものと考えています。昔は中国から明治以降は西洋からですね。

明治の日本人が西洋の思想を受入れる際に、既にもっていた儒教思想をいわば格子(コード)として用いたのです。

異文化の理解は容易ではないはずですが、兆民という人はそれに例外的に成功した日本人のひとりだったのかもしれません。兆民のフランス留学は、明治政府の財政緊縮政策により2年半で終わりますが、フランス人教師はそれを惜しんで、今しばらく勉強すれば、フランスにいて新聞記者として立っていけるから、ぜひ残るように、学資は自分が出してやろうとまでいったそうです。つまり兆民はフランスでジャーナリストとして立てるだけのフランス語を書くことができた。またこの時、『孟子』、『文章規範』、『日本外史』などをフランス語に翻訳したと、幸徳秋水に語っている。

注目すべきは、兆民がこの時仏訳したテクストはすべて漢文であり、日本語の文章ではなかったことです。翻訳はたとえてみれば、二つの文化(言語)の差異を天秤にかけるように細密に調整しながら作りあげてゆくもので、当然ながら二つの言語に精通していなければ出来ない。この時、兆民は漢文とフランス語を天秤にかけたわけで、帰国後も、今度はフランス語を漢文にすることになるわけです。なぜ広く読まれるはずの日本語ではなく、あえて漢文に翻訳したのかという疑問が出てきます。

これは前に申し上げた西洋思想を儒教の格子(コード)によって理解したということに関連するとともに、当時の散文としての日本語が、論理を自由に展開できるだけの柔軟性をそなえていなかったことによると思います。二葉亭四迷が『浮雲』で新しい日本語の文体をつくりあげたのは明治20年代になってから。しかし兆民は、そうした方向へは向かわずに、手持ちの表現手段である漢文をいっそう磨き上げる道を選ぶのです。明治11年(1878)32歳で漢学者、岡松甕谷(おうこく)の塾に入り、漢文を学び直すのです。明治20年(1887)に刊行された『三酔人経綸問答』もそのような漢文体で書かれています。しかもかなり難解な漢語を多用した文章になっています。

------といっても厳かに思想をのたまうテクストではありません。戯作文のようにユーモアたっぷりの味わいです。中江兆民はなんでこのようなテクストにしたのでしょう?

鶴ヶ谷 西欧列強が東洋に進出してきた時代、小国・日本はこれからどうなっていくのか。政府、在野を問わず真剣に考えようとしていました。兆民もそうでした。

彼も真摯にものを考えなければいけないのに、この戯作風の衣装をなぜまとったのか。冒頭の南海先生の登場を読むと、戯作風というより老荘風の壮大なユーモアを感じます。が、ともかく最初に読んだ時に、僕も不思議に思いました。

自由民権運動に対する弾圧が激しい時代です。そのイデオローグであった兆民が、出版するにはそのような衣装が必要だったともいえるけれど、そんな簡単なものじゃない。試訳を始めてみると、戯作風の文体は衣装だけでなく本質でもある。そう思うようになってきました。

自由民権運動が明治政府の国会開設で沈静化し質を変え、ある意味で衰退していく中で、兆民には思想的な支えをつくる必要があった。その支えとなるものが「距離」だったと思います。直接的な政治メッセージをぶつけるのではなく、時代の現実とも、ある距離を設定する必要があった。

『三酔人経綸問答』が戯作風に読めるのは、距離が意識された文体だからです。信じている主張を真正面からぐっと押し出すのではなく、ある距離をもたせて読者に読ませる。そこには自ずと笑いが生じる。

その顕著な礼が「眉批(びひ)」ですね。欄外に書かれた見出しのような註のようなコピー。有名なところは「南海先生はごまかしました」ですね。思想を開陳しつつ同時に自分を茶化す。演劇の世界でいうと、ブレヒトの異化効果、漫画でいえば手塚治虫のヒョウタンツギ(手塚作品を横断していつも欄外に登場する異色キャラクター)。観客や読者を物語に没入させる仕掛けとは違った、登場人物に距離をもたせる装置です。

------距離がなければ、自由民権運動と一網打尽、抱き合って地獄の底へと真っ逆さまという危機感が、兆民はあったのですか?

鶴ヶ谷 明治20年(1887)の保安条例によって東京を放逐された時、兆民は「この度、ひと山四文の連中に入れられたり」と友人に書き送って恥じ入ったそうです。どんな連中とも分け隔てなく交わった兆民でしたが、ある距離感のようなものをもっていたのではないでしょうか。もちろんそれは社会的な差別などとは無縁の、ものごとの認識にかかわる感覚と思います。

対照的に、この本では洋学紳士君は、距離をもてない理想主義者として登場します。彼は兆民の分身であるとともに、兆民の心に深く刻まれた実在の人物でもあったと思えるのです。その人物は自由民権論の若き論者、馬場辰猪(ばばたつい 1850-1886)。兆民と同じ土佐藩出身で3歳年下の俊英です。馬場は江戸留学の藩命を受けて江戸に行き福沢諭吉の塾で政治史や経済学を学びます。それから長崎に赴き英語を習う。さらにイギリスに留学する。その頃、兆民はフランスにいましたから、ロンドンの馬場の家に訪れ肝胆相照らしたのでしょう、6日間馬場の下宿で語り合ったといいます。

馬場辰猪
馬場辰猪

洋学紳士が馬場だと思われているのは、その高潔な論客ぶりに加えて、風貌、立ち振る舞いがそっくりだからです。馬場は1886年アメリカのフィルラルディアで亡くなり、中江兆民が弔文を書いています。この弔文を読んで、そのことを確信しました。

(弔文のコピーを見せながら)「君性厳重にして諸生たつ時より衣服刀履傲然として少も屁児帯(へこおび)風の無作法あることなし。余は不作法の極点なりき。但(ただ)余はこの時より君をたのもしき人ならんと思ひたり。後来何事かは分らざれども一度二度は必ず相談する事のある人ならんと思ひたり。 但容貌なり被服なり性行なり著々反対にて、君は美麗なり、余は醜陋なり、君は鮮整なり、余は乱雑なり、君は方正なり、余は疎放なり、君は英学人なり、余は仏学人なり」

------「馬場辰猪君は容姿端麗で、立ち振る舞いもきちんとしているのに、自分は醜男で不作法であり、さらに学ぶ国も違った。そんな対照的な二人ではあった」と兆民はいっているんですね。といいながらも

鶴ヶ谷 そう、「但この著々対蹠的の世界にありながら余は常に後年必ず相共に手を握り深語して中庭に散歩するの日あらんと思いたり」と続け、その思いが実現したロンドンの日々を嬉々として語るわけです。

------兆民は本当に馬場が好きだったのですね。

鶴ヶ谷 そうですね。

それで先の文章に戻りますが、兆民がこの弔文で書いた馬場の姿、『三酔人経綸問答』の「頭のてっぺんから爪先まですきのない洋装、鼻筋通って目元すずしく、すらりとして動作にむだなく、言葉は明快」な洋学紳士と共通していませんか。

歴史家、萩原延壽さんは『馬場辰猪』(中央公論社)という本を書きましたが、萩原さんは、洋学紳士の風貌や言動の中に、馬場の姿が深い影を落としているといっています。

この本は第三回吉野作造賞(1968)を受賞し、その記念として「福沢・中江・馬場」という原稿を、萩原さんは「中央公論」1968年5月号に発表しています。

そこでは、「定(さだん)で是(こ)れ思想の閨中(けいちゅう)に生活し理義の空気を呼吸し、論理の直線の循(したご)ふて前往して実際迂曲(うきょく)の逕路(けいろ)に由(よ)ることを屑(いさぎよ)しとせざる一個の理学士」(この人物はきっと、思想という部屋に暮らし、道理という空気を呼吸し、論理という直線に従ってまっすぐ歩み、現実の曲がりくねった道筋に踏み入れることなど考えもしない哲学者にちがいない)という洋学紳士についての文章を引用し、次にこのような言葉を続けています。

「じっさい民権家としての馬場の活動をふりかえってみると、まさしく「論理の直線」をはげしく突きすすみ、「迂曲の逕路」を一切排斥したとしかいいようがない。そこに馬場の栄光があったと同時に蹉跌の原因もひそんでいたのではないだろうか。おそらく、馬場の才幹を惜む中江は、このようにいいたかったのである」

------厳しい時代は、「論理の直線」ではダメで、「迂曲の逕路」に兆民は希望を見いだしていたんですね。その道の曲がりくねりが鶴ヶ谷さんのいう「距離」ということでしょうか。

鶴ヶ谷 最後に「洋学博士は北米におもむき」と兆民は書いていますが、実際に馬場は「論理の直線」の果てとしてアメリカに向かい亡命、その二年後、フィラルディアで客死するのです。

------『三酔人経綸問答』の中にある笑いは、生き延びるための笑いですね。

読書人・鶴ヶ谷真一のこのごろ

------終わりに、鶴ヶ谷さんが最近何を読んでいるか教えて下さい。

鶴ヶ谷 フランス語の本は今でも日々読みますが、昔からフランス文学を読むよりも、仏訳された様々なな国の作品を読むことが多いのです。それで未邦訳の作品をずいぶん読みました。60年代の後半、ロジェ・カイヨワの編集した「南十字星」というラテンアメリカ文学のシリーズが面白くて夢中になって読んだことがありました。ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアは日本でもかなり知られるようになりましたが、昔、仏訳で初めて読んだ時のことはよく覚えています。休みの日の午後、寝そべって読み始めたのですが、読み進むにつれて、体が自然に起き上がったのです。これも本との出会いの忘れられない一コマです。

彼はまったく無名のまま1935年に亡くなるのですが、膨大な原稿を箱いっぱいに残した。それを友人が読んでいくうちに、これはすごい作家ではないかと気づいていく。その結果フェルナンド・ペソアの本が発表され、50年代にはポルトガルの国民詩人になっていました。

素晴らしい詩ですよ。日本では彩流社から『ポルトガルの海』(池上 岑夫訳)が出版され、平凡社ライブラリーに『新編不安の書、断章』(澤田直訳)が入っています。僕も少し関わった『不安の書』の全訳版(新思索社 高橋都彦訳)は、すぐれたポルトガル文学の翻訳に贈られる通辞ロドリゲス賞を受けました。

最近、読んでいるのは、中世ヨーロッパの修道院文化に関する本です。時代とかけ離れたさも迂遠なことをしているようですが、いま大きな転換期にある本の歴史と深い関係にあるのです。インターネットが普及し、電子書籍が出現し、紙の本の存続さえ疑われる時代にあって、ただ本の外面的な変化をたどっても、その本質は見えてこないと考え、読書の時代による変容ということに注意を向けたのです。

人は昔から変わらずに本を読んできたように思えますが、今から800年前には、同じ読書という言葉を使っていいのかと思えるほどにまったく違う読み方をしていたのです。中世には洋の東西を問わず寺院が文化の中心でした。ヨーロッパでは12〜13世紀に修道院を起点とする変革が起きていて、それが現在にまで及んでいると考えているのです。読書の変革にはいくつかの節目があります。黙読の普及、索引の出現などです。その根底には、本は記憶と密接な関係にあることが改めて見えてきました。そこでこの2年ばかり、書物と記憶の関係をテーマにした本を書いているところです。それに関連した本を読んでいるわけです。

------記憶に関係......いったい、どんな本を読むのですか?

鶴ヶ谷 たとえば「索引」についての本。索引はいつごろ作られたのか。ある百科事典には15世紀頃とありますが、実は13世紀の初めにフランスの修道院で既に、聖書の索引が作られています。それ以前には特殊な記憶術によって必要なことを記憶していたので、索引は必要なかったのです。東洋でも学者は経典を記憶していることが学問の前提とされ、索引は西洋よりもだいぶ後に作られました。

ヨーロッパの場合、12世紀に都市の勃興とともに学生数が大幅に増加し、それにともなって教育方法にも変化が生じ、索引が必要とされるようになり、学生は記憶の重圧をだいぶ免れるようになった。

1968年5月に起きた学生たちの抗議運動の際にも、記憶偏重の教育の改革という要求がありました。索引の出現によって、本はいわば索引機能を備えるようになったのです。歴史の流れが見えてきます。

索引については面白い話があります、西洋ではabc順で、今ではあたりまえと思えますが、実はこれが画期的な発想だったのです。これを考えだしたのは北イタリアの人物でしたが、当初、神を冒涜するものだと非難を受けました。創造主によって秩序ある階層をなして作られた万物を、abc順というすべてを平準化してしまうデジタルの発想によって並べかえてしまうところが非難を受けたわけです。日本のイロハにも興味深い歴史がありますね。こんな類いの本を読みながら、少しずつ原稿を書いている毎日です。

------漢文の暗唱とか記憶に索引......、鶴ヶ谷さんは、今ある読書にとっての限界領域を見つめつつ読書を楽しんでおられるんですね。

興味深い話が多く聞けました。ありがとうございました。 (聞き手・渡邉裕之)

三酔人経綸問答

三酔人経綸問答

  • 中江兆民/鶴ヶ谷真一 訳
  • 定価(本体1,040円+税)
  • ISBN:75286-6
  • 発売日:2014.3.12

2014年7月24日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉世界中の読者が「これは私たちの物語」といえるローカルな小説。 『崩れゆく絆』訳者・ 粟飯原文子さんに聞く

cover168.jpg

アフリカ文学の父、アチェベ。この作家が、1950年代、アフリカ諸国の独立期に書いた小説が『崩れゆく絆』。約60年前の小説ですが、「アフリカ文学の古典」とされていることが納得できる作品です。骨太の構成に、時代を経ても風化しないだろう、登場人物たちの魅力。古典の風格をもった小説なのです。

物語は一人の農民の男を主人公に、19世紀後半、ナイジェリア地域にある共同体が植民地支配によって変化していく様子を描いたものです。ヨーロッパ社会は、まずキリスト教として共同体に入ってきます。そのプロセスを追っていくのですが、主人公の父子関係などを通して書くことで、単純な植民地批判ではない、人が共同体の中で生きることの意味をしっかり掴んだ普遍的な小説になっています。

この『崩れゆく絆』を訳したのが、粟飯原文子(あいはら・あやこ)さん。若いアフリカ文学研究者です。

本書の特徴である詳細な訳注についてや、ビアフラ戦争の問題が絡むアチェベの最終作品に関しての話が展開されます。

また、アフリカ文学は知らない世界ですから、他のアフリカの作家についての話も聞かせていただきました。さらには、アフリカの音楽や映画についても!(粟飯原さんに教えていただいた素晴らしい音源とリンクしています)

このインタビュー、読んでいただければ、新しい世界が開けると思います。どうぞ、お楽しみ下さい。

------「訳者あとがき」には、粟飯原さんと『崩れゆく絆』との出会いがさりげなく書いてあります。もう少し詳しく教えていただけますか?

