2019.09.14

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.3 福留友子さん〈韓国語〉에피소드(エピソード)2

古典新訳文庫ブログのインタビュー〈 女性翻訳家の人生をたずねて〉に、新しいシリーズが加わります。本という媒体ではなく、〈映像〉の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。そもそも不可能か?とも言われる翻訳を、さらに短い文字制限で日本語にするというマジックへの挑戦者たち。しかも、英語以外の外国語を扱う翻訳者のシリーズです。字幕や映像翻訳という仕事の苦労と魅力、その言語との出会い、子どもから大人に成長する過程でのアレコレ。"不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読いただければ幸いです。

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ドイツ語の吉川美奈子さん、スペイン語の比嘉世津子さんというように、映像の字幕翻訳に携わる女たちに聞くこのシリーズ、第3弾は、韓国語の福留友子さんにご登場いただきます。11月には福留さんが手がけた映画「国家が破産する日」が公開されます。

映画『国家が破産する日』 映画「国家が破産する日」ウェブサイト
Kstyle 「キム・ヘス&ユ・アイン出演映画「国家が破産する日」11月8日(金)より日本公開決定!実話を基にした衝撃の問題作」

ドラマ、映画で精力的にお仕事をなさっている福留さんの原点はどこにあるのか。韓国翻訳一直線!というわけではない紆余曲折、それでも赤い糸がどこかでつながっている偶然と必然の旅を、ご一緒にたどってみましょう。

政府間の関係がギクシャクしても、互いの文化や言語に惹かれる人がいて、ドラマや映画、音楽や文学の交流の影には、言葉の架け橋となる翻訳者・通訳者がいます。日本が戦争に負けた日は、植民地として支配されていた朝鮮半島の人たちにとっては解放の日です。異なる視点、違う文化や言語だからこそ交流の歓びがあるのでは? と思いつつ、連載をスタートします。

福留友子さんプロフィール

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.3 福留友子さん〈韓国語〉2
ウズベキスタンのキジルクム砂漠を訪れた
大学院生の頃の福留さん。

ふくとめ ともこ  1969年5月1日生まれ。三重県立四日市高等学校を卒業後、東京学芸大学に進学。東京学芸大学大学院教育学研究科修了して、大手進学塾の専任教務社員に。映像翻訳会社で字幕翻訳スタッフとして働いた後、フリーランスで韓国語の字幕翻訳者として活躍中。

代表作は映画『冬の小鳥』『ハロー!?ゴースト』『ソウォン/願い』『バトル・オーシャン/海上決戦(原題:鳴梁)』『ベテラン』『華麗なるリベンジ』『ザ・キング』『リトル・フォレスト春夏秋冬』『麻薬王』『サバハ』、ドラマ『イニョン王妃の男(吹き替え)』『グッド・ドクター』『花郎<ファラン>』『SUITS/スーツ〜運命の選択〜』『スイッチ~君と世界を変える~』ほか。

構成・文 大橋由香子

에피소드(エピソード)1 ハングルとの出会いは、母からのプレゼント

에피소드(エピソード)3 進学塾で働きながら翻訳への道を暗中模索、そこにやってきた韓流ブーム

番外編 湧き出てくる好奇心と興味の変遷

에피소드(エピソード)2 韓国との遭遇、そして「これで食べていく!」という決意

福留さんはあまりコツコツ勉強するタイプではなかったが、高校では国語、地理、物理が得意で、さほど勉強をしなくてもテストの点数がとれた。そんな高校時代、教師から受け取ったものがたくさんあった。

「国語の先生は大学を出たての若い先生で、3年間担任していただき、勉強から悩みの相談まで、高校生活を全面的に支えてもらいました。その先生は、文学作品をクリティカルかつシニカルに読まれる方だったんです。私はそれまで、どっぷり感情移入型の読み込み方をしていたので、目から鱗が落ちましたね。その影響もあって、以降、読書傾向が文学から論説文にシフトしていきました。今、思うと、“新しい読み”を模索していたのかもしれません。
 また、地理の先生と物理の先生は、山岳部の顧問でした。授業内で山や世界の話を、それはそれは面白おかしく話してくださり、自分もいつか本格的な登山や海外旅行をしてみたいと思うようになりました」

