2021.02.19

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.4 吉岡芳子さん〈イタリア語〉番外編

東京の下町で育った子ども時代に「外国に行きたい!」と思い、15歳のある日、ラジオから聞こえてきたカンツォーネの歌声に魅せられた吉岡芳子さん。試行錯誤の末にイタリア留学を実現し、大好きな映画の字幕翻訳の仕事をするまでの道のり、まさに奇跡のような軌跡でした。番外編では、出会ってきた人たちの思い出、字幕翻訳の難しさとともに、連載2回目に登場した、「道」シナリオ採録本の行方をお尋ねします。「いつかフェリーニ監督に会えたらサインしてもらおう!」と心に決めていた、あの古本です。

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.4 吉岡芳子さん〈イタリア語〉番外編

構成・文・撮影 大橋由香子

吉岡芳子さんプロフィール

よしおか よしこ  1951年東京都生まれ。早稲田大学日本文学科卒業。外資系企業への勤務、イタリア留学を経て、イタリア語字幕翻訳者へ。主な字幕翻訳作品に、タヴィアーニ兄弟の『父 パードレ・パドローネ』『カオス シチリア物語』、ベルトルッチの『1900年』『暗殺の森』、フェリーニの『甘い生活』『81/2』『女の都』、トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』、ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』、オルミの『ポー川のひかり』など。訳書『マリア・カラス 情熱の伝説』(クリスティーナ・H・キアレッリ著、新潮社)、『ライフ・イズ・ビューティフル』(ベニーニ、チェラーミ著、角川書店)他。著書『決定版! Viva イタリア映画120選』(清流出版)。

episodio1 とにかく“外国へ行きたい!”が子どもの頃の望みだった

episodio2 映画を読み取る技と、映画を愛する心を教わった

episodio3 “字幕があることを忘れさせる” のが字幕翻訳の極み

番外編 フェリーニ監督との邂逅、「第7芸術」と共に生きる幸せ

──吉岡さんが最初に字幕翻訳のお仕事をなさったのはフランス映画社ですが、その他の配給会社との思い出があれば教えてください。

吉岡 かつては各配給会社に宣伝部があって、試写会の後に、今見たばかりの映画について、評論家や新聞記者、雑誌の編集者たちが意見交換していました。映画好きのたまり場のような、いい雰囲気でした。

フランス語の字幕翻訳家、寺尾次郎さんもそんな宣伝部経験者。エスプリのきいた皮肉屋で、一見穏やかだけれど、“ただ者ではない” 感がにじみ出ている人でしたね。 「ポルノの翻訳を引き受けたんだ。セリフなんてないだろうから楽だと思ってね。ところが、フランス人って、アノ時にもすごく喋る。しかもスラングばっかり」とぼやいていたのをふと思い出しました。

寺尾さんの字幕は最高です。特にパトリス・ルコント監督、アンナ・ガリエナ、ジャン・ロシュフォール主演『髪結いの亭主』の字幕は、思わず「うまい!」って唸りましたね。彼がベイシストだったことは、亡くなられてから知りました。

──字幕の「うまさ」とはどういうことでしょうか。

吉岡 それは本当に難しい問いです。

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.4 吉岡芳子さん〈イタリア語〉番外編

字幕翻訳を始めて気がつけば40年くらいになりますが、ジェスチャーなども含めイタリア語やイタリア文化の細かいところ、深いところをどこまで日本語に置き換えられるか。結局は、日本語の問題なのだと思います。日本語の微妙なニュアンスや細かい表現をどう用いるか。

字幕は字数制限があるので、とくに和歌や俳句はよいお手本になります。たぶん「リズム」。リズムがよいと、「読む=分かる」ってことになるのではないかな。だから、落語や祖父母を含めた年配の人の口調が参考になることもあります。

実は今、「新内」や「謡」にハマっています。お能の舞台は以前から見ていましたが、実際に謡曲本を見て、謡ってみると、“五七調”の気持ちのよいこと! 日本語という言語の美しさにあらためて魅せられています。

