2023.12.27

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.6 松岡環さん〈ヒンディー語〉(インド映画)番外編

バーグ4を更新した2023年9月29日のあと、松岡さんはいつにも増して忙しい日々でした。公開中のドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』のアフタートーク、NHK文化センター青山教室、江戸川区立中央図書館などの講座でもインド映画の魅力を伝え、それぞれの準備と本番に追われていました。

そして、10月23日~11月1日の東京国際映画祭、11月19日~26日の東京フィルメックスでは、アジア映画を1日に2~3本見てブログにレポートをアップする日々。その間にも、インド映画関連の様々なお手伝い仕事が入り、多忙が続いた実りの秋でした。

最終回は、インド映画の字幕翻訳についてのお話と、2023年を振り返っていただきます。

松岡環さんプロフィール

松岡環さん

まつおか たまき  字幕翻訳者、アジア映画研究者。1976年からインド映画の紹介と研究を開始。字幕翻訳を手がけた作品は『ムトゥ 踊るマハラジャ』『きっと、うまくいく』『パッドマン 5億人の女性を救った男』ほか多数。著書に『アジア・映画の都』(めこん、1997)『レスリー・チャンの香港』(平凡社,2008)、共編著に松岡環・高倉嘉男著、夏目深雪編著『新たなるインド映画の世界』(PICK UP PRESS、2021)ほか。

松岡環さんの著書

『レスリー・チャンの香港』松岡環/著
『レスリー・チャンの香港』
(松岡環著、平凡社 2008年)

バーグ4に出てきたように、松岡環さんが大好きなレスリー・チャン。彼は2003年に自死した。 松岡さんは「レスリーの死の報に接して、私が強く感じたのは『時代が彼を殺した』という思いだった」と書いた。そして、「机上探偵」をしてレスリーの軌跡をたどりつつ、激動の香港現代史と重ね合わせる形で1冊の本にまとめたのが本書である。

松岡さんが初めて香港を訪れたのは、初めてインドを訪れた1976年1月。インドからの帰途、航空便スケジュールが変更になり、香港で強制的に一泊させられた。いろいろな出会いと別れが、インドやヒンディー語、香港や広東語を通じで、めぐっているようだ。

〈構成・文 大橋由香子〉

〈番外編〉

アジアを訪れ、映画祭に参加し、インド映画を鑑賞し紹介する

インド映画の字幕翻訳をする苦労と楽しさ

──インド映画の字幕翻訳にあたって、インド映画特有の難しさはありますか?

松岡 ほとんどの日本人はインドに関する基本知識をもっていないので、訳語に苦労することが多いです。欧米の映画だと、そこに映っているものや話題にしているものが日本人でもすぐわかりますよね。例えば「ハロウィン」「クリスマス」とか「バゲット」「ベーグル」とか言えば、一発でイメージしてもらえます。

ところが、「ディワリ祭」とカタカナで表記しても伝わりません。そこで「秋祭り」としてルビで「ディワリ」とすれば、収穫祭みたいなものかなとイメージしてもらえます。「チャパティ」は「パン」にルビで「チャパティ」とするなど、いろいろ工夫を重ねないといけないのが、大変でもあり楽しみでもあります。

また、勝手な思い込みで間違った固有名詞表記がなされたり、ネットで調べると多数派が間違った表記だったりして、その訂正が大変なことも苦労の種です。ヒンディー語もしばしば「ヒンドゥー語」と間違って表記されますし、人名の「シャンカール(正しくはシャンカル)」や「ラフール(正しくはラーフル)」など、まるで都市伝説のように「インドの名詞は最後から2つめの音節に音引きを入れる」という真っ赤な間違いが流布されていたりして、そういうものに立ち向かう時が、いちばん疲れます。

これはインドに限りません。アフガニスタンの首都名は、マスコミでは「カブール」と表記されますが、正しくは「カーブル」です。ウクライナのように欧米圏の国であれば、「キエフ」ではなく正確な表記は「キーウ」だ、と当事者がひと言言えばすぐに訂正してもらえるのに、アジアやアフリカの国々は無視され続けています。日本人が見ている世界が、「北」の先進国だけに偏っているんだな、としみじみ思ってしまいます。

──ヒンディー語のセリフのなかに英語が入るのは、どう訳すのですか?

