2022.02.17

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.5 樋口裕子さん〈中国語〉番外編

コロナ3年目の2022年、冬季オリンピック・パラリンピックが中国で開催されています。世界各地で緊張が高まり、ヘイト(憎悪)や偏見が散乱している状況。そんな時こそ、映画を通してそれぞれの国の文化や人間模様に触れることが大事なのではないでしょうか。……などと思いながら、樋口裕子さんの最終回・番外編をお届けします。

樋口裕子さんプロフィール

字幕マジックの女たち vol.5 中国語 樋口裕子さん

ひぐち ゆうこ  早稲田大学非常勤講師。主な字幕翻訳に『鵞鳥湖の夜』『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯へ』『SHADOW 影武者』『芳華-Youth-』『スプリング・フィーバー』『ブラインド・マッサージ』『無言歌』『王妃の紋章』『PROMIS 無極』『狙った恋の落とし方。』『ナイルの娘』『光にふれる』ほか多数。著書『懐旧的(レトロ)中国を歩く』、訳書に『藍色夏恋』『ザ・ホスピタル』『上海音楽学院のある女学生の純愛物語』『やさしい中国語で読む自伝エッセイ「雪花」』(張武静著、樋口裕子訳・解説)ほか。

〈構成・文 大橋由香子〉

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.5 樋口裕子さん〈中国語〉小故事1

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.5 樋口裕子さん〈中国語〉小故事2

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.5 樋口裕子さん〈中国語〉小故事3

番外編 見知らぬ国のようになっても「中国大好き」は変わらない

──映画業界は、2020年に続いて2021年もコロナによる困難が続きました。2021年秋の映画祭シーズンはいかがでしたか?

樋口 9月9日から開催予定だった豊岡演劇祭も、8月中旬に兵庫県に緊急事態宣言が発出されたため直前で中止となりました。この演劇祭には台湾の巨匠ツァイ・ミンリャン監督が製作したVR作品が出品され、監督とフェスティバル・ディレクターの平田オリザさんが台北/豊岡をつないでトークショーをするはずでした。

このVR映画『蘭若寺(らんにゃじ)の住人』は、廃墟に住むこの世の人とあの世の人が行き交う、ものすごく耽美的でVRの世界に引きずり込まれそうになる衝撃の作品です。ツァイ監督とはもうかれこれ20年ほど通訳としてご一緒していますが、たいてい過激なことをおっしゃるので、舞台挨拶や取材では毎回ハラハラドキドキです。不思議なことにその刺激が通訳の楽しみになってますが(笑)。『蘭若寺の住人』がシアターコモンズ’21で初上映されたとき、監督から主催者にリクエストがあって、私が邦題も考え、通訳も担当していただけに、豊岡演劇祭の中止は残念でした。

──山形国際ドキュメンタリー映画祭も初めてオンラインになったそうですね。

樋口 そうなんです。10月8日の初日から連続3本、リモートで、監督とのQ&Aと取材の通訳をしました。 私が字幕を担当した『蟻の蠢(うごめ)き』は、監督2人が登場しました。想像していたとおり、危ないアーティストたちで、この映画を北京でごくプライベートに1回だけ上映したら、二人とも3度ほど警察の「訪問」を受けたそうです。国内では上映禁止なので、映画祭で上映してもらってとても嬉しいと言っていました。

また、監督が人権擁護の人たちを支援する弁護士のことを話したとき、ちょうど字幕翻訳で悩みに悩んで自信のないまま「これでいくしかない!」と決断した語句が出てきて、ヒヤリとしましたが、セーフ! 判断は間違っていませんでした。オンライン通訳で一度聞いただけでは、意味不明で訳せなかったような複雑で重要な内容でした。字幕を担当していて良かったです。

──通訳は本当にスリリングですね。『蟻の蠢き』は中国では上映禁止なんですか?

