2021.02.24

〈あとがきのあとがき〉寛容と多様性の大切さを伝えるドイツ啓蒙思想の古典劇 「新啓蒙主義」のすすめ──『賢者ナータン』の訳者・丘沢静也さんに聞く

『賢者ナータン』(レッシング/丘沢静也訳)

宗教の枠を越えることに寛容な人たちと、越えることを禁ずる厳格な人たちが織りなす、絡まる糸のような人間関係。息もつかせぬミステリー風の展開のなかで、宗教の枠を超えた「多様性」と‘わかったつもりにならないこと’や‘自分で自分の蒙を啓くこと’の大切さを説く18世紀啓蒙主義を代表する劇詩。丘沢さんがこの作品に注目したのはなぜだったのだろうか。

ていねいな表現を少なくしたのは何故か

──拝読して、訳文にいまの若者言葉を思わせる言い回しが入っていて、総じて若々しい文体であることに驚きました。これは意識的なものだったのですか。


丘沢 いえ、特別意識はしませんでした。私、若いですから(笑)。ただ、戯曲って読みにくいですよね。それで1人称を固定してしまった。たとえばサラディンなら「わし」という具合に。同じ人でも「おれ」と言ったり「私」と言ったり、場面によって使い分けるわけですが、それをやめた。ただ修道僧だけは、 途中で人格が変わるので、「わたくし」と「俺」にしました。それ以外は、いつものように訳しただけです。

──たとえばテンプル騎士がナータンの言葉に対して言う「刺さりましたよ、ぼくに」という台詞とか、何度か出てくる「お馬鹿」といった言い方には、丘沢さんがいつも接していらっしゃる学生さんたちの言葉の反映があるのかな、と思ったのですが。

ゴットホルト・エフライム・レッシング
ゴットホルト・エフライム・レッシング

丘沢 いや、「馬鹿」って、きつい言葉ですよね。別に、学生の言葉というのではなくて。私は大人に対しても若い人に対しても、「馬鹿」じゃなく、「お馬鹿」と言うようにしています。

──「あとがき」に「ていねい表現はできるだけ少なくした」、「ていねい表現は、まどろっこしいだけではなく、ウソくさく感じられるようになった」とあります。これは、どういうことでしょうか。


丘沢 最近は嘘つきの政治家が、ていねい表現をやたらに使うのでウンザリしていることもありますが、もともと私は、ていねい表現があまり好きではないのです。言葉は、嘘をつく。言語には限界がある。ていねい表現になると、嘘っぽさが、ますます強くなる。別に政治家に限らずとも。そういう言葉の限界みたいなものを強く意識したのが、世紀末ウィーンです。19世紀から20世紀への転換期。ウィーン・モデルネとも呼ばれてますが。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』やホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』が出た時期です。〈あとがきのあとがき〉『賢者ナータン』の翻訳者 丘沢静也さんに聞くヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』ホーフマンスタール『チャンドス卿の手紙』

カール・クラウスというジャーナリストがいました。悪口ばかり言っていた。コンマひとつにもうるさい人で、彼の言語批判は、そのまま社会批判でもあった。「必要のない形容はやたらに使うな」とか。「<適切に>や<ていねいに>なんて、嘘くさい」とか。現代のあらゆる禍は新聞のせいだと主張してたんです。でも皮肉なことに、クラウスが批判していたのは、反動的な新聞じゃなく、ユダヤ人が発行しているリベラルな新聞だった。クラウス自身、ユダヤ系だったんですけどね。後で気がついたら、クラウスの批判はナチに上手く利用されていた。残念ながらクラウスは、ホーフマンスタールやヴィトゲンシュタインと違って、自分の正義を疑うことがなく、言葉というものを信じすぎてたんですよね。私は、「言葉だ、言葉だ」という人を、あんまり信用しないことにしています。

Karl Kraus (1874–1936) ~1930 © Albert Hilscher OeNB 1073487
カール・クラウス

カール・クラウスは、残念な論争オタクでした。逆にレッシングは、残念でない論争オタク。ドイツ語圏の論争の元祖です。『賢者ナータン』は、論争の続編のつもりで書いた芝居なんです。だから、論旨をクリアに伝えようとすれば、馬鹿ていねいな表現は、かえって邪魔になる。それに『ナータン』の話は、支配・被支配の上下の関係じゃなく、横の関係をめざしています。ハンナ・アーレント*1は『賢者ナータン』のことを「友情の古典劇」と呼んでいます。ユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒の友情というわけです。ていねい表現は、上下関係や距離を感じさせるので、まどろっこしいでしょ。

*1 ハンナ・アーレント:1906─75年。ドイツ出身の哲学者、政治思想家。ユダヤ人家庭に生まれる。若いころにハイデガーとヤスパースに師事。ナチスの迫害を受けて1941年にアメリカに亡命した。著書に『全体主義の起原』『人間の条件』『イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』『暗い時代の人々』など。

