紀伊國屋新宿本店トークショー
新訳『ナルニア国物語』の魅力に迫る
話し手:土屋京子(翻訳者)
松本朗(解説/上智大学教授)
YOUCHAN(イラストレーター)
聞き手:駒井稔(光文社古典新訳文庫編集長)

後 編

前編はこちら

刊行順についてのチャレンジ

「ナルニア国物語」の秘密
『ライオンと魔女』
(C・S・ルイス
/瀬田貞二 訳)
岩波少年文庫

駒井 ちょっとここで話を変えまして、実は岩波書店の『ナルニア国物語』は、ご存じの方も多いと思いますが、第1巻が『ライオンと魔女』というタイトルになっています。この出し方の順序には論争があるところでして、光文社古典新訳文庫では全7巻の刊行する予定ですが、資料を見ていただければわかる通り、次に出る予定の第2巻が『ライオンと魔女と衣装だんす』なんです。この、どういう順番で読んでいくかという問題は、研究者の方々の間でも違う考え方がありまして、たとえば岩波少年文庫のように原著の刊行順という考え方と、いや、物語の年代通りに刊行せよという考え方と二種類あるんですね。この問題に関しては、土屋さんには最初から、原著の刊行順ではなく物語の年代順に出そうとご提案いただいたんですけど、これ、今回、僕もわからないなりにいろいろな本を読むと、日本にC・S・ルイス協会というのがあるぐらいたくさんの方が研究してらして、やはり原著の刊行順に読むべきだという方もいらっしゃいますし、いや年代順で訳すべきだという考え方の人もいる。その中で、どう考えて刊行順を岩波版と変えたのかということについて、お話しいただけますか。

刊行予定
〈第1巻〉2016年9月/魔術師のおい The Magician's Nephew
〈第2巻〉2016年12月/ライオンと魔女と衣装だんす The Lion, the Witch and the Wardrobe
〈第3巻〉2017年3月/馬と少年 The Horse and His Boy
〈第4巻〉2017年6月/カスピアン王子 Prince Caspian
〈第5巻〉2017年9月/ドーン・トレッダー号の航海 The Voyage of the Dawn Treader
〈第6巻〉2017年12月/銀の椅子 The Silver Chair
〈第7巻〉2018年3月/最後の戦い The Last Battle

土屋 今回の翻訳に使った原書は、ハーパー・コリンズ版なんですが、その奥付にこういうことが書いてあるんです。「魔術師のおい」は、C・S・ルイスが『ナルニア国物語』を最初に発表してから何年か後に書かれたものだが、ルイスはこの作品が一連の作品の第一巻として読まれることを希望しました。ハーパー・コリンズ社は喜んでルイス教授が望まれた順番で各巻を提供することといたします。――私としては、これがすべてです。本人が望んでいた順番で発表するのが当然だろうと、私は思います。

どうしてこういう順番になったかと言うと、あるとき、この物語を全部読んだ少年ファンからルイスに手紙が来て、「ルイスさん、僕は刊行順じゃなくて、ナルニアの年代順で読むほうがわかりやすいと思うんですが、どうですか」と書いてあったらしい。それに対してルイスが、「本当にそうだと思う。その通りだよ」という返事をしたというのが最初のきっかけになっていて、それ以降、欧米では作品の時系列に従って出すというのが標準になっています。やっぱり世界標準に従った順番で出すというのが、今の時代にふさわしい出し方だと思うし、何よりも著者がそうしてくれと言っているんだからそうするしかないでしょというのが、率直な気持ちです。

駒井 なるほど。これが研究書を読むと、どこでも、要するに刊行順なのか、年代順なのかという論争が意外なくらい焦点になっているところがあって。古典新訳文庫ではご提案通りにやっていきますが、そういうシンプルなお考えでということですね。

土屋 そうですね。原作者の希望ということで、今回の新訳『ナルニア国』の順番を1、2、3、4、5、6、7とすると、ルイスが書いた順番というのは、2、4、5、6、3、1、7なんです。時系列的にはそんなにめちゃくちゃな順番で書いたのに、物語全巻の辻褄が合っているということが、むしろすごいなと思うんですが――。だから研究者とか、読む人も、そういうスリルを味わいたいんだったら、2、4、5、6、3、1、7の順番でお読みになればいいと思いますが、私は訳していて、やっぱり年代順の訳し方が、一番『ナルニア国』の構成を把握しながら読み進めることができる順番だと思っているので、今回の決断は正しかったと思っています。