松岡 日本語にも「コーヒー」や「ライター」など英単語が混じっているのと一緒なので、そんなに苦労しませんが、インドでの英語の使い方はちょっと独特かも知れません。以前大学で教えていた時学生から、『きっとうまくいく』には英語がたくさん混じっていて驚いた、と言われたことがあります。確かに、ヒンディー語をしゃべりながら、but, andなどの接続詞や、actually, basically などの副詞が入ってきたりして、文章がミックスしていますね。2000年代になる前は、美しいヒンディー語を普及させるという意識が映画界にも強かったのか、映画のセリフも発音がきれいで英語が混じらない、純粋なヒンディー語という感じでした。経済発展をとげた現在のインド映画の言語表現は、その頃とはだいぶ違いますね。

──ほかに困ることはありますか?

松岡 インドの人は、自国の言語がわかる日本人がいるなどとは想像もできないようで、原語の台本はほとんど送られてきません。届くのは英語字幕台本だけ、それで翻訳となることも多いのです。原語の文字でも、ローマナイズされていてもいいので、原語台本がきちんと届くようになれば、字幕翻訳者の苦労は半減するのに……といつも思います。

──インド娯楽映画の魅力の一つは歌と踊りだと言えると思いますが、歌詞の翻訳についてはいかがですか?

松岡 歌詞をそのまま日本語に直訳しても頭に入ってきにくいので、感覚的に伝わるように、わかりやすく意訳していくのが私は好きです。でも、血液型がA型のせいか小心者で、なかなか飛躍ができませんね。『ムトゥ 踊るマハラジャ』の中の歌にもエロティシズムを感じさせるものがあって、「愛の神に税を納めよう ベッドの上で」などという歌詞があったりするんですが、あそこはもっと大胆に訳してもよかったかな、とあとで思ったりしました。

と言っても、あまりに凝った字幕は見苦しいので、私は淡々と意味を捉えて訳していくほうだと思います。歌詞以外にも、セリフ訳に流行語を使うのには慎重です。例えば、今流行っている「推し」という言葉ですが、3年後の日本ではどうなっているかわからないですから。

松岡環さん番外編01
1998年は、『ムトゥ』と共にマニラトナム監督作『ボンベイ』も封切られた。10月の東京国際映画祭ではマニラトナム監督作4本の特集上映があり、監督が来日した。(写真提供:松岡環)

──松岡さんから見て、字幕翻訳にとって大切なこと、必要なこととは何でしょうか?

松岡 これまでの連載の中でも出てきたように、映画の字幕は字幕翻訳者一人の仕事ではなく、チーム作業でもあるんです。字幕が出来上がるまでには、その映画の配給会社のスタッフ、それから字幕制作会社の担当者のチェックが入るんですね。『ムトゥ』では、配給会社ザナドゥーの市川さんが、恋人への呼びかけを私が「愛しい人」と訳していたのを、「松岡さん、ここは“ハニー”にしましょう」と言って下さって、そのセンスに舌を巻いたこともありました。字幕翻訳者は土台となる字幕を作って、あとは映画的センスのあるいろいろな人が修正してくれて、字幕が出来上がっていくという感じですね。

字幕翻訳者に求められるのも、映画的センスがいちばんではないでしょうか。映像を見て、この人はこういう役柄だということを理解して、映画を見る人がどう受け取るかを想像する。そして役柄を把握した上で、セリフを日本語にするときの一人称は、「僕」がいいか「俺」がいいか、それとも他の呼称か、そういったことを判断できる人が字幕翻訳者に向いていると思います。

ヒンディー語の二人称は「アープ(あなた)」「トゥム(君)」「トゥー(お前)」の三段階がありますが、それぞれを日本語でどう表現するか。あなた、君、お前、貴様、あんた、先生、など日本語もいろいろです。登場するキャラクターを見て、どれが一番ピッタリかを選び取れるのは、映画的センスだと思います。

『ムトゥ』の大ヒット後は講演の仕事も増えた。秋の「ナマステ・インディア」での講演会は、当時渋谷にあったたばこと塩の博物館で10年以上続いた。(写真提供:松岡環)

──松岡さんがインド映画を日本に広めようとした最初の頃は映画祭で、その後、一般の映画館での上映へと広まっていったという長い道のりは、この連載で教えていただきました。今では、当時からは考えられないほど様々なメディアでインド映画が観られるようになりましたね。字幕翻訳における、各メディアそれぞれの違いや特徴があれば教えてください。

