2011.02.25

〈あとがきのあとがき〉「フランケンシュタインの自己主張」 小林章夫

新連載、〈あとがきのあとがき〉がスタートします!
〈あとがきのあとがき〉は翻訳者と原作との長く密やかな「対話」、そして読者との知的で軽やかな「対話」です。
第一回は、『フランケンシュタイン』の翻訳者・小林章夫さん(上智大学教授)による「フランケンシュタインの自己主張」。

 

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フランケンシュタインを知らない人はいない。一方で、メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』を読んだ人は少ない。原作の存在を知らない人さえたくさんいる。だから、その名が怪物のものではなく、実は怪物を作った科学者のものであることもほとんど知られていない。怪物はあくまで「フランケンシュタインの(作った)怪物」に過ぎず、物語の中ではむしろ受け身の存在なのに。

その受け身の存在が誰にでも知られているのはなぜか? 理由の一つは、おそらく1931年に公開されたボス・カーロフ主演の映画だ。フランケンと聞いただけで目に浮かぶ異形の特殊メークを施した怪優ボリス・カーロフの顔と表情。その強烈な印象が一人歩きして原作の存在を忘却させてきたところにあるのだと思う。 昨年(2010)、光文社古典新訳文庫から新訳を刊行した小林章夫氏が言う。

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「読んでくれた人の反応には、はじめて読んだとか、こんな話だったのかという驚きの声が多いですね。しかも「一気に読めて面白かった」と言う。17世紀初頭の『ドン・キホーテ』(セルバンテス)や18世紀初めの『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)、同じく18世紀にフランスで大流行した書簡体小説(『ペルシア人の手紙』モンテキュー、『新エロイーズ』ジャン=ジャック・ルソー、『危険な関係』ラクロ etc.)など、「近代小説の祖」とされる作品は数多いですが、これらの作品に共通する本質的で技術的な特徴は、多くの場合、相手を想定した<語り>の面白さです。『ファニー・ヒル』(クレランド)のような回想記にしても、いま読むと、スキャンダラスでエロチックな内容よりも、むしろ<語り口>のほうが面白い。

シェリーが『フランケンシュタイン』を刊行したのは1818年です。だから草創期の小説の影響が色濃く残っていて、基本的に<語り>の連鎖で構想されている。

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北極を目指す野心にとりつかれ、船を借りて船長となった狂言回し役のウォルトンが自分の姉に語りかける書簡体の<語り>。自ら作った怪物が殺人を犯し、その悔悟と罪の意識から、世界の果てを目指して逃亡する怪物を追いかけ、北極への航海中にウォルトンに救助されるフランケンシュタインの、謎を含んだ懺悔と告白の<語り>。そして、心ならずも作られてしまった怪物が、自分の創造主フランケンシュタインに向けて語る、恨みと自己主張がないまぜになったどうしようもなく哀しい、吠えつくような<語り>。この三つの<語り>が三重構造になってめまぐるしく入れ替わりながら話が進むわけです。この作品に唯一<語り>以外の要素があるとしたら、当時の流行りだったシャモニーの谷がどうとかいう風景描写だけでしょうね。

無神論者でアナキストの父と詩人の夫をもち、バイロンとも親交のあったシェリーは、フェミニズムの創始者と評されることもありますが、小説家としてはほとんどアマチュアでした。だから、文章自体はそれほど凝ったものではありません。月並みな表現が頻出するやさしさとわかりやすさが取り得の文章に過ぎないと言っていいかもしれない。彼女の功績は、人造人間というSF的な要素や、怪物が日を追うごとに経験していく啓蒙小説風の成長譚といったアイデアを思いつき、小説草創期以来の<語り>によって構造化して、純粋な小説本来の面白さを実現しているところにあります。

野心にとらわれ、結果として被造物への顧慮なしに人造人間を作ってしまうフランケンシュタイン、異形の者として作られ、他人に恐れられるだけの存在から己の人間的な内面を主張するに至る怪物。二者の対立はヨーロッパをまたにかけた逃亡・追跡劇としていまも十分面白い。これは二十世紀に書かれたフランツ・カフカの『断食芸人』の寡黙な主人公が、意識した異形の者として、むしろ"見られたい"という欲望に準じて失敗するのと好対照をなしていますし、古いからこそ新鮮に感じられるところがあるのだと思います」

因(ちな)みに本書の正式名称は『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』というもの。プロメテウスは、ギリシャ神話に登場する神の一人で、その名に「先見の明を持つ者」「熟慮する者」という意味が含まれている。とすれば、プロメテウスの名はどちらを指しているのか。フランケンシュタインか、それとも怪物なのだろうか。
(取材・構成/今野哲男)


cover113.jpg フランケンシュタイン
シェリー/小林章夫 訳
定価(本体781円+税)