光文社古典新訳文庫: 検索結果

光文社古典新訳文庫で“長谷川宏”タグの付いているブログ記事

〈あとがきのあとがき〉アランが注目する「芸術作品を生み出す現場」を通して、 哲学や暮らしを考える
『芸術論20講』の訳者・長谷川宏さんに聞く

cover203_01.jpg

『芸術論20講』は、『幸福論』などで知られるフランスの哲学者アランが語る、芸術に関する講義が並んでいる本です。

20本の講義でアランは、このようなメッセージを伝えます。
 芸術作品は、前もって頭の中で考えられたアイデアなどでは作れないと。

では、どう生み出されるのか?

たとえばアランは職人仕事に注目します。あるいは庭園術を見ておこうと語りかけます。ポイントは、職人仕事の中にある素材や技術の制約や、庭園術の要である自然への服従を注意深くみつめていることです。

芸術論を語るのに、なぜこのような一見地味な事柄を語ろうとするのか?

ここには斬新なコンセプトをもって登場してきたアーティストや、新時代を切り開いた芸術作品ばかりが目立つ、いわゆる「20世紀の芸術」とは違った、「もうひとつの芸術」があります。

アランの斬新かつユニークな芸術論について、本書を翻訳した長谷川宏さんにお話を伺ってきました。

『精神現象学』
ヘーゲル/著 長谷川 宏/訳(作品社 1997年)

長谷川さんは、長年哲学の研究を続けてこられ、ヘーゲルの著書の「わかりやすく且つ深い」新訳によって日本の哲学書翻訳の世界を更新させた方です。

しかし、こうした業績をもつだけの研究者ではありません。哲学することと、暮らしの中で考えることの接点を、ただ考えるのではなく、運営する塾を地域に開くという実践によって模索してきた哲学者です。

アランの芸術論と、長谷川さんの暮らしに対する考えを、続けて聞くことのできるインタビューとなりました。この組み合わせによって、アランが語る「もうひとつの芸術」の世界や、その基盤にある共同性の意味を深く感じ取ることができるのではないかと思います。

インタビューの入り口は、本書『芸術論20講』と、その前に書かれた芸術論『芸術の体系』との関係性と違いを見ることから。

アランが第一次世界大戦に従軍し、戦火の合間に書き綴った芸術論が『芸術の体系』です。長谷川さんは、この文庫でその新訳を2008年に出版しています。

『芸術論20講』は、その講演版ということになっているのですが、実はそれだけではないようで......さあ、インタビューを始めましょう。

アランは、なぜこのような芸術論を語ったのか

------まず『芸術論20講』と、『芸術の体系』の関係性と違いを教えて下さい。

長谷川 内容でいえば、『20講』は『体系』を踏まえた20本の芸術論の講義を集めたものです。『体系』で語ったことを修正したりしてはいません。が、語り方は変わっています。

アランという人は、「改めて語る、読む」ということについて、とてもユニークな考えをもっている人なんです。彼はスタンダールやバルザックが好きで、繰り返し同じ小説を読んでいたといいます。そんなアランに、こんな有名な言葉がある。

「スタンダールの『パルムの僧院』と『赤と黒』がどちらがよいかと聞かれると、とても難しいけれど、新しく読んだ方が少しよいように思える」

------あっ、なんかいい言葉ですね。

長谷川 要するに書物に接する時、過去に読んだとしても、その時々、新鮮な気持で一冊の書物に接し改めて考えたい、そういう態度を大事にするのがアランです。それは語るという行為でも同じで、新たな経験の中で語り直すことを大切にしている。

『体系』は、第一次世界大戦の従軍生活の中で書かれており、『20講』の方は、自分が非常勤講師をしている学校の女子学生相手の授業で話したことです。状況が違えば、アランはそれに即して考えますから、語り方が大きく変わったのです。

------内容はどうなんでしょう? 「訳者あとがき」では、担当編集者と『体系』では「ダンスについて話すことが多かったが、今回は建築についてことばを交わすことが多かったように思う」と長谷川さんは書いておられます。このエピソードから、2冊の違いが語れますか?

長谷川 できるかもしれない。それぞれの魅力的なところを語り合ったのではないかな。普通、芸術論が扱うジャンルというと建築、彫刻、絵画というのがパターンです。僕が訳に加わった『美術の物語』(天野衛、大西広らとの共訳 ファイドン)を書いた美術史家のエルンスト・ゴンブリッチの芸術観はその典型ですね。しかし、アランは違う。ダンスを最初の方にもってきて語ったりする、しかも村の人たちが集まって踊るようなダンスが、どうして美しいかを分析する。やはり一番読ませるところなんだな、そこを元々バレエが大好きな担当編集者と語り合ったわけです。

それで今回の『20講』で一番面白いのは、建築論ということになる。それもオーソッドクスな建築論ではなくて、建築と庭園を同じ枠組みの中で論じていたりする。これが非常に面白い!