今の時代、謙虚な啓蒙主義が必要なのではないか

──「あとがき」には、韻文で書かれているこの作品を「散文訳にした」と書いていらっしゃいました。それにしてはリズムとか韻の踏み方に、気持ちよく感じるところが多いなと感じたのですが、それは丘沢さんが持ち合わせている日本語のセンスやリズム感なのか、それとももっと意識的なものなのですか。

丘沢 褒めていただいて恐縮です。でも、私はリズム音痴なもので、翻訳のときは、別に戯曲に限らず、例えばテンプル騎士なら、ここでは何を思い、どんな感じで喋るのかなと考えて、耳に聞こえてきた日本語を、そのままキーボードで打つだけです。

──それでリズミカルということは、何か丘沢さんの音楽好きと関係があるのかなと思ったんですが。

丘沢 レッシングがそういう書き方をしているからでしょうね。ゲーテの『ファウスト』なども韻文です。日本語の文末表現って豊かじゃないでしょう。昔は散文の地位が高くなかったから、文章は韻を踏むものだという了解みたいなものが、あったんでしょうね。

──音の数も日本語とは違いますもんね。

丘沢 そうですね。ドイツ語と日本語じゃ、構造が違います。最初から開き直って、散文訳でいこうと(笑)。『ナータン』は論争の書だから、書かれていることの意味内容が伝われば、上等じゃないか。井上ひさしの座右の銘があるでしょ。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」。それが私のモットーかな。

──レッシングは、18世紀のドイツ啓蒙主義を代表する人として知られていますが、私たちが学校で理解してきた「啓蒙主義」には、「民衆の蒙を啓く」、つまり無知蒙昧な下々を導くという、どこか上から目線のイメージがありました。それが違うと知ったのは、カントの「啓蒙について」を読んだときです。啓蒙とは、教わるのではなくて自分の蒙を自分で啓くことだとあったのでびっくりしました。

『永遠平和のために/啓蒙について』

丘沢 ええ、自分の目を開くのが最初なんですよね。ですから、レッシングやカントの時代の啓蒙思想は「謙虚」なんです。私は全部を知ることなんてできない。だから、よく見て、よく考える。それが基本の姿勢。神とか絶対者というものを仮定しているから、人間は下から目線になる。でも今の啓蒙主義って、上から目線ですね。学校の先生が「こういうふうにしなさい」と教え込もうとする。ビジネス書が「これが一番」と断定する。そんなイメージです。

翻訳では、読者がつまずくところも残しておきたい──ツルツルからザラザラへ

丘沢 ちょっと回り道になりますが、クラシックの演奏の話を。ちょっと前までモダン奏法が主流でした。でも今はピリオド奏法が一大勢力になっています。ピリオドって、「終止符」じゃなく「時代」のことです。ピリオド奏法をはじめたのは、学者肌の音楽家たちだった。歴史研究で、権力の移行じゃなく生活のスタイルに注目するアナール学派の姿勢ですね。昔は楽譜の書き方だって、同業者にわかるところは簡略にしていた。バッハの頃は、ガット弦で、トランペットにピストンがなく、チェロにエンドピンがなく、ヴァイオリンはソロじゃない人も立って弾いていた。演奏はどんな場所で、どんな階層の聴衆が何人いて、などなど、その時代の流儀をしっかり押さえる。でも博物館みたいにそのまま再現するんじゃなく、さて、現代の自分はどう演奏するのか考える。もちろん、作曲家が何を書こうとしていたのか、を見つけることが一番大事ですが。

Nikolaus Harnoncourt (1980)
ニコラウス・アーノンクール
(1929年-2016年)

相手の流儀をまず(﹅﹅) 尊重するわけです。ピリオド奏法を牽引したアーノンクールは、オーケストラのチューニングでA(ラの音)を430Hz台にしているけれど、モダン奏法のカラヤンは 445Hz以上にして、明るく派手な効果をねらう。モダン奏法ではビブラートをかけまくって豊かな響きにするけれど、ピリオド奏法では、必要なときにしかビブラートをかけません。アーノンクールは、音楽にザラザラするところがあっても、ヤスリをかけない。モーツァルトがそう望んだだろうからです。けれどもカラヤンは、音楽は一糸乱れず、なめらかで美しく流れるべきだと考えて、ベルリン・フィルにツルツルの演奏を要求した。レガートはカラヤンの美学の代名詞ですが、たぶんそれは屈折したモーツァルトの美学ではない。相手の流儀をまず尊重するのではなく、自分の流儀を優先させるのは、モテない人に多いスタイルですね。