駒井 私もそう思いましたので、それに従って刊行しているわけですが、松本先生はどう思われますか。

松本 研究者に聞けば「刊行順」と言うに決まっているので、全然気になさる必要はないと思います(笑)。研究者は論文を書く際にそういうふうに考える訓練を受けているだけです。でも、『スター・ウォーズ』のように、いろいろ入り組んだ語り方があるということに、われわれ一般の読者、観客は慣れています。そういうふうにいろいろな物語の語り方がある中で、むしろ今回のように、特色を出していくことはすごく大事なことだと思います。ルイスの意図を尊重するという明確な理由がおありなのですから。むしろ研究者としては、光文社古典新訳文庫が創刊10周年を迎えたという事実を受けて、数々の新訳によって読者の受容の仕方とか、日本の出版史がどう変わったかを、どういうふうに分析することができるだろうと考えたら、すごく面白いと思います。

ですから、瀬田さんの訳と、今回の土屋さんの訳で、それこそ時勢に合わせて訳文がどう変えられたのかとか、こうやって順番を変えたことによって新しい読者にどういう形で受容されていくのかということを、研究者として、楽しみに分析させていただきたいと思っています。

駒井 今のお話は大変励みになりますけど、あらためて見てみると、この苛酷なスケジュールが気になりますね。お体を大切にして頑張っていただきたいと思います(笑)。

土屋 今、第1巻が出たところですね。第1巻が本になって店頭に並んで、今回のトークショーみたいにプロモーションをしているときに、第2巻はすでに担当編集者に原稿が渡って、YOUCHANさんもイラストを描いてくれて、今、ゲラになって、印刷所に入っている。第3巻が、現在翻訳中で、もう推敲の段階に入っていて、そろそろ第4巻を読み始めようかという。そういうのが全部同時並行的に進んでいるので、とにかく病気をしないというのが翻訳者の役目だと思っています(笑)。

駒井 なんと苛酷な出版社のお仕事をなさっているのかと思いますけど(笑)。でも、ちょっと今、腰を痛めていらっしゃるのはお仕事のしすぎですか。

土屋 いや。私、仕事中毒なので、『ナルニア国物語』だけでも、あと6冊もあると思うとうれしくてしょうがない(笑)。だから、それが腰痛の原因ではないと思います。

駒井 そうですか。少し安心いたしました。では、話を進めますが、今度の新訳で一番ご苦労された点というと、どういうことになりますか。

土屋 もう、全巻苦労の連続です。一番苦労したところなんか、思いつかないぐらいに全部苦労しています(笑)。最初は、たかが子どもの本だと思っていたんです。瀬田さんの訳を読んだときも、あっ、大したことないなと思ったんですが、実際に訳してみると、やっぱり多芸多才な作家でさまざまな文体が出てくるし、さまざまな知識も出てくるしで、なかなか大変でした。

その反面、大人にも十分読んでもらえる本だなという思いをいっそう強くしています。今回の訳では中学生ぐらいを一番年少の読者層として念頭に置いていますけれども、大人になってから初めて『ナルニア』を教養として読んでおこうというふうに思った人にも楽しんでもらえるだけの内容がある作品だと、あらためて思っているところです。

駒井 難しい漢字と言いますか、既存の児童書では使わないような難しい言い回しもお使いになっていますけど、今、中学生とおっしゃいましたが、これはそのぐらいの読者を想定してということですか。

土屋 そうですね。どうしても使わなければならない言葉は、中学生にはわからないだろうなと思っても使います。それはいつかわかるし、全巻、難しい言葉を使ってしまうと、もういやになってしまうでしょうけども、普通の語りでずっと続けていて、ときどきどうしてもここは必然的に使わなければいけない言葉だというものが出てきたときには、それはそこでポッと使います。そのくらいの許容量は中学生の読者でもあると思っているし、新しい言葉はそうやって覚えていくものだと思うので、かみ砕いて言ったのでは伝わらないところでは、難しい言葉でもそのまま使っています。

たとえば第2巻で出てきますけれども、アスランが犠牲に捧げられた場面で女の子、スーザンとルーシーが泣きに泣いて、泣いた挙句に「静謐」な時間が訪れるという部分があって、その「静謐」という言葉は、どうしてもそれ以外には言いようがなかったので使いました。前後の文脈から、それはそういう感じのときに使う言葉だなということを、中学生の読者でもきっとわかってくれるだろうなというふうに期待して使っています。