福留さんは「元来、ずぼら」で、宿題もきちんと提出するほうではなかったという。夏休み明けのある日、宿題を出さなかった福留さんは、その物理の先生に呼び出された。

「『できると思って、いい気になってるのか!』とキツくお叱りを受けました。いい気になっているわけではなく、単に怠け者だっただけなので、そういう見方をされたことに驚きましたが、この言葉が何気に仕事をするうえでの座右の銘になっています。『驕らずに常に謙虚に。己を省みよ』と。学びの機会を失ってしまいますから」

高校2年までは理系志望だった。「女は手に職をつけたほうがいい」と親に勧められて、薬剤師という将来の選択肢も含め、大学では薬学か有機化学を専攻しようと考えていた。

ところが、ある時、化学の先生にこう言われる。有機化学は実験に時間がかかることが多いので、大学でバイトしながら自活するのは不可能だ、と。

地元からは離れて都会に行きたい、しかし親の援助は期待できないのでバイトは必須と覚悟していた福留さんは、先生の言葉を聞いて、あっさりと文系に転向する。

「もし、薬学や化学の世界に進んでいたら、映像翻訳の仕事につくなど考えもしなかったでしょう。あの時、現実を突きつけてくださった化学の先生には、ひそかに感謝しているんですよ」

吹奏楽部では、こんな出来事もあった。

ある時の演奏会、福留さんはソロでクラリネットを吹くことになった。ところが本番の時、緊張のあまり頭が真っ白になってしまい、満足できる演奏ができなかった。そのショックから、自分は人前に出ることは似合わない、これからは黒子に徹しようと思うようになったという。

小中学生の頃は、人前に出て何かすることが苦にならなかった福留さんにとって、吹奏楽部の苦い思い出だ。

日本人だと思っていたクラスメートの本名宣言

高校時代に、今の仕事につながる事件があった。同級生の女子が、自分は韓国人だとカミングアウトしたのだ。

それまで日本名(通称名)を名乗っていた彼女は、在日韓国人をモデルにした映画のオーディションに応募し、主演の座を射止めたのをきっかけに、自分の本名を宣言したのだ。

彼女自身は才色兼備で、むしろ多くの生徒の憧れの的であったが、在日朝鮮人への差別は当時はまだまだ日常的だった。就職に際しての差別、外国人登録証を常時持ち歩かなければならず、たまたま持っていないと逮捕されることすらあった。その外国人登録証明書の書き換えの時には、犯罪者になされるような指紋の押捺が義務になっていた。

福留さんは、それまで自分と同じ日本人だと思い込んでいた級友が、韓国出身だったということで、さらに韓国という国に関心をもつきっかけになった。

その同級生の名は姜美帆、主演映画は「潤の街」(金祐宣監督、1989年)。在日朝鮮人の高校生役が姜さんで、田中実が演ずる日本人男性との悲恋物語である。日本人男性との悲恋物語である。日本映画監督協会新人賞を受賞した。

映画「潤の街」作品情報(eiga.com)

その後、映画「戦争と青春」にも出演している。

映画「戦争と青春」

そんな高校生活のあと、福留さんはどんな道に進もうと思ったのだろうか。

「高校3年生の秋くらいまでは家から通える国立大学を考えていましたが、地元を離れて新しい土地へ行ってみたいという思いから、急遽、関東の国立大学を受験することにしました。親からの経済的援助が見込めなかったので、奨学金が取りやすく、授業料が免除になりやすい学校はないかと探し、教員になれば奨学金の返還も免除されると知って、教員養成系大学に絞ることにしました」

こうして1988年春、三重から東京に引っ越して、東京学芸大学教育学部人間科学課程の1年生になる。

奨学金返還免除という「消極的理由」からこの大学を選んだものの、自分に教員としての適性があるとは思えなかった福留さん。

ラッキーなことに、ちょうど教員免許を取らなくても卒業できる学科が東京学芸大学に新設された(いわゆるゼロ免課程)。教員以外の「逃げ道」を作る意味で、人間科学課程を選び、社会教育を専攻することにした。