------この建築論、感銘しました。アランは「大庭園芸術は自然に服従することによって様式を守っている(中略)庭園芸術ではほかの芸術よりも、しあわせな服従がどういうことか分かりやすい」と書いている。自然への服従を建築論の重要なポイントにし、その服従を幸福と結びつけているところなど、自然を制圧する大建築という考えからなんとか抜け出ようとしている、現代の若い建築家なんかに読んで欲しいと思いました。

長谷川 庭園術が何をするかというと、すでにある地形をどうやって庭として案配していくかということになります。今だったらブルドーザーで土地をガーッと壊して真っ平らな更地にしてしまうけれど、この本が出た20世紀前半のヨーロッパでは技術的にそれは無理だった。絵画だったらまっさらな紙の上でアートしてしまうけれど、庭はすでにあるものをどう生かしていくかを考えるしかない。その制約にアランは注目する。「自分の構想」が生かせるものではなく、「自然が望むもの」を生かして作っていくこと、それこそが素晴らしいと考える。この建築論には、アランの芸術論の真髄がわかりやすく語られています。

------素晴らしい芸術を生み出すのは「自分の構想なんかではない」というのは、本書のポイントですね。そこで質問です。この「作品の美や強さが、前もって考えている理念によって作られるのではなく、たとえば実作行為の中で生み出されのだ」という考えを、アランが強調するのは、どういう意図があるんでしょうか? それと、その考えは、当時の20世紀前半のヨーロッパ社会に於いて、どんな意味があったのでしょう?

長谷川 2つの問題は深く繋がっています。

アランが『体系』を書いていた第一次世界大戦は、1914年から1918年まで続く戦争で、その中の1917年に書いている。芸術史でいうと、そろそろ前衛芸術が出てくる頃、絵画なら抽象画、建築なら機能主義的なモダニズム建築、さらにはロシア革命と連動する構成主義などの芸術運動も盛んになり始める頃です。

このような新しい芸術の流れが少しずつ目に見えるようになってきた時代ですが、アランはそういう流れには乗らなかったんだと思います。反対に、今まで自分たちが享受し作り上げてきた伝統的な芸術のよさというものを、その流れから守ろうした。そういう意味でいえばアランはとても保守的です。

彼はこう思ったんじゃないかな。芸術作品というのは、そんなふうに自分たちの意志で勝手にできるものではない。若い芸術家が「新しい観念さえあれば何でもできるんだ」というが、そんなことはありえない。「オリジナリティ」を誇ったりもするが、芸術はそんな偉そうなものではないだろうと。

そんな時代の中で、アランの場合は、職人仕事に対する敬意がふつふつとわき上がってきたんだと思います。無名の職人が作り上げてきた、たとえばステンドグラス。ゴシック教会を飾るステンドグラス、この職人仕事の素晴らしさをどう伝えたらいいか。彼は、その職人仕事の中に入り込むような形で語ろうとしました。

img_atogaki_Hasegawa-05.jpg
スペインのレオンにある大聖堂のステンドグラス

ガラス一枚一枚を職人は半田の太い線で繋いでいく、決して洗練されたとはいえない線なのだけど、全体としては非常に美しいステンドグラスができあがる。どちらかといえば荒っぽい半田とガラスという素材、そういう制約の中で素晴らしい美しさが表現できることをアランは語ろうとした。さらに、素材や技術が要求してくるものを跳ね返して、自在にものごとを作れるなどというのは、製作条件としてはちっともいい条件ではないと考えた。そのことを語ることで、頭の中で考えてきたことがそのまま実現すると信じている者に対して、「嘘おっしゃい」といいたかったのではないでしょうか。

------しかし、抽象絵画の先駆者カンディンスキー(最初の抽象絵画発表は1910年)の名も、モダニズム建築の代表的学校、バウハウス(1919年設立)、ロシア革命(1917年)と芸術についても、本書では語られていませんね。

長谷川 『体系』でもいっさい触れられていません。アランはけっこう過激な社会主義者で、社会を批判的に見ていましたが、直接否定的な言葉を相手に投げつけるような人ではありませんでした。文章にも品性や節度が必要だと思っていたのでしょう。

アランの芸術論の根本にある共同性

------見えない敵が見えたところでアランの意図もなんとなくわかってきました。さて、本書は語り方や内容も面白いのですが、構成の仕方も魅力的です。『芸術論20講』というタイトルですが、20本ある講義の順番がとても納得がいくのです。

長谷川 最初の方にダンスについての講義があって、それから音楽、詩、見世物と続いていく。アランが考える芸術の基本のひとつは「からだ」なんですね。たとえばダンスは頭でアイデアを作ってやるというよりは、「からだ」がある均衡をもった状態になり、自身にとって心地よい状態になることがすごく大切で、それができることが作品として、あるいは人に見えるものとしての素晴らしさに繋がっていくと考える。そして、音楽や詩、見世物もその範疇の芸術としてある。

