著者年譜

レフ・トロツキー Л. Д. Троцкий

『ニーチェからスターリンへ トロツキー人物論集【1900−1939】』

トロツキー人物論・文学論年譜(1917年末まで旧暦)
*太字は本書所収(論文表題は中身がわかりやすいように1部改変)

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出来事
1879年 10月 レフ・ダヴィドヴィチ・ブロンシュテイン(トロツキー)、南ウクライナのヘルソン県ヤノーフカで生まれる。
1900年 20~21歳 春 獄中でソコロフスカヤと結婚。
秋 長女ジーナ誕生。
10月 『東方評論』にさまざまな評論を書き始める。
同月 「ニーチェ――『超人』の哲学」
1901年 21~22歳 2月 「悲観主義、楽観主義、20世紀、その他」
3月 「バリモント論」
4月 「ゲルツェンと『若い世代』」
5月 「ハウプトマンの最新の戯曲」
6月 「ヘンリク・イプセン――小市民群像の表現者」
7月 「新しい時代、新しい詩――ポタペンコ論」
9月 「詩と機械、機械の詩――ジョン・ラスキン」
1902年 22~23歳 1月 「社会的トートロジー――セメントコフスキー論」
2月 「ゴーゴリ――没後50年によせて」
3月 「ゴーリキーの『3人』について」
4月 「グレーブ・イワノヴィチ・ウスペンスキー」「ジュコーフスキー」
5月 「アルトゥール・シュニッツラー」
6月 「レオニード・アンドレーエフ」
1903年 23~24歳 7~8月 ロシア社会民主労働党第2回大会、党分裂。トロツキーは少数派(メンシェヴィキ)に。
1904年 24~25歳 2月 日露戦争勃発。
9月 メンシェヴィキから離脱。
1905年 25~26歳 1月 血の日曜日事件。
10月 ロシア全土にゼネストが勃発。ペテルブルク・ソヴィエト結成。
11月 ペテルブルク・ソヴィエト議長に就任。
12月 逮捕。
1906年 26~27歳 獄中で『総括と展望』執筆。
2月 『政治におけるピョートル・ストルーヴェ氏』
11月 シベリアへの終身流刑の判決。
1907年 27~28歳 1月 流刑地に行く途中で脱走しウィーンへ。
6月 ストルイピンのクーデター。
1908年 28~29歳 4月 「時間の中のわが祖国」「フランク・ヴェデキント」(『文学と革命』所収)
6月 『キエフスカヤ・ムイスリ(キエフ思想)』に文学論・人物論などを多数執筆しはじめる。
8月 「ヴィッテ伯――官僚主義文化の歴史の数頁」
9月 「レフ・トルストイ――詩人と道徳家」
10月 ウィーン『プラウダ』発行。
12月 「芸術に関する新年の対話」(『文学と革命』所収)
1909年 29~30歳 1月 「ジョレス」「強さの源泉としての弱さ――プリシケヴィチ論」
1~3月 「西欧にて(体系なき覚書)」(『文学と革命』所収)
4月 「ピョートル・ストルーヴェ氏――説明の試み」
12月 「ゴーリキーと社会民主党」
1910年 30~31歳 11月 「トルストイの死」
1911年 31~32歳 1月 「パーヴェル・ジンガー」
5月 「メレシコフスキー」(『文学と革命』所収)
同月 「エヴノ・アゼーフ――あるテロリストの肖像」
11月 「ストルイピンの暗殺」
1912年 32~33歳 3月 「インテリゲンツィア論」(『文学と革命』所収)
同月 「ゲルツェンと西方――生誕100周年によせて」
5月 「チュコフスキー」(『文学と革命』所収)
8月 ウィーンの全党協議会に出席(8月ブロック)。
9月 「ミリュコーフ」
10月 第1次バルカン戦争勃発。『キエフスカヤ・ムイスリ』特派員としてバルカン半島へ。
1913年 33~34歳 6月 第2次バルカン戦争勃発。