粟飯原 私は英文学科の出身で、ヨーロッパの19世紀の小説を愛読していました。学部生だったころのことですが、英文学史の専門書を読んでいると、20世紀の章で、インドやカリブの作家、そしてアフリカの作家が紹介されていました。アフリカ人作家の名前で最初にあがっていたのが、このチヌア・アチェベだったのです。

読んでみようということで取り寄せたのが、ハイネマン社というロンドンの出版社と、パリにあるプレザンス・アフリケーヌ社のアフリカ文学シリーズでした。そして私は『崩れゆく絆』を初めて読み、「あとがき」に書いたように「この小説に受けた衝撃と感動に突き動かされて」アフリカ文学を学ぶことになったのです。

先の二つの出版社がある都市が示すように、非常に矛盾した状況ですが、アフリカ文学を勉強するなら、ロンドン、パリあるいは北米の大学で、ということになります。そこで私はロンドン大学の東洋アフリカ研究学院に留学することを決めたのでした。

訳注付けの作業、そこから見えてきたこと

------「あとがき」を読んで印象的だったのは、訳注を付ける作業に関する文章でした。「自分で決めたにも関わらず、訳注を大量に付すことに関して、大きな不安を感じずにはいられなかった」と書いています。

粟飯原 文学作品にこのような説明と解釈を与えてしまっていいのかという迷いがあったのです。しかし、この本を読んでくださった方々から「やはり訳注があってよかった」という反応がけっこうありました。中には「註によっては、そっちの方に引き込まれて読んだ」というコメントをしてくださった方もいて、やっとその迷いから脱することができました。

------確かに、訳注が面白かったです。アフリカ文化をよく知らないからでしょうね。初めて接する彼らの神話に関するものとか、とても興味深かったです。

粟飯原 91ページに載せた48番の訳注などですね。これは、主人公の息子ンウォイェが好きな物語の一つ、ツバメの一種エネケに関する民話について説明したものです。こうした動物に関する民話や神話はアフリカ各地にあり、主として民族学の領域で調査・研究が行われています。今回、むしろ、イボランドの事情に詳しいナイジェリアの人たちから、民話や神話についての話を聞き、訳注を書いています。

勿論アチェベに関する研究書もたくさん出ているので、それも参考にしています。 しかし、訳注を書くことは大変な作業でした。

当然ながら、文学を創作する際には何らかのリファレンスがあります。アチェベの場合、自分の出身地方で見聞きしたものが基になっているわけですが、必ずしも1対1の対応関係ではなく、複数のものが混ぜられ、練り上げられているのです。ある一つの民話をとっても、複数のバージョンのさまざまな要素を足したり引いたりしているところがあるので、記述するのが非常に難しかったですね。

------神話から食べ物まで、アフリカの様々な事柄、事物に関する訳注を読んでいくと、アフリカは私たちの世界とは違うんだな~と感じました。しかし小説の方は、異質な暮らしを描いているにも関わらず、ものすごく共感できる物語になっています。

粟飯原 アチェベは「これはローカルな物語だが、同時に人間の普遍的な経験を語っている作品である」といっています。読者の立場からすると、その普遍とは、西洋が侵入してくる過程を歴史的に遡って考えてみたいということが大きいのではないかと思います。

たとえばアチェベはこんなエピソードを紹介しています。韓国のとある女子高の一クラス全員から『崩れゆく絆』の感想文が手紙で送られてきた。それを読み進むうちに、アチェベは彼女たちがこの小説を自らの物語として受けとめていると気づいたそうです。つまり、彼女たちは自ずと日本による植民地支配の歴史を想起していたわけです。

一方、私たちがこの小説を読むと、かつて日本が経験した西洋との遭遇が思い起こされるかもしれません。その経験と主人公たちの経験を重ね合わせながら、これは私たちの物語でもありうるのではないか、といいたくなる。しかし、朝鮮半島のことを考えると、私たちには彼等の文化を蹂躙した歴史もあるわけですから、立場はそう単純ではないことに気づきます。日本人にとって『崩れゆく絆』は、自分たちの経験を想起させると同時に、私たちが、共同体を壊したあちら側の人間でもあったことを感じさせる小説だと思います。

ローカルであると同時に普遍的であることは、この小説の本質だと思いますが、普遍的な物語として読まれる理由のひとつとして、家族間、世代間の確執が巧みに描かれている点にあるのではないでしょうか。それに関連して付け加えますが、登場人物と物語の一部はアチェベの家族とその経験がモデルになっているようです。たとえば、アチェベのお爺さんは、コミュニティに宣教師を初めて受入れた人なんですね。そして父親は、幼少期、とても好奇心旺盛な子供で、宣教師のまわりをいつもうろうろしていたといいます。

その流れで入信したという話です。だから主人公の息子ンウォイェのモデルは父親であるとも言えます。さらに父と母の結婚も興味深い。二人の結婚式に立ち会った牧師が、物語では割と肯定的に描かれているブラウン師のモデルなのだそうです。

------今回、粟飯原さんは「解説」も書いています。そこで、アチェベの最後の作品『サバンナの蟻塚』について触れています。約20年間書こうとして書けなかった長編小説だといいます。気になりますね。いったいどういう作品だったのでしょう。

粟飯原 約20年の間、どうして書けなかったのか。これは「解説」でも書きましたが、ナイジェリアで起きたビアフラ戦争(1967-1970年)が大きな影響を与えたのだと思います。この戦争は、一言でいうなら、ナイジェリアの東部州が分離・独立を宣言したことを発端に起こりました。

ビアフラ戦争以前、アチェベは統一されたナイジェリアという国民国家を強く意識して小説を書いていました。しかし中央政府からの分離を掲げたビアフラ戦争をきっかけにして、その意識が大きく揺らいだのです。さらにアフリカの時代状況はどんどん変わっていく。そのような中で、以前のような小説の書き方では現状を描くことができないと思ったのでしょう。そのため、1987年に発表された『サバンナの蟻塚』は非常に複雑な構成と文体をもった作品になっています。

舞台はナイジェリアによく似た西アフリカの架空の国。軍事クーデターで権力の座についた大統領がいます。この国の政治状況とさまざまな問題が、主に3人の登場人物の視点から語られていきます。そしてこの小説では、いくつかの問いかけが行われています。国家とは何か。公正な社会を築くにはどうしたらいいのか。エリート階級と貧しい人たちがどう繋がっていけるのか。こうした困難な問いを模索するためにも、複数の視点は必要だったのだと思います。実は、私の一番好きなアチェベの作品が『サバンナの蟻塚』です。ぜひこの作品も訳したいと思っています。

アフリカ文学、そして音楽と映画、お勧めを聞く

------さて、この小説をきっかけにアフリカ文学に興味をもった人に、日本語で読めるお勧めのアフリカの小説を紹介していただきたいのですが。

粟飯原 はい。まずはアチェベと同じナイジェリアのイボ人作家による作品です。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』(河出書房新社) 。これはビアフラ戦争の状況をラブストーリーに沿って描いた小説ですね。素晴らしい翻訳家であり、J.M.クッツェーの訳者としても有名な、くぼたのぞみさんが訳されています。

そのくぼたさんの翻訳では、非常に難解なテクストですが、『デイヴィッドの物語』(大月書店) もお勧めです。南アフリカのゾーイ・ウィカムによる小説で、南アの解放闘争の内幕、矛盾と痛みに満ちた複雑な闘争の過程を描きだしています。

それから「古典」的な作品としては、河出書房新社の「現代アラブ小説全集」の一冊『北へ還りゆく時/ゼーンの結婚』(黒田寿郎・高井清仁訳)に入っている『北へ還りゆく時』があります。スーダンの作家タイーブ・サーレフの作品です。ヨーロッパと故郷のはざまにとらわれた主人公の自我の危機をめぐる物語、そんなふうに解釈できるかと思います。ところで、スーダンはアラビア語圏のアフリカの国なので、この小説はアラブ文学の範疇にも入ってしまうんですね。

------粟飯原さんは、英語やフランス語でアフリカ文学の作品を読んでいるわけですが、作家や作品はどのように知っていくのですか?

粟飯原 いくつかの方法がありますが、そのひとつにケイン賞という、イギリスの英語圏アフリカ文学賞のチェックがあります。この賞は、ブッカー賞と関係があることから「アフリカンブッカー」とも呼ばれています。ちなみにブッカー賞というのは重要なイギリスの文学賞ですが、ケイン賞もアフリカの作家たちにとって国際的な名声を得るための登竜門となっています。受賞者は確かに注目に値する若手作家が多いので、私は毎年チェックしています。過去の受賞者には、ナイジェリアの作家ヘロン・ハビラや、ケニアの作家ビニャヴァンガ・ワイナイナなどがいます。

それから、ここでぜひ語っておきたいのは、野間アフリカ出版賞のことです。これは講談社の主催で1980年から2009年まで続けられた賞ですが、文学作品や学術書など、アフリカ諸国で出版された図書に贈られていました。文学に特化されているわけではありませんが、受賞した小説はどれも優れた作品ばかりです。ということで、この野間アフリカ出版賞も私は気にしていました。

------そんな賞があることを、まったく知りませんでした! 無知を承知で言わせていただくなら、やはりアフリカ系の話題は新鮮ですね。アフリカの音楽や映画についても教えていただければと思います。粟飯原さんは、アフリカ文学の研究とともに、アフリカ音楽や映画の研究もされている方なので、楽しみにしていました。

粟飯原 私が好きな音楽家だと、マニアックすぎて手に入らないので(笑)、有名どころをまずお勧めします。

マリのスーパー・レイル・バンド。日本でもワールドミュージックファンには有名な、サリフ・ケイタやモリ・カンテが在籍したバンドです。マリ政府がスポンサーになっていたグループで、マリやギニアの民族音楽の伝統に、ラテンやアフロ・アメリカンの音楽の成分を取り入れたようなスタイルです。

ザイール(現コンゴ民主共和国)のフランコ&O.K.ジャズもいいですよ。「ギターの魔術師」と呼ばれるフランコ・ルアンボが結成したバンドです。彼らが演奏したのはコンゴの「ルンバ」ですが、キューバ音楽の強い影響を受けて発展した新しいジャンル、ととりあえずいっておきます。

それから、アフリカ映画には素晴らしい作品が多いのですが、残念ながら日本で見ることができる作品は限られています。割合入手しやすいDVDがあるものということで、まずはエチオピア出身で国際的に著名な監督、ハイレ・ゲリマの『テザ 慟哭の大地』(紀伊國屋書店) 。ドイツに留学していた主人公がエチオピアの故郷の村に戻り、祖国の過去と未来に思いを馳せる・・・そんな作品です。

そして『母たちの村』(エスピーオー) 。セネガルのセンベーヌ・ウスマン監督の作品です。物語は西アフリカの村を舞台に、いわゆる女子割礼をめぐって展開します。アチェベがアフリカ文学の父であるなら、センベーヌはアフリカ映画の父といわれます。数々の素晴らしい映画を作り、小説も書きました。

------ありがとうございました。新たな世界を知るきっかけになりそうです! それでは最後に、粟飯原さんがこれからどんな仕事をしようと考えているか、教えていただけますか。

粟飯原 アフリカの文学作品をこれからもどんどん訳していきたいですね。 また文学だけでなく、アフリカの思想・哲学にも取り組もうと考えています。

カメルーン出身で、南アフリカで教鞭をとっているアシーユ・ンベンベという思想家に、私は注目しています。ンベンベは「ネクロ・ポリティクス(死の政治学)」という概念を提示したことで有名ですが、昨年には『ニグロ理性批判』という著作を上梓しました。彼の仕事を日本に紹介できればと思っています。

(聞き手・渡邉裕之)

崩れゆく絆

崩れゆく絆

  • アチェベ/粟飯原文子 訳
  • 定価(本体 1,120円+税)
  • ISBN:75282-8
  • 発売日:2013.12.5

2014年6月23日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉音楽をこよなく愛する者が、音楽とカバラをテーマにした驚異の小説を訳す ──『人間和声』の訳者・南條竹則さんに聞く

cover168.jpg

怪奇小説の巨匠アルジャーノン・ブラックウッド。彼のファンに強く翻訳を望まれつつも、長い間未訳の状態が続いていた噂の長篇小説『人間和声』が、遂にこの春に発刊されました。

主人公の青年ロバート・スピンロビンは、ある日、一風変わった求人広告を見つけます。フィリップ・スケールという引退した牧師が秘書を求めているのですが、採用の条件は「テノールの声とヘブライ語に関するいささかの知識」という奇妙なものでした。

スケール師に会ってみると、彼は「音」に関する研究をしており、そのためにある音域と特性の声を持つ人間が必要なのだといいます。

実はスケール師、言葉の持つ神秘の力を研究しているのでした。それは、天使の名を発音すれば、天使を呼び出すことができるというもの。さらに、彼は造物主の名を唱えようと計画していました。そのためには、単独の声ではなく和声で、その名を唱える必要があるのです。バス、テノール、アルト、ソプラノ......スピンロビンはテノールのパートを受け持つために招かれたのでした......。

抜群のアイデアの物語です。訳したのは怪奇小説ファンにはおなじみの南條竹則さん。お話を伺ってきました。南條さんの深い深い音楽愛、それがきっかけで翻訳の世界に入ったことなど、非常に興味深い話を聞かせていただきました。