松岡 字幕の日本語表現の基準はどの上映でも変わらないのですが、映画祭よりも一般公開の方が、広い対象者となるため基準がさらに厳しくなる、というところはありますね。例えば、難しい漢字は使わず仮名に開いたり、別の言葉に置き換えたりとか、罵り言葉を少し上品なものにするとか。『きっと、うまくいく』では、『三バカに乾杯!』という邦題で映画祭上映された時には「インポなの?」という訳にしていたセリフを、公開時には監修の いとうせいこうさんが「EDなの?」に変えて下さったりしました。

あとNHKは、商品名を出さない等の独自の基準があるので、NHKで放映されるときは一般公開用の字幕はそのままでは使えないことが多いです。ずっと以前ですが、インド映画の字幕を担当した時は、「ニューズウィーク誌」は「アメリカの雑誌」に、「孤児院」は「養護施設」に、といったいろんな変更が必要になりました。

映画館での公開作品がDVD等にソフト化されたり、配信されるときは、字幕はそのまま使われますが、ネットフリックスは独自に字幕を作るようです。私が公開時に字幕を担当した『パッドマン 5億人の女性を救った男』はネットフリックスでは違う方が翻訳なさっています。次にやる字幕翻訳者さんもやりにくいと思いますが、すでについている字幕翻訳の二次使用権料を払うより、新たに字幕をつけるほうが安いということなんでしょうね。

シンガポール大で日本文化を研究しているデリー出身の女性研究者シュエタさん&婚約者と、クラークスキーのケーララ料理店で夕食。後ろにマリーナベイサンズ・ホテルが見える。(写真提供:松岡環)
4年ぶりのアジア―2023年を振り返る

──2020年からのコロナ禍によって海外にも行けなかったわけですが、2023年2月・3月に松岡さんは久しぶりにインドを訪問し、8月・9月にはシンガポールやタイ、香港を旅行しました。まず、インド再訪は何年ぶりでしたか。

松岡 4年ぶりです。2月25日から3月12日まで滞在しましたが、ますます貧富の差が大きくなっていることを感じさせられました。例えば、飲み物は、スターバックスのアイス・カプチーノ(tall)は280ルピー(476円)、街角の立ち飲み喫茶店のチャイは20ルピー(34円)、半チャイは10ルピーでした。富裕層が利用するスタバの値段がどれだけ高いかおわかりになるかと思いますが、そういうスタバには若い勤め人やカップルもたくさん足を運んでいます。一方チャイ屋さんは、街の露店で働く人や道路工事の人などが集っていました。以前よりも格差がさらに大きくなっているように感じました。

4年のブランクがあるのであちこち見て回りたかったのですが、航空運賃が高くなったこともあって、行けたのはムンバイとチェンナイだけ。どちらも1年中暑い、気温が下がっても20何度、という土地なのですが、なぜかチェンナイで風邪を引いてしまい、咳がとまらなくなって後半はお医者さんにかかったりと、さんざんでした。市中にクリニックがあるお医者さんは、1回の診察で1,000ルピー(1,700円)も取られて仰天しましたが、近くの人たちがたくさん来ていて、これが相場のようでした。皆さん、1991年からの経済発展の成果が出てきて、収入も結構あるようでしたね。

インドではマスクをしている人はごく少数で、映画館もショッピングモールも大勢の人で賑わっていました。

──以前より格差が広がっているとのことですが、映画館も庶民には高額になってるのでしょうか。

松岡 私が最初にインドに行った頃の「2階席と1階席」に分かれる戸建ての映画館は、現在ではごく少数になりました。今や大都市を始めとする町の映画館は、ほとんどがシネマコンプレックス(インドでの名称は「マルチプレックス」)で、多くはショッピングモールに入っています。

こういったデジタル上映のスクリーンは、2018年ですでに全スクリーン数の85%を占めていたというレポートもあります。その後コロナ禍によって古い映画館が閉鎖になる所がさらに増え、現在は9割近いと思います。

シネコンでの料金は、映画館がある場所と上映時間帯、席の種類によって変わります。 例えばムンバイでは、一番高い地区にあるシネコンの高い席(800ルピー位)と、郊外のシネコンの安い席(100ルピー台)とでは、6~8倍ぐらいの差があります。

