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新刊発売!『21世紀のマダム・エドワルダ  バタイユの現代性をめぐる6つの対話』、京都で刊行記念トーク・コンサートも開催。

2013年3月に上演された「江戸糸あやつり人形座」による『マダム・エドワルダ ――君と俺との唯物論』。「私」という男が娼婦エドワルダと交わり、彼女に「神」を見るというジョルジュ・バタイユの短編小説『マダム・エドワルダ』(中条省平訳)を人形芝居として劇化した挑戦的な試みでした。

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定価1900円+税
ISBN 978-4-334-97820-4
2015年5月19日

本書は、その公演期間中、演出をつとめた大岡淳氏が聴き手となり、6名の論客を迎えて開催したトークセッションを軸に、中条省平氏と大岡淳氏の寄稿を付加して編集したものです。

戦後70年、時代の転換期でもある現代日本の思想的、精神的状況をバタイユで読み解くスリリングな対話集、『21世紀のマダム・エドワルダ  バタイユの現代性をめぐる6つの対話』ぜひお読みください。

【目次】    
プロローグ    
1バタイユ論 バタイユはファシストとどう違うのか 宇波彰
2危機論 希望への想像力を獲得するために 大澤真幸
3ファシズム論 国民国家が崩壊するとき 片山杜秀
4エロス論 すべてはここから始まる ブブ・ド・ラ・マドレーヌ/仲野麻紀
5全体性論 「われわれはどこに向かっているのか」 宮台真司
6文学論 人間の限界を超えること 中条省平
7女神を待ちながら ジョルジュ・バタイユの戦争         大岡淳

本書の刊行を記念して、恵文社一乗寺店 COTTAGEでトーク・コンサートが開催されます。ぜひ足をお運びください!

大岡淳編著『21世紀のマダム・エドワルダ』刊行記念連続トークセッション@京都 疾走する女神たち
《日時》2015年6月4日(木) 18:30 open 19:00 start
第1部 19:00~ ブブ・ド・ラ・マドレーヌ ✕ 大岡淳 トークセッション「ファシズムは誘惑する!」
第2部 20:00~ Ky ライブ 「音の内的体験」
《料金》1500円
《予約》contact@openmusic.jp.net 090-8199-2665
 イベントの詳細は COTTAGE 恵文社一乗寺店ウェブサイトをご覧ください
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21世紀のマダム・エドワルダ  
バタイユの現代性をめぐる6つの対話

  • 大岡淳/編著
  • 定価(本体1,900円+税)
  • 発売日:2015.05.19

マダム・エドワルダ/目玉の話

マダム・エドワルダ/目玉の話

  • バタイユ/中条省平 訳
  • 定価(本体419円+税)
  • ISBN:75104-3
  • 発売日:2006.9.7

2015年5月22日 光文社古典新訳文庫編集部 |

「新・古典座」通い -- vol.18 2013年2月

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。[文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈2月新刊〉
『緋文字』(ホーソーン 小川高義/訳)

『緋文字』と「すでにトラブルが起きた」から始まる物語
緋文字

2月の新刊の二冊目は、ホーソーンの『緋文字』(小川高義/訳)。

「ああ、これは実にアメリカ的な物語だ」と思った小説だった。

1850年、アメリカの作家ホーソーンが発表した、17世紀ニューイングランドのピューリタン社会を舞台にした姦通を扱った小説です。

物語はセイラムの町の税関で、「語り手」が金色の刺繍をした痕跡のある赤い布地を発見するところから始まる。とはいっても、「古典」の中でしばしば遭遇することがある、これはなかなか物語が始動しないタイプ。「今の小説」のように、早々と主人公が登場し、すぐさま事件の渦中に、ということにはなっていない。

(このような「古典」によくあるスローペースな展開の理由を、村上春樹は『アンナ・カレーニナ』を例にして「たぶんこの当時の人たちはたっぷり暇な時間があったのだろう。すくなくとも小説を読むような階層の人々にとっては」と『眠り』という小説の主人公にいわせている<『TVピープル』文春文庫所収>)

