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連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 5回裏)

vol.1 小尾芙佐さんに聞く 5回裏あのころ、あの本、あんなこと

裏の回では、5回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。

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小尾芙佐さんが親しんできた作品群

小尾さんが翻訳した『ジェイン・エア』と『高慢と偏見』は、両方とも上下2巻の大作だ。「訳者あとがき」から小尾さんの思いの一端をご紹介する。

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『ジェイン・エア』C・ブロンテ 
2006年11月刊

「数十年の時を経て、あらためて原作を読みおわった自分に、よもやこのような感動がもたらされようとは思いもよらなかった。心を昂らせながら翻訳を進めるうちに、いくたびか、こみあげる涙を押さえきれず、年代物のワープロの横においてある作者シャーロット・ブロンテのポスト・カードのような小さな肖像画に向かって、胸のうちで思わず話しかけることさえあった。」

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『高慢と偏見』オースティン 2011年11月刊

「私がはじめてオースティンに出会ったのは、いまから五十数年前、大学の教室だった。......『これはイギリスのアッパー・ミドルの家庭の平凡な日常生活の描写からはじまって......』と講義をはじめられた近藤いね子先生のお顔がいまでも目にうかぶ。毎日辞書と首っぴきで原文と格闘し、講義に臨めば、『ではこのパラグラフをお訳しなさい』といつご指名があるかと戦々恐々としていたから......近藤先生の名講義もうわのそらで聞いていた。(中略)

だが運命はオースティンとの再会を私に用意してくれた。十年近く前のある日、亡き夫の書棚にPride and Prejudice の訳本をたまたま見つけ、なにやらなつかしくそれを引き出して読みはじめたのである。学生時代なんの感興も湧かずほうりだしたその作品にぐいぐいと惹きつけられ、私は夜を徹して読みふけった。」

この再会からしばらくして、小尾さんは野上彌生子の1926年の日記を読んでいて、高慢と偏見を絶賛する記述を発見した。

本に出会うタイミングには、不思議なつながりや、連鎖反応のようなものがあるような気がする。

小尾さんが光文社と初めて仕事をしたのはミステリー雑誌「EQ」だった(1977年創刊ー1999年休刊)。翻訳した作品には、マクリーン・オスペリン著「決定的な半歩」(That Crucial Half Step)1978年5月号。バーバラ・オウエンズ著「軒の下の雲」(The Cloud Beneath the Eaves)1978年9月号。同「ヒルダの家」(The Music in His Veins)1981年5月号などがあった。

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エドガー・アラン・ポーやクロフツを読み尽くした子ども時代。そして学生時代の小尾さんが、新宿の本屋に出かけて買い込んだのは、フローべール、モーパッサン、スタンダール、ロマン・ローラン、マルタン・デュ・ガール、アルベール・カミュの本だった。

大学では演劇部に入り、戯曲の面白さに目覚めた小尾さんは、チェーホフ、イプセン、モリエール、ジロドゥ、アヌイを読みまくった。

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小尾芙佐さんが親しんできた作品
──光文社古典新訳文庫のラインナップから
『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』 チェーホフ/浦 雅春 訳
『桜の園/プロポーズ/熊』 チェーホフ/浦 雅春 訳
『オンディーヌ』 ジロドゥ/二木麻里 訳
『黒猫/モルグ街の殺人』 ポー/小川高義 訳
『女の一生』 モーパッサン/永田千奈 訳
『赤と黒』 スタンダール/野崎 歓 訳

5回表で、小尾さんが夫から渡された『ヘンリー・ライクロフトの私記』は1951年刊の平井正穂訳、岩波文庫だったが、2013年9月に光文社から新訳が出た。

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『ヘンリー・ライクロフトの私記』
ジョージ・ギッシング 著 池 央耿 訳

夫によって傍線が引かれていた箇所(連載の5回表を参照)の前には、シェイクスピアの「テンペスト」の魅力について記述されている。

「シェイクスピアが行きついた果ての人生観を語った傑作で、哲学の教訓を論ずる識者が引用せずには済まされない台詞の宝庫だと言える。何にもまして、ここにはシェイクスピアの洗練を極めた叙情詩があり、柔和な愛の言葉がある。......何度でも、読むほどに今しも詩人の頭から紡ぎ出されたかと思う新鮮な味わいがある。わずかな きずを見つけて退屈を覚えるような作品とはわけが違う。 間然かんぜんするところない、とはこれだろう。読後にもう一度と思わせる余情が『テンペスト』の名作たる 所以ゆえんである。

イギリスに生まれてよかったと思う理由は数ある中で、筆頭はシェイクスピアが母国語で読めることだ。間近に向き合うことができず、遠くから声を聞くだけで、それも、さんざん苦労して言葉を学ばなくてはシェイクスピアの神髄には触れ得ない立場を想像するとうそ寒い絶望と喪失の恐怖を覚える。」

ギッシングの言葉もそうだが、池 央耿さんの日本語もまた、味わい深い。

小尾さんは『高慢と偏見』を訳し終えて、大正から昭和、平成にいたる長い年月のあいだに訳されてきた諸先達のおかげでオースティンが読み継がれてきたことに感謝すると記している。

時代をこえて魅力を失わない古典作品を、母国語ではない読者に伝える翻訳者たちの仕事。彼女・彼らに感謝すべきは、なによりも私たち読者だろう。

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小尾さんの3代目のワープロ。富士通オアシス70DP
ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと

小尾さんにお宅に初めて伺ったのは、光文社古典新訳文庫の『ジェイン・エア』翻訳をお願いするときだった。

お邪魔した居間には、グランド・ピアノがあった。

初回は緊張して入っていった居間も、何回か伺ううちに、ほっとする空間になっていった。お茶とお菓子がおいしくて、ケーキを2ついただくこともあった。

もちろん、仕事である。『ジェイン・エア』の原書で、小尾さんが指定した箇所の出典を調べ、その日本語訳を探すお手伝いが最初の仕事だったと思う。

小尾さんは、『ジェイン・エア』について、熱く語ってくれた。

「あの場面でね......」「あのときのロチェスターが......」「あそこでジェインが××するのが本当に〇〇よね」「でも、あそこは△△じゃないですか」

私も一緒になって小尾さんとおしゃべりをする様子に、男性編集者は疎外感を覚えるのが常だった(それはケーキの段階から始まっていたかもしれない)。古典作品を新たに翻訳するうえでの作品解釈における、翻訳者と編集者の真剣な討論なのだが、第三者から見れば、ミーハーなおしゃべりお茶会か、「後期女子」トークだろう。

ゲラの段階になってからは、ソファ・テーブルではなく、大きなダイニングテーブルに移った。あれこれの伝達、確認、見解A、見解B......。一段落つくともう夕暮れ時。お茶も飲みあきたから、と別種の飲料物をいただくこともあるが、これも仕事である。校閲部からのエンピツ書きの疑問点、編集部からの見解に対する、翻訳者からの切り返しという水面下での闘い=共同作業に伴う必需品だ。

こうやって思い返すと、なんと幸せな時間だったことか。もちろん、ケーキや飲食物のことではない。『ジェイン・エア』を介して、小尾芙佐さんの言葉や翻訳への丁寧で厳密な取り組み、なによりも作品への愛情を間近で感じさせていただいた。

あれから数年後、この連載のために、今度は小尾さんの来し方をお聞きした。ピアノを習いたくても家になく、朝早く高校に行って講堂のピアノをひいたことを知った。戦争中の女学生が遭遇した経験も、小さい時から愛読していた父親の蔵書が空襲ですべて焼けてしまったことも。

居間にあるグランド・ピアノが、違って見えてきた。

(構成・文 大橋由香子)

「vol.1小尾芙佐さんに聞く」は今回でおわります。「vol.2 中村妙子さんに聞く」は、涼しくなった頃に掲載いたします。

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

ジェイン・エア(上)

  • C・ブロンテ/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体840円+税)
  • ISBN:75113-5
  • 発売日:2006.11.9
  • 電子書籍あり
高慢と偏見(上)

高慢と偏見(上)

  • オースティン/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:7752403
  • 発売日:2011.11.10
  • 電子書籍あり
幸福な王子/柘榴の家

幸福な王子/柘榴の家

  • ワイルド/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75347-4
  • 発売日:2017.1.11

《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年8月 7日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 5回表)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.1 小尾芙佐さんに聞く

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

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小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。

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5回表 不可能なことを可能にしなければ

ある日、早川書房の編集部を訪れると、福島正実編集長が晴れ晴れとした笑顔で現れ、「きょうはいい人に会いに行くんです」と告げた。それが、浅倉久志だった。

すでに「S-Fマガジン」で翻訳をしていた伊藤典夫とともに、SF同人誌の同人でもあった浅倉久志は、会社員を辞めて翻訳家になる。SFに対する情熱と造詣の深さは、だれも及ばない。小尾にとっても救いの神、これまでほどSFの翻訳に追われることがなくなった。

img_fujitsu05_02.jpgおかげで、『第三の女』(クリスティー、ハヤカワ・ポケットミステリ1970)、『ママは何でも知っている』(ヤッフェ、ハヤカワ・ポケットミステリ、1977)など、ミステリの長編も手がけるようになる。

当時は、出版記念会などパーティーがよく開かれ、その席上で、伊藤典夫や浅倉久志とよく話をした。伊藤典夫訳、カート・ヴォネガット・ジュニアの『猫のゆりかご』を読んだ小尾は、たちまちヴォネガット・ファンになる。

この二人に、キャロル・エムシュウィラーの「順応性」(「S-Fマガジン」61年9月号掲載)の訳を褒められたときは、本当にうれしかったという。

「浅倉さんの音頭とりで、深町眞理子さん、大村美根子さん、山田順子さん、佐藤高子さん、鎌田三平さん、白石朗さんの総勢8人が集まり、深町さんが<エイト・ダイナーズ>と命名して、お酒と食事とおしゃべりを楽しみました」と懐かしむ。

2010年、浅倉久志は79歳で逝去した。<偲ぶ会>で小尾は、「仕事の上で困ったときは、いつも浅倉さんに電話して助けてもらいました」と語っている。

キングの「IT」でワープロを導入

これまでつきあいのなかった出版社からも仕事の依頼がくるようになった。

角川書店からはゴシック・ロマンのビクトリア・ホルト『流砂』(1971)、『女王館の秘密』(1977)、『愛の輪舞』(1982)など。珍しく女性からファンレターが何通も寄せられた。ファンタジーでは、ホールドストックの『ミサゴの森』(1992)がある。

ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』(1984)は、都筑道夫、小泉喜美子などのミステリ作家に高く評価され、レンデル・ブームが起きる。『死のカルテット』(1985)『悪魔の宿る巣』(1987)『引き攣る肉』(1988)など、ミステリの翻訳を堪能した。

文藝春秋からは、ジュリー・ユルスマン『エリアンダー・Mの犯罪』(1987)のあと、スティーヴン・キングの「IT」(1991)を依頼された。あまりの長さに引き受け手がいないという原稿用紙3800枚のその大作を、小尾は即座に引き受けた。

上下2巻を2年がかりで翻訳しながら、キングのエネルギーに圧倒された。聞き慣れぬスラング、ことに子どもたちのスラングが飛び交っているので、アメリカで小学校の教師をしていた津田塾時代の友人に助けを仰いだ。

「大事なのは、原文を十二分に理解すること。疑問があれば、ネイティブをはじめ、その道の専門家に尋ねます。だから、原文を読み込むのに時間がかかります。翻訳にとりかかるのはそれから。何度も推敲を繰り返し、ゲラが出ればまた推敲。ゲラが真っ赤になって、担当の方に迷惑をかけます。でも、翻訳者にとって、優秀な編集者、校正者は宝です。彼ら、彼女らがいなければ、上質な翻訳の完成はありえません」

それまで手書きを続けていたが、「IT」に取り組むとき、ワープロの導入を決心した。書きこみが多く、原稿がきたないので有名な小尾なので、編集者たちからは喜ばれたらしい。

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4000枚近いキングの「IT」を引き受けることになって導入にふみきった初代ワープロと小尾さん。親指シフトだ。

児童ものの仕事も多い。これは、SFの理解者はまず子どもたちだと考えた福島正実たちが「少年文芸作家クラブ」を立ち上げ、岩崎書店や、あかね書房など、児童ものを出している出版社に売りこんだことが影響している。

小尾も、福島にすすめられて、翻訳したSFを児童向けにリライトしている。

img_fujitsu05_06.pngアシモフの『うそつきロボット』(初版の題名は『くるったロボット』)は今でも版を重ね、ほかにも、『ロボット自動車・サリイ』(アシモフ、以上岩崎書店)、『惑星ハンター』(アーサー・K・バーンズ)、『銀河系防衛軍』(エドワード・E・スミス、以上あかね書房)など。

早川書房から児童書として出版された『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン)は産経児童出版文化賞を受賞した。

SF以外ではソーン『キュリー夫人 知と愛の人』(文研出版)やパール・バック『大地』(集英社)なども、原作から子ども向けに抄訳している。

学生時代に歯が立たなかった古典に取り組む

2005年、光文社から声がかかった。以前、光文社のミステリ雑誌「EQ」(1977年〜1999年休刊)から短篇を頼まれたことがあったが、今回は古典新訳文庫の企画だった。

さまざまな分野を手がけてきた小尾だが、英文学の古典は未知の世界。作品は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』だ。何十年ものあいだ、多くの先達が取り組み、多くの読者を得て、映画化もされている古典の新訳である。ためらいもあったが、原書を読み進むうち、登場人物、時代背景、イギリスの自然など、イメージがふくらんでいった。ロチェスターとジェインの魅力が、仕事を押し進めてくれたようだ。

2006年に新訳『ジェイン・エア』が刊行された(2013年に再版)。

「次は、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』ですね」と編集者に言われたときは、さすがの小尾も即答できなかった。津田塾時代にテキストとして読まされた作品、あまりの難しさに、最後まで読み通すことができず、楽しめなかった。そうした印象が、頭に刷り込まれていた。

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『ジェイン・エア(上・下)』(C・ブロンテ、2006年11月刊)
『高慢と偏見(上・下)』(オースティン、2011年11月刊)

だが、未知への挑戦が小尾の心をかき立てた。「SF翻訳家の小尾さんが、なぜ?」と首をひねった読者もいたようだが、この作品に対する特別な愛着については、「訳者あとがき」に綴られている。

原書を読み始めると、原文の独特の長い構文に悩まされた。読み解くだけで、1年ほどの歳月を要した。いざ翻訳にとりかかると、さまざまな疑問が生じた。あの時代、さまざまな環境に生きる人々の言葉遣いにも苦労した。

エリザベスとダーシーが、心を開き合い、親しくなってからの微妙な変化も、会話に現れなければならない。

「苦労はしましたが、むかし好きだった戯曲を訳しているような心地がして、楽しかったです」

休みなしに、拒むことなく翻訳をつづけてきた

結婚式と出産の前後を除けば、ほぼ休みなしに、ずっと翻訳を続けてきた。

夫は死の前年、付箋をつけた1冊の本を小尾に渡した。それはギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』だった。

「私がイギリスに生まれたことをありがたく思う多くの理由のうち、まず初めに浮かぶ理由の一つは、シェイクスピアを母国語で読めるということである」(岩波文庫、平井正穂訳、1951)

この一文に傍線がひかれていた。

もし翻訳でしかシェイクスピアを読めないとしたら、「ぞっとするような絶望感」を覚えると言っているのだ。

「翻訳という仕事は、異なる文化のしみついた言葉を、別の異なる文化のしみついた言葉におきかえていくこと。ライクロフト氏に言わせれば、不可能なことをあえて可能にしなければいけない仕事なんです。読者に絶望感を覚えさせるようではいけない、心して仕事をせよ、という夫のメッセージだったのだと思います」

長い間、翻訳を続けてきたおかげで、最近は四十数年前に訳した自分の作品が改版になり、手を入れるよう出版社から依頼される機会がある。

原書と1行1行照らし合わせながら訳文を見直していくと、ゲラはそれこそ赤字で真っ赤になる。当時の翻訳の未熟さもあるが、言葉が時代とともに古びていくのを実感できるという。

若いひとが知らないような言葉、もはや社会に受け入れられない言葉もある。しかし、若いひとが知らないから使わないというのもおかしい。若者が学べばよいのだと小尾は考えている。使わなくなれば、言葉が貧しくなってしまう。

「これまで、自分から出版社に作品を持ち込んだことは、一度もありません。いつも与えられるものを、一度も拒むことなく訳してきました。でも、幸いなことに、"これは小尾さんに訳してもらいたい"という編集者からの特別のご指名が、間々ありました。それが、『アルジャーノンに花束を』や『IT』であり、『消えた少年たち』や『くらやみの速さはどれくらい』であり、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』でした。
訳書は百冊を越えていますが、近ごろ、たとえ求められることがなくても、これだけは訳しておきたいと思う作品に出会うことができました。幸せに思っています」

休むことなく、拒むことなく、継続してきた。きょうもまた、小尾はゲラに向かっている。

次回は5回裏・関連コラムです。(更新日は8月7日です)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

ジェイン・エア(上)

  • C・ブロンテ/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体840円+税)
  • ISBN:75113-5
  • 発売日:2006.11.9
  • 電子書籍あり
高慢と偏見(上)

高慢と偏見(上)

  • オースティン/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:7752403
  • 発売日:2011.11.10
  • 電子書籍あり
幸福な王子/柘榴の家

幸福な王子/柘榴の家

  • ワイルド/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75347-4
  • 発売日:2017.1.11

《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年7月22日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 4回裏)

vol.1 小尾芙佐さんに聞く 4回裏あのころ、あの本、あんなこと

裏の回では、4回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。

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追悼・ダニエル・キイスさん――小尾芙佐さんの訳書から

連載3回表では、「SFマガジン」1961年2月号に載った中篇「アルジャーノンに花束を」に感動した小尾芙佐さんが、福島正実編集長のところにすっ飛んでいったこと、その十数年後に今度は自分が長篇を訳すことになったことが出てきた。その著者であるダニエル・キイスさんが、現地時間6月15日、86歳で逝去した。

キイスさんの本を訳し、親交のあった小尾さんは、共同通信社配信で追悼文を執筆し「信濃毎日新聞」(6月23日)や「北海道新聞」(6月24日)に掲載された。「S-Fマガジン」9月号にも寄稿している。

今回は、小尾芙佐さんが手がけた本をいくつかご紹介することで、キイスさんのご冥福をお祈りしたい。(以下の本の発行元はすべて早川書房)

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『アルジャーノンに花束を』の原著は、中篇が1959年に発表されヒューゴー賞を受賞し、7年後の1966年に長篇となって再登場した。長篇もネビュラ賞に輝いたが、刊行までの険しい道のりは『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』(後出)に詳しい。

主人公チャーリイ・ゴードンは32歳、ニューヨークのダウンタウンのパン屋で下働きをしている。彼は知能が低いが、同僚たちと仲良く過ごしていた。みんなともっと話がしたくて、夜学に通って読み書きを習っていると、大学の教授たちが脳外科手術で頭をよくしてくれることになった。すでにその手術で超知能を獲得した白ネズミのアルジャーノンと競争させられながら、チャーリイの知能もあがっていく。ところが、チャーリイの頭がよくなるにつれて、周囲の人たちの態度が変わっていく。チャーリイ自身も、以前の同僚たちの笑顔は侮蔑的なものだったことに気づき、今まで経験しなかった恋愛感情にも悩まされる。さらに、アルジャーノンに異変が起き、チャーリイはやがて自分もそうなることを、天才的な知能ゆえに理解してしまう。

多くの読者が涙を流した本作は、チャーリイの手記の形をとっているので、最初は稚拙で幼い文章が次第に変化していく。その言葉づかいや文体が、原著の英語でも、翻訳する際の言語でもひとつの鍵となっている。

1992年、初来日したキイスさんは、『アルジャーノンに花束を』の冒頭部分をどう訳したか小尾さんに質問した。小尾さんが、放浪の天才画家・山下清の文章の特性を頭に刻みこんだと答えところ、キイスさんも、チャーリイと同じくらいの知能の少年の文章を参考にしたと返答し、「作者と訳者が期せずして同じことをやっていたんですね」とほっとした顔をなさったという。

後日、小尾さんのもとに小包が届いた。それは、銀細工のねずみのイヤリングで、キイスさんからの手紙には次のように書かれていた。

「妻のオーリアと、あるアート・フェステバルにいき・・・・妻と私は声をそろえて言いました。これはミセス・オビに贈らなくてはと・・・・・これをみるたびに、<アルジャーノン>は、私と貴女の心のあいだに通い合ったもののシンボルであることを思い出して下さい......」