7月 「ヴィクトル・アドラー」
8月 「ドブルジャヌ・ゲレア」
10月 「グチコフとグチコフ主義」
11月 「ベイリス事件」
12月 「エヌ・イ・ピロゴーフ」
1914年 34~35歳 1月 『ボリバ(闘争)』創刊。
3月 「総合雑誌の運命」(『文学と革命』所収)
4月 「クリャチコ」
6月 「ロシアとヨーロッパ――マサリク教授のロシア論」
7月 第1次世界大戦勃発。
8月 スイスに亡命。
11月 『キエフスカヤ・ムイスリ』の戦時特派員としてフランスへ。
1915年 35~36歳 2月 「パルヴス――生ける友への弔辞」
5月 「アクセリロートと社会愛国主義」
7月 「ジャン・ジョレス――死後1年によせて」
9月 ツィンメルワルト会議に出席。
10月 「ラコフスキーとコラロフ」「カウツキー、ベルンシュタイン、ハーゼ」
12月 「1つの時代の終わり――ヴァイヤンの死によせて」
1916年 36~37歳 3月 「ポトレソフ」
7月 「カール・リープクネヒト」
9月 フランスを追放され、スペインに。
10月 「ジュール・ゲードへの公開状」「フリッツ・アドラー」
12月 スペインからニューヨークに追放。
1917年 37~38歳 2月 2月革命勃発。
3月 ニューヨークを出発。
4月 船上でイギリス軍に逮捕され、強制収容所へ。
5月 ロシアに帰国。
7月 7月事件勃発。
9月 ペトログラード・ソヴィエトの議長に。
10月 10月革命勝利、外務人民委員に。
1918年 38~39歳 2月 軍事人民委員に。
5月 内戦勃発。
6月 「プレハーノフの思い出」
7月 左翼エスエルの反乱。
1919年 39~40歳 1月 「カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク」
3月 第3インターナショナル創立大会開催。
同月 「プレハーノフ――先駆者の運命」「カール・カウツキー――改良と革命のあいだ」「マルトフ」
1920年 40~41歳 4月 ポーランド戦争勃発。
7月 コミンテルン第2回大会。
1921年 41~42歳 3月 クロンシュタットの反乱。
同月 第10回党大会開催、新経済政策(ネップ)採択。
6月 コミンテルン第3回大会。
1922年 42~43歳 5月 レーニン、発作に倒れる。
同月 「フランス労働者階級の戯曲――マルチネの『夜』」
12月 レーニン、「大会への手紙」を書く。
1923年 43~44歳 この年、『文学と革命』『日常生活の諸問題』出版。
3月 レーニン、2度目の発作を起こし、政治の表舞台から姿を消す。
4月 ボリシェヴィキ第12回党大会。
6月 「古い家族から新しい家族へ」
7月 「人は政治によってのみ生きるにあらず」「ウォッカ、教会、映画」
10月 46人の声明(左翼反対派の最初の声明)。
12月 1連の新路線論文を『プラウダ』に発表。
1924年 44~45歳 この年、『レーニンについて』出版。
1月 レーニン死去。
3月 「フリードリヒ・エンゲルスの新しい著作」
4月 「レーニンの思い出から」
5月 「党の文芸政策について」(『文学と革命』第2版所収)
9月 「グラズマンの思い出」
10~12月 トロツキーの「10月の教訓」をめぐって「文献論争」勃発。
1925年 45~46歳 1月 軍事人民委員解任。
3月 「スヴェルドロフの思い出」
8月 「スクリャンスキーの死」
9月 「メンデレーエフとマルクス主義」
11月 「フルンゼの思い出」「品質と文化のために!」
12月 ボリシェヴィキ第14回党大会。
1926年 46~47歳 1月 「セルゲイ・エセーニンの思い出」
2月 「文化と社会主義」
7月 合同反対派の闘争開始。
同月 「ジェルジンスキーの思い出」
