光文社古典新訳文庫で“小尾芙佐”タグの付いているブログ記事
「幸福な王子/柘榴の家」(ワイルド/小尾芙佐 訳)
大人のために訳しました ビターな味わいの童話集
物語ひたむきな愛を描く「幸福な王子」。恋する学生に身を捧げる「小夜啼き鳥と薔薇」。わがままな男と子どもたちの交流を描く「身勝手な大男」。愛の行きつく果てを示す「漁師とその魂」など、道徳的な教訓だけではないさまざまな味わいの、大人にこそ読んでほしい童話集。全9篇収録。
内容
ワイルドはこの童話集を子供たちに話して聞かせるため、(中略)書いたといわれているが、ワイルドが意図するところは、あくまでも繊細な心をもつ大人たちのためということではなかったかと思われてならない。これを読み終えたとき、わたしの大人の心が感じたままにこれを訳してみたいという思いが湧いた。(訳者)
解説
「魂の迷宮への誘い──オスカー・ワイルドの「童話」を読む」田中裕介(青山学院大学准教授)
- 幸福な王子とその他の物語
- 幸福な王子
- 小夜啼き鳥と薔薇
- 身勝手な大男
- 忠実な友
- 非凡なる打ち上げ花火
- 柘榴の家
- 若き王
- 王女の誕生日
- 漁師とその魂
- 星の子
-
《関連刊行本》
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2017年1月11日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
小尾芙佐さんの講座、朝日カルチャーセンター湘南教室で3月14日に開催
朝日カルチャーセンター湘南教室で、小尾芙佐さんの講座「小尾芙佐が語る 翻訳の魅力ー翻訳家になるまで、そして「アルジャーノンに花束を」との出会いー」が開催されます。
これまでご自身のお話を公開の場でされることのなかった小尾さんから、これまでの翻訳家人生の道程を直接聞くことのできる貴重な時間です! ぜひご参加ください。
ー翻訳家になるまで、そして「アルジャーノンに花束を」との出会いー」
- 《場所》朝日カルチャーセンター湘南教室
- 《日時》3月14日(土) 13:00〜15:00
- 《受講料》会員 3,024円 一般 3,672円
- 朝日カルチャーセンター湘南教室 講座詳細・申込みページ
- [小尾芙佐(おび ふさ)さんプロフィール]
- 1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。

《「連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」小尾芙佐さんに聞く」》
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2015年2月 2日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 5回表)
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)
*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。


ある日、早川書房の編集部を訪れると、福島正実編集長が晴れ晴れとした笑顔で現れ、「きょうはいい人に会いに行くんです」と告げた。それが、浅倉久志だった。
すでに「S-Fマガジン」で翻訳をしていた伊藤典夫とともに、SF同人誌の同人でもあった浅倉久志は、会社員を辞めて翻訳家になる。SFに対する情熱と造詣の深さは、だれも及ばない。小尾にとっても救いの神、これまでほどSFの翻訳に追われることがなくなった。
おかげで、『第三の女』(クリスティー、ハヤカワ・ポケットミステリ1970)、『ママは何でも知っている』(ヤッフェ、ハヤカワ・ポケットミステリ、1977)など、ミステリの長編も手がけるようになる。
当時は、出版記念会などパーティーがよく開かれ、その席上で、伊藤典夫や浅倉久志とよく話をした。伊藤典夫訳、カート・ヴォネガット・ジュニアの『猫のゆりかご』を読んだ小尾は、たちまちヴォネガット・ファンになる。
この二人に、キャロル・エムシュウィラーの「順応性」(「S-Fマガジン」61年9月号掲載)の訳を褒められたときは、本当にうれしかったという。
「浅倉さんの音頭とりで、深町眞理子さん、大村美根子さん、山田順子さん、佐藤高子さん、鎌田三平さん、白石朗さんの総勢8人が集まり、深町さんが<エイト・ダイナーズ>と命名して、お酒と食事とおしゃべりを楽しみました」と懐かしむ。
2010年、浅倉久志は79歳で逝去した。<偲ぶ会>で小尾は、「仕事の上で困ったときは、いつも浅倉さんに電話して助けてもらいました」と語っている。
これまでつきあいのなかった出版社からも仕事の依頼がくるようになった。
