| 1875年 |  | 6月6日リューベックで穀物商会を営む家の次男として生まれる。兄ハインリヒ(1871~1950)も長じて作家となる。 | 
                
                | 1889年 | 14歳 | カタリーネウム校入学(実科高校課程)。 | 
                
                | 1891年 | 16歳 | 父が死亡。穀物商会解散。ポルトガル貴族の血を引くブラジル生まれの母は、翌年1家を連れてミュンヘンに移る。トーマスはリューベックに残って学業を続ける。 | 
                
                | 1893年 | 18歳 | 友人らと学友雑誌「春の嵐」を創刊。 | 
                
                | 1894年 | 19歳 | 1年志願兵資格証明書を得て、ミュンヘンに移り、火災保険会社に勤める | 
                
                |  |  | が、秋には辞職。短編小説「転落」を発表。 | 
                
                | 1896年 | 21歳 | 秋にイタリア旅行。98年春まで滞在。この間に『ブデンブローク家の人々』執筆開始。 | 
                
                | 1898年 | 23歳 | 短編小説集『小男フリーデマン氏』刊行。「ジンプリツィシムス」誌の編集部に勤める(1900年まで)。 | 
                
                | 1900年 | 25歳 | 1年志願兵として兵役につくが、3ヶ月で除隊。 | 
                
                | 1901年 | 26歳 | 『ブデンブローク家の人々』刊行。 | 
                
                | 1903年 | 28歳 | 「トーニオ・クレーガー」を「ノイエ・ドイチェ・ルントシャウ」誌に発表。短編集『トリスタン』刊行。 | 
                
                | 1904年 | 29歳 | ミュンヘン大学教授の娘カタリーナ(カトヤ)・プリングスハイムと婚約。翌年結婚。 | 
                
                | 1905年 | 30歳 | 戯曲「フィオレンツァ」発表。長女エーリカ誕生。 | 
                
                | 1906年 | 31歳 | 長男クラウス誕生。 | 
                
                | 1907年 | 32歳 | ヴェネツィアへ旅行。 | 
                
                | 1909年 | 34歳 | 『大公殿下』刊行。次男ゴットフリート(ゴーロ)誕生。バート・テルツに山荘を持つ。 | 
                
                | 1910年 | 35歳 | 『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』執筆開始。次女モーニカ誕生。妹で女優のカルラ自殺。 | 
                
                | 1911年 | 36歳 | ブリオーニ島を経てヴェネツィアに旅行、リドに滞在。 | 
                
                | 1912年 | 37歳 | 『ヴェネツィアに死す』刊行。カトヤ夫人、ダヴォスのサナトリウムに入院。 | 
                
                | 1913年 | 38歳 | 『魔の山』執筆開始。 | 
                
                | 1914年 | 39歳 | 評論「フリードリヒと大同盟」執筆。[第1次世界大戦勃発] | 
                
                | 1915年 | 40歳 | 『魔の山』執筆中断。長編評論『非政治的人間の考察』執筆開始。 | 
                
                | 1918年 | 43歳 | 『非政治的人間の考察』刊行。3女エリーザベト誕生。 | 
                
                |  |  | [第1次世界大戦終結] | 
                
                | 1919年 | 44歳 | 『魔の山』執筆再開。3男ミヒャエル誕生。 | 
                
                | 1921年 | 46歳 | 講演「ゲーテとトルストイ」。 | 
                
                | 1922年 | 47歳 | 『詐欺師フェーリクス・クルルの告白、幼年時代の巻』刊行。講演「ドイツ共和国について」。 | 
                
                | 1923年 | 48歳 | 母ユーリア死去。 | 
                
                | 1924年 | 49歳 | 『魔の山』刊行。 | 
                
                | 1925年 | 50歳 | ヨゼフ小説を構想。 | 
                
                | 1926年 | 51歳 | 『ヨゼフとその兄弟たち』執筆開始。 | 
                
                | 1927年 | 52歳 | 妹ユーリア自殺。 | 
                
                | 1929年 | 54歳 | ノーベル文学賞受賞(『ブデンブローク家の人々』に対して)。 | 
                
                | 1930年 | 55歳 | エジプトからパレスチナへ旅行。講演「理性に訴える」。 | 
                
                | 1931年 | 56歳 | 講演「文化共同体としてのヨーロッパ」。 | 
                
                | 1932年 | 57歳 | 講演「作家としてのゲーテの経歴」、「市民時代の代表者としてのゲーテ」。 | 
                
                | 1933年 | 58歳 | 講演「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」。国外に講演旅行に出るも、ナチスの政権奪取によりマン家は接収され、帰国できず。秋にはスイスのチューリヒ近郊キュスナハトに定住。ヨゼフ小説第1巻『ヤコブ物語』刊行。 | 
                
