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連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.3 深町眞理子さんに聞く(5)(番外編)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月1日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.3 深町眞理子さんに聞く
番外編 キング、そして宇野利泰さん
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ゲラや原稿が飛ばないように、深町さんが愛用しているネズミのペーパーウェイト。(撮影:大橋由香子)

今回は、翻訳作品について深町眞理子さんが書かれたものや、深町さんに縁のある人物をご紹介していきたいと思います。その前に......。

前回、深町さん2冊目の訳書「くじ」のトビラ写真を掲載しましたが、最初の訳書の表紙も見たいな、と感じた方もいたのではないでしょうか。なんと、翻訳家の白石朗さんがその『兵士の館』表紙をTwitterでアップしてくださいました。白石さん、ありがとうございます。

というわけで、番外編の始まりです。

スティーブン・キングは末端肥大症的なところが面白い

深町眞理子さんと白石朗さんは、この連載vol.1小尾芙佐さんの回にも登場した「エイト・ダイナーズ」(浅倉久志さんが呼びかけた飲み会)仲間でもある。

深町さんがスティーブン・キングの『ザ・スタンド』単行本を訳したとき、同じくキングを翻訳している小尾芙佐さん、白石朗さん、芝山幹郎さん、そして挿画を手掛けた画家・藤田新策さん五人による座談会が行われた。題して「スティーブン・キングはなぜ面白いんだろう」。「本の話」(文藝春秋、2001年1月号)から少し抜粋させていただく。

小尾 『ザ・スタンド』の完成、おめでとうございます。

深町 四百字原稿用紙にして約四千七百字になりました。ずいぶん長くかかっちゃって。小尾さんが『IT』 を訳されたときはいかがでしたか?

小尾 いろいろ調べるのに1年くらいかかって、訳し始めてからは2年くらいでしょうか。それまで翻訳していた英語とまったく違う英語だったから大変でした。特に子どもの会話がね。スラングがいっぱいで......。(略)

『死の舞踏』でキングが、『ザ・スタンド』を毎日浮き浮きしながら書いたって言ってるんですが、わかりますよね。(略)私も『IT』 を訳したときは、浮き浮きとまではいかないんですけど、ワープロに向かうのがものすごく楽しくって......

芝山 大きなトラックがなかなか加速できないようなもんで、キングはいつも動きだしが重い。それが物語の後半ではどんどん加速してきて、最後ドッと行きますよね。

深町 私も『ザ・スタンド』を訳しているあいだ、そんな感じがありました。とにかくやり出せばのれるんです。だから、後半は結講はやく訳せました。最初はどうなることかと思ったけど。

こんな発言もある。

深町 実をいうと私、キング好きじゃないんですよ(笑)、好きなところを見つけて訳している。何もかも忘れて末端ばかり肥大させたところを細かく書くでしょう、そういう末端肥大症的なところは実に面白いから、そこは好きです。

座談会ではその後、キングの特徴と翻訳のやり方について、意外な事実が明らかになる。

白石 ちょっとした描写が、全部最後になって結びつく。つまり実は最初のほうですべて手の内を明かしている、そういう小説技法がおもしろいですね。

芝山 あとになっていきなり読者の後頭部を殴りつけるような情報を、最初の部分で地の文に溶け込ませるように入れているからね。(略)
だからキングは終わりまで読まないんです。(略)......そういった伏線を変に意識しすぎてしまって、無意識のうちに予定調和しちゃう。それがいやで。

深町 私も『ザ・スタンド』で初めて全文読まずに翻訳をやりました。いままでは、全文を読まずにやる翻訳者なんているのかしらって思ってたんですけど。

芝山 そのほうがむしろ緊張感がでると思うんですよね。

深町 細かいところを訳す面白さも、最後がわかっててやるとちょっとつまんないような気がして。

(略)

白石 そういうところは、読者を引き込む仕掛けでもある。一気呵成に書いてる作家だとか、物量作戦だとかいう声もあるけど、実は細心に細部までかなり気を配っている人ですね。


(以上、「本の話」文藝春秋、2001年1月号より)

その後、文庫版の『ザ・スタンド』全5巻を深町さんが訳し上げた2004年、『シャイニング』以来のキングとのつきあいを振り返りながら、「自著を語る」というコーナーに執筆しており、こちらはネットで読める。

王様(キング)と私 「本の話」2004年9月号(文藝春秋)

シャーロック・ホームズについては、昨年2015年の「銀座百点」に「ホームズと銀座鉄道馬車」というエッセイを寄稿なさっている。山田風太郎の『幻灯辻馬車』の舞台となった130年前の銀座から、ホームズの時代のロンドンへと話をすすめていく。

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「銀座百点」2015年7月号
 
原書を紹介し、翻訳者も育てた宇野利泰さん
 

翻訳学校などなかった時代に、深町さんが宇野利泰さんの下訳をしながら、翻訳について学んだエピソードは、第3回目に登場した。

この宇野利泰さんのお名前は、中村妙子さんの回にも登場している。

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1)
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(7)(番外編)

中村妙子さんの小学校の同級生・作間すみ子さんの姉が、宇野さんの妻だったのだ。

大田区蒲田に住んでいた小学生の中村妙子さんは、当時はまだ実業家だった宇野さんの田園調布の家に遊びに行き、ヴァン・ダインやコナン・ドイル、アガサ・クリスティーの翻訳書を借りたのだという。

宇野利泰さんについては、深町眞理子さんと同じくタトル商会で働いていた宮田昇さんが『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房、2007年)でお書きになっている。

まず「はじめに」で、宮田さんは宇野さんと深町眞理子さんにも触れている。

『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房、2007年)。
「本の雑誌」に1998年7月号から99年8月号まで連載し、2000年に『戦後「翻訳」風雲録―翻訳者が神々だった時代』(本の雑誌社)として刊行されたものに、新たに書き加えた決定版である。

「下訳といえば、宇野利泰(一九〇九〜一九九七)ほど、下訳者の使い方の上手な人はなかった。そのために、結果として深町眞理子をはじめ、優れた翻訳者を数多く世に送り出しているが、この人も奇人といってよいだろう」

そして、宇野利泰の章に「好奇心」というタイトルをつけ、

「彼を奇人として挙げたのは、野菜をいっさい食さないとか、朝七時に寝て昼の三時に起きるのが日常であるとか、両切りのピースのチェーンスモーカーでありながら長生きをしたことなどでなく、病癖とも思われる『噂好き』であったことである。」

と記している。

実業家であった頃もふくめ、豊富な経験に裏打ちされ、「文壇についての博学な知識は生半可なものではなかった」そうだ。

興味深いエピソードの数々は、ぜひ『新編 戦後翻訳風雲録』を読んでほしいが、この章の最後、「宇野の傘寿を祝う会は、彼が出席を希望する人間だけの小規模のものになった」という中に、深町さんの名前も挙がっている。

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『探偵小説十戒』ロナルド・ノックス編 宇野利泰・深町眞理子訳(晶文社 1989年)

一方、東京創元社の深町さんによる新訳「シャーロック・ホームズシリーズ」の解題を執筆している戸川安宣さんは、「本の雑誌」での連載につづき、「戸川安宣の翻訳家交友録」を「翻訳ミステリー大賞シンジケート」のサイトで連載している。
その4回目が、宇野利泰さんの思い出だ。

戸川安宣の翻訳家交友録 4 懐かしい宇野節

私自身は、残念ながら宇野さんにお目にかかる機会はなかったのだが、働いていた雑誌「翻訳の世界」(バベル・プレス)には、インタビューや執筆記事が掲載されているので一部をご紹介したい。まずは、1987年8月号のインタビュー「素顔の翻訳家」から。