樋口 そうです。振り返ってみると、私けっこう「上映禁止」の作品の翻訳をしているんですよね。ロウ・イエもワン・ビンもそうです。一度ロウ・イエ監督に「そのうち電影局から呼び出しをくらうかもよ」と冗談で言われました。字幕翻訳は仕事としてやるものだから、「大丈夫! 大歓迎」なんて軽く答えました。

でも、2021年山形のコンペ作品で上映されグランプリを受賞した『理大圍城』を観て、そうはいかないのだと思いました。2019年の逃亡犯条例*改定反対で香港理工大学に立て籠もった学生と警察の攻防を、内部から、おそらく複数のドキュメンタリストが記録した作品です。香港の学生たちの戦闘的な熱と、それを押さえ込む、想像よりも遥かに容赦ない警察の暴力を生々しくとらえています。

エンドクレジットの監督名は「香港ドキュメンタリー映画工作者」、翻訳者名は「香港ドキュメンタリー映画翻訳者」となっていたのです。今を伝え、自由を主張する映画では、字幕翻訳者も危ないわけですね。

* 中国で何か犯罪の疑いをかけられた容疑者が香港にいた場合、その人を中国に引き渡すことを可能にするという条例案。

山形映画祭では、特別招待の『武漢、わたしはここにいる』のQ&Aと取材通訳もしました。武漢の封城(都市封鎖)の時の庶民を撮った作品です。監督はあまりにも悲劇を見すぎて、今もPTSDに悩まされているそうで、オンラインで参加していた観客から感動と慰労のコメントが上がってきたとき、涙を拭っておられました。こういう瞬間に立ち会えるのが通訳の仕事の醍醐味ですね。私の訳した観客の言葉が監督の胸をうち、心の交流に自分が関われることが嬉しいし、大事な仕事だなって思えます。

私が昔、武漢に行ったことがあると言うと、監督はものすごく喜んで、「武漢人は熱い人たちなんだ」と言ってました。あらためて、35年ほど前の武漢の駅(たぶん漢口駅)の親切なおばちゃんたちを思い出しました。

──連載の第2話(小故事2)に出て来た留学中に旅行なさったエピソードですね。

「1987年の2月2日に貴州省の貴陽を出発し、その日の夜に、漢口駅に到着。 翌2月3日に『漢口駅切符販売案内所』に行って北京行きの切符を確保。ここで、飴だの西瓜の種だの出してもらい、ご飯も食べていけと親切にされる。 2月4日、武漢を発つ日に、再びこの案内所に行き、3人の女性と写真を撮る。旅立つ私に揚げおかきを持たせてくれ、ホームまで送ってくれた。」

駅員さんたちの休憩所にて。おしゃべりしたり色々食べさせてもらったりした。
写真提供:樋口裕子

樋口 この秋には、ロウ・イエ監督の新作『サタデー・フィクション』(日本版配給:アップリンク)が北京国際映画祭のクロージングとして上映され、脚本翻訳からキャスティングの通訳、字幕翻訳まで参加させていただきました。この作品は、2021年10月から中国国内で公開され、日本では、2022年秋以降に公開予定です。横光利一の『上海』*が原作の一つです。中国での公開時、監督とプロデューサーが私にわざわざ感謝を伝えてくれて、大変光栄でした。

* 1925年5月30日に起きた上海の日系紡績工場ストライキに端を発した事件を題材にした横光利一の長編小説。日本人社員の参木と女工の秋蘭を軸に、上海の混沌を描いた新感覚派の集大成。

映画『サタデー・フィクション』
映画『サタデー・フィクション』(写真提供:アップリンク)

ロウ・イエ監督は、個人的に最も尊敬する監督。これまで、『スプリング・フィーバー』『二重生活』『ブラインド・マッサージ』の字幕を担当しましたが、「映画は自由でなければならない」と言って、検閲と闘う監督なんです。でも、わざわざ自分から闘いを挑んでいるわけではなく、監督が真摯に描こうとするものがいちいち当局の逆鱗に触れるということじゃないでしょうか。

実は『サタデー・フィクション』の前に『シャドウプレイ』という作品があり、完成してから約2年間も検閲が通らないまま据え置かれてしまいました。頻繁に呼び出されて修正を要求されるわけですが、それに妥協するか拒むかは監督次第。中国の監督たちは誰しもこの選択に迫られます。

──『シャドウプレイ』は、どんな作品なんですか?

樋口 1980年代から2010年代まで、主人公たちの青春時代から経済バブル、そして破滅へという激動の30年をミステリータッチで描いたスタイリッシュな映画です。2019年の東京フィルメックスのオープニングで上映されましたが、それは当局によってズタズタに切られた末のバージョンでした。そこで、せめて日本公開時にはディレクターズカット版をということで、字幕もやり直して準備してあります。劇場公開を待つばかりですね。反骨の映画監督ロウ・イエの真実の作品を早く観ていただきたいです。

映画『シャドウプレイ』
映画『シャドウプレイ』(写真提供:アップリンク)

──右下の写真は暗いですが、どこで撮影されたんですか?