下のシネコン3つ、それぞれの上映回の時間の上にカーソルを置いてみると料金が出てきます。

ムンバイ市北部の商業エリアにあるモール内のシネコン
ムンバイ市南部の旧市街にあるシネコン
北東の郊外にあるシネコン

庶民は、シネコンの席が安い時間帯を選んで見ているようです。

さらにチェンナイなどでは、シネコン席の最前列に木のベンチ席があって、そこは一段と安くて、チケット窓口も別。そういう形でも貧困層の人やお金のない学生は鑑賞しています。

最近は、携帯で、海賊版サイトにアップされたものを見ている人も多いです。公開されてすぐスクリーン撮りされたような画像がアップされるなど、インドは著作権無法地帯と言ってもいいですから、DVDなどソフトの発売が皆無になったのもわかります。

アジアでは、日本のように料金が一国内で統一されている所のほうが珍しいのではないでしょうか。アメリカやヨーロッパは知りませんが、香港もタイも、映画館や時間帯によって、同じ作品でも料金がバラバラ。インドは特に、州が違うと娯楽税のパーセンテージも違ってくるので、全国の映画料金は千差万別です。

チェンナイのローカルシネコン、サティヤムの最前列。料金は後ろの席の3分の1ぐらいだったと思うが、席も背もたれも肘掛けも木の板で、これで3時間は大変そう。2014年3月18日撮影(写真提供:松岡環)

──知りませんでした! 日本の常識は世界の非常識なんですね。8月末から9月にかけていらしたタイ、シンガポール、香港の旅について教えてください。

松岡 こちらも4年ぶりです。アジア映画の定点観測ということで、30年程前から毎夏行っていたのですが、今回はひどい円安で、タイだけは以前と同じ金銭感覚で動けたものの、シンガポールと香港は物価高に苦しみました。シンガポールではインド映画は以前と変わらず豊富に見られるんですが、すでにインド映画のDVD等は姿を消し、まったく手に入りません。ですので、今後はもう行かなくてもいいか、という感じです。シンガポール映画も、一時期のような元気がありませんしね。

香港は、この4年間で大きく状況が変わったので心配しながら行ったのですが、物価高以外はとてもソフトな印象で、ホッとしました。英語混じりの広東語を話してもにこやかに対応してくれるし、映画館でチケットを買う時も、何も言わなくても「長者票(シニアチケット)」にしてくれるし、若い人たちがとても親切でした。

親切と言えば、今回は4年前と違って白髪染めをせず、もろ高齢者とわかる顔で行ったのですが、どの都市でも地下鉄とかの乗り物では、すぐ席をゆずってもらえてありがたかったです。何も言わず席をすーっと立ってどこかへ行ってくれる人もいて、本当に親切にしてもらいました。インドでも、メトロでは中学生ぐらいの子が譲ってくれましたね。インドでも、皆さん車内マナーがよくなってきた感じです。

ムンバイ、サンタクルーズ駅前のマーケットで、スパンコール刺繍等ゴージャスなトリムボーダーを扱っているお店の青年店主。日本からも注文が来るという。(写真提供:松岡環)

──各地での映画事情はいかがでしたか?

松岡 実は今回は、春のインド行きも、夏の東南アジア&香港行きも、私の大好きなインドのスター、シャー・ルク・カーンの新作を見るのが目的の一つでした。3月はムンバイでロングランヒット中の『PATHAAN/パターン』を見て、作品を楽しんだほかインド人の反応をつぶさに見ることができましたし、9月はシンガポールで『Jawan(兵士)』の封切り日に2回見てからバンコクに飛ぶなど、ぜいたくをした甲斐があった旅行でした。

インドでは、前述のように風邪のせいであまり映画が見られなかったのですが、今回のバンコク、シンガポール、香港では結構映画を見てきました。これらの国の映画のほか、韓国や台湾の映画も見られたので大満足です。

香港の地元のパンケーキ、蛋仔(タンチャイ)や挟餅(ガッペン)のお店。銅鑼湾という商業地区のためか、値段は私の泊まっていた旺角の倍ぐらいする。(写真提供:松岡環)

見た作品中ベスト1は、後日東京国際映画祭でも上映された台湾映画『ミス・シャンプー(請問、還有[口哪]裡需要加強)』、続いてはイ・ビョンホン主演の韓国映画『コンクリート・ユートピア』(2024年1月5日公開予定)、そして第3位はインド映画の『Jawan』というところでしょうか。『Jawan』も日本で公開されてほしいですね。