「結局、引き込まれちゃったんですよ、戦後。
 独文で大学出たんですが、会社やってたんです、二代目で。それが終戦でつぶれちゃったわけです。ぶらぶら遊んでいるうちに、この家の隣が石坂洋次郎さんで、彼は戦後非常に隆盛になって、慶應ですから『三田文学』が始まってその資金をみていたりした。戦後の復活『三田文学』です。江藤淳みたいな学生の編集陣がいて、しじゅう来るわけです。そのうちの一人に渡辺健治というのがいて、江戸川乱歩のところへも出入りしていた。

乱歩の方はね、戦後はもうあまり作品は書いてなかったんですが、探偵小説文壇みたいなもののために働こうという気になってまして、いろいろ活動していた。で、石坂家の隣に外国の探偵ものに詳しい男がいるときいて。」

宇野さんの家を乱歩が尋ねてきたが、1回目は道に迷い、2回目は宇野さんが留守。それで今度は宇野さんが乱歩の家を訪ねたという。出会った二人は話が弾み、雑誌「宝石」を岩谷書店の岩谷満の出資で出し、外国ものの翻訳を掲載するようになる。博学な宇野さんは、面白そうな作品をたくさん知っていて原書も持っている。ところが、戦前に活躍した翻訳者たちは、戦地に行ったり疎開したりした先から、まだ帰ってきていない状態だった。

「わたしと乱歩とで作品決めて若い翻訳屋を探してやったんですけど、そのうち翻訳屋も足りないからお前も手伝えと。こっちも戦後だんだん金がなくなってきてたからなんか稼がなきゃなんなくて、それで始めたってわけです。朝鮮戦争の始まった頃ですかね。

そんな訳ですから、わたしの場合は、下訳さんを大勢使ったわけですよ。その人たちがそれぞれ独立しまして。わたしの運がよかったのは、それがみんな優秀な人たちだったということですね。」(同前)

戦後、翻訳者が足りない時期について、宇野さんは、同じく『翻訳の世界』1989年1月号の執筆記事で、けっこう怖いこともお書きになっている。

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『翻訳の世界』1989年1月号

「当時の『宝石』は一冊千五百枚必要だった、一冊でですよ。で稿料が安いからというんで、だんだん翻訳ものの枚数がふえていったんです。三百枚が四百枚、五百枚という具合に。平井イサクをつかまえて、宿屋に罐詰めにして、当時ヒロポンが流行ったんですけど、ヒロポン打って命がけでやらせたりしてたのを、いよいよ一人じゃもうこなせなくなって。
その頃なんです、私が原稿書き出したのは。それまで私は原書を提供していただけなんです、乱歩さんとの関わりで。

(中略)


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『別冊宝石』第75号

ですから、私が翻訳やり出したのは朝鮮戦争が終ってからのことで、遅いんですよ。最初が「ペリー・メーソン」で、これを『宝石』でやって、他に短篇をいくつかやった後、『別冊宝石』で長いものとして初めてやったのがフィールポットです。そういう順序だったと思います。」

(『翻訳の世界』1989年1月号 宇野利泰「戦後探偵小説雑誌興亡秘話 『宝石』と戦後翻訳界」より)

宇野さんによると、『宝石』の晩年は別冊で潤っていたようなものであり、経営が苦しくなってからは江戸川乱歩がお金の面倒を見ていて、「その時分に、光文社から大坪(直行)君が来たんじゃないかな」と回想している。

というわけで、無事に光文社にたどり着いた。(光文社古典新訳文庫のブログですから)

※編集部注:「その時分に、大坪(直行)君が光文社から来た」というのは宇野さんの記憶違いだと思われます。

ハンガリーの『パール街の少年たち』も翻訳した宇野さん
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『パール街の少年たち』モルナール著
(偕成社文庫 1976年)

ミステリー翻訳が有名な宇野さんだが、『パール街の少年たち』という児童文学も訳している。しかもハンガリーのモルナール・フェレンツの作品だ。最初は1957年東京創元社から出た「世界少年少女文学全集 第2部10(諸国編1)」に「パール街の少年団」として掲載され、1966年に偕成社から、そして1976年には「パール街の少年たち」と題名を変えて偕成社文庫に収録された。

「訳者あとがき」にどの言語から訳したのか書かれていないが、原著名としてハンガリー語表記のタイトルが記されている。世界各国語に翻訳された本なので、ドイツ語ができる宇野さんは、ドイツ語訳や英訳を参照しながら訳したのだろうか。

宇野さんの解説が、とても味わい深い。


「この『パール街の少年たち』は一九〇七年に書かれたものですから、彼の初期の作品になります。表題どおり、作者自身が生まれてそだち、ひとかたならぬ愛情を感じていたブダペストを舞台にして、そのごみごみした場末の裏町パール街で、いっしょうけんめい勉強し、わずかばかりの空き地をあそび場に、毎日を元気よくすごしている少年たちをえがきだしたものです。......この作品をよんでいますと、少年たちのすがたがあまりにもいきいきと描写してあるので、とおい極東の国のわたくしたちまでが、ひょっとすると、となり町の少年たちの冒険談を読んでいるのではないかと、錯覚をおこしてしまうくらいです。

とりあつかわれている題材は、戦争ごっこといった遊戯ですから、軍備を放棄した いまの日本人には、なにか縁のとおい話のように感じられましょうが、この物語をまじめに読んでいただければ、ゆかいな冒険談に胸をわくわくさせているうちに、わたくしたち人間のだれもがもっている高貴な魂に、じかにふれることができるものと信じます。友人たちのあいだの愛情と犠牲的精神の、かがやくような美しさに感動し、うらぎりもののみじめさと、暴力をふるう男たちのみにくさを、つくづく思い知らされるにちがいないのです。」

「軍備を放棄した日本人」「暴力をふるう男たちのみにくさ」という表現に、あちこちに戦争の痕跡が残っている、というか生きていたであろう時代の雰囲気が感じられる。

一方、1968年には岩崎悦子さんによるハンガリー語からの翻訳で『パール街の少年たち』が学習研究社から出た。当時、岩崎さんはブダペストに留学中だったという。訳者あとがきには、徳永康元さんへの謝辞が書かれている。徳永康元さんといえば、『ブダペストの古本屋』『ブダペスト日記』『ブダペスト回想』などで有名なハンガリー研究者だ。

そして、2015年9月に今度は偕成社から、岩崎悦子さん自身が訳文を見直し、新たに『パール街の少年たち』が出版された。

出版社や翻訳者を変えながらも、名著が出版され読みつがれていくことが、この作品からもわかる。なお、パール街の少年たちの切手や映画について、偕成社の編集者さんがTwitterで紹介している。

 

さて、宇野さんが亡くなられたのは1997年1月5日。88歳だった。「翻訳の世界」では、新庄哲夫さんに追悼文を書いていただいた。「リタイさんのこと」と題した原稿から一部をご紹介したい。

「ペンネームの正しい読みは『トシヤス』だけれど、私たちの間では『リタイ』さんで通り、親しまれてきた。

(中略)

『シナメシを食いにいこう』という宇野さんの戦前派的な呼び掛けで、月一回か二回のペースで横濱はナンキン街(これも宇野さん流)の食べ歩きを始めたのは三十年以上も前から。地元に詳しい加島祥造、北村太郎が案内役で、会食には時たまユニ・エージェンシーの社長だった宮田昇、海外物の名伯楽として鳴らした新潮社の沼田六平大ら旧知の顔ぶれが加わった。