樋口 ロウ・イエ監督と歌舞伎町で撮影2015年1月『二重生活』の宣伝でロウ・イエ監督が来日されたとき、歌舞伎町のど真ん中の「無料案内所」に案内して、そこのおにいさんが『この店はどうですか~』と監督に言うのを私が通訳して、ちょうど出てきたところです。まるで「道行き」ふうな構図で撮影され、監督も私もあまり顔が見えていないけれど、愉しそうな雰囲気が伝わってきてみんなが「いい写真!」と言う1枚です。

好きな監督の作品に関われることは、幸せです。

──10月30日から11月8日の東京フィルメックスはいかがでしたか。

樋口 今までにないタイプの映画作家を知ったことで、ちょっとウキウキしました。

私が字幕も担当した『永安鎮の物語集』の監督は30歳そこそこ。いつもはビッグサイズのTシャツを着て、首にはチェーンというスタイル、ラップが趣味で、自分で歌詞を書いて歌っているそうです。

『時代革命』は大衝撃でした。2019年、香港の逃亡犯条例改定に反対する抵抗運動を描いた渾身のドキュメンタリー。学生たちの、とてつもない不条理に向き合う純粋な魂の叫びは胸に突き刺さりました。観ているほうが、勇気を与えられる映画でした。映画祭の秋の最後に、この作品を観ることができてよかったです。

通訳をするのもアクリル板越しで、これもコロナならではの風景でしたね。

2021年第22回東京フィルメックス
2021年第22回東京フィルメックスにて。アクリル板を立てて、監督とのリモートQ&Aの準備中。
司会は、東京フィルメックスの神谷ディレクター。撮影:明日川志保 提供:東京フィルメックス

東京フィルメックスと言えば、第11回(2010年)に、ワン・ビン監督の『無言歌』(映画祭で上映時のタイトルは『溝』)の字幕翻訳をしました。1956年の「反右派闘争」で政治犯として甘粛省のゴビ砂漠に流され強制労働させられる人たちの壮絶な話ですが、エンディングのすすり泣くような重い歌は中国西北部の民謡のような雰囲気でした。方言なので意味がわからないけれど、重要な気がしました。「歌詞をもらってください」とお願いしたのですが、フランスにある権利元の映画会社は、そんなこと、どうでもいいじゃないかと、取り寄せてもらえなかったんです。

その後、2011年に日本の映画館で上映することになって、やっと入手できました。映画のテーマと重なる重要な歌詞でした。「蘓武(そぶ)牧羊」――それは、秦腔(チンチャン)という陝西省や甘粛省一帯に伝わっている伝統劇中の一節。最果ての地に捕らわれ、故国に帰ることは叶わない、もう楽しい昔を思い出すしかない、という内容でした。

私は学生時代、ゼミで司馬遷の『史記』を読んでいて、李陵(りりょう)という漢代の将軍に興味を持ったことがあるんです。北方の異民族匈奴の大軍に少数で戦いを挑んで負け、匈奴の捕虜となった将軍です。中島敦の『李陵』には、この李陵と同じく匈奴に捕らわれて19年間バイカル湖のほとりで羊飼いをした蘓武、そして友人の李陵を弁護したがために宮刑(男性器切除)に処せられた司馬遷、という3人が出てきますね。

2千年以上も前の漢代の出来事がこの映画のエンディングによって一挙に現代に近づき、まさに歴史は繰り返されることを実感しました。

──エンディングにその歌を使った映画監督も壮大ですし、学生時代の関心が何年か経過して字幕で再会するという樋口さんの経験も素敵ですね。私もこの映画を見た時、砂ぼこりと、土を掘った中に横たわる人々、その暗さが印象的でした。

樋口 ワン・ビン監督に聞いたのですが、囚人たちが収容されたのはゴビ砂漠に掘った壕(あなぐら)でした。それをリアルに再現するために、1年前から穴を掘り、風雪にさらしておいたのだそうです。そこまで準備しての撮影だったので、撮り終えた素材を当局に没収されるのを恐れ、その日の撮影分を毎晩遠くまでこっそり運び隠したのだそうです。

