2011.10.25

〈あとがきのあとがき〉「ナボコフから読者への挑戦状」貝澤 哉さんに聞く

ウラジーミル・ナボコフがロシア語で書いていた初期作品のひとつ『カメラ・オブスクーラ』は、『ロリータ』の原型ともいわれてきた小説です。

ナボコフの作品の楽しみは、ただストーリーを読むのではなく、その巧妙な仕掛けを発見していくところにあります。そこで翻訳者の「あとがき」を思わず熟読してしまうのですが……。今回の「あとがきのあとがき」は、『カメラ・オブクーラ』を訳した貝澤哉さん(早稲田大学教授)です。

──まずは「訳者あとがき」の文章を読んで、読者が絶対知りたいことをお聞きします。「(日本の)現役で活躍するプロの作家たちのなかにも、ナボコフについて熱く語る熱烈な崇拝者が数多くいた」と書いておられますが、どなたですか?

『カメラ・オブスクーラ』ナボコフ/貝澤哉訳

貝澤 そこからきますか(笑)。佐藤亜紀さんは昔からナボコフが好きだと公言していますね。早稲田の文芸科で客員教授をしていただきましたが授業でもこの作家をとりあげていましたし、ナボコフ協会で講演をしてもらったこともあります。それから『おどるでく』を書いた室井光広さんもかなりファンであるのが口ぶりからわかりました。また「早稲田文学」の新人賞関連の宴席で某女性作家が「『ナボコフ短篇全集』(作品社)はすごい!」という話をされていて、思わず「あれは僕も訳しているんです」といったことがあります(笑)。

──では、作品の話を。初期のロシア語作品は、日本では最近まで英訳からの重訳が多かったといいます。英訳作品とロシア語版との違いを教えていただけますか?

貝澤 初期のロシア語作品のほとんどをナボコフ自ら英訳しています。それを読んでみると、ロシア語のものより明らかにわかりやすくなっている。ナボコフがアメリカの一般読者向けにやさしくしているふしがあり、物語自体を変えていることも。結果、ロシア語版にあった魅力的な言葉遊びや言葉の綾が消えてしまっている箇所もあります。

──初期ロシア語小説ならではの特徴はありますか?

貝澤 1950年代以降の英語で書かれた大作、たとえば『青白い炎』などは、作家が非常に力を入れているので、作品として上質ですが、一般的な読者にとって面白いとはなかなかいえないかもしれませんね。ある程度文学的に訓練を受けていないと読めないところもある。しかし、初期ロシア語作品は、彼も売り出したいというところがあったのでしょう、小説の実験はやっていますが割とわかりやすいプロットで書かれています。ですから、ナボコフ入門には、こちらの方がお勧めです。比較的楽にナボコフの世界に参入できるのではないでしょうか。

ただしこれは私の個人的な印象ですが、初期ロシア語作品は何か人工的な雰囲気を持っています。19世紀のロシア作家とは違った、普通ではない文体を作り込んでいる印象がある。『カメラ・オブスクーラ』はそれほどではありませんが、たとえば『青春』などは、古語や雅語などを多く使った特殊な文体の小説です。

色彩イメージの連鎖とホーンの正体

──貝澤さんは、本作に付した「解説」では、ナボコフの小説の細部を読み解く面白さを説いています。たとえば「赤」や「白」などの色彩に関わる細部に注意して読むと、面白い発見ができると書いている。ヤボではありますが、たとえば「赤」について解説していただけますか?

貝澤 「赤」は小説の結末で主人公クレッチマーが流す血の色に終結していく視覚的イメージですね。最初、クレッチマーが少女マグダと出会う映画館はこのように描写されています。「通りの向こう側には紅の電球に照らされた小さな映画館の看板が赤々と輝いていて、甘い木苺色の照り返しで雪を染めていた」(p.18)。そこから始まって、クレッチマーが家を出てマグダの家に転がり込む時には、彼女は「赤い絹の部屋着」を羽織って出てきますし(p.99)、さらに進んで、クレッチマーがマグダを殺そうとすると、彼女は何故かテニスで豆をつくっていてソックスに「赤い染み」がついている(p.255)。