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提供:小尾芙佐  撮影:大橋由香子

そして、共同通信配信の追悼文を、小尾さんはこう結んでいる。

「私はいまもそれを目の前において、キイスさんの温かな心とさえた目を偲びながら、ありがとう、キイスさん、と心のなかでつぶやいている。」
(「信濃毎日新聞」2014年6月23日より)

『ダニエル・キイスの世界』早川書房編集部 篇

小尾さんが「アルジャーノンのこと」という文章を寄せている。

冒頭のチャーリイの「けえかほうこく」をいかに訳したか、ふたりの間で交わされた前述の会話とともに、ねずみのイヤリングがプレゼントされることにつながる別のエピソードも紹介されている。原作者と翻訳者、その家族のあたたかい交流が伝わってくる。

『アルジャーノンに花束を』の作品論としては、巽孝之「天才神話の終焉」が読み応えあり。

『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』ダニエル・キイス 著 小尾芙佐 訳

本が好きな幼少期、親の期待で医学部に進み、学費を稼ぐためにさまざまなバイトをし、船に乗り込んで「にわか船医」になり、ひょんなことから編集アシスタントとして採用され、妻オーリアと出会う......。「アルジャーノンに花束を」の中篇が完成するまで、そして長篇に書き直すまでの苦悩の日々が綴られた、創作ノートであり自伝。主人公チャーリイは、キイスの分身なのだと気づかされる。そして、次の言葉が目に飛び込んでくる。

「初老にさしかかり......自分がなぜ書くか、なぜ、できるかぎり書こうと思っているか理解できた。私がこの世を去ったあと、私の短篇小説や長篇小説は、小石が水に落ちたように、大きく波紋をひろげつづけて多くのひとびとの心に触れるだろうという願いがあるからこそ私は書いているのだと。」

『心の鏡 ダニエル・キイス傑作集』稲葉明雄・小尾芙佐 訳

1950〜1960年代に発表された中編・短編を編んだ日本オリジナル作品集。

小尾さんが訳した「エルモにおまかせ」「限りなき慈悲」「ロウエル教授の生活と意見」「心の鏡」「呪縛」「ママ人形」とともに、1960年度ヒューゴー賞受賞の中篇版「アルジャーノンに花束を」(稲葉明雄訳)が収録されている。

『五番目のサリー』 ダニエル・キイス 著 小尾芙佐 訳

いつも地味な色の服を着ている茶色の目と髪のサリー(29歳)の心の中には、4つの人格が存在している。楽天家のデリー、教養あふれる画家ノラ、女優志望のベラ、男を憎み黒い服しか着ないジンクス。多重人格の苦しみと治療の過程を追ったフィクション。

この作品のあと、キイスは、多重人格を扱った『24人のビリー・ミリガン』(堀内静子訳)、精神の解離を扱った『クローディアの告白』(秋津知子訳)などのノンフィクション作品を発表していく。


ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと

本を読んで涙したといえば、小さいころは『フランダースの犬』や『ああ、無情』だった。ところが、ずっと忘れていた本のことを、急に思い出した。『ポールのあした』。申し訳ないことに、著者の名前は覚えていない。足の長いポールのイラストは、おぼろげに覚えている。

何十年かぶりに調べてみると、著者は山下喬子さん、絵は桜井誠さん、1965年に講談社から発行されている。国会図書館のデータには「横浜や渋谷などを舞台に黒人混血児の悲哀を施設その他の実地見聞に基づいて描く (日本図書館協会)」とあった。

私が読んだのは、出版されてから何年か経っていたと思うが、混血児というと、テレビで見たエリザベス・サンダース・ホームが思い浮かんだ。『ちびくろサンボ』のバターとホットケーキは美味しそうで大好きだったし、空気でふくらませるダッコちゃん人形がヒットしていた時代。今では差別語となった黒人への呼称も、普通に使われていた。

涙腺が刺激されたのは、かわいそうという気持ちと、不条理への憤りだったのだろうか。

同じ頃、泣くではなくワクワクしたのは、『宿題ひきうけ株式会社』(理論社)だ。著者の古田足日さんも、今年6月8日に86歳で亡くなられた。『おしいれのぼうけん』(童心社)のほうは昔に読んだ記憶がなく、子どもに読み聞かせるときに初めて出会った。

ちなみに、『ポールのあした』は、青少年読書感想文コンクール第11回(1965年)の課題図書になっていたので、小学校の図書室にあったのだろう。課題図書より何年か遅れて私も感想文を書き、区の文集か何かに掲載された。うれしかったけれど、ポールに申し訳ないような居心地の悪さも感じた。

同じ年の課題図書には、ケストナーの『サーカスの小びと』(高橋健二訳、岩波書店)も入っていたが、ご縁がなかった。

『ポールのあした』に涙した小学生は、その後、古典作品からはますます遠ざかり、『あしたのジョー』に夢中になる。

(構成・文 大橋由香子)

次回は小尾芙佐さんに聞く 5回表です。(次回の更新は7月22日です)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

ジェイン・エア(上)

  • C・ブロンテ/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体840円+税)
  • ISBN:75113-5
  • 発売日:2006.11.9
  • 電子書籍あり
高慢と偏見(上)

高慢と偏見(上)

  • オースティン/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:7752403
  • 発売日:2011.11.10
  • 電子書籍あり
幸福な王子/柘榴の家

幸福な王子/柘榴の家

  • ワイルド/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75347-4
  • 発売日:2017.1.11

《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年7月 5日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 4回表)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.1 小尾芙佐さんに聞く

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

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小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。

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4回表 結婚、出産。翻訳が追いかけてくる

今回は、翻訳の仕事が順調に進み始めたころに時計の針を戻してみる。

神谷芙佐は20代の後半になり、周囲が騒がしくなってきた。当時、女性はクリスマスケーキに喩えられ、25を過ぎると「売り物にならない」などと言われたものだった。見合い話がもちこまれたが、気の合うパートナーには出会えず、29歳になった。

三輪田学園で教員をしていた親戚のおばが、同僚の教師の従弟という人物を紹介してくれることになった。三輪田学園の前で待ち合わせたあと、若いふたりだけで私学会館(現アルカディア市ヶ谷)の喫茶室に行った。

その男性は、歩きながら「神谷さんには前に会ったことがある」と言った。え?どこで? と訝しく思う神谷に、「『S-Fマガジン』で、ですけど」と付け加えた。

相手は大学の教師、話が面白く、女性は結婚しても仕事を続けるべきという考えなので、結婚はすんなりと決まった。

神谷から小尾芙佐へ、一人息子の母と同居

神谷芙佐という訳者名を小尾に変えたいと申し出ると、編集部の福島正実にも小泉太郎にも「せっかく世に知られるようになった名前だから、もったいない」と反対されたが、新しい姓でスタートすることにした。

1962年7月に結婚。「S-Fマガジン」62年9月号のレイ・ブラッドベリ「われはロケット」の「神谷芙佐訳」を最後に、同12月号のウィリアム・テン「道化師レスター」からは「小尾芙佐訳」となる。

「一人息子の母親と同居するなんて苦労するわよ」と友だちにさんざん脅されたが、杞憂だった。

夫の母は、本所生まれの築地育ち、東京音楽学校で琴を学び、三味線も、歌舞伎の役者に稽古をつけるほどの腕前だった。結婚してからも琴の弟子をとっていたから、女性が仕事をすることについて異議はなかった。実家の母が「お裁縫もできない娘で」と嘆くと、義母が「芙佐さんには翻訳という仕事があるのだから、お裁縫は専門家にまかせればよろしいんですのよ」と嫁の肩をもつ。

新しい生活が始まると、リーディングと翻訳の多忙な日々がすぐ戻ってきた。これまでと違うところは、夫が訳稿に必ず目を通してくれることだった。

夫は経済学が専門だが、ゲーテに心酔し、『源氏物語』や漢詩を愛し、永井荷風の『断腸亭日乗』を座右の書としているような人だった。翻訳にもひとかたならぬ関心をもち、あるときは賞賛し、あるときは厳しい批判を浴びせた。

1963年12月、小尾芙佐は女児を出産。

「仕事はおかまいなしに追いかけてくるので、出産の半月前までやっていましたよ」

出産後3か月ほどたって仕事を再開したが、仕事をする時間帯は一変した。娘の眠っている午前3時ごろから朝7時ごろまでの間が、主な仕事時間になった。よちよち歩きをするようになると、昼間は夫の母が面倒をみてくれた。

乳飲み子を連れてアメリカへ

娘が生後4か月のときに、小尾は初めて海外へ出かけた。というのは、妊娠中に夫がアメリカのハーバード大学に留学しており、娘が生まれると、すぐ来るようにと矢の催促だった。

実家の母は、「乳飲み子を抱えて行くなんて、とんでもない」と大反対だったが、夫の母は、「あなたは翻訳の仕事をしているのだから、この機会にアメリカの土を踏んでいらっしゃい」と背中を押してくれたのだ。

渡米に際し、「S-Fマガジン」の福島編集長から、アシモフに会ってインタビューすること、ニューヨーク万国博覧会の見聞記を書くこと、という大任を命じられる。

1964年4月、日本人の渡航はまだ自由化されておらず、1ドルが360円の時代、小尾は羽田空港から乳飲み子を抱いて、ボストンへと飛び立った。

1964年7月、アシモフに会うため、ボストン大学の彼の研究室に赴いた。夫の母の強い勧めで、着物姿だった。その会見記「ミスターSFとの一時間 ボストンにアシモフを訪れる」から少し紹介しよう。

白衣を着た学生や秘書たちがたむろする中から、写真で見おぼえのある顔がさっと立ちあがり、「やあ、アシモフです」と言った。褐色の髪、青い瞳、五尺六、七寸はあろうか、がっしりした体驅を紺色の背広で包んでいる。......

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アイザック・アシモフと小尾芙佐さん
「S-Fマガジン」2014年7月号創刊700号にも再掲載された1964年10月号では「ボストン大学内の研究室で歓談するアシモフと筆者」というキャプションがついていた。写真提供:小尾芙佐

小さなテーブルを前に腰をすえたアシモフは、「眼鏡をとった方が話がしやすいんですよ」と、太い黒縁の眼鏡をはずした。......

