| 1854年 |  | 10月16日、ダブリンにて誕生。 | 
                
                | 1857年 | 3歳 | 妹アイソラ誕生。 | 
                
                | 1864年 | 10歳 | アイルランド北部のポートラ・ロイヤル・スクールに入学。 | 
                
                | 1867年 | 13歳 | 妹の死。 | 
                
                | 1870年 | 16歳 | カーペンター賞受賞。 | 
                
                | 1871年 | 17歳 | ポートラ金賞受賞。奨学金を得てトリニティ・カレッジに入学、ジョン・マハフィーに師事。 | 
                
                | 1874年 | 20歳 | ギリシャ学バークレー金賞牌受賞。奨学金を得てオックスフォード大学モードレン・カレッジに入学、ウォルター・ペイター、ジョン・ラスキンらに師事。 | 
                
                | 1875年 | 21歳 | マハフィー教授らとイタリアを旅行し、『サン・ミニアート』を作詩。 | 
                
                | 1876年 | 22歳 | 父の死。文学士公式第1試験で首席となる。 | 
                
                | 1877年 | 23歳 | マハフィー教授らとギリシャやイタリアのラヴェンナ等を旅行。 | 
                
                | 1878年 | 24歳 | 詩『ラヴェンナ』によりニューディゲイト賞を受賞。文学士学位本試験を首席で合格し、文学士の学位を取得。 | 
                
                | 1880年 | 26歳 | 『ヴェラ、実は虚無主義者達』を私家版で出版。 | 
                
                | 1881年 | 27歳 | 『詩集』を自費出版。アメリカ講演旅行依頼を受諾し、12月に出航。 | 
                
                | 1882年 | 28歳 | 1年間、アメリカ、カナダを講演旅行。 | 
                
                | 1883年 | 29歳 | 『パデュア公爵夫人』脱稿。ニューヨークのユニオン・スクエア劇場にて『ヴェラ、実は虚無主義者達』初演。 | 
                
                | 1884年 | 30歳 | コンスタンス・メアリー・ロイドと結婚。パリに新婚旅行。 | 
                
                | 1885年 | 31歳 | 『シェイクスピアと舞台衣装』(後に『仮面の真実』に改題)を「ナインティーンス・センチュリー」に発表。長男シリル誕生。 | 
                
                | 1886年 | 32歳 | 次男ヴィヴィアン誕生。 | 
                
                | 1887年 | 33歳 | 『カンタヴィルの幽霊』『アルロイ夫人』(後に『謎のないスフィンクス』に改題)『アーサー・サヴィル卿の犯罪』『模範的億万長者』を諸誌に発表。「ウーマンズ・ワールド」編集長就任。 | 
                
                | 1888年 | 34歳 | 童話集『幸福な王子他4篇』刊行。 | 
                
                | 1889年 | 35歳 | 「ウーマンズ・ワールド」編集長辞任。『ペン・鉛筆・毒薬』『虚言の衰退』『W.H.氏の肖像』を諸誌に発表。 | 
                
                | 1890年 | 36歳 | 『ドリアン・グレイの肖像』を「リピンコッツ・マンスリー・マガジン」に、『批評の真の機能と価値』(後に『芸術家としての批評家』に改題)を「ナインティーンス・センチュリー」に発表。 | 
                
                | 1891年 | 37歳 | 『社会主義下の人間の魂』を「フォートナイトリー・レヴュー」に発表。『ドリアン・グレイの肖像』増補版単行本刊行。 | 
                
                | 1892年 | 38歳 | セント・ジェイムズ劇場にて『ウィンダミア卿夫人の扇』初演。『サロメ』の上演が宮内長官により禁じられる。 | 
                
                | 1893年 | 39歳 | ヘイマーケット劇場にて『つまらない女』初演。『サロメ』(仏語)『ウィンダミア卿夫人の扇』刊行。 | 
                
                | 1894年 | 40歳 | 『スフィンクス』『つまらない女』『サロメ』(英訳:アルフレッド・ダグラス、挿絵:オーブリー・ビアズリー)刊行。 | 
                
                | 1895年 | 41歳 | ヘイマーケット劇場にて『理想の夫』、セント・ジェイムズ劇場にて『まじめが肝心』初演。同性愛の廉で逮捕・投獄される。 | 
                
                | 1896年 | 42歳 | 母の死。パリのテアトル・ド・ルーヴルにて『サロメ』初演。 | 
                
                | 1897年 | 43歳 | 『獄中記』脱稿。出獄後渡仏。 | 
                
                | 1898年 | 44歳 | 『レディング獄舎のバラッド』刊行。妻の死。 | 
                
                | 1899年 | 45歳 | 兄の死。『まじめが肝心』『理想の夫』刊行。 | 
                
                | 1900年 | 46歳 | 11月30日、パリにて死去。 | 
                
                | 1905年 |  | 『獄中記』刊行。 | 
                
                | 1908年 |  | 『オスカー・ワイルド著作集』初版刊行。 | 
                
                | 1995年 |  | ウェストミンスター寺院の詩人コーナーにワイルドの名が刻まれる。 |