──吉岡さんがイタリア映画を紹介した『決定版Vivaイタリア映画 120選』本は、どのような経緯で出版なさったのですか。

吉岡 以前から知り合いだった映画関係の優れた編集者である高崎俊夫さんが、声をかけてくださったのです。彼は、すでに『アメリカ映画選』『フランス映画選』を出していたのですが、「やはりイタリア映画も欠かせない」ということで。

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.4 吉岡芳子さん

120本もの作品を解説するなんて、どう考えても荷が重過ぎると最初は躊躇したのですが、高崎さんの映画に対するひたむきな情熱に背中を押されて、結局チャレンジしてしまいました。

清流出版の高崎さんコラム

書くにあたって決めたのは、日本でビデオになっている作品、“ネタバレ”しない。これだけです。一人でも多くの人にイタリア映画を見てほしい、そのきっかけになればいいということです。

──ドイツのピナ・バウシュがお好きで、大きなポスターがお部屋に貼られています。彼女との出会いは、フェリーニ監督の映画『そして船は行く』がきっかけですか。それとも、もっと前からでしょうか。

吉岡 『そして船は行く』の日本公開は1985年。ピナは盲目の王女を演じていましたが、声は例によって吹き替えだったし、「不思議な雰囲気のある人だな」と思うくらいでした。 “ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団”が初来日したのは1986年。その方面に詳しい友人の勧めで見に行ったら、これが衝撃的! 見た後1週間ほど、泣いていました、嬉しくて。中年にさしかかっていた当時の私(35歳)に「年を取る=真の人間になるということ」と教えてくれたのです。だって、この舞踊団のメンバーは“おじさん・おばさん”ばかりで、若者にはない、ふしぎな魅力にあふれていたのですから。 この舞踊団を率いるピナと、映画の“盲目の王女”を結び付けることができたのは、だいぶ後でした。

──それからは、舞踏団の本拠地ドイツのヴッパタールにまで“追っかけ”て行かれたのですね。では、吉岡さんの宝物のお話を聞かせてくださいますか。

吉岡 1990年8月のある日、『マリ・クレール日本版』の編集長という人から電話が来たんです。「フェリーニと(エルマンノ・)オルミにインタビューのアポがとれたが、ヨーロッパ在住の関係者はみんなバカンス中で頼めない。それで、パリの吉武さんに相談したら、あなたを紹介してくれたのだが、行ってくれますか?」と。「はい、行きます!」と即答しました、もちろん! 受話器を置いてから、胸がドキドキしたのを今でも憶えています。

──“パリの吉武さん”とは、パリ在住の映画プロデューサーで、東京のユーロスペースにも関わっていた吉武美知子さんでしょうか。

吉岡 はい、吉武美知子さんは仕事を通じて知り合ったのですが、夏休みに彼女が日本に帰ってきた時に、数人の仲間と一緒に温泉に行ったり食事をしたりという間柄でした。いわば、遊び友達だった彼女が、長年の私の夢を、ついに叶えてくれたのです。

──オルミ監督は、1978年『木靴の樹』でカンヌ映画祭グランプリを受賞。日本ではフランス映画社が配給して、ヒット作となっています。

吉岡 オルミ監督は、貧しい農民や、社会の底辺の人々など、ひたむきに生きる人々に静かな温かい視線を向けてきた監督です。 1990年8月末に、まずイタリアへ飛びました。北イタリアのオーストリア国境に近い小さな村を訪ねました。オルミ監督の住まいは、アルプスの山々を望む草原の一軒家で、ローマやカンヌ、ヴェネツィアの華やかさとはまったく無縁の場所。 お庭で写真を撮っていたら、お隣の牧場の牛が、のそっとやってきました。監督ご自身は、柔和だけれど筋のとおった、いかにも頼もしい方で、拙い私の質問にも、それは丁寧に答えてくださいました。