ミステリー物では練達の士である宇野、加島ご両人の話は、まだこの分野で点数の少ない北村、私にとってはいい勉強になり、またそれにもまして他愛ない雑談が楽しかった。辞書好きの宇野さんが、クロフツかチェスタトンの使った特異な動詞の訳し方にこだわり、OEDとウェブスター第二版との比較談義をやった夜がきのうの出来事みたいに思われる。

帰りは桜木町からの東横線で、田園調布の宇野さんと二人きりになる。そんな折りに刊行されたばかりの『ブラッディ・マーダー』を教わったうえ、著者による二編の長いミステリー作品を新潮文庫に勧めてくれた。既訳の小説やエッセイの著者名がまだ「サイモンズ」になっていた時分である。「シモンズが正しい」と宇野さん。

(中略)

リタイさん、有益かつ楽しかったナンキン街時代の思い出をありがとう。」


(「翻訳の世界」1997年5月号 新庄哲夫「追悼 宇野利泰」より)

この追悼文の執筆当時、既に北村太郎さんは鬼籍に入っていたが、加島祥造さんは昨2015年12月25日に亡くなられたばかり。

そして、追悼文を書いた新庄哲夫さんは、2006年に逝去。冒頭で引用した宮田昇さんの『新編 戦後翻訳風雲録』には、旧編になかった新庄哲夫さんの章が加わっている。タイトルは「ムッシュッ」。そのなかで、加島祥造さんと新庄哲夫さんが、横浜の外人専門のバーに行き、最後まで英語でしゃべって、日本人とは思われなかったという「いたずら」のエピソードを披露している。

宮田さんのあとがきの題、「ただ悼む」という言葉が心にしみる。

ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと

小学生の私がよく読んだのは、コナン・ドイルと江戸川乱歩だった。写実的な表紙絵の本をランドセルに入れ、給食で残したマーガリンがついてしまった失敗は、前にも書いたとおりである。

近くにある本門寺近辺には立派なお屋敷もあり、よく探偵ごっこをした。空き家らしき洋館を見つけ、用心深く庭に忍び込む。窓から覗き込んだ室内の様子、雨戸やカーテンの状態、物置小屋の周囲にある道具、植木や雑草の伸び具合などから、住人の職業、いつから不在か、その理由などを推理していた。

あるとき、探偵ごっこの最中に、「ヘンなおばさん」に声をかけられた。自分たちの正体(探偵のつもり)を見破られないかと心臓がバクバクしながらも、会話の合間に彼女の服装や口調を観察して、相手の素性を当てようとした。

数年前、実家改築のとき、きれいな(と子ども時代に感じていた)洋菓子の缶から、その「ヘンなおばさん」の靴や靴下をスケッチした探偵手帳がでてきた。懐かしいより恥ずかしく、そのおばさんより今の自分が年上らしい現実に愕然とした。

そんな子ども時代を思い出しながら、ウン十年ぶりに深町眞理子さん新訳の『緋色の研究』を読む。

最初にワトソンに会ったとき、「きみ、アフガニスタンに行ってきましたね?」とホームズが言い当てる有名な場面。意外だった。私が小学生のとき読んだ抄訳にも「アフガニスタン」という地名は出ていたのだろうか。当時の私は、どんな国をイメージしたのだろう。

アフガニスタンといえば、1979年ソ連がアフガニスタンを侵攻し、アメリカを始めとする西側陣営が1980年モスクワ・オリンピックをボイコットした。日本も、アメリカと足並みをそろえて棄権。選手たちの無念の涙がテレビに映し出されていた。

『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(モフセン・マフマルバフ著、武井みゆき、渡部良子訳、現代企画室、2001年)を再読したくなった。

次にアフガニスタンがニュースに出てくるのは、2001年9.11同時多発テロの後。オサマ・ビン・ラディンを匿うタリバン政権掃討目的でアメリカなどがアフガニスタンを攻撃したとき。アフガニスタンでずっと医療支援をしている中村哲医師らのNGOの名前はペシャワール会。映画「カンダハール」も公開された。このペシャワル、カンダハールという地名も、「残忍なイスラム戦士」という言葉とともに『緋色の研究』冒頭にでてくる。

ワトソンやホームズが活躍した大英帝国の植民地支配から100年以上たつ21世紀、アフガニスタンに平和は訪れていない。ホームズを読んでいた小学生がワクワクした大阪万博のスローガンは「人類の進歩と調和」だった。人類は進歩しているのだろうか。

記憶をさらにさかのぼると、東京オリンピックがある。美しいチャフラフスカの体操演技、テレビ画面の「ゆか」という平仮名が読めて嬉しかった幼稚園児の私。「東洋の魔女」は女の子たちの憧れとなり、その後、バレーボールが大流行する。

「♩おもい〜こんだ〜ら」の野球をはじめ、スポ根マンガに胸をときめかせた。いつしか探偵ごっこより、回転レシーブやX攻撃をめざし、本門寺公園の坂で「うさぎとび」の特訓をしていた。練習に来ている他校の小学生と交渉し、日曜日には試合もした。最近昭和レトロで売り出すダイシン百貨店にユニフォームを買いに行った。力道山のお墓でも遊び、文学よりスポーツ少女になっていった。

さて今年は閏年、2月は29日まである。夏にはオリンピックがブラジルで開かれ、その次は東京らしい。まだ使えそうな建物を壊しての建設ラッシュ、北海道新幹線やリニアモーターカー......「成長よ、もう一度」の空気は、あの頃にちょっと似ているかも。

しかし、私の親をふくめ戦前を知る人たちは、東京オリンピックが幻になった1940年頃の雰囲気と今が似ていると言う。お年寄りの妄想であればいいのだが。

おススメのブラジル映画「父を探して」
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映画「父を探して」公式ウェブサイト

この原稿を書き終え、子どもの頃にタイムスリップ気分になっていたとき、試写会で観た。子どもたちは「世の中」をどう生きのびていくのか。世界はなぜ、こんなふうなのか。国や歴史の違いをこえてつながっている色鮮やかな思い出、やみ色の記憶。「オリンピック・イヤー」にふさわしいアニメーション映画です。

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。

野性の呼び声

野性の呼び声

  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体476円+税)
  • ISBN:75138-8
  • 発売日:2007.9.6
白い牙

白い牙

  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75178-4
  • 発売日:2009.3.12

シャーロック・ホームズの冒険 新訳シャーロック・ホームズ全集

  • アーサー・コナン・ドイル/日暮雅通 訳
  • 光文社文庫
  • 定価(本体838円+税)
  • ISBN:76163-9
  • 発売日:2006.1.12
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2016年2月 5日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.3 深町眞理子さんに聞く(4)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月1日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.3 深町眞理子さんに聞く
『恐怖の谷』
「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻 『恐怖の谷』アーサー・コナン・ドイル著(東京創元社)

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さん、vol.2の中村妙子さんに続き、連載シーズン3は、深町眞理子さんです。

深町さんのライフワークともいえる「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻が、9月30日刊行『恐怖の谷』でついに完結となりました(東京創元社)。

"世に「出たがり屋」という種族がいるとしたら、私は「出たがらな屋」ですから"──とおっしゃる深町さんに、「そこをなんとか」とお願いして、このシリーズにご登場いただくことになりました。シャーロック・ホームズ全集完結という記念すべき時期に合わせてスタートできることを嬉しく思います。