しかし後半に出てくる、建築、彫刻、絵画は、それとは少し違って自分の中にある観念が比較的実現しやすい芸術として捉えている。

それはまた「共同作業」という視点からも分けられているんです。たとえば絵画、19世紀くらいから絵を描くことは、「共同作業」から脱していった、一人でキャンバスに向かって描くようになってしまったんですね。

音楽だって今は一人コンピュータで作るようになってしまったけれど、アランが考えている音楽の基本は民謡みたいなもの。何かみんなで仕事をしていて誰かが「オ〜」と唄いだすと、あっちから誰かが「ア〜」と声を重ねる、そこでハーモニーが生まれたりリズムが刻まれたりする。アランが考えている音楽はそういうものです。 ダンスも同様で、普通の暮らしの娯楽として、あの人とこの人が踊りだすと気持いいという、一種の「共同作業」として捉えている。

芸術の美は、実作行為の中で生み出されるといった時の実作行為は、まずは集団的な作業なんだとアランは考えていたのではないでしょうか。その「共同作業」から個人の作業へ移行していく、すると作品も観念でコントロールできるようになり、抽象度が高まっていく。ダンス、音楽、詩、見世物、そして衣装が入り、建築、彫刻、絵画へと繋がっていく構成は、その「共同作業」から個人の作業への流れとも呼応しているんです。

------アランは、「共同作業」を大切なものとして考えていたのですね。

長谷川 みんなで踊るとか唄うとかは、作り上げていく過程が共有できるけれど、建築、彫刻、絵画などは製作過程が見えにくくなっていく。人々が働く姿がある種の芸術行為であり、そこからできるものが芸術なんだというのが、アランの芸術論の根っこにあるのだと思います。

------「共同作業」といえば、長谷川さんはいくつかの研究会や読書会をやっておられる。そのひとつの「美学の会」が、この『20講』を訳すきっかけとなったことを、「訳者あとがき」で書いていますね。

『ヘーゲル美学講義〈上〉』
長谷川 宏/訳(作品社 1995年)

長谷川 僕は、アカデミズムの外で哲学を勉強し続け、同時に小学生・中学生相手の塾をずっと長くやってきたわけだけど、その塾を会場にして地域の人たちと読書会をしてきました。他にも別のところで行っている研究会などが幾つかあって、その一つが、もう15年くらい続いている「美学の会」なんですね。

僕は1997年に『新しいヘーゲル』というヘーゲルの思想を紹介する本を講談社新書から出しています。ある大学の市民大学講座で、その本を基にして講義を一年くらい続けたんですが、そこで受講者の人たちとグループを作りました。僕の講座というのは、勧進元を離れて会が続いていくというのが多いのです。もう講座じゃないんだから講師料なんかいらない、「研究会にしましょう」ということになる。初めは僕が訳したヘーゲルの『美学講義』(作品社)を読むことにしたんです。それで「美学の会」という。参加者にたまたま芸術の仕事に携わる人が何人かいた。画家、写真家、劇作家、ピアニストとかね。勿論哲学に興味をもっている参加者もいたけれど、なんとくなく読む物も芸術系のものを意識的に選ぶということになっていった。その中の一冊がアランの『芸術の体系』というわけです。

------「そこで何度となくアランの分かりにくさが話題となった」と「あとがき」で書いています。

長谷川 そう、確かにわかりにくい。そこでフランス語原文に還っていったりするんだけど、合わせて『芸術論20講』の関連箇所も読むようになっていたんです。するとそこから新しい光が射してきて、わかりにくさを解きほぐしてくれる。こうして読むことが、本書の翻訳につながっていったわけです。

哲学の思考回路と暮らしで考えることの接点

------先ほど、大学とは離れて哲学研究をしつづてきたこと、塾も長く続けてきたことなどの話が出ました。塾は大学を出てから始めたのですか?

長谷川 僕はちょっと大学で教えていたのですが、1968年に東京大学でバリケード闘争が始まった。僕は学校側と学生たちとの中間にいるような位置取りから、だんだん学生側に肩入れをするようになった。そして、闘いの火の粉が飛んでくるようなところが好きだったというか(笑)、結局1年くらいバリケードの中で生活しました。ストライキの方はこれ以上続けてもどうにもならんということで、自分たちの方から解除しました。それで今さら大学に戻ることはあるまいと考え、外に出たんですね。友人と二人で塾を始めたのです。一緒にバリケード闘争を闘った嫁さんは「私はもともと東大なんか嫌いだったから」といってさっさと保育士となって働きだした。それが1970年くらいの話です。塾を一緒に始めた友人は途中で離れていったのですが、僕はもう45年間、塾を続けてきたことになる。

そんなに年月がたつと最初に教えた子供ももう50代中頃。今でもつきあいはあって、今年の正月も何人かやってきて呑んで大騒ぎしました。もう掛け替えのない友人という感じです。そして、この塾で何か面白いことをしようと計画する時は、そういう人たちが頼りになるスタッフとして働いてくれる。

------塾で面白いことって、なんですか?