ツルツルからザラザラへ。ヴィトゲンシュタインを思い出します。ツルツルの論理言語にこだわった前期の『論理哲学論考』から、ザラザラした日常言語を視野に入れた後期の『哲学探究』へ。「私たちは歩きたい。そのためには摩擦(﹅﹅)が必要だ。ざらざらした地面に戻ろう!」というわけです。ピリオド奏法が新しくて、モダン奏法の指揮者は「古い音楽をする人」と言われます。でも、ピリオド奏法で音楽がすばらしくなるわけじゃない。

翻訳で私は、ささやかなピリオド奏法を心がけてます。たとえば、西洋人は肺活量が大きいから、原作の段落が長いことが多い。ところが、読みやすさを優先させて、ひとつの段落をいくつかに分ける訳者がいます。段落って、大事なフォーマットなはずなのに。私は、訳者って原作者の飼い犬だと思ってるから、ご主人様のフォーマットを勝手に変えたりしない。どこで分けるか悩まないですむから、分けないほうが楽ですしね(笑)。

また会話になると、原文では改行されていないのに、かならず改行してしまう訳者がいます。日本の文芸物の悪習ですね。読者に親切な配慮をしたつもりでも、それは、自分たちの流儀を優先させたモダン奏法。原作の流儀を無視している。

原作の流儀によって自分の流儀をつまずかせるというのは、翻訳にかぎらず読書のときでも、なくてはならない醍醐味だと思います。読みやすい翻訳にするのは当然だけど、ザラザラした感じとか、つまずくようなところも残しておきたい。大胆な意訳じゃなく直訳っぽい日本語にすると、なめらかな日本語にならないことがあります。ゴツゴツした箇所を磨かないで渡すと、たまにゲラで編集者のエンピツで、なめらかな日本語を提案されることもあるんです。でも、たいていは却下しますが。

レッシングに戻りましょう。私が『賢者ナータン』をやりたいと思ったのは、ピリオド奏法よろしく、謙虚な昔の啓蒙主義に戻ることなんです。現代は、弱肉強食の新自由主義が、自分の正しさを疑わず、肩で風を切っている。それにちょっと逆らいたい。現代の啓蒙主義は傲慢な新自由主義の傘下にあるみたいです。その向こうを張って、レッシングの時代の啓蒙主義を「新啓蒙主義」と呼んでみたいのです。俺様ベクトルに対抗する力がレッシングにはあるので。

オイラー図のすすめ──世界は1つではない。他にだってある

丘沢 【1】を見てください。授業で私はよく、この図をホワイトボードに描くんです。図①はAだけ。「優等生」の図です。図②がオイラー図。AがBに含まれている。「ヤンキー」の図です。スポーツを例にとりましょうか。そろそろ賞味期限切れのオリンピックでは、参加することではなく、「より速く、より強く、より高く」が求められている。競技スポーツの流儀ですね。それがA。そしてAだけが「スポーツ」だと、私たちはメディアに刷り込まれている。競技スポーツは見世物にしやすいから、メディアが扱う。でもスポーツの語源はdisport。自分の港から離れることです。気晴らしでダラダラとからだを動かす。がんばってやらなくてもいい。それがBです。がんばってやる競技スポーツAは、スポーツBのなかに含まれる特殊な一部にすぎない。Aしかないと思うから、練習のしすぎで故障したり、試合で負けて世をはかなんだり……。

AはBの一部でしかない。オイラー図を押さえておきたいですね。「この道一筋」とか「浮気はダメ」とか、うんざりするほど私たちはAしかないと教え込まれている。でも、Aの外にはBがある。

「いじめ」の問題もそうです。自分の場所はここしかない、なんて思い込んでると、自殺に走りやすい。そうではなくて、自分の場所はここAだけじゃない。Aの外にも世界Bがあるぞ。そう考えるのがオイラー図です。ヤンキーは、図②のように外の世界を知ってるから、Aから逃げる。逃げ出そうと考える。でも優等生は、図①のようにAが世界のすべてで、Aの流儀が絶対だと信じてしまっている。オイラー図を知っていると、ちょっとは気が楽になると思うんですけどね。今の学校教育は図①が多い。だから息苦しい。

現代の啓蒙もそうですね。それに対して、レッシングやカントのドイツ啓蒙思想、つまり本家本元の啓蒙主義は、図②なんです。それをですね、あえて「新啓蒙主義」と呼ぶのは、オイラー図を確認してもらいたいからです。自分の属しているAは、自分の外にあるBの一部でしかない。そして私たちはBのことをよく知らないのだ、と。現代の啓蒙主義は結果や「わかりやすさ」ばかりを重視して、「これしかない」と断定する。それに対して、新啓蒙主義は「わかったつもりにならない」に軸足をおく。「わかったつもりにならない」レッシングの底力に注目したいんですよね。

あとがきのあとがき〉『賢者ナータン』の訳者 丘沢静也さんに聞く

ヴィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』で哲学の問題を全部解決したと考えて、オーストリアの村の小学校の先生になる。でも小学生のためというよりは、自分のために先生になったので、あんまりいい先生じゃなかった。体罰で訴えられて、体罰は当時は日常茶飯でしたが、先生を辞めて、また哲学に戻る。