深町さんは、光文社古典新訳文庫ではジャック・ロンドンの『野性の呼び声』『白い牙』を手がけられています。アガサ・クリスティーをはじめとするミステリーや『アンネの日記』などの翻訳を愛読してきた読者も多いことでしょう。

深町さんの人生の軌跡、いよいよ翻訳家としての充実期を迎えます。


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シャーロック・ホームズ関係の資料も並ぶ書棚(撮影:大橋由香子)
4回 訳者は役者──心に残る翻訳作品

深町眞理子さんの最初の訳書は、1964年5月に刊行された、アンドリュウ・ガーヴ『兵士の館』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)。アイルランドの歴史に材をとったエスピオナージュだった。

同年10月には、シャーリイ・ジャクスン『くじ 異色作家短篇集17』(早川書房)も出た。

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『くじ 異色作家短篇集17』シャーリイ・ジャクスン著
(早川書房 1964年)
出版社も作品ジャンルも広がる

こうして早川書房から、ミステリーとSFをつぎつぎに翻訳・刊行してゆき、やがて 1970年には、角川書店からハン・スーイン『慕情』を、72年には、東京創元社からジェーン・ギャスケル『アトランの女王』3部作と、草思社からアリシア・ベイ=ローレルの絵入り・手書き文字の本『地球の上に生きる』を、75年には二見書房からノーマ・クライン『サンシャイン』(これも映画の原作)を、78年には、パシフィカからスティーヴン・キングの『シャイニング』をと、仕事先の出版社も、手がける作品のジャンルも、しだいにふえていった。

「ミステリーは好きですし、好きだったことが、翻訳の仕事を始めるきっかけになったのも事実です。SFよりは、作業中のしんどさというか、気骨の折れかたもずっと少なくてすみます。でも、翻訳者として作品に向かう以上は、個人の好き嫌いの感情を持ちこんではいけないし、不得手な分野だからうまくいかない、などという弁解は、いっさいしないというのが、プロとしての基本態度だと思います」

『シャイニング〈上〉』スティーヴン・キング著(文春文庫)

心に残る翻訳作品は、たくさんある。

読者としても、訳者としてもいちばん好きなのは、アガサ・クリスティー。理由は、楽しく読めるから。エルキュール・ポワロとミス・マープルと、ふたりの主人公のうちでは、女性に人気の高い後者よりも、ポワロのほうがお好みだという。

いっぽう、翻訳はたくさん手がけているものの、ルース・レンデルは、じつはあまり好きではない。

ホラーも(だからスティーヴン・キングも)あまり好きではないが、キング作品の、細部をとことん描写しきる凄さというか執拗さ、それを翻訳することには生き甲斐を感じるという。

「私の観点から見て"いい仕事"とは、原著の価値や評価とはべつに、著者がなにを語っているかだけでなく、いかに語っているか、それを余すところなく表現できた(と思う)仕事です」

そういう意味で、『アンネの日記』は、自分なりの評価のうえで、まあまあだったと 思っている。

世間一般に浸透しているアンネのイメージよりも、実際にははるかに率直で、激しい気性、鋭い人間観察と、おとなも顔負けの批判精神、この年ごろの少女としてはごく自然な、性への関心、そういうものを彼女自身の口調で、言いまわしで、その息づかいまでも感じられるように訳すという本来の方針を、ある程度までは実現できていると思うからだ。

ジャック・ロンドンとコナン・ドイル

近年の仕事としては、光文社古典新訳文庫で出したジャック・ロンドンの『野性の呼び声』と『白い牙』の2作があり、さらにその後は、東京創元社の創元推理文庫で、かの永遠の名探偵シャーロック・ホームズのシリーズ全9巻の、全巻個人訳に取り組んできた。

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いずれも愛着のある作品だからこそ、ひきうけた仕事にほかならない。

ジャック・ロンドンは、タトル商会に入社したばかりの、まだ講道館ビルに事務所があったころ、会社が戦前から戦中にかけて日本で出版された翻訳書を買い集め、アメリカに送っていたことがある。

そうして送る予定の本のなかに、戦前に出たロンドンの翻訳書もまじっていて、それを借りて読み、おおいに感動した思い出があるため、光文社から「なにか訳したい古典はないか」と声をかけてもらったとき、まずこれを挙げたという。

いっぽう、シャーロック・ホームズ・シリーズは、およそミステリーの翻訳にたずさわるものなら、だれもが手がけてみたい作品だろう。

著作権の関係で、阿部知二氏訳による創元推理文庫版には、最終巻『シャーロック・ ホームズの事件簿』が欠けていた。1990年に、作者アーサー・コナン・ドイルの死後60年が経過し、著作権の縛りがとれたため、すでに鬼籍にはいっていた阿部氏にかわって、深町さんが起用された。

これで創元推理文庫版には晴れて全巻がそろったわけだが、以来さらに20年がたつころから、光文社古典新訳文庫をはじめとして、古典を新しい翻訳で読みなおそうという趨勢がひろがり、ホームズ・シリーズも、全巻が深町さん訳に切り替わることになった。

「深町を訳者として起用してくださった東京創元社のかたがたには、いくら感謝してもしきれません。あとはただ、その嘱望にこたえられるよう、すこしでもいい翻訳をと心がけるのみです」

今回の取材で深町さんのお宅に伺った2015年6月時点では、全9巻のうち7巻までは刊行ずみだったが、2015年9月末には8巻めの『恐怖の谷』が刊行された。

その後は、25年前の『シャーロック・ホームズの事件簿』の訳に手を入れながら、新たにパソコンで訳稿をつくる作業に追われている。

作者が「いかに語っているか」を伝える芸

「翻訳とは、作者がなにを語っているかだけでなく、いかに語っているかを伝えることができて、はじめてその名にあたいする作業だということ、これは先に述べたとおりです。では、その"いかに語っているか"をいかに語るか、これにはそれなりの"芸"が必要だとわたしは思っています」

と深町さんは言う。

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そして、自著『翻訳者の仕事部屋』(ちくま文庫)のなかでは、こんなふうに書いている。連載4回目の最後の言葉は、翻訳に関する深町さんのこの言葉で締めくくりたい。

「"芸"だなんて、役者じゃあるまいし、などと言ってはいけない。おなじハムレットを演じても、三人の役者が演じれば、三人のハムレットが彼らの肉体を借りて舞台の上で生きはじめる。三人のちがいを、それぞれの役者の"芸"のちがいと言わずして、なんと言いましょうや。訳者とておなじこと。まことに──これはわたしのかねてからの持論ですが──訳者は役者であるのです」

「役者は、普段はどうでも、舞台さえよければ名優。訳者も作品こそがすべて。そして"芸"には"正解"はなく、終点もないということ。なればこそ、虚実皮膜のあわいで、あっちに頭をぶつけ、こっちで足をすくわれ、『異文化の完全な移し替えなど不可能』と言われれば、お説ごもっともと頭をさげ、『翻訳者は反逆者(トラドゥットーレ・エ・トラディトーレ)』と言われれば、そんなものかとうなだれて、それでもなお舞台で踊るのをやめられない、そういう訳者にわたしはなりたい」

(次回・番外編に続く)

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現在の神田川と秋葉原寄りから見た美倉橋。
深町さんは、空襲に焼け残った神田岩本町の伯父の家から、この神田川の流れを見ながら、美倉橋か左衛門橋を渡って都立忍岡高等学校へと歩いて通学していた。
連載2回め参照)(撮影:大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。

野性の呼び声

野性の呼び声

  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体476円+税)
  • ISBN:75138-8
  • 発売日:2007.9.6
白い牙

