2012.07.06

「新・古典座」通い — vol.10 2012年6月

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。 [文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『トム・ソーヤーの冒険』(トウェイン 土屋京子/訳)
『自由論』(ミル 斉藤悦則/訳)


『トム・ソーヤーの冒険』と相米慎二のキャメラ

トム・ソーヤーの冒険6月の新刊一冊目は、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』(土屋京子訳)

「アメリカで最も愛されている作家」といわれているトウェインの半自伝的小説。舞台は1840年代のミシシッピ川の畔の小さな街。主人公は、いたずらばかりしているトム・ソーヤー少年、彼がハックルベリー・フィンなどの仲間たちとともに様々な冒険を繰り広げます。

誰もが知っていて、本当はしっかり読んだことがないという典型的な小説でしょう。実際に読んでみると、トウェインの語り口のうまさにうっとりできる。なんといっても、子供たちの生き生きとした会話ととともに、人の身振りやモノの動きの描写が魅力的だ。

小説の重要なモチーフが、子供たちが行う「いたずら」や「だまし」なので、身振りやモノの動きの描写が、頻繁に行われるのでした。

たとえば、ある土曜日の朝、トムはポリーおばさんにいいつけられて、フェンスのペンキ塗りを行うことに。フェンスは、高さ3メートル近い横板張り、それが延々30メートルも続いている。

トムは退屈なこの作業がしたくない。そこで仲間たちをだますアイデアを考える。

そのアイデアとは、嫌で嫌でしょうがないペンキ塗りの仕事を、特別魅力的な仕事に見せ、他の人に羨ましがらせ、最終的にその人間にやらせてしまうことです。そのためには、素晴らしい仕事であることを身振りで示すことが必要です。

さて、ベン・ロジャースという少年がやってきました。ここからトムのだましの場面が始まるのだが、私は以降の展開を、まるで相米慎二監督の映画のようにイメージしてしまったのです。

相米監督の代表作は、『セーラー服と機関銃』『ションベン・ライダー』『台風クラブ』など。ヒット作はそれほどありませんが、1980〜90年代の日本映画を牽引してきた監督です。映画ファンにとても愛された作家でしたが惜しくも2001年、53歳の若さで亡くなっている。

相米映画の特徴は、一つの場面を、複数のカットで割って構成するのではなく、ワンシーンを、独特な距離をおいて移動するキャメラを使って、ワンカットの長回しで捉える手法です。『ションベン・ライダー』の貯木場で、主人公の子供たちが突進しては水に落ちるという動きを何度も繰り返す長いワンシーンワンカットはその代表的な場面でしょう。

もうひとつの特徴は、登場人物たちがとても奇妙な動きをすること。たとえば『セーラー服と機関銃』で主演の薬師丸ひろ子は、ブリッジの姿勢で顔を逆さにして「カスバの女」を歌いながら登場しました。

『トム・ソーヤーの冒険』のペンキ塗りシーンで、相米映画のことを思い出したのは、そのフェンスが延々30メートルもあり、移動するキャメラの長回しを連想させたからであり、またカモになるベン少年がとても奇妙な動作をして登場するから。

「ベンはリンゴをかじりながら、ボォー、ブォォーと高低をつけた声を長く引っぱり」やってきます。「蒸気船になりきっている」のです。しかし「同時に船長であり、しかも機関室との連絡ベルを兼ねていたので」身振りは非常に奇妙なものとなる。

子供の体の感覚に分け入っていくトウェインの筆は確かです。この優れた作家は、こんな書き方をします。

ベンは「自分が自分の上甲板に立ち、自分に向かって命令を発し、かつ命令された作業を自分が実行する、というややこしい想像の世界にいた」

それからベンは奇妙な動作をしながらトムと会話をし、「だまし」の世界へと導かれていきます。このあたりの奇妙な身体を捉えつつ同時に物語も展開させていくところなど、相米映画そのものです。
 と、一人で歓んでいてもしょうがないかしら。

とにかく「トムはもったいつけた手つきでブラシを往復させ、一歩下がって出来ばえをチェック」するなど、この仕事が素晴らしい仕事であることをアピールします。そしてついに「なあ、トム、おれにもちょっとやらせてくれよ」という言葉をベンにいわせます。

しかも、飛んで火に入る虫はベンだけではありません。次々と少年たちがやってきてはひっかかっていきます。このあたりも30メートルのフェンス前の横移動を何度も繰り返すキャメラで撮れば魅力的なシーンになるでしょうね。

とにかく、トウェインという作家の子供への視線は、相米映画のキャメラのように素晴らしい。「ごっこ」の中で、ひとつの体が複数になってしまうこと、「だまし」の中で、どうしようもなく魅了されていってしまう体のやるせなさ。それをきっちりと見ていくのですから。

