連載「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」Vo.7、全4回の最終回にたどりつけないことが本当に残念です。今回は、このウェブ連載のために、齋藤敦子さんが「何点か見つかった」と提供してくださった写真を中心に、膨大なお仕事のなかから筆者が知り得たわずかなピースを通して、齋藤敦子さんを偲ぶことにいたします。
まずは、連載1、2回目のプロフィールで使ったお写真。「 」内のキャプションは、齋藤さんご自身によるもの。
2009年の東京フィルメックスから、樋口裕子さん発案で始まったという字幕翻訳セミナーでは、ゲストに齋藤敦子さんを迎え、樋口さんとの楽しいトークが好評だった。樋口さんは、本連載のVol.5でご登場いただいた中国語の字幕翻訳家で通訳者。
東京フィルメックスのサイトにはセミナーの再録や動画もあり、お二人の愉快な掛け合いも見ることができる。
字幕翻訳家・映画評論家の齋藤敦子さんがご逝去されました。創設期から東京フィルメックスをご支援くださり、字幕翻訳はもちろん、イベントへのご登壇やコンペティションの審査員など、様々な形でお世話になりました。プロの厳しさと映画への深い愛情のこもったお仕事に多くを学ばせていただきました。… pic.twitter.com/KYtsF0kbry
— 東京フィルメックス (@tokyofilmex) May 19, 2026
イラン映画の魅力や字幕のご苦労については、この連載3回目か4回目で紹介の予定だったが(泣)、エピソードのいくつかは、2011年東京フィルメックス字幕翻訳講座 「翻訳家になれる人、なれない人」でも語られている。採録記事には次のように記されている。
「齋藤さんは、1990年にナント三大陸映画祭でイラン映画の回顧展を見て以来、イラン映画を日本に紹介したいと思っていたそうだ。アッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』が1992年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で上映されたことを機に、『友だちのうちはどこ?』(87)とともに買いつけられたと聞き、字幕を付けさせて欲しいと配給会社に直談判したことを明かした」(東京フィルメックス、採録記事より)
ちなみに、写真中央のショーレ・ゴルパリアンさんは、イラン出身で、通訳のほか映画字幕翻訳やプロデュースも手がけている。齋藤さんがイラン映画英語版から日本語へと字幕翻訳する際に監修担当もしている。
アンジェル・キンタナさんと出会ったという「パリのシネマテーク」は、月刊雑誌『イメージフォーラム』の齋藤さん連載タイトルにもなっている。どんな映画館なのか、次のように書かれている。
「シネマテークはシャイヨー宮の地階とボーブールのポンピドー・センター五階にあり、平日は各々三本ずつ、土・日は四本ずつの映画を上映しており、入場料は一本10フラン(会員6フラン)です。一番空いているのは平日三時の回のボーブールで、懐古趣味的なお年寄りのシネフィルから映画学生風まで知った顔ばかり。一番混むのは場所柄から土・日のボーブール。最近一番人気のあった特集は、ロバート・アルトマンのものでした」
「12月24日 イブのせいでどこのカフェも早く閉る人手も少い。(中略)随分通ったのでモギリのオ姉サンとも顔なじみ。彼女、大晦日も出勤日とか。ヒマなのか上映前に席まで来て話相手になってくれる。」
こうした映画館での「知った顔ばかり」のなかに、カタロニアから来たキンタナさんもいたのだろう。雨に濡れたキンタナさんの自伝タイトルをネット検索したら、出てきた。齋藤さんがどのように描かれているのか、読みたい! 誰か訳してください!