角川書店からはゴシック・ロマンのビクトリア・ホルト『流砂』(1971)、『女王館の秘密』(1977)、『愛の輪舞』(1982)など。珍しく女性からファンレターが何通も寄せられた。ファンタジーでは、ホールドストックの『ミサゴの森』(1992)がある。
ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』(1984)は、都筑道夫、小泉喜美子などのミステリ作家に高く評価され、レンデル・ブームが起きる。『死のカルテット』(1985)『悪魔の宿る巣』(1987)『引き攣る肉』(1988)など、ミステリの翻訳を堪能した。
文藝春秋からは、ジュリー・ユルスマン『エリアンダー・Mの犯罪』(1987)のあと、スティーヴン・キングの「IT」(1991)を依頼された。あまりの長さに引き受け手がいないという原稿用紙3800枚のその大作を、小尾は即座に引き受けた。
上下2巻を2年がかりで翻訳しながら、キングのエネルギーに圧倒された。聞き慣れぬスラング、ことに子どもたちのスラングが飛び交っているので、アメリカで小学校の教師をしていた津田塾時代の友人に助けを仰いだ。
「大事なのは、原文を十二分に理解すること。疑問があれば、ネイティブをはじめ、その道の専門家に尋ねます。だから、原文を読み込むのに時間がかかります。翻訳にとりかかるのはそれから。何度も推敲を繰り返し、ゲラが出ればまた推敲。ゲラが真っ赤になって、担当の方に迷惑をかけます。でも、翻訳者にとって、優秀な編集者、校正者は宝です。彼ら、彼女らがいなければ、上質な翻訳の完成はありえません」
それまで手書きを続けていたが、「IT」に取り組むとき、ワープロの導入を決心した。書きこみが多く、原稿がきたないので有名な小尾なので、編集者たちからは喜ばれたらしい。

児童ものの仕事も多い。これは、SFの理解者はまず子どもたちだと考えた福島正実たちが「少年文芸作家クラブ」を立ち上げ、岩崎書店や、あかね書房など、児童ものを出している出版社に売りこんだことが影響している。
小尾も、福島にすすめられて、翻訳したSFを児童向けにリライトしている。
アシモフの『うそつきロボット』(初版の題名は『くるったロボット』)は今でも版を重ね、ほかにも、『ロボット自動車・サリイ』(アシモフ、以上岩崎書店)、『惑星ハンター』(アーサー・K・バーンズ)、『銀河系防衛軍』(エドワード・E・スミス、以上あかね書房)など。
早川書房から児童書として出版された『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン)は産経児童出版文化賞を受賞した。
SF以外ではソーン『キュリー夫人 知と愛の人』(文研出版)やパール・バック『大地』(集英社)なども、原作から子ども向けに抄訳している。
2005年、光文社から声がかかった。以前、光文社のミステリ雑誌「EQ」(1977年〜1999年休刊)から短篇を頼まれたことがあったが、今回は古典新訳文庫の企画だった。
さまざまな分野を手がけてきた小尾だが、英文学の古典は未知の世界。作品は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』だ。何十年ものあいだ、多くの先達が取り組み、多くの読者を得て、映画化もされている古典の新訳である。ためらいもあったが、原書を読み進むうち、登場人物、時代背景、イギリスの自然など、イメージがふくらんでいった。ロチェスターとジェインの魅力が、仕事を押し進めてくれたようだ。
2006年に新訳『ジェイン・エア』が刊行された(2013年に再版)。
「次は、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』ですね」と編集者に言われたときは、さすがの小尾も即答できなかった。津田塾時代にテキストとして読まされた作品、あまりの難しさに、最後まで読み通すことができず、楽しめなかった。そうした印象が、頭に刷り込まれていた。

『高慢と偏見(上・下)』(オースティン、2011年11月刊)
だが、未知への挑戦が小尾の心をかき立てた。「SF翻訳家の小尾さんが、なぜ?」と首をひねった読者もいたようだが、この作品に対する特別な愛着については、「訳者あとがき」に綴られている。
原書を読み始めると、原文の独特の長い構文に悩まされた。読み解くだけで、1年ほどの歳月を要した。いざ翻訳にとりかかると、さまざまな疑問が生じた。あの時代、さまざまな環境に生きる人々の言葉遣いにも苦労した。
エリザベスとダーシーが、心を開き合い、親しくなってからの微妙な変化も、会話に現れなければならない。
「苦労はしましたが、むかし好きだった戯曲を訳しているような心地がして、楽しかったです」
結婚式と出産の前後を除けば、ほぼ休みなしに、ずっと翻訳を続けてきた。
夫は死の前年、付箋をつけた1冊の本を小尾に渡した。それはギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』だった。
