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『ドン・カズムッホ』(マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳)

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ドン・カズムッホ

ドン・カズムッホ

  • マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳
  • 定価(本体1,400円+税)
  • ISBN:75285-9
  • 発売日:2014.2.13
  • 電子書籍あり

ブラジル文学第2弾! ブラジル文学の頂点。
偏屈卿〈ドン・カズムッホ〉と呼ばれた男の、数奇な?自叙伝? 
美少女と美少年、美しくせつない「恋」と「疑惑」の物語......

作品

「いつもいっしょ......」「こっそりと......」「もし二人が恋仲にでもなったら......」 彼女は視線をゆっくり上げ、わたしたちは互いにみつめあった......。みずみずしい描写で語られる愛と友情、波瀾万丈の物語。小説史上まれにみる魅力的なヒロインが、こんなところに隠れていた。


内容

『ドン・カズムッホ』(1899/1900)は、ほぼ必ずといっていいほど『ブラス・クーバスの死後の回想』(1881)と並べて、ブラジルの文豪マシャード・ジ・アシスの最高傑作に挙げられる作品である。「姦通」というテーマは共通するが、作品の趣きは対照的で、『ブラス・クーバスの死後の回想』が、非常に奇抜で革新的な形式によって現代においてもなお読者に衝撃を与えるのに対し、幼なじみ同士のほのぼのとした恋物語が懐かしく振りかえられる『ドン・カズムッホ』は、一見「普通の」温かな回想記のような印象を与える。だがじつはこの作品にも『ブラス・クーバスの死後の回想』に決して引けをとらない画期的な文学的技法の特徴がある。小説としての完成度は高く、人間心理の深い探求という観点を加味すると、『ブラス・クーバスの死後の回想』をあるいは凌ぐかもしれない。マシャードの長編小説は、多くがまず雑誌に掲載され、そのあと本として刊行されたが、『ドン・カズムッホ』は、最初から本として編まれた。それだけ丹念に作りこまれた作品なのである。〈訳者・解説より〉


「複合的な文化をもつ国ブラジルの、善と悪を同時に受け容れる小説 『ブラス・クーバスの死後の回想』」 武田千香さんに聞く
[書評]
マシャード・ジ・アシス
[1839-1908] ブラジルを代表する作家。第二帝政期の奴隷制度が敷かれたリオデジャネイロの貧しい家庭で育つ。父方の祖父母は解放奴隷で、母親はポルトガル移民。 独学で、書店や印刷所で働きながら詩人として文壇にデビュー。新聞の時評,詩,戯曲,短・長編小説、翻訳など手がけたジャンルは多岐にわたる。ブラジル文学アカデミーの初代会長を務めた。一般に本書と『ブラス・クーバスの死後の回想』『キンカス・ボルバ』を合わせた長編小説が三大傑作とされ、「精神科医」をはじめとする短編も評価が高い。マシャードを抜きにブラジルの文学を語れないほどの存在感を誇る。
[訳者]武田千香 Takeda Chika
東京外国語大学教員。文学を中心にブラジルの文化を研究する。主な訳書にマシャード・ジ・アシス『ブラス・クーバスの死後の回想』、J.アマード『果てなき大地』、シコ・ブアルキ『ブダペスト』、P.コエーリョ『ポルトベーロの魔女』、著書に『ブラジルのポルトガル語入門』ほか、編書に『現代ポルトガル語辞典』などがある。
《関連刊行本》
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2014年2月13日 光文社古典新訳文庫編集部 |

武田千香さん、松永美穂さん、森田成也さんの新刊のお知らせ

武田千香さん、松永美穂さん、森田成也さんの新刊のお知らせです。

cover_takedachika_201303.jpg『千鳥足の弁証法──マシャード文学から読み解くブラジル世界』
武田千香/著
東京外国語大学出版会
2013年3月発売
価格:2,940円(税込み)

ブラジル最大の文豪マシャード・ジ・アシスの最高傑作『ブラス・クーバスの死後の回想』を読む──。批評家スーザン・ソンタグが「19世紀の主要な作家の一人であり、ラテンアメリカ最高の作家だ」と評したブラジルの文豪マシャード・ジ・アシス。著者は、彼の最高傑作『ブラス・クーバスの死後の回想』を独自の視点で縦横に読み解き、ブラジル世界の本質を探究する。物語世界の細部に目を凝らしながら、西洋にして、非・西洋でもある「ブラジル」を、人・社会・文化という観点から考察する独創的な一書。