「日本では、私の名前はどう呼ばれていますか?」と、アシモフが低いはりのある声で訊いた。アシモフですと答えると、ふうんと子供っぽい笑みを浮かべながら、「ここでは アジモフ﹅﹅﹅﹅と呼んでいます」と、言った。
(「S-Fマガジン」1964年10月号)

3歳まで住んでいたソ連とアメリカのSF作品の違い、自作で好きなのは、長篇なら『はだかの太陽』、短篇では「停滞空間」(ちょうど「S-Fマガジン」のその年の5月号に掲載)で、SFは社会批判の手段であることなど、小尾はアシモフの肉声を届けている。 「S-Fマガジン」を手渡すと「いつもながら美しい本ですね。お粗末なアメリカの雑誌とは比べものになりません」と感心し、小尾に「戦争中あなたはいくつでしたか? 戦争のことをおぼえていますか? 我々の国が原子爆弾を使用したことに、私は深い罪をおぼえます」とも語った。

インタビューのあとは、アシモフが運転する車でレストランに行って食事をし、『われはロボット』の初版本をもらって、アパートまで送ってもらった。

「EQMM」に子連れ旅行記を連載

渡米後、小尾が福島宛に出した何通かの手紙を読んだ「EQMM」の当時の編集長・常盤新平が、アメリカ滞在記を書くように言ってきた。「 女流ママ翻訳家世界を行く」という表題で、「EQMM」64年12月号から3回連載された。親子3人のボストン暮らしの様子が窺える。

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「EQMM」1965年1月号より
タイトル左横の写真には「スーパーマーケットの一隅に並んだベビイフッドを見つめる筆者」とある。本文では、スーパーマーケットに行くと、マーガレット・ミラーのThe Fiend に出てくる「週末の買物客のように意気ごんでカートを押した」という言葉が生き生きと感じられる、と記している。

ハーバード大学のキャンパスが望める古色蒼然としたアパート、その管理人のおじさんの話、日本にまだなかったスーパーマーケットで売っているベビーフード事情、レストランやホテルで欠かせない煩雑なチップの悩み、それまで冷淡だった街の人たちが、赤ん坊連れになったとたん、愛想がよくなったという夫の驚き、生後5か月の娘が突然発熱したときの、医者を相手の一騒動、ニューヨークのホテルで、娘をベビーシッターに預け、「ウエストサイド・ストーリー」を観たときのスリリングな体験などが綴られている。

オートスクールに通って自動車免許をとったときの苦労話もある。

アメリカ人が"ウーマン・ドライバー"と言うとき一種独特のひびきがある。彼らは、嘲笑と憐憫と諦観をまじえて吐きだすのである。ロージャーという教師もそうだった。乱暴な車がいれば、まず「おお、ウーマン・ドライバー!」である。そしてたしかに十中八九、それは女性の車だった。すると彼はしたり顔で私を見る。そして、「女なんて乳母車でも押してりゃいいんだ」と言う。私もそれにはまったく賛成だった。
(「EQMM」1964年12月号)

ちなみに、「まったく賛成」と小尾が言ったのは、彼女自身はスピード恐怖症で運転などまっぴら、乳母車を押しているほうがよかったからだ。運転免許を持っているのに、運動神経が鈍いからと、一度も運転しない夫に そそのかされたにすぎない。

以後35年、夫を助手席に乗せて、恐怖の高速道路や石ころだらけの山道を走ることになる。(5回表につづく)

次回は4回裏・関連コラムです。(更新日:7月5日)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

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高慢と偏見(上)

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《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年6月20日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 3回裏)

vol.1 小尾芙佐さんに聞く 3回裏あのころ、あの本、あんなこと

裏の回では、3回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。

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雑誌は続くよ、どこまでも

連載3回表で明らかになったように、神谷(小尾)芙佐さんが翻訳者としてデビューしたのは、早川書房の「S-Fマガジン」そして「ミステリマガジン」(「EQMM」)だった。

今回のインタビューにあたって、筆者は小尾さんの1960年デビュー当時の翻訳作品やエッセイを現物の雑誌で読むべく、ネットを調べ、各種図書館へ行き、小尾さんの蔵書からも何冊か発掘していただいた。活版組の、今では驚きの小さな文字、レトロでオシャレな装丁は、むしろ新鮮かも。投稿欄には読者の住所も載っていて、ああ、昔はそうだったんだ、と思う。そして、古い雑誌から立ちのぼってくる独特の臭い。

すると、なんというタイミングでしょう、「ミステリマガジン」も「S-Fマガジン」も創刊700号を迎え、記念アンソロジーの文庫が刊行されたではないですか。

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「S-Fマガジン」創刊700号と記念アンソロジー、
「ミステリマガジン」記念アンソロジー

さらに「S-Fマガジン」2014年7月号は700号記念特大号! 580ページの分厚い雑誌のなかに、当時のページ・レイアウトがそのまま再現されたアーカイブが登場。創刊号の巻頭言に始まり、座談会や書評、イベント報告記事、作家の追悼記事などの再掲記事は、まさに時代の証言者だ。(紙面の背後にある熱エネルギーを理解するには、福島正実著『未踏の時代』も参照のこと。)

「ハヤカワSF文庫 いよいよ発刊」という1ページ広告「予価200円」という値段も微笑ましい。再現ページの合い間には、初代編集長・福島正実の講演録(73年第1回SFショー)、第2代編集長・森優、第6代編集長・今岡清へのロング・インタヴュウがはさまれている。

小尾芙佐「ミスター・SFとの一時間 ボストンにアシモフを訪ねる」(1964年10月号)も再掲されている。どういう経緯で小尾さんがアメリカへ渡ることになったのかは、次回の4回表をお楽しみに。

「S-Fマガジン」2014年7月号 創刊700号記念特大号

2014年5月24日発行 早川書房

『ミステリマガジン700【海外篇】創刊700号記念アンソロジー』杉江松恋編

ルース・レンデル「子守り」小尾芙佐訳(93年8月号)など16作品を掲載。
2014年4月25日発行 ハヤカワ・ミステリ文庫

『S-Fマガジン700【海外篇】創刊700号記念アンソロジー』 山岸 真編

アーシュラ・K・ル・グィン「孤独」小尾芙佐訳(96年4月号)など12作品を掲載。
2014年5月25日発行 ハヤカワ文庫SF

『未踏の時代 日本SFを築いた男の回想録』福島正実著

早川書房


中原淳一展
『生誕100周年記念 中原淳一展 暮らしを愉しく、美しく』

神谷(小尾)芙佐さんが最初に就職したのは、銀座にあったひまわり社。社員たちは、原稿やデザインを編集長・中原淳一の自宅へ持って行き、チェックを受けたという。その中原淳一の生誕100年を記念して、昨年2月から全国をまわってきた展覧会が、現在、茨城県近代美術館で開催中。

【企画展】『生誕100周年記念 中原淳一展 暮らしを愉しく、美しく』7月18日(金)まで
茨城県近代美術館
ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと

子どものころ、池上線に乗っていると、毛糸の帽子をかぶり、鳩が豆鉄砲をくらったような表情のおじさんに遭遇した。なぜか、とても気になる。つい視線が、彼のほうにいってしまう。

やがて、「あの人はコミさんといって、ああ見えてもちゃんとした小説家なのよ」と母が教えてくれた。テレビの「11PM」に出演しているのを見ては、「あ、コミさんだ」とファンのように喜び、小説やエッセイを読むようになった。

歌手のバーブ佐竹に惹かれ、野坂昭如にハマった私にとって、コミさんこと田中小実昌も、魅惑的なオジサンなのだった。こうして私の場合、まずはコミさんと野坂さんの日本語文章から読み始めた。彼らが敗戦後から翻訳を生業にしていたことを認識したのは、少し時間がたってからだった。

「翻訳の世界」という雑誌で働いていたとき、翻訳にまつわる思い出を書いてもらえないか、思い切って依頼してみた。コミさんは快諾してくれた。でも、締め切りにはハラハラさせられた記憶がある。(原稿頂戴するまでのスリリングさは野坂さんのほうが激しかった)

中村能三よしみさん(ノーゾーさん、と呼んでいた)の家に出入りしていた日々、そこで翻訳の仕事を回してもらうようになったこと、そしてノーゾーさんとの別れを、コミさん独特の文体で綴ってくれた。

その後、新橋にある映画の試写会場のひんやりした地下道で、偶然、コミさんにお会いした。原稿のお礼を申し上げたときの、ビックリしたような、あの丸い目、照れたような表情でピョコンと頭を下げる姿は、昔、池上線で見たときの雰囲気のまま。単発コラムの一度きりの原稿依頼とゲラのやりとりだったけれど、うれしい思い出だ。

コミさんのアメリカでの訃報に接したのは、それから間もなくのことだった。

・『ミステリマガジン創刊700号記念アンソロジー』では翻訳者としての作品ではなく、【国内篇】に田中小実昌「幻の女」が収録されている。

・なお、田中小実昌が翻訳したジェームズ・K・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』(講談社文庫)が、池田真紀子の新訳で『郵便配達は二度ベルを鳴らす』として光文社古典新訳文庫、7月に刊行予定。

(構成・文 大橋由香子)

次回は小尾芙佐さんに聞く 4回表です。(更新日:6月20日)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

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  • 定価(本体840円+税)
  • ISBN:75113-5
  • 発売日:2006.11.9
  • 電子書籍あり
高慢と偏見(上)

高慢と偏見(上)

  • オースティン/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:7752403
  • 発売日:2011.11.10
  • 電子書籍あり
幸福な王子/柘榴の家

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  • ISBN:75347-4
  • 発売日:2017.1.11

《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年6月 5日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 3回表)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.1 小尾芙佐さんに聞く

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

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小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。

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3回表 原稿とりの編集者から、翻訳者へ

神谷(小尾)芙佐は、ひまわり社に採用され、「それいゆ」編集部に配属となった。

入社試験に遅刻した神谷に、扉を閉めずに大声で呼びかけた女性がいなかったら、ひまわり社に入ることもなく、その後の人生も変わっていたかもしれない。救いの神である彼女は「ジュニアそれいゆ」の編集者だった。

神谷の最初の仕事は、中原淳一がデザインしたドレスを着るモデルの手配。そして、グラビアの写真撮影助手だった。芳村真理、大内順子、朝丘雪路、雪村いづみ、菅原文太、小林旭、宍戸錠などが、モデルとして「それいゆ」誌面を賑わせていた時代だ。