「私がイギリスに生まれたことをありがたく思う多くの理由のうち、まず初めに浮かぶ理由の一つは、シェイクスピアを母国語で読めるということである」(岩波文庫、平井正穂訳、1951)
この一文に傍線がひかれていた。
もし翻訳でしかシェイクスピアを読めないとしたら、「ぞっとするような絶望感」を覚えると言っているのだ。
「翻訳という仕事は、異なる文化のしみついた言葉を、別の異なる文化のしみついた言葉におきかえていくこと。ライクロフト氏に言わせれば、不可能なことをあえて可能にしなければいけない仕事なんです。読者に絶望感を覚えさせるようではいけない、心して仕事をせよ、という夫のメッセージだったのだと思います」
長い間、翻訳を続けてきたおかげで、最近は四十数年前に訳した自分の作品が改版になり、手を入れるよう出版社から依頼される機会がある。
原書と1行1行照らし合わせながら訳文を見直していくと、ゲラはそれこそ赤字で真っ赤になる。当時の翻訳の未熟さもあるが、言葉が時代とともに古びていくのを実感できるという。
若いひとが知らないような言葉、もはや社会に受け入れられない言葉もある。しかし、若いひとが知らないから使わないというのもおかしい。若者が学べばよいのだと小尾は考えている。使わなくなれば、言葉が貧しくなってしまう。
「これまで、自分から出版社に作品を持ち込んだことは、一度もありません。いつも与えられるものを、一度も拒むことなく訳してきました。でも、幸いなことに、"これは小尾さんに訳してもらいたい"という編集者からの特別のご指名が、間々ありました。それが、『アルジャーノンに花束を』や『IT』であり、『消えた少年たち』や『くらやみの速さはどれくらい』であり、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』でした。
訳書は百冊を越えていますが、近ごろ、たとえ求められることがなくても、これだけは訳しておきたいと思う作品に出会うことができました。幸せに思っています」
休むことなく、拒むことなく、継続してきた。きょうもまた、小尾はゲラに向かっている。
次回は5回裏・関連コラムです。(更新日は8月7日です)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社
)『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。
《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》
- [<$MTEntryDate format="%Y年%b月%d日"$>]
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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》
- [2014年11月20日]
- 連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回
2014年7月22日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 3回裏)

裏の回では、3回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。

連載3回表で明らかになったように、神谷(小尾)芙佐さんが翻訳者としてデビューしたのは、早川書房の「S-Fマガジン」そして「ミステリマガジン」(「EQMM」)だった。
今回のインタビューにあたって、筆者は小尾さんの1960年デビュー当時の翻訳作品やエッセイを現物の雑誌で読むべく、ネットを調べ、各種図書館へ行き、小尾さんの蔵書からも何冊か発掘していただいた。活版組の、今では驚きの小さな文字、レトロでオシャレな装丁は、むしろ新鮮かも。投稿欄には読者の住所も載っていて、ああ、昔はそうだったんだ、と思う。そして、古い雑誌から立ちのぼってくる独特の臭い。
すると、なんというタイミングでしょう、「ミステリマガジン」も「S-Fマガジン」も創刊700号を迎え、記念アンソロジーの文庫が刊行されたではないですか。

「ミステリマガジン」記念アンソロジー
さらに「S-Fマガジン」2014年7月号は700号記念特大号! 580ページの分厚い雑誌のなかに、当時のページ・レイアウトがそのまま再現されたアーカイブが登場。創刊号の巻頭言に始まり、座談会や書評、イベント報告記事、作家の追悼記事などの再掲記事は、まさに時代の証言者だ。(紙面の背後にある熱エネルギーを理解するには、福島正実著『未踏の時代』も参照のこと。)