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『夏の嘘』
ベルンハルト・シュリンク/著 松永美穂/訳
新潮クレスト・ブックス
2013年3月発売
価格:2,100円(税込み)

シーズンオフのリゾート地で出会った男女。人里離れた場所に住む人気女性作家とのその夫。連れ立って音楽フェスティバルに出かける父と息子。死を意識し始めた老女と、かつての恋人―。ふとしたはずみに小さな嘘が明らかになるとき、秘められた思いがあふれ出し、人と人との関係ががらりと様相を変える。ベストセラー『朗読者』の著者による10年ぶりの短篇集。



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『資本の〈謎〉――世界金融恐慌と21世紀資本主義』
デヴィッド・ハーヴェイ/著 森田成也/共訳
作品社
2013年2月発売
価格:2,625円(税込み)

なぜグローバル資本主義は経済危機から逃れられないのか? この資本の動きの〈謎〉を説き明かし、恐慌研究に歴史的一頁を加えた世界的ベストセラー!世界の経済書ベスト5(2011年度Guardian紙)。12カ国で翻訳刊行。


2013年3月26日 光文社古典新訳文庫編集部 |

『ブラス・クーバスの死後の回想』(マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳)

ホーム > 刊行本リスト > ブラス・クーバスの死後の回想

ブラス・クーバスの死後の回想

ブラス・クーバスの死後の回想

  • マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳
  • 定価(本体1,314円+税)
  • ISBN:75249-1
  • 発売日:2012.5.10
  • 電子書籍あり

ブラジル文学の最高傑作 池澤夏樹氏絶賛! 「おしゃべりブラス、きみこそぼくの親友だ。」

作品

死んでから作家となった書き手がつづる、とんでもなくもおかしい、かなしくも心いやされる物語。カバにさらわれ、始原の世紀へとさかのぼった書き手がそこで見たものは......。ありふれた「不倫話」のなかに、読者をたぶらかすさまざまな仕掛けが施される。ブラジル文学の秘められた大傑作。


内容

マシャード・ジ・アシスはブラジル文学の頂点に座す作家だ。『ブラス・クーバスの死後の回想』の斬新さ、あまりに型破りで奇抜な形式と内容は、大きな衝撃を今日にまで 与えつづけている。〈訳者〉


解説より

ブラジルの文学百選を募ると、この『ブラス・クーバスの死後の回想』(Memorias Postumas de BrasCubas, 一八八一年)は必ず上位に入り、やはり同じ作者の『ドン・カズムッホ』(Dom Casmurro, 一八九九年)とともに首位を争うこともある。このことが示すようにマシャード・ジ・アシス(一八三九〜一九〇八年)は、だれもが認めるブラジルの文学の頂点に座す作家である。とりわけ『ブラス・クーバスの死後の回想』の評価は高く、ブラジルの文学のアンソロジーでこの作品を取り上げないものはまずない。『ブラス・クーバスの死後の回想』は、マシャードの文学のみならず、ブラジルの文学全体から見てもきわめて重要な不朽の名作である。

マシャードは残念ながら日本のみならず世界においても、その高い文学的な質にふさわしい知名度を獲得していず、その理由は何よりもポルトガル語で書かれているというのが大きい。もしも英語やフランス語といったもっと文化的(政治的)影響力のある言語で書かれていたら、ヨーロッパの代表的な古典文学と肩を並べていただろうとはよく言われることである。それでも最近では、スーザン・ソンタグやハロルド・ブルームなどの高名な批評家が世界の重要な作家としてマシャードを挙げたこともあって、徐々にではあるが注目されるようになってきている。ソンタグは、あるインタビューで、マシャードは「一九世紀の主要な作家の一人であり、ラテンアメリカ最高の作家だ」という言葉を残している。