『トム・ソーヤーの冒険』は、子供の体のリアルを的確にとらえている、やはり名作でした。


『自由論』と首相官邸前のデモ

自由論新刊の二冊目は、ミルの『自由論』(斉藤悦則訳)

イギリスの哲学者で経済学者でもあるミルが書いた本書では、「多数派の専制」の危険から「個人の自由」を守るための基本原理が説かれる。ミルの青年期である1920〜40年代、議会制民主主義が西欧諸国で現実化するようになるにつれ、民主化がもたらす弊害が出てきたという。たとえば多数派が、「公共の利益」という名目で、「個人の生活」に干渉する事態が起きていたのです。そこでミルは、民主主義と自由主義の境界線を形成する原理を模索したのだった。それがこの『自由論』に結実しています。

「個人の自由」を守るための原理が説かれるわけだが、その前提として、どうして「個人の自由」が大切なのかが語られる。

その部分がとてもよい。たとえば人それぞれが、自分にあったライフスタイルで暮らす自由、そのことがどうして大切なのかは、こうして語られる。

「人間が不完全な存在であるかぎり、さまざまな意見があることは有益である。同様に、さまざまな生活スタイルが試みられることも有益である。他人の害にならないかぎり、さまざまな性格の人間が最大限に自己表現できるとよい。誰もが、さまざまの生活スタイルのうち、自分に合いそうなスタイルを実際に試してみて、その価値を確かめることができるとよい」

あるいは、人それぞれは個性的であるべきだという考え、それをミルはこう書く。
「個性が発展すればするほど、各人の価値は、本人にとっても、ほかのひとびとにとっても、ますます高くなる、自分自身の存在において、ますます活力の充実が感じられ、そして、個々の単位に活気があふれれば、それを集めた全体にも活気がみなぎる」

私たちの社会の基本原理が、とてもシンプルな言葉で語られていることに感銘する。

そして今、個人の自由やその干渉という問題を、このようにシンプルな言葉で基本原理から語っていくことを必要としているスペースを、私たちは知っている。

2012年の春から毎週金曜日、東京・千代田区永田町にある首相官邸前に現れるスペースです。

ここでは主にtwitterを使って集まった人々による「大飯原発再稼動反対」の抗議活動が、3月29日より毎週金曜日に行われている(主催者は、首都圏反原発連合という名称にしている)。

私も何回か参加しているが、驚くべきはデモ参加者の劇的な増加です。当初300人程度(主催者発表/以下も同様)だったのが、1000人、4000人、12000人、そして20万人と、回を追うごとにふくれあがっている。

6月29日、主催者発表20万人の人々が集まった首相官邸前に行ったが、たくさんの人々が集合していること、そこから生み出されるパワーは圧倒的でした。

それまでの抗議行動は、道に立って動かずアピールというものでしたが、その日はあまりに人が多いので、人々は歩く形で抗議行動を行っていました。この行動方針が警察によるものなのか主催者側によるものなのかは、わからない。

しばらくたつと、衆議院分館と衆議院第二別館を挟む道路が占拠された。車が通れなくなり、たくさんの人々が歩き出した。

私はずいぶん前からスペースの占拠ということに関して、興味をもっていたけれど、「学園紛争の世代」ではなかったので、実際のスペース占拠の体験は、これが初めてでした。

この時の経験はやはり格別で、自由な感じ、解放感、暴力の感覚が、一挙に身の内で感じられました。また十数万の人々が集まった集団は、やはり個人の意志では統御しにくい強力な力をもっていることは、参加者として実感しました。多くの人がこの事態にさまざまなことを感じとったのでしょう、twitterなどで、当日のデモ主催者の主導の仕方、参加者の行動についての議論が行われています。

大切なことは原発を廃炉にしていく社会をつくっていくことですが、その道筋の中で、私たちは様々な問題に遭遇していくのだと思います。その度に議論が起こるはず。

6月29日、官邸前の、twitterなどを使って個人が自由意志で集まった抗議グループは、新たなレベルの集団となった。新たな抗議行動についての議論・考察が必要なんだと思います。こうした議論の中心的な課題の中には、「個人の自由への干渉はどこまでゆるされるのか」という基本的な問題もあるはず。

偉そうにいう立場ではまったくありませんが、ミルの『自由論』を読むのもいいかもしれません。そんな時であり、スペースなのだと思う。そして、このスペース、しばらくは毎週金曜日夕方、首相官邸前で開かれています。
(この原稿は、2012年7月上旬に書かれています)


『サロメ』と国際的なパーティ

サロメ6月15日、新国立劇場の中劇場でワイルドの『サロメ』を見てきました。演出は宮本亜門さん、サロメ役は多部未華子さんだった。翻訳は作家の平野啓一郎さん、この脚本は、古典新訳文庫で読める。