「ハヤカワSF文庫 いよいよ発刊」という1ページ広告「予価200円」という値段も微笑ましい。再現ページの合い間には、初代編集長・福島正実の講演録(73年第1回SFショー)、第2代編集長・森優、第6代編集長・今岡清へのロング・インタヴュウがはさまれている。
小尾芙佐「ミスター・SFとの一時間 ボストンにアシモフを訪ねる」(1964年10月号)も再掲されている。どういう経緯で小尾さんがアメリカへ渡ることになったのかは、次回の4回表をお楽しみに。

神谷(小尾)芙佐さんが最初に就職したのは、銀座にあったひまわり社。社員たちは、原稿やデザインを編集長・中原淳一の自宅へ持って行き、チェックを受けたという。その中原淳一の生誕100年を記念して、昨年2月から全国をまわってきた展覧会が、現在、茨城県近代美術館で開催中。
- 【企画展】『生誕100周年記念 中原淳一展 暮らしを愉しく、美しく』7月18日(金)まで
- 茨城県近代美術館
子どものころ、池上線に乗っていると、毛糸の帽子をかぶり、鳩が豆鉄砲をくらったような表情のおじさんに遭遇した。なぜか、とても気になる。つい視線が、彼のほうにいってしまう。
やがて、「あの人はコミさんといって、ああ見えてもちゃんとした小説家なのよ」と母が教えてくれた。テレビの「11PM」に出演しているのを見ては、「あ、コミさんだ」とファンのように喜び、小説やエッセイを読むようになった。
歌手のバーブ佐竹に惹かれ、野坂昭如にハマった私にとって、コミさんこと田中小実昌も、魅惑的なオジサンなのだった。こうして私の場合、まずはコミさんと野坂さんの日本語文章から読み始めた。彼らが敗戦後から翻訳を生業にしていたことを認識したのは、少し時間がたってからだった。
「翻訳の世界」という雑誌で働いていたとき、翻訳にまつわる思い出を書いてもらえないか、思い切って依頼してみた。コミさんは快諾してくれた。でも、締め切りにはハラハラさせられた記憶がある。(原稿頂戴するまでのスリリングさは野坂さんのほうが激しかった)
中村
その後、新橋にある映画の試写会場のひんやりした地下道で、偶然、コミさんにお会いした。原稿のお礼を申し上げたときの、ビックリしたような、あの丸い目、照れたような表情でピョコンと頭を下げる姿は、昔、池上線で見たときの雰囲気のまま。単発コラムの一度きりの原稿依頼とゲラのやりとりだったけれど、うれしい思い出だ。
コミさんのアメリカでの訃報に接したのは、それから間もなくのことだった。
・『ミステリマガジン創刊700号記念アンソロジー』では翻訳者としての作品ではなく、【国内篇】に田中小実昌「幻の女」が収録されている。
・なお、田中小実昌が翻訳したジェームズ・K・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』(講談社文庫)が、池田真紀子の新訳で『郵便配達は二度ベルを鳴らす』として光文社古典新訳文庫、7月に刊行予定。
(構成・文 大橋由香子)
次回は小尾芙佐さんに聞く 4回表です。(更新日:6月20日)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社
)『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。
《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》
- [<$MTEntryDate format="%Y年%b月%d日"$>]
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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》
- [2014年11月20日]
- 連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回
2014年6月 5日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 3回表)
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月5日・20日更新)
*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

光文社古典新訳文庫では『ジェイン・エア』『高慢と偏見』を手がけた小尾芙佐さん、初めての翻訳が活字になったのは1960年、創刊まもない「S-Fマガジン」(早川書房)誌上、旧姓である神谷芙佐の名前でした。その後も、アシモフのロボットシリーズ、ロングセラーになった『アルジャーノンに花束を』やスティーヴン・キングの『IT』などさまざまな作品を訳してきました。「SF翻訳家」と称されることが多いものの、意外なことに、もともとはSFが好きだったわけではなかったそうです。小尾さんの道のりを5回に分けて掲載します。また、小尾さんが愛読した本、訳した本の紹介など、関連するコラムを"裏の回"としておおくりします。