その後期の主著『哲学探究』(丘沢静也訳、岩波書店)で、「教える」と「学ぶ」について、こんなこと(【2】参照)を書いてます。最初のセンテンスでヴィトゲンシュタインは、<「専門家の」判断>といきなり括弧をつけていますよね。専門家だからといって、よい判断をするとは限らない。だから、専門家じゃなくて、<「よりよい」判断ができる人と、「よりまずい」判断をする人がいる>と続けている。<人間を知るということは学ぶことができるか?>に対しては、<できる人もいる>けれども、<なにかのコースを受講してではなく、「経験」をとおして学ぶ>と言う。<誰かが先生になることができるか?>に対しては、<もちろんできる>けれども、<先生は生徒にときどき適切なヒントをあたえればいい>と。生徒が習得するのは、テクニックじゃない。<適切な判断を学ぶ>ことが必要なわけで、そこには<ルールもあるが、システムにはなっていない>。だから<経験を積んだ者だけがルールを適切に使うことができる。計算のルールとはちがう>。ここが味噌ですよね。

【2】ヴィトゲンシュタイン

感情表現が本物であるかどうかについて、「専門家の」判断というものがあるだろうか?——「よりよい」判断ができる人と、「よりまずい」判断をする人がいる。 人間をよりよく知っている人の判断からは、一般に、より適切な予測が生まれる。

人間を知るということは学ぶことができるか? できる。できる人もいる。なにかのコースを受講してではなく、「経験」をとおして学ぶのである。——その場合、誰かが先生になることができるか? もちろんできる。先生は生徒にときどき適切なヒントをあたえればいい。——こんな具合なのが、この場合の「教える」と「学ぶ」なのだ。——習得するのは、テクニックではない。適切な判断を学ぶのだ。ルールもあるが、システムにはなっていない。経験を積んだ者だけがルールを適切に使うことができる。計算のルールとはちがう。

ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』(岩波書店、丘沢静也訳、448ページより)

ところが日本の学校の現場では、とくに義務教育では、経験を積ませるという余裕がないせいもあって、「こうすればこうなる」というテクニックや<計算のルール>ばかり教え込もうとしているようです。このヴィトゲンシュタインの文章は、恋愛の授業の必需品なんです。私が柄にもなく恋愛の授業をやっていると、「モテテクですか」と鼻で笑う人がいる。モテテクなんて、ワンナイトラブには有効でも、ちょっと長くつき合う場合にはあまり通用しない。<ルールもあるが、システムにはなっていない>というのが、現実のあり方ですよね。恋愛は複雑系なんです。

スウェーデンの小学校社会科の教科書

『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む 日本の大学生は何を感じたのか』(ヨーラン・スバネリッド著、鈴木賢志・明治大学国際日本学部鈴木ゼミ翻訳、新評論、2016年)という本があります。

たとえば髪型やファッションを変えて規範を打ち破ってやろうとするなら、それを何度も繰り返しているうちに、それでいいのではないかと思われるようになるかもしれません。

教科書の文章ですよ。ルールを守る優等生じゃなく、ヤンキーになれ、と言っている。ほかにも、「政治家というのは、次の選挙を気にしている」とか。「SNSは、自分の意見をみんなにちゃんと伝えるために使うものです」とか。「あなたたちが勉強するのは、自分の意見をちゃんと伝えられるようになるためです」とか。社会は変わる。変えることができるんです。それを教科書が伝えてる。今とは別の世界、別のやり方というものもあるんだよ。先生の言うことに従わなくてもいいんだよ。そういうことをしっかり教えている。違いますね、日本とは。日本は、社会とはこういうものです、と仕組みを教えるだけ。みんなで一緒に、ルールを守りましょう。先生の言うことをよく聞きましょう、でしょ。

日本の義務教育は、プロイセンの兵隊教育を真似したものです。プロイセンというと、レッシングにもカントにも縁のある国ですが。『君主論』でマキアヴェリは、傭兵は役に立たず危険だと言っています。<彼らがあなたの兵卒たらんと欲するのは、あなたが戦争をしないあいだだけであって、戦争が始まれば、逃げ出すか、立ち去るか、のいずれかである>(河島英昭訳)。プロイセンは、愛国心のある自国軍を擁したフランスに負けたので、大急ぎで自分たちの国の兵隊を作ろうとしたんです。

それを日本は明治時代に輸入した。国民を市民として育てるんじゃなく、兵隊として育てるために。今の教育も、その伝統をしっかり受け継いでますね。日本が教育で胸を張れるのは、読み書きソロバンじゃなく、兵隊根性の刷り込みでしょ。だから、誰かが国のてっぺんでヴァイオリンを弾けば、下にいる者たちは踊りはじめるに決まっている。