------『人間和声』を初めて読んだ時の印象を教えて下さい。

南條 22歳くらいの頃に読みましたが、強烈な印象を得ました。主人公のロバート・スピンロビンが、フィリップ・スケール師の屋敷に行きます。そこがお化け屋敷のような状態となり、スケール師が小さくなって主人公の部屋に来るシーンがあるでしょう。あの場面が怖くて気持ち悪くて......。

そして、いよいよ問題の発声が始まる。その最終パートの畳みかけるような展開はすごいと思いました。

------音と光の大嵐が巻き起こるなど、大スペクタクルシーン続出のクライマックスです。

南條 ただし、こけ威しのクライマックスではありません。ブラックウッドのように、本当に心の目でこうした超常現象を見てきた人でなければ、書けないものになっている。そして一番最後に、カタストロフィーが収まり、きれいな音色が流れてきます。ああいった美しいシーンは、普通の作家では書けないでしょう。

------クライマックスの展開に、深い意味をもたせていますね。

南條 読者に感動をただ提供しているのではなく、メッセージを送っている。このあたりのことを考えると、私はSF作家のH・G・ウェルズとの共通性を感じます。二人とも芸術性よりもメッセージを大切だと思っている。だから『人間和声』を19世紀のウェルズ以来のSF小説として読むことも可能です。

------今回「解説」で南條さんは、ブラックウッドの12篇の長篇小説をそれぞれ紹介しています。

南條 それも読者にメッセージを伝えようとした作家であることと関係しています。「解説」にも書きましたが、本来怪奇小説は短篇という形式に適したものです。しかし、ブラックウッドは「幻視の人」。現実世界の向こう側にある神秘的な領域を見、それを読者に伝えようとした。この壮大な幻想を表現するには、長篇という大きな器が必要なんですね。

------12の長篇の中には、違ったものもありますが、オカルティストとして真剣にメッセージしている作品が多くありますね。また、ブラックウッドの全長篇を知ることができる、この「解説」はありがたいです。

南條 さすがに12の長篇を読むのには、ほとほと疲れました(笑)。翻訳するより大変な作業でした。

音楽愛、そして中学3年生が声楽曲の訳詞を発表

------この作品のポイントは、名前や文字が霊力をもつという神秘主義の概念に、音楽の和音という要素を導入したところです。そしてブラックウッドもかなりの音楽通らしい。そこでお聞きしたいのですが、南條さんはどんな音楽がお好きですか?

南條 私は交響曲が好きで、シベリウスなどをよく聴きます。若い頃は、渡邉暁雄や山田一雄が指揮する東京都交響楽団を聴きに、上野の文化会館によく行きました。

60年代の頃の話ですが、当時私はイギリスのジョン・バルビローリという指揮者が好きでした。そのバルビローリが1970年の大阪万博に来るというのです。少年の私はとても期待していたのですが、その一ヶ月前に心臓発作で彼は亡くなってしまったのです。実に残念でね......。私は『魔法探偵』(集英社)という小説を書いています。それは、魔法を使って主人公が失せ物を捜しに70年の万博に出かけていくという話なんですけど、そこに万博会場で指揮するバルビローリを登場させています。

------噂で聞いたのですが、翻訳の仕事を始めたきっかけは音楽関係からだとか?

南條 ああ、中学生の頃の話です。私は、フレデリック・ディーリアスというイギリスの作曲家が好きだったのです。彼の声楽曲が日本では出ていないので、輸入版を買ってその詞を読んでいたんです。今ならただ読むだけですが、中学生だから辞書を引いて対訳をノートに書いていました。

当時、三浦淳史先生という音楽評論家の方が、ディーリアスについて「ステレオ芸術」や「レコード芸術」といった雑誌に書いていました。私はディーリアス・ファンとして手紙を出し、三浦先生と知り合うことになったのです。それがきっかけで、ノートに書いていた訳詞を、東芝EMIがレコードを出す時に使うことになったのです。

これが私の活字になった初めての翻訳の仕事です。中学3年生の時でした。

この声楽曲は『海流』という作品で、アメリカの詩人ホイットマンの『草の葉』の詩を唄ったもの。私はアメリカ文学なんて、あまり好きではありませんが、そんなこともあって、ホイットマンだけは気に入っているんですよ。

------出版の世界での翻訳デビューは、いつなんでしょうか?

南條 大学生の時ですね。早稲田の幻想文学会が「金羊毛」という同人誌をやっていました。70年代中期の話ですが、神田の三省堂の近くに三省堂アネックスという書店があって、そこは幻想文学系の本を平積みにするようなところだったのです。その書店で学生の私は「金羊毛」を見つけ、手紙を出し幻想文学会に入れてもらったのです。

当時私は、『幽霊船』という作品を書いたリチャード・ミドルトンという作家が好きで、自分でいくつか訳していました。その翻訳を4本、それに解説を付けて「金羊毛」2号に出したのが最初ですね。

仕事としては、国書刊行会から矢野浩三郎監修の『ラブクラフト全集』が出た時に、翻訳者の一人として参加したのが、たぶん最初です。

一人で翻訳をした単行本は、アーサー・マッケンの『輝く金字塔』(国書刊行会)が最初です。

『怪奇三昧』と『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』

------さて、南條さんはこの春に『怪奇三昧--英国恐怖小説の世界--』 という本を出しました。

南條 はい、イギリスの怪奇小説の巨匠たちを、それぞれの人生のエピソードを織り込みながら紹介するというものです。これは前に集英社新書で出したのですが、新たな要素を加えて小学館から出し直しました。

第一章はブラックウッド。その他は、アーサー・マッケン、ダンセイニとラブクラフト、M・R・ジェイムス、それにH・R・ウェイクフィールドやメイシンクレア、リチャード・ミドルトンなどをとりあげています。それに付録として、紹介した作家の翻訳を載せたものです。

------それぞれの作家の人生がなかなか面白い。

南條 面白いでしょう! 限られた紙数で人生全体を語るのは難しいので、自分が印象に残ったある一面だけをクローズアップする手法をとりました。

------作家の特徴を捉えた人生の一場面になっているんですね。ブラックウッドの場合は、若い頃に病気になった時のエピソードです。

南條 彼は英国上流階級の家に生まれ、二十歳になると自活の道を探すためにカナダのトロントへ渡ります。それでいくつかの事業を立ち上げるんですが、ことごとく失敗してしまう。それで極貧の状態に陥ってしまうんですね。

そしてある時、病気になる。医者が来てくれるのですが、ブラックウッド青年は金がなくて治療代を払うことができない。ふと、その医者が、かたわらに置いてあった『バガヴァッド・ギーター』というインドの思想書に目をとめる。「この本は、あなたが読むのかね?」というんですね。それに答えて、ブラックウッドは自分の関心のありかを説明する。そんな青年に何かを感じたのか、それから医者は一銭の金も取らず、完全に治るまで治療をしてくれるんですね。

------ブラックウッドはインド思想に少年の頃から心ひかれ、その『バガヴァッド・ギーター』を「もっとも深遠な人類の聖典」と考えていました。その神秘的な聖典に命を救われるというのは、非常にブラックウッドらしいエピソードですね。こうした場面は、ある程度想像して書くものなんですか?

南條 いや、ブラックウッドは『三十路以前のエピソード』という青春の回想記を書いています。それをもとに書きました。この『怪奇三昧』に書いてあることは、作家の自伝や伝記などをもとにして綴ったものです。アーサー・マッケンの話もそうですが、ジョン・ゴーズワースが書いた伝記が当時は入手できず、後に発刊された別の人の伝記をもとにしています。

------そしてこの10月には、ちくま文庫から『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』 が出ましたね。中華料理に関する書き下ろしエッセイ集です。どんなことが書いてあるんですか?

 

南條 まあ、いろいろと書きましたが、たとえば2010年に行った上海万博のことです。やはり中国ですから、万博会場でも食べるところは充実していました。四川料理、広東料理など中国の八大料理がずらりと揃っている、と思いきや何か足らない......北京の料理がないのです(笑)。北京料理なんか無視しているんですね。

------万博そのものはいかがでしたか?

南條 さっき話に出た70年の万博では、アメリカは月の石を持ってきたり、ソ連も力強いフォルムが印象的な建物を建てるなど、かなり力を入れていましたよね。この万博ではぜんぜん力をいれていない。アメリカ館もロシア館もかなり貧弱な印象でした。韓国館やサウジアラビア館が立派でしたね。まあ、それぞれの国家と中国との関係性が如実にわかる博覧会の会場でした。

面白かったのは、65歳以上の人専用の入り口があること。通常の入り口は長蛇の列ですから、お年寄りへ優遇の措置です。さすが年長の者に敬意を払う国ですね。

でもね、こんなことをしたら、絶対インチキをする奴が現れるなと思っていました。そしたら案の定、「年寄りを貸します」という商売が出現(笑)。入り口の前でおばあさんをレンタルする商売です。そうすると金を出した者は付き添いで入れるんですね(笑)。

------相変わらす、楽しい旅をしてらっしゃる(笑)。  今日はありがとうございました。今回のインタビューでは、南條さんが音楽をとても愛していることがわかってよかったです。そんな南條さんが、音楽とカバラを題材にした『人間和声』を翻訳してくれたことを、あの世でブラックウッドはとても歓んでいるのではないでしょうか。

(聞き手・渡邉裕之)

《南條竹則さん あとがきのあとがき》
"最速重版"の記録をもつブラックウッド短篇集『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』刊行時のインタビュー(2012年1月)
『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』「温泉郷でブラックウッドを翻訳す」 南條竹則さんに聞く
人間和声

人間和声

  • ブラックウッド/南條竹則 訳
  • 定価(本体933円+税)
  • ISBN:75270-5
  • 発売日:2013.5.14

2013年11月10日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「『1984年』ではなく、この小説のようなソフトなディストピアになるのでは」 『すばらしい新世界』の訳者・黒原敏行さんに聞く

img_atogaki_cover170_03.jpg

オルダス・ハクスリーが、1932年に発表したディストピア小説『すばらしい新世界』。時代は自動車王フォードにちなんだ「フォード紀元632年」という未来。フリーセックスとソーマと呼ばれる快楽薬の配給により実現した、誰もが人生に疑問を抱かない楽園のような社会が描かれます。しかし、その世界を構成する人間たちは、受精卵の段階から孵化器で「製造」されていました。さらに、そこでは階級ごとに選別され、体格、知能などが決定されていたのです。

こんな未来社会を描いた『すばらしい新世界』を翻訳した黒原敏行さんに、今回はインタビューしてきました。ディストピア小説というとすぐに思い浮かべるジョージ・オーウェルの『1984年』 (スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界を描いた小説)との比較、引用されるシェイクスピアの戯曲について、そして黒原さんが愛している幻想小説の話もうかがってきました。

インタビューは、黒原さんと担当編集者Oとの会話から始まります。

------(担当編集者O) 黒原さんには、この文庫では最初にコンラッドの『闇の奥』を訳していただきました。次に何をお願いしようかと思って、いくつか候補をあげたんです。ロード・ノベル的なものから怪奇ゴシック小説まで、色々ともっていったのですが、黒原さんがなかなかノッてくれない。それで、別に企画していたこの『すばらしい新世界』のお話をちょっとしたところ、「それは興味がある」とすぐに反応してくださって......そこだったか!と私としては意外だったんですよ。黒原さんは、この小説のどこに興味をもったのですか?

黒原 以前に私は、アメリカの現代作家ジョナサン・フランゼンの『コレクションズ』 (ハヤカワepi文庫)という小説を訳していて、これが『すばらしい新世界』の本歌取りをした作品でした。その小説の「訳者あとがき」(新潮社・単行本の)に、「現代アメリカのディストピア的状況」を描いているとは書いたのですが、ハクスリーのこの小説が下敷きになっているとは思ってもみなかった。後で、気づいて、すごく恥ずかしい思いをして。そんなこともあったので、『すばらしい新世界』にすぐに反応したんです。

------どんなふうに本歌取りがされているのですか?

黒原 『コレクションズ』は、現代アメリカの家族の物語です。クリントン政権時代、アメリカはITバブルにわき、唯一の超大国として繁栄を誇っている。ところが、この家族は恵まれた白人中流階級なのに、メンバーはみな何かしらの鬱屈を抱えています。

この物語に、アスランという薬が登場する。服用すると、気分が明るくなるという薬で、家族の何人かがはまるんですね。昔だったら、家族の軋轢は精神分析で解決ということになるんだけども、彼等はそんなところに行こうともせず、当たり前のように、薬を呑む。すると悩みはたちまえ消えてしまう。さらにこの小説では人格を変えてしまって病気を治す医療技術まで開発中です。これは、明らかに『すばらしい新世界』の未来社会の人々が服用している薬、ソーマを下敷きにして書かれていると思います。

また、『コレクションズ』に出てくる次男は、大学で文学理論を教えている男で、現代社会を痛烈に批判する。でも学生たちには見向きもされない(笑)。それどころか「ひとりで文学書を読みふけるなんて古い。コンピュータのネットワークで繋がり、その関係性の中で助け合うこともできる、この社会のどこがいけないの?」と学生たちにいわれる始末。このハッピーでどこか気持ち悪い共同体主義も、『すばらしい新世界』の幸福で不気味な共同体から影響を受けて書かれているはずです。

------あらためて読み、どんな感想を持ちましたか?

