奔放な愛に生きた作家コレットの、"女性心理小説"の傑作

青い麦

青い麦

コレット    
河野万里子  訳   

作品

コレットは14歳年上から16歳年下までの相手と、生涯に三度結婚した。ミュージック・ホールの踊り子時代には同性愛も経験した。恋愛の機微を知り尽くした作家コレットが、残酷なまでに切ない恋心を鮮烈に描く。


物語

毎年、幼なじみのフィリップとヴァンカは、夏をブルターニュの海辺で過ごす。だが、16歳と15歳になった今年はどこかもどかしい。互いを異性として意識し始めた二人の関係はぎくしゃくしている。そこへ現れた年上の美しい女性の存在が、二人の間に影を落とす......。


解説

鹿島茂


読書ガイド 「恋多き女」が結婚しなかった相手

生涯三度の結婚(14歳年上から16歳年下までと相手の年齢も幅広い!)に同性愛、さらには義理の息子とも恋仲に......と、まさに「恋多き女」の作家、コレット。ここでは、なかでも「コレットが結婚しなかった相手」とのことをご紹介しましょう。

まずは同性愛のお相手。
最初の夫との離婚後、コレットは自活のためにパントマイム役者や踊り子として舞台に立ちます。ミュージカル「CATS」顔負けの扮装で猫になりきってみたり、あっけらかんとヌードになってみたり、目が釘付けになるような写真が残っています。

この頃、舞台にも出演していた有名な高級娼婦たちと知り合い、男性や人生に対する教訓を得たことが、後に『シェリ』『シェリの最後』などの作品にも生かされています。

そして、このなかに同性愛に発展した相手もいたのです。舞台で思わず本当にキスしてしまった相手、通称"ミッシー"とは、後年、別荘を共同購入するほどの仲。
コレットほど強烈な個性に惹かれるのは、やはり強烈な人のようで、ミッシーはナポレオン三世の遠縁というやんごとなき身でありながら公然と同性愛を貫き、最期はオーブンに頭を突っ込んで自殺するという衝撃的な人でした。

もう一人は義理の息子ベルトラン。
彼は二度目の夫が前妻との間にもうけた息子です。彼が「夏を父と過ごしに」来たときに、コレットと彼は「親しく」なるのですが、それも「自然を味わう感性」を共有していたからだと、後にベルトランは語っています。

この自然への情熱はコレットそのもの。本書『青い麦』にも溢れています。海や空の風景描写が美しく、読んでいると、海からの風や、潮や緑のにおい、砂埃のざらつきまで感じます。スキャンダラスにばかり取られがちな二人の関係も、感性でつながっていたのですね。

  • 参考文献:
  • 『コレット』ハーバート・ロットマン/工藤庸子訳(中央公論社)
  • 『わたしの修業時代』コレット/工藤庸子訳(ちくま文庫)
シドニー=ガブリエル・コレット    Sidonie-Gabrielle Colette
[ 1873 - 1954 ]    フランスの国民的作家。パリ南東のサン=ソヴール=アン=ピュイゼに生まれ、豊かな自然のなかで育つ。最初の夫の勧めで書いた小説『学校のクローディーヌ』(1900)が評判になり、シリーズ化される。離婚後、自活のため役者や踊り子として舞台にも立つ。精力的に執筆活動をする一方、第一次世界大戦中は報道記者として戦地にも赴いた。'20年発表の『シェリ』で作家として不動の地位を築き、『青い麦』('23)はフランス文学の新たな可能性を切り拓いたと高く評価された。'45年には女性として初のアカデミー・ゴンクールの会員に、'53年にはレジオン・ドヌール勲章勲二等を受章。生涯三度の結婚、同性愛など、型破りな生き方でも知られた。
[訳者] 河野万里子    Kono Mariko
上智大学外国語学部フランス語学科卒業。翻訳家。主な訳書に『青い麦』(コレット)、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)、『悲しみよ こんにちは』(サガン)、『キュリー夫人伝』(E・キュリー)、『カモメに飛ぶことを教えた猫』(セプルベダ)、『いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて』(クリストフ)ほか多数。 上智大学非常勤講師。
書評
2020.07.23 週刊新潮 [テーマ 休暇] 夏休みに体験する少年と少女のはじめての性(評:川本三郎さん)
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コレット

河野万里子 訳