                |  |  | [ヒトラー政権獲得] | 
                
                | 1934年 | 59歳 | ヨゼフ小説第2巻『若いヨゼフ』刊行。最初のアメリカ旅行。 | 
                
                | 1935年 | 60歳 | ニースで開かれた「知的協力委員会」に「現代人の形成」(『ヨーロッパに告ぐ』)を寄稿。 | 
                
                | 1936年 | 61歳 | 講演「フロイトと未来」。ヨゼフ小説第3巻『エジプトのヨゼフ』刊行。『ヴァイマルのロッテ』を構想。ドイツ国籍を剥奪される。チェコ国籍を得る。 | 
                
                | 1937年 | 62歳 | 雑誌「尺度と価値」創刊。 | 
                
                | 1938年 | 63歳 | アメリカに講演旅行「来たるべきデモクラシーの勝利について」。政治論集『ヨーロッパに告ぐ』刊行。アメリカに居を移し、プリンストンに定住。 | 
                
                | 1939年 | 64歳 | 講演「自由の問題」。『ヴァイマルのロッテ』刊行。ハインリヒ・ツィマーの「インド神話」に関する著作を読む。 | 
                
                |  |  | [ドイツ軍のポーランド侵入、第2次世界大戦始まる] | 
                
                | 1940年 | 65歳 | 年明けとともに『すげかえられた首』執筆開始。あわせてインド関係の資料を読みつぐ。8月脱稿。10月『すげかえられた首』刊行。B B Cを通じてドイツに向け毎月定期的にラジオ放送を開始。 | 
                
                | 1941年 | 66歳 | カリフォルニアに移住。 | 
                
                | 1943年 | 68歳 | 1月にヨゼフ小説第4巻『養う人ヨゼフ』完結、12月に刊行。その間に短編「掟」を執筆。さらに『ファウストゥス博士』執筆開始。 | 
                
                | 1944年 | 69歳 | アメリカ市民権獲得。 | 
                
                | 1945年 | 70歳 | 講演「ドイツとドイツ人」。 | 
                
                |  |  | [第2次世界大戦終結] | 
                
                | 1946年 | 71歳 | 肺腫瘍の手術。 | 
                
                | 1947年 | 72歳 | 戦後最初のヨーロッパ旅行に出かける。講演「われわれの経験から見たニーチェの哲学」。『ファウストゥス博士』刊行。 | 
                
                | 1948年 | 73歳 | 『選ばれた人』と『ファウストゥス博士の成立』の執筆開始。 | 
                
                | 1949年 | 74歳 | 『ファウストゥス博士の成立』刊行。戦後最初の、16年ぶりのドイツ訪問。息子クラウス自殺。 | 
                
                | 1950年 | 75歳 | 兄ハインリヒ死去。 | 
                
                | 1951年 | 76歳 | 『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』続編の執筆再開。『選ばれた人』刊行。 | 
                
                | 1952年 | 77歳 | 5月『だまされた女』執筆開始。知人の医師フレデリク・ローゼンタールに子宮癌の症状と進行について質問。6月末、アメリカ国内の反共的空気を嫌い、ヨーロッパに移住、チューリヒ近郊に住む。 | 
                
                | 1953年 | 78歳 | 2月知人のグレーテ・ニキシュにデュッセルドルフの地理とラインラントの訛りについて質問(前年5月にも問い合わせ)。3月『だまされた女』完成。9月刊行。 | 
                
                | 1954年 | 79歳 | 『詐欺師フェーリクス・クルルの告白、回想録第1部』刊行。評論「チェーホフ試論」、「シラー試論」執筆。 | 
                
                | 1955年 | 80歳 | シラー没後百5十年の記念講演(「シラー試論」を短縮した形で)。 | 
                
                |  |  | 8月12日チューリヒで死去。 |