舞台はエルサレム、サロメは王妃へロディアの娘で、ユダヤ王ヘロデは義父だった。ヘロデの宮殿で宴が催されていたその夜、ヘロデ王に執拗に見つめられていたサロメがテラスに逃れると、地下から預言者ヨカナーンの声が聞こえてくる。そこから物語は展開していく。

このヨカナーン、『聖書』ではヨハネ、救世主イエスの到来を告げる預言者だ。

ワイルドは「到来を告げる」というところに注目している。だから物語では、次なる時代の価値観を感じとっている男ヨカナーンに、国王ヘロデは不気味さを感じとり、サロメはそのことに強く魅入られていきます。

イエスが活動していた世界は、ローマ帝国の植民地の最底辺でした。ヘロデは、ローマ帝国初期にユダヤ地区を統治した者であるから、舞台となる宮廷は、植民地の最上層の世界ということになる。ワイルドは、この空間を様々な民族の人々が交錯する国際的な場として想定し、今回の演出家はバブリーなクラブのような場所として設定、宮殿を護衛する兵士はまるでディスコの黒服たちだ。

さまざまな価値観が錯綜するいかがわしい空間だからこそ、ヨカナーンの預言は、不気味さを、あるいは非常に性的な魅力を発するはずだと演出家は思ったのだろう。だが、その空間へ観客を誘う導入部がまずかった。パーティ導入部に登場する若い男性俳優の発音が悪く、どうもうまく台詞が聴き取れなかった。残念でした。

何にしてもシリア人、カッパドキア人、ヌビア人などの国際的人脈、またユダヤ人といってもファリサイ派、サドカイ派など違った宗教セクトの者たちが集うパーティはたけなわだ。その様子をUstreamでもしているのか、歓談の中、孤立しているサロメの姿がモニターに映し出されている。サロメは、ヘロデだけでなく、常に誰かしらに見つめられている存在なのだ。といっても、特権的な美しさ故に、そうなっているのではない。

今回の『サロメ』のポイントは、このヒロインを妖艶な女性ではなく、ありふれた純真な少女として捉え直すところだろう。平凡な少女が、ある年齢に達してその年齢ならではの輝きをもち、そのために見つめられる者になってしまったこと。その誰もが感じるうっとうしさを逃れた先に、聴きとったのが、時代から突出した預言者ヨカナーンの声だったという展開が、今回の『サロメ』になります。

ありふれた純真な少女であること、ある年齢ならではの輝きをもっていること、が、ひとたび恋心をもてば母親ゆずりの淫猥ともいえる情熱にまで達してしまうこと。多部未華子さんは、こうした体や感情の流れをうまく演じていたと思います。

私はこの連載第8回の4月の新刊『サロメ』の紹介で、3月に行われた芝居の製作発表会をリポートしつつ、こんなことを書いています。

「上演一ヶ月前、勝手なことをいわせていただくなら、この演出家は、純粋無垢な一人の少女が抱える、預言者である男への小さな欲望を増幅させ、劇場全体に響かせることを目論んでいるのだろう。その響きは、サロメの義理の父である国王ヘロデの、新たな時代への不安と重なって、大きな轟きになっていく......」

とまあ、こんなことを書いたのですが、これは残念ながら実現されなかったように思います。

多部さんのサロメは、少女の小さな欲望をその美しい体で増幅させていた、また奥田瑛二さんのヘロデも国王の不安を体現していました、しかしそれが重なって劇場全体を揺るがすような瞬間は、取り逃がされていました。

それはなぜなのだろう?

あのパーティの最中、あるいはモニターの画面から逃れるように、サロメが初めて舞台に登場する。

「これ以上、あんなところにはいられないわ」という言葉を語って。

私はこの「あんなところ」がよくわからなかった。ワイルドが設定した国際性、演出家が色濃くつけた、ある種のいかがわしいパーティ。その意味をしっかり認識することができませんでした。

導入部の俳優たちの発音の悪さにくじかれたのだろうか、あるいはさまざまな価値観が錯綜するバブリーで国際的なパーティが、もう今の私たちにはぴんとこないせいでしょうか。

少女が拒否した「あんなところ」がよく認識できないことによって、観る者は、一人の少女の欲望を、心の中で大きく展開できなかったのだと思います。

......芝居全体を見終わって強く感じたのは、作家ワイルドの『聖書』への独特な対峙の仕方でした。『新約』に出てくる「らくだの毛皮を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野密を食べ物としていた」ヨハネを、女の欲望の対象として認めること、預言者に対する女の執着を燃えあがらせ、イエスが語った倫理観まで火だるまにしようとするワイルドの情熱......。

一人の作家がやってのけた「侵犯」の感覚は、見終わった後もずっと残っていました。