やがて、グラビアページのネーム(説明文)を書かされるようになる。書き上げた原稿は、必ず千川にある中原淳一の自宅に持参して、厳しいチェックを受ける。オーケーが出るかどうか、緊張して待っていた。

ひまわり社の刺激的な日々

この「それいゆ」の誌上で、早川書房の福島正実の名に出会うことになる。当時、キャザリン・ギャスキン著「サラ・ディン」という翻訳小説が連載されていた。その訳者が福島正実。神谷は担当になり、原稿をもらうために初めて早川書房を訪れることになった。愛する「EQMM」や、ポケミスの愛称で知られるハヤカワ・ポケット・ミステリを出している憧れの出版社だ。

当時の早川書房は神田駅の近くにあった。2階への狭い木の階段をとんとんのぼっていくと、ミステリの編集部があり、田村隆一や都筑道夫など、そうそうたるメンバーが顔をそろえていたはずである。一月おきに原稿をもらいに行くのが、神谷の最大の楽しみだったことは言うまでもない。

「ひまわり社の仕事は激務でした。締め切り間近になると朝帰りがつづきました。でも、会社は銀座八丁目のビルにあって、近くには若い丸山明宏 (美輪明宏)が歌っていた『銀巴里』もあって、刺激的な毎日でしたね」

ようやく新築された自宅から、銀座まで毎日通った。だが、激務がたたり、とうとう身体をこわして、1958年末に、ひまわり社を退社することになった。

「それいゆ」1957年2月号 「それいゆ」1957年8月号
「それいゆ」1957年2月号(左)1957年8月号/提供:株式会社ひまわりや

「翻訳」という仕事に真剣に向き合おうと決意し、早川書房の福島正実を訪ねたのは、1959年の半ばごろだった。

福島からミステリの短篇が渡され、訳してくるようにと言われた。その試訳がパスして、いよいよ翻訳の道に踏みた出すことになる。26歳のときだ。

「仕事を始めるにあたって、"あなたはミステリの翻訳をやりたいということだが、ぼくは 『S-Fマガジン』の創刊を間近に控えて奮闘している。ゆくゆくはそちらのほうも手伝ってもらいますよ"、と福島さんに念を押されました」

その場で、「これをお読みなさい」と渡されたのが、フィリップ・K・ディックの 『宇宙の眼』Eye in the Sky だった(原著1957年、『宇宙の眼』中田耕治訳 1959、のちに『虚空の眼』大瀧啓裕訳 サンリオSF文庫1986→創元SF文庫1991)

これを読んで驚愕し、「こんな凄い小説があるんですね」と福島に報告している。それまでの神谷にはまったく無縁だったSFだが、理解する感性があったようだ。

ねじり鉢巻きで翻訳に追われる日々

数人の先輩方の下訳から始めて、やがて「EQMM」と「S-Fマガジン」の両誌で翻訳をするようになる。創刊から4号目の「S-Fマガジン」1960年5月号にキャロル・エムシュウィラーの「狩人」が、「EQMM」1960年6月号 (No.48 )にジャック・フィニイの「未亡人ポーチ」が載った。
「"いいでしょう、活字になる気分って"と福島さんに言われたことを、はっきり覚えています」
「神谷芙佐訳」という文字がまぶしかった。

それからは、文字通り、ねじり鉢巻きの日々になった。夏は冷房がないので、水に浸したタオルを頭に巻いて、翻訳に追いかけられることになる。

「S-Fマガジン」に掲載する作品を選ぶ手伝いもすることになり、翻訳のかたわら、リーディングにも追いかけられた。興味をひいた作品のあらすじを話すために、連日のように編集部に足を運んでいた。

このころになると、早川書房は現在の地に新しい社屋が建っていた。2階の広い部屋には、各編集部の机がコの字型に並び、仕切りもなく、まんなかにひろびろとした空間があいていた。

SFの編集部の向かいは「EQMM」の編集部。神谷はチラチラとそちらに視線をやりながら、ミステリの注文がこないかなあと、ひそかに念じていた。

当時、SFの翻訳者は不足していた。日本にSFを根づかせた福島正実は、「S-Fマガジン」創刊当時の翻訳事情について、こう記している。

「一応の企画をまとめ、実際に原稿依頼に動きはじめたのは、たぶん(引用者注:1959年)五、六月頃からだったろう。......夏の暑いさなかを、二人(引用者注:期限付きで手伝ってもらった雑誌編集経験のある翻訳家・三田村裕と福島正実)は足まめによく歩いた。/翻訳者の不足に頭を悩ましたことも、この頃の重要な思い出の一つである。......早川書房は、かなりの数の翻訳家を擁していた。しかし、そのほとんどはミステリーが専門でSFについては殆ど知識も関心も欠いていた。彼らはむしろ、SFを依頼されることを恐れさえした。....../ぼくとしては、何とか、目ぼしい翻訳家たちを、SF好きにするしかなかった。....../大久保康雄、宇野利泰、井上一夫、中田耕治、田中融二、高橋泰邦、小笠原豊樹、稲葉明雄、峯岸久、田中小実昌、小尾芙佐、それに同僚だった小泉太郎(生島治郎)や常盤新平......村上哲夫、大門一男、ロシア文学者袋一平さんら──みんな、その頃ぼくから、SFがいかに翻訳家の仕事として価値あるかの長広舌を聞かされて、うんざりした経験をお持ちのはずである。」
(『未踏の時代 日本SFを築いた男の回想録』福島正実著、早川書房 1977→2009より)

同じ号に複数の作品を訳すこともあり、同じ名前ではまずいということで、ペンネームを考えたりした。

1961年12月号「S-Fマガジン」に次の3作品が掲載されている。

ウィリアム・テン「ブルックリン計画」神谷芙佐訳
H・B・ヒッキイ「抱擁」城戸尚子訳
ハリイ・ウォルトン「スケジュール」谷三郎訳

翻訳者は同一人物、神谷芙佐である。

ミステリヘの愛着を断ち切れぬ神谷に、ミステリの長篇も少しずつ与えられ、『レアンガの英雄』(アンドリュウ・ガーヴ、1961)、『死の目撃』(ヘレン・ニールスン、1961)、『ささやく街』(ジャドスン・フィリップス、1963)などを手がけた。

SFに関しても、アイザック・アシモフのロボットシリーズやウィリアム・テンなど、自分好みの作品や作家も現れ、やがてフィリップ・K・ディックの『火星のタイム・スリップ』(1966)、アーシュラ・K・ル=グインの『闇の左手』(1972)、アン・マキャフリイの「パーンの竜騎士」シリーズなどにもめぐりあえて、仕事が楽しくなっていた。

感動から十数年後に訳した『アルジャーノンに花束を』

1961年2月号(創刊1周年特大号)に掲載されたダニエル・キイスの中篇「アルジャーノンに花束を」(稲葉由紀訳)を読んだときは感動した。

「読んだ翌日に編集部にすっとんでいって、"SFにもこんなに素晴らしいものがあるんですね"と福島さんに詰め寄っていました。ミステリに気持ちが向いていたとはいえ、ずいぶん失礼なことを言ったものですね。それでも福島さんは、"そう、あるんですよ"と、それはうれしそうな顔をなさいましたね」

それから十数年たったある日のこと、編集部を訪れると、福島が1冊の本をとりだし、「これ、訳してみませんか」とさしだした。見ると1966年刊行の長篇の『アルジャーノンに花束を』だった。

ぜひ、やらせてください、と神谷は答えた。1978年に翻訳出版した『アルジャーノンに花束を』は、現在も版を重ねるロングセラーになった。

翻訳についての勉強はどのようにしたのだろうか。即、実践だったので、勉強する いとまはなかったと神谷は振り返る。翻訳学校など存在しない時代だ。

でき上がった翻訳について、ここはこうしたら、というようなアドバイスをもらった記憶はない。

「ただただ、ひたすら訳すだけの毎日でしたね」

活字になった自分の作品をじっくり読みなおす時間もなかった。手元にはいつも、すぐに訳さなければいけない本が2、3冊積まれていた。

原文を読み、作品の心を読み解き、日本語におきかえる作業のくりかえし。福島編集長は神谷に、何度かこんなことを言っている。

「あなたの仕上げた原稿は、こちらの予想している枚数より少ない。いつも短めなんだ。ほかの訳者はそんなことはないのに、なぜだろう」

なぜだか本人にもわからなかったそうだが、これは、神谷の翻訳の特徴を言い得ていたかもしれない。(4回表につづく)

次回は3回裏・関連コラムです。(更新日:6月5日)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

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《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年5月20日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 2回裏)

vol.1 小尾芙佐さんに聞く 2回裏あのころ、あの本、あんなこと

裏の回では、2回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。

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戦後最初のベストセラー

敗戦から1か月、1945年9月15日に刊行された、36ページ、80銭の『日米會話手帳』はたちまちベストセラーになり、3か月間で350万部前後を売ったという。企画した誠文堂新光社の小川菊松は、自社刊行の『出版興亡五十年』(1953)でこう述懐する。(以下、引用は『「日米会話手帳」はなぜ売れたか』(朝日新聞社 編、朝日新聞社 1995年より)

『「日米会話手帳」はなぜ売れたか』
『「日米会話手帳」はなぜ売れたか』
(朝日文庫/朝日新聞社 1995)

「十五日、私は丁度所用があって房州に出張していて、ラジオから流れ出るあの天皇陛下のお言葉を聞いたのは岩井駅であった。これを聞く多数の人々とともに溢れる涙を禁ずることはできなかったが、帰京の汽車の中で考えついたのは「日英会話」に関する出版の企画だった。関東大震災の直後ヒットした、「大震大火の東京」当時のことを思い出し、いろいろと方策を練りながら帰って来た」

英米人と接する機会が増え、会話の入門書が必要になることを予測した小松氏のカンは鋭いが、それだけでは敗戦直後の出版は現実化できない。評論家の武田徹は、本書のなかでこう指摘する。

「科学雑誌を主に刊行していた誠文堂新光社は軍事技術賛美の編集方針ゆえに戦時中も紙の配給を多く受けており、それが物資の枯渇を極めた終戦後にも使えたのだ」

『「日米会話手帳」はなぜ売れたか』
『日米會話手帳』の本文。『「日米会話手帳」はなぜ売れたか』朝日文庫より。日本語(左)、英語(右)の対訳。英語日常会話のカタカナ表記が、What's the matter? に「ウァッ ツァ マタ」のように、なかなか秀逸である。