「私は啓蒙の力を信じます」──理性の劣化に対抗するには、理性に頑張ってもらわないと

丘沢 世紀末ウィーンにフロイトがあらわれて、「<私>は、私という家の主人ですらない」と言った。その100年後に、「人間はかならずしも合理的な選択をするわけではない」と考える行動経済学が登場した。教育心理学者ジョナサン・ハイトが言うように、「象(感情)は乗り手(理性)よりも強い」。そのことをよく知っていたから、ヒトラーはヴァイオリンを弾いて、ナチの党勢を拡大した。昔から選挙は、理性ではなく感情によって投票されてきましたが、このところますます理性の劣化が目立ちます。前頭前野の()が悪いのは、「今日の啓蒙」に対する反動じゃないでしょうか。どう転んでも、乗り手は象に勝てっこないんだよね、と斜に構えてしまって、ますます()が悪くなっている。

でもね、それは、勝つか負けるか、という2項対立で考えるから、気持ちが暗くなるわけです。世界はオセロゲームのように白と黒だけじゃない。白と黒のあいだには灰色があり、その灰色にもグラデーションがある。98対2で負けるのと、51対49で負けるのとでは、勝者の気分も、敗者の気分も、観客の気分も変わってくるはずです。選挙で圧勝したか、僅差の勝利だったかで、その後の政治はずいぶん違ったものになりますよね。

「神の左手」と言ったとき、レッシングはグラデーションを意識していた、と読むのは強引でしょうか。

もしも神が、右手にすべての真理をにぎりしめ、左手には真理を常に探究しつづける欲求だけをにぎりしめているとしよう。しかもその欲求は、お前を常にそして永遠に迷わせることになる。そしてそのとき神に「どちらかを選べ!」と言われたなら、私は、うやうやしく神の左手にすがって、こう言うだろう。「父よ、こちらをください! 純粋な真理は、ただひとりあなた様のものですから」(『再々抗弁』1778、丘沢静也訳)

レッシングの底力の秘密が、ここに書かれてます。「わかったつもりにならない」は、「わからない」と開き直ることじゃないんです。すぐれた科学者は、わかったつもりにはならない。理性の劣化は、劣化であってゼロになったわけじゃない。前頭前野にがんばってもらって、少しずつ劣勢を盛り返すしかないんじゃないか。

2020年12月9日、連邦議会でメルケル首相が、レオポルディーナ(ドイツの国立アカデミー)の提言にしたがって、クリスマスシーズンに向けてロックダウンすると演説をしました。野党の極右政党AfDが野次を飛ばしたとき、「私は啓蒙の力を信じています」と切り返したんです。

2020年の秋、A政権がS政権になりました。アルファベットで言うのは、名前を口にしたくないからですが。そのときの世論調査でS政権の支持率が70%前後。ハネムーンとはいえ、その高さに腰を抜かさんばかりに驚きました。どうして!? 国会中継や記者会見をちょっとでも見ていれば、SがA政権の官房長官としてどんな動きをしていたのかを見ていれば、「Sはダメだろう」とすぐわかるはずなのに、あの支持率の高さ。考えないだけじゃなく、見ることもしてない人がこんなにいるのか、と愕然としたわけです。

「考えるな、感じろ」はブルース・リーの名言ですが、ヴィトゲンシュタインは「考えるのではなく、見るのだ」と言います。考えるのは大事だけど、その前によく見なきゃね。オイラー図でいうと、Aばっかり見ていても仕方がない。Bにも目を向けよう。傲慢にAだけで、わかったつもりになるんじゃなく、謙虚にBにも目を向けよう。新啓蒙主義なら、そう呼びかける。魅力的なのは、優等生よりはヤンキーです。

『賢者ナータン』の現代的な意義

──20世紀の「Dデー」*2に際してアイゼンハワー*3が、また、21世紀初頭の「アフガン戦争」や「イラク戦争」に際してジョージ・ブッシュ*4が、「Crusade(十字軍)」という言葉を使ったことを思うと、戦争ではなく、12世紀の十字軍の休戦協定後の世界を舞台背景に書かれた『賢者ナータン』の現代的意義は際立っていると思います。これについても一言いただけますか。

*2 Dデー:戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際に用いられたアメリカの軍事用語。この場合は第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の「D」デー。

*3 アイゼンハワー:1890年-1969年。第34代アメリカ合衆国大統領。

*4 ジョージ・ブッシュ:1946年-。第43代アメリカ合衆国大統領。父は第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ。

丘沢 アイゼンハワーは、陸軍士官学校を出た軍人ですよね。西欧のキリスト教が正義だと信じてたんでしょうね。十字軍の残虐行為を知っていたとしても、必要悪だと思っていたのか。あるいは、白人以外は人間じゃないと思っていたので、悪とも思わなかったのか。十字軍は「正義の軍隊」の比喩として、よく使われてきましたよね。ジョージ・ブッシュは、みなさんご存じの「お馬鹿さん」ですから……。ふたりの辞書には、「啓蒙の野蛮」という言葉がなかったのでしょう。