バンコクの地下鉄サムヤーン駅に直結したモールのフードコートで食べたお粥が絶品だった。お粥の中に小さな牛肉団子がたくさん入っている。お値段はたったの60バーツ(約240円)。(写真提供:松岡環)
東京国際映画祭、東京フィルメックスとの関わり

──今年の東京国際映画祭、東京フィルメックスはいかがでしたか。印象的なことなど、お聞かせください。

松岡 今年の上映作品などを紹介し始めると長くなるので、両映画祭と自分との関わりをちょっとだけ。東京国際映画祭は1985年から始まったのですが、最初は毎年開催されなかったりしたので、今回は第36回です。大手の映画会社が中心になり、官民一体となった日本初の大型国際映画祭として当初は大いに期待されたのですが、後発の韓国・釜山国際映画祭の方が実績を上げてきて、存在感がなかなか出せていませんね。でも、アジア映画に関しては第1回から紹介に力が入れられていて、核となる映画祭ディレクターというかプログラマーも、市山尚三さん、暉峻創三さん、石坂健治さんらが歴任しています。

暉峻さんがアジア映画部門のプログラミング・ディレクターだった2005年の第18回では、アジア映画賞の審査員を石坂さん、江戸木純さん、そして私が担当することになり、マレーシアのヤスミン・アフマド監督作品『細い目』(2004)を受賞作に選びました。その後、ヤスミンの作品は日本でもたくさんのファンを生み出し、ヤスミンが2009年7月25日に急逝したあとも、彼女の作品はたびたび上映されています。第18回の審査員の仕事は気の合った仲間との共同作業でとても楽しく、またヤスミン・アフマド作品を日本で知ってもらうきっかけにもなったので、忘れられません。ヤスミンの遺作となった『タレンタイム~優しい歌』(2009)は多民族社会で人として生きていく基本を教えてくれる作品で、何度見ても泣いてしまいます。

2022年の東京国際映画祭で上映されたインド映画『アヘン』の監督アマンさん(左)のお宅で。真ん中は一家の友人で、映画界に顔の広いウダイ・シャンカル・パニ氏。今回調査を助けてもらった。(写真提供:松岡環)

また、2000年に始まった東京フィルメックスでも、一度審査員をさせていただいたことがあるのですが、その2016年の第17回の時も楽しかったです。当時、フィルメックスのディレクターは林加奈子さんと市山尚三さんで、裏方のマネージャーとしては岡崎匡さん、金谷重朗さん、そして現在のフィルメックスのディレクターである神谷直希さんがいらして、民間の映画祭ながらすごくしっかりした組織でした。

実行委員会にはオフィス北野(当時)が加わっており、森昌行さんのお姿も見かけました。今は超売れっ子になってしまった俳優の西島秀俊さんも古くからのフィルメックス観客の常連で、この時は理事という肩書きだったかでスタッフルームいらしたため、ご挨拶をした覚えがあります。

審査員は、以前から顔見知りのイギリス人映画評論家トニー・レインズを委員長に、フィリピンの女優アンジェリ・バヤニさん、韓国のパク・ジョンボム監督、フランス人のプロデューサー、カトリーヌ・ドゥサールさんで、フィルメックスのスタッフのおもてなしが本当に暖かくて、審査員としては感激の毎日でした。最優秀作品には中国の『よみがえりの樹』を選び、貴重な体験は終わったのですが、その後オフィス北野が消滅してしまうなどいろいろあって、フィルメックスは今、運営が大変になっています。とはいえ、市山さんが東京国際映画祭に引き抜かれたあとは、神谷さんがディレクターとしてしっかり足下を固め、徐々に個性を発揮しつつある、というのが今の状況です。これからも続いてほしい映画祭ですね。

こういった映画祭では、「プレス」あるいは「ゲスト」のパスをいただいて、作品を見ては自分のブログ「アジア映画巡礼」(わけあって本名は出しておらず、cinetamaというペンネームで書いています。「わけ」は初期の2011年1月27日のブログ記事に書いています)でレポートしたり、終了後に新聞や雑誌にレポートを書いたりしています。ブログ記事を見ると、その時の映画祭の思い出がいろいろ浮かんできますね。

──最後に、今後の抱負をお聞かせください。

松岡 来年1月には75歳になるので、もうそろそろ集大成となる本を書け、と知り合いの出版社さんから言われています。タイトルはもう決まっていて、「インド映画巡礼」と「アジア映画巡礼」なのですが、早くまとめないと、いつ何時病気になるかわからない(!)ので、ここ2、3年が勝負ですね。