小川菊松が企画を命じたという「科学画報」編集部の加藤美生は、少し違うエピソードを披露する。8月20日ごろ、原稿依頼に出かけた立川駅で、黒人の米兵たちが英語を話しているのを見て企画がひらめき、社に帰ってから自分が小川社長に英会話の本をやらないかと提案したという。とはいえ、「小川さんはとにかくカンの良い人だから、彼も彼なりに英会話本を考えていたことに間違いはないだろうと思います」という証言を、加藤美生に会った武田徹は記している。

編集にあたっては、日本がアジア諸国を植民地化するなかで出版された、日中会話や日タイ会話など、古本屋に打ち捨てられるように置かれていたのを買い込んだそうだ。戦争に敗れ、自分たちがアメリカに占領支配されるとき、大東亜共栄圏時代の会話本が参考にされたことにも、歴史の皮肉を感じる。

『完本 ベストセラーの戦後史』
井上ひさし著
(文藝春秋 2014年)

1995年刊の上下巻を合本・改題して「文春文藝ライブラリー」として刊行された井上ひさし著『完本 ベストセラーの戦後史』でも、巻頭を飾るのは『日米会話手帳』だ。

戦後の英会話ブームについて井上ひさしは、「米兵を眼のあたりに見ることで日本人は回心したのである。回心ということばの意味はさまざまで、「おそれ」も入れば「あこがれ」も入る。「甘えたい」という気持も混っていれば、「手本にしよう」という決心も混る」と分析している。

そして、関東大震災につづいて時流に乗ったヒット本を企画した小川菊松が、二年半後、戦時中の出版活動をとがめられて公職追放になったという事実を記している。

ちなみに、本書の2項目めで井上ひさしが取り上げているのは、翌1946(昭和21)年のベストセラー、ヴァン・デ・ヴェルデ著『完全なる結婚』。柴豪雄訳(大洋社)と神谷茂数・原一平訳(ふもと社:抄訳)が、半月違いで刊行されたという。

神谷(小尾)さんが学んだ津田塾大学

津田塾大学を卒業した翻訳者には、中村妙子、映画字幕の戸田奈津子がいる。神谷(小尾)芙佐も講義を受けた津田塾教授の近藤いね子は、戦前に林芙美子や夏目漱石の小説を英語に翻訳している。

また、この連載の2回表で神谷が同じ寮にいたと言っている上級生の大庭みな子に関して、『津田梅子の娘たち』ではこう記述されている。

「(大庭の)入学は一九四九(昭和二四)年、まだ物資が乏しいころで、東寮で四年間を過ごした。寮生活は高等女学校時代に経験していたが、田舎の女学校の寄宿舎生活はなにかと制約が多く、ものも言えないような感じだった。そこから津田塾に入ったときの解放感はこの上なく大きく、非常に幸せだったという」(文・川本静子)

このほか、教育、政治、経済などさまざまな分野で活躍する40人が掲載されている。


● 津田塾大学デジタルアーカイブ

img_tsudacollege_da01.jpg神谷(小尾)芙佐さんが学生時代を過ごした校舎や寮の様子、創立者・津田梅子と周辺の人々の写真を見ることができる。

津田塾大学デジタルアーカイブ

ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと
東北人は英語の発音がいい?

小学校の給食に脱脂粉乳が出た私でも、さすがに敗戦直後の英会話ブームは知らない。だが、父親は当時の波に乗ったのか、英会話ができる人だった。

戦後、焼け野原の東京に福島から出てきた両親は、「標準語」を話そうと努力したようだが、ふたりとも同郷なので、なかなか訛りが抜けない。私の子ども時代である1960--70年代も、東北弁の訛りは劣等感を伴う恥ずべきものだった。

近所にも親が福島出身の子がいて、漢字の読み仮名をふるテストで「上野」に「ういの」と書いて、×をつけられたと嘆いていた。東北本線で上野駅に着いたときのアナウンスは「ういの〜 ういの〜」と聞こえるのに。

「い」と「え」の区別ができないというか、ほぼ逆。「だから福島県人は英語の発音がいい」というのが父の持論だった。曖昧母音の発音がネイティブ並みだというのだ。そんな家庭だったので、私もずっと「こうないいん」だと思っていた。口内「炎」だと気づいたのは中学生か高校生になってからのこと。

小学校にも福島か山形出身の先生がいて、「い」と「え」のところで緊張して発音しているのが子どもにもわかり、なんとなく痛々しかった。

関西から福島に移り住んだ知人が「そうそう、"エロいんびつ"っていうから、最初はわからなかった」と懐かしそうに話していた。色鉛筆のことだ。

(構成・文 大橋由香子)

次回は小尾芙佐さんに聞く 3回表です。(更新日:5月20日)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

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《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年5月 7日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 2回表)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.1 小尾芙佐さんに聞く

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

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小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。

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2回表 本屋、映画館、劇場に通った学生時代

戦争中、英語は「敵性語」として排斥されたが、戦後は英会話ブームがわきおこった。進駐軍の兵士の会話を耳にした編集者が企画し、敗戦後1か月でスピード発行した『日米會話手帳』(誠文堂新光社の子会社・科學教材社が発行元)は約350万部も売れるベストセラーになった。

こうした空気は、長野県・伊那の山奥にも伝わってくる。布教にやってきたモルモン教の宣教師が開いた英会話教室に、高校生の神谷(小尾)芙佐も通った。

町にふたつある映画館では、輸入された外国映画がほとんどすべて上映され、神谷は通いつめる。ローレンス・オリヴィエ演ずる『ハムレット』に号泣し、戦後日本では最初の天然色というソ連映画『石の花』に感動した。

休日には、祖父の農作業を手伝った。

「いざとなれば、原始的な米作りもできますよ」と自慢する。

山あいの棚田の畦で、芹や蕗のとうを摘み、畑から掘り起こしたばかりのじゃがいもの泥を、湧き水で洗いおとし、焚き火にかけた鉄鍋で如でて食べる......いまにして思えば、豊かな暮らしだと言えるかもしれない。

寮生活は新天地、でも英語で自信喪失

高校3年生になると、ほとんど授業には出席せず、もっぱら家で受験のための勉強をした。受験生はそうすることが許されていた。英語が得意だったわけでもなく、英文科よりむしろ国文科を志していたはずだが、津田塾を卒業した父方のおばが身近にいたせいか、なんとなく津田塾大学にあこがれて受験することになる。

大学受験のため、1950(昭和25)年の夏休みには、東京の父の仮住まいにやってきて、千駄ヶ谷の津田英語会が主催する夏期講習に通った。講習のあとは、必ず四谷の国会図書館に寄って、何時間も勉強した。

当時の国会図書館は、かつての東宮御所であった赤坂離宮 (現在の迎賓館)を使っていた。神谷は毎日のように大理石の階段をあがり、赤絨毯を踏んで、豪華なシャンデリアの下の閲覧室に入った。開架式の書棚にかこまれ、なつかしい古書の匂いに落ち着きをおぼえながら、ひたすら勉強した。

当時、迎賓館が国会図書館として使われていた
当時、迎賓館が国会図書館として使われていた(1948年)

こうして津田塾大学英文学科に無事合格し、大学の寮に入ることになる。寮には長野県出身の同級生が十数人いて、そのなかの3人と同室になった。冬でも暖房がなく、部屋に火鉢がひとつだけ。食料も不足がちの寮生活だったが、神谷にとって、ここは新天地だった。

同じ寮の上級生には、のちに作家になった大庭みな子がいた。学生運動に熱心なひとたちもいた。

当時の塾長は、津田梅子の後を継いだ星野あい先生。新入生は数人ずつ、敷地内にある星野塾長のお宅にお茶に呼ばれて、親しくお話を聞いた。

こうして塾の雰囲気にも溶けこんでいく。

ところが、授業が始まると、神谷はたちまち自信喪失に陥る。英会話や英作文などの実用的な英語の能力は、東京在住の友人たちと格段の差があったのだ。教室で唯一、先生に褒められたのは、日本語の作文の時間だけだった。

とはいえ、文章を書くことは好きだが創作の才能はないと感じるようになる。自分の特性を生かす道は翻訳だと思い、土居光知教授の「翻訳論」の講義をとってみた。

「夏休みには、教科書に使われていたジョン・ゴールズワージーの 『フォーサイト・サガ』の一部を翻訳してみようかという気になって、十数ページを翻訳してみたんです。けれど、歯が立ちませんでしたね」

英文講読の教科書に使われたのは、ジェイン・オースティンのPride and Prejudiceとジョージ・エリオットのThe Mill on the Floss。当時の神谷には構文が難しく、辞書と首っ引きで読むだけでも苦労し、小説の醍醐味をあじわうまでにはいたらなかった。

大学時代は、英文学よりフランス文学に惹かれた。週末になると、新宿の紀伊國屋書店に行って、フロ―べール、モーパッサン、スタンダールなどを買いこんだ。ロマン・ローランの 『ジャン・クリストフ』、マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』、アルベール・カミュの『異邦人』など 、読みたい本はいっぱいあった。

本屋の帰りには、近くの帝都座に寄り、隣の名画座では3本立ての洋画を観た。

「当時輸入されたイギリス、アメリカ、フランスなどの映画は、1本たりとも見逃してはいませんよ」

大学では演劇部に入り、戯曲の面白さに目覚める 。チェーホフ、イプセン、モリエール、ジロドゥ、アヌイなどを読みまくった。シェイクスピアは坪内逍遥訳の全集を読んだ。ユージン・オニールの『楡の木陰の欲望』には強烈な印象を受けた。

文学座、劇団俳優座、劇団民藝などが全盛の時代、文学座の友の会に入り、アトリエ公演まで欠かさず観た。杉村春子の『女の一生』、東山千栄子の『桜の園』、芥川比呂志の『どん底』、滝沢修の『セールスマンの死』など名優たちの舞台に接し、戯曲の翻訳をやってみたいと思ったこともある。

神谷にとっては、街に出て本や映画、芝居に親しむことが何よりの「学び」だったようだ。これらの費用を捻出するために、英語の家庭教師のバイトにも励んだ。

紀伊國屋書店前川國男設計による木造2階建て店舗 紀伊國屋書店前川國男設計による木造2階建て店舗
紀伊國屋書店 前川國男設計による木造2階建て店舗を新築(1947年)/紀伊國屋書店所蔵
就職せず谷崎と三島に耽溺、三行広告に応募