(文中に登場する方々のお名前は敬称を略させていただきます)

小尾芙佐(おび ふさ)さん プロフィール
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)『高慢と偏見』(オースティン)ほか多数。


神谷(小尾)芙佐は、ひまわり社に採用され、「それいゆ」編集部に配属となった。
入社試験に遅刻した神谷に、扉を閉めずに大声で呼びかけた女性がいなかったら、ひまわり社に入ることもなく、その後の人生も変わっていたかもしれない。救いの神である彼女は「ジュニアそれいゆ」の編集者だった。
神谷の最初の仕事は、中原淳一がデザインしたドレスを着るモデルの手配。そして、グラビアの写真撮影助手だった。芳村真理、大内順子、朝丘雪路、雪村いづみ、菅原文太、小林旭、宍戸錠などが、モデルとして「それいゆ」誌面を賑わせていた時代だ。
やがて、グラビアページのネーム(説明文)を書かされるようになる。書き上げた原稿は、必ず千川にある中原淳一の自宅に持参して、厳しいチェックを受ける。オーケーが出るかどうか、緊張して待っていた。
この「それいゆ」の誌上で、早川書房の福島正実の名に出会うことになる。当時、キャザリン・ギャスキン著「サラ・ディン」という翻訳小説が連載されていた。その訳者が福島正実。神谷は担当になり、原稿をもらうために初めて早川書房を訪れることになった。愛する「EQMM」や、ポケミスの愛称で知られるハヤカワ・ポケット・ミステリを出している憧れの出版社だ。
当時の早川書房は神田駅の近くにあった。2階への狭い木の階段をとんとんのぼっていくと、ミステリの編集部があり、田村隆一や都筑道夫など、そうそうたるメンバーが顔をそろえていたはずである。一月おきに原稿をもらいに行くのが、神谷の最大の楽しみだったことは言うまでもない。
「ひまわり社の仕事は激務でした。締め切り間近になると朝帰りがつづきました。でも、会社は銀座八丁目のビルにあって、近くには若い丸山明宏 (美輪明宏)が歌っていた『銀巴里』もあって、刺激的な毎日でしたね」
ようやく新築された自宅から、銀座まで毎日通った。だが、激務がたたり、とうとう身体をこわして、1958年末に、ひまわり社を退社することになった。
「翻訳」という仕事に真剣に向き合おうと決意し、早川書房の福島正実を訪ねたのは、1959年の半ばごろだった。
福島からミステリの短篇が渡され、訳してくるようにと言われた。その試訳がパスして、いよいよ翻訳の道に踏みた出すことになる。26歳のときだ。
「仕事を始めるにあたって、"あなたはミステリの翻訳をやりたいということだが、ぼくは 『S-Fマガジン』の創刊を間近に控えて奮闘している。ゆくゆくはそちらのほうも手伝ってもらいますよ"、と福島さんに念を押されました」
その場で、「これをお読みなさい」と渡されたのが、フィリップ・K・ディックの 『宇宙の眼』Eye in the Sky だった(原著1957年、『宇宙の眼』中田耕治訳 1959、のちに『虚空の眼』大瀧啓裕訳 サンリオSF文庫1986→創元SF文庫1991)
これを読んで驚愕し、「こんな凄い小説があるんですね」と福島に報告している。それまでの神谷にはまったく無縁だったSFだが、理解する感性があったようだ。
数人の先輩方の下訳から始めて、やがて「EQMM」と「S-Fマガジン」の両誌で翻訳をするようになる。創刊から4号目の「S-Fマガジン」1960年5月号にキャロル・エムシュウィラーの「狩人」が、「EQMM」1960年6月号 (No.48 )にジャック・フィニイの「未亡人ポーチ」が載った。
「"いいでしょう、活字になる気分って"と福島さんに言われたことを、はっきり覚えています」
「神谷芙佐訳」という文字がまぶしかった。
それからは、文字通り、ねじり鉢巻きの日々になった。夏は冷房がないので、水に浸したタオルを頭に巻いて、翻訳に追いかけられることになる。
「S-Fマガジン」に掲載する作品を選ぶ手伝いもすることになり、翻訳のかたわら、リーディングにも追いかけられた。興味をひいた作品のあらすじを話すために、連日のように編集部に足を運んでいた。
このころになると、早川書房は現在の地に新しい社屋が建っていた。2階の広い部屋には、各編集部の机がコの字型に並び、仕切りもなく、まんなかにひろびろとした空間があいていた。
SFの編集部の向かいは「EQMM」の編集部。神谷はチラチラとそちらに視線をやりながら、ミステリの注文がこないかなあと、ひそかに念じていた。
当時、SFの翻訳者は不足していた。日本にSFを根づかせた福島正実は、「S-Fマガジン」創刊当時の翻訳事情について、こう記している。
