著者年譜

プラトン ΠΛΑΤΩΝ

『テアイテトス』

①事件の年代やその詳細については、できるだけ標準的な説に従い、異説があっても記載していない。
②事件を現代の暦年に正確に換算できない場合も多いが、近似的に対応させている。
③ソクラテスとプラトンの生涯に関する内容は、主としてプラトンの作品の情報にもとづく。

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出来事
紀元前624年頃 タレスが小アジア、イオニア地方の植民市ミレトスに生まれる(前546年頃死去)。前515年頃パルメニデスが南イタリアの植民市エレアに生まれる(前450年頃死去)。前500年頃イオニア地方の植民市エフェソス生まれの哲学者ヘラクレイトスが盛りの40歳であったとされる。
前492年 アケメネス朝ペルシャがギリシャ本土に第1次遠征を始め、前490年再度遠征。ペルシャ戦争が勃発。
前490年頃 ソフィストのプロタゴラスが北部ギリシャのアブデラで生まれる。前485年頃にはソフィストで弁論家のゴルギアスがシチリア島東部レオンティノイで生まれる(前380年代死去)。
前480年 ペルシャ軍第2次ギリシャ本土遠征。サラミスの海戦でギリシャ連合軍の勝利。前477年に、ペルシャ帝国に対抗するエーゲ海地域の軍事同盟であるデロス同盟が結ばれ、アテナイがその盟主となった。
紀元前469年 ソクラテス、アテナイに生まれる。父ソーフロニスコス、母ファイナレテ。父ソーフロニスコスは石工ないし彫刻家であったとされ、母ファイナレテは助産の達人であったとされる。
紀元前461年 ソクラテス8歳 ペリクレスがアテナイの実権を掌握する。アテナイは黄金期を迎える。
紀元前449年 ソクラテス20歳 アテナイがペルシャ帝国と和睦を結び、ペルシャ戦争終結。
紀元前443年 ソクラテス26歳 プロタゴラスがアテナイを初めて訪問。友人のペリクレスの依頼により、このころ建設された植民市トゥリオイの法律を起草したといわれる。
紀元前433年 ソクラテス36歳 プロタゴラスが再度アテナイを訪問。『プロタゴラス』の対話設定年代。
紀元前431年 ソクラテス38歳 アテナイとスパルタのあいだにペロポネソス戦争勃発。翌年の前430年に疫病が流行し、ペリクレスも感染して前429年に死去。このころからアテナイは衰退に向かう。
紀元前427年 ソクラテス42歳 プラトン、アテナイに生まれる。父アリストン、母ペリクティオネ。両親ともアテナイの名門の出身だった。
この年、故国レオンティノイの外交使節団代表としてゴルギアスが同盟国アテナイを訪問し、隣国シラクサの圧力に対して支援を求めた。民会での演説は聴衆に圧倒的印象を与え、支援を取り付けるとともに、以後のアテナイにおける弁論術隆盛の火付け役となる。やがてレオンティノイはシラクサによって支配され、ゴルギアスはギリシャ本土各地で教えた。アテナイもしばしば訪問しており、そのなかの1機会が、『ゴルギアス』の対話設定年代。
紀元前420年 ソクラテス49歳 このころソフィストのプロタゴラス死去。
プラトン  7歳
紀元前416年 ソクラテス53歳 1月にアテナイのレナイア祭の悲劇コンクールで詩人アガトンが優勝する。『饗宴』の対話設定年代。
プラトン 11歳
紀元前415年 ソクラテス54歳 このころプラトンがソクラテスと知り合う。テアイテトス、アテナイに生まれる。
プラトン 12歳
紀元前404年 ソクラテス65歳 アテナイがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争終結。敗戦後クリティアスを中心とする親スパルタ派30人の独裁政権が樹立される(翌年の前403年に崩壊)。
プラトン 23歳
紀元前402年 ソクラテス67歳 『メノン』の対話設定年代。
プラトン 25歳
紀元前399年 ソクラテス70歳 ソクラテス、政治家アニュトスと弁論家リュコンを後ろ盾とするメレトスという若い詩人により、不敬神および青年に害を及ぼした罪で告発される。
プラトン 28歳
『テアイテトス』の内部の対話である、ソクラテスとテアイテトスとテオドロスの対話設定年代は、この告発によって、役所からの呼び出しを受けた頃である。
裁判が行われ、死刑判決が下される。1月後の3月に刑死する。刑死当日が『パイドン』の対話設定年代。
ソクラテスの死後、プラトンはアテナイを逃れ、各地を転々とした。
紀元前393年 プラトン34歳 このころ、ソクラテスの有罪と死刑という裁判結果は正しかったとするパンフレット『ソクラテスの告発』が、ポリュクラテスにより書かれる。この後プラトンによって、『イオン』『エウテュプロン』『カルミデス』『ソクラテスの弁明』『クリトン』『プロタゴラス』『ゴルギアス』『ラケス』『リュシス』など、数多くの初期対話篇が執筆されたと考えられる。
紀元前387年 プラトン40歳 これ以前の戦闘(あるいは前369年 プラトン58歳の戦闘)でテアイテトス戦病死。『テアイテトス』の外枠の対話である、エウクレイデスとテルプシオンの対話設定年代。
この年、プラトン、南イタリアのタラスでピュタゴラス派の知識人アルキュタスと出会う。その後、シチリア島でシラクサの僭主ディオニュシオス1世のもとを訪ね、以後プラトン理解者となる、青年ディオンと出会う。
その後、アテナイに帰国したプラトンは、ほどなくアテナイ郊外アカデメイアの神域に同名の研究教育機関を開設する。このころ初期作品最後の『メノン』を著す。
以後プラトンは、『パイドン』『饗宴』『ポリテイア(国家)』『パイドロス』『パルメニデス』など中期作品を発表する。
その最後の作品として、60歳近くになって、『テアイテトス』を発表した。
紀元前367年 プラトン60歳 アリストテレスが17歳でアカデメイアに入学し、プラトンの弟子となる。
シラクサではディオニュシオス1世が死去し、ディオニュシオス2世が即位する。ディオンは若い新国王の教育のためにプラトンを招聘するが、プラトンがシラクサに滞在していた時の政争により、ディオンは国外追放となる。プラトンも1年あまりディオニュシオス2世によって監禁される。
シラクサから無事帰国後、プラトンはアカデメイアにおける研究教育活動を再開する。このころ後期対話篇の『ソフィスト(ソピステス)』『政治家(ポリティコス)』を執筆し、その後『ティマイオス』『ピレボス』『法律』などを執筆する。
紀元前357年 プラトン70歳 ディオンがシラクサの政権を掌握する。
紀元前353年 プラトン74歳 ディオンが暗殺される。
紀元前347年 プラトン80歳 プラトン死去。アカデメイアは甥のスペウシッポスが引き継いだ。以後、ギリシャ世界の学問の中心として、紀元後529年まで存続した。