黒原 とにかく笑える作品でしたね、笑えるまで作者ハクスリーが登場人物を突き放しているところがいいなと思いました。主人公バーナード・マルクスは、この「理想的な社会」から疎外されていて、読者としては感情移入できるかなと思っていると、ちょっと立場がよくなった途端、嫌な奴になってしまう。野蛮人ジョンも、ディストピアへのアンチテーゼを体現する男として出てきたのだなと期待していると、変な狂信者みたいになってしまう......ディストピアを批判すべき人物たちがヒーローにならず、カッコ悪さを含め描かれているところがいいなと思いました。

同じディストピア小説なら、悲劇的なジョージ・オーウェルの『1984年』の方が物語として面白いという感想も多いでしょう。主人公が体制に挑戦し破れていく、光と影がくっきりとある『1984年』の方が、感情移入できるし、ドラマチックです。やっぱり笑えるものより、シリアスなものの方がインパクトが強いですからね。

でも、今の世の中を見ていると『すばらしい新世界』の方が、リアリティがある感じがすると僕は思うんですよ。

------参議院議員選挙の投票日である7月21日、自民党が圧勝しました。これで「個より公益」を打ち出した改憲への道は確実に一歩踏み出し、『1984年』みたいな全体主義的な社会がやってくるといっている人は、かなりいますが。

黒原 たしかに国全体が貧しくなってくると、強圧的な全体主義の色合いが強くなってくるのかもしれません。でも、よほど貧すれば鈍するの状況にならなければ、『1984年』的なことにはならないような気がするんです。

「君が代を歌え、口元を監視しているぞ!」という動きは実際に出てきたけれど、『1984年』のようにビッグブラザーが監視する社会が現実化するとは思えません。むしろ、もっとソフトなディストピアになるんじゃないかと。たとえば国歌を、若者が好むようなもっとカッコイイものにして「みんなで力を合わせよう! それが僕らの生きる道だあ〜」とか唄って(笑)、サビで「きみのためならボクは死ねる〜」って、Jポップ風に(笑)。これから全体主義的になるとしても、そういうソフト路線で展開する気がします。

サッカー・ワールドカップ予選のときに「DJポリス」というのが話題になりましたね。サッカーを見て興奮した若者たちを、渋谷の街で上手な言葉を使ってうまく誘導していた警官です。あれを見て、あっ、これは『すばらしい新世界』に出てきたぞ!と思いました(笑)。DJポリス氏はもちろん創意工夫をして仕事をして立派だと思うのですが、ああいったソフトな管理は気になります。ハクスリーは、1930年代に書いた小説で、現代のソフト型管理社会を描くことに成功していると思いますね。

註づくりの作業とシェイクスピア祭り

------次に、翻訳者の大事な仕事の一つ、註をつけることについてお聞きします。この小説のタイトルは、シェイクスピアの『テンペスト』に登場する人物の台詞「O brave new world 」からきています。そして作品の中でも、たくさんのシェイクスピアの作品の言葉が引用されていて、この文庫では、それがどの戯曲からの引用なのかが註で示されています。この作業はどう行ったのですか?

黒原 まずは松村達雄さん訳の講談社文庫の註でチェックし、そこで落としているものもあるかもしれないので、フランス語訳でチェックしました。どんな本を訳すときでもフランス語訳があるときは買って参考にするのですが、このフランス語訳にはハクスリー本人が序文を寄せていて「シェイクスピアの言葉はイギリス人ならわかるが、フランスの方にはわからないところもあるだろうから註をつけた」といったようなこと書いている。註を書いたのは作家本人ではないかもしれないけれど、ハクスリーが目を通しているはずだと判断し、この本を使って引用をチェックしていきました。さらに、その註でも落としているものはあると考え、読んでいてこれはアヤシイなと思うものは、グーグルで検索しました。すると、二カ所くらいみつかって、これでほぼ完璧ではないかと思ってます。

------黒原さんは、シェイクスピアは好きなんですか?

黒原 好きですね。どうせ註をつくるなら楽しもうということで、翻訳作業をしている期間は「シェイクスピア祭り」と称し(笑)、小田島雄志先生訳の戯曲をかたっぱしから読んでいました。それと、BBCが1980年代にシェイクスピアの全戯曲を映像化したシリーズがあり、DVDのセットを買っていたので、英語字幕を表示して見ました。翻訳作業は終わりましたが、まだ祭りは続行中です(笑)。

------好きな戯曲は?

黒原 若い頃は『ハムレット』が好きでした。「僕って何?」という感じに共感したのでしょうか(笑)。20代の頃は芝居をそこそこ見ています。『ハムレット』もデレク・ジャコビというイギリスのシェイクスピア俳優が来日公演をした時に見ました。BBCのDVDのハムレットもデレク・ジャコビですね。

私が20代だった80年代は演劇ブームで、素人劇団もたくさんあって、その中でシェイクスピアもやるところもありました。まあ、今でもあるでしょうけど。『十二夜』を上演したある素人劇団のことは今でもよく覚えています。役者は一人を除いてみんなド素人でしたが、やはり作品がいいせいか、とても楽しめて、『十二夜』が大好きになりました。

ほかに好きなのは、そうですね、『お気に召すまま』とか『真夏の夜の夢』とか、喜劇が多いですね。

現実に勝利する虚構の言葉

------外国文学愛好者の中で、黒原さんは、今、とても注目されています。きっかけは『すべての美しい馬』(早川書房)などのコーマック・マッカーシー作品の仕事でしょう。読んだ人は非常に鮮烈な印象をもったと思います。マッカーシーもすごいが、この日本語もすばらしかった。『すばらしい新世界』の翻訳でも、その魅力は発揮されていると思いますが、黒原さん、その日本語をどう獲得していったのか、少し教えて下さい。小さい頃は、どんな本を読んでいたのですか?

黒原 子どもの頃はほとんど読書をしていなくて、本格的に読み出したのは高校生になってからです。『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』に『戦争と平和』。日本でいうと夏目漱石に、谷崎潤一郎の初期の作品などに夢中になりました。谷崎は『少年』とか『刺青』、『秘密』、『痴人の愛』。いわゆる悪魔主義という奴ですね。

本をあまり読まなかったのが急に純文学を読み出したわけは、ありがちな話だけど疎外感ですね。小中学は同じ地域だったのが、高校になったらいろんな所からやってくる人たちと一緒になる。気が小さいから溶け込めなくて、それで本の世界に逃げ込んだんです。

それから和歌山の田舎から東京の大学に入りました。いちおう仏文科で、ボードレール、ランボー、ロートレアモンといった詩人の作品が好きでした。フランス文学は、私が大学生になった頃は、ヌーボーロマンのブームも既に去って、その後大きなムーブメントや突出した作家もいなくて、ちょっと寂しい感じがしましたね。

当時、というのは70年代後半ですが、海外文学で新しい話題というと、ラテンアメリカ文学の翻訳書が本格的に刊行されはじめたことでしょうか。国書刊行会のラテンアメリカ文学叢書なんか、私も読もうとしましたけど、白状すると、ちょっと歯ごたえがありすぎて、その面白さがわかりませんでした。少し味わえるようになってきたのは中年になってからですね。

何年か前に、個人的に「フリオ・コルタサル祭り」をやりまして、まあ、そうたくさん読破したわけでもないですが、面白いですね。コルタサルにボルヘス、そのほか、いわゆる幻想小説という奴ですか、最近でもそういうのを読もうとしています。

------コルタサルは、短編『南部高速道路』(『悪魔の涎・追い求める男他八篇』(岩波文庫)所収) がいいですね。

黒原 あれは面白いですね! 何車線もある高速道路で車が渋滞して、何日も何週間も動かないからそこで寝泊まりすることになり、村ができてしまう。まあ、こういう、ホラをだんだん膨らませていくのは、落語の『愛宕山』とか、わりとある趣向だなと思いながら読んでいくんですが、ラストが圧巻なわけです。詳しく話すと未読の人に悪いので、抽象的にいいますが、幻想が消えていくときになって、とても愛おしいものに感じられて、このわりとよくあるホラ話だと思っていたことが、自分のなかで大事な何かとしてしっかり存在していたのだなと気づく。つまり、その時点で、私のなかで幻想が事実に勝利するわけです。

事実と幻想がある場合、なぜか私は幻想に勝利してほしい。でも幻想はどうやって事実に勝利できるのか。それには技が必要ですよね。ただペガサスやらユニコーンやらが出てきて、魔法が使えて、という幻想は、子供だましでばかばかしい。コルタサルはあの手この手を使いますね。視線の動きを使って人間と山椒魚を入れ替えてしまったり。やはり戦略や仕掛けがなければ、現実には本当に勝利できないのだと思います。僕が好きな作家は、現実に勝利する言葉をもった人です。

------そういうことを考えている黒原さんが、あの独特な文章を書くコーマック・マッカーシーに出会ったのですね。

黒原 『すべての美しい馬』 は、1940年代のテキサスで、馬が大好きで、カウボーイとして生きていくことを夢見る少年の物語なんですが、最初のところで主人公が幻を見るシーンがあります。インディアンが移住していくところ、彼等の旅の行列を描写している息の長い濃密な文章がある。それを読んだ時に、ぐっと掴まれました。「これ、日本語にしたい!」と思ったんです。

マッカーシーは、リアルなことしか書かないのだけど、それがいつしか幻想性を帯びてくる、そこには戦略と仕掛けがしっかりある。現実に対して幻想が勝利する言葉をもった作家なのだと思います。

------黒原さん自身は、現実と幻想の関係はどうしているんですか?

黒原 ......唐突な質問ですね。現実が嫌で嫌でしょうがないです(笑)。もう自分だけの世界に閉じこもっていたい! 最近、愛読しているのは森茉莉ですね。『贅沢貧乏』 『甘い蜜の部屋』 に浸っています。いい年して小説で現実逃避か!と笑われそうですが。実はここに来る前、千駄木の森鴎外記念館に寄ってきました。そこに、森茉莉用の陳列ケースがありまして、原稿などが入ってるんですよ。それをじっと見たりして、2時間以上もいてしまった(笑)。

------(担当編集者O) 世界はやはりどんどん管理社会になっていますし、憂鬱になるのはわかります。

黒原 話は戻りますが『1984年』にはならないような気がします。オーウェルはビッグブラザーが監視する社会を描いていますが、今はそれとは違った監視社会になっている。たとえば生徒に体罰をしている教師を撮影した映像がYouTubeにアップされるようなことが起きる。これは権力による監視ではない。住民の安全のために設置している商店街の監視カメラのことなども考えると、『1984年』とはまったく違った監視社会だとわかる。でも、こういう市民のための監視というのが全面的にいいことなのかどうか。何か真綿で首を絞められるような窮屈さがありますよね。このあたりのリアリティを、『すばらしい新世界』はうまく描いていると思います。

------(担当編集者O)エドワード・スノーデンによって暴露されたネット監視のことから『1984年』は最近話題によく上るようになり、本も売れているそうです。しかし、『すばらしい新世界』の方がよりリアルだし、いま読む価値がある! と声を大にしていいたいですね。
(構成/ 渡邉裕之)

すばらしい新世界

すばらしい新世界

  • オルダス・ハクスリー/黒原敏行 訳
  • 定価(本体1,048円+税)
  • ISBN:75272-9
  • 発売日:2013.6.12
闇の奥

闇の奥

  • コンラッド/黒原敏行 訳
  • 定価(本体640円+税)
  • ISBN:751911
  • 発売日:2009.9.8

2013年8月 1日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉脈絡のないバラバラの演劇世界は、どのようにできあがったのか──チェーホフ『桜の園/プロポーズ/熊』訳者・浦雅春さんに聞く

桜の園/プロポーズ/熊

チェーホフ最晩年の戯曲『桜の園』が収録されている『桜の園/プロポーズ/熊』。翻訳をしたのは浦雅春さん。浦さんは今年の3月、長年に渡って授業を行っていた東京大学を退官されました。

インタビューは、その3月、最後の授業も終わり、あとは研究室の後片付けを残すのみという時に、東大駒場の研究室にお邪魔し行われました。

『桜の園』の魅力をお聞きする中で、チェーホフの独特な言葉の使い方、それがどうして行われるようになったのか、その理由が語られていきます。......そして最後は、「浦BAR」の話に。浦BAR? 最後に語っていただきますので、お楽しみに。

------浦さんは、「訳者あとがき」で「大学院でチェーホフを研究していたときも、戯曲はほとんど読んでいなかった。むしろ敬遠していた。苦手だったのである」と書いています。そんなに苦手だったのですか?

 苦手でしたね〜。僕は大学院は早稲田で、ロシア演劇が専門の野崎韶夫さんに指導してもらいました。その野崎さんが、もう40年も前、河出書房で出ることになった「ゴーゴリ全集」の戯曲の巻を担当したんです。その時に、先生から下訳をやってみないかと、声をかけてもらいました。翻訳はやってみたかったので歓んで行い、その原稿を野崎さんに渡したんですね。それからしばらくして、本が出来上がった時に、先生にこういわれたんです。「結局、君の訳は使わなかったけれど、これでも読んで勉強しなさい」。その本を渡されたんですよ、まさにトホホです(笑)。

------といいつつも、浦さんはチェーホフの四つの代表的戯曲『かもめ』『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、そして『桜の園』を訳しました。苦手だった芝居の翻訳をするようになったきっかけは何だったのでしょう?

 実は、この古典新訳文庫の仕事です。僕はゴーゴリの『鼻/外套/査察官』を翻訳をしましたが、この『査察官』は戯曲なんですね。小説と戯曲が一緒になっている本だったところがよかったのでしょう、小説の中の会話の訳の流れで、戯曲もできてしまった。『鼻』の登場人物が話す言葉を、落語の大旦那の口調のような日本語にしたのですが、その感覚で台詞も訳せたんです。これがきっかけで、チェーホフの芝居も手がけるようになりました。

------訳してみた『桜の園』の魅力を教えて下さい。

 19世紀に生まれ20世紀初頭に死んだチェーホフ、しかし彼は今に通じる作家です。彼は、我々が現在抱えているような不安、寄る辺のない気持ちを戯曲の中で書くことができた。その四つの戯曲の中で『桜の園』は一番ぶっ飛んでいる。そこが魅力ですね。

------ぶっ飛んでいる?