img_atogaki_Hasegawa-01.jpg
演劇祭で上演された「ハムレット」の練習・公演などを記録した映画「劇・ハムレットが出来るまで」(監督・山本良子)の上映会のチラシ。赤門塾ホールというのは、塾の教室を転用した劇場の名前。(2004年)

長谷川 たとえば演劇祭。この塾の教室は演劇ができるようになっているんです。

------へ〜!(後で見学したが、教室の裏には楽屋になるスペースがあったり、天井には照明用のバトンが吊るされていたりする)

長谷川 小学生、中学生、高校生から大人というグループに分かれて演劇を上演するんです。たとえば子供の方は木下順二の児童劇、大人はシェイクスピアをしたりする。今年は「マクベス」ですね。シェイクスピアは5、6本やっているかな。ほら、ハムレットの写真とか見て下さい、カッコイイでしょ(笑)。このオフェリア、普通の女の子ですよ、それがこんな素敵な格好をして、これ見たら小学生は「あたしもやりたい〜!」ですよ(笑)。

清水邦夫の『幻に心もそぞろ狂おしのわれらの将門』が去年のOBの出し物でした。

------塾で、清水邦夫もやるんだ......。

長谷川 唐十郎の作品だって上演したことがある(笑)。

こういってはなんですが、芝居はけっこうみんなうまい。もう40年もやっているわけですから、ちょっとした劇団です。しかもプロでやっていた人が、面白がって参加してくれたりする......そう、塾の子供の母親が、「お父さんが最近鬱々としているんです。学生の時に演劇をしていたというから、入れてやってくれませんか」と頼んできたりする(笑)。最初はお父さんも恐る恐る参加するだけど、だんだん本気になって元気になる! そして芝居の打ち上げで「実は一時期、もう生きていたくないと思ったこともあって」なんてぽろりといったりする......。

------う〜む、舞台裏もドラマチックですね。......それから、お芝居だけじゃなくて、塾をギャラリーにして美術作品の展覧会などもしているんですね。今、チラシを見せてもらったんですけど、なかなかいい感じのデザインです。

長谷川 みんなでチラシもデザインして、遊んでいるんですね。そして毎年夏の最大の遊びが10泊11日の合宿。諏訪湖の近くの山奥に行って子供たちと暮らす。炊事も全部自分たちでやってドラム缶風呂に入って、広い空間にみんなで布団を敷いて寝る! 楽しいです。

img_atogaki_Hasegawa-02.jpg
2013年の合宿の様子。

塾では勉強を教えるからセンセーと呼ばれもしますが、一緒にいろいろと遊んでいると呼び方もオッチャンになってくる(笑)。

こんなことをずっとやっているとどうなるか。塾にいた子供は大きくなります。そして近所に暮らし続けていてくれたら、関係は深くなっていく。それを基に地域の人たちとの付き合いがだんだん濃厚になってくる(笑)。

------そういう暮らしをしながら、ヘーゲルの研究をしてきたわけですよね? 哲学とそういう生活はつながっているのですか?

長谷川 はっきりいって、そう簡単にはつながらないですよ。昼間はヘーゲルを読んだり、言語の問題を考えるのにソシュールなどの本を読む、夕方になって子供たちがやってくると「二二んが四、五五、二十五」などと教えてる。この二つはなかなかつながりません。だけど別のことをやっているとは思いたくない。大学にいなくても学問はできると考え外に飛び出た自分ですから。悩ましい時期がしばらく続きました。

それから時が流れ、塾の様々な活動と哲学の研究の接点らしきものが見えてくるようになった。高校生、あるいは大学生になっても塾に来る子がいて、そういう子供に何か問題を投げかけた時に、向こうからとても面白い答が返ってくる。こっちもそれを受けて改めて問題を考える。こういう思考の回路って、自分の哲学研究でやっていることとそれほど違わないのではないかという感触が掴めるようになってきたのです。そうだな、塾を始めて5年くらいたった頃かな、接点を掴めるようになってきました。

といっても、圧倒的に生活の方が大きいですよ。

僕には子供が四人いるのですが、子育てをして夕方から塾で教えて......それでもなんとか勉強の時間は確保していた感じです。哲学と暮らしの接点といっても、ヘーゲルの翻訳なんか、最初の訳稿は塾に来ている高校生や大学生に読んでもらって......。「面白くなかった」といわれるとカツンとくる。「じゃあ面白くしてやろうじゃないか」と何度もやり直したこともあった次第で(笑)。

今、僕は二人の孫の面倒を見ています。現在では塾はほとんど息子に任せていますが、それでも研究をする時間が少ないので、毎朝早く起きて、とにかく昼くらいまで机に向かっています。また、どうしても孫の面倒が見れないという時は、介護の勉強なんかをしているOBの大学生に助けを求める。地域に生きるというのはそういうことですよ。

img_atogaki_Hasegawa-03.jpg
2013年の合宿の様子。

------その研究ですが、現在は日本精神史を研究していると聞いたのですが。

長谷川 十数年前に丸山真男論『丸山真男をどう読むか』(講談社現代新書)を書いて、その中で彼が書いた日本思想史に色々と不満を感じまして、これは自分で書かなければいけないと思ったのです。それが研究の直接のきっかけになりました。