フランス映画社から独立してフリーランスになった齋藤さんは、来た仕事は断わらないスタンスでさまざまな字幕翻訳に取り組み、声がかかれば本の翻訳(出版翻訳)も手がけた。
「齋藤さんは、1993年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作『ピアノ・レッスン』(ジェーン・カンピオン監督)の字幕翻訳を担当し、新潮文庫『ピアノ・レッスン』も翻訳している。全シナリオとプロダクション・ノートを収録、カラー写真がふんだんに使われていて、映画館での感動を再び楽しめる1冊だ。巻末の「解説」で齋藤さんは、シナリオと比較しながら、ある場面が映画化でカットされたのはなぜか、その理由を次のように分析する。
「画面に流れている時間も、緊張感の度合いも、あまりに違いすぎ、(中略)クライマックスに向かって激しく流れ始めたストーリーの緊張感を持続することの方が映画にとって大切だからである。映画の時間はただ流れていくものであって、立ち止まったり後戻りできる書物の時間とはまったく質が違う。」
映画を観ていて字幕が気になったらダメ、字幕の存在を忘れるようにしないといけないということは、この連載のためのインタビューでも、先に紹介した東京フィルメックスの樋口裕子さんとの字幕講座でも齋藤さんは語っている。 また、「オフ」と「ディゾルブ」という撮影技術用語も本書の解説で説明している。パリの映画学校で学び、映画配給会社で働き、国際映画祭に通って執筆してきた映画評論家であり、映画や書籍を翻訳してきた齋藤さん。映画への鋭い観察眼と愛が伝わってくる。
『シネマメモワール』「訳者あとがき」より
「本書のなかで活写されているとおり、ピエール・ブロンベルジェ氏は、無声映画期のアヴァンギャルド映画、ジャン・ルノワール、ヌーヴェル・ヴァーグなど、フランス映画史を語るうえで欠かせない重要な時代、人物に、それぞれ中心人物として係わっていたという希有な運命の持ち主であった。氏自身が映画史を創ってきたと言ってもいいだろう。
訳者が個人的にブロンベルジェ氏を知ったのは、一九八七年に第一回東京国際映画祭が開かれ、協賛企画として開催されたジャン・ルノワール映画祭のゲストとしてブロンベルジェ夫妻が招かれていたときのことだった。東京映画祭に出品されることになっていたゴダールの『右側に気をつけろ』の試写を見るため市ヶ谷のシネアーツの試写室にやってきた夫妻に、フランス映画社社長の柴田駿氏、副社長の川喜多和子さんが紹介してくださったのだ。忘れもしない八十七年九月二十六日の夜であった。伝説的な大プロデューサーの素顔は思っていたよりもずっと小柄な好々爺で、ゴダールの傑作を見て相好を崩しながら“美しい、美しい”と呟いていた。プロデューサーといえば、なんとなく海千山千の山師的な人物を想像してしまいがちだが、その夜の氏はすばらしい映画に出会って喜んでいる一人のシネフィル(映画狂)そのもので、その姿にとても感動したのを憶えている。(中略)
九〇年五月のカンヌ映画祭で、《ある視点》の上映会場にヴィターリ・カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』を見にきていた夫妻を見かけたのが最後となった。同年十一月十七日、生きているフランス映画史とも言えたブロンベルジェ氏は、惜しくも八十五歳でこの世を去ってしまった。(中略)本書を生前の氏にお目にかけられなかったことが心残りとなった。(中略)
また、本書の出版直前の六月七日に突然他界された川喜多和子さんに、心からの感謝を捧げ、御冥福をお祈りしたい。」
柴山幹郎さんが原書を見つけて持ち込んだ企画だという。「訳者あとがき」には「とてもまじめでおかしいスコセッシ」という解説を寄稿した柴山氏への謝辞に加え、この年に亡くなった武満徹氏の冥福を祈る言葉も記されている。
ちなみに、齋藤さんがフランス映画社に入ったばかりのころ、来社した武満さんに挨拶したら、「僕、あなたの連載 読んでました、ファンです」と言われて嬉しかったエピソードをインタビューで教えてくれた。
846ページの分厚い本を監訳したエピソードも興味深かった。手間と時間がかかる事典という出版翻訳の大変さに比べて、字幕翻訳のいいところはすぐ終わること、納期も短いし、映画はスピードが大事、一気に訳さないと。飽きっぽい自分には合っているかもと笑いながらおっしゃっていた。
最後に、1985年、パリ留学から日本に帰国したことを記した齋藤さんの文章を、『イメージフォーラム』から紹介したい。
「今年の2月5日に愚猫ミュゲ=マルクスとふたりで成田に着いた。4月に、長い年月なじみすぎて手垢で汚れた「学生」という肩書にバイバイし、子供の頃からあこがれの「会社員」となって現在に至っている。日本に帰っていろいろ腹の立つこともあったが、フランスでも同じことなので書かない。私は矢鱈と腹の立つ女なのだ。ただ、上映中の場内が明るすぎるのと、スタンダードをヴィスタで映写するのだけは許せない。何とかしてくれい!」