 言葉のバラバラさが極まっています。他の作品と比べてみると、たとえば『ワーニャ伯父さん』なら、最後にワーニャを慰めるような言葉がある。そこにいきつくまでに繋がっていく台詞が戯曲の中にちりばめられていますが、この『桜の園』には、ほとんどない。言葉がバラバラに置かれているような印象です。それだから最後の四幕目なんか、これが必要なのかと思えてしまう。『かもめ』の最終幕では主人公が自殺する、『三人姉妹』ではみんなが去った後に、健気に生きていきましょうという感じで終わる、そして『ワーニャ伯父さん』の最後では、地獄のような日々を過ごさなければいけないけど、先にいったような慰めの言葉が出てくる、つまり意味をもって終わっているんですね。しかし『桜の園』の第四幕はなんだかとってつけたようで、三幕で終わっていてもよいのではとも思えてしまう。実はこれも、チェーホフの言葉のバラバラさのためです。

------言葉のバラバラさについて、もう少し教えて下さい。

 並列的思考というのかな、映画でいえば、風景や人物など、あまり意味のないカットが見境もなく並べられるような仕方ですね。言葉でいうなら、子どもの話みたいな感じです。子どもに「今日、何があった?」と聞くと、「朝起きて、歯を磨いて、学校に行って」という話をするじゃないですか。ただ事実が並べられていて、どこが中心かわからない。そんな感じの言葉です。

そして『桜の園』は、この中心のない、並列思考が極まっている作品なのです。 普通、物語を書く人間は、あるテーマを増幅させるために、この人物とこの事件を繋げておき、そこで伏線をおこうとしますが、ある時期のチェーホフからはそれがない。関連のもたない人物や事件をべたに並べて置いていく。それが、現実の中心をもたない脈絡のないリアルな世界をかえってよく写しとる。だから魅力的なんです。

チェーホフの言葉を変えたサハリンへの旅

------脈絡のないバラバラの世界を描くとなると、登場人物たちの存在感も随分違ってくるんでしょうね。たとえば主人公がいなくなるのでは。なぜなら、主人公が物語に必要なのは、いくつかのバラバラの出来事が主人公の運命や心情を通して関係づけられるからです。

 そうです。チェーホフには主人公が必要でなくなる。ある時期から彼は、中心人物がいない作品を書き出します。そのきっかけとなったのが、1890年のサハリンへの旅でした。サハリンは、政治犯や思想犯、それから殺人、強盗、放火の罪を犯した人間たちが収容される島。そこで彼は実態調査をするのですが、サハリンで根源的な転機を迎えます。

彼はその前に、文学的な危機に陥っていました。『イワーノフ』という戯曲を1887年に書き、劇場で一度上演するんだけど、納得がいかず1889年まで何度も手を入れています。

イワーノフという主人公がいかに悲劇的なのか、その苦しい内面を伝えようとするのだけれど、なかなかうまくいかない。

混迷に陥った背景には、文学者としての自意識の変化がありました。

ちょっと話を変えます。井上ひさしさんが、どうして喜劇を書くのかという質問に対してこんなことを語っています。「小説は大江健三郎という天才に任せよう、同じ世代の者がもう小説をやってもしょうがない」。

実は、チェーホフも同じようなことを考えていたんだと思う。1860年に生まれた彼が小説を書きたいと思っていた時期は、それこそドストエフスキーを筆頭に優れた文学者がたくさんいた。そんなロシアの片隅で、文学をきちんとやろうという気持ちは、チェーホフには最初からなかったと思います。それこそ「同じようなことをしても歯が立たない」という心境だったでしょう。

しかし、チェーホフが作家デビューした1880年代は、実はロシア文学の流れでいうと、「空白の時代」なんです。81年にはドストエフスキーが亡くなり、ツルゲーネフは生きているけれどほとんど書いていない、トルストイに至っては、文学なんてやってられるかと百姓になっている時代です。

ところが、「大江さんに隠れている井上」(笑)みたいな気持ちでいたのに、本格的に書き出したら、自分の目の前に走っている人は誰もいなかった! しかも文学的重圧は、井上さんどころではない。ロシアは文学の国、作家は神の言葉を代弁する者として尊敬され、人生をどう生きるのか、その答えを小説に求める国です。

先輩作家が誰もいなくなってしまったチェーホフには、ものすごい重圧だったでしょう。それを背負わされて、彼はあの『イワーノフ』で混迷に陥った。さらに兄のニコライが死んだこともあり......「このままやっていてはいけない!」と感じ、まずはサハリンに逃げだしたんだと思います。

------文学的な転機を、そこで図ろうと計画したわけではない?

 チェーホフは、そんな見通しはなかったんじゃないかな。とにかく逃げて、流刑地という厳しい現実を目にして、その体験が彼の文学を具体的に変えていったのだと思います。

------どんな経験をしたのですか?

 チェーホフは、流刑地の実態調査をします。今でいうカード式のデータを作るんですね。そこで彼は、病院や監獄という閉ざされた空間を経験します。それから、年端のいかない少女の売春、公然と囚人に行われる笞打ちの刑など、モスクワの尺度では計れない悲惨な現実を見る。彼はそこで世界には中心がないんだと痛切に感じたのでしょう。

大事なのは、すがるべき中心を求めて、あがき苦しむのではなく、中心は一つではなく、遍在するのだと見通す透徹した目です。これは、以降の彼の劇の特徴です。チェーホフのすべきことがここで決まった。しかし、それはすぐに芝居として実現できたわけではありません。少しずつできていき、それが結実したのが『桜の園』だったのです。

------人生の最後になって、書くことができたんですね。浦さんは、「訳者あとがき」で印象的な言葉を綴っています。「『桜の園』を訳しながら、ちょっぴり感傷的な気分におそわれた。これがチェーホフの最後の作品だという思いがしじゅう脳裏を去らなかった」という言葉です。

 よく作家が「今のここを書くことで終わらせたくない」といいますが、僕もそんな気持ちになりました。ああ、これを訳してしまえば、僕の仕事も終わってしまうんじゃないかという感傷的な気持ちになったんです。作者最後の作品である意味は、大きかったですね。

------大学を退官するということもあったのではないですか?

 それはどうかな。僕は記念の最終講義をしなかったくらいだから、大学を去ることに対してそれほどの思いはないんですよ。僕は翻訳者になりたかった、それがたまたま大学の教師になって......まあ、授業はけっこう真面目にやってきましたが。心がけですか? 心がけていたことはウケることかな。大阪の人間だから、吉本的というか、ウケないとダメなんです(笑)。よくても悪くても、聞いている学生から反応がないとしゃべれない教師でした。学生たちと受け答えをしながらコミュニケーションをとり授業をしてきたんです。

------学生たちとのコミュニケーションといえば、噂の「浦BAR」について語らなければいけませんね。担当編集者から、いかにそこが楽しいところであるかを聞いていました。浦さんは、この研究室を開放してBARを開いていたんですね。

 そう、大きな声でいえることではありませんがね。毎週火曜日、大学院の5限の授業を終え、6時くらいから、この研究室で開いていたBARです。けっこう人気の店でした(笑)。学生ばかりでなく教師たちも集まってみんなでワイワイやりながら飲んで楽しんで......大学というところは、教師にはあまり横のつながりがなくて、専門以外の人とコミュニケーションするというのは案外難しいんですよ。それができたことはよかったですね。先生たちもそのことは評価してくれたかな。

------話をお聞きしながら思っていたのですが、この駒場の研究室の窓から見えるのは、新宿ですか? 素敵な夜景ですね。

 これは浦BARの魅力の一つでした。景色を見ながら飲みましょうか。

それから浦BARを特別に開けてもらい(といってもお酒とグラスを研究室のテーブルに出してもらうということなのですが)、私たちは浦さんのお話を聞き、そして夜景を見ながら、今では伝説となったBARを楽しんだのでした。
(聞き手/ 渡邉裕之)

桜の園/プロポーズ/熊

桜の園/プロポーズ/熊

  • チェーホフ/浦 雅春 訳
  • 定価(本体876円+税)
  • ISBN:75259-0
  • 発売日:2012.11.13

2013年6月 7日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「訳し終えた時、『生きてきてよかった〜!』と思ったことがあります」 サーバー『傍迷惑な人々』の訳者・芹澤恵さんに聞く

傍迷惑な人々

雑誌「ニューヨーカー」の名物コラムニストであり人気イラストレーターでもあったジェイムズ・サーバーの短篇集『傍迷惑な人々』

タイトル通り、勝手な思い込みや妄想で周りの人を巻き込んで騒動を起こしてしまう人たちがたくさん登場する作品集です。

そして、こうした人たちを観察しエッセイに描くサーバー自身もなかなかヘンな人物で......そう、実に味わい深い作品が集められています。今回は、この『傍迷惑な人々』を訳した芹澤恵さんにお話を伺います。どんなふうに本書の編纂をしたのかといったメーキング話、そして芹澤さんが翻訳家になるまでのことを話していただきました。

------まず、サーバーの魅力はどこにあると思いました?

芹澤 誰もが感じると思いますが、やはり「ヘンなところ」でしょうね。私も最初は、登場人物が奇天烈な行動をしたり、とんでもない妄想をしたりする、そんなところばかりおもしろがっていたんです。しかし、読んでいるうちに違った魅力も見えてきました。「あとがき」でも書いたのですが、行間からなんとなくうかがえる「含羞」がいいんですね。そこがチャーミングなんです。

本書に入っている『伊達の薄着じゃないんだよ』という、服装に関するエッセイで、「ぼく」が間違ってコートの裏地の破れ目に手を突っ込んでしまうシーンがあります。こういうことは誰もがしてしまうことなんですが、サーバーは「自分が不器用だから、そうなってしまう」という調子で書きます。そこに照れがちらりと見えていいんですね。さらに、こんな些細なことを「すごく大変な恥をかいてしまった」とまとめるところ、そのあたりに、大人の男の人のカワイラシサを私は感じてしまいます。

そしてサーバーのセールスポイントである「ヘンなところ」も、決して特別変わっているわけではないんです。尖んがったヘンだと、読む人が距離を感じてしまいますよね。だから変わっているけど極端に尖らない、しかし読者が油断をしていると、過激に怪しく妄想を暴走させていく、そこがこの作家のうまいところなんだと思います。

------『傍迷惑な人々』は、新たに編纂した短編集です。どのように作品を選んでいったのですか?

芹澤 このお話をもらって、担当の編集者の方とどんな本にしようかと相談しました。ちょうどその頃に、この本の「解説」を書いていただいた翻訳家の青山南先生が訳した『サーバーおじさんの犬がいっぱい』(筑摩書房)が出たんですね。

サーバーは犬シリーズで有名な作家だから、私たちも犬が出ている作品を集めようなんて気持ちもあったのですけど、その本のおかげで、「犬はやめましょう」ということになったのです。

それで次は、犬以外の動物も考えました(笑)。毒のある教訓で終わる物語を集めた「現代版イソップ」みたいなものを彼は書いていて、「それもいいね」なんていってた時もあります。だけど、だんだん動物の周辺にいる変な人たちが気になってきた。

サーバーで有名なのは、この本にも入れた『虹をつかむ男----ウォルター・ミティの誰も知らない別の人生』。これは平凡な日常生活をしながら、同時に頭の中で戦場や病院を舞台にした「別の人生」を生きてしまう男の話なんですけど、こういう妄想が勝手に展開してしまう人たちのことを紹介できないかと思い始めたんですね。

それでヘンな人達が出る作品をピックアップしていき、いくつかのカテゴリニーに分けていったんです。「家族の中のヘンな人」それから「「仕事仲間のヘンな人」「妄想が暴走してしまった人」、そして「ヘンな人としての自分」。こういった感じで章立てをし、それからサーバーのもう一つの顔であるイラストレーターとしての自分を語る文章は、読んで欲しかったので、「自分」のカテゴリーに入れて一冊の本にしました。

------ユーモア小説の翻訳ならでの苦労というのはあるんですか?

芹澤 苦労ってことはないですが、ユーモア小説は細部で人を笑わせるような仕掛けがあるんで、それを見逃さないように注意しています。

------「ジェイムズ・サーバーはありもしないことを、いかにも本当らしく書くことがうまい。まじめくさった口調で、にこりもしないで冗談を言うというのに似ている」と、芹澤さんは「あとがき」で書いています。その例として、あの『虹をつかむ男』の妄想に出てくる拳銃の名前を挙げていますが、それも人を笑わせるための細部の仕掛けですね。

芹澤 そうです。「ウェブリー・ヴィカーズ」という名で最もらしく書かれているんですが、 実はウェブリーとヴィカーズは別々の銃器メーカーで、サーバーが勝手に会社を合併させているんですね。しかもヴィカーズの方は、大型の重機関銃で知られているメーカーなのです。

------それを知っている読者は、大型重機関銃をイメージさせる拳銃ということで笑えるということなんですね。こうやって教えてもらっても、私たち日本の読者は笑えないんですけど、こういう情報はうれしいんです。何故なら、ユーモア小説って、登場人物の名前や出てくる会社の名前がちょっとふざけていたりするじゃないですか、サーバーも同じことをやっているのかと思うとうれしくなります。

芹澤 私は銃器のメーカーが架空であることだけは調べていたんですが、大型重機関銃の会社のことは、編集者の方が調べてきて教えてもらったんです。素晴らしい編集者ですね。

では、そのことを読者にどう伝えようかと考えました。通常、古典新訳文庫の場合、訳注はページの隅に入れておくんですが、これは説明文のボリュームが大きくなってしまったので、「あとがき」に入れさせてもらったのです。

------「あとがき」で、この銃の名前の他にも、サーバーの「芸の細かいところ」をいくつか教えてくれて、とても楽しめました。それから、この本はタイトルがいいですね。『傍迷惑な人々』。「残念な人」の流れというのかな、ぐっときました!

芹澤 古典新訳文庫の場合、短編集だと収録作品のタイトルを並べるという例が多いんです。やってみたのですが、オビに短しタスキになんとかで、どうもよくなかった。それで思いきりオリジナルな題名をつけようということになったんです。章立てをする時に、セクションごとに仮タイトルをつけていて、そこに「傍迷惑な人々」は出ていたので、担当の方と、なんの迷いもなく書名にしました。こうしてタイトルは簡単に決まったんですが、収録する作品の本数を減らすのには苦労しました。随分落としたんです。

------「パート2」もすぐできますね。

芹澤 はい、登場人物は傍迷惑な人ばかりですから(笑)。彼の家族の中にも、とっておきの変人が控えています(笑)。

------話は変わりますが、芹澤さんのまわりで傍迷惑な人はいますか?

芹澤 私がこまった人です。

------何故に?

芹澤 原稿が遅れ気味なんで(笑)。

翻訳家への道を、こうして歩んできた

------仕事の様子が少々伺えたところで(笑)、芹澤さんの仕事について聞かせて下さい。翻訳家にはどのような道筋でなったのですか?

