裏の回では、3回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。
連載3回表で明らかになったように、神谷(小尾)芙佐さんが翻訳者としてデビューしたのは、早川書房の「S-Fマガジン」そして「ミステリマガジン」(「EQMM」)だった。
今回のインタビューにあたって、筆者は小尾さんの1960年デビュー当時の翻訳作品やエッセイを現物の雑誌で読むべく、ネットを調べ、各種図書館へ行き、小尾さんの蔵書からも何冊か発掘していただいた。活版組の、今では驚きの小さな文字、レトロでオシャレな装丁は、むしろ新鮮かも。投稿欄には読者の住所も載っていて、ああ、昔はそうだったんだ、と思う。そして、古い雑誌から立ちのぼってくる独特の臭い。
すると、なんというタイミングでしょう、「ミステリマガジン」も「S-Fマガジン」も創刊700号を迎え、記念アンソロジーの文庫が刊行されたではないですか。
さらに「S-Fマガジン」2014年7月号は700号記念特大号! 580ページの分厚い雑誌のなかに、当時のページ・レイアウトがそのまま再現されたアーカイブが登場。創刊号の巻頭言に始まり、座談会や書評、イベント報告記事、作家の追悼記事などの再掲記事は、まさに時代の証言者だ。(紙面の背後にある熱エネルギーを理解するには、福島正実著『未踏の時代』も参照のこと。)
「ハヤカワSF文庫 いよいよ発刊」という1ページ広告「予価200円」という値段も微笑ましい。再現ページの合い間には、初代編集長・福島正実の講演録(73年第1回SFショー)、第2代編集長・森優、第6代編集長・今岡清へのロング・インタヴュウがはさまれている。
小尾芙佐「ミスター・SFとの一時間 ボストンにアシモフを訪ねる」(1964年10月号)も再掲されている。どういう経緯で小尾さんがアメリカへ渡ることになったのかは、次回の4回表をお楽しみに。
神谷(小尾)芙佐さんが最初に就職したのは、銀座にあったひまわり社。社員たちは、原稿やデザインを編集長・中原淳一の自宅へ持って行き、チェックを受けたという。その中原淳一の生誕100年を記念して、昨年2月から全国をまわってきた展覧会が、現在、茨城県近代美術館で開催中。
小尾芙佐さんに聞く 4回表に続く
子どものころ、池上線に乗っていると、毛糸の帽子をかぶり、鳩が豆鉄砲をくらったような表情のおじさんに遭遇した。なぜか、とても気になる。つい視線が、彼のほうにいってしまう。
やがて、「あの人はコミさんといって、ああ見えてもちゃんとした小説家なのよ」と母が教えてくれた。テレビの「11PM」に出演しているのを見ては、「あ、コミさんだ」とファンのように喜び、小説やエッセイを読むようになった。
歌手のバーブ佐竹に惹かれ、野坂昭如にハマった私にとって、コミさんこと田中小実昌も、魅惑的なオジサンなのだった。こうして私の場合、まずはコミさんと野坂さんの日本語文章から読み始めた。彼らが敗戦後から翻訳を生業にしていたことを認識したのは、少し時間がたってからだった。
「翻訳の世界」という雑誌で働いていたとき、翻訳にまつわる思い出を書いてもらえないか、思い切って依頼してみた。コミさんは快諾してくれた。でも、締め切りにはハラハラさせられた記憶がある。(原稿頂戴するまでのスリリングさは野坂さんのほうが激しかった)
中村
その後、新橋にある映画の試写会場のひんやりした地下道で、偶然、コミさんにお会いした。原稿のお礼を申し上げたときの、ビックリしたような、あの丸い目、照れたような表情でピョコンと頭を下げる姿は、昔、池上線で見たときの雰囲気のまま。単発コラムの一度きりの原稿依頼とゲラのやりとりだったけれど、うれしい思い出だ。
コミさんのアメリカでの訃報に接したのは、それから間もなくのことだった。
・『ミステリマガジン創刊700号記念アンソロジー』では翻訳者としての作品ではなく、【国内篇】に田中小実昌「幻の女」が収録されている。
・なお、田中小実昌が翻訳したジェームズ・K・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』(講談社文庫)が、池田真紀子の新訳で『郵便配達は二度ベルを鳴らす』として光文社古典新訳文庫、7月に刊行予定。
(構成・文 大橋由香子)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。