2015.01.19

野崎歓さん読書会レポート──ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』20世紀でもっとも悲痛な恋愛小説を読む 紀伊國屋書店新宿本店で

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野崎 歓さん(右)と
進行の駒井稔(光文社古典新訳文庫編集長)

2014年11月21日、紀伊國屋書店新宿本店でボリス・ヴィアン『うたかたの日々』の読書会が行われました。ゲストにお迎えしたのは古典新訳文庫で本書を翻訳された野崎歓さんです。

翻訳編集部で目下見習い中のSが、今回の読書会の様子を、ほんの少しでもお伝えできればと思います。未熟者ではございますが、何卒よろしくお願いいたします。

まずは、野崎さんのご紹介から読書会は始まりました。10代の頃に出会った翻訳小説の数々、そこで育まれた野崎少年の世界文学への憧れと翻訳文学への情熱について話は進んでいきます。堀口大學の名訳で知られるジャン・コクトーの「私の耳は貝のから 海の響をなつかしむ」という有名な詩句を力をこめて諳んじるご様子から野崎さんの「翻訳」への並々ならぬ愛情と熱意が伝わってきます。

さて、いよいよ本題に入ります。20世紀で最も悲痛な恋愛小説とうたわれる『うたかたの日々』。内容を簡単にですがご紹介いたします。お金持ちの青年コランは美しいクロエと恋に落ち、結婚をします。しかし、クロエは肺の中に睡蓮が生長する奇妙な病気にかかってしまう...。圧倒的に現実離れした世界の中で描かれる愉快な青春の季節と、その果てに訪れる荒廃と喪失の奇妙な光景。また、作者ヴィアンの奔放にして自在である大胆な筆法も独特です。

その『うたかたの日々』の新訳の狙いについて今回はお話を伺いました。

この日配られた資料には『うたかたの日々』の新潮文庫(1970年訳)、ハヤカワ文庫(1979年訳)、そして野崎さんの翻訳による古典新訳文庫(2011年訳)の3冊から、同じ箇所を抜粋したものが並んでいます。自分のような器の小さい人間は「読み比べる」というと、優劣をつけるような、そんな印象をうっかり抱いてしまいますが、そういうことではないんですね。それではどういうことなのでしょう?

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そもそも、新訳の目的というのは、何なのでしょう。なぜ時代の流れの中で「新訳」が必要とされるのでしょうか。言葉は日々、変化していきます。その中で「こんな言い方、昔はしたけれど、今は使わない」という表現の旧訳から、まさに「いま、息をしている言葉」へと作りなおしていく。そうすることで古典は現代作品として蘇ります。さらにインターネットの普及により、外国に関する膨大な知識や情報を得ることができるようになりました。こうしたテクノロジーのおかげで昔は理解できなかった物語の背景をなす事物の理解が進み、翻訳の質を飛躍的に向上させることが可能になりました。新訳はより正確に原作を再現できます。

野崎さんは食べ物についてもこんな例を挙げてくださいました。主人公の青年コランがヒロインのクロエに初めて会う場面です。

「コランはつばを飲み込んだ。熱々のベニエ(注:ニューオリンズ名物の四角いドーナツ)を頬張ったような気がした」(光文社古典新訳文庫)。

主人公のコランが友人に紹介してもらったクロエを前にしてどぎまぎするなんともいえない様子が伝わる場面です。このベニエですが、新潮文庫では「焦げた揚げ物」、ハヤカワ文庫では「熱い揚げ菓子」、そして古典新訳文庫では「熱々のベニエ(ニューオリンズ名物の四角いドーナツ)」となります。新潮文庫の訳が刊行された1970年から2011年の間に欧米文化が、特に欧米の食文化が日本に浸透していく過程が見えてくる面白さがありますね! 焦げた揚げ物? 揚げ菓子? と言われても、わかりませんが(焦げてたら美味しくないだろうなあ)、熱々のベニエ!といえば、はふはふしちゃう感じもぱっと思い浮かびます。実際、私もちょうど先日、林檎のベニエを作りました。2015年、ベニエは日本にも届いてきているのです。

そして、このニューオリンズ名物のベニエからこんなお話も。ヴィアンは当時、ジャズに深く傾倒したそうです。それゆえアメリカという国への憧れも強く、『うたかたの日々』もアメリカのニューオリンズで書いた設定になっています。ですからニューオリンズ名物のベニエがわざわざ顔を出してくるのですね。アメリカが大好きだからこその、このこだわりに、ヴィアンってなんだかかわいいなあと親しみのような感情が生まれ、『うたかたの日々』がまたちょっと好きになってしまいました。

資料を読み比べながら、やはり翻訳には新旧甲乙つけがたい魅力もあるんですよ、と野崎さんは教えてくださいました。

新潮文庫で「淡褐色のキャラマンコ羅紗の上着」と訳され、ハヤカワ文庫では「はしばみの実の色をした光沢のある布地でつくった上衣」、そして野崎さんの訳では「ヘーゼルナッツ色のサテンのジャケット」となります。「サテンのジャケット」ならば、すぐにぱっとわかりますが、唐突に「キャラマンコ羅紗」と言われても、なんともわかりません。しかし、この「キャラマンコ羅紗」、18世紀の有名な百科全書派ディドロが「私の古い部屋着への惜別」としてキャラマンコ羅紗の部屋着への思いを切々と綴ったものがあるのだそうです。ヴィアンはキャラマンコ羅紗からディドロの部屋着を示唆している可能性もあるのだとか。なんというフランス文化の奥深さでしょう。現代の日本の読者を意識したわかりやすさだけを追求すると「キャラマンコ」は難しい言葉ですが、こういう背景を知るとちょっと興味が湧いてきますね。ディドロを想定した可能性を活かすか否か、上着の表現ひとつをとっても異なる文化の異なる言葉の橋渡しである翻訳の面白さと難しさがわかります。

ベニエやキャラマンコ以外にも、たくさんの例を挙げながら『うたかたの日々』やボリス・ヴィアンの魅力、そして翻訳文学の面白さを野崎さんは教えてくださいました。その中でも「原作には終わりがあります。けれど、翻訳には終わりがありません」というお話が特に印象に残りました。原作は著者が書き終えてしまえばそれで終わりですが、翻訳は時代や翻訳家によっていかようにも変化し続けてゆくことができるのだということです。この先も、人々に愛される作品は様々な新訳が生まれてゆくことでしょう。新訳とはまさに、原文を読みなおし、先人の訳文を参照しながら、新たな解釈を加えてゆくこと。翻訳家とはこの世で最も精密に本を読むという人々なのかもしれません。翻訳者である野崎さんに導かれて『うたかたの日々』を読む。読書会に参加したことで、作品の新たな魅力を発見し、著者や作品への愛情を深めることができました。そして、翻訳文学の意義や面白さを再確認し、翻訳編集部にいることを嬉しく思った見習いSです。

今後も古典新訳文庫ではこのような読書会を開催していく予定です。この「本を読む」楽しさが広がる読書会、一人でも多くの方に体験して実感していただきたいと思っております。皆様のご参加お待ちしております。

うたかたの日々

うたかたの日々

  • ヴィアン/野崎 歓 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75220-0
  • 発売日:2011.9.13
  • 電子書籍あり