「小学生の時、ハングルを真似して書いたっきりになっていたので、第2外国語は、もちろん念願の韓国語を受講しました。今は東京外国語大学教授の丹羽泉先生が、当時、学芸大にも非常勤講師で教えにいらしていたんです。
 同時に、異文化への関心から文化人類学にも興味が出て、クロード・レヴィ=ストロースの著書を原語で読みたいと切に思うようになりました。それで、フランス語も必死に勉強して、むしろ、韓国語よりもフランス語に力を入れていたかもしれません。
 高校までは英語が大の苦手だったので、なぜそんなに語学をがんばったのか、自分でも不思議です。なんと、韓国語もフランス語も英語も『辞書なしで専門分野の論文をスラスラ読む!』を目標にしました」

福留さんが入学した頃は、まだバブル景気の時期で、ヨーロッパ旅行でブランドものを買う女子学生、クリスマスやバレンタインデーにリッチなレストランを予約し豪華なプレゼントをする男子学生が話題になるような雰囲気だった。そんな「キャピキャピの大学生」の世界とは、意図的に距離を置く。

とはいえ、福留さんも勉強ばかりしていたわけではない。冒険探検部に入り、サークル活動、勉強、アルバイトに明け暮れる、忙しいながらも学生生活をエンジョイする。

吹奏楽からアウトドアの冒険探検部に転身したのは、文化人類学のフィールド調査を意識してのことかもしれない。

「冒険探検部の正式名称は、自然文化誌研究会・冒険探検部。登山、ケービング(洞窟探検)などのいわゆる冒険探検のみならず、学術調査、環境教育、農耕文化の伝承など多彩な活動をしていたサークルです。私はバイトが忙しく、断片的に参加するのみで、あまり主体的に活動に関われませんでした。ですが、偉大かつ個性的な先輩方が多く、部室に入り浸りでしたね(笑) かなり影響を受け、ひとまず、どこでも生きていける生活技術は身につきました。
 この冒険探検部で一番の思い出は、『アジアを考える』という連続講演会を企画・開催したことです。多文化社会、南北問題などをキーワードにした連続講演会だったのですが、トリのタイトルは「在日韓国・朝鮮人と私たち」。演者に韓国人留学生と朝鮮大学校の学生を招き、交流の場を設けたのですが、今、考えると恐ろしいですね。若気の至りというか何というか……1970年代の「在日韓国人スパイ捏造事件*」の悪夢を鮮明に覚えている大学のとある先生からは、やめるよう窘(たしな)められ、大学側からは政治セクトと間違えられて目を付けられたりもしましたが、南北分断という悲劇に翻弄される若者たちの声をリアルに聞く機会を設けられたのは非常によかったです」

京都新聞(2018年11月04日)参照
韓国に留学中にスパイ容疑で逮捕された事件に関する本に、『徐兄弟獄中からの手紙―徐勝、徐俊植の10年』(徐勝、徐俊直著、徐京殖訳、岩波新書、1981年)、『獄中19年──韓国政治犯のたたかい』(徐勝著、岩波新書、1994年)などがある。

冒険探検部は、その後2004年にNPO法人化して「自然文化史研究会」となっている。

中央アジアのフィールドワークで朝鮮料理に感動!

最初に韓国を訪れたのも学生時代の1992年だった。青春18切符で東京から下関まで鉄道を乗り継いで移動、途中で広島大学など国立大学の自治寮に一泊300円で泊まれたという。下関からフェリーで釜山に行き、そこからバスで移動した。

「経済成長の途上だったんでしょうが、人のパワーがすごくて圧倒されました。ものを買うとき、お行儀よく並ぶなんてことはしない。でも人情に厚くて、重い荷物を持って歩いていると、後ろからサッと奪うように荷物を取られる。泥棒かとびっくりすると、そうではなくて親切に持ってくれるんです。電車でも、立っていると、前に座っている人が荷物を取って膝においてくれる。カルチャーショックでしたね」