とにかく読者は、しばらく色々と読むことになり、やっと例の布地が発見されるところに立ち会い、よく見ると、その刺繍は「A」という文字、これが緋文字であった、ということになります。

訳者の小川高義さんによれば、この「A」の意味は英語圏の人は「不倫=Adultery」の「A」であると理解するようだ。

話は、そこから200年巻き戻り、「姦通の罪」を犯した後に出産した女性、ヘスター・プリンが幼子を抱いて広場に設置された刑台に立つところとなる。その胸には緋文字が。

彼女はこれから一生、罪人としてこの文字を外すことができない。それを地域中に知らせる「さらし者の刑」が描かれていく。

実はへスターは子どもの父親の名を明かしていない。彼女はその後、どのような人生を送るのか。なぜ、その男は名乗りあげることができないのか。罪の意識に苦しむ男。そして、男の罪を嗅ぎ当てたヘスターの元夫が行ったこととは......。こうした三人の男女と、ヘスターが生んだ少女パールが織りなす物語である。

私は『緋文字』の内容がどんなものなのかは、あらかじめ知っていると思っていた。だが、これも「古典」と呼ばれるものの読書体験でよくあることなのだが、知っていたと思っているものとは、まったく違ったストーリー展開に面食らったのだった。

私は、男女が姦通するまでの物語が展開するとてっきり思っていたのだが、あにはからんや、姦通はすでに済んでいて「不倫の罪」を背負っている者たちの物語展開なのだった。

私はそれがわかって「ああ、これは実にアメリカ的な物語なんだ」と思ったのである。

ハリウッド映画のストーリーでよくあるのは、主人公がそれこそ冒頭から5分後くらいに失敗したり挫折して、それから立ち直るまでの展開をドラマティックに描くストーリーである。

このパターンについて内田樹さんは、岡田斗司夫さんとの対談本『評価と贈与の経済学』(徳間書房) でこういっている。

「たぶんアメリカ人には危機的な状況を『予防』するっていう発想が乏しいんだと思う。国民文化として。『すでにトラブルが起きた』というところから話がはじまる。では、こういうときにどういうふうにふるまうのが適切でしょうか、というケーススタディは実に熱心に行うし、そういういうときの反射速度はめちゃめちゃ速い。でも、そもそも『どうすればトラブルが起こらないようにできるか』ということには知恵を使わない」

私が、不倫するまでのことが綴られる小説だと思っていたのは、不倫は「予防」するからこそ痺れるようなドラマティックなものになると思っている日本人だからで、確かに彼の国の人は、そういう「発想が乏しい」のではないか。

いきなり罪が眼前に現れて、そこからの物語展開。

しかし『緋文字』は、そこからの展開がやはり面白いのです。罰せられた女といっても、ヘスターは良いか悪いかは別にしてその罰をただ受けとめ生きているのではありません。元夫に対する闘いにも似た対応があるし、恋した男との再接近があります。そして罪を隠した男は、ドラマティックに破滅していきます。つまり「すでにトラブルが起きた」後の世界が、 実に情熱的なストーリーとして展開されるのです。

今でも「すでにトラブルが起きた」から始まる情熱ストーリーが、こんなに量産されるのは、それはやはりアメリカが、人が罪を背負って歴史が始まるキリスト教の、それもかなり原理主義の国だからでしょう。

ホーソーンの『緋文字』は、実にアメリカの「古典」でした。これを読むと、この国の物語の原点を押さえた、という気持ちになります。

『マダム・エドワルダ―君と俺との唯物論―』観劇記

東京・阿佐ヶ谷のザムザ阿佐ヶ谷という劇場で行われた演劇『マダム・エドワルダ―君と俺との唯物論―』(江戸糸あやつり人形座)を見てきた(3月21日)。

フランスの特異な思想家であり作家、ジョルジュ・バタイユの小説『マダム・エドワルダ』(中条省平/訳)を原作にした糸あやつり人形と手あやつり人形、それに生身の俳優や音楽家、そして映像に登場する人物がからむ演劇だった。