駒井 2巻の校正刷りは読んだので、「静謐」のところは、この文字が出てくるんだなと思いましたけど。今までの、とくに児童文学の翻訳に関しては非常にやさしくというところがあったので、そういう意味で「静謐」って、実は編集者はそういうところでパッと引っかかっちゃうので、この言葉が果たして中学一年生とか、小学六年生とかにわかるだろうかとも思ったんですけど、今、おっしゃったように、そのときにわからなくても、また辞書なんか引かなくとも、やっぱり言葉として覚えていくということがあるんだろうと思います。

今回の挿絵をめぐって

駒井 今日は、挿絵を描いていただいたYOUCHANさんもお見えですので、絵についてもうかがいます。いろいろ資料を読んでいると、魔法使いのアンドリュー伯父は、ルイスが寄宿舎にやられたときにいた非常にエキセントリックな先生がモデルになっているということが書いてあって、こんな人がいたんだと思ってしまいますが、いまスクリーンで追っているこの絵はですね、古典新訳文庫とコラボしている、紀伊國屋さんのKinoppyという電子書籍で見ると、非常にクリアに見えるということを確認していただきたいことと、この絵の面白さを語っていただけたらなと思って出しました。

たとえばこの絵ですけど、原作にも絵が入っていますよね。

YOUCHAN 原作のイラストのアンドリュー伯父には、あんまり魅力を私は感じなくて。髪の毛がバサッと言う感じになっていて、髪の毛のすごく多い人に描かれていたんですけど、文中にはジェイディスに後ろの髪をむんずとつかまれて顔を寄せられるというシーンがあって、あれは、あの絵の髪型ではないだろうと思って、ちょっと後頭部が禿げかかったオールバックのほうがイメージ出るかなと思い、こういう造形にしたんです。

駒井 ということは、原作に入っている挿絵は間違っているということをおっしゃっているのですね(笑)。

YOUCHAN たぶんその絵を描いたポーリン・ベインズさんには、得意な絵と得意ではない絵があって、たくさん挿絵を描いているところとまったく触れないところの落差が大きいんです。私はとにかく1章につき1点を原則にしました。1章の中でも、すごく場面展開の激しいところとか、文章だけではなんとなくイメージがつかみにくいところなどは、2点入れたりしていますけど。

そうしたときに、ポーリンさんの絵では、文章との整合性がとれていないところがあって、たとえばジェイディスが大女だと言いながら、けっこう小柄な絵が描いてあったりするところでは、なるべく整合性をとるようにしようと心がけたのが一つ。あとは、クロニクルで出るということで、たとえば『魔術師のおい』の次に『ライオンと魔女と衣装だんす』が出ると、二つに共通した登場人物を私は年代を追って読んで描くことができますけども、元のイラストを描かれた方はそうではないので、たぶん整合性がとれないまま描かざるを得なかった。私はそこを補完できる立場で絵が描けたので、良かったと思っています。実はさっきのアンドリュー伯父の造形は、次の『ライオンと魔女と衣装だんす』でも生かされているところで、楽しみにしていただけたら嬉しいなと思っているんですけど。

駒井 今、画面にはジェイディスが出ていますけど、すごい美女だと書いてありますよね。で、すごく大きいんですよね。

YOUCHAN 「ナルニア国物語」の秘密ほんとは2m50cmぐらいにしたかったんですけど、後ろのほうで馬のストロベリーに乗るシーンがあるんです。そうすると、馬がつぶれちゃうと思って、2mぐらいにしておかないと、馬車の上に立って立ち回りしたりとかというところと整合性がとれない。なので、このぐらいの大きさが限界かなというところで、かなり試行錯誤はしました。

駒井 要するに、原作があって、それにもともと入っている挿絵もあるのに、そこにこういう絵を新しく入れていただいたわけですよね。原作はイギリス人が描いているんですけど、日本人としてこれを描くときに、どんなスタンスでということもお聞きしたいところです。YOUCHANさんが『ナルニア』がお好きなことは土屋さんが「あとがき」で触れていましたけれども、そのへんで緊張もなさったのでは。

YOUCHAN 緊張しました。それと、どうしても映画をすごく気にしました。造形であるとか、衣装や風景であったりとか、原作以上に映画のイメージの影響がすごいので、あんまり引っ張られてもいけないけど、映画を見て初めて読む方もいらっしゃるので、あんまりかけ離れてもまずいだろうというところもあって、なんとなく両方のエッセンスをもらいながら、私の描ける力量でというところで自分なりに落とし込んだところはあります。