金井山
2019年8月、福留さんは十数年ぶりに釜山を訪れた。 金井(クムジョン)山から韓国屈指のリゾート地、海雲台(ヘウンデ)と広安(クァンアン)大橋を望む(写真中央)。「高層ビルが建ち並び、初上陸の頃と比べるとすっかり街の様子が変わってしまったが、人の温かさは変わっていませんでした」 (写真撮影:福留友子)

大学生活を送るうち、学校の先生になったり企業に就職したりするのではなく、研究で食べていきたいと思うようになった。教育実習も就職活動もせず、研究者をめざして大学院に進学する道を選ぶ。

大学院の入試では、語学の試験があった。ひたすら論文を訳すという試験だが、フランス語も韓国語も「他の追随を許さない出来」という嬉しいコメントを頂戴した。

「それまで語学への苦手意識がありましたが、この大学院入試で、将来、私でも語学で食べていけるのではないか?と思えるようになれました。勘違いだったかもしれませんけど(笑)」

決して福留さんの勘違いなどではなかったことは、後に証明される。

大学院での主専攻は文化人類学。副専攻のような形で、朝鮮近現代史のゼミにも参加した。文化人類学のフィールドをテュルク系民族の国(中央アジア、ウイグル)にしようか、韓国にしようか迷っていた。

福留友子さん〈韓国語〉1993年、中央アジア遠征時。ウズベキスタン、キジルクム砂漠にて
1993年、中央アジア遠征時。シルクロードの古都サマルカンドのレギスタン広場(撮影:福留友子)

そんな時、中央アジアに行ってみたところ、羊肉が使われた料理が多く、食べ物を受け付けられなかった。

福留さんは子どもの頃から肉が苦手で、学校給食でも苦労していた。 中央アジアでも下痢が続き、脱水症状で干上がった状態になってしまった。そんな時、なんとか口にできたのは朝鮮料理だった。

福留友子さん〈韓国語〉
ウズベキスタンのバザール前の人だかり(撮影:福留友子)

福留友子さん〈韓国語〉
ウズベキスタンの子供たち(撮影:福留友子)

「中央アジアには、ソ連のスターリン時代に、沿海州の朝鮮人が強制移住させられたために、多くの朝鮮人(高麗人)が住んでいます。その人たちが作る『なんちゃって朝鮮料理』に感動しました。この経験から、肉が食べられない自分は中央アジアには適応できないと悟り、文字通り『韓国・朝鮮で食べていくんだ!』と決心したわけです(笑)」

こうして、韓国で「食べていく」覚悟を決めた福留さん、翻訳への入り口との遭遇は次回にまた。

続く

韓国文化院

映画祭などイベント開催、図書映像資料室も充実

ある国や言語の関連情報を入手するには、大使館の文化センターがオススメ。 駐日韓国大使館の韓国文化院は、1979年に池袋サンシャインビル内にオープンしてから、麻布時代を経て、2009年からは四谷三丁目の新しいビル(韓国文化庁舎)に移転し、映画祭「コリアン・シネマ・ウィーク」や美術展覧会などの文化イベントを開催している。定期的に韓国映画企画上映会もある。韓国語を学びたい人には、韓国国立国語院と提携した「世宗学堂」が語学講座を開いている。韓国の伝統武芸テコンドーの体験教室もあり。韓国文化院 建物の3階は、図書映像資料室。約15000冊の韓国図書を所蔵しており、自由に閲覧できる。また、利用者登録の手続きをすれば、一人2冊、2週間の貸し出しも可能だ。ネットで見ることができる「新着・お勧め資料」紹介も参考になる。

韓国文化院
韓国語訳の『ハムレット』と『傲慢と偏見』

4階には、ソウルに現存する朝鮮時代の宮廷の一つ、昌徳宮(チャントクン)内にある上流層の伝統家屋を再現したサランバンがある。韓国文化院ハヌル庭園は、不老門や花壁(ファダム)、オンドルの煙突などを配した韓国風の庭園。資料探しに疲れたら、自動販売機で韓国オリジナルのドリンクを飲み、ハヌル庭園で気分転換をしてはいかが?

韓国文化院ウェブサイト

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。