具体的には、ある時代に作られた仏像や絵巻物、物語や随筆、思想書などから時代精神を読み解き、大きな歴史の流れの中に組み込んでいく仕事です。

しかしこれも塾を営む暮らしと関係しています。随分前、中学3年の二人の塾生が卒業記念に奈良へ行って、すごい感激して、今度一緒に行こうよと誘ってきた。その次の年から行き始めて毎年奈良に行っています。これも40年続けてきました。東大寺や法隆寺はもう何十回と行っていて、百済観音や、日光・月光菩薩のよさが確実にわかったと思える時があったりするわけです。このような経験が、現在の日本精神史研究を培っていると思っています。

img_atogaki_Hasegawa-04.jpg
同じく合宿の球技大会。後ろに控えるバッターが長谷川宏さん。

------研究の背景には、塾や地域という共同性の場があるのですね。長谷川さんのお話を途中から、アランが考える芸術と共同作業との関係性と結びつけて聞いていました。そこから何故、長谷川さんがアランの芸術論に注目したのかも朧げながら見えてきたような気もします。

今日は、貴重な午前中という時間を割いていただき、本当にありがとうございました!

(聞き手 渡邉裕之)


芸術論20講

芸術論20講

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体1,100円+税)
  • ISBN:75304-7
  • 発売日:2015.1.8
芸術の体系

芸術の体系

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75147-0
  • 発売日:2008.1.10

2015年2月 3日 光文社古典新訳文庫編集部 |

『芸術論20講』(アラン/長谷川 宏 訳)

ホーム > 刊行本リスト > 芸術論20講

芸術論20講

芸術論20講

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体1,100円+税)
  • ISBN:75304-7
  • 発売日:2015.1.8
  • 電子書籍あり

音楽,演劇,詩,建築,彫刻,絵画......
あなたの芸術の見方、間違っているかもしれませんよ。

作品

音楽、演劇、詩、建築、彫刻に絵画。芸術作品とは、初めに構想(アイデア)があってそれを具現化したものだと私たちは考えがちだが、それは違うとアランは言う。では、どう考えるのか? 戦火のなかで書きとめた『芸術の体系』に次ぐ、アランの斬新かつユニークな芸術論集。


内容

わたしたちはよく、頭のなかになんらかの思い、イメージ、構想がまずあって、それが形となって実現されたものが芸術作品だと考える。この通念、公式にアランは強く異を唱える。美のなりたつ現場から眼を逸らした俗流の解釈にすぎない、と。斬新かつ奥深いアランの芸術観にきっと眼を開かれるだろう。

    目次
  • 1講 体系
  • 2講 芸術と情念
  • 3講 芸術と情念(続き)
  • 4講 見世物芸術への応用
  • 5講 ダンス
  • 6講 音楽
  • 7講 詩
  • 8講 見世物
  • 9講 見世物(続き)
  • 10講 衣裳
  • 11講 衣裳(続き)
  • 12講 建築
  • 13講 建築(続き)
  • 14講 建築(続き)
  • 15講 彫刻
  • 16講 彫刻(続き)
  • 17講 絵画
  • 18講 絵画(続き)
  • 19講 デッサン
  • 20講 芸術家

<あとがきのあとがき> アランが注目する「芸術作品を生み出す現場」を通して、 哲学や暮らしを考える
『芸術論20講』の訳者・長谷川宏さんに聞く

[書評]
    ●北海道新聞2015年3月8日
  • 「身体重視する独特の視点」 (評者:北海道情報大学教授 三浦洋さん)
アラン
[1868−1951] フランスの思想家。フランス各地の公立高等中学校で教師生活を送るかたわら、執筆活動を続ける。1903年、新聞で「プロポ」と題する短文の連載を始め、その後、この短文形式がアランの自由で柔軟な思想を表現する最適な形となった。1914年、46歳で第一次大戦に志願兵として従軍し、苛酷な戦場で『芸術の体系』を書く。1951年5月、文学国民大賞を受賞。同年6月、パリ西郊ヴェジネの自宅で死去。主な著書に『幸福論』『教育論』『文学についてのプロポ』などがある。
[訳者]長谷川 宏
1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者。著書に『高校生のための哲学入門』『新しいヘーゲル』『丸山真男をどう読むか』『いまこそ読みたい哲学の名著』『ことばをめぐる哲学の冒険』『初期マルクスを読む』など。主な訳書に『精神現象学』『歴史哲学講義』『法哲学講義』『美学講義』(以上、ヘーゲル)、『経験と判断』(フッサール)、『芸術の体系』(アラン)などがある。
《関連刊行本》
<$mt:PageTitle$>" />
  • Clip to Evernote
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2015年1月 8日 光文社古典新訳文庫編集部 |

『経済学・哲学草稿』(マルクス/長谷川 宏 訳)

ホーム > 刊行本リスト > 経済学・哲学草稿

経済学・哲学草稿

経済学・哲学草稿

  • マルクス/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体680円+税)
  • ISBN:752063
  • 発売日:2010.6.10
  • 電子書籍あり

『資本論』の始まり マルクス、26歳。新しい思想の誕生。働くほど、なぜ人は貧しくなるのか?


