2011.09.15

《新連載》 「新・古典座」通い — vol.1  2011年9月


「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。 その時々の街の話題と一緒に。 
[文 : 渡邉裕之・文筆家]

〈今月の新刊〉
『うたかたの日々』(ヴィアン 野崎 歓/訳)
『純粋理性批判6』 (カント  中山 元/訳)
『カメラ・オブスクーラ』(ナボコフ  貝澤 哉/訳)

デジタルマスタリング・ヴィアン

cover132_shinkotenza.jpg9月新刊の1冊目は、ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』。野崎歓さんの新訳は、デジタルマスタリングによって60年代ロックが鮮やかに蘇ったように、その日本語で戦後すぐのパリの若者たちのイメージをくっきりと浮かびあがらせた。

1990年代中期から、私たちの国の都市では洒落た喫茶空間を自前のセンスで作り上げるカフェブームが始まった。若き経営者たちは、店作りの参考資料として、那須のSHOZO CAFEの珈琲の味から、70年代のインテリア雑誌、カエターノ・ヴェローゾなどのブラジル音楽、そしてパリのカフェ系文物、その他多くのものを舌の先や頭脳にコレクションした。パリ・カフェ系文物の中に、件のボリス・ヴィアンもあったのだが、いかんせん扱いづらかった。いや率直にいおう、スペース作り用の鮮明な資料を求めている眼には、訳が「ちょっとピンぼけ」だった。

当時の若きマスターなら、この新刊を見てこういうだろう、「あっ、使える『うたかたの日々』が出た!」(確かに主人公コランの家のインテリアがはっきり見えます)

しかし既に、カフェブームは去り、ブームを支えていた若者も今や、コランの恋人クロエが肺に生長する睡蓮によって亡くなるという、若年の死しか似合わない哀切なイメージに涙する中年世代になっているだろう......。時の流れは早い。だが、情熱的且つ洗練された青春時代を過ごした者だからこそ深く楽しめる小説ではないか、この『うたかたの日々』は。

映画化の話がある。ご存知のように、視覚的な小説なので、既に映画作品はある。1968年に作られたシャルル・ベルモン監督作品(日本ではまさにカフェの時代95年に初公開)と、ともさかりえと永瀬正敏主演の「クロエ」(利重剛監督 2001年)だ。

そして、予定されているのが、最近ハリウッドに進出したフランスの監督ミシェル・ゴンドリーによるもの。彼の代表作「グリーン・ホーネット」を見れば納得するだろう。スーパーヒーロー、グリーン・ホーネットと助手でありながら実は優秀なカトーという設定は、本作のコランとコックのニコラ(料理もダンスもスゴイ!)の関係性に似ており、カトーが用意する武器は、こちらのカクテルピアノなどヴィアンデザインのキュートなインテリアと共振する質感だ......原作を読んで、映画化の予定をもっている監督の代表作を見るというのは、なかなか面白い遊びですね。映画界の「予定」はあてにならないが、ちょっと期待したい。

ドイツ文化センターでカント、そしてナボコフ

cover133_shinkotenza.jpg次にカント『純粋理性批判』について。その第6巻も今月の新刊だ。翻訳者である中山元さんが、東京・赤坂にあるドイツ文化センターで今年1月から「自由の哲学者・カント」というタイトルで、6回に渡る連続講演を行った。『純粋理性批判』出版を記念してのイベントである。

第一回目の「自由」を「公的自由」「私的自由」「道徳的自由」の3つの概念に分けて語りだす冒頭から、第六回目の最後、サンデル教授やリビアのカダフィ政権の話題まで出た質疑応答の時間まで、なんとか参加させていただきましたが......すみませぬ......内容を語るにはちょっと私のメモリーでは......しかし、概念を精緻に分解、組み立てていく哲学者の実践を近くで見聞きし感銘した。