弁護士としても本読みとしても信頼している人から、うれしい葉書をもらいました。<「3つの指輪」もさることながら、①ナータンの子どもたちがキリスト教徒に虐殺されていること、②ナータンがキリスト教徒を恕していること、③ナータンがユダヤ商人であることに感動しました>。私は古典新訳文庫の「解説」で、この作品はこんな具合に読めますってことは、あんまり書かないようにしてるんです。どう読むかは、読み手の自由ですから。そのかわり作品の背景とか、気にかけてもらいたい視点には触れています。

『賢者ナータン』には、注意深い読者なら気がつくハイライトが、ふたつあると思います。ひとつは「3つの指輪の寓話」*5で語られる<多様性>です。もうひとつは、さらっと短く報告されているだけだけど、家族をキリスト教徒に皆殺しにされたのに、ナータンがキリスト教徒を許すという<寛容>です。

あなたが子どもを連れて私と会ったのは、ダルンでした。でもあなたはたぶん、その数日前、[エルサレムの北西にあって十字軍の要塞がある]ガテで、キリスト教徒がユダヤ人を女も子どもも一緒に皆殺しにしたことを知らないでしょう。そのなかには私の妻が、そして希望にあふれた7人の息子がいたことも、知らないでしょう。 『賢者ナータン』(丘沢静也訳、207ページ)

*5 「3つの指輪の寓話」:ボッカッチョ『デカメロン』の第1日の第3話「指輪の寓話」を下敷きにして、レッシングが『賢者ナータン』でふくらませた譬え話。

多様性も寛容も啓蒙思想の重要なファクターです。でも「解説」で触れなくても、本を読む人なら心得ていることですよね。それに多様性だけなら、『ナータン』の下敷きになった『デカメロン』の「指輪の寓話」で十分です。レッシングの「3つの指輪の寓話」は、多様性をもっと深く掘っているんです。『デカメロン』では、本物の指輪をもっていれば、その所有者に価値が生まれるというブランド信仰です。でも『ナータン』の裁判官は、ブランド信仰を否定して、3人の息子がそれぞれ、本物の指輪にふさわしい価値をもつように励むがよい、と忠告する。指輪に価値があるんじゃなく、指輪の持ち主のふるまいが、指輪に価値をあたえるのだ、と。「わかったつもりにならない」謙虚なレッシングだからこそ書けた反転です。

なぜ、第三次十字軍の時代を舞台にしたのか

──フラグメント論争についてもお聞きしたいと思います。『賢者ナータン』は、キリスト教内部で論争するために、キリスト教徒であるレッシングが、ユダヤ教徒のナータンやイスラム教徒のサラディンを、人間的に幅のある人物に設定して書いた作品です。加えて、身内であるはずのキリスト教の大司教の書き方には、作者の同情が感じられない。18世紀末にこの書き方ができたレッシングと啓蒙思想の力は凄いと思うのですが、あの時代にこういうことをした人は、ほかにもいたんでしょうか。

丘沢 プロテスタントのレッシングは、プロテスタントのゲツェ*6と論争をします。「フラグメント論争」です。聖書の「融通のきかない言葉」や「文字のくびき」からの解放を、レッシングは主張した。古典新訳文庫の付録につけた「寓話」には、その主張がスタイリッシュに描かれています。論争が激しくなりすぎて、当局から宗教論争を禁じられてしまう。でも論争オタクだから黙っていられない。そこで大好きな芝居で、自分の言いたいことを『賢者ナータン』に書いたわけです。でもプロテスタントどうしの身内の喧嘩を芝居にするわけにはいかない。でも宗教を扱いたい。そこで1192年、第3回十字軍の停戦協定後のエルサレムを舞台にしたわけですね。

*6 ゲツェ:レッシングが出版した『断章』を巡って、論争したルター正統派の牧師。

フリーメイソンの合い言葉は、「自由・平等・友愛」と訳されるのが普通かな。それは啓蒙思想の合い言葉であり、フランス革命にも縁があり、フランス共和国の標語でもあるわけですが、最後の「友愛」はフランス語ではfraternitéで、frère(兄弟)の派生語ですね。ドイツ語では「兄弟愛(Brüderlichkeit)」。第九で「すべての人が兄弟になる(Alle Menschen werden Brüder.)」と歌われるやつです。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が交錯する典型的な場所です。もともと3つの宗教は兄弟ですよね。ユダヤ教の聖典は旧約聖書、キリスト教の聖典は旧約聖書と新約聖書、イスラム教の聖典は旧約聖書と新約聖書とコーラン。「3つの指輪の寓話」にぴったりです。