芹澤 高校生の頃、映画の字幕の翻訳をしたいと思ったんです。映画がたくさんタダで見られると思って(笑)。しかし、そんな夢も忘れて大学、そして卒業し就職ということになり、仕事が慣れてきた頃に、自分が本当にやりたいことは何かなと考えてしまった。その時思い出したのが、字幕の翻訳の仕事でした。

それで翻訳学校に行ってみたんです。当時は、今みたいに衛星放送もなかったし、レンタルビデオ店もそんなに多くなかったので、学校の人に「字幕の仕事はほとんどないですよ」といわれてしまったのです。それから「文芸の方へ変えたら」とアドバイスされました。これが今の仕事に入ったきっかけですね。

------それで学校で小説の翻訳の勉強を始めたんですね。

芹澤 最初は当時多く読まれていたロマンス小説の翻訳で勉強をし、次にミステリーの翻訳の講座を。そこで翻訳家の田口俊樹先生に就いて勉強をしました。先生が早川書房の「ミステリーマガジン」で訳した短編を教材にして、翻訳しては授業の時に発表し、生徒同士がああでもないこうでもないと批評していく、そして田口先生が意見をおっしゃるという授業でした。随分鍛えられました。

------仕事はどのように始めたのですか?

芹澤 田口先生に出版社を紹介していただきました。それが東京創元社で、そこから出したキース・ピーターソンの『暗闇の終わり』というミステリーが、私の最初の仕事になります。

------東京創元社では、あのフロスト・シリーズの翻訳もしていますね?

芹澤 はい。R.D.ウィングフィールドが書いたイギリスのフロスト警部を主人公にしたシリーズです。イギリスではテレビドラマにもなり、そちらの主人公は渋いおじさま俳優が演じていますが、原作のフロスト警部は、それこそ「傍迷惑な人」の典型かもしれません(笑)。『フロスト日和』『夜のフロスト』 などは、たいへん多くの方に読んでいただいて、うれしく思っています。

------人気のフロスト・シリーズは、まだ未訳のものがあるんですか?

芹澤 2冊あります。その1冊を今ちょうど訳しているところなんです。新刊を待ってくださっている読者が多いので、頑張らなければいけません。

------芹澤さんは翻訳の仕事だけでなく、翻訳学校で教えてもいらっしゃる。

芹澤 卒業した学校、フェロー・アカデミーで授業をもっています。自分が教わったように、生徒さんたちに短編を訳してもらって、それを講評するという授業です。短編は短いテクストの中に起承転結があるので教材として使えるんです。

この本に入っている『第三九〇二〇九〇号の復讐』も授業でとりあげました。これは運転免許証の更新を忘れて罰金を払わされた「わたし」が、警察への復讐を妄想するというものです。サーバーらしい妄想の暴走が魅力的な作品です。ここでサーバーはわざと古めかしく、そして少しばかり堅苦しい言葉を使っています。奇天烈な空想の爆発のために、コントラストが強くなる言葉を選んでいるんですね。こうした英語を日本語にするのは難しい作業ですから、勉強になると思って教材に選んだのです。

------今、翻訳家になりたいと思っている若い生徒さんたちはいかがですか?

芹澤 みんなかなり真剣にやっていますが、この時代、翻訳家としてデビューできる人はとても少数だと思うので、みなさん大変ですね。前に比べて出版点数が少ないから、私が先生にしてもらったような、出版社への紹介がなかなかできないんです。

------大変な時代を生きている翻訳家志望の若い人にとって、芹澤恵さんは、あこがれの人なんでしょうね。それでお聞きしたいのですが、翻訳をやってきてよかったことって、どんなことがありますか?

芹澤 実は私、古典新訳文庫のお仕事で「翻訳をやってきてよかった」と思ったんです。私は2007年にO・ヘンリーの『1ドルの価値/賢者の贈り物』という本を訳させてもらいました。私はこの作家が小さい頃から大変好きでずっと読んでいたんです。

翻訳を始めた時、まさかあこがれのO・ヘンリーの小説を訳せるとは考えてもいなかったので、あの本を依頼された時は、「翻訳という仕事を選んだかつての私が、望んだ以上の夢がかなった」と思いました。特に私が大好きな物語、貧しい夫婦のクリスマスの出来事が綴られた『賢者の贈り物』を訳し終えた時は、大げさかもしれませんが「生きてきてよかった〜!」と思ったほどでした。

------確かに、O・ヘンリーの珠玉の名作、『賢者の贈り物』や『最後の一葉』を訳したら、そんな気持ちになるのもわかるような気がします。

これから出てくる若い翻訳家の方にも、そんな風に思える素晴らしい仕事をしてもらいたいですね。

今日は、どうもありがとうございました!
(聞き手/ 渡邉裕之)

1ドルの価値/賢者の贈り物

1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編

  • O・ヘンリー/芹澤 恵 訳
  • 定価(本体720円+税)
  • ISBN:751415
  • 発売日:2007.10.11

2013年2月21日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「『自由論』を普通に読めるようにし、 哲学を普通の言葉で語ること」 斉藤悦則さんに聞く

自由論

個人への自由への干渉はどこまで許されるのか。反対意見はなぜ尊重されなければならないのか。こうした問題をじっくり考察しているのがミルの『自由論』

情報化社会の渦の中で、自分とまったく違った意見の持ち主や、とんでもないことをしている人たちに出会ったりすることが多い私たち。カーッときて何か主張をしようとする前に、少し頭を冷やすためにも読んでおきたい......だけでなく、市民社会を生きるための基本的考えを身につけるためにも読んでおきたい本です。

今回の「あとがきのあとがき」は、『自由論』を訳した斉藤悦則さんに登場していただきました。現代の日本で、ミルの文章がどう読まれるかなどの話について聞きました。また、斉藤さんは、アナキズムの思想家プルードンの研究者でもあります。そこでアナキズムや、あの坂口恭平さんなどについても語ってもらいました。

------とにかく、この本は読みやすい。そのことに感銘しました。

斉藤 校閲の方が「これは、中学生でも読める」といってくれたそうです。その話を聞いた時、「よかった〜」と思いました。それで私は「あとがき」で次のような文章を載せたんですよ。

「私はますますミルの『自由論』をなるべく多くのかたに読んでもらいたい。そう願います。若いひとびと、高校生にも、できれば中学生にも読んでもらいたい」

校閲者の言葉を聞いて、自信をもってこの言葉を書くことができました。

私も研究者ですから学術書を書いていますが、編集者からチェックを受けたことなんてほとんどなかった(笑)。でも、この古典新訳文庫では、普通に読める日本語になっているかどうか、一つ一つチェックされました。それですごくよくなっていったんです。ですから、チェックの一つ一つに感動していました(笑)、さすがこの文庫だなって。結果、普通の人が普通に読んで意味がわかる本になったと思います。

------著者であるミル自身はどうなんでしょう。彼は普通の人に向かって『自由論』を書いていたのですか?

斉藤 いや、残念ながら知識人相手に書いています。頭のいい人に向かって、「もう一度、自由の問題を考えよう」といっている本です。もっといってしまうなら、「民衆はバカだから彼等が自由になっていくと、とんでもない方向に流れていってしまう。民衆を指導するあなたたち知識人は、もっと自由について意識した方がいい」とメッセージしているんですね。ミルは上から目線です(笑)。だから『自由論』は啓蒙書ではありません。

そして、ミルは文章を難しく書くところがある。頭がいい人だから、自分では意識していないのだけど、文章が高度になってしまうんですね。よく『自由論』を英語の先生たちが教科書で使っているのですが、これは読みやすいからではありません。難しく書かれているからです。英語の先生って嫌ですね〜(笑)。

私は、古典新訳文庫でマルサスの『人口論』も訳しましたが、彼の言葉は難解じゃない。なぜなら、自分の考え方をなるべく多くの一般の人に読んで欲しいと思って書いた本だからです。マルサスの本に比べると、ミルの文章はやっぱり難しいですね。

------斉藤さんは、「あとがき」で「ミルの思想こそが、いまという時代においてはきわめて『とんがっている』、と『自由論』を訳しながら私は感じとりました」と書いています。どう「とんがって」いるんでしょう?

斉藤 大阪市長の橋下徹さんが「君が代」を唄わない人間をチェックするといったり、その後の維新の会の動き、それからネットを見ていくと、やたら右翼ぽい発言をしている人が目立ちますよね。こうした世の中だと、今、「思想信条の自由を守る権利」なんてことを主張する人は、すごい変人扱いされてしまうのではないかと思います。普通に「自由」を語ることが、今や「とんがっている奴なんだ」といわれてしまうのです。

ミルが『自由論』で語っていることは、決して過激な思想ではありません。個人に於ける自由への干渉はどこまで許されるのかといったことを考えようといった、まあ、「ゆるい」感じのものですよ。それが今では、まわりが酷くなったから、その「ゆるさ」が一番「とんがっている」ことに見えてしまう。

そういう意味で「ミルの思想こそが、いまという時代においてはきわめて『とんがっている』」と書いたんですね。

------そういうことでいえば、ミルが本書で主張している「われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい」という言葉は、堅苦しくなってきた世の中のことを考えると、充分に「とんがって」いますね。しかし、ミルがこういうことをいった人だとは思っていませんでした。

斉藤 ミルは本書で盛んに「変わった人であれ、個性的であれ」といっているんだけど、今まで『自由論』を読む人たちは、その主張に注目しなかった。注目しないような仕掛けがあったんじゃないのかな。その仕掛けの一つは翻訳に関わっていることだと思うので、私は「個性的であれ」を浮き彫りにするように訳し、「あとがき」でもそこを読んで下さいと書いたんです。

------しかし今の日本、「もっと変な人になっていいよ」なんて、とてもいいづらい世の中になっていますね。どうして、こんなに締め付けが厳しくなってきてしまったんでしょう?

斉藤 「認知的不協和」という言葉が社会学にはあります。まわりにいる人が自分の気持ちに対して支持してくれる時、人はうれしがりますが、自分とは違った考えがあることを知ると不快感を示す。その時の状態を認知的不協和といいます。人はその状態にずっといることに耐えられないので、まわりの人の意見に同調するようになるんですね。

科学技術の発達、たとえば通信・交通の発達によって社会が前進していくなかで、思想や言論はもっと自由になっていくと期待した人もいましたが、現実は逆になっています。通信技術の発達は、対話を活発にさせるのですが、反面そのことによって認知不協和になる機会が多くなる。そして最終的に同調圧力が強くなるという結果だけが残ることになるんですね。

------同調圧力がますます強くなってきて息苦しい世界に、風穴を開けようとしているアーティストがいます。坂口恭平さんといって、2011年、東日本大震災と原発事故に対応する形で熊本に「新政府」を樹立、「初代内閣総理大臣」に就任した人です。独立国家づくりというパフォーマンスを通して、坂口さんは、お金や土地、仕事などに関する私たちの固定観念を揺さぶってくるんですね。その一つの実践として、彼は『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書)という本を書いた。お金や土地などについて、とにかく自由に語っていく本です。今回、斉藤さんに読んでもらったんですが、感想はいかがですか?

斉藤 すごく面白かった! 面白いけど坂口さんとはお友達にはなりたくないなあ(笑)。
なぜかというと、彼はけっこう優秀で、写真も絵も講演も執筆も唄もなんでも上手にできちゃう。路上で唄いだせば日銭1万円は稼ぐというんでしょ。そんなに優れてなくて、もうちょっと普通で変な感じの人だったら、もっとアクセスしやすいのにと思いました(笑)。

------斉藤さんは、プルードンというフランスの19世紀に活躍したアナキズムの思想家の研究をしてきた方でもあります。その斉藤さんから見て、坂口さんの発言はいかがですか?

斉藤 「国ってなんだ?」「所有ってなんだ?」こういった根源的な問いかけを坂口さんはしているわけだけど、これはアナキストがずっと前からやっていることなんです。でも彼が偉いのは自分の頭で考えていることですね。ヨーロッパの現代のアナキストなんて、プルードンを含む先輩たちの文献を引用して、その権威の下、主張してしまうからね。坂口さんは誰の文献も利用せずにやっている。これは正しいですね。......しかし、話に聞くと坂口さんは大杉栄さんの唄を唄ったりしているんですってね(「魔子よ魔子よ」という大杉の詩を唄った作品<*>)。これは気になるなあ〜。大杉栄はアナキズムの世界ではビッグネームですよ。坂口さんはすべて自前でやっているんだから、私なんかこういうこともダメじゃないかと思ってしまいますね。

<*>この曲の入った坂口恭平のCD「Practice for a Revolution」(土曜社)

ちょっと話を変えるとですね、私は鹿児島の大学をやめて東京に戻ってきて、最近、哲学カフェに時々顔を出しています。これは哲学的な議論をするための公開討論会で、いろんな人が喫茶店なんかに集まって自由に話合うというものなんです。鹿児島でもちょっと出ていたことがあるんですけど、大学の先生とかが来ると、やっぱり先生は偉そうに喋るんだよね(笑)。私もセンセーだけどそれが嫌で、こっちの哲学カフェに参加する時は、自分がどんな職業だったかなんて隠しているし、話し方も気をつけています。なるべく偉い哲学者の名前なんて出さないで、哲学的な言葉も使わずに話すようにしています。哲学の言葉を使って喋っていくと、それらしく着地するようなところがあるじゃないですか。普通の言葉で哲学するとどうなるか。今、私にとって哲学カフェは修行の場なんですね。

------本や昔の偉い人の言葉を引用せず、自分の頭だけで考えていくと、一種アナキズムになるんでしょうか? 坂口さんの本を読んでいると、そんなふうに考えてしまいます。

斉藤 いや、そうとはいえない。
坂口恭平さんは、子どもの頃からの体験から「土地は何か」「家は何か」という根本的疑問を社会に投げかけることをやっています。確かにメンタリティーはアナキズムです。それからプルードンも自分が生きている場所から考えていました。プルードンは超ビンボーだったんです。貧しい職人の家に生まれ、普通の靴が買えないから木靴を履くような生活をしていました。そうした中で、なんで貧乏人が一生懸命に働いても金持ちになれないのかと考えて、そしてこの社会をひっくり返さなければならないというアナキズム思想を考えだします。