「複合的な文化をもつ国ブラジルの、善と悪を同時に受け容れる小説」 武田千香さんに聞く
マシャード・ジ・アシス
[1839-1908] ブラジルを代表する作家。第二帝政期の奴隷制度が敷かれたリオデジャネイロの貧しい家庭で育つ。父方の祖父母は解放奴隷で、母親はポルトガル移民。 独学で、書店や印刷所で働きながら詩人として文壇にデビュー。新聞の時評,詩,戯曲,短・長編小説、翻訳など手がけたジャンルは多岐にわたる。ブラジル文学アカデミーの初代会長を務めた。一般に本書と『ドン・カズムッホ』『キンカス・ボルバ』を合わせた長編小説が三大傑作とされ、「精神科医」をはじめとする短編も評価が高い。マシャードを抜きにブラジルの文学を語れないほどの存在感を誇る。
[訳者]武田千香 Takeda Chika
東京外国語大学教員。文学を中心にブラジルの文化を研究する。主な訳書にマシャード・ジ・アシス『ドン・カズムッホ』、J.アマード『果てなき大地』、シコ・ブアルキ『ブダペスト』、P.コエーリョ『ポルトベーロの魔女』、著書に『ブラジルのポルトガル語入門』ほか、編書に『現代ポルトガル語辞典』などがある。
《関連刊行本》
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2013年1月28日 光文社古典新訳文庫編集部 |

〈あとがきのあとがき〉「複合的な文化をもつ国ブラジルの、善と悪を同時に受け容れる小説」 武田千香さんに聞く

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小説『ブラス・クーバスの死後の回想』は、私たちがあまり触れることのないブラジル文学の古典です。しかし、読んでみると、古典と呼ぶには、あまりにも型破りで奇抜な形式と内容に、大きな衝撃を受けると思います。

この小説を古典とするブラジルとはいったいどんな国なのか、そもそも160の比較的短いテクストで主人公の人生を語りきる方法を、作者マシャード・ジ・アシスはどのように手に入れたのか。 たいへん興味深い話を、本書を訳した武田千香さんからお聞きすることができました。

------『ブラス・クーバスの死後の回想』との出会いを教えていただけますか。

最初に読んだのは、1989〜90年、ブラジリア大学で留学していた時でした。

当時日本では、ブラジル文学を学ぶ環境は未整備で、日本語で書かれた入門書もまったくなかったのです。

たまたまブラジリアに住む機会を得たので、ブラジリア大学に通ったんですね。ブラジルの文学に関連する学部の授業はすべて出席するというたいへんエライ学生でした(笑)。一般的にブラジル文学とされるものの歴史は、この土地にポルトガル人が上陸して以来の、大航海時代の情報文学といわれるものに始まり、バロック文学、新古典主義文学、ロマン主義、写実主義文学などを経て、モダニズム文学、そして現代の文学へと連なっていきます。授業もその流れに沿って開講されていましたので、それらの授業はすべてとったんです。

その中の一つに「写実主義」という授業がありました。普通の授業だと、その時代の主要な作家たちを均等に扱い、その作品を順々に教えていくものなのですが、その先生は、なんとマシャード・ジ・アシスという一人の小説家を取り上げるのみ、それも『ブラス・クーバスの死後の回想』と『ドン・カズムッホ』だけしか扱わないんです。

------けっこう極端な授業での出会いでしたね。

そうなんです(笑)。しかも、この先生が学生を挑発しながら小説を読んでいく。たとえばこんな具合です。主人公のブラス・クーバスが、足の悪い女性を一週間弄んだ経験を綴った章があります。その次の章、主人公は読者に向かってこう語ります。

「いま、わたしの本を読んでくれている読者の五人か十人の中に、ひとつぐらいは繊細な心が宿っていて、前章を読んできっとやりきれない気持ちになり、(足の悪い女性)エウジェニアの行くすえを思って震えはじめ、おそらくは(中略)わたしのことをシニカルなやつと思ったことだろう。わたしがシニカルだって? 繊細な心よ、冗談じゃない」

この箇所を読んだ後、先生は「ブラス・クーバスのいうことはあっていて、読者は震えることはない。この女性が捨てられるのは、当然なんだから」と私たち生徒たちに語りかけるわけですよ。

良識に縛られた私たちとしては、非常にとまどいまして、「足の悪い女性がカワイソすぎる、ブラス・クーバス、酷すぎる!」とか先生に意見をいったりしました。

こうして、先生の言葉やこの小説家の思想に反撥したり、説得されたりしながら、学生は作品を徹底的に深く読んでいくことになります。するといろんなことが見えるようになってくる。

先ほど、引用した文章には、まだ言葉が続いていて、しばらく読んでいくと、こんな言葉が出てきます。

「いや、繊細な心よ、わたしはシニカルではない。わたしは人間だったのだ」

ちょっと大げさかもしれませんが、私はこの「人間」という言葉で、ブラジル的人間観に触れるきっかけを掴んだように思います。

ブラス・クーバスがいう「人間」って、自分の中にある善も悪も同時に受け容れる時の「人間」なんですよね。何か非常に寛容な、ありのままの人間を認めてくれるところが、ここにはあります。そしてこれはとてもブラジル的な人間観だな〜と思うのです。

------そのブラジル的な人間観とは?