『緑はよみがえる』公式サイト

──フェリーニ監督にインタビューなさったのはローマですか。

吉岡 インタビューの場所は、中心街のあるホテルの屋上。早めに行って待っていたら、スーツ姿のフェリーニさんが、登場。『わ、本物だ!』これが第一印象(笑)。緊張と嬉しさの狭間で、何をどう喋ったのか……。でも、たしかにフェリーニさんも(オルミさんと同じように)色々なことを丁寧に話してくださいました。 そうそう、字幕の話になって、フェリーニさんが「英語字幕台本にも必ず目を通す」と言われたので「日本には送られてきませんが」と応えると、急に語気を荒らげて「そんなバカな! すぐに配給会社に送らせる」と、秘書の人に指示なさった。たしか、『ボイス・オブ・ムーン』の日本公開が決まったころでした。でも、その字幕台本は、ついに来ませんでしたけどね。

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.4 吉岡芳子さん〈イタリア語〉番外編
「マリ・クレール日本版」1990年12月号 写真提供:吉岡芳子(右はフェリーニ監督)

──そしてついに、サインしてもらうんですね!

吉岡 ええ、インタビューアーにあるまじき“私利私欲”に走ってしまいました(笑) 25年前に買った『道』の採録本の「道ばたの小さな石ころにだって意味があるんだよ」という有名なセリフのところにサインをしてもらうと決めていたので。 (と、そのページを見ると) あれ? ここに、とお願いしたのに‥…。 広い余白が必要だったのね。

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.4 吉岡芳子さん〈イタリア語〉番外編
フェリーニ監督のサインは、別のページにイラスト付きであった。
そして、さらに別のページには、カタカナのサインも。フェリーニ自身が「自分の名前を日本語で書いてみたい」と言ったのだそうだ。

このインタビューの勧進元である『マリ・クレール日本版』宛てに、色紙に一筆お願いしたら、フェリーニさんもマシーナさんも快く書いてくださったのに、編集長の安原顯さんが「うちで持っていても仕方ないから」と言われるので、頂戴しちゃいました。なので、例の『道』とともに“家宝”となり、今に至っております(笑)。

──吉岡さんの念願がかなった3年後の93年6月に川喜多和子さん、かしこさんが、そして11月にフェリーニ監督が逝去。オルミ監督は、2006年の『ポー川のひかり』を吉岡さんが字幕翻訳なさり、2014年「緑はよみがえる」を製作した後、2018年に逝去、寺尾次郎さんも2018年、吉武美知子さん、柴田駿さんも2019年に亡くなられてしまいました。

吉岡 みなさん、あちらに逝かれてしまいました。私の人生に大きな意味を与えてくださった方々なのに、恩返しすらできなかったのが、何とも切ないです。

「しかし、船は行く。進んで行かなくてはならない」んですね。

21世紀になって、映画だけでなく、世の中全体のデジタル化が進み、字幕翻訳をする上でも格段に便利になりました。何回も映像を見直すことができるし、調べ物も簡単にできるようになりました。

でも、デジタルの映像は、フィルムの映画とはちょっと違う気がします。CDとレコードの違いみたい……というのはちょっと乱暴かな?

映画という総合芸術、第7芸術は、20世紀のものだと、しみじみ思います。19世紀末に芽生えた映画は、20世紀にみごとに花開き、たくさんの果実を残しました。その豊かな世界の端っこにいることができたし、とびきりすばらしい人々に出会うことができました。本当に果報者だと、つくづく思います。

(取材・構成 大橋由香子)
取材を終えて ひとりごと

このコラム、vol.1吉川美奈子さんの回ではドイツと東欧、vol.2 比嘉世津子さんの回ではメキシコ、vol.3 福留友子さんの回では韓国を旅した私(大橋)の思い出話を書かせていただいた。

今回、イタリアを訪れ……とキーボードを打とうとしたが、悲しいことに、私はイタリアに行ったことがない。2020年はロシアそしてイタリアと計画を立てていたものの、コロナで断念。

そこで思い出すのは、ソ連時代にモスクワに行った時のこと。空港からホテルへのタクシーは相乗りで、同乗者の一人はマルチェロ・マストロヤンニ似のイタリア人だった。ソ連にいる愛人に会いに来たんだ、と情熱的に話していた彼。先に降りる際に「運転手は絶対にボルだろうけど、負けないで! ××ルーブル以上払ったらダメだよ」と(英語で)言うと、ウィンクしながら去っていった。そして私の脳内では、『ひまわり』の映画音楽が流れ始めた。