白い牙

  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75178-4
  • 発売日:2009.3.12
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2016年1月 5日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.3 深町眞理子さんに聞く(3)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月1日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.3 深町眞理子さんに聞く
『恐怖の谷』
「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻 『恐怖の谷』アーサー・コナン・ドイル著(東京創元社)

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さん、vol.2の中村妙子さんに続き、連載シーズン3は、深町眞理子さんです。

深町さんのライフワークともいえる「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻が、9月30日刊行『恐怖の谷』でついに完結となりました(東京創元社)。

"世に「出たがり屋」という種族がいるとしたら、私は「出たがらな屋」ですから"──とおっしゃる深町さんに、「そこをなんとか」とお願いして、このシリーズにご登場いただくことになりました。シャーロック・ホームズ全集完結という記念すべき時期に合わせてスタートできることを嬉しく思います。

深町さんは、光文社古典新訳文庫ではジャック・ロンドンの『野性の呼び声』『白い牙』を手がけられています。アガサ・クリスティーをはじめとするミステリーや『アンネの日記』などの翻訳を愛読してきた読者も多いことでしょう。

深町さんの人生の軌跡にも、戦争が大きな影を落としています。


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深町眞理子さんが愛用している辞書 "Random House" (撮影:大橋由香子)
3回 会社に勤めながらの下訳→専業の翻訳者をめざす
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『光ほのかに』の題で出ていた『アンネの日記』(アンネ・フランク著 皆藤幸蔵訳 文藝春秋新社 1954)

就職した会社、チャールズ・E・タトル商会に著作権部が新設され、海外の出版物の翻訳権を日本の出版社に斡旋する業務を始めた。権利を取得して、翻訳本を出した出版社は、タトル商会にもその本を何部か資料として送ってくる。著作権部の部屋に行くと、それらの本が棚にずらりと並んでいる。

そうした本のなかに、当時は『光ほのかに』の題で出ていた『アンネの日記』もあったし、映画になった『エデンの東』や、『地上(ここ)より永遠(とわ)に』、あるいは『野生のエルザ』などのベストセラーもあった。これらを深町さんはぜんぶ著作権部から借りだして読み、やがて早川書房が「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」(ポケミス)として、ミステリーを続々と刊行しはじめると、文字どおり著作権部に日参して、これらを片っ端から読破していった。

下訳で味わった達成感と満足感

「そんなようすを見ていた著作権部の宮田昇さんというかたが、ミステリーが好きなようだが、たまたまポケミスの訳者のひとりが下訳者を探している、やってみる気はないか、と声をかけてくださったんです。

それ以前から、下訳の仕事はしていました。信木さんといって、このかたは著作権部ではないのですが、やはり会社の同僚だったひとの紹介で、秋元書房という出版社の、いまで言うヤングアダルトとかラノベに類する本の下訳を手がけていたんです。『映画の友』社の編集者だった、山本恭子さんからいただいたお仕事でした。雑誌『映画の友』は、淀川長治さんが編集長で、"小森のおばちゃま"こと小森和子さんも、そのころ編集者として在籍していました。

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7ヶ月間ヨーロッパへ取材旅行をした小森和子さんの特集ページ 
「映画の友」(1959年7月号)

山本恭子さんからは、つぎつぎにご依頼をいただいて、秋元書房の本ばかり4、5冊を訳しました。といっても、あちらは雑誌編集者、こちらは会社勤めという本業の余暇を利用しての仕事ですから、これだけ出すあいだに4年ぐらいは経過しています。

そして最後に下訳したのが、『わたしのお医者さま』という作品で、映画の公開が迫っているため、常にも増して急がされた仕事、これにはかなりまいりました。へとへとになって、もうこんりんざい下訳なんかするものか、なんて思ったのですが、時間がたつうちに、なんとなく達成感みたいなもののほうが強くなってくる。やがて会社を辞めることを決意したとき、真っ先に翻訳の仕事をすることが頭に浮かんだのも、このときの達成感というか、満足感みたいなものがあったためじゃないかと思っています」

ちなみに、映画はダーク・ボガードとブリジット・バルドーが主演し、イギリスから南米のリオデジャネイロまで行く船の船医を主人公とした作品。原作リチャード・ゴードン(1955)、山本恭子訳『わたしのお医者さま』は、三笠書房から1959年に出ている。

早川書房の試験での失敗と、宇野利泰先生との出会い

1962年4月、30歳になったのをしおに、11年間勤めたタトル商会を辞めて、専業の翻訳者をめざすことにした。

前にポケミスの下訳を紹介してくれた宮田さんに頼んで、宮田さんがタトル商会に入社するまで編集者として在籍していた早川書房に連れていってもらったところ、試験として、イギリスのミステリー作家の短篇をひとつ渡された。

読んでみると、かくべつむずかしいところもない。自信満々、勇んで仕上げた。このとき母親から、「試験なんだから、念には念を入れたほうがいいわよ」と忠告されたのに、慢心していたため、聞き流していた。

いったん訳稿を提出し、2、3日してから、また呼びだされて、早川書房に出かけた。

『未踏の時代 日本SFを築いた男の回想録』福島正実著(早川書房 2009年)

そこには、翻訳家として著名な宇野利泰先生も居合わせて、その前で、試験問題を渡してくれたSFマガジン編集長の福島正実さんから、先に提出した訳稿についての批評を聞かされた。

「全体としてよくできてはいるが、いくつかおかしな表現があり、1カ所、致命的な誤訳がある」

そう聞かされて、慢心していた深町さんは、身の置きどころのないほどの恥ずかしさに打ちひしがれることになる。

まずは"誤訳"だが、飛行機が空港に着き、主人公である私立探偵が、his bulkliftして、ゆっくりと機の出口に向かうというところで、深町さんはこの原文を、「彼は荷物を持ちあげて」と訳してしまった。

むろん、「巨体を起こして」と訳すべきところだ。深町さんがbulkを荷物と即断したのには、いちおうの下地があった。タトル商会では、日本で出た英語の本をアメリカに輸出する仕事を受け持っていたが、輸出の現場では、bulkは船荷の" はこ"にあたるのだ。そういう既成の知識をあてはめて、あらためて辞書をひこうとしなかった驕り、そこからきた失敗だった。

ちなみに、この"誤訳"について伝えてくれたのは福島さんだったが、じつは、はじめにこれを"誤訳"と指摘されたのは、のちに作家生島治郎となる、当時のミステリ・マガジン編集長、小泉太郎氏だったという。つまり、原文は読まず、訳稿を一読しただけで、これが「荷物」では文脈上おかしい、と気づいたことになるが、こういう言語感覚こそ、そのときも、またそれ以後も、翻訳者としての深町さんが、ずっと大事にしたいと思ってきたものだという。

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創刊1956年7月号の「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EMQQ)」初期のバ ックナンバー。宇野利泰氏のほか、小泉太郎(生島治郎)氏、福島正実氏も短篇を翻訳 している。

"言語感覚"との関連で言うと、先の批評にあった、いくつかの「おかしな表現」のこともある。これを指摘してくれたのは、たまたま居合わせた宇野利泰先生だが、そのとき先生から言われたことのうち、のちのちまで忘れられなかったのは、「車を発車させる」という表現。宇野先生が言うには、「発車させる」のは汽車か電車、自動車ならばせいぜい路線バスのイメージだよ、と。原文はむろんstartで、いまならなんのためらいもなく、「スタートさせる」と訳すところだが、当時の深町さんは、翻訳文のなかでカタカナ語を用いるのは、安易に過ぎて翻訳者の沽券にかかわるみたいに思っていたため、それで自縄自縛に陥っていたらしい。