「<女性翻訳家の人生をたずねて>に、新しいシリーズが加わります。……本という媒体ではなく、<映像>の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。…… "不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読くださいませ」という前口上とともに、2018年7月25日「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」はスタートした。その後、全4回の連載(Vol.6は全5回)の最後、末尾にこのコラム「ひとりごと」がくっついていた。
字幕マジックの女たちが操る言語の地域や国、つまりvol.1(吉川美奈子さん)ではドイツと東欧、vol.2(比嘉世津子さん)ではメキシコ、vol.3(福留友子さん)では韓国、vol.5(樋口裕子さん)では中国を旅した、わたくしオオハシの思い出を綴ってきた。vol.4(吉岡芳子さん)とvol.6(松岡環さん)では、イタリアもインドも行ったことがないため別話題にしたが、vol.7(齋藤敦子さん)は、フランスとなる。
齋藤敦子さんが1980年に渡仏したとき、真っ先にシャイヨー宮の映画博物館を訪れたと、四方田犬彦さんが『ふらんす』の追悼記事でお書きになっている(*1)。
並べて書くのも憚られるが、私がパリを訪れたのは1回だけ。2011年9月、セーヌ川の観光船に乗ったり、街中をぶらぶら歩いたり、光文社古典新訳文庫でプルーストを新訳中の高遠弘美さんに教わったお店で食事したりと旅行気分を満喫し、日本大使館にも足を運んだ。ちょうど東日本大震災と原発事故のあと、日本政府への抗議があると知り、雨のシャンゼリゼ通りを歩いていった。大規模なアクションかと思いきや、30人くらい(と大勢の警察官)がいて、「LE NUCLÉAIRE TUE L'AVENIR 原子力が未来を殺している」と書かれた横断幕を掲げてのスタンディング。日本からの旅行者だと言うと歓迎され、私も参加者になって記念撮影(*2)。そこにいた人に誘われて行った展覧会も面白かった。
いちばん行きたかったのは、シェイクスピア&カンパニイ書店。本を読んだせいで、妄想がふくらんでいた(*3)。実際、お店に足を踏み入れ2階への急な階段をのぼると、本棚の奥のベッドで横になって読書中の女性、骨董品のような長椅子に腰かける少女もいて、「作家たちのサロン」や「本屋を装った社会主義ユートピア」の雰囲気をほんのり味わえた。書店の布バックは今も大切に使っている。
齋藤敦子さんの訳書『パリ 快楽都市の誘惑』(ジョン・バクスター著、清流出版、2008年)には、原書掲載の写真とともに、齋藤さんが撮影した写真も収録されていて、その一つがシェイクスピア&カンパニイ書店! ああ、あのお店の入り口にレンズを向けて、きっとほぼ同じ場所に立ってシャッターを切ったんだよね、と思うと頬がゆるむ、涙腺も。
この連載依頼のご連絡を齋藤さんにしたのは4年前のこと。体調がすぐれないとおっしゃっていたこともあり、実現まで時間がかかったけれど(だからこそ)、お目にかかれてお話を伺えて感激だった。その後、私の旧友Nが1980年代前半から雑誌『イメージフォーラム』がらみで齋藤さんと交流があったと判明。彼女と一緒にインタビューの続きをお願いしてみようとワクワクしていた矢先の訃報だった。スピードが大事でしょ、という声が笑いとともに聞こえた気がする。
映像や出版などジャンルを超えて、「字幕マジック」と「“不実な美女”たち」にご登場いただいた「翻訳する女たち」に、憧れと尊敬と心からの感謝をささげます。ご健在の方々のますますのご活躍を祈りながら、12年間にわたる光文社古典新訳文庫ウェブ連載を終了いたします。
関係者のみなさん、お読みくださったみなさん、ありがとうございました。
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者インタビューを手がけ、光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。光文社のウェブ連載「“不実な美女”たち−女性翻訳家の人生をたずねて」 に加筆、書き下ろしも含めた『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』(エトセトラブックス)刊行。他の著書に『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパク ト出版会)、編著に『わたしたちの中絶』(石原燃と共編、明石書店)ほか。