「一応の企画をまとめ、実際に原稿依頼に動きはじめたのは、たぶん(引用者注:1959年)五、六月頃からだったろう。......夏の暑いさなかを、二人(引用者注:期限付きで手伝ってもらった雑誌編集経験のある翻訳家・三田村裕と福島正実)は足まめによく歩いた。/翻訳者の不足に頭を悩ましたことも、この頃の重要な思い出の一つである。......早川書房は、かなりの数の翻訳家を擁していた。しかし、そのほとんどはミステリーが専門でSFについては殆ど知識も関心も欠いていた。彼らはむしろ、SFを依頼されることを恐れさえした。....../ぼくとしては、何とか、目ぼしい翻訳家たちを、SF好きにするしかなかった。....../大久保康雄、宇野利泰、井上一夫、中田耕治、田中融二、高橋泰邦、小笠原豊樹、稲葉明雄、峯岸久、田中小実昌、小尾芙佐、それに同僚だった小泉太郎(生島治郎)や常盤新平......村上哲夫、大門一男、ロシア文学者袋一平さんら──みんな、その頃ぼくから、SFがいかに翻訳家の仕事として価値あるかの長広舌を聞かされて、うんざりした経験をお持ちのはずである。」
(『未踏の時代 日本SFを築いた男の回想録』福島正実著、早川書房 1977→2009より)
同じ号に複数の作品を訳すこともあり、同じ名前ではまずいということで、ペンネームを考えたりした。
1961年12月号「S-Fマガジン」に次の3作品が掲載されている。
- ウィリアム・テン「ブルックリン計画」神谷芙佐訳
- H・B・ヒッキイ「抱擁」城戸尚子訳
- ハリイ・ウォルトン「スケジュール」谷三郎訳
翻訳者は同一人物、神谷芙佐である。
ミステリヘの愛着を断ち切れぬ神谷に、ミステリの長篇も少しずつ与えられ、『レアンガの英雄』(アンドリュウ・ガーヴ、1961)、『死の目撃』(ヘレン・ニールスン、1961)、『ささやく街』(ジャドスン・フィリップス、1963)などを手がけた。
SFに関しても、アイザック・アシモフのロボットシリーズやウィリアム・テンなど、自分好みの作品や作家も現れ、やがてフィリップ・K・ディックの『火星のタイム・スリップ』(1966)、アーシュラ・K・ル=グインの『闇の左手』(1972)、アン・マキャフリイの「パーンの竜騎士」シリーズなどにもめぐりあえて、仕事が楽しくなっていた。
1961年2月号(創刊1周年特大号)に掲載されたダニエル・キイスの中篇「アルジャーノンに花束を」(稲葉由紀訳)を読んだときは感動した。
「読んだ翌日に編集部にすっとんでいって、"SFにもこんなに素晴らしいものがあるんですね"と福島さんに詰め寄っていました。ミステリに気持ちが向いていたとはいえ、ずいぶん失礼なことを言ったものですね。それでも福島さんは、"そう、あるんですよ"と、それはうれしそうな顔をなさいましたね」
それから十数年たったある日のこと、編集部を訪れると、福島が1冊の本をとりだし、「これ、訳してみませんか」とさしだした。見ると1966年刊行の長篇の『アルジャーノンに花束を』だった。
ぜひ、やらせてください、と神谷は答えた。1978年に翻訳出版した『アルジャーノンに花束を』は、現在も版を重ねるロングセラーになった。
翻訳についての勉強はどのようにしたのだろうか。即、実践だったので、勉強する
でき上がった翻訳について、ここはこうしたら、というようなアドバイスをもらった記憶はない。
「ただただ、ひたすら訳すだけの毎日でしたね」
活字になった自分の作品をじっくり読みなおす時間もなかった。手元にはいつも、すぐに訳さなければいけない本が2、3冊積まれていた。
原文を読み、作品の心を読み解き、日本語におきかえる作業のくりかえし。福島編集長は神谷に、何度かこんなことを言っている。
「あなたの仕上げた原稿は、こちらの予想している枚数より少ない。いつも短めなんだ。ほかの訳者はそんなことはないのに、なぜだろう」
なぜだか本人にもわからなかったそうだが、これは、神谷の翻訳の特徴を言い得ていたかもしれない。(4回表につづく)
次回は3回裏・関連コラムです。(更新日:6月5日)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社
)『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。
《「"不実な美女"たち」vol.1 小尾芙佐さんに聞く一覧》
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《「"不実な美女"たち」vol.2 中村妙子さんに聞く》
- [2014年11月20日]
- 連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1) 全7回
2014年5月20日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
『高慢と偏見(下)』(オースティン/小尾芙佐 訳)
劇的な展開、真実を突く台詞「大嫌い」から始まった恋の行方は?