反右派闘争で捕まって、砂漠を歩かされて、働かされて、穴倉に放り込まれて……他にも、100万人が餓死したり、文革が起きたりと、不条理なことが次々に起きて、強くなければ生き抜くことができない。そういう苦難を超えた中国の人たちへの敬意を感じます。

映画『無言歌』は配給会社ムヴィオラの配信サービス「シアター・ムヴィオラ」で観られます。

ワン・ビン監督と樋口裕子さん
2015年6月、北京にて、樋口裕子さんがワン・ビン監督をインタビュー取材した時の写真。この時のインタビューは「歴史の空白を描くことから、いま激変する歴史の空白を描く」というタイトルで『ドキュメンタリー作家 王兵 現代中国の叛史』(土屋昌明、鈴木一志編集、ポット出版プラス)に所収されている。
「ワン・ビン監督とは家族ぐるみの付き合いで、この時も、息子の初中国旅行に夫と3人で行きました。撮影者は夫か息子です」(樋口さん談、写真提供:樋口裕子)

──日本の植民地支配に関しては、どのように言われましたか? 戦争中の日本軍の行為についての歴史教育が「反日教育」で、そのために中国人は反日感情が強いということが、テレビのワイドショーなどでもよく言われますが、どうでしたか。

樋口 中国に留学していた頃、戦争責任については、しょっちゅう言われましたよ。9月18日になると、何の日か知っているか?と聞かれたり。自分の住んでいたところを追われる人たちの歌があって、そういう「抗日の歌」を中国人の同級生たちがみんな歌いますし。 香港に一人旅をした時は、満員でフェリーにもう乗れないでいたら、「いっしょにおいで、うちのツアーに混ぜてあげるから」と親切に手招きして、乗せてくれたツアー・ガイドのおじさんがいました。その人も「あんたたち日本人はね、昔、香港を焼いたんだよ、でも僕はいま君を助けてあげている」と言うんです。そんなイヤな感じではないですが、私としては、「はい、ありがとうございます。すみません」しか言えないんです。 色々なところに行くたびに、いろんな人に、何回も言われましたよ。

──ちなみに、1931年9月18日が柳条湖事件、満州事変で日本が中国侵略を開始した日、1937年7月7日は盧溝橋事件、日本が中国へ全面的に戦争を始めた日ですね。香港のおじさんは、日本人がしたことは忘れていないけど、助けてあげる。忘れないけど赦す、みたいな感じでしょうか。

樋口 そうですね。戦争中ひどいことをされた、だからと言って日本人に仕返しをするのではない。そこが中国人の懐の大きなところ。だから面白い。でも、そういうおじさん、おばさん世代は、もういなくなっちゃったわけです。

私が留学した1985年は、やっと自由の風が吹きはじめた頃で、知識人たちは「花の80年代」だったと懐かしく振り返る時代でした。私はちょうど良き時代に北京にいたのでしょう。中国人だけでなく、私たち80年代の留学生たちも、今の中国が見知らぬ国のように思えます。自分が出会った人々の温かさは、確かなものです。

そう言えば留学時代、私、北京で盲腸の手術をしたんです。部分麻酔で、なぜかネパール人の外科医と話をしながらの手術でした。入院中には、お掃除のおばちゃんと仲良くなりました。おばちゃんは毎晩、「『赤い疑惑』が始まるよ~」と呼びにきます。私はベッドを抜け出して、清掃職員の休憩所で、おばちゃんの旦那さんが作ってくれたお弁当の餃子を分けてもらいながら、(吹き替えで)中国語をしゃべっている山口百恵のドラマを、一緒に見てました。