12月 「クラーシン」
1927年 47~48歳 4月 蒋介石による上海クーデター。
9月 『合同反対派の政綱』を地下出版。
11月 トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフが除名。
同月 「アドルフ・ヨッフェ――告別の辞」
12月 ボリシェヴィキ第15回党大会。
1928年 48~49歳 1月 アルマ・アタに追放。
7月 コミンテルン第6回大会。
12月 「官僚主義の哲学的傾向」
1929年 49~50歳 1月 ソ連から追放。
7月 『反対派ブレティン』創刊。
1930年 50~51歳 1月 「ブリュムキンの銃殺」
5月 「スターリンの政治的伝記によせて」
同月 「マヤコフスキーの自殺」
1931年 51~52歳 1月 「ある友の思い出――コート・ツィンツァーゼの新しい墓の前で」
2月 「絞殺された革命――アンドレ・マルローの『征服者』について」
3月 「リャザーノフ事件」
6月 「絞殺された革命とその絞殺者たち――マルローへの反批判」
1932年 52~53歳 3~4月 「プロレタリア文学について――パリジャニーヌへ」
6月 「ローザ・ルクセンブルクへの中傷をやめよ!」
7月 ドイツ総選挙でナチ党が第1党に。
同月 「デミヤン・ベードヌイについて」
12月 「レーニンの遺書について」
1933年 53~54歳 1月 長女ジーナ、ベルリンで自殺。
同月 「私の娘ジナイーダ・ヴォルコヴァの自殺について」
2~3月 『われわれと彼ら』(クラーシン、ベロボロドフ、チチェーリン、ラコフスキーについて論じる)
5月 「セリーヌとポアンカレ」
6月 「国家社会主義とは何か――ヒトラーとナチズムの肖像」
7月 フランスに移る。
同月 「スクルイプニクの自殺」「シローネの『ファンタマーラ』」
1934年 54~55歳 1月 「アナトーリー・ルナチャルスキー」
12月 キーロフ暗殺。
1935年 55~56歳 2月 『亡命日記』を書き始める。多くの人物論、文学論を日記に書きとめる。
6月 フランスからノルウェーに。
7月 コミンテルン第7回大会開催。人民戦線路線に転換。
9月 「歴史と伝記はどのように書かれるか」
10月 「エンゲルスとカウツキーの往復書簡について」
11月 「エドゥアール・エリオ――中庸の男」
1936年 56~57歳 7月 「マクシム・ゴーリキー――革命の衛星」
8月 第1次モスクワ裁判。
12月 ノルウェー政府、トロツキー1家を追放。
同月 「ジノヴィエフとカーメネフ」
1937年 57~58歳 1月 メキシコ到着。
同月 第2次モスクワ裁判開始。
4月 デューイ委員会によるモスクワ対抗裁判。
6月 赤軍の大粛清。
10月 「ジャック・ロンドンの『鉄のかかと』」
1938年 58~59歳 1月 「アーベル・エヌキッゼ――クレムリンの壁の背後で」
2月 セドフが病院で変死。
同月 「レフ・セドフ――息子、友人、闘士」
3月 第3次モスクワ裁判。
6月 「革命的芸術と第4インターナショナル」
7月 「自由な革命的芸術のために!」
9月 第4インターナショナル創立。
11月 「カール・カウツキーの死」
1939年 59~60歳 3月 「クルプスカヤの死」「ヒトラーとスターリン」
8月 独ソ不可侵条約成立。
同月 「新しい偉大な作家――ジャン・マラケの『ジャワ人』」
9月 第2次世界大戦勃発。
同月 「ヨシフ・スターリン――性格規定の試み」
10月 「レーニンの死の謎」
1940年 60歳 1月 「双子星――ヒトラーとスターリン」
2月 「遺書」執筆。
8月 スターリンの手先によって暗殺される。
未完の書として『スターリン伝』『レーニン伝』が残される。