ここから次の段階の話をしますね。一人の人間が自分の頭だけで考えたアナキズムがアナキズムとして実現化するということは難しいという話です。この政府をひっくり返そう、それを実現化するための運動体になると、どうしてもマルクス主義みたいに軍隊的なものが必要になってくる。司令部があってそこから指令を発していくという組織体が勝つと人は考えるからです。

だからファシズムもよく見ていくと、アナキストたちのグループから生まれたものもけっこうあるんですよ。自分たちのコミュニティを守る愛郷主義、このあたりはアナキズムと非常に近いものです。それが愛国主義になって、「金持ちにはユダヤ人が多い、ではユダヤ人を撲滅せよ!」といったファシズムに変貌していく。フランスにはプルードン協会が母体になっているファシズムのグループなんていうのもありますからね。

------う〜ん、現実は難しいですね......では最後に、斉藤さんのこれからのお仕事の予定を教えて下さい。

斉藤 プルードンの『貧困の哲学』を訳しています。マルクスによってボロクソにけなされたことで有名な本ですが、ちゃんと読めばプルードンの「大人ぶり」がよくわかる名著です。社会主義や共産主義は社会の「悪」をなくそうとするが、悪は善とセットなのです。悪だけをなくすわけにはいかない。社会を良くしようとする運動はかならず否定面を生み、その否定はさらにつぎの否定を生む。だから、われわれは均衡をもとめて常に動き続けるしかない。歩行とは体のバランスをくずしながら足を前に出しつづけること、という話に似ています。『貧困の哲学』は上下二巻でけっこう大著ですが、プルードンのうねるようなレトリックは当時のひとびとをうならせ、本もよく売れたことが、読めば納得してもらえるでしょう。翻訳は今年、平凡社から出る予定です。

------お話をありがとうございました。

(『自由論』の話題をもう一つ。昨年「光文社古典新訳文庫感想文コンクール2012」の入賞者が決定されたたのですが、「大学生・一般部門」の最優秀賞に朝守双葉さんという方が書いた『自由論』についての感想文が選ばれました。これは、福島第一原発事故以降、一人の主婦が放射能から自分や家族を守るために考え行動する時に生まれる様々な問題を、『自由論』を通して考えていくというものでした。このテクストに表されている、思想や哲学の古典を読み込んでいく真剣な態度、そうしなければならない現代日本社会の過酷さは、きっと心を揺さぶるはず。ぜひ、読んでみて下さい)

光文社古典新訳文庫感想文コンクール2012/大学生・一般部門〈最優秀賞〉朝守双葉さんの作品

(聞き手/ 渡邉裕之)

自由論

自由論

  • ミル/斉藤悦則 訳
  • 定価(本体1,060円+税)
  • ISBN:752500
  • 発売日:2012.6.12

2013年2月 1日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「温泉郷でブラックウッドを翻訳す」 南條竹則さんに聞く

cover142.jpg

本書『秘書綺譚』の帯には「『恐怖の王道』ここに降臨す。」のコピーが。そして「怪奇小説最大の巨匠」の文字も見えます。

そう、怪奇幻想小説ファンには、「待ってました!」と思わず声をかけたくなる重鎮ブラックウッドの登場でした。

そして翻訳家の名前を見て、再度よろこんだ方も多いのでは。幻想小説の作家でもある南條竹則さんが、ブラックウッドの短篇から選んだ傑作集なのです。

今回の「あとがきのあとがき」に登場する南條竹則さんは、ご存知のように、文学だけでなく温泉や中華料理もこよなく愛する方。ブラックウッドの話の前に、まずは温泉郷の話が展開されます。

------「あとがき」で、本書の翻訳を山形県の赤倉温泉でおこなっていたと書いておられます。南條さんが温泉でどんな日々を過ごしているのか、とても興味があります。

赤倉温泉での私の一日を紹介しますと、たとえば朝起きて食事をし、二度寝してから岩風呂に入ります。そして仕事をするとすぐお昼に。旅館を出て「クラブ食堂」という店に行きます。ここにはアスパラ麺をつかったラーメンがある。この地域はアスパラガスの産地なんですね。うどん粉にアスパラを練り込んだ手打ちの麺がとてもおいしい。それから戻って仕事ですね。夕方になると晩飯を食べお風呂に入って読書をし、後は寝てしまうという生活です。
 私の場合、執筆はパソコンも多少使いますが、基本は手書き。翻訳は机に向かって書きますが、小説は寝て書く。風呂に入ると頭が覚醒するので、出たら湯冷めしないようにすぐ布団の中に入って書きます。
 使っている筆記具は、ぺんてるの硬質筆ペン。それを使ってプリントアウトした原稿に仰向けになって文字を書き込んでゆくんです。
 翻訳の場合は完全に手書き。こちらは仰向けにならず(笑)、座って筆ペンで原稿用紙にすらすらすらと書いていく。なぜ手書きかといえば、意識が途切れないから。パソコンは「変換」しますよね、そうすると「言葉の命」が切れてしまう。手で書くと長い文章に対応できるのです。

------ブラックウッドの言葉に対応することは大変なことですか?

この作家は、決して上手な書き手とはいえません。文章家として問題がある。たとえば形容詞を一つでいいのに二つも三つも並べるようなところがあります。日本語にしたら同じ言葉になってしまう形容詞が並んでいるので、訳している時、どうしてもつづめてしまうんですね。しかし、あまりに切ってしまうのも問題なので、校正の時に戻したりする。その作業がけっこう辛い。
 同じ怪奇幻想小説の作家、アーサー・マッケンなどはふつうに訳せば、それがそのまま読める日本語になるのだけれど、ブラックウッドは手強いですね。
 彼の文章の欠点は、しっかりとした文章修行をしていないことからきていると思います。イギリスの名家の御曹子だったブラックウッドは、子供の頃に文章の鍛錬をせず、アメリカでジャーナリストになりました。そこで身につけたのはジャーナリズムの文章だったんですね。だからどうしても文章が粗い。
 しかし、この作家がやっかいなのは、文章に問題があるのに内容が信じられないくらい面白いことですね。
 今回の本に入っている『転移』なんてすごいでしょ。地面と人間が対決するなんてことは、はっきりいってブラックウッドしか思いつかないですよ。

------あの作品には本当に驚きました。そしてやはりブラックウッドの魅力に取り憑かれてしまいました。そこでですが、南條さんは「解説」で「ブラックウッドにはまだ訳されていない重要な作品が多くある」という気になることを書いておられるのですが。

そうなんです、翻訳は決して少ない方ではないのですが、取りこぼされている重要な作品もあるんですね。たとえば『The Human Code』という小説。私は仮に「人間和声」と訳していますが、これはユダヤ教の神秘思想に出てくる「力の言葉」をテーマにしたものです。
 その言葉は、ユダヤ教の神であるヤーウェの御名です。それを発音すると驚異的な力が生み出されるといわれています。しかし、あまりに偉大な御名であるために一人では発音できない、集団でしなければいけないという設定になっている。
 そこでこの小説の魔法使いは、合唱のようにソプラノ、アルト、テノール、バスといった声域の違った人たちで、ヤーウェの御名を発声するというアイデアを考えたんですね。
『The Human Code』では、田舎に住んでいるカバラの研究者が、テノールの声をもつ秘書を新聞で募集するところから物語が始まります。
 主人公は募集に応じた青年で、彼はその研究者の屋敷に行くんですね。なんとそこにはソプラノの声をだす美女と、アルトのおばさんとバスの男が待っている(笑)。
 そして物語の最後では、テノールの主人公が入って完成したグループが、あの「力の言葉」を発声してみるという壮大な実験が行われるのです。

------(編集者Nが横から)面白そうですね〜! ぜひ、翻訳して下さい。

翻訳っていう仕事はけっこうたいへんなものなんですよ、だからすぐに「うん」とはいえません(笑)。先程、私は翻訳は手書きでといいましたね、しかし原稿用紙に書いたところで作業は終わったわけでありません。ゲラの校正がある。特に私の場合は、校正でものすごく文章を変えますからたいへんです。最初のゲラは真っ赤になる。誤字などを直すだけの校正になるのは第三稿くらいからでしょうか。その頃になると、最初の原稿とはかなり違ったものになっている。これが私の仕事のスタイルなのです。

イギリスの古書店で買った30冊のブラックウッド本を読む

------南條さんの翻訳スタイルが見えてきました。では、「解説」はどのように書いているのですか?

なるべく多くの資料にあたります。私は今から30年くらい前、大学院時代に、ブラックウッドの本を、オックスフォードにあるブラックウェル書店の古書部から30冊くらい一挙に買い込みました。それを出してきて、ひととおり読み、あの「解説」を書いたのです。

------その「解説」で、南條さんはブラックウッドの自然観について重要な指摘をしています。

大いなる自然と小さな人間との関係が、ブラウッドの全作品に通じるテーマだというところですね。自然と敵対する関係、それが物語になると恐怖小説になる。自然と一体となって恍惚境に達する関係。それは神秘小説を生み出します。そして彼の最良の作品は、この二つの領域の接点に位置するものなのだと書きました。
 ブラックウッドの『古き魔術』は人が猫になっていく物語ですが、あの作品は、接点に位置する小説の例ですね。

------それからブラックウッドと神智学との関係性についても書いています。その方面に興味をもった読者のために聞きたいのですが、神智学の影響が一番強く出ているのはどの小説になるでしょう?

『Julius Le Vallon』という作品があります。これは大昔、どこかの惑星にいた男女が間違いを犯して、それを償うために輪廻転生を繰り返す物語です。これなんか神智学の思想が全面的に展開される小説ですね。
 あとは『The Bright Messenger』。これは『Julius Le Vallon』の続篇で、問題の男女が生んだ子供が主人公の物語です。
 神智学の影響が際立って強いのはこの2冊かと思います。

今、温泉旅館で手掛けている翻訳と小説について

------では、今、南條さんが手掛けている仕事について、お聞ききします。まず翻訳の方ですが。

名文章家といわれているイギリスの作家、チャールズ・ラムの『エリア随筆』を訳しています。その紹介をする前に、今、翻訳や小説書きのために籠っている温泉についてお話しましょう(笑)。
 今日もそこから東京に出てきて、また数日後に戻るのですが、山形県の最上地方の最上町に瀬見温泉というところがあります。旅館の目の前には最上川の支流、小国川が流れているのですが、とてもきれいな川なんですよ。私が宿泊している旅館の本館の建物は150年くらい前に建てられたもので、じつに風情があります。
 この地域はうれしいことに「どぶろく特区」になっていて、どぶろくを自由につくることができます。それで番頭さんが一升瓶をもってきてくれたりします。
料理は川魚がとにかくうまい、アユ、イワナ、カジカ、ハヤ、それからナマズ。最近、友人が遊びにきたので、その夜はナマズ鍋を食べました。
 まあ、日常は相変わらずの、朝風呂、原稿、昼は近くの食堂というパターンですね。この温泉郷には寿司屋と食堂が一軒ずつあって、昼にその食堂に行かないと、そこのおばちゃんが病気でもしたかと心配する(笑)。
 まあ、5年間かかって訳した『エリア随筆』の最終作業を、そんな温泉地でしているわけです。しかし、この本はいいですよ。既に何冊か翻訳されたものがありますが、今はなかなか手に入りません。私は素晴らしい名文章を素晴らしく読めるようにしようと頑張っています。今年、国書刊行会から出る予定です。

------小説の方は?

『りえちゃんとマーおじさん』(ソニーマガジンズ)という子供向けの中華料理ファンタジーを、私は前に出しています。その続篇をまた仰向けになって書いています。自分でいうのもなんですが、大傑作です!
 前作にブタンバランという食い意地のはった妖怪が出てきて、退治されるのですが、その「ブタンバランの逆襲」といったストーリーですね。

------料理ファンタジーの話が出たところで、『中華満喫』(新潮選書)など中華料理の本も何冊も出している南條さんにお聞きしたいのですが、最近、中華で何かおいしいものを食べましたか?

最近ではないのですが、昨年の5月、中国の揚州にいっていろいろと食べてきました。 揚州料理というのは、一言でいえば、上海料理の甘くないもの、それは素晴らしい料理でした。
 そうそう、そこでとんでもない料理人に出会いました。一丁の豆腐を2万5千本に切るんです! 目の前でやってくれましたが、あまりに細く切っていくので、見ていてもよくわからない、できあがったところで水をかけると、豆腐が糸みたいにばらけていくんです。すごい技でした。
 それから杭州に行ったので、そこの料理人にそのことを話すと、「それはそう難しくない」というんですね。中国の料理人はスゴイ(笑)。

------(再び編集者Nが)......あの、やはり『The Human Code』、読みたいですね。ぜひ翻訳していただけないでしょうか......。

先程申し上げた『エリア随筆』が大変なんですよ。翻訳するとしたら、それを終えてからですね、この本には注釈を何千とつけなきゃいけない。深い教養をもったラムは、多くの書物からたくさんの引用をしながら文章を書いているので、どうしても注釈が多くなってしまう。それで、私はある案を考えまして......。

(と、ここから南條さんの非常に興味深い奇想天外な「ある案」の話が続くのですが、そこは非公開ということなので、このインタビュー原稿もここで終わらせていただきます。
 温泉話もそうでしたが、南條竹則さんの日常は非常にファンタジックな日々のようでした)

(聞き手/渡邉裕之・3月浅草にて)


cover142.jpg 秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集
ブラックウッド/南條竹則 訳
定価(本体933円+税)

2012年4月19日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「ロダーリの言葉遊びと、言い間違いの魅力」関口英子さんに聞く

cover136_atogaki2.jpg

『羊飼いの指輪 ファンタジーの練習帳』は、イタリアの児童文学作家、ジャンニ・ロダーリが、子供たちとともに書き上げた童話集です。特徴はそれぞれ3つの結末が用意されていること。読者はそこから好きなものを選ぶことができます。

ちょっと変わった構成のこの本の作者であるロダーリは、書き方もなかなか個性的な作家。そんなロダーリについて、本書の翻訳者である関口英子さんにお話を伺いました。これがなかなか興味深いものでした。「言い間違い」から生まれた物語ばかり集めた奇想天外な本の話から、あのコントグループ「ラーメンズ」の話題まで登場します。そして最後は、ロダーリの素敵な詩をひとつ紹介してくださいました。

------ロダーリは、イタリアでは本当によく知られた作家なのですね?