やがて、卒業後の進路を考える年がやってくる。敗戦から10年、英語の堪能な津田塾の学生は、日本航空などのスチュワーデスや商社勤務を志望する者が主流だった。英文速記の専門学校に通って、就職に備える学友もいた。教職希望者も多かった。

神谷はそうした仕事には興味が持てず、本に関係する仕事をしたいと思っていたものの、大学には出版関係の求人票は来ない。一度、学術関係団体の就職試験を受けてみたが、タイプの実技があり、これは無理だ、と途中で帰ってきた。

1956年春、津田塾大学を卒業すると、就職はせず、父親が経営する日本橋の税理士事務所の手伝いに通うようになる。焦りは感じなかったのだろうか。

「ありませんでしたよ。だって自由に本は読めるし、映画や芝居も思いきり観られるし」と笑う。

結局、学友たちとは違う道を歩むことになる。

このころは、谷崎潤一郎と三島由紀夫に明け暮れた。全集を買い込んで、なめるように読んだ。谷崎の耽美的な世界、三島の華麗な文章に惹かれた。おいしい駅弁を食べるためだけに大阪まで汽車で往復したという、食いしん坊の父の血をひいたのか、食に執着する神谷は、谷崎の『美食俱楽部』に目をみはった。

この年の6月、阿佐ヶ谷の書店で「EQMM(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)」の創刊号を発見する。

「日本でも、こんな洒落たミステリ雑誌が出たのかと、ほんとうにうれしくて、しばらく店頭にたたずんで、ずっと見入ってしまいました」

創刊以来、愛読しつづけている「EQMM」の誌上に、自分の翻訳が載るとは、 そのときは夢にも思わなかった。

卒業から1年ほどたったある日、「朝日新聞」の三行広告欄に、ひまわり社の編集部員募集の広告を見つける。ひまわり社は、画家でありファッション・デザイナーでもあった中原淳一が主宰する出版社で、少女雑誌「ひまわり」「それいゆ」「ジュニアそれいゆ」などを刊行していた。

募集人員3名のところに、千人ほどの応募者が押し寄せたという。神谷もそのなかのひとりだった。

入社試験の日、遅刻しそうになって、駅から会場の共立講堂まで必死に走った。"もうだめだ"とあきらめたとき、試験場の扉を閉めかけていた女性が、"早く、早くー"と大声で呼びかけた。そのおかげで、間一髪、試験場に飛び込むことができた。

試験は、クレペリン・テストという知能テストのみ。これで人数をしぼり、通過したひとたちが中原淳一たちの面接を受けた。

「"いま読んでいる本は?"と聞かれて、"谷崎潤一郎の『鍵』です。"と答えて、ちょっとしまったかなと思いました」(3回表につづく)

次回は2回裏・関連コラムです。(更新日:5月7日)

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《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年4月20日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 1回裏)

vol.1 小尾芙佐さんに聞く 1回裏あのころ、あの本、あんなこと

裏の回では、1回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。

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雑誌「新青年」について

小尾芙佐さんのお父さんが愛読していて、あちこちに山積みになっていた「新青年」は、博文館から1920(大正9)年1月に創刊された雑誌だ。

「当初は題号が示す通り、新しい時代の雄飛を促す総合雑誌であったが、初代編集長の森下雨村が呼び物として推理小説に白羽の矢を立て、創刊時から翻訳推理小説を載せるとともに創作の短編推理小説を募った。」* 1921年には翻訳ものを集めた増大号も刊行し、作家や翻訳者(当時は両方を兼ねる人が多かった)の活躍の場となった。
*長谷部史親「昭和翻訳者列伝」(「翻訳の世界」1989年1月号 特集 証言!昭和の翻訳)より

「新青年」春期増刊号(1940年)[提供]ミステリー文学資料館
「新青年」春期増刊号(1940年)
協力・ミステリー文学資料館

1923年には江戸川乱歩が「二銭銅貨」でデビューを飾ったのも「新青年」、1927(昭和2)年には横溝正史が2代目編集長になり、探偵・推理小説ばかりではなく、ファッション、映画、海外ニュースなどモダンな紙面づくりが好評を博した。3代目の延原謙、4代目の水谷準、5代目・乾信一郎と、翻訳も執筆もする人物が、編集長を担った。しかし、第二次世界大戦となり英語が「敵性語」とされるなかで、英米圏の作品は掲載されなくなり、翻訳ものが名物だった増刊号も1940年春号で終りとなった。

「新青年 復刻版」は中島河太郎監修、国書刊行会、全8巻(1985)が出ているが、 翻訳ものだけ集めた傑作選としては『新青年傑作選 第4巻 (翻訳編) 』(中島河太郎 編、立風書房、1991)がある。

なお、翻訳もの以外の傑作選は色々あるが、ミステリー文学資料館編としては 『悪魔黙示録「新青年」一九三八  探偵小説暗黒の時代へ』(光文社文庫)、『江戸川乱歩と13人の新青年〈文学派〉編/〈論理派〉編』(光文社文庫)『「新青年」傑作選 』(光文社文庫)がある。

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  • img_ssenz_400.jpg「新青年」創刊号(1920年)
  • img_ssen7_400.jpg「新青年」7月号(1924年)
  • img_ssensz_content_800.jpg「新青年」春期増刊号(1940年)目次
  • img_ssen7_content_800.jpg「新青年」7月号(1924年)目次

● 翻訳事情を知るために......
乾信一郎著『「新青年」の頃』(早川書房 1991)

乾信一郎著『「新青年」の頃』(早川書房 1991)著者である乾信一郎(1906-2000)は小説家・翻訳家で、「新青年」第5代編集長だった。学生時代にダメもとで「新青年」に翻訳を投稿したところ、横溝正史編集長に採用され、それが縁で「新青年」編集部員になる。右も左もわからないなか仕事を覚えていく様子がユーモアを交えながら回想される。翻訳では(でも)食べていけない厳しい時代であり、版権おかまいなし、原文大幅省略(抄訳)ありの、ゆるくて自由な1900年代初頭の雰囲気が伝わってくる。

「よそでやっていることは、やらないというのが『新青年』のおきて」であり、「古き、よき時代であった。戦争がなければ」と振り返る。

長谷部史親『欧米推理小説翻訳史』(本の雑誌社 1992→双葉文庫 2007)

アガサ・クリスティー、ヴァン・ダイン、ジョンストン・マッカレー、フリーマン・ウィルズ・クロフツ、モーリス・ルブランなどの作品を、誰が、どのような媒体で翻訳していたのかを追跡している。ミステリー小説において「新青年」が果たした役割の大きさとともに、戦前の短命だった雑誌「新趣味」「秘密探偵雑誌」(のちに「探偵文藝」)「探偵小説」「ぷろふいる」なども登場する。当時の翻訳家・編集者たちの人間関係や、日本の読者に海外作品がどのように受け入れられていったのかが垣間見えるのも興味深い。本作は第46回日本推理作家協会賞を受賞。

小尾芙佐さんが衝撃を受けた江戸川乱歩『人間椅子』
江戸川乱歩『人間椅子』
『江戸川乱歩全集 第5巻』(平凡社 1931)
協力・ミステリー文学資料館
光文文化財団 ミステリー文学資料館ウェブサイト

旧江戸川乱歩邸

レンガ造りの建物が並ぶ池袋西口の立教大学に隣接して、江戸川乱歩が住んでいた家がある。「46回の引越の末に行き着いた」47軒目の住まいで「71年間の生涯のうち31年を過ごした」大好きな家だった(孫・平井憲太郎氏「旧江戸川乱歩邸・ガイドブック」より)。昔の洋館ふうの趣がある木造家屋で、庭の奥には2階建ての土蔵が建っている。蔵書は『古今和歌集』や『好色一代男』『好色五人女』など古いものも含め4万点にものぼる。男色関係の貴重な資料もあるという。

ぎっしり本が並ぶひんやりとした蔵も、応接室のブルーのソファも、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。

「旧江戸川乱歩邸・ガイドブック RAMPO GUIDEBOOK」
「旧江戸川乱歩邸・ガイドブック
RAMPO GUIDEBOOK」
2010年発行 本体476円
旧江戸川乱歩邸の詳しい情報は下記サイトをご覧ください
立教大学創立130周年記念事業 旧江戸川乱歩邸公開記念サイト
ちょっと一息〜取材のあいまの ひとりごと

江戸川乱歩は、1960--70年代の小学生にも人気だった。筆者も子ども時代、教科書は学校に置きっぱなしにしても、乱歩の本はランドセルに入れて持ち歩き、ワクワクしながら読んでいた(小尾芙佐さんのように歩きながら読んだこともあった)。マーガリンが苦手な私は、給食で残したそれをランドセルに隠して持ち帰り、マーガリンのしみが本についてしまう失敗も。マーガリンはキャラメルのように紙に包んだだけ。ビニールやプラスチック製品が普及し始める高度経済成長期のことだ。小学1年生のときは脱脂粉乳も出て、先生の目を盗んで窓から捨てる子もいた。給食といえばパン。当時は、お米を食べると頭が悪くなるとまことしやかに言われた。隣の席のスズキ君が給食を食べられないと、連帯責任で私も放課後まで残される。嫌いな食べ物は、時間がたてばよけいに喉を通らないだろうに......。

乱歩というと、少年探偵団シリーズの表紙イラストとともに、給食のことが思い出される。

(構成・文 大橋由香子)

次回は小尾芙佐さんに聞く 2回表です。(更新日:4月20日)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

ジェイン・エア(上)

  • C・ブロンテ/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体840円+税)
  • ISBN:75113-5
  • 発売日:2006.11.9
  • 電子書籍あり
高慢と偏見(上)

高慢と偏見(上)

  • オースティン/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:7752403
  • 発売日:2011.11.10
  • 電子書籍あり
幸福な王子/柘榴の家

幸福な王子/柘榴の家

  • ワイルド/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75347-4
  • 発売日:2017.1.11

《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年4月 5日 光文社古典新訳文庫編集部 |

連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 1回表)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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vol.1 小尾芙佐さんに聞く