そもそも私がポルトガル語を学びたいと思ったのは中学生のころでしたが、それはブラジルに行きたいと思ったからなんです。当時はまったく自覚していなかったのですが、きっと行けば解放されると思ったんでしょうね。

今もブラジルへよく行きますが、ブラジルに行くと、「人間になれる」って、感じるんですよ。たとえば太る自由(笑)。日本は、やはり痩せ型志向が強いから、太ってくると大きめの服を来て、体を隠したりしますよね。でも、向こうは三段腹だろうが五段腹(笑)だろうが、体形が露わになるぴっちりとした服を普通に着ます。

ある時、私がブラジルの友人に「日本では太っていると、あんなに体形がはっきりと出る服は着にくいんだよね」と言うと、彼は「えっ! なんで? どんな体形だって人間の身体は美しいんだよ」と驚いていました(笑)。ありのままの人間を認める姿勢が日本よりはあるように思いました。

この「人間」と、ブラス・クーバスの「人間」は通じるように思います。『ブラス・クーバスの死後の世界』では、美と醜、善と悪など、現実の社会では相反するようにみえるものが、実は「人間性」に宿る同根のもので、その二つを一緒に認めるんです。だから美や善があるところでは、それが醜や悪となり、またその反対もありうることが理解できる。そのように人間の多面性を受け容れる傾向が、ブラジルの現実社会でも日本より強いように思うんですね。だからさっきの友人の言葉も、あ〜ブラジル的人間観だなあと感心したんです。

でもここでいう善と悪は、それら自身が互いに対立するわけではありません。くどいようですが、善も悪も実は同根で、そのいずれも根っこには人間のエゴがあり、都合と必要性に応じて善として表われたり悪として表われたりする。言ってみれば善が対立するのは非・善であって悪ではない。そうやって善という表の価値観を、善ではないものにずらしていくわけです。

こういう相対的な価値観は、もしかしたらブラジルがポルトガルの植民地であったことと関係があるのではないかと考えています。この国はヨーロッパの価値観をおしつけられてきた国です。それらは撥ね除けようとしても非常に難しい、そのためそれらをずらすことでうまくかわしながら、二面性ないし多面性をもつようになっていったんじゃないかと思うんです。

------それは、実際に住んでみて感じたことですか?

私は2008年から2009年にかけて、リオデジャネイロに10ヶ月住んだことがあるのですが、それを考え始めたのはそのときでした。

それまで私が住んできたのは、ブラジリアやサンパウロなど、この国で奴隷制が廃止された1888年以降に生まれたり大きく発展したりした都市だったせいか、それほど感じなかったのですが、リオデジャネイロはもっと以前から栄えていた都市です。そのため、奴隷制のあった頃のブラジルを強く残しているところがある。現代の都市にもかかわらず、主人と奴隷の関係に根がらみにされた「屈従」ともいうべき人間関係がまだ残っているように思ったのです。

奴隷制の下では、主人が白い紙を見て黒いといえば、奴隷は「はい、そうですございます」といわなければならないほど厳格な主従関係があります。その一方で、奴隷小屋では、彼らはアフリカから持ってきた宗教に根差したもう一つの世界を持っていたと思うんですね。そこでは彼らはかりそめかもしれないけれど、自由に想像できる世界がある。そうした二重構造が、今も残っているような気がしてなりません。

たとえば、ブラジルでは長年カトリックが公式の宗教でした。しかし、その一方で人々は、民間信仰や迷信が混ざった民衆的なカトリックやアフリカの神々への信仰も持っていました。

------二面性をもった社会を背景にして、善と悪という二面性をも同時に受け容れるブラジル的な人間観が生まれたということですね。

そうですね、そこはつながっているように思います。

ブラジルは、ヨーロッパから押し付けられた規範を、ずらしながら自分たちの文化や社会を作っていたように思えます。私はブラジル文化を理解するためのキーワードは、「ずらし」なのではないかと思っています。

------面白そうですね。ブラジル文化の中で、どんな「ずらし」が発見できますか?