つまり視覚的なイメージが小説の様々な細部にひそかに現れ受け繋がれていき、次第にまとまりとなって物語の展開に合流して大団円を迎えていきます。

このようにストーリーとは別のところで楽しむことができるので、読み終わっても何度も読むことができる。最近「ネタバレ」とかいって物語の結末などを知ることに嫌に神経質になっている傾向が見受けられますが、本当に面白い小説や映画は何度見ても面白い。ナボコフの小説は、ネタバレをしようが繰り返し味わえる作品です。

──では、ネタバレを怖れず(笑)、小説の最終場面に関連した話をお聞きします。クレッチマーは盲目となり、マグダは愛人ホーンと関係を続けるために奇妙な三人暮らしが始まります。そこでマグダは、クレッチマーに部屋の様子を伝える際、ホーンにそそのかれ嘘の描写をする。貝澤さんは、「解説」でこの盲目の主人公の状態は、「小説の読者」の姿なのだと書いておられる。そこから展開される小説論には感銘しました。このあたりの貝澤さんの考えをもっと読んでみたいのですが。

貝澤 『引き裂かれた祝祭 バフチン・ナボコフ・ロシア文化』(論創社)という本に関連のテクストが載っているので読んでみて下さい。あの「解説」では書かなかったのですが、盲目のクレッチマーが「小説の読者」ならば、意地悪く人を騙してくる男ホーンは当然「作家」ではないでしょうか。ナボコフといってもいいかもしれない。彼の小説はホーンの手口のように巧妙です。「この小説に書かれていることにも実は裏があるんだぞ!」と読者に挑戦しているんですね。そうすると、じゃあ、こちらもナボコフの鼻をあかしてやろうじゃないかと思うわけです。巧妙に仕組んだ仕掛けを解いてみようと。......ナボコフの翻訳は、作家の挑戦を受けて立つという側面もあるのです。

──といっても、ナボコフの翻訳は非常に難しいのではないかと......。

貝澤 先に話した視覚的イメージの連鎖のように、ナボコフは細部で仕掛けてくるので、ポイントになる言葉を見過ごさないように、非常に神経を使います。
それからこの作家独自の表現が手強い。『ナボコフ全短篇』(作品社)に入っている、私が訳した「じゃがいもエルフ」という作品の中に、主人公のサーカスの小人がロンドンの地下鉄から出てくる場面があります。それをこの作家は、地下鉄とは一切言わずに「派手なポスターのあいだを電気の風が吹き抜けてごうごうごうとうなる地の底からエスカレーターに乗ってゆっくりと這い出した」と書くわけです。

これは校正の際、作品社の編集者から「なんですか?」とアカが入りました(笑)。そうそう、『カメラ・オブスクーラ』でもありましたね。クレッチマーが聞く、妻が話している電話の向こうの声を「顕微鏡的な声」と訳したところ(p.53)、そこにやはりアカが入っていて(笑)。

──(担当編集者、顕微鏡的な声で)......スミマセン。

貝澤 いえいえ(笑)。この比喩は作品のテーマである「見る」ことに関わった表現です。「解説」でも書きましたが、こういった妙に込み入った比喩も、ナボコフが読者に仕掛けた罠のひとつであり、非常に魅力的な部分なのですね。

こうした複雑に伏線が張られた作品を訳すのはしんどい作業です。訳していくと伏線の繋がりが消え、繋がりを意識しすぎると日本語としてはダメになる。それをどうするか。難しいパズルを解いて、それをもう一度違ったパズルに組み直していくような作業です。

これが苦しくもありますが、翻訳をしていてこれほど知的な興奮を得られるのはナボコフ以外、考えられないですね。

──貝澤さんの「ナボコフとの出会い」について教えていただけますか?