駒井 映画も見ていただいて、そのイメージも入っていると。これはアスランですよね。

YOUCHAN そうです。

駒井 この絵、個人的にはとても好きですけども。

YOUCHAN ありがとうございます。

駒井 「ナルニア国物語」の秘密今まで古典新訳文庫では、土屋さんに訳していただいたもので言うと、たとえば『トム・ソーヤー』とか、それから『ハックルベリー・フィン』などは、原書に入っていたイラストを使っているんです。ただし、使わなかった例もあって、『ジェイン・エア』(シャーロット・ブロンテ)などは使いませんでした。

YOUCHAN 絵が入っていたんですか。

駒井 入っていました。原書に入っているものがあるんです。松本先生はよくご存じでしょうけど、顔の描き方が現代とは違うんです。もう怖いだけで、日本の読者にはとても受け入れられないだろうと思って、入れなかったことがたくさんありました。古典新訳文庫で、日本人の描いた挿絵を入れたのは、これが初めてだと思います。

YOUCHAN ありがとうございます。

駒井 いや。大胆な試みでしたけど、編集部としては、やはり新訳とリンクしているところがあって有難いなと思っています。

YOUCHAN 最初はディゴリーとポリーの顔がなかなか決まらなくて、ご迷惑をおかけしました(笑)。

駒井 こちらも、うるさいことを言ってすみませんでした。

YOUCHAN いえいえ、私自身がこれを読んで、悪役二人は大好きで、『タイムボカン』シリーズのボヤッキーとドロンジョ様みたいなイメージがずっとあったので、まずまずの造形ができたんですけど、子どもたちはどちらかというと狂言回し的な位置づけでもあったので、かなり没個性だったんですよね。それでどうしようかと言って、キャラクターデザイン案を担当編集者と何度もやり取りをして、でもなかなか決まらなかった。最後の最後で、YOUCHANらしく描いてみてと言われて、好きなようにやったら、これで行きましょうとやっとOKをいただいた(笑)。

土屋 ポーリン・ベインズも子どもが描けてないですよね。

YOUCHAN あっ、私もそう思います(笑)。雰囲気がある挿絵ですね。昔の絵なので、すごく雰囲気がある。ただ、よく見ると、なんか田舎っぽい感じもしますね。

土屋 スーザン女王が、ほんとは黒髪なのに金髪で出てきたりとか。あれって思うところがけっこうあります。

YOUCHAN そうですね。今朝方やっとイラストを納品したばかりの第2巻の話なのですけど、2巻には、絵に描いてはいけないと私が思っているシーンがあるんです。先ほども土屋さんのお話に出たアスランが捕らえられてしまう場面は、読者の想像にゆだねないといけない。でも、彼女は描いているんですよ、執拗に。

土屋 それもちょっと間違ってる。

YOUCHAN そうなんです。私は、アスランが辱めをうけるあのシーンは描きたくなかったので、描かずにすませた。反対に、後半の戦闘に関する挿絵が一枚もないのは、バランスが悪い。そういう意味で、私が読者の目線で読んで、このシーンは欲しいなということでチョイスして描いたところはあります。

駒井 描いていただいたときも感じましたが、『ナルニア』を読み込んでいらっしゃることが今のお話でもよくわかります。やはりお好きな人に描いていただかないといけない。要するに、文字で想像力をふくらませなければいけないところと、こういうふうに絵で描いてこそ見えるところを区分できるというのは、やっぱり作品をちゃんと読んでいらっしゃるからですよね。そのへんの使い分けを非常に上手にしていただいたのだなというのが、今、お話をうかがっていてもわかりました。

YOUCHAN ありがとうございます。ルイスは、この薄い一冊の中にふんだんにドラマを盛り込んでいるので、説明が端折られているところがいくつかあるんですね。ギュッと詰まっている。絵に起こさないとわからないようなところがけっこうあるので、そういうところはなるべく絵に起こすように、心がけたつもりではおります。

駒井 子どもの顔って確かに難しいところがありますね。イギリス人なのでイギリス人っぽい顔にすると何か変だということもあって。でも日本人の顔でも変だし、どういう顔にしたらいいのかというのは、延々とけっこうやりとりがありましたね。

YOUCHAN はい、続きました。半月ぐらいそれにかかったと思います。

駒井 僕もしつこいタイプなので、いろいろとご迷惑をおかけしたと思うんですけど。

YOUCHAN いえいえ(笑)。

駒井 でも、今、ご覧いただいている絵には、皆さんもご納得いただけると思うんですけど、やっぱり、とても素晴らしい。最終的に素晴らしい作品にしていただいたなと思います。

YOUCHAN 子どもの顔に方向ができたので、その後も子どもは延々と出てきますから、良かったなと。なので、第2巻では、キャラクターの造形はあまり苦労せずにすんだので良かったと思っています。