宇野先生は、その他いくつかの注意点を指摘してくれたあと、「失敗はだれにでもある。これからぼくが見てあげるから、しばらく修業しなさい」と諭してくれた。

こうして先生の下訳を何作か手がけ、あいまには、雑誌掲載作品を中心に、福島さんの下訳も再三ひきうけて1年半余り、雑誌では深町眞理子名義で翻訳作品を載せてもらえるようになった。単行本が自分の名前で出せるようになったのは、さらにそののち、翻訳者を志して2年以上たってからになる。

翻訳者として出発しようとした矢先の、あまりに恥ずかしい失敗、そこから深町さんは多くのことを学んだ。

(4回に続く)

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深町さんが勤めていた頃、チャールズ・E・タトル商会が旧講道館から移転した大曲付近。高校に通うときも縁があった神田川は、この付近で大きく曲がっていたため大曲という。
昭和初期の白鳥橋(明治期は大曲橋)の写真がついた標識と現在の橋。
(撮影:大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。

野性の呼び声

野性の呼び声

  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体476円+税)
  • ISBN:75138-8
  • 発売日:2007.9.6
白い牙

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  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75178-4
  • 発売日:2009.3.12
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2015年12月 1日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.3 深町眞理子さんに聞く(2)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月1日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.3 深町眞理子さんに聞く
『恐怖の谷』
「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻 『恐怖の谷』アーサー・コナン・ドイル著(東京創元社)

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さん、vol.2の中村妙子さんに続き、連載シーズン3は、深町眞理子さんです。

深町さんのライフワークともいえる「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻が、9月30日刊行『恐怖の谷』でついに完結となりました(東京創元社)。

"世に「出たがり屋」という種族がいるとしたら、私は「出たがらな屋」ですから"──とおっしゃる深町さんに、「そこをなんとか」とお願いして、このシリーズにご登場いただくことになりました。シャーロック・ホームズ全集完結という記念すべき時期に合わせてスタートできることを嬉しく思います。

深町さんは、光文社古典新訳文庫ではジャック・ロンドンの『野性の呼び声』『白い牙』を手がけられています。アガサ・クリスティーをはじめとするミステリーや『アンネの日記』などの翻訳を愛読してきた読者も多いことでしょう。

深町さんの人生の軌跡にも、戦争が大きな影を落としています。


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深町眞理子さんの書斎にある本棚。辞書類が並んでいる。(撮影:大橋由香子)
2回 朝鮮から引き揚げ、神田川を見ながら高校へ

父がそばにいるときは緊張させられたものの、深町さんはピアノが嫌いだったわけではない。成長とともに、音楽する楽しみも知るようになっていった。

1942年、4度めの転勤で東京にもどったときには、はじめて男性の先生についた。有賀先生といったが、この先生のもとで、発表会にも出、さらに、練習を重ねて上達する喜びをも味わえるようになった。

そんな1943年暮れ、かねて練習していたシューベルトの「即興曲変イ長調90の4」を仕上げ、意気揚々と先生の家に行くと、先生から、「赤紙(召集令状)がきた。もうレッスンはできない」と告げられた。父の影響というか、家庭環境から、けっして"軍国少女"ではなかった深町さんにとって、戦争が身近なものとして感じられた、これが最初の経験となる。

小学生も勤労奉仕、敗戦後はピアノもギターも手放す

翌1944年2月、父はまたもソウルへの転勤を命ぜられた。時期がちょうど深町さんの女学校受験と重なって、混乱があり、いちおうソウルに着いて、急遽、京城府立第二高等女学校を受験したが、あっさり不合格となった。当時、東京では、中学校・女学校への入試に学科試験はなく、内申書と身体検査と体育の実技だけで選考されていたため、学科試験の準備はまったくしていなかった。不合格もいたしかたのないところだろう。

ソウルの小学校(国民学校)には、上に2年の高等科を併設しているところもあった。家庭の事情やなにかで、中学校・女学校への進学が困難な生徒に、2年間の中等教育をほどこす課程である。

そういう高等科を持つ小学校のひとつに、母が入学の申請に行ったところ、応対に出た小学校の先生から、「どうせ来年また女学校を受験するんでしょう? だったら、高等科に行くより、小学校でもう一度、6年生をやってはどうですか」とすすめられた。そんな経緯で、深町さんはその小学校、京城三坂国民学校6年3組に編入され、翌1945年に卒業するまでの1年間を過ごすことになる。

このときも、ピアノはいつもの大きな木箱に入れられ、3度、海を渡ったが、このころにはすでに戦況が悪化していて、ピアノなど弾いていると非国民と言われかねないご時世だったので、ついに先生にはつかなかった。

1944年8月4日、深町さんはソウルの国民学校で2度めの小学6年生生活を送っていたが、その日のことを、こう記している。

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深町眞理子著『翻訳者の仕事部屋』飛鳥新社(1999年、左)。のちに、ちくま文庫(2001年)から刊行される。

「もはや夏休みはなく、たぶんこの日は、講堂の板の間にじかにすわって、勤労奉仕の"兵隊さんの水筒の紐"を縫う作業をしていたはずだ。ごついカーキ色の真田紐のようなテープを重ねて、そこを返し縫いで留め、水筒のはいる形にするのだが、テープが厚くて、針がなかなか通らず、ひたすら指が痛かったことしか記憶にない。小学生がこういうかたちで戦争に協力することを強いられるほど、戦況は逼迫していたということになるが、それでも、その後さらに一年、日本は持ちこたえたわけであり、そのかん大多数の国民は、これを"聖戦"と信じて、程度の差はあれ、これに加担し、戦争遂行に邁進してきたのである」

『アンネの日記』
『アンネの日記 完全版
アンネ・フランク著 
文春文庫 1994年

ちなみに、この1944年8月4日は、40年後に深町さんが翻訳することになる『アンネの日記』の著者、アンネ・フランクを含む8人のユダヤ人が、それまで2年余りを過ごしていたアムステルダムの〈隠れ家〉から、ゲシュタポによって連行された日にあたる。そのおなじ日、深町さんは、ソウルの大日本帝国の国民学校で、勤労奉仕に余念がなかった。

1年後の1945年8月、日本は戦争に負け、朝鮮は日本の植民地支配から解放された。深町さんは、ソウルの京城府立第一高等女学校の1年生だった。

ピアノも、父の大事にしていた外国製のギターも、薪としての値段で現地のひとにひきとられ、一家4人は、リュックサックひとつを背負っただけで、11月にやっと東京に引き揚げてきた。

焼け野原に残った伯父の家に間借りして都立高校へ

深町さん一家は、千代田区神田岩本町の伯父の家に落ち着いた。空襲で一面の焼け野原のなか、既製服の問屋だった伯父の家(母の姉の嫁ぎ先)だけが、鉄筋4階建ての店舗兼住宅だったため、かろうじて焼け残っていた。その4階の空き部屋に住まわせてもらうことになったのである。

「間借りしたその家からいちばん近く、しかも、試験もなにもなしに(ソウルの府立第一高女からもらってきた内申書だけで)編入を許してくれた、浅草橋の都立忍岡高等女学校にかようことになりました」

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深町さんが通った戦後まもないの時代の授業風景。源氏物語の講義。(深町さんの2年先輩になる1949年度卒業アルバムより)1943年に東京市立から東京都立忍岡高等女学校と改称し、1946年から修業年限が5年となった。