酔漢がマダム・エドワルダという娼婦を買った一夜を、巨大な高揚感と涯のない絶望のパノラマとして見せていく物語だ。

飲み過ぎの酒で猥褻な気分になり、路地裏で自慰をしようしたら、不意の物音に怖じ気づき、それをきっかけに娼家に入ってしまい一人の女と出会う。そんなことなど、惨めなものだし、ささやかなことに過ぎないのに、それが強大な全世界的な出来事に変換していった夜を、バタイユはテクストの中に表した。

特徴は、神さえ登場する聖なる全体的な出来事が、同時に、手にすれば砕かれていく記憶、射精によって寸断される男性の快楽といった断片的なもので構成されていることを表現していることだ。

今回、演出家の大岡淳と江戸糸あやつり人形座を中心にしたメンバーは、言葉のみで作られた「聖なる、そして実に惨めな夜」を演劇で再現しようとした。かなり無謀な試みだったはずだが、成功できたのは、「聖なる、そして実に惨めな夜」が、砕かれた記憶、寸断された快楽といった断片で構成されている事実から眼をそらさなかったことにある。

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この演劇では、一回の性交が、違った大きさの人形、異なる操作で動く人形、生身の俳優といった複数の行為者の断続的な身振りによって構成されていた。これは、バタイユの断片性と全体性、惨めさと聖なるものの同時表現を的確に掴んだ表現方法だった。

もし、一人の演者が相手に向かって行う性交の場面を演じていたら、そこにバタイユの言葉が被さろうとも、舞台には快楽の頂点に向かって昇りつめていく性交の物語がひとつ現出していただけだろう。

複数の人形、俳優という異なる存在は、そんな性交のプロセスを切り刻み、それらを新たなエロティシズムの可能性の断片として、私たちに見せてくれた。実際、舞台でマダム・エドワルダの人形が見せた女性性器は、ものすごく新鮮なイヤラシサをもっていた。

その他、この演劇では、小さな罪と罰のエピソードが集合して永遠の神の国を象ってしまうキリスト教信仰や、栄養素が集められ健康な身体をつくりあげていく物語を核とする俗流科学信仰が、揺さぶられ揶揄されていくのだけど、そこでも常に輝いていたのは、人形の女性性器、瞳、髪、生演奏のコントラバスの弦など、独自の存在感を表していた断片だった。

そして再度いっておかなければならないのは、こうした断片が、常に新しい組み合わせの可能性をもって、舞台の始めから終わりまで散在していたことだ。

古典新訳文庫では、『マダム・エドワルダ」は『目玉の話』というこれもまた非常に独特な性的快楽小説と一緒に収まっている。『目玉の話』のポイントは、「目玉」、「玉子」、「金玉」という、実にあからさまな3つのオブジェが結合し、強力な快楽マシーンとなってテクストを駆動させていくいくところだ。

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こちらの物語では、そんなに強力な駆動装置は登場してこないけれども、今回の舞台では人形の存在によって、身体の断片が常に新たな組み合わせの可能性があることが表現されていた。

たとえば、あの人形の女性性器は、男性性器の挿入のためにエロティックに輝いていたのではなかった。今まで書かれた全てのポルノグラフィーが考えついたあらゆる挿入物を踏まえ、それ以外のモノがあることを私たちに想起させたからこそ、新鮮なイヤラシサなのだったと思う。

しかし、あらゆるモノ全体の「それ以外」って何だろう? 単なるスケベな男にそんなことを考えさせるバタイユの世界は、やはり素敵だ。

緋文字

緋文字

  • ホーソーン/小川高義 訳
  • 定価(本体1,200円+税)
  • ISBN:75267-5
  • 発売日:2013.2.13
マダム・エドワルダ/目玉の話