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

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小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。

point_fujitu01.gif navi5-2.png ナビ ナビ ナビ ナビ ナビ ナビ ナビ ナビ ナビ ナビ
1回表 本を読みながら歩いた少女時代

神谷(のちに小尾)芙佐は、1932(昭和7)年3月24日、東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木70番地(現在の西新宿6丁目6番地あたり)で生まれた。家並みのかなたに浮かぶ「ヨヨハタ」(代々幡ヨヨハタ、いまの代々木八幡)の巨大なガスタンク、はるかに小さく見える富士山、緑色のチンチン電車(市電)が走る青梅街道、夜になると歩道に並ぶ出店のアセチレン灯、そして近くを流れる淀橋川(旧神田上水)が、彼女の原風景だ。

小さいころは、整備が始まったばかりでぺんぺん草が生えていた新宿駅西口の広場で縄跳びをし、青梅街道をはさんだ成子天神社や熊野神社、広大な淀橋浄水場が遊び場だった。

甲州街道京王線線路、ガスタンク
甲州街道を走る京王線の電車。背後にはガスタンク。
(新宿歴史博物館所蔵)

母親は教育熱心で、わざわざ娘を知人宅に寄留させて、学区外の淀橋第一小学校に入学させた。「第一学校、ボロ学校、あがってみたらいい学校」と子どもたちが歌いはやすような学校だった。新宿副都心の完成とともに生徒数が激減し、1997年に淀橋第七小学校と統合、場所を移して新宿区立柏木小学校となっている。かつての第一小学校跡地の目前には、高層ビルがそそりたっている。

父親は無類の本好きで、とくにミステリを耽読し、大学在学中から探偵小説を書くのが夢だったらしい。

「おかげで、父の書斎は古今東西のミステリ本で埋まっていました。1920年創刊の探偵小説雑誌『新青年』のバックナンバーも、家のあちこちに山積みになっていましたね。私は小学校3年生のころには、吉屋信子の少女小説、山中峯太郎や海野十三の冒険小説、『小公女』や『小公子』などの外国の児童文学を読み、ギリシャ・ローマ神話も卒業して、今度はうず高く積まれた父の蔵書を手当たり次第に読むようになりました」

エドガー・アラン・ポー、クロフツ、エラリー・クイーン、コナン・ドイルの諸作品、モーリス・ルブランの 『ルパン全集』、江戸川乱歩や野村胡堂の『銭形平次捕物控』、横溝正史『人形佐七捕物帳』を愛読し、大衆文学全集、講談全集なども読み尽くした。桑の葉の山に埋もれた蚕の幼虫が、凄まじい勢いで桑を食べていくような毎日だった。

「何を読んでも父は何も言わなかったのに、あるとき、ハガードの 『洞窟の女王』を読んでいたら、"こんなものは読んではいけない"、と取り上げられたのは不思議でした。このころ、江戸川乱歩の『人間椅子』に衝撃を受けたことを、はっきり覚えています。よほど早熟な女の子だったのでしょうね」
学校の帰り道、歩きながら本を読み、電信柱にぶつかったこともある。

「おやつを食べるときは必ず本を読んでいたし、食事のときも、読みかけの本をもって食卓についたりして、さすがに母に叱られました」

ガラス扉のついた本棚にうやうやしくならぶ世界文学全集は、小学生には手強かったが、それでも『モンテ・クリスト伯』や『クオ・ヴァディス』などを少し かじ ってみた。

漢字が多くスラスラ読めないのが悔しくて、本の厚紙のケースの背に、花子とか桃子とか名前を書いて、うさ晴らしをしていたという。

本を求める日々、そして空襲

1941(昭和16)年、小学校4年生のとき、太平洋戦争が始まる。真珠湾攻撃の翌朝、全校生徒が校庭に集められ、校長先生から訓示があった。それからは、徐々に戦時色が強まり、授業の合間に戦地の兵隊に送る慰問袋を作ったり、出征兵士に贈る千人針作りのお手伝いで街頭に立ったりする。南方から送られた貴重なゴムまりに感謝する作文も書かされた。

1943年、良妻賢母の育成を目指すという校風が母親の気に入り、私立三輪田高等女学校に入学する。だが、入学して1年もたたないうちに空襲が頻繁になり、疎開する生徒も増えて、クラスメートは十人ほどになってしまった。

英語の授業はまだあった。"This is a pen."で始まる教科書が使われていたことを記憶している。学校は一部が「学校工場」になり、上級生がミシンを踏んで働く姿が見えた。勉学にはあまり身が入らなかった。

1945年ごろには、紙も統制物資で配給となった。本や雑誌の出版点数も減り、ページ数も減らされ、新刊書は極端に少なくなった。神谷は、読むための本を求めて同級生を追いまわし、本のある家に押しかけるようになった。

この年、柏木(西新宿)の家が、強制疎開 (空襲による延焼をふせぐために家を取り壊して防火地帯をつくること)となり、西大久保に転居した。空襲が激しさを増し、母親と妹は長野県上伊那郡高遠町にある母の実家に疎開した。ここは、高遠藩の小さな城下町で、藩に関わりのあった父祖の地でもあった。

東京に残った父親とともに、ほとんど毎夜、空襲警報のサイレンが鳴るたびに防空壕に飛びこみ、爆弾が炸裂する音がドーン、ドーンと近づいてくる恐怖をあじわった。市ヶ谷にある女学校まで通学するあいだにも、空襲警報が鳴り、そのたびに電車が止まり、駅の外の物陰に身をひそめた。

自宅から道路を1本隔てた新宿寄りの住宅地がきれいに焼き尽くされると、通学をあきらめ、神谷も長野に疎開することになった。リュックサックに身のまわりのものと数冊の本を詰め、ぎゅうぎゅう詰めの汽車に8時間立ち通し(そのあいだ本を読んでいたので苦痛は感じなかった)、電車とバスをのりついで、ひとり高遠に着いた。

しばらくして、東京の自宅が焼けたという知らせがきた。家の焼け跡には、本の形のままの灰が、うずたかく小山となって残っていたと、父の知人から伝え聞いた。

「でも、そのときは、本が惜しいとは感じなかったんです。みんな空襲で家を失くしていたから、うちだけ焼けてないという申し訳なさがあったんでしょうか、哀しいより、やっと人並みになれたって思いましたね」

疎開、敗戦、新制高校で音楽に目覚める

長野では、県立伊那高等女学校に転入学する。疎開してくる生徒が多く、「疎開組」が1クラスできていた。通学は、10キロのデコボコ道をバス通学。戦争中でガソリンはないので木炭車。エンジンがなかなかかからず、発車まで長時間待たされた。ガタガタと走り出すバスの後部座席のはしっこで、いつも本を読んでいた。どんな本だったかは、覚えていないという。

戦争はさらに激化し、学校も授業どころではなくなる。勤労奉仕、農家の手伝いに狩り出されて、かたい田んぼの土を掘りかえし、戦闘機のガソリンの代用として使われる 松根油 しょうこんゆ をとるため、松の根っこを掘り起こした。農家でお茶の時間に出される大きなおむすび(黄な粉がまぶしてあった)が一番の楽しみだった。

やがて、十人ほどの生徒が選ばれて、稚蚕飼育所というところに送りこまれる。卵から かえ ったばかりの蚕の食欲を満たすため、昼は大量の桑の葉を摘み、夜は寝ずの番で桑をあたえるのだ。蚕が桑を むサワサワという音は、いまでも耳に残っているという。

「お国のための重要な任務と言われたけれど、蚕が吐き出すあの絹が、何に使われたのか知りません。ことによると、落下傘になっていたかもしれませんね」

あまりの激務に、高熱を出して務めを離脱する。その後、肺門淋巴腺炎 (初期の結核)と診断され、1年の休学を強いられた。

安静が第一のため読書も禁じられたが、母親に隠れて、古新聞や古雑誌のたぐいまで読んだ。納戸の奥に、日本文学全集を見つけたときはうれしかった。里見弴の『多情仏心』、佐藤春夫の『田園の憂鬱』や『都会の憂鬱』などを読んで、なんだか気分が滅入ったのを覚えているという。

1945年 8月、敗戦を迎えたときは13歳。 ラジオの玉音放送は高遠の家で聞いた。

「これで恋しい東京に帰れる、そう思ったことしか覚えていません」

ところが、疎開中に実家の跡取りである母の兄が病気で亡くなったため、母は年老いた両親を置いて東京に帰ることができない。女学校の疎開組の生徒は、ひとり、ふたりと、毎日のように東京に帰って行き、とうとう最後に神谷だけが残された。大学入学までの6年間を、この地で暮らすことになる。中央アルプス (木曽駒ヶ岳)や秀麗な仙丈岳にかこまれ、遠くはるかに北アルプスを望むこの伊那は、第二の故郷になる。

旧制女学校が新制高校になり、名前も伊那弥生ケ丘高等学校と変わった。

病状も回復して、復学後はバスケット部の部員になり、大学受験1年前まで毎日バスケットの練習に明け暮れた。子どものころから本が大好きで、戦争中、空腹の飢餓感以上に、活字に飢えていた神谷だったが、この時期、なぜか読書から遠ざかっていた。

そして、音楽に目覚める。友人の家にSPレコードがたくさんあり、そのなかにべートーべンの交響曲第九番があった。全曲で5、6枚はあったそのレコードを、手回しの蓄音機で何度も聴き、合唱に入るところ、テノールのソロの第一声に心が震えた。家でも、ガアガアと雑音の入るラジオに耳をくっつけてクラシック音楽を聞いた。

ピアノを習いたいと思ってもピアノはなく、やむなく早朝に学校に出かけて、講堂のグランド・ピアノで、ひとりバイエルの練習をした。(2回表に続く)

次回は1回裏・関連コラムです。(更新日:4月5日)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

ジェイン・エア(上)

ジェイン・エア(上)

  • C・ブロンテ/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体840円+税)
  • ISBN:75113-5
  • 発売日:2006.11.9
  • 電子書籍あり
高慢と偏見(上)

高慢と偏見(上)

  • オースティン/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体920円+税)
  • ISBN:7752403
  • 発売日:2011.11.10
  • 電子書籍あり
幸福な王子/柘榴の家

幸福な王子/柘榴の家

  • ワイルド/小尾芙佐 訳
  • 定価(本体880円+税)
  • ISBN:75347-4
  • 発売日:2017.1.11

《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》

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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》

[2014年11月20日]
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回 

2014年3月20日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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