レッシングはユダヤ系じゃないけれど、親友にユダヤ人のモーゼス・メンデルスゾーンがいた。彼がナータンのモデルと言われてます。作曲家メンデルスゾーンのおじいさん。当時は啓蒙思想家として非常に人気があったけれど、現代では読む人がほとんどいない。人気者の物書きの宿命ですね。ユダヤ人は差別や迫害の対象として描かれることが多いけれど、賢者ナータンはそんなふうに描かれていません。ちなみにカフカは、ユダヤ人として悩みや不安をいっぱいかかえてたけれど、小説や短編には「ユダヤ人」という単語を出していない。ユダヤ人の典型的な状況や葛藤やコンプレックスは、しっかり書き込まれているけれど。 イスラムの最高権力者(スルタン)のモデルは、アイユーブ朝の創始者サラーフ・アッ=ディーン。寛容な君主として名高く、むやみに捕虜を殺したりはしない君主でした。

Portrait of Saladin (before A.D. 1185; short)
サラーフ・アッ=ディーン

『賢者ナータン』(1779年)で、身内であるキリスト教徒を手厳しく描いているのは、レッシングのバランス感覚だと思います。キリスト教徒が、わがもの顔で残酷なことをしていたんだから。レッシングとともにドイツ啓蒙思想を代表するカントも、同じ感覚をもっていました。カントは『永遠の平和のために』(1795年)という小冊子で、東インド会社を念頭におきながらヨーロッパの横暴について、こんなふうに書いているんです。

ヨーロッパ諸国にとって、見知らぬ土地や民族を訪問することは、その土地や民族を征服する(﹅﹅﹅﹅)ことと同じ意味なのだ。[・・・]そしてこういうことをやりたがっているのが、敬虔な信仰を大袈裟に売り物にしているヨーロッパ諸国なのだ。不正を水のように飲みながら[旧約聖書『ヨブ記』15・15-16]、神の正しさを信じることにかけては、自分たちこそが選ばれた者なのだと思われたがっているのだから。(丘沢静也訳)

カントの指摘は的確ですね。キリスト教のヨーロッパは「啓蒙の野蛮」という負の側面をもっている。オイラー図でいうとヨーロッパというAが、その他の世界Bを存在しないかのように扱っている。でも『賢者ナータン』には、明るい雰囲気があります。西洋が上から目線で勝手につくりあげたオリエント像、つまり「異質な他者」が感じられない。サイードは、オリエントを支配・再構成・威圧するための西洋のスタイルを「オリエンタリズム」と呼んでいるんですが、『ナータン』にはオリエンタリズムの影が感じられないんですよね。「私の頭のうえの星空と、私の心のなかの道徳律」はカントの有名なフレーズですが、レッシングも、カントと同じ方角の星を見上げていたはずです。

「定義するという誤りを犯さない」

──レッシングが論争を禁じられても論争したいと思ったときに、手段として選んだのが戯曲だったことについては、どう思われますか。

丘沢 論争を禁止されたおかげで、後世に残る古典劇が生まれた。作文で「自由に書け」と言われると、非常に書きにくいですよね。制約してもらったほうが、方向を見つけやすくなり、いろいろ工夫することになる。

──役者に身体的な制約をかけると、集中しやすくなることがありますね。「怪我をして右足が動かないと思え」というだけで、演技が途端に生き生きしたりする(笑)。

丘沢 なるほど、おもしろいですね。おまけにレッシングは芝居オタクでもあった。ドイツの文学や演劇で批評というものを始めた人でもあるんですよ。ドイツにシェイクスピアを根づかせたのもレッシングです。芝居で語られる「3つの指輪の寓話」のほうが、論文や批評で書かれるより、ずっと心に残ります。

物語には、納得させる力がある。具体的だからイメージもふくらむ。よく言われることですが、どんな哲学も、意味の深さと豊かさにおいては、まともな物語にはかなわない。ハンナ・アーレントが『暗い時代の人々』(阿部斉訳、ちくま学芸文庫)という本を書いています。作家カレン・ブリクセン*7についての章で、「定義するという誤り」というフレーズが出てくるんですが、いいフレーズですね。物語を語ることは、定義するという誤りを犯さないで、ものごとの意義を明らかにしたり、あるがままの事物との承認・和解をもたらしたりするんだ、と。

*7 カレン・ブリクセン:20世紀のデンマークの小説家。デンマーク語と英語で執筆した。アイザック・ディーネセン(男性名)は英語版のペンネーム。映画『愛と哀しみの果て』は、自伝的な『アフリカの日々』を映画化したもの。

定義というのは、オイラー図のAみたいなものです。私たちにはわからない全体を線で分けて、線に囲い込まれた部分がA。「わかる」というのは「分ける」ってことです。つまりA以外のBを分断・排除している。定義は自然科学や法律では必要だけど、日常生活で私たちは言葉を、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似」によって使っているわけですよね。定義や本質なんて気にせずに。そうやって話がふくらんだり、脱線したりして、世界が矛盾を含みながら豊かになる。