はいったときは、旧制女学校だったのが、3年生のときの学制改革で、新制高校併設中学となり、翌年には、在校生はそのまま入試もなにもなく、新制の都立忍岡高等学校に進学した。高2のとき、1年下の学年に、少数の男子が入学してき、さらにその下の学年からは、男女同数の、完全な男女共学校に変わったが、それまでは、東京市立第一高等女学校以来の伝統で、ずっと女子校だった。

「1951年に卒業するまで、毎日、神田川の流れを見ながら、美倉橋か左衛門橋を渡って、徒歩で通学しました。やがて20年後には、パリのセーヌも、ロンドンのテムズも、ニューヨークのハドソン河やイースト・リバーも、じかにこの目で見られる日がくるなど、夢想だにできない時代でしたね」

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(1949年度卒業アルバムより。資料提供:東京都立忍岡高等学校)
東京都立忍岡高等学校ウェブサイト

戦争中に旧制女学校に入学し、戦後に新制高校を卒業するまでの正味5年余りが、深町さんが語学としての英語を学んだ年数にあたる。はじめに入学した京城府立第一高女では、敗戦までわずか4カ月、しかも敵性語とされる英語の授業はほとんどなかったし、翌年春に都立忍岡高女に編入を許されるまでは、半年以上も、まったく学校には行っていないためだ。

高校卒業後は、「語学力を生かしたいとか、英語が好きだとか、得意だとかいう気持ちなどぜんぜんなかった」のに、縁あってアメリカ人が経営する洋書輸入会社に就職。ところが、入社してみると、扱う商品は英語の本、社内で流通する書類もすべて英語。内容を的確に理解できないと、そもそも仕事にならない。

まわってくる書類は、とにかく読んで、読んで、読みこんで、文脈をつかみ、この書き手はなにを言いたいのか、なにを言おうとしているのかを、想像力をめぐらせつつ把握してゆく。こうして実地の体験を重ねることで、おのずと英語力を身につけていった。

「会社は水道橋駅から神田川をはさんだ対岸にありました。のちに後楽園ジムになる旧講道館ビルの、3階の一室を借りていたんです。いってみれば、幼いころに母の実家の窓からながめた神田川を、ちょうど斜め向かいあたりからながめることになったかたちです。やがて会社はこの事務所をひきはらい、大曲に自社ビルを建てましたが、ここも目の前は川。おなじ神田川でも、このへんは江戸川と呼びならわされていますけど」

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旧講道館ビル(昭和9年以降に撮影)
所蔵:(公益財団法人)講道館
(公益財団法人)講道館ウェブサイト

会社がこの大曲のビルに移転したのとおなじころ、深町家もようやく間借り生活を解消し、練馬に新築した家に引っ越した。この家がまた川べりにあって、川は千川。川ぞいの道を東へ、つまり池袋(都心)のほうへ5分ほど歩いたところが、西武池袋線の中村橋駅で、線路と並行する千川には、『中村橋』という、小さいながらもれっきとした橋がかかっていた。

川の両岸には桜が植わっていたが、数年後にこの川は暗渠になり(おそらく、1964年の東京オリンピック開催に向けての、市街地整備の一環と思われる)、その分だけ幅が広くなった道路のまんなかに桜並木がつづくという、"珍風景"があらわれたそうだ。

それやこれや、深町さんは、節目ごとに川と縁のある人生を歩んできた。

(3回につづく)


現在の都立忍岡高等学校
現在の都立忍岡高等学校。隣接する柳北公園側からみた校舎。(撮影:大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。

野性の呼び声

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  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体476円+税)
  • ISBN:75138-8
  • 発売日:2007.9.6
白い牙

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  • ロンドン/深町眞理子 訳
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  • ISBN:75178-4
  • 発売日:2009.3.12
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2015年11月 1日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.3 深町眞理子さんに聞く(1)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月1日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.3 深町眞理子さんに聞く

お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さん、vol.2の中村妙子さんに続き、連載シーズン3は、深町眞理子さんです。

深町さんのライフワークともいえる「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻が、9月30日刊行『恐怖の谷』でついに完結となりました(東京創元社)。

"世に「出たがり屋」という種族がいるとしたら、私は「出たがらな屋」ですから"──とおっしゃる深町さんに、「そこをなんとか」とお願いして、このシリーズにご登場いただくことになりました。シャーロック・ホームズ全集完結という記念すべき時期に合わせてスタートできることを嬉しく思います。

深町さんは、光文社古典新訳文庫ではジャック・ロンドンの『野性の呼び声』『白い牙』を手がけられています。アガサ・クリスティーをはじめとするミステリーや『アンネの日記』などの翻訳を愛読してきた読者も多いことでしょう。

深町さんの人生の軌跡にも、戦争が大きな影を落としています。

「新訳版シャーロック・ホームズ全集」全9巻 『恐怖の谷』(東京創元社)
深町さんが、アーサー・コナン・ドイルによる<シャーロック・ホームズ・シリーズ>9巻の全巻個人訳に取り組み始めたのは2009年のこと。最初の巻『シャーロック・ホームズの冒険』(2010年2月刊)から、足かけ7年の快挙です。
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深町眞理子さんの書斎。(撮影:大橋由香子)
1回 父の転勤で転校4回、本が最高の友だちだった

深町眞理子さんは、1931(昭和6)年、東京で生まれた。

父は、群馬県前橋市の商家の三男として生まれ、幼いころから"西洋音楽"に興味を持っていたが、時代的にも、地方の商家の三男坊という環境からも、それで身を立てることは、かなわぬ願いだった。

慶應義塾大学経済学部に入学すると、すぐにギターを始め、マンドリン・クラブで部活動にいそしんだ。関東大震災のときには、ちょうど北海道に演奏旅行に行っていたため、無事だったという。おなじクラブでマンドリンを弾いていた学友の妹と結婚。彼女がすなわち深町さんの母である。

母は、2代前までは将軍家直参の御家人だったという江戸っ子で、下町の木挽町界隈で育った。生家は製本工場を営んでいたが、大震災後に、水道橋駅の北側の川べりに引き移った。法事かなにかでこの家を訪れたとき、工場の上の3階の住まいの窓から、神田川の流れを見ていた記憶が、幼い深町さんにはかすかに残っている。窓から見る川は、幼い身には洋々たる大河に見えたとか。

父は大学卒業後に生命保険会社に就職、転勤が多かったため、一家は何度も転居を重ねることになる。最初は杉並の阿佐ヶ谷に住んでいたが、深町さんが3歳のとき、広島に引っ越した。ここで弟が生まれた。

父は就職後も、趣味としてのギター演奏はつづけていた。広島勤務時代には、ある女性流行歌手の伴奏でラジオに出たこともあるし、年に2回は、所属している軽音楽クラブの演奏会もあった。演奏会の最後に、指揮者に花束を持ってゆく役目は、いつも幼い深町さんが務めた。

1937(昭和12)年秋、父は当時日本の統治下にあった朝鮮の京城(現在の韓国ソウル)に転勤になり、さらに2年半後には、おなじ朝鮮・全羅南道の光州(現クワンジュ)に転任した。ようやく内地(日本本土のことを、外地では当時こう呼んでいた)に戻ったのは、さらに2年後の1942(昭和17)年、今度は練馬の石神井川のほとりに住んだ。

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石神井川で野菜を洗う女性。(1940年 練馬区所蔵)

川べりの道を、上流にむかって20分ほど歩くと、豊島園に達する。夏には毎日のようにこの道をたどって、豊島園のプールにかよった。自宅前の石神井川で泳いだことも何度かある。