こんなふうに、中国のおばちゃんやおっちゃんに親切にしてもらった思い出がたくさんあるから、政治はどうあれ、「中国大好き」は変わらないんですね。

それに、危機的状況になると、人間の本質がわかりますよね。実際に会った人たちから、そして映画から、それを見たり聞いたりしてきました。

張武静、樋口裕子著、NHK出版
『やさしい中国語で学ぶ自伝エッセイ 雪花』
主人公は、幼稚園児の静(ジン)ちゃん。彼女がどのように文革を見てきたかを描いたノンフィクション。「中国人ってドラマチックで、苦難によく耐える人たちだと教えてくれる作品です」と樋口さんがいう通り、主人公の母親は、破れてすきま風が入ってくる障子に、父からのラブレターを貼る。 本書あとがきに、樋口さんはこう記している「数年前、ある日の午後の喫茶店。まだ知り合って間もない張武静さんが語る幼いころの話に、わたしは耳を傾けていました。若くして突然亡くなったお父さん、監禁されたおじいちゃん、お母さんと2人で住まいを転々とした不安な日々……、(中略)中国がこんなにも猛スピードで変化してゆく中で、文革の日々をわざわざ振り返ろうとする人は、どれほどいることか、……あのころの北京にこんな人たちがいたことを読者に届けたい、そんな想いからこのエッセイは生まれました」

──樋口さんは、連載の1回目(小故事1)で、中国映画を見たとき、「私の昔と同じだわ、と思った」とおっしゃっていました。ご両親と中国を旅行されたときに、お父さんも同じような感想をもたれたそうですね。

樋口 1990年代になってから両親を連れて旅行しました。中国の西安にある皇帝の陵墓で、高いところから見渡せる村の景色、自分がむかし乗っていたミゼットが走っているのを、父は懐かしそうに見ていました。「中国はこれから発展していくんだなあ」と言ってましたね。 ちょうど日本の、2、30年前の景色だったんですね、あの頃は。

──その後の中国の経済発展は、ものすごい勢いです。

樋口 中国人って奢(おご)って見えるでしょ。毎回記者会見に現れる外交部(外務省)のスポークスマンの眉間にシワをよせた偉そうな態度を見ると、さすがの私もムッとしますよ。でも、私みたいに1980年代までの中国を知っていると、強くなければ生き抜くことができない人たちがこうなるのは、仕方ないとも思うんです。

日本は、清朝の末期から、中国を助けなきゃいけない対象として、自分より低く見てきました。それが、急に豊かになり、力をつけてきた。一緒に喜べばいいのですが、「あんなに手を差し伸べてあげたのに、図に乗って……」みたいに感じてしまうのもわかります。昔を知らずに2000年ごろから中国とお付き合いするようになった人は、中国人はもともと傲慢なんだと思ってしまう。

今の中国には、どこにも社会主義の雰囲気はないでしょ。資本主義の極みを進んでいます。森川和代先生が生きていらしたら、今の中国をどう思うかな、と考えるときがあります。

侯孝賢監督
『ナイルの娘 4Kデジタル修復版』
Blu-ray

字幕翻訳の仕事という意味では、去年秋、急に劇場公開版字幕の修正確認の連絡がきました。侯孝賢監督『ナイルの娘 4Kデジタル修復版』で、もう一度本編を見て、制作会社が気付いた箇所について確認し、自分でも変更したいところを見つけて1日で返答しました。

そのときはベストだと思って字幕を書いても、何年か時間が経過してまた観ると、直したくなる場所を発見するものです。

──今年1月にあった珍しいイベントについて、教えてください。

樋口 中国で最も権威のある文芸誌『人民文学』(中国作家協会主管)を、日本の読者が読む「人民文学を読む会」というのがありまして、私も(とぎれとぎれではありますが)メンバーとして30年ほど参加しています。毎月この雑誌から1~2作(おもに短篇)選んで担当が発表し、自由に小説を語り合う会が45年も続いています。批評や研究はしないので、好き勝手に意見を述べるというのが長く続いている理由でしょうね。 この会の45周年を中国作家協会が祝ってくださるということで、私たちが最近読んだ作品の作者4人と編集部の方たちを招待し、オンラインで座談会をするイベントをしたんです。

* その様子を伝えた「中国作家網」の記事

たまたま私が3年前に撰んで発表し翻訳もした作品「女友達」が「人民文学」の海外版『灯火』に掲載されて、その作家の黄咏梅(ホアン・ヨンメイ)さんもイベントに出てくれました。都市で生きるアラサー、アラフォー世代の普通の暮らしを描く若手女性作家です。彼女も私も猫が好き、「猫友」で盛り上がりました。黄(ホアン)さんは私よりずっと年下ですが肌感覚が近い感触があり、SNSで飼い猫の写真を送りあったりしてます。 映画字幕も通訳も続けていきますが、普通の庶民を描いた小説を翻訳すれば、報道では見えない中国人の姿が日本人に伝わるんじゃないでしょうか。人権問題などで声明文を出して非難することも重要ですが、いい意味でのダブルスタンダードも大切で、交流は絶やすべきでないと思ってます。