駒井 ありがとうございます。お使いの方はおわかりだと思うのですけど、電子書籍の専用端末はなかなか図版の再現というのが難しいんです。紀伊國屋書店さんのKinoppyはスマホやタブレットでお読みになっても非常にクリアにYOUCHANさんの絵を見ることができるので、ぜひお試しいただきたいと思います。

絵に関してだけではなく、土屋さんの「あとがき」に、YOUCHANさんがお母さまに頼まれて、亡くなる前に「ナルニア」の一部を朗読してさしあげたと書いてあるお手紙の話が出ていましたが、YOUCHANさんから見て、この物語の魅力は何でしょう。

YOUCHAN ファンタジーですけど、自分の実生活と地続きになっているところだと思っています。あまり現実と切り離されていない。逆に言うと、必ず現実の紐が付いているので、自己投影しやすいのかなと思うんです。ナルニアのクロニクルに別格の感があるのは、おそらくそこだというふうに思っています。

駒井 ありがとうございます。やっぱりYOUCHANさんにとってもきついスケジュールですよね、これは。

YOUCHAN ええ。なんてひどい(笑)。でも、頑張ります。

駒井 2018年3月までのマラソンですよね。3カ月に1冊出すというのは、お読みになって描くわけですから、大変な作業だと思いますけども。

YOUCHAN でも、読むのはすごく楽しいので。

駒井 そうですね。ただお体に気をつけて。読者の方からもいろいろな反響もありますから、それを踏まえて、またいろいろお願いすることがあると思いますけども、滞ることなく、完結を目指して頑張っていただきたいと思います。

YOUCHAN 体調管理に努めます。

駒井 土屋さんは、この絵をご覧になっていて、どういう印象をお持ちですか。

土屋 1章に1枚というのが、潔いと思いました。ほんとはもっと描きたかっただろうと。そうでもないですか。

YOUCHAN 1章に1枚ならわかりやすいかなと思って。

土屋 原作にあったポーリン・ベインズの絵はほんとにたくさん入っていて、しかもそれで刷り込まれている人が多いので、ほんとにチャレンジングな仕事だっただろうと思います。

駒井 そうですよね。瀬田さんの訳で読んでいた人が、なぜ新訳が出るんですかと言うように、あの絵で印象を決めていた人も多いので。

土屋 それはしょうがないですよね。絵にしても、翻訳にしてもしょうがない。

駒井 だんだん、こちらもスタンダードになっていくでしょうからね、選択肢が二つできて。また『星の王子さま』ほどではないにせよ、いろいろな訳が競って出てくる可能性があると思います。そうすれば皆さんもいろいろと読み比べることができる。一応、古典新訳文庫が先陣を切ってやっていますけれども。

土屋 大きい絵も好きですけど、目次にある絵と最後にある小さな衣装だんすもいい。衣装だんすは、あれが正しいんです。

YOUCHAN あっ、良かった。

土屋 観音開きではなくて、古いタイプの片開きのあの絵が正しい。あっ、すごい、よく調べたなと思いました。最後の絵、大好きです。

YOUCHAN いろいろ調べました。

土屋 私も何かの本で読んだんです。あの衣装だんすは、古いタイプのもので両開きではないと。さすがだなあと思いました。

駒井 翻訳は、文化と言いますか、その当時にどういう家具が使われていたとか、そういうことを一つひとつ調べていかなければいけないわけですから、本当に大変な作業ですよね。

土屋 訳者としては、まるでルイスのことを全部わかっているような口調で訳さなければいけないので(笑)、いろいろ調べ物はしています。

ケルト的な特性と、イギリスの児童文学について

駒井 ちょっと作品自体のほうに戻って、松本先生におうかがいします。さっきも、冒頭で少し話が出ていましたが、僕もそうですけど、子どもの頃に読んだ児童文学はほとんど翻訳で、しかもイギリスものなんですね。もちろんアメリカの『トム・ソーヤー』などもありましたけど、『ロビンフッドの冒険』とか、『小公子』、『小公女』(いずれもバーネット)とか、それから『ピーター・パン』も。そういうものを生み出してきたイギリスですが、実はルイスはアイルランド人ですよね。ほかにもワイルドとか、イギリス文学の中にイギリス本国ではなくて、周辺から来たケルト的な感覚というのがあるような気がするんですけど。『ピーター・パン』を書いたバリーは確かスコットランド人です。