そして1944(昭和19)年2月、父はふたたび朝鮮の京城へ転勤になり、翌年、ここで敗戦を迎えた。

Meijiza, Keijo, 1941
京城にあった明治座(1941年)
本が大好き。キーワードは旅と不思議。

このように、ほぼ2年刻みで各地を転々とし、小学校(途中からは国民学校)だけで、4度も転校を重ねた。どんな子どもだったのだろうか。

「とにかく、本の好きな、というか、本ばかり読んでいる子どもでした。小学校2年生くらいまでは、読めるものはなんでも読んでいたという感じです」

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『絶世奇談 魯敏遜漂流記』ヅーフヲー作 井上勤訳 博聞社 1883 ©National Diet Library,2000

と深町さんはふりかえる。

2、3歳のころに好きだった本は、雑誌「キンダーブック」や『ちびくろサンボ』で、『ちびくろサンボ』の最後で虎が溶けてバターになってしまうところは、とくに気に入って、くりかえし読んでいたし、「キンダーブック」によく掲載されていたラグーザお玉の絵は、いまも目に浮かぶ。

小学校1、2年生までに、世界名作童話や昔話のたぐいはほとんど読破した。"好み"が出てくるのは、小学校3、4年生ごろからで、月に1度、本を買ってもらえる日には、学校から走って帰ると、母をひきずるようにして書店へ行き、さんざん迷ったすえに、読みたい本を選びだす。

それだけではとても足りないから、数少ない友だちを拝みたおして借りる。そんな毎日だった。

そのころ親しんだ本は、『青い鳥』『ピーター・パン』『母を尋ねて三千里(クオレ)』『フランダースの犬』『家なき子』『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』『十五少年漂流記』『宝島』『黒馬物語』『乞食王子』『鉄仮面』『巌窟王(モンテ・クリスト伯)』などの外国作品と、南洋一郎や高垣眸の南洋探検や猛獣狩りの物語だった。

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『史外史伝 巌窟王』デュマ作 黒岩涙香訳 扶桑社 1905 ©National Diet Library,2000

「こうして見ると、"旅"と"不思議"とがキーワードになっていたように思います。冒険や漂泊、漂流と遍歴と探索の旅、そしてその旅の果てに行きつく大団円。ある意味で、ミステリーを解く楽しみに通じるところがありますね」

子ども時代の自分を、深町さんはこう分析する。

「口べたで、ひとづきあいが苦手、そのくせ自尊心の強さは人一倍だから、ここでブリっ子したほうが得だとわかっていても、ぜったいにしない、できない。要するに"かわいげのない"子ども。おのずと対人関係で誤解されたり、傷ついたりすることが多く、友だちをつくることに臆病になっていたと思います。転校が多かったという環境も、友だちができにくい一因だったかもしれません」

とはいえ、けっして孤独ではなかった。本という最高の友だちがあったから。

数多く読んだなかでも、いちばんのお気に入りは、好きな本のキーワードがそのままタイトルになっている『ニルスのふしぎな旅』だった。

魔法で小さくなったニルスが、鵞鳥の背中に乗り、スウェーデン中を旅しながら成長してゆく物語にわくわくさせられたが、のちに、幼時に読んだのは完訳ではなく、抄訳本で、また本来の内容も、スウェーデンの歴史や地理を紹介しながら、同時に自然保護をも訴えることを目的としたものだと知った。作者はスウェーデンの女性作家、ノーベル文学賞受賞者でもあるセルマ・ラーゲルレーヴである。

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『飛行一寸法師』ラーゲルレーフ作 香川鉄蔵訳 大日本図書出版 1918 ©National Diet Library,2000
「ニルスの不思議な旅」の日本初の翻訳本と思われる。原作上下巻の上巻のみの翻訳。
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『ピーターパン』「小学生全集」全88巻 興文社・文藝春秋社 1927ー1929 のなかの1巻より ©National Diet Library,2000
(以上、表紙や挿画の写真は『子どもの本・翻訳の歩み展展示目録』国立国会図書館 編集・発行 2000より)
深町さんが読んだのが、これらの出版社や訳者の本だったかどうかはわかりませんが、戦中・戦前の子どもたちは、海外の物語から、独特の雰囲気を味わっていたのかもしれません。
ハイカラ好みの父とピアノ、そして戦争

子ども時代の深町さんには、苦手なものがもうひとつあった。ピアノの練習である。

「ぼくのようにおとなになってから始めたのでは、所詮、あるレベルにまでしか達しない。だから娘には小さいうちからびしびし仕込むのだ」

これは、音楽で身を立てる夢がかなえられなかった父の口癖である。

深町さんが4歳半のとき、父がピアノを購入した。当時の住まいは、広島の段原山崎町というところにあり、この家から週に2回ほど、母のお手製の楽譜袋をさげて、ピアノの先生のところにかよった。グレイの地色の袋には、臙脂(エンジ)色の音符のアップリケがほどこされていた。先生の家のレッスン室は、庭に面した側が全面ガラス張りで、観葉植物がたくさん置かれ、ハイカラな雰囲気だったことを深町さんは覚えている。

それから9年にわたって、深町さんはピアノを習いつづける。父の転勤にともない朝鮮半島に行ったときには、ピアノを入れる専用の大きな木箱がつくられ、その箱に入れられてピアノは海を渡った。箱を運びだして、新居に運び入れるときは、その重さがいつも運送屋さん泣かせ。それでも父は、転勤のたびごとに、おなじこの木箱を使って、ピアノを運ばせた。

新居に落ち着くと、まずはピアノの先生を探す。そしてその先生に紹介された調律師さんにきてもらい、そのうえで、やっとピアノの練習が再開される。

父は熱心なあまり、ピアノに関するかぎり、終始スパルタ式の教育方針をつらぬいた。

日曜日には、ピアノのそばにつきっきりで、深町さんの練習を見ている。ちょっと弾きまちがえると、深町さんの小さな手を、上から拳固で思いきりたたく。ピアノはがーんとものすごい音をたてる。深町さんは手の痛さに堪えながら練習した。朝鮮半島は大陸性気候だから、冬の寒さはきびしい。暖房も行き届いてはいなかった時代だ。弾いていると、キーの冷たさで指先が凍ったようになる。そのかじかんだ手を、拳固でたたかれる。練習はいつも泣きべそをかきながら、だった。

音楽を愛する父は、もとより軍国主義者ではなかった。日本が戦争への道を突き進んでゆくこの時代、同級生には、昭和にちなんだ昭子、和子、男の子なら忠義、孝行、そんな名前が多いなか、眞理子という西洋ふうの名をつけるリベラルな人間だった。当然ながら戦争には反対で、1943(昭和18)年ごろから、内輪の席では、この戦争は負ける、とよく言っていた。そう言いだしたのは、文科系学生・生徒の徴兵猶予制度が廃止され、慶應大学の後輩たちが、ペンを銃剣に持ちかえて雨のなかを行進する、その学徒出陣壮行式の模様をニュース映画で見てからではなかったか、と後年、深町さんは推測している。

新し物好きでリベラルな父が、ピアノに関してだけは、こんな体罰まがいのスパルタ式教育をする。いささか奇異に感じられるが、自分の果たせなかった音楽家の夢を、なんとか娘に実現してほしいという願望の強さからだったのだろうか。

(2回につづく)


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現在の水道橋駅北側の川べり(撮影:大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。

野性の呼び声

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  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体476円+税)
  • ISBN:75138-8
  • 発売日:2007.9.6
白い牙

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  • ロンドン/深町眞理子 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75178-4
  • 発売日:2009.3.12
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2015年10月 1日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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