論とちがってアフォリズムには、定義に縛られず、定義をすり抜ける力があります。最近は、「定義がないから答えません」と逃げる政治家が出てきました。政治家の本分は、複雑な現実を相手にしているんだから、コアにこだわらず、定義を揺さぶることなのに。「わかったつもりにならない」レッシングは、フラグメント論争で、聖書の言葉に縛られて「定義するという誤り」を犯しているゲツェを批判したわけです。

『ナータン』には、アフォリズムのような表現が散らばってます。ドイツ語圏でアフォリズムの名手といえば、レッシング、リヒテンベルク、ハイネ、ニーチェ、カフカ、ブレヒトといったところですが、私はヴィトゲンシュタインも入れたいですね。

そうそう、ベンヤミンは、引用文をアフォリズムみたいに並べて本を書きたいと考えていたんです。彼にとって引用は、注とか証拠のような副次的なものじゃなく、主人公だったんです。私はそれを意識して、『下り坂では後ろ向きに』(岩波書店、2012年)という本で、引用を多めにしたところ、「引用が多い」と悪口を言われて、うれしかった(笑)。

「ぼくはドイツ人で、きみはユダヤ人。そしてぼくらは友達だ」

丘沢 アーレントはベンヤミンと親しい友達でした。すばらしいベンヤミン論が『暗い時代の人々』に収められています。『暗い時代の人々』は、ヘルマン・ブロッホやベンヤミンやブレヒトなどについて書いた本です。彼らはね、20世紀の暗い時代に侮辱や迫害を受けながらも、理論や概念の光ではなく、不確かで、ちらちら揺れる弱い光を灯そうとした。アーレントの同時代人です。でも序論にあたる章だけが、18世紀のレッシング。でもレッシングも、逆風にさらされながら、ひとりで闘った。アーレントのレッシング論には、刺激的なヒントがいくつか書かれてるんですけどね。納得のいかない箇所もあるし、古典新訳文庫本の「解説」では、長くなりそうなので触れるのをやめました。でも、ちょっとだけ紹介しましょうか。

Hannah Arendt 1933
ハンナ・アーレント
(1906年-1975年)

アーレントは『ナータン』を「友情の古典劇」として読んでいるんです。たとえば、キリスト教徒のテンプル騎士とユダヤ教徒のレヒャ。ふたりの恋は結ばれず、兄と妹だと判明するわけですが、それは、レッシングがふたりを友達の関係にしておきたかったから。恋愛関係には回収したくなかった。友達であれ。そして友達として、政治のことなど、公のことについて対話するのが、アーレントに言わせれば、人間なんですよね。

たとえば、ナチの時代にドイツ人とユダヤ人が友達だったとしましょう。ふたりが「ぼくらはお互い同じ人間だよね」と言うのは、人間らしい態度ではない。なぜなら、ふたりは目の前にある現実を避けているから。もしも、差別や迫害の現実のなかで、現実の世界に抵抗しようとするなら、「ぼくはドイツ人で、きみはユダヤ人。そしてぼくらは友達だ」と言うべきだ。それが人間らしい態度なんだ、というわけです。

見習いたい態度ですね。近頃は「差別語だから」とか言って、誰でも発言に気をつけるようになっています。でも、発言に気をつけるだけじゃ十分じゃない。たとえば、Xという差別語を使うと、めんどうなことになるから自粛する。差別語Xに注意はしても、Xの差別には無関心。よくある風景ですよね。でも、アーレント流なら、差別語Xは口にするけれど、Xを差別しないことによって、Xを差別語じゃないようにしていく。そのほうが人間らしい態度ですよね。言葉づかいは悪いけれど心優しいヤンキー、ってところかな。言葉の光にまどわされるな。レッシングが心がけていたことです。啓蒙主義者ケストナーが書いた詩「レッシング」(1929年)の最後の4行は、こうです。

彼はひとりで立ち、正々堂々と闘い、

時代に風穴をあけた。

この世でなんといっても危険なやつは、

勇敢で、群れない者だ!


〈あとがきのあとがき〉『賢者ナータン』の訳者・丘沢静也さんに聞く
ハンブルクにあるレッシングの銅像

──では、最後にもう一つだけ。「解説」に「カトリックは肉の喜びを知っていた」という趣旨のことをお書きになっています。それに対してルター派の牧師の息子だったレッシングは「禁欲的だった」と。でも、肉の喜びは認めてもいいんですよね。

丘沢 もちろん、肉の喜びは大事だと思います。長生きしている老人は、たいていステーキ好き。牛のげっぷは温暖化を加速しますが(笑)。


(取材・構成)今野哲男


賢者ナータン

賢者ナータン

レッシング    
丘沢静也 訳