作品

経済学と哲学の交叉点に身を置いて、社会の現実に鋭くせまろうとした若きマルクス。 青年期の輝くような、そして生き生きと躍動する思考の瑞々しさが、明晰な訳文で鮮やかに再現される。


内容

勃興する資本主義を鋭く分析・批判し、のちに『資本論』に結実する経済学的思考。そしてヘーゲル批判から発し、労働の意味を肯定的に捉え直そうとする哲学的思考。この二つの思考が交わるところで、青年マルクスは革新的な思想を打ち立てた。


訳者あとがき

「学生時代に"初期マルクス"ということばをよく耳にした。著作としては「ユダヤ人問題のために」や「ヘーゲル法哲学の批判・序説」や「経済学・哲学草稿」(「草稿」というより「手稿」といわれるほうが多かったように記憶する)や「ドイツ・イデオロギー」などが初期マルクスだった。

1950年代から60年代にかけての政治の季節のこととて、マルクスといえば、なによりも髭もじゃの革命思想家のことだったが、初期マルクスというと、共産主義者として立つ前の、現実と思想的に格闘する初々しい青年像が思いうかぶようだった。安保闘争の高揚期にそんな余裕はなかったが、潮が引いたあとでは数人で集まって初期マルクスの読書会を催したりもした。

が、初々しいイメージとは裏腹に、初期マルクスの著作はどれも読みやすくなかった。論旨を性急に政治革命に結びつけようとするこちらの読みかたにも問題があったが、それ以上に、マルクスの文章がぎくしゃくし、論がなだらかに前へと進まないのが読みにくさの原因だった。読書会は翻訳書をテキストにしていて、訳文のぎこちなさに困惑したが、のちにドイツ語原文にも当たるようになって、原文が原文でこれまた読みすすむのに難渋することが分かった。初期マルクスの著作は、完成稿・未定稿を問わず、一様に、「心あまりて、ことばたらず」といったところがあるのだ。

その感じはいまも変わらないから、そのうちの一書を訳す仕儀になったのはわれながら奇妙なめぐり合わせだったと改めて思う。......


カール・マルクス
[1818−1883] ドイツ(プロイセン)の哲学者・経済学者・革命家。思想家として現代にもっとも深い影響を与えた。「独仏年報」誌に「ヘーゲル法哲学批判・序説」「ユダヤ人問題のために」を発表。本書で私有財産の哲学的解明と労働疎外の問題に取り組んだのち、『経済学批判』『資本論』で資本主義の矛盾を鋭く分析、批判。20世紀の社会主義革命の思想的な礎を築いた。私生活ではつねに窮乏にあえぎ、相次いで幼い娘・息子を亡くすなど不遇をかこったが、親友エンゲルスの経済的援助を受けながら意欲的な執筆活動を続けた。1883年3月没。のちにエンゲルスが『資本論』第2、3巻を編集・刊行した。
[訳者]長谷川 宏
1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者。著書に『高校生のための哲学入門』『新しいヘーゲル』『丸山真男をどう読むか』『いまこそ読みたい哲学の名著』『生活を哲学する』『ことばをめぐる哲学の冒険』など。主な訳書に『精神現象学』『歴史哲学講義』『法哲学講義』『美学講義』(以上、ヘーゲル)、『経験と判断』(フッサール)、『芸術の体系』(アラン)などがある。
《関連刊行本》
<$mt:PageTitle$>" />
  • Clip to Evernote
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年1月28日 光文社古典新訳文庫編集部 |

『芸術の体系』(アラン/長谷川 宏 訳)

ホーム > 刊行本リスト > 芸術の体系

芸術の体系

芸術の体系

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75147-0
  • 発売日:2008.1.10
  • 電子書籍あり

美とはなにか 芸術とはなにか

作品

アランの「折り目正しい考え方」を丹念に追い、短かい節を積みかさねて冷静かつ澄明に前へと進めていく、その論の運びを、テンポよく、流れるように訳出した決定訳。


内容

行進、曲芸、ダンスから絵画、音楽、建築、散文まで----。
人間が人間として日々を生きるということと、芸術活動や芸術作品のありかたを常に結びつけて考えたアラン。 第一次世界大戦に従軍し、戦火の合間に熱意と愛情をこめて考察し、のびのびと書き綴った芸術論。