私はブラジル文学ばかりでなく、音楽も非常に好きなのですが、サンバのリズムなどにも、この「ずらし」が見られますね。

ロックのリズムは、律動的で規則的なリズムを作っていきますが、サンバの場合はシンコぺーションをいれながら、リズムをずらして展開されます。

サンバで使う楽器も特徴的で、パンデイロというタンバリンを少し大きくしたような楽器は、太鼓のようにリズムを打つと同時に、それに付いている金属片でリズムを分散させます。シェーカーという缶カラに小石をいれたような楽器は、まさに小さなリズムを分散的に生み出していくものです。

対抗文化的なレベルで見ていくとこうなります。ヨーロッパの〝正当(正統)な″音楽、クラシックをXとするなら、ロックは反X、そしてサンバは非Xのように思うのです。私にはXじゃないものを無数に散らばし生み出していく音楽のように聞こえます。

小説の奇抜な形式の起源は、レヴューにあり?

------「無数に散らばす」といえば、この小説も160の比較的短い章で構成されていますね。

この小説の場合の断片化は、本自体がブラス・クーバスという男の人生を模して作られていることと大きく関係していると思うんです。章の一つ一つが人生の局面なんですね。

章の中には、非常に短いものもありますが、よく見てみると、その頻度が前半と後半で違っているんです。後半の方で短いテクストが増えているんですね。それはいろいろな解釈ができると思いますが、人生の疲れや息切れを示しているともとることもできます。

また小説の中に、「ウマニチズモ」という不思議な思想が登場するのですが、それ以降、短い章が増加していることに注目すると、この短さは、達観、悟りといったことを示しているのかもしれません。

つまり、文章内容だけではなく、リズムをつくって、この主人公の人生を表現しているのです。

------なるほど。では、こうした奇抜な形式を、作者のマシャード・ジ・アシスは、どのように生み出したんでしょう?

私は、そのヒントがレヴューにあるのではないかと思っているんです。レヴューというのは、19世紀のヨーロッパで生まれた、音楽、ダンス、寸劇などで構成された大衆演劇です。

ブラジルにはポルトガル経由で、1859年に入ってきて、1880年代には急速に盛んになっています。どんなレヴューかというと、たとえば1月に上演されるものだと、前年のブラジルで起こった事件や出来事をテーマに、総集編的に構成されています。唄と踊りを交えながら、昨年の政治的なスキャンダルを皮肉ったコントが演じられるといった具合です。

特徴は、短い断片のようなコントが、唄と踊りによってつながっていること。場面が勢いよくどんどん変わっていく、非常にスピーディに展開する演劇です。

そしてレヴューは寓意的な手法をとることも特徴なんですね。寓意とは、他の物事にかこつけ、ほのめかして意味を伝えていくということです。動物たちの争いにかこつけて政治家を皮肉るようなことですね。こうしたコントでは、二つの対照的なものを戦わせるというのがよく使われる形式なのですが、たとえばそれによって善と悪との戦いなんかが表現できるわけです。

断片のような場面がつながっていく構成、そして善と悪などの対立概念が多くみられる寓意的物語。この小説ととても似ていると思いませんか?

私は、マシャードが、同時代に隆盛しつつあったレヴューという大衆演劇の形式を使って『ブラス・クーバスの死後の回想』を書き上げたような気がしてならないんです。

ただそんな推論は、私の知る限り、ブラジルでは聞いたことも読んだこともないんですね。きっとそれは、この小説がブラジル文学の古典として読まれているために、なかなか大衆演劇に影響を受けているという考えには結びつかないからかもしれません。

------ブラジル文学の古典......。実はそこがわからないところなのです。奇抜な構成形式など、実験小説のような印象が強く、この作品を古典と呼ぶには違和感があるのですが。

面白いですね。そのご質問からも、まさにブラジルの「ずらし」に気づかされたように思います。つまりブラジルは「古典」というイメージをもずらし、「非・古典」を「古典」としているのかもしれません。