──ということは、次は小説の翻訳でしょうか。中国語を軸にマルチな翻訳・通訳・執筆をなさっている樋口さんの今後のお仕事が楽しみです。日本映画の中国語字幕の監修もなさっているんですよね。

樋口 中国語字幕を作るほどの中国語力はありませんが、中国人翻訳者が訳したものを原文である日本語に照らし合わせて吟味することはできます。今まで、黒澤明の『羅生門』をはじめ、鈴木清順や河瀬直美の作品を監修しました。日本語の微妙なニュアンスや時代的な表現を、中国語で正しく伝えているか、点検する仕事です。いずれも重要な日本映画なので、責任重大です。

この連載は「字幕マジックの女たち」ですが、私は字幕だけに没入できず、そのとき自分の心に響くものを追っているんです。その結果、ハラハラ、ドキドキ、ヒヤヒヤの場面もしょっちゅう。でもそこに、“生きてる”実感みたいなものがあるんですよね。

──字幕にとどまらない異文化異言語交換マジシャンである樋口さんのお話、おおらかな気持ちになれました。ありがとうございました。

(取材・構成 大橋由香子)
取材を終えて ひとりごと

初めての家族での海外旅行が香港だった。「これが百万ドルの夜景なんだぁ!」と感心したのと、洗濯物の干し方に驚いた。母が詠んだ俳句の光景は記憶にあるが、俳句の最後の花の名前が思い出せない。

国境に銭乞う子らや*****

国境の向こうの中国本土に行ったのは、それから約20年後の1995年だった。訪れたのは深センではなく、国際女性会議を開催していた北京だった(ちなみに、樋口さんは、この国際会議の通訳で北京にいらしていたそうだ)。自転車がまだ多く走っていて、人民服をきている人もいたが、どんどん近代化するぞー、豊かになるぞーという気迫に満ちていた。胡同を友人たちと歩いていると、たくさんの練炭をきれいに積んだ自転車が走っていて、懐かしい気分になる(練炭なんて自分では使ったことはないけれど)。

噂に聞いた扉のないトイレを体験してドキドキ。北京郊外へのバスに揺られ、ホテルの近くの古めかしいお店の料理を堪能し、漢方薬の同仁堂で、なぜか怪しい毛生え薬をお土産に買ってしまった。当時、101という養毛剤と、痩せるという海藻入り石鹸が大人気だったのだ。

2008年3月の北京にて

次に北京を訪れたのは、2008年オリンピックの前。通称「鳥の巣」と呼ばれた北京国家体育場ができあがりつつある時だった。空港からの市内への道路はピカピカの新車だらけ。古い街並みがどんどん壊され、地方から出てきた労働者の飯場らしきプレハブ小屋も目立つ建設ラッシュ。ところどころ残る古い家屋、アルファベットの看板の店の前にある露店、街中での青空理髪など見ると、頰がゆるんでくる。いいな。公園では、鳥かご持参で愛鳥の鳴き声を披露するおじいさんや、社交ダンスに興じる人もいれば、ペットボトル付き大型毛筆で書を描くおじさんもいる。

2008年3月の北京にて

ちょうど、光文社古典新訳文庫で魯迅の新訳を藤井省三さんにお願いしていた時期で、もちろん北京魯迅博物館に足を運んだ。生原稿の端正な文字やデスマスクに見入り、暮らしていたという四合院造りの家の中を歩き、魯迅の短編作品を思い浮かべる。

2008年3月の北京にて 2008年3月の北京にて

あれから14年、『狂人日記』執筆から100年余、どうしたら人は人を抑圧せずに生きていけるのだろう、子どもを救えるのだろう。

やっぱり次は、上海の魯迅紀念館に(他の土地にも)行かなくちゃ、と樋口さんのお話を聞いたあと、北京オリンピックを横目でみながら、心に決めた。 (大橋由香子)

(写真はすべて2008年3月の北京にて 撮影:大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。『エトセトラ』(エトセトラブックス)で「Who is She?」連載中。