アラン
[1868−1951] フランスの思想家。フランス各地の公立高等中学校で教師生活を送るかたわら、執筆活動を続ける。1903年、新聞で「プロポ」と題する短文の連載を始め、その後、この短文形式がアランの自由で柔軟な思想を表現する最適な形となった。1914年、46歳で第一次大戦に志願兵として従軍し、苛酷な戦場で『芸術の体系』を書く。1951年5月、文学国民大賞を受賞。同年6月、パリ西郊ヴェジネの自宅で死去。主な著書に『幸福論』『教育論』『文学についてのプロポ』『芸術二〇講』などがある。
[訳者]長谷川 宏
1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者。著書に『高校生のための哲学入門』『新しいヘーゲル』『丸山真男をどう読むか』『いまこそ読みたい哲学の名著』など。主な訳書に『精神現象学』『歴史哲学講義』『法哲学講義』『美学講義』(ヘーゲル)、『経験と判断』(フッサール)などがある。
《関連刊行本》
<$mt:PageTitle$>" />
  • Clip to Evernote
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年1月27日 光文社古典新訳文庫編集部 |

長谷川 宏さん、藤井省三さん、亀山郁夫さん--新刊のお知らせ

長谷川 宏さんの新刊、藤井省三さん、亀山郁夫さん共著のお知らせです。

cover_hasegawa_kotoba.png『ことばへの道 言語意識の存在論』 
長谷川 宏/著
講談社学術文庫
2012年8月発売
価格:1,208円(税込み)

ことばを通して現実があらわれ、人間があらわれ、共同社会があらわれ、宗教があらわれ、芸術があらわれるという展望がなかったら、ことばを論ずる魅力はおそらく半減することだろう。―著者は「あとがき」でそう断じる。人として存在すること、社会のなかに在ることと、否応なくむすびついた「ことば」とはなにか。繊細でしなやかな哲学的洞察。


cover_haruki_2012.jpg『村上春樹の読みかた』 
石原千秋、亀山郁夫、三浦雅士、藤井省三、加藤典洋/著 菅野昭正/編
平凡社
2012年7月発売
価格:1,680円(税込み)

世界の文学の最前線に立つ村上春樹。その魅惑的な謎に満ちた小説世界の核心とは? 
世田谷文学館で行われた5回の連続講座をまとめた評論集。石原千秋、亀山郁夫、三浦雅士、藤井省三、加藤典洋、5人の講師陣と編者が村上ワールドの秘密に迫る。



2012年9月 3日 光文社古典新訳文庫編集部 |

長谷川宏さんージュンク堂トークイベント「働くほどなぜ人は貧しくなるのか?」

photo_hasegawa0722_01.jpg『経済学・哲学草稿』(マルクス・著)の刊行を記念して長谷川宏さんのトークイベントが7月22日(木)19時からジュンク堂池袋本店で行われ、定員40名のイベントスペースは超満員、猛暑となったこの日同様に、熱気あふれるトークイベントとなりました。

長谷川さんが「マルクスに帰ってきた」きっかけは、去年岩波市民セミナーで初期マルクスを学ぶ講座を受け持ったこと。そのテキストに使用しようと手に取った『経済学・哲学草稿』の既訳の堅苦しさが気になり独自に新訳を手がけ、抜群に読みやすい新訳『経済学・哲学草稿』が誕生しました。

始めにヘーゲルの近代の捉え方をふまえ、その思想につらなる青年期マルクスの「自然/社会/人間」についての論考を


●第一草稿 /四.疎外された労働

第三草稿 /二.社会的存在としての人間
(これまでは「私有財産と共産主義」と訳されていたものを新訳)
を中心にお話いただきました。
photo_hasegawa0722_02.jpgこの二章は、「訳していてぐいぐい引き込まれた」(7月15日の中国新聞朝刊掲載記事)と長谷川さんがおっしゃっているように、「青年マルクスの生き生きとした思考が躍動する章」(あとがき)です。

会場からは、「希望の哲学は可能なんでしょうか」という質問もありました。
私たちが生きる現在をどう捉えたらいいのか、青年マルクスの思考がその足がかりになるかもしれません。

ぜひ、ご一読ください!

※このトークイベントの模様は、ジュンク堂からUstreamで配信される予定です。

photo_hasegawa0722_03-600.jpg

cover105.jpg

経済学・哲学草稿
マルクス/長谷川 宏 訳
定価(本体680円+税)
cover47.jpg

芸術の体系
アラン/長谷川 宏 訳
定価(本体914円+税)

2010年7月26日 光文社古典新訳文庫編集部 |

6月の新刊『経済学・哲学草稿』刊行記念ー長谷川 宏さんトークイベント

cover105.jpg

6月10日発売の新刊『経済学・哲学草稿』(マルクス・著/長谷川 宏・訳)の刊行を記念して、長谷川 宏さんのトークイベントを東京堂書店神田本店とジュンク堂池袋本店で開催します。
ヘーゲルの研究でも広く知られる長谷川さん。東京堂ではヘーゲルとマルクス双方の思想の源流を探り、ジュンク堂では「疎外」をキーワードにマルクスの労働観、社会観、自然観について語っていただきます。現代日本にとってもアクチュアルなテーマです。ぜひ、ご参加ください!