映画マニアとはとても言えない自分も、思い起こせばまあまあ映画館に通っていた。親に連れられて観に行った『メリー・ポピンズ』や『チキ・チキ・バン・バン』は小学生の頃だから吹き替えだったのだろうか。

『決定版Vivaイタリア映画 120選』
(清流出版)より

中学生になった時、学校の校外学習か何かで『ジーザス・クライスト・スーパースター』を映画館に観に行った記憶がある。 吉岡さんにインタビューしている間、彼女も学校で映画を観に行ったという話が出て、ひょっとして? と学校名をお聞きすると、なんと私の先輩!だった。 吉岡さんは中学1年の時、日比谷のロードショー上映館(有楽座)で、朝8時から貸切で『アラビアのロレンス』を観たのが映画人生の端緒かも、とおっしゃる。その後も毎年1回映画鑑賞はあったようだが、中学2年以降、何を観たか記憶にないそうだ。私も同様で、『ベン・ハー』とか『十戒』などを観たような気がするが、70年代に映画館で上映していたのか、疑問が生じる。あ、『エクソシスト』も観た!あれは友だちと個人的に行ったのかな。

私にとって洋画鑑賞で印象的なのは、いつだか覚えてないが、スクリーンで見た謎の文字だ。 「え? なに?」と困惑し、何回か出てくると、前後の文脈から判読できるようになったのが嬉しかった。ラーメン一杯まるまる一人で食べられた時の、大人に近づいたような満足感に近い。 例えば、攻撃の「撃」→「击」や、労働の「働」→「仂」、闘争の「闘」→「斗」などか? 画数が多い漢字は、観客も読みづらいし、書き文字を作る工程(連載2回目参照)からも略字になっていた、その略字。 一度覚えてしまえば、なんと言うことはないが、子どもにとって、最初は戸惑うのではないだろうか。それとも、当時の人々にとって、あの略字は常識だったのか。

吉岡さんは、「映画の流れを邪魔したり、観客の目が『あれ?』と字幕で止まったりしてはダメなんです。“字幕があることを忘れさせる”、これこそが、字幕翻訳の極みではないでしょうか」と語ってくれたが、初見の略字に目が止まるのは仕方ない。

さて、この略字には、映画以外でも遭遇した。

吉岡さんの学生時代からだいぶ年月は経ていたものの、かろうじてキャンパスに残っていたタテカン(立て看板)やアジビラ。 アジビラは、蝋原紙に鉄筆で手書きし、謄写版でわら半紙に印刷したもの(ガリ版)が多かった。

『ガリ版文化史』(田村紀雄、志村章子編著、新宿書房、1985)の表紙カバーは、
鉄筆用の蝋原紙がデザインされている。

政治的なビラだけではなく、生活綴り方や詩集など文学関係でも、謄写版の世界では略字が使われていたのかもしれない。 とすると、映画字幕の略字と、謄写版印刷の筆耕におけるそれは、同じなの? 中国文化大革命で見る壁新聞の簡体字と似てる? 私にとって、字幕とアジビラの略文字がシンクロしているのは、暗くて辛い現実や、それでも生きていく人間の切なさや面白み、僅かだけどあるかもしれない希望などが重なっているのだろうか。

『愛の嵐』や『未来は女のものである』『木靴の樹』『ニュー・シネマ・パラダイス』を観た時のことは、うっすら覚えているが、『自転車泥棒』や『鉄道員』を最初に観たのはいつ、どこで? 記憶がどんどん薄らいでいく。

イタリア旅行ができる日がくるまで、吉岡さんの『決定版イタリア映画120選』を手引きにしながら、未見の映画を愉しみ、自分の20世紀を振り返ってみよう。

*吉岡さんがインタビューした時期にフェリーニ監督が完成させた映画『ボイス・オブ・ムーン』が、2021年2月27日東京の池袋・新文芸座でオールナイトで上映されます。
新文芸座ウェブサイト

(大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。『エトセトラ』(エトセトラブックス)で「Who is She?」連載中。