貝澤 学生時代に富士川義之さん訳の『セヴァスチャン・ナイトの真実の生涯』を読んだのが初めてではないかと思います。あの作品は、語り手がある人物を探していて、最終的にそれは自分であるというものです。今でいうメタフィクションですね。小説のつくり方を意識した特異な作家であることには気づきましたが、ぼんやりしていた学生だったので、ナボコフがこれだけすごい作家なのかは、その時にはわからなかったんですね(笑)。

次に大久保康雄さん訳の『ロリータ』も読みましたが、大津栄一さんが訳した『賜物』を読んでピンときたのです。あれは小説の中にロシア文学史が詰まっている斬新な構造の作品です。しかし、プルーストやジョイスのようにあからさまな実験という感じではない。明らかにおかしいことをやっているのに、全体としては古典的な文体の作品になっている......これはすごい! と思ったわけです。そこからナボコフにはまってしまいました。

大衆的メディアとナボコフ

──ナボコフと映画との関係性について触れます。色彩イメージの連鎖や、登場人物が大衆映画に出てくる典型的キャラクターを思わせる人間であるなど、この作品は映画的な小説ですね?

貝澤 ナボコフが20世紀的な作家だなと思うのは、他のメディアをすごく意識しているところです。そのメディアのひとつに映画があります。彼がベルリンに住んでいた1920〜30年代はワイマール時代。大衆文化が爛熟した時代で、ウーファーなどの映画会社が犯罪ものやメロドラマの無声映画を量産していました。無声映画は字幕を替えればどこの国でも見られるので国際商品だったんですね。因に無声映画では俳優は声が不要なのでドイツ映画にロシア人でも出演できた。ナボコフもエキストラ出演していたことがあるといいます。

こうした大衆映画の大流行のなかで、「小説はいかに延命できるか」をナボコフは考えていた。そしてまるで映画のような設定を取り入れながらも、まったく違った言葉でしかできない芸術世界を構築し、「どうだ!」と読者に提出しました。その一つが『カメラ・オブスクーラ』なのです。

──最近、貝澤さんはロシア文学とメディアの関係性について研究していると聞きましたが。

貝澤 今やっていることはいくつかあるのですが、そのひとつにロシアの19世紀末から20世紀初頭の、新聞、雑誌、映画などを含むメディア状況を文学にからめて語り、ロシア文学史を考え直すという研究があります。

ロシアでは1870〜90年代にメディア革命が起きました。大衆向けの本などが大量に出版されたのです。60年代では識字率もたったの6〜7%だったのが、90年代の都市部では40%以上に上昇した。この頃から大衆が文学を読むようになり、文学自体も大衆化していきます。

それまで文学は一部の貴族や知識人のためのものです。19世紀の半ば、文学系の雑誌の部数はたぶん1000部くらいだったでしょう。後になってロシア文学の名作といわれる小説も当時はその単位で読まれていたものに過ぎません。

しかし1870年代に入って、ドイツ人のアドルフ・マルクスという人物が登場します。彼が出版した絵入りの週刊誌が7〜8万部を出す爆発的な大ヒットとなる。ここからが面白いのですが、マルクスは定期購読者に、無料の付録として文学全集を付けました。当時1冊の本は10ルーブルくらい、それが1ルーブルと少しの購読料を払うと、家にどかっと文学全集が送られてきた(笑)。

──え〜! 逆じゃないですか、それ!

貝澤 ロシアでは、それで文学が普及したんですよ(笑)。農民や労働者がプーシキンを読むようになり、その文学全集を読んで作家になろうとした者の一人がゴーリキなのです。

この流れのなかで重要人物となるのが、あのチェーホフです。チェーホフの作品には、しばしば天才になりたいけどなれない人間が出てくる。

たとえば『ワーニヤ伯父さん』には「俺はドストエフスキーみたいになれたはずなのになれなかった......」と嘆く人物が出てくる。大衆が大衆的なメディアでドストエフスキーを読んであこがれ、しかし所詮大衆だから文豪にはなれないということですね。ここから19世紀末のメディア革命の影響の下で書いていたチェーホフが見えてきます。ナボコフはだいぶ後になりますが、この流れを受け継いだ作家なのだったと思います。大衆文化との関係性を問題にする芸術家ですね。たとえば『カメラ・オブスクーラ』のクレッチマーは、大衆の一人ですが、少しばかり育ちがよかったので絵画鑑定士になれた人物、しかし結局は「何も見えていない」人間なのでした。大衆文化と芸術の問題が、ここにも浮かび上がっています。

──ますますこの小説が興味深い作品に思えてきました。今日は、ありがとうございました。

(聞き手/渡邉裕之)

絶望

絶望
ナボコフ
貝澤 哉 訳