ブラジルの文学は、ヨーロッパの文学に直接的に影響を受けてできあがってきました。とりわけ1822年に独立した後はフランスの文学にあこがれ、その影響を強く受けました。

当時のブラジルの作家たちは、フランスの文学にならって小説を書き、テーマや物語の展開はそのままフランスのものを踏襲し、その中にブラジルの風土や文化現象を絵画的に織り込むというパターンが多かったんです。

しかし、マシャードはそうはしなかった。ブラジルのエッセンスを書き込もうとしたんです。フランス的な小説に絵画的なブラジルの風景を導入するのではなく、まったく新たなブラジルならではの形式をつくり、それを通してブラジルの精神、たとえば人間観や世界観、思考様式などを表現しようとしました。そして、『ブラス・クーバスの死後の回想』で、それに成功したのです。

そのような意味で、形式は実験的ですが、ブラジル文学はここで大きな跳躍を果たしたということができる。だからこの小説は古典と呼べるものなんです。

ブラジル文学と仮面性、そして自由な越境

------ブラジル文学というのは、やはり未知の世界です。何人かの作家を紹介していただけますか?

日本語で多くの作品が読めるのはまず、20世紀のブラジルの国民文学を代表するジョルジュ・アマードです。これは私が訳したものなのですが、『果てなき大地』(新潮社)は彼の最高傑作のひとつで、アマード自身のお気に入りの小説でもあります。また「ブラジル的」という意味では、『丁子と肉桂のガブリエラ』(尾崎直哉/訳 彩流社)をお勧めします。

これは1920年代のブラジルに港町を舞台にした群衆劇です。そこにガブリエラという魅力的な女性が登場して物語が展開するのですが、彼女は靴を履くのが嫌いで、すぐ裸足になってしまうような自由奔放な人物。結婚をするんですが、他の人とも恋愛をします。この自由な感じが、とてもブラジル的な小説です。

 

それから、これも私が訳したもので恐縮ですが、シコ・ブアルキが書いた『ブタペスト』(白水社)。シコ・ブアルキは、シンガーソングライターとしても有名ですが、ブラジルの20世紀を代表する文化人でもあります。主人公はゴーストライター。彼には日本とブタペストにそれぞれ恋人がいて、その往き来を描いた小説です。この作品にも境界を自由に往き来する「ブラジルらしさ」が見られますね。

ゴーストライターですので、言ってみればそれは仮面的な関係性を描いているとも言えるのですが、この仮面性というテーマもブラジルにはよくうかがわれるものです。やはりそのテーマで私の好きな小説に、ズルミーラ・ヒベイロ・タバーリスという作家の書いた『家族の宝石』(1990)があるのですが、仮面夫婦の姿が、偽のルビーの結婚指輪に重ねあわせられ、それを通して人間の欺瞞と偽装性が暴かれていきます。これはまだ日本では訳されていません。

それら以外に日本語で読めるものには、やはり20世紀の重要な作家であるギマランィス・ホーザクラリッセ・リスペクトルの作品があります。でも、ブラジルの文学は、まだほとんど未紹介といっていいでしょう。現代には、ミルトン・ハトゥンベルナルド・カルヴァーリョフーベン・フォンセッカセルジオ・サンターナルイス・フファットなど、優れた作家が多くいます。

そして、『ブラス・クーバスの死後の回想』を読み込んでから、これらの現代文学を読んでみると、境界のたゆたいや偽装性、ありのままの人間を認める姿、斜に構え、ずらす視線など、この小説に見られる特徴の多くが今もしっかりと息づいていることを感じます。

(聞き手/渡邉裕之・2012年6月 東京外国語大学キャンパスにて)

cover148.jpg ブラス・クーバスの死後の回想
マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳
定価(本体 1,314円+税)

2012年9月 8日 光文社古典新訳文庫編集部 |

《書評》『ブラス・クーバスの死後の回想』―ラティーナ2012年7月号

月刊ラティーナ2012年7月号の書評ページで『ブラス・クーバスの死後の回想』(マシャード・ジ・アシス 武田千香/訳)を取り上げていただきました。(評者:岸和田仁さん)

月刊ラティーナウェブサイト>>

(前略)ブラジル文学となると在伯日本語文学雑誌(「コロニア文学」など)での試みを視野にいれても名作を複数の翻訳で読めるという"贅沢"はほとんど許されていなかった。