関口 はい。イタリアで子供がいる知り合いの家にいくと必ずといっていいほどロダーリの本があります。それも一冊ではなく何冊も。大人がロダーリの物語を語り出すと、子供がその先をいえるくらい親しまれています。
 エイナウディという大手出版社があるのですが、そこでは、ロダーリは児童書だけでなく一般書としても短編選集が編まれています。子供から大人まで広く浸透している作家ですね。

------イタリアのファンタジー作家というと、私たちが知っているのは、イタロ・カルヴィーノです。ロダーリ理解のきっかけとして、カルヴィーノとロダーリの共通点と違いを教えていただけますか?

関口 共通点は、民話をヒントに現代版のお伽噺に書いているところだと思います。カルヴィーノの作品に『マルコヴァルドさんの四季』という物語があります。これは私が岩波書店で新訳させていただいた本なのですが、主人公は現代のイタリアのどこかの町に住んでいる、しがない労働者のおじさんです。その主人公を通して、民話にも共通するものの見方、価値観、生き方などをカルヴィーノはメッセージしていきます。

同じようにロダーリも民話や昔話を使った物語を書いています。そして、昔話風の王様を主人公に設定しつつ、現代社会が垣間見えるような物語を展開していく。この『羊飼いの指輪』でもそんな物語が入っていますよね。このように、自分の中にたくさんの昔話や民話の要素を取り入れて、現代を意識しつつ作品としてまとめるというのが、二人の作家の共通点です。

違いは、書き方ではないでしょうか。カルヴィーノは、きちんと構成を固め、情景なども緻密に描きこんだうえで、物語を展開していきます。それに対してロダーリは、ストーリーをあらかじめ決めないで、ひとつの言葉から連想されるイメージを出発点にして書き出している感じがします。さらに、言葉遊びをしたり、子供たちの意見もいれたりして、即興的な感じで書いているんですね。ですから、中には辻褄があわない物語なんかもあったりして、「なんでこうなるの〜」と思わずいってしまいたくなる結末の作品もあります。

------『羊飼いの指輪』では、ロダーリの即興的な書き方のたたき台になるような物語が集められていますね。

関口 そう、これからいくらでも色をつけられる物語の原型みたいな話が並んでいます。古典新訳文庫に入っている『猫とともに去りぬ』で、ロダーリが好きになり、今回の作品を読んでみると、物語があまりにシンプルなので「あれ?」と思う人がいるかもしれません。この本は、書かれているものだけしか読み取れない人にはつまらないけれど、自分で物語を膨らますことができる読者には、すごく楽しめる作品なのです。

訳していて思ったことは、作家なのにあえて完成品ではないものを読者に披露できるロダーリは、さすがだなということでした。

幼児教育の変革とロダーリの試み

------本書の「解説」で関口さんは、ロダーリと、イタリアのレッジョ・エミリア市の幼児教育「レッジョ・アプローチ」との関係を書いています。世界的に注目されている、この幼児教育について、もう少し教えていただけますか。

関口 レッジョ・アプローチは、就学前の子供たちのために行われる幼児教育です。ポイントは子供の想像力をとても大切に扱っているところ。たとえば幼稚園や保育園にはアートディレクターと呼ばれる人がいて、子供たちと一緒になってものをつくっていきます。そのアトリエにあるのは紙やクレヨンだけではなく、自然にある木や葉っぱ、そして廃材があり、子供たちはそれを使って遊び、ものをつくっていく。美術の先生がいて、「絵はこう描くのよ」と教えるのではなく、あくまでも子供の中からわき上がってきたものを大切にしているのですね。

------今年(2011年)の4〜7月、東京・青山のワタリウム美術館で、レッジョ・アプローチを紹介する展覧会「驚くべき学びの世界展」が開催されましたね。

関口 その図録として出版された『驚くべき学びの世界』(ACCESS)という本の翻訳のお手伝いをさせてもらいました。あれは大部分が英語からの重訳で、私が担当したのはイタリア語のところだったのですが、その本を読むとロダーリとレッジョ・アプローチが深く結びついていることがよくわかります。

60年代、各国で社会の変革を求める運動が盛んになりました。イタリアでもさまざまな動きがあったのですが、教育のあり方の見直しもそのひとつです。これまでのように国に教育をまかせていると、子供たちは豊かな人生を送れないのではないか、それだったら自分たちの手で納得のできる教育システムをつくろうではないかというのが、レッジョ・アプローチの考え方の根底にあったんですね。

レッジョ・アプローチでは、ものをつくるだけでなく、文字や言葉を使って子供たちの想像力を伸ばす試みもなされています。たとえば「A」という文字の形から子供たちが連想する絵を書いてみたり、あるいはAで始まる言葉を並べてみる連想ゲームのような遊びです。日本語でいうなら「へ」を書き、その形からにょろにょろした線を描いて「へび」の文字を並べていくようなものでしょうか。

ロダーリも同様に、一つの単語を構成するそれぞれの文字を頭文字にした言葉の集合から、物語を発展させたりといった言葉遊びを通して、子供たちの想像力を伸ばそうという試みをしていました。教えず、一緒に遊んで、その子の内側から出てきたものを大切にするところが、レッジョ・アプローチとの大きな共通点です。

同じ時代、同じような考えをもった一人の作家と一つの教育実践を進める人々が違った場所で活動していて、そして出会ったわけです。そこで生まれたのが、ロダーリの代表作『ファンタジーの文法』です。この本は、レッジョ・アプローチに関わる人たちがオーガナイズした彼の講演会の話をまとめたものなのです。優れたファンタジー論であるとともに、変革の時代を背景にした教育論でもあります。

------しかし、実際の子育ての中で、想像力を伸ばすように子供に接するというのは、なかなかできないことですね。

関口 難しいですね〜。たとえば子供が「言い間違い」をする。親はすぐに「そうじゃないでしょ、正しくはこういうの!」と修正をしてしまいます。

でもね、ロダーリやレッジョのことを知っていたなら、「ちょっと待てよ」と考えることができます。子供が言い間違いをしたのは、頭の中で、二つの言葉が何らかの関連性をもったからです。その二つの言葉の出会いは、それこそ楽しいファンタジーができるきっかけになるかもしれない。親は言い間違いをもっと大切にするべきです。すると子供は、言葉遣いは間違ったけれども、二つの言葉を結びつけた語感とか語呂をもっと楽しんでみてもいいのだなという気持になれます。語感や語呂で遊ぶようになれば、子供の言葉に対する感性が豊かになってくると思うんですよ。

でも、子育ての最中のお母さんたちは、なかなかそんな心の余裕を持てる人は少ないですね。

その点、ロダーリはさすがですよ。子供の間違いからつくったお話を集めた『間違いの本』というタイトルの本を出しています。

たとえば、イタリア語は「h」を発音しません。音がないので子供が文字を書く時に、よく「h」を抜かしてしまう。そこでロダーリは「hたちが、他の国に行ってしまいました。すると残された言葉たちは、いったいどういうふうになるのでしょう」といった短編を作ったのです。

それからイタリア語で猫は「gatto(ガット)」というのですが、子供たちは「t」を重ねることをよく忘れてしまう。ロダーリが考えたのは、猫だったはずなのに「t」を一つなくした「gato」は、どんな生き物になってしまったのかという物語なのです。

このようにロダーリは、子供たちの間違いを積極的に評価し、そこからたくさんの短編を作り、それを一冊の本にまとめているのです。

------ロダーリらしい、とても面白い本ですね!

関口 すごく訳したい本です。しかし、「h」や「t」たちが微妙な発音とともに自由に動きまわる物語ですから、日本語にするには難しすぎます(笑)。

ラーメンズの小林賢太郎に似ている!?

------こうして話を聞いていくと、ロダーリという作家にとって、言葉遊びはとても重要な要素なんだということがわかってきました。そんなロダーリを訳している関口さんも言葉遊びとか大好きなのでは?

関口 好きですね。でも、私が子供の頃から言葉遊びに親しんでいたかといえば、まったくそうではありませんでした。私の家は厳しい家で、「成績はよくなくてはいけない」という考えの親に育てられましたから、言い間違いなどもってほか、あまり言語感覚を磨くことはできませんでした。

ですから、大学に入ってイタリア語を習って初めて言葉の世界の面白さに目覚めたくらいなのです。

ロダーリに出会ったときには、「言葉遊びってこんなに奥が深いんだ」と、新鮮な感動でした。

最近気付いたのですが、ラーメンズの小林賢太郎さんも、なんの脈略もない単語を集めて、その組み合わせの妙を楽しんでみたり、ひとつの単語のアナグラムから別の物語へと発展させたりといった、言葉遊びの要素を大切にしたひとり芝居をやっていて、これって、ロダーリのしていたことと同じではないかと思ったのです。初めてラーメンズを見たときには、「ただのお笑いじゃないの」なんて思ったのですが、いつのまにか小林賢太郎さんの「言葉術」にはまってしまいました(笑)。

------ロダーリの話にラーメンズが出てくるのには、びっくりしました(笑)。

関口 似ているんですよ、ロダーリと小林さんの、言葉の世界で、思いっきり遊んでしまおうという感覚が。ちなみに、小林賢太郎の言葉遊びには、教育学者の斉藤孝さんも注目しています。

たとえば、小林さんの作品に、3つの舞台が置かれていて、3つの話がそれぞれ平行して展開していくというひとり芝居があります。わかりやすく説明すると、一つの舞台でお鍋が「カタカタ」鳴っていると、そのオノマトペが変化していって「カッタンカッタン」になり、別の舞台で電車が動き出す物語が展開するというような感じでしょうか。

単語の音を結びつけたり変化させたりしながら、別の世界へと物語が展開していくのはロダーリの得意技でもあります。

また、地名へのこだわりも共通しています。小林さんの言葉遊びの世界では「戸塚区(トツカク)」という言葉が「トツカクトツカクトツカク」とつながってドラムでリズムをとる音のようになっていき、それがいつのまにか「タカツキタカツキ(高槻)」......と変調していく。ロダーリもお話の中にわざと変な地名を出してきたりします。地名の響きを楽しんで言葉遊びにしてしまうというのも両者が共通するところなんですね。

ロダーリとラーメンズの小林賢太郎は似ている! こう主張しているのは、世界中で私だけだと思います(笑)。

『猫とともに去りぬ』によって、「女子たち」にも読まれる作家に!

------関口さんは、古典新訳文庫で先にも話に出た『猫とともに去りぬ』を訳しておられます。あれは非常に評判のいい作品ですね。

関口 おかげさまで、たくさんの人が読んでくれています。ネットで「ロダーリ」という名で検索した時のヒット数が、『猫』を出した以降、ものすごく増えました。それと読者層も変わりましたね。前はロダーリを読んでいる人というのはイタリア好きか、子供の頃、『チポリーノの冒険』が好きだった人という感じだったのですが、『猫』以降はいわゆる「女子たち」が多くなってきました。

そのことを示すのが、講談社から出版されたロダーリの『パパの電話を待ちながら』。その帯の文章が、江國香織さんなのです。 昔だったら考えられないことですよね。児童文学の作家ロダーリが、『猫』が光文社の大人の本のラインナップに入ったことによって、江國さんの小説を楽しむような女性たちにも読まれる作家になったのです。非常にうれしいことです。

------そうですね。では最後に、これからのお仕事について教えていただけますか?

関口 いくつかの予定がありますが、ロダーリでいえば、岩波書店から彼の童話集を出します。これは今回の『羊飼いの指輪』がファンタジーの練習帳なら、ロダーリ流の「現代版お伽噺」の完成版ともいうべき作品集です。物語の原型に、作家ロダーリがしっかり色を付けてつくった物語を集めたものです。

それから、出版社はまだ決まっていないのですが、ロダーリの詩集を出したいなと思っています。彼の詩の中には、「自分たちの手でこんな世界をつくっていこうよ」といった強い意志を示したものがいくつかあります。それを色々な本からピックアップして1冊の詩集に編み、出版したいと計画しています。

------そうした力強い詩は、今の日本に必要かもしれません。何か一つ紹介して頂けますか。

関口 はい。「間違いのない国」という詩を紹介しましょう。

間違いのない国
あるところに、一人の男の人がいました。
間違いのない国を探し求めて、陸を、海をと旅していたのです。
来る日も来る日も、ひたすら歩きました。
長っぽそい国、幅びろの国、寒い国、暑い国、そこそこの国......、
ほんとうにいろいろな国がありました。
どの国も、あちらにひとつ間違いがあったかと思うと、
こちらにはふたつ間違いがあるという具合でした。
男の人は、間違いを見つけると、荷物をまとめて、そそくさと立ち去るのでした。
水のない国、
ワインのない国、
なかには、国さえ存在しない国までありました。
ですが、間違いのない国なんて、どこにあるのでしょう。
どこにもありはしません。
「そんなすてきな国を探しているなんて、すごい人じゃないか」
みなさんはそんなふうに言うかもしれません。
だけど、ちょっと待ってくださいよ。
どこでもいいからとにかく立ちどまって、
たくさんある間違いを少しずつ正していけばよかったのではないでしょうか。
(ロダーリ作 関口英子訳)

(聞き手/渡邉裕之)


羊飼いの指輪  ファンタジーの練習帳

羊飼いの指輪 ファンタジーの練習帳

  • ロダーリ/関口英子 訳
  • 定価(本体762円+税)
  • ISBN:75238-5
  • 発売日:2011.10.12

2011年11月30日 光文社古典新訳文庫編集部 |


光文社古典新訳文庫創刊10周年記念特設サイト ナルニア国 光文社古典新訳文庫読書エッセイコンクール2016 光文社ウェブサイト 光文社電子書籍

電子書店により、スケジュール・フェア価格等が異なる場合があります。詳細は各電子書店にお問い合せください。

メールマガジン登録 光文社古典新訳文庫著者別刊行本リスト