ヘーゲルからマルクスを、 マルクスからヘーゲルを読む。 ----新しい思想はいかにして生まれたか?

日 時:7月6日(火) 18:00~20:00
会 場:東京堂書店 神田本店6階
《予約&お問い合わせ 》
■東京堂WEBサイト>>

「理性につらぬかれた世界と対峙しつつ、みずからも理性的存在である意識がこれと知的にかかわる。そこにこそ人間の経験の根本のすがたがあると考えたヘーゲル。これにたいし青年マルクスは、自己に回収されない人間という自然体、そして、自己意識の観念世界にからめとられない現実の自然や人間や社会や歴史に、知を超える経験の場を見ようとしたのだった。」(解説から)。青年マルクスはヘーゲル思考の観念性を批判し、真の人間解放を目指した。 生活のなかで哲学を考える、生活を哲学する立場で数々の著作・翻訳を出し、またヘーゲル翻訳で哲学書翻訳に"革命"を起こした長谷川さんが、マルクスが打ち立てた新しい思想の源流とその革新性、現代性を、ヘーゲルとマルクス双方から読み解く。

働くほどなぜ人は貧しくなるのか?
 ――マルクス、26歳。新しい思想の誕生。


日 時:7月22日(木) 19:00~
会 場:ジュンク堂書店 池袋本店4階喫茶にて
入場料:1,000円(ドリンクつき)
定 員:40名

《予約&お問い合わせ》
1階 案内カウンターまたは電話で予約。
TEL:03-5956-6111
ジュンク堂WEBサイト>>

「1950年代から60年代にかけての政治の季節のこととて、マルクスといえば、なによりも髭もじゃの革命思想家のことだったが、 初期マルクスというと、共産主義者として立つ前の、現実と思想的に格闘する初々しい青年像が思いうかぶようだった。 安保闘争の高揚期にはそんな余裕はなかったが、潮が引いたあとでは数人で集まって初期マルクスの読書会を催したりもした。」(訳者あとがき) 全共闘運動の終息した1970年に大学の研究室を去り、所沢で小さな学習塾を始めた長谷川宏さん。子どもたち相手の塾講師と哲学研究を続け、 生活のなかで哲学を考える、生活を哲学する立場で数々の著作・翻訳を出してきたその長谷川さんが、自身の青年期に取り組んだマルクスに、いま再び戻ってきた。 経済学と哲学の交叉点に身を置いて社会の現実にせまろうとした青年マルクスにあらためて共感したその長谷川さんが、自身の歩みを振り返りながら、「疎外」をキーワードにマルクスの労働観、社会観、自然観をその現代的意味と合わせて読み解く。


《長谷川 宏さんプロフィール》
1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者。
著書に『高校生のための哲学入門』『新しいヘーゲル』『丸山真男をどう読むか』『いまこそ読みたい哲学の名著』『生活を哲学する』『ちいさな哲学』など。
主な訳書に『精神現象学』『歴史哲学講義』『法哲学講義』『美学講義』(ヘーゲル)、『経験と判断』(フッサール)などがある。

cover105.jpg
経済学・哲学草稿
マルクス/長谷川 宏 訳
定価(本体680円+税)
cover47.jpg
芸術の体系
アラン/長谷川 宏 訳
定価(本体914円+税)

2010年6月 7日 光文社古典新訳文庫編集部 |

『自由論』読書会が国立市公民館で行われました

国立市公民館で1月16日から5回連続で『自由論』(ミル/山岡洋一 訳)をテキストに「哲学講座 長谷川宏さんと読む一冊」が開催されました。 哲学者の長谷川宏さんと約30名の受講者のみなさんが『自由論』を読み込むという読書会形式の講座です。

この講座を主催した国立市公民館の井口啓太郎さんからレポートをいただきました。

「思想(哲学)が日常生活と密接に関わっていることがよくわかりました」。

p_iguchi.jpgJ.S.ミル『自由論』(光文社古典新訳文庫版)をテキストに、解説を書かれた長谷川宏さんを招いて行われた講座の参加者が、感想として記した一言です。

国立市公民館が主催した本講座は、2005年から毎年、哲学者の長谷川宏さんを招き、「哲学講座 長谷川宏さんと読む一冊」と題して読書会形式の講座を開いています。今年は1月16日から2月13日までの毎週土曜日全5回、テキストはミル『自由論』でした。講座の参加者は30名弱の国立市民一般で、一冊の本を複数回に渡り"共同で読む"、こうした特徴が一般的なイベントなどとは異なる点ではないでしょうか。


『自由論』読書会が国立市公民館で行われましたの続きを読む

2010年2月26日 光文社古典新訳文庫編集部 |


光文社古典新訳文庫創刊10周年記念特設サイト ナルニア国 光文社ウェブサイト 光文社電子書籍

電子書店により、スケジュール・フェア価格等が異なる場合があります。詳細は各電子書店にお問い合せください。

メールマガジン登録 光文社古典新訳文庫著者別刊行本リスト