強欲な証券仲買人の変死体がセーヌ川から引き揚げられ......

赤い橋の殺人

赤い橋の殺人

バルバラ    
亀谷乃里  訳   

亀山郁夫氏推薦!(ロシア文学者) "これぞフランス版『罪と罰』だ!" 
19世紀の知られざる奇才の代表作、ついに本邦初訳!

作品

フランスで150年もの間、忘却の闇に埋もれていた作家が、一人の日本人研究者によって「発掘」され、いまや本国でも古典の地位を獲得しつつある。この作家こそが、バルバラである。ボードレールの親友であり、巧みなストーリーテリングと文体の音楽性、そして哲学的思考に秀でた稀有の小説家である。本書は彼の代表作。


内容

19世紀中葉のパリ。急に金回りがよくなり、かつての貧しい生活から、一転して社交界の中心人物となったクレマン。無神論者としての信条を捨てたかのように、著名人との交友を楽しんでいた。だが、ある過去の殺人事件の真相が自宅のサロンで語られると、異様な動揺を示し始める。


シャルル・バルバラ    Charles Barbara
[ 1817 - 1866 ]    フランスのオルレアンで、弦楽器製造業の家に生まれる。12才でパリの名門校ルイ・ル・グラン中学校に転校、ここで学業を終える。1836年にパリ 高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。自然科学にも強い興味を持ち、 理工科大学校(エコール・ポリテクニック)に入る準備をしていたが、転じて文学の世界へ。20代半ばで 放浪芸術家(ボエーム)の仲間入りをし、詩人ボードレール、写真家ナダール、作家シャンフルリらと交流する。その後、短編小説を書き始め、ポーに傾倒。1848年の二月革命後には、オルレアンで新聞の創刊や文芸欄の編集に携わり、ポーの翻訳や、友人たちの作品を紹介した。1850年にパリに戻ると精力的に創作に打ち込み、多くの短編を発表、1855年には初の中編『赤い橋の殺人』をベルギーで出版する。翌年『感動的な物語集』を刊行。1858年には『赤い橋の殺人』が本国フランスで出版され人気を博して版を重ねた。1860年の『私の精神病院』も傑作とされる。
[訳者] 亀谷乃里    Kameya Nori
慶應義塾大学および大学院でフランス文学を学ぶ。ニース大学で博士号取得。慶應義塾大学講師を経て、女子栄養大学教授。ボードレール研究のほか、その友人で、長らく文学史から忘れ去られていた作家バルバラの作品を「発掘」、再評価したことで知られる。