2014.11.14

為政者が恐れる革命の書? 『チャタレー夫人の恋人』はこんなにも面白い

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古典新訳文庫の傭兵編集者Oです。

11月になってしまいましたが、9月発売の『チャタレー夫人の恋人』について、せっかくなのでもう少し宣伝したい!と思いまして、カバーやオビに書き切れなかったことなど書いてみたいと思います。

流行のフォーマットにならって「ざっくりいうと」

  • 『チャタレー夫人の恋人』は現代でこそ真価がわかる!
  • 猥褻というより革命的で、恋愛小説としても絶品!
  • 厚いけど、傑作なので読んでね!

というわけです。

混沌の時代!

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D.H.ロレンス

D.H.ロレンス『チャタレー夫人の恋人』は1928年の刊行以来、海外でも日本でも、過激な性表現をめぐる裁判や発禁騒動ばかりが注目されがちな作品でした。しかし実際のところ、お読み頂けばわかるように、現代の感覚からすると、その争点は甚だ時代遅れで、ナンセンスに思えます。「え、これまでなにを騒いでたの?」という感じです。そういう意味では、ようやく、本作が正しく理解されうる時代が来たのかもしれません。新訳の企画意図もまさにそこにあります!

本書のストーリーは、上流階級の妻コニー(20代後半)が、使用人である森番メラーズ(30代後半)と逢瀬を重ねることで「生の喜び」を取り戻す、というごくシンプルな恋愛小説です。私個人は、なぜかこれまで『チャタレー夫人の恋人』に中世貴族の世界のようなイメージを持ってしまっていたのですが、1928年という成立年代を考えるとそんなわけはありません。本書からは、その背景に多くの社会的な変化が進行中であることが読み取れます。

第一次世界大戦後(そして第二次世界大戦の前)の世界、道には自動車が登場し、夫のチャタレー氏が使っている車椅子もエンジン付き、炭鉱は稼動しているものの供給過剰気味、共産主義も浸透して労働運動が盛んになり、一方女性たちは自分の意志で活発に動き回る(ゴーグルつけてクルマを運転してる!)......。「1928、London」などで画像をググると、当時の活気あるイギリスの写真がたくさん見られます。ロレンスが描いているのは科学とイデオロギーと階級闘争など、まさに新しい価値観がひしめく混沌とした世界であり、そんな時代にこれらすべてを超越する独自の世界観・未来観を模索しようとしている人々の姿なのだと思います。そしてその答えは「人間中心」、「愛と優しさ」の世界なのです。

本書のなにが「危険」だったのか?

そういう意味では、当局や一部のインテリが本書に過剰に反発したのは、単に猥褻表現が含まれるというだけでなく、本能的に自分たちの寄って立つ足場を崩される気がしたからかもしれません。身分制度、科学技術、経済、宗教......あらゆる既存の社会的価値観に対して、ロレンスは宣戦布告することさえなく、それをまったく無視して、まったく自由に、「愛だろ、愛!」と言い放ったも同然なわけです。為政者が恐れるのは、暴力的反抗などではなく、まさにこういった精神的な革命なのではないでしょうか。すごいぞロレンス!

(余談ですが、ロックバンド、エアロスミスのスティーヴン・タイラーの愛読書はこの『チャタレー夫人の恋人』なんだそうです。彼の真意はわかりませんが、確かに、ロック的な価値観と『チャタレー夫人の恋人』の世界は非常に相性がいいように思います。ちなみに訳者の木村政則さんは「あとがきのあとがき」で、ロレンスの文体はパンクだと思ったとおっしゃっています。なので、本作はパンク的演奏のロマンティックなロック、と考えるとわかりやすいかも。)

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オルダス・ハクスリー

ロレンスはSFの大家H・G・ウェルズやオルダス・ハクスリーとも親交の深かった作家で、「恋愛小説」として知られる本書にも、その影響は現れています。イギリスで本作が猥褻か否かをめぐって裁判になったとき、ハクスリーはロレンスを弁護しています。ハクスリーは1932年の『すばらしい新世界』(同じく発禁の経歴アリ)でフリーセックスや薬物の配給で大衆を支配する近未来世界と、それに疑問を感じて抵抗する人々の姿を描いていますが、あらためて『チャタレー』を読むと、なるほど『すばらしい新世界』は『チャタレー』へのアンサーソングならぬアンサーノベル的な構造になっているのか!と目からウロコだったりもします。ハクスリーによるオマージュとも言えますね。『チャタレー』にはまさにそんな「革命的な思想」が充ち満ちているのです。

至高の恋愛小説として

それはさておき、もちろん本作は恋愛小説としても至高と呼べる作品です。混沌の時代を生きる主人公のコニーとメラーズそれぞれが抱える悩みや不安は驚くほど現代的なものであり、読みながらつい感情移入してしまいます。特に終盤、自由な恋愛を謳歌しながらも、そうはいっても社会的な体面も多少は気になる二人が、相手を思いやりながら交わす会話、そして最後のメラーズの手紙などは、涙なくしては読めません。いや、まさか、40手前のオッサンになって、この小説で泣かされるとは思いませんでした。ちなみに女性の編集者からも、「ゲラを読み終えるのがもったいない」という意見すらありました(そんなこと滅多にないです)。

他の登場人物たちも、たとえばコニーの夫クリフォードは、これまでどちらかといえば滑稽な悪役的な印象だったのが、この新訳ではなかなか憎めない悲しい人物として読めますし、クリフォードの友人たちや、コニーの父や姉たちの言動もリアルなものとして伝わってきて、どの人物の気持ちも少しずつわかる気がします。

長くなりましたが、要は『チャタレー夫人の恋人』は、やっぱり時代を超える傑作だと思うのです。たしかに700ページ近くある分量はなかなか見た目にも重いものもありますが、意外にさらさらと読めて(これはまさに訳者のおかげです!)爽快な小説です。ぜひこの機会に、先入観なく楽しんで頂きたいと思います。


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〈あとがきのあとがき〉D・H・ロレンスの速さと荒さ、その異質性 『チャタレー夫人の恋人』の訳者・ 木村政則さんに聞く

チャタレー夫人の恋人

チャタレー夫人の恋人

  • D・H・ロレンス/木村政則 訳
  • 定価(本体1,700円+税)
  • ISBN:75297-2
  • 発売日:2014.9.11
  • 電子書籍あり