そんな"断食期間"にピリオドを打つ"事件"が、このほど光文社(古典新訳)文庫から発刊されたマシャード文学の傑作『ブラス・クーバスの死後の回想』である。
(略)
一言でいえば、ブラジルという国境も19世紀末という時代も超越して読み継がれている古典であり、その日本語訳が二つになったことを評者として素直に喜びたい。
(略)
巻末の解説は、単なるお飾り的訳者解説ではない、渾身の文学エッセイだ。多くの人に、この豊かな文学世界を奨めたい。


ブラス・クーバスの死後の回想
ブラス・クーバスの死後の回想
マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳
定価(本体1,314円+税)

2012年7月18日 光文社古典新訳文庫編集部 |

2012年5月刊

5月の刊行本

ブラス・クーバスの死後の回想
『ブラス・クーバスの死後の回想』
 
マシャード・ジ・アシス/武田千香 訳
定価(本体1,314円+税)

ブラジル文学の最高傑作
池澤夏樹氏絶賛!「おしゃべりブラス、きみこそぼくの親友だ。」

死んでから作家となった書き手がつづる、とんでもなくもおかしい、かなしくも心いやされる物語。カバにさらわれ、始原の世紀へとさかのぼった書き手がそこで見たものは......。ありふれた「不倫話」のなかに、読者をたぶらかすさまざまな仕掛けが施される。ブラジル文学の秘められた大傑作。

マシャード・ジ・アシスはブラジル文学の頂点に座す作家だ。『ブラス・クーバスの死後の回想』の斬新さ、あまり に型破りで奇抜な形式と内容は、大きな衝撃を今日にまで与えつづけている。〈訳者〉

【解説より】
 ブラジルの文学百選を募ると、この『ブラス・クーバスの死後の回想』(Memorias Postumas de BrasCubas, 一八八一年)は必ず上位に入り、やはり同じ作者の『ドン・カズムッホ』(Dom Casmurro, 一八九九年)とともに首位を争うこともある。このことが示すようにマシャード・ジ・アシス(一八三九〜一九〇八年)は、だれもが認めるブラジルの文学の頂点に座す作家である。とりわけ『ブラス・クーバスの死後の回想』の評価は高く、ブラジルの文学のアンソロジーでこの作品を取り上げないものはまずない。『ブラス・クーバスの死後の回想』は、マシャードの文学のみならず、ブラジルの文学全体から見てもきわめて重要な不朽の名作である。

マシャードは残念ながら日本のみならず世界においても、その高い文学的な質にふさわしい知名度を獲得していず、その理由は何よりもポルトガル語で書かれているというのが大きい。もしも英語やフランス語といったもっと文化的(政治的)影響力のある言語で書かれていたら、ヨーロッパの代表的な古典文学と肩を並べていただろうとはよく言われることである。それでも最近では、 スーザン・ソンタグやハロルド・ブルームなどの高名な批評家が世界の重要な作家としてマシャードを挙げたこともあって、徐々にではあるが注目されるようになってきている。ソンタグは、あるインタビューで、マシャードは「一九世紀の主要な作家の一人であり、ラテンアメリカ最高の作家だ」という言葉を残している。

[書評]
    ●週刊文春2012年5月31日号/文庫本を狙え!(評:坪内祐三さん)●本の雑誌2012年7月号(6月11日発売)/せつなく明るく赤裸々な死者が語る小説三冊(評:佐久間文子さん)
[近刊ラインナップ]

2012年6月11日 光文社古典新訳文庫編集部 |

武田千香 Takeda Chika

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武田千香 Takeda Chika
  • ブラス・クーバスの死後の回想
  • ドン・カズムッホ
『ブラス・クーバスの死後の回想』(マシャード・ジ・アシス)
『ドン・カズムッホ』 (マシャード・ジ・アシス)
東京外国語大学教員。文学を中心にブラジルの文化を研究する。主な訳書にマシャード・ジ・アシス『ブラス・クーバスの死後の回想』『ドン・カズムッホ』、J.アマード『果てなき大地』、シコ・ブアルキ『ブダペスト』、P.コエーリョ『ポルトベーロの魔女』、著書に『ブラジルのポルトガル語入門』ほか、編書に『現代ポルトガル語辞典』などがある。

2012年5月 9日 光文社古典新訳文庫編集部 |


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