マルクスは新しい!:

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1818年
5月5日、プロイセン王国治下のトリーアで、弁護士の父ハインリヒ・マルクスと母アンリエットとの間に生まれる。
1830年 12歳
トリーアのギムナジウムに入学。
1835年 17歳
10月、法律学研究のためボン大学に入学、1年後にベルリン大学に移る。
1836年 18歳
姉の友人で検事総長の娘だった四歳年上のイェニー・フォン・ヴェストファーレンと婚約。
1837年 19歳
ベルリン大学のヘーゲル学派の文筆サークル「ドクトル・クラブ」に入り、ブルーノ・バウアーらと知り合う。
1838年 20歳
5月、父ハインリヒ死去。
1841年 23歳
イエナ大学で学位をうける。学位論文は「デモクリトスとエピクロスの自然哲学の相違について」。
1842年 24歳
前年の創刊に携わった「ライン新聞」の主筆を務める。 11月下旬、生涯の友、フリードリヒ・エンゲルスと知り合う。
1843年 25歳
3月、「ライン新聞」主筆を辞任。6月、イェニーと結婚。 10月、パリ移住。「ヘーゲル国法論の批判」を執筆。
1844年 26歳
2月に刊行された「独仏年報」誌第1号に「ヘーゲル法哲学の批判・序説」「ユダヤ人問題のために」を掲載。 5月、長女ジェニー誕生。『経済学・哲学草稿』第一稿を執筆。
1845年 27歳
9月、次女ラウラ誕生。翌年にかけてエンゲルスと共同で『ドイツ・イデオロギー』を執筆。
1847年 29歳
1月、長男エドガー誕生。
6月、「共産主義者同盟」第1回大会がロンドンで開催。
7月、プルードンの『貧困の哲学』を批判した『哲学の貧困』を刊行。
11月、「共産主義者同盟」第2回大会に出席、エンゲルスとともに作成した綱領と戦術の原則が採択され、「共産党宣言」の起草を委嘱される。
1848年 30歳
2月、フランスで二月革命起こる。エンゲルスとの共著『共産党宣言』をロンドンで刊行。
3月から4月、ウィーンでの三月革命勃発を機にパリよりケルンに赴く。
6月、「新ライン新聞」を発刊するが、その急進性により政府による弾圧、株主たちの出資拒否による財政難に苦しむ。
1849年 31歳
5月、ケルン追放令が出され「新ライン新聞」の最終号が赤刷りで発行された。
8月、ロンドンに永久的に居を定める。
9月、マルクスの指導下に共産主義者同盟中央委員会が再建される。
1850年 32歳
経済学の研究の仕事を再開し、大英博物館に通い始める。 11月、エンゲルスがエルメン・エンゲルス商会に再就職、以降約20年間勤務し、窮乏にあえぐマルクス一家を経済的に援助する。
1851年 33歳
3月、三女フランチェスカ誕生。
1852年 34歳
4月、三女フランチェスカ死去。葬式代を借りるなどその後の数年間、一家は極貧生活を送る。
5月、『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』がニューヨークで出版される。
1855年 37歳
1月、四女エレナ誕生。
4月、長男エドガー死去。
1859年 41歳
6月、経済学の研究に没頭していたマルクスが、初めての体系的著作『経済学批判』を刊行する。
1864年 46歳
9月、ロンドンで第一インターナショナル創設、委員に選出される。
1865年 47歳
第一インターナショナル中央委員会で「価値、価格および利潤」について講演(のちに『賃金、価格および利潤』として刊行)。
1867年 49歳
9月、『資本論』第1巻刊行。
1869年 51歳
第一インターナショナルをめぐり、バクーニンらと対立。
1871年 53歳
3月から5月、民衆蜂起による世界初の労働者階級の自治による政権、パリ・コンミューン成立。マルクスはパリ・コンミューンあてに「檄文」を書きあげるが、ブルジョア新聞側からの激しい非難を引き起こす。
1875年 57歳
5月、ドイツ社会民主労働者党と一般ドイツ労働者協会が合同し、ドイツ社会主義労働党成立。その「合同綱領草案」を批判した「ドイツ労働者党綱領評注」(通称「ゴーダ綱領批判」)を発表。
1881年 63歳
12月、妻イェニー、肝臓ガンで死去。享年67。
1883年
1月、長女ジェニー死去。
3月14日、マルクス、肘掛け椅子に座ったまま逝去。享年64。
17日、ハイゲート墓地の夫人のかたわらに埋葬された。
1885年
マルクス没後、遺された膨大な草稿にもとづき、彼の遺志を継いだエンゲルスが『資本論』第2巻を、さらに94年には第3巻を編集・刊行する。