あと、今年の1月から、友人たちと「インド映画研究会」を始めました。2ヶ月に一度研究会を開いて、若い皆さんに発表してもらっているのですが、どの方の研究発表も学ぶべき点が多く、聞いていてとても勉強になります。もっと、インド映画を研究する人が増えてほしいので、単にインド映画好きだけではなく、研究という手法を使ってインド映画にアプローチしてくれる人が増えてくれることを願っています。

──子ども時代のことから、色々と貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。


インド映画について最新ミニ情報
〈インディアンムービーウィーク(IMW)2023 パート2〉開催
〈特別上映〉『PS1 黄金の河』 『ストリートダンサー』
〈初上映〉『後継者』 『2つの愛が進行中』
〈ヴィジャイ・セードゥパティ特集〉『ピザ 死霊館へのデリバリー』『途中のページが抜けている』『キケンな誘拐』『俺だって極道さ』『’96』『マスター 先生が来る!』
〈アンコール上映〉『お気楽探偵アトレヤ』『狼と子羊の夜』『マジック』『火の道』
会場:東京・キネカ大森
期間:2023年12月15日から2024年1月11日

「今年の目玉はマニラトナム監督作の前後編2部作『Ponniyin Selvan(カーヴェーリ河の息子)』の前編『PS1 黄金の河』(2022)。絢爛たる時代絵巻で話題になった作品ですが、古代から中世にかけて南インドで栄えたチョーラ朝のラージャラージャ1世(在位985年ー1016年)時代に入る直前のお話で、当時の宮廷の様子が再現され、豪華な衣装やセットに目が奪われます。また、渦巻く陰謀、その中を泳ぎ渡らねばならない王族たちと、彼らを助ける剣士、そして謎の女性の存在など、人気小説を原作としたストーリーも見る者をたっぷりと楽しませてくれます。」(松岡さん)


蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭
国立映画アーカイブにおいて、インド映画『カルプナー』(1948)が上映されます。
監督:ウダイ・シャンカル、主演:ウダイ・シャンカルとその妻のアムラー、そして彼らの舞踊団のメンバーたち。
上映日時:1月13日(土)12:30 *上映後に講演あり/1月30日(日)15:00
国立映画アーカイブウェブサイト
取材を終えて ひとりごと

この連載もVOL.6となり、6人の字幕翻訳者にお話を聞いてきた。

吉川美奈子さんは、池田理代子さんのマンガ「オルフェウスの窓」でドイツを意識し、いつもは退屈な音楽鑑賞の授業で聞こえてきたシューベルトの歌の「ウント」や「シュ」という音に「ドイツ語いいな!」とひと耳惚れした。

子どもの頃から「ここではないどこか」に憧れていた比嘉世津子さんは、高校生の時に留学したアメリカ合州国のホームステイ先の男子が話していたスペイン語を聞いて、英語以外=スペイン語に進路に決めた。

本が大好きだった福留友子さんは、お母さんが買ってくれた『ユンボギの日記』の見返しに書かれたハングル文字にビックリし、それをなぞるうちに魅せられていった。吉岡芳子さんは小学生の頃から「外国に行きたい!」と思っていて、ラジオから流れてきたカンツォーネの歌声にうっとり、外国=イタリアになった。樋口裕子さんは、高校の国語の教科書にあった漢文の返り点の読み下し文から「中国ってちょっと面白い」と興味を抱いた。

今回の松岡環さんとヒンディー語の出会いは、ちょっと違う。進路指導での偏差値から、インド・パキスタン語学科を高校教師に提案されたというから、人生、どこでどうなるか分からないものだ。もちろん、親が映画好きで映画館に通っていたこと、お稽古ごとや読書の蓄積、語学好きなど、他の字幕翻訳家の皆さんと共通していることもたくさんあるが……。

それにしても、プレスリーとインド娯楽映画の歌と踊りが結びついたのは、偶然というより必然だ。夫との悲しい別れでインドの地を踏むことになったのも、運命の女神の采配だったのだろうか。 日本の映画館でもネット配信でもインド映画が楽しめるようになるまでに、松岡さんのようなインド映画への愛と情熱に溢れる人々がいたことを、私たちは記憶しておきたい。(大橋由香子)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。