2012.01.13

高遠弘美さん–産経新聞夕刊(大阪版)連載 第33回「プルーストと暮らす日々」

産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第33回をお届けします。

2012年、新年最初のコラムです。

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プルーストと暮らす日々 33

今年一年、皆様、ご多幸でありますように。

さて、今年は暦の話から始めよう。

フランス革命時に制定された共和暦は当初七曜がなく十日を単位として三つで一月、十二ヶ月で一年。余った日数は年末に回した。そのため、旧来の暦に慣れた人々から不評を買い、十二年くらいしか続かなかったが、名前だけ見ているとフランスの自然と結びついていないこともなくて、それはそれでなるほどと思うことがある。真夏は「熱月(テルミドール)」。いかにも暑そうだ。ちょうどいまは「雪月」の半ばくらいに相当する。今頃のフランスは乾燥して寒く、しばしば雪が降る。

何度かパリやリヨンで年末年始を過ごしたことがあるけれど、ことのほか寒い冬には、公園の噴水まで凍ることも稀ではない。ただし、セーヌ川が凍るほど寒い冬は滅多になくて、そういう冬は語り草になる。

一八七九年から翌年にかけての冬はセーヌが七十五日にわたって結氷した。その冬の最低気温は氷点下二十三度以下。モネが絵に描いたこのセーヌ凍結をプルーストも『失われた時を求めて』第一篇「スワン家のほうへ」第三部に取り入れている。

少年時代の語り手は、ジルベルトという少女に恋をしていて、その少女と出会うかもしれないシャンゼリゼ公園に真冬でも通う。付き添いは女中のフランソワーズだ。

「フランソワーズが、寒くてとてもじっとしていられないと言うので、私たちはコンコルド橋まで行って、凍結したセーヌ川を見た。誰でも、子どもたちですら、安心してセーヌ川に近づくことができた。セーヌは、浜に打ち上げられてこれから解体される無防備な鯨を思わせた」

ジルベルトはそんな寒空の下に突然姿を現す。それも「足もとの氷につるりと滑っ」た勢いで「両腕を一杯に開いてあたかもそのまま私を抱きしめるかのごとく、にっこりとして近づいてきた」のだ。外界の寒さと反比例するかのように燃えさかる少年の思い。これを読む読者の心もほっこりとする一節である。
(2012年1月5日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)

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cover140.jpg 失われた時を求めて 2<全14巻> 第一篇 「スワン家のほうへ II」 プルースト/高遠弘美 訳 定価(本体1,105円+税)