さらに聴講者の質の高さは、メモリー不足の自分には驚きだった。その質問の的確さ、話を聞きノートするただならぬ風情......いったいどんな人たちなのだと思い、講演後のワインパーティでの話しかけやTwitterで調べてみると、経済学関連の編集者やマーケッター、ビジネス書の女性ライターなども。現在、中山さんは「日経ビジネスオンライン」(日経BP社)で連載があるが、ビジネス書分野や経営者たちの一部で注目されているという感触を個人的にもった。そうそう、会った人の中には「ものがたり文化の会」の関係者も。この会は詩人・谷川雁が発足させた宮沢賢治研究を中心に子供たちの文化活動を推進しているグループですよね。その方は、宗教に於ける自由をめぐる回に来ていた......カント/中山さんの読者は、なかなか興味深い人たちでありました。  ......本を介して人に出会うのは楽しい、あの夜、赤坂を歩きながら俺は口ずさんだよ。「どっしりした男が/五六人/おおきな手をひろげて/話をする/そんなところはないか/雲よ/むろんおれは貧乏だが/いいじゃないか つれてゆけよ」(「雲よ」谷川雁)

cover134_shinkotenza.jpgそして新刊の3冊目がナボコフの『カメラ・オブスクーラ』。あの『ロリータ』と同じく少女に執心する男の破滅的な物語だ。文学的価値など関係なく面白さのみで『ロリータ』と勝負すれば、こちらに軍配があがるのではないか。

翻訳をしたのは貝澤哉さん。本書の「解説」で開陳する小説論は秀逸。物語の結末が関わっている論理展開なので、ここでは詳しく紹介できないが、この文章はぜひ読んでいただきたい。読後、「小説」を新たに「見ている」自分に気づくはず。

そして、この小説が醸し出す退廃的な香りは格別だ。執筆当時ナボコフがいたドイツのワイマール文化の退廃が、物語の闇の奥に寝そべっているようだ。この蠱惑的な文化をもっと知りたい方には、ドイツ大衆文化研究家、平井正さんの『ベルリン』三部作(せりか書房)をお勧めしたい。

ドストエフスキー翻訳家を追うドキュメンタリー

この古典新訳文庫が最初に話題になったのは、亀山郁夫さんが訳した『カラマーゾフの兄弟』によってだった。現在、亀山さんは『悪霊』の3巻目を翻訳中、11月には出版される予定だ。

次に紹介するのは、亀山さんのようなドストエフスキー翻訳家、ただしドイツの女性の話。その人スヴェトラナ・ガイヤーの人生を追ったドキュメンタリーが上映される。タイトルは、「5頭の象と生きる女」(ヴァディム・イェンドレフコ監督 2009年 スイス、ドイツ作品)。

 

彼女は、ウクライナで生まれ、第二次世界大戦初期にドイツに移住。自ら「5頭の象」と称するドストエフスキー長編5作を翻訳してドイツで知られている人だ。今も翻訳作業は続いており、その仕事ぶりが撮影されている。そんな彼女がある日、移住後初めての故郷への旅に出る。そこから浮かび上がるウクライナの激動の歴史......改めて語られるドストエフスキー文学......。  この文豪を愛読してきた人ならきっと楽しめる映画だ、そして翻訳という仕事に興味をもっている人なら、ぜひ見て欲しい。

本作が上映されるのは、実は山形。隔年で開催される「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の出品作品なのである。今年の映画祭は10月6〜13日に開かれる。  この映画祭の楽しさは、世界から集められた優れたドキュメンタリー作品を一挙に見られることの他に、映画関係者や山形の人々との交流にある。それが実にオープンに行われ楽しい。私も前回参加したが、山形市に残る蔵のひとつを改造した呑み屋「香味庵クラブ」での深夜の交流は最高でした! 

亀山さんの研究テーマのひとつに、作家のブルガーゴフ、詩人マヤコフスキー、映画監督エイゼンシュタインなど「スターリン時代の芸術家」のあり方を考えるというものがある。ソ連の過酷な歴史に翻弄された芸術家たちだ(このあたりのことは、『カフェ古典新訳文庫 Vol.1』収録の亀山さんの講演会でも語られている)。20世紀の歴史の濁流に呑み込まれたドストエフスキー翻訳家を扱ったこの映画を、もし亀山さんが見るなら、どんな感想をもつだろう。山形の夜、「香味庵クラブ」で、深みのある話を聞きたいものだ。
と、夢見たところで、また来月!