マダム・エドワルダ/目玉の話

  • バタイユ/中条省平 訳
  • 定価(本体419円+税)
  • ISBN:75104-3
  • 発売日:2006.9.7
 

2013年4月19日 光文社古典新訳文庫編集部 |

江戸糸あやつり人形座「マダム・エドワルダ―君と俺との唯物論―」公演始まりました

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江戸糸あやつり人形座「マダム・エドワルダ―君と俺との唯物論―」がザムザ阿佐谷で公演中です。

江戸糸あやつり人形座
「マダム・エドワルダ―君と俺との唯物論―」
公演日:2013年3月20日(水)〜24日(日)
会場:ザムザ阿佐谷(ラピュタB1F/杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21
※当日券は各公演の45分前から会場で販売
江戸糸あやつり人形座「マダム・エドワルダ―君と俺との唯物論―」
大岡淳さんウェブサイト/公演案内

人形劇化された『マダム・エドワルダ』と思って、いざ芝居が始まると予想と違う!と驚くかもしれません。全編人形劇ではもちろんなく、劇中の一部が人形劇になっているのでもありません。人形の遣い手は黒衣として(人形浄瑠璃のように)ではなく、人形を操りながら同時に役者としてせりふを言い、演じます。 舞台上に同時に存在している役者と人形によって、バタイユの世界を複眼的に観ることを促される舞台かもしれません。

音楽は生のウッドベースのみ。弦の響きだけではなく、楽器の側面をたたいたり、さすったりして出されるひずんだ音が、「エドワルダ」と「私」の体がこすれ合う音のようでとても艶かしい...。そして2体の人形と美加里さんが演じる3人3様の「エドワルダ」。美加里さんの美しさに圧倒されました。人形と人が織りなす陰影に富んだ演劇を体験しに、ぜひザムザ阿佐ヶ谷へ足をお運びください。

そして毎回公演終了後にトークセッション《バタイユをめぐる6講+1》が予定されています。初日のゲストは宇波彰さん(哲学者・評論家)。ナチが台頭したドイツからパリへ逃れたベンヤミンを助けたバタイユ。2人の関係を端緒に、バタイユをめぐる20世紀の思想家たちの関係性を、あたかも星座の配置のように語られるお話は、1時間弱の予定時間では収まりきらない刺激的な内容でした。
今後も連日豪華なラインナップです。

《バタイユをめぐる6講+1》
3月20日(水・祝)18:00 バタイユ論/宇波彰(哲学者・評論家)
3月21日(木)19:30 戦争論/大澤真幸(社会学者)
3月22日(金)15:00 ミニ・ライブ/仲野麻紀(sax)×河崎純(cb)×服部将典(cb)×今井尋也(小鼓)
3月22日(金)19:30 ファシズム論/片山杜秀(政治思想史研究者・音楽\評論家)
3月23日(土)14:00 エロス論/ブブ・ド・ラ・マドレーヌ(アーティスト)×仲野麻紀(サックス奏者)
3月23日(土)18:00 共同体論/宮台真司(社会学者)
3月24日(日)14:00 人形論/結城一糸(人形遣い)×黒谷都(人形遣い)×北井あけみ(人形作家)
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初日の開演を待つ演出の大岡淳さん。開演10分前の劇場はすでにほぼ満席状態。


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会場では『マダム・エドワルダ』だけでなく、中条省平さん訳のジュネ『花のノートルダム』や野崎歓さん訳『うたかたの日々』など古典新訳文庫のフランス文学のラインナップを多数販売していただいています。

マダム・エドワルダ/目玉の話

マダム・エドワルダ/目玉の話

  • バタイユ/中条省平 訳
  • 定価(本体419円+税)
  • ISBN:75104-3
  • 発売日:2006.9.7

2013年3月21日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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