松本 スコットランドですね。

駒井 そのスコットランドとか、いわゆるイングランドではないところから入ってきている感覚というのは、さっき控え室でも申し上げましたけども、僕らもイギリスの現役の魔女が書いたという本を翻訳出版したことがありますけれども(笑)、魔女というのがイギリスには今でもいるらしいんですね。そういう土壌というのがあるのかなと思うことと、それからやっぱりイギリス文学は、『ロビンフッド』や『くまのプーさん』(ミルン)、それから今、展覧会をやっているビアトリクス・ポターとか、なぜこんなに豊富な少年少女文学、児童文学というものが出てくるのか。こんなにたくさんの作品がある国って、イギリス以外にないんじゃないかとも思うんですが、そういう伝統の中でこの作品も出てきている。その新しさには、第二次世界大戦とか、そういう社会状況などが出てきたりする面白さもあるので、それも含めてイギリス文学における児童文学、この『ナルニア』が出てくる背景みたいなものをあらためて教えていただきたいんですけど。

松本 おっしゃるように、アイルランドとかスコットランドの人はケルト人で、ケルトの人たちは妖精とかが本当に身の回りや林の中にいると信じて生きている人たちだと言われています。ただし、スコットランドの人たちは、自分たちはちゃんと現実感覚も持っている、同じケルト系でもアイルランドの人と一緒にされたくないというようなことをわりと言います。

私もアイルランドに旅行に行ったときに、風景の中に、まさに妖精がでてきそうな雰囲気は感じました。本当に、妖精みたいな方もいらっしゃいましたし(笑)。

「解説」ではなく「年譜」のほうにちょっと書かせていただいたんですが、ルイスも最初にイングランドの学校に送られたときに、イングランドの言葉を非常に汚く、温かみがないものに感じたようです。イングランドの風景が美しいと思いはじめたのもしばらく経ってからだったとエッセイに書いていますので、もともとはイングランド出身ではないという意識は持っていたと思います。

それで、イギリスからどうして児童文学がたくさん出てきたかということですね。これはほとんどいい加減な思いつきですけども、イギリスの人って、非常に抑圧的な学校生活を送らされているんです。ルイスもそうですし、ルイス・キャロルなどもそうでした。『あしながおじさん』(ウェブスター)の解説にも書かせていただいたんですが、アメリカでは子どもに対する抑圧がイギリスよりも少ないので、アメリカの児童文学作品では、自我とか、独立独歩の気性とか、自由に生きるという精神を、少女ものにしても少年ものにしても、自由に発揮させていくところがあると言われています。イギリスの学校では、鞭打ちとか、上級生のいじめが多く、先生も上級生もいやな人だらけで、人生が本当にいやになったとルイスも書いています。

そういう中で、彼の場合は宗教や本に拠り所を見出していきます。あるいは本や宗教との関わりの中で内省の時間をもっていく。たとえば寮の中で、夜、みんなが寝静まった、まさに静謐になった時間に、一人窓辺で外の景色を見ながら、いろんなことを考えたというような記述が、子どもの頃の伝記とか日記にあります。そういう、この世界ではないどこかを求め、想像する気質が、イギリスの児童文学作家にはひょっとしたらあるのかもしれないと、今、ちょっと考えました。

もう一つ思い出すのは、トールキンとルイスが、「インクリングズ」というオックスフォード大学の友人同士でつくった読書サークルで議論をしていたときに、こんなにいっぱい児童文学の作品があるのに、自分たちが本当に読みたいものがないよねということで意見が一致したことがあったらしいことです。まだ書かれていない〈何か〉というものがあって、そういうものを自分たちは別の形で作りだそうと。読書会もそうですけど、そういうサークルの中でいろいろと話しながら、自分の考えが練られ、固まっていくということはあったみたいです。環境も、それからそういうことを語り合える人たちが周りにいたというのもよかったのかなと思います。

駒井 ありがとうございます。よく理解できました。

書き手としてのルイス/フィクションの文章とノンフィクションの文章

駒井 さて、そろそろ時間も迫ってきましたので、最後に土屋さんにおうかがいします。このシリーズの特徴の一つとして、ルイスというか、作者が顔を出すところがあります。これは普通のファンタジーにはあまりないことで、物語の主人公たちだけで進行していくのが普通ですけど、「わたしは」という形で作者が出てくる。これについてはどうですか。

土屋 すごく気に食わない。ああ、下手くそだなって思います。ルイスって、すごく上手なところと、そういうすごく拙い、下手くそなところが混在している不思議な作家で、なんでこんなこと書くのよというところと、すごいなと思うところと両方あるんです。一応フィクションですので、そういう拙いところも含めて作品の味だと思って忠実に訳していますが、ノンフィクションだったら削っちゃうところです(笑)。フィクションなので、真面目にそのまま訳しております。