物語ダーシーの屈折した恋の告白にエリザベスは反発した。だが、ダーシーの手紙で己の誤解に気づき、数カ月後の思わぬ再会で彼への感情は変化していく。そこへ、末妹の出奔、彼の叔母君の横槍が......。恋のすれ違いを笑いと皮肉たっぷりに描く、英国文学の傑作、決定訳登場。
内容
緻密な構成で人物造形が秀逸。道化や小悪党、ひねくれた哲人など個性豊かな脇役陣が、魅力的な主人公二人を引き立たせ、迫力あるドラマがダイナミックかつ繊細に描かれる。躍動感あふれる新訳!
解説
松本朗(上智大学教授)
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《関連刊行本》
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2013年1月28日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
『高慢と偏見(上)』(オースティン/小尾芙佐 訳)
本物のオースティンが味わえる 香気あふれる新訳、決定版!
物語溌剌(はつらつ)とした知性を持つエリザベスと温和な姉ジェインは、近所に越してきた裕福で朗らかな青年紳士ビングリーとその友人ダーシーと知り合いになる。エリザベスは、ダーシーの高慢な態度に反感を抱き、彼が幼なじみにひどい仕打ちをしたと聞き及び、彼への嫌悪感を募らせるが......。
内容
オースティンは、生涯小さな生活圏内で暮らした。日常から社会背景までも浮き彫りにする本書を20歳で書きあげた。皮肉や滑稽さにあふれる英国文学の伝統を確立し、シェイクスピアにも比肩する大作家。
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《関連刊行本》
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2013年1月28日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
『ジェイン・エア(下)』(C・ブロンテ/小尾芙佐 訳)
孤独な男・ロチェスターの情熱。凛として愛と自分を貫くジェイン。魂が結びついた二人の心情を、細やかに描写。ロマンス小説の新しい姿が完成した!
物語少女・アデルの家庭教師として生活するうちに、ジェインとロチェスターは、お互いの中にある情熱、優しさ、聡明さに気づき惹かれ合う。愛を深めていく二人。だが、運命は過酷な試練をジェインに用意していた。苦悩の果て、二人に訪れた結末は......。究極の愛は結実するのか!?
作品
幼くして両親を失い、伯母の家と寄宿学校で育ったジェイン。自立を決意し家庭教師として赴いた館で、主のロチェスターと出会う。惹かれ合い、愛し合う二人。だが運命は過酷な試練をジェインに用意していた----恋愛小説の要素はすべてここにあると言われた、凛として自分の愛を貫く女性の波乱の物語。
訳者あとがき
理性によって己を律しながら、文字通り全身全霊をっもって愛することを知っているチャーミングなジェイン・エアが語るこの物語のどこかで、もし涙を流すひとたちがまだいるなら、この二十一世紀に絶望するのはまだまだ早いのかもしれないと思う。
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《関連刊行本》
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2013年1月27日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
『ジェイン・エア(上)』(C・ブロンテ/小尾芙佐 訳)
現代の恋愛小説の原点とも言える古典ロマンス小説の金字塔。
時代に翻弄されながら愛を貫くヒロインの姿を、情感溢れる文体で、生き生きと描き出す。
物語幼くして両親を亡くしたジェイン・エアは、引き取られた伯母の家で疎まれ、 寄宿学校に預けられる。そこで心を通わせられる人々と出会ったジェインは、8年間を過ごした後、自立を決意。家庭教師として出向いた館で主のロチェスターと出会うのだった。ジェインの運命の扉が開かれた。
作品
幼くして両親を失い、伯母の家と寄宿学校で育ったジェイン。自立を決意し家庭教師として赴いた館で、主のロチェスターと出会う。惹かれ合い、愛し合う二人。だが運命は過酷な試練をジェインに用意していた----恋愛小説の要素はすべてここにあると言われた、凛として自分の愛を貫く女性の波乱の物語。
訳者あとがき
理性によって己を律しながら、文字通り全身全霊をもって愛することを知っているチャーミングなジェイン・エアが語るこの物語のどこかで、もし涙を流すひとたちがまだいるなら、この二十一世紀に絶望するのはまだまだ早いのかもしれないと思う。
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《関連刊行本》
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2013年1月27日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ
小尾芙佐 Obi Fusa
2011年9月25日 光文社古典新訳文庫編集部 | 個別ページ