駒井 下手くそというのは、具体的に言うとどういうことですか。

土屋 語り手が出てきて「読者の皆さんはこうだと思うけれど」なんていうところは、語りとして興ざめです。

駒井 興ざめと言われると、ルイスが墓の下で困っているんじゃないかと思いますが、僕も読んでいて急に作者が出てくると、ちょっと違う感じになるなということがあるんですけれど、そのへんの面白さも、逆に言えばあるかなとも思います。

土屋 「わたし」という主語を削って書いたり、できるだけ工夫はしています。でも、どうしても作者が出てきたいところはどうにもなりませんので、ときどきいやだなと思いながら訳している(笑)。

駒井 『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著、講談社、1993年、のち文庫)なるほど。土屋さんはご存じのように、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著、講談社、1993年、のち文庫)あるいは『マオ』(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ著、講談社、2005年、のち文庫)という作品を翻訳していらっしゃいます。『ワイルド・スワン』は中国近現代史の重厚なノンフィクションで、私は土屋さんの作品で最初に読んだのがこの作品でした。『マオ』も有名な本ですし、他にもたくさんお訳しになっていますけれども、ノンフィクションを訳すときと、それから小説を訳すときとは、ずいぶん違うのかなと思います。それと、古典新訳文庫では古典を訳していただいているわけですが、現代ものと古典でもすごい違いがあると思うんですね。このへんの大変さ、訳者としてのスタンスみたいなものを教えていただけますか。

土屋 古典がそんなに難しいと思ったことはないんです。文法が古いとか、そういうことはありますけれども、慣れれば、そんなに難しいとは感じない。フィクションであっても、ノンフィクションであっても、あるいは古典であっても、古典でなくても、原文をあるがままに訳して通じるのなら、訳者は余計な手を加えてはいけないというのが一番大事なことだと、私は思っています。原文がうまく書けていれば、翻訳者が余計な手を加える必要はないので、それは一番幸せな仕事ですね。

とくにフィクションの場合は、今回のルイスもそうですけど、下手だなあと思うようなところも含めて、原作の手触りみたいなものが作品の味わいなので、そのまま伝えることが翻訳家としては必要だと思います。ノンフィクションの場合は著者がうまい文章を書けるとは限らないので、わかりにくい文章を書く人の場合は翻訳家として少し手を貸して、削ったり足したりして読みやすくします。実際には『EQ』(『EQ こころの知能指数』ほか/ダニエル・ゴールマン著、講談社)のことですけど(笑)。この著者はもう、手がかかって病気になりそうでした。とっても下手で散漫な文章を書くし、読者はそういう散漫なものを読みたいわけじゃなくて内容を知りたいのだから、直してあげないといけません。ノンフィクションの場合は、そういうものは容赦なく直します。

『ワイルド・スワン』はノンフィクションですけれども、著者が素晴らしいストーリーテラーなので、翻訳者として手を加える必要は一つもなかった。それから、著者が中国人で漢字がわかっちゃうので、嘘を書けばばれるというプレッシャーもあって、きっちり訳しました(笑)。

ちょっと専門的なことをお話しすると、『ワイルド・スワン』という作品は、著者が英語で書いたわけですね。英語は著者にとって母語ではない。だから『ワイルド・スワン』の著者がものを考えるときは、たぶん中国語で発想して、それを英語にして書いたのだろうと思うのですが、その中国語から英語へというときに、翻訳的なフィルターを一回通っているわけですね。だから、文章に全然無駄がなくなるわけです。私は若かったからそれをそのまま訳したんですけれども、今、読み返してみると、無駄がなさすぎてどこか不自然という、そういう感じがすることもあって。本当に自然な文章というのは、どこかで無意識とか無駄が入っているものなので。そういう点からいくと、今訳したらもう少しふっくらした『ワイルド・スワン』になるかなあと思います。まあ、でも、あの『ワイルド・スワン』には硬質な文体、ぼやけない文体のほうが合っていた。あれはあれで良かったのかなと思います。

『ワイルド・スワン』を訳すときは、その前に中島敦を一生懸命読んで、彼の硬い文章を自分の頭の中に叩き込んで、言葉を調べるときも国語辞典じゃなくて『大漢語林』で漢語を調べました。辞書を引くときも英和辞典じゃなく英中辞典を引いて。そうすると英語から中国語が出てきて、それをヒントに漢語やぴったりした訳語を探す。そういうふうにして、なるべく硬く、漢語調にやる工夫をしました。それに似たことは時々やります。たとえば『トム・ソーヤー』の前には、夏目漱石を読んでいましたし。『トム・ソーヤー』は夏目漱石がバナナの叩き売りをするという、そういうノリで訳しているんです(笑)。そういうふうに作品によって自分をそっちのほうへ持っていくという努力はしますね。でも、まあ、結局は自分の地が出るわけですけどね。

駒井 非常に興味深いお話です。翻訳というと、原作があって、それを翻訳するだけだと考えられてきたのが古い翻訳の時代だと思うんですね。古典新訳文庫も、始めるときは同じように思われていたんですけど、ただもう一度新しく翻訳をするというのではなくて、日本語の文体として新しくないと結局ダメなんですね。だから、日本語の作品として完成された文体をお願いしたいということはずっと言ってきました。いま初めてお聞きしましたけど、中島敦とか漱石とか、やはりそれをお読みになって、日本語を鍛えてお訳しになるということですよね。素晴らしい翻訳論だと思います。

もう時間が来ましたので、最後に、まだちょっと早いかなとは思うんですけど、この仕事が終わったら、次は何をなさりたいですか。

土屋 とにかく完走することのみ考えています(笑)。次のことは考えられません。

駒井 皆さん、この本は3カ月ごとに刊行されます。今日、会社の人間と話していたら、ずいぶんゆっくりだねと言われましたが(笑)、3カ月ごとに本を出して行くってことがどんなに大変なことか。過密なスケジュールですので、読者の皆さんにも併走していただいて、いろいろご意見などを編集部に寄せていただけると有難いなと思います。

土屋 第2巻はもうちょっと調子が乗っていて、楽しんで読んでいただけると思います。

駒井 3巻以降はさらに調子が出てくるんでしょうね。ということで、時間が押していますが、最後に質問を一つ二つお受けしたいと思います。


質問者1 貴重なお話をありがとうございました。最後に文体のことをお話なさいましたが、『ナルニア』を訳すにあたって、こういう文体にしたいとお考えになって何か、中島敦を読んだような、そういう工夫をされたのならお聞きしたいと思うんですが。

土屋 今回はなかったです。ただ、ひたすら原作に向かって、翻訳が終わるまでに10回は読んでいます。読んで、読んで、読んで、何を言っているかということを読み取って。で、それが自分のもっているものの中から、どう出てくるかというのは自分にもわからないです。今回は、モデルはないです。

質問者2 先ほど『スター・ウォーズ』の話が出ましたけれど、原著の刊行順に従って出すと、部分的なネタバレというか、読者にあらかじめわかる部分がいくつか出てくると思うんです。それに関しては、すでに翻訳が出ているものであるということを前提に、時系列に並べ直して翻訳なさったと。

土屋 先ほどもお話ししたように、ネタがばれようとどうしようと、ルイスがそうしてくれと言っているんだから、そうするということです。ただ、瀬田さんが訳されたときは、作品も一年ごとに出るわけだし、原著が出る順番に訳すしかなかった。全部そろっているものをピックアップして訳すわけではなかったので、だから瀬田訳が刊行順になったのは必然といえば必然です。ルイスの望んだ通り、時系列順で訳すということができるのは、今だからできる、恵まれたことでもあると思います。

駒井 そうですね。出典は忘れましたけど、クリスマスに合わせて年に一冊ずつ出ていたと読みました。それに、ルイスが、子どもにしか読まれない児童文学は悪い児童文学だと言っているというのが、印象深かった。ちょうど今日、土屋さんがお話になったようなことかなあというふうに思います。

何度も申し訳ないのですが、7作まで、ぜひ皆さん、ついてきていただきたいというふうに思います。2018年の3月が完結。再来年の3月というと、すぐですね。

土屋 そうですね。仕事的には来年いっぱい。

駒井 ですね。松本先生にも、解説を含め、またいろいろとお力を借りたいと思います。YOUCHANさんはその都度描いていただかないといけないわけですから、よろしくお願いいたします。

ということで、今日は翻訳家の土屋京子先生、それから解説の松本朗先生とイラストのYOUCHANさんのお三方に大変楽しいお話をうかがいました。『ナルニア国物語』は7作ありますので、途中でまた機会をつくって、いろいろやっていきたいというふうにも思っておりますので、皆様にもぜひお力添えいただきたいと思います。ではお三方に大きな拍手をお願いいたします。どうもありがとうございました。

(2016年10月6日、紀伊國屋書店新宿本店にて)