裏の回では、5回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。
小尾さんが翻訳した『ジェイン・エア』と『高慢と偏見』は、両方とも上下2巻の大作だ。「訳者あとがき」から小尾さんの思いの一端をご紹介する。
「数十年の時を経て、あらためて原作を読みおわった自分に、よもやこのような感動がもたらされようとは思いもよらなかった。心を昂らせながら翻訳を進めるうちに、いくたびか、こみあげる涙を押さえきれず、年代物のワープロの横においてある作者シャーロット・ブロンテのポスト・カードのような小さな肖像画に向かって、胸のうちで思わず話しかけることさえあった。」
「私がはじめてオースティンに出会ったのは、いまから五十数年前、大学の教室だった。......『これはイギリスのアッパー・ミドルの家庭の平凡な日常生活の描写からはじまって......』と講義をはじめられた近藤いね子先生のお顔がいまでも目にうかぶ。毎日辞書と首っぴきで原文と格闘し、講義に臨めば、『ではこのパラグラフをお訳しなさい』といつご指名があるかと戦々恐々としていたから......近藤先生の名講義もうわのそらで聞いていた。(中略)
だが運命はオースティンとの再会を私に用意してくれた。十年近く前のある日、亡き夫の書棚にPride and Prejudice の訳本をたまたま見つけ、なにやらなつかしくそれを引き出して読みはじめたのである。学生時代なんの感興も湧かずほうりだしたその作品にぐいぐいと惹きつけられ、私は夜を徹して読みふけった。」
この再会からしばらくして、小尾さんは野上彌生子の1926年の日記を読んでいて、高慢と偏見を絶賛する記述を発見した。
本に出会うタイミングには、不思議なつながりや、連鎖反応のようなものがあるような気がする。
小尾さんが光文社と初めて仕事をしたのはミステリー雑誌「EQ」だった(1977年創刊ー1999年休刊)。翻訳した作品には、マクリーン・オスペリン著「決定的な半歩」(That Crucial Half Step)1978年5月号。バーバラ・オウエンズ著「軒の下の雲」(The Cloud Beneath the Eaves)1978年9月号。同「ヒルダの家」(The Music in His Veins)1981年5月号などがあった。
エドガー・アラン・ポーやクロフツを読み尽くした子ども時代。そして学生時代の小尾さんが、新宿の本屋に出かけて買い込んだのは、フローべール、モーパッサン、スタンダール、ロマン・ローラン、マルタン・デュ・ガール、アルベール・カミュの本だった。
大学では演劇部に入り、戯曲の面白さに目覚めた小尾さんは、チェーホフ、イプセン、モリエール、ジロドゥ、アヌイを読みまくった。
5回表で、小尾さんが夫から渡された『ヘンリー・ライクロフトの私記』は1951年刊の平井正穂訳、岩波文庫だったが、2013年9月に光文社から新訳が出た。
夫によって傍線が引かれていた箇所(連載の5回表を参照)の前には、シェイクスピアの「テンペスト」の魅力について記述されている。
「シェイクスピアが行きついた果ての人生観を語った傑作で、哲学の教訓を論ずる識者が引用せずには済まされない台詞の宝庫だと言える。何にもまして、ここにはシェイクスピアの洗練を極めた叙情詩があり、柔和な愛の言葉がある。......何度でも、読むほどに今しも詩人の頭から紡ぎ出されたかと思う新鮮な味わいがある。わずかな
イギリスに生まれてよかったと思う理由は数ある中で、筆頭はシェイクスピアが母国語で読めることだ。間近に向き合うことができず、遠くから声を聞くだけで、それも、さんざん苦労して言葉を学ばなくてはシェイクスピアの神髄には触れ得ない立場を想像するとうそ寒い絶望と喪失の恐怖を覚える。」
ギッシングの言葉もそうだが、池 央耿さんの日本語もまた、味わい深い。
小尾さんは『高慢と偏見』を訳し終えて、大正から昭和、平成にいたる長い年月のあいだに訳されてきた諸先達のおかげでオースティンが読み継がれてきたことに感謝すると記している。
時代をこえて魅力を失わない古典作品を、母国語ではない読者に伝える翻訳者たちの仕事。彼女・彼らに感謝すべきは、なによりも私たち読者だろう。
小尾さんにお宅に初めて伺ったのは、光文社古典新訳文庫の『ジェイン・エア』翻訳をお願いするときだった。
お邪魔した居間には、グランド・ピアノがあった。
初回は緊張して入っていった居間も、何回か伺ううちに、ほっとする空間になっていった。お茶とお菓子がおいしくて、ケーキを2ついただくこともあった。
もちろん、仕事である。『ジェイン・エア』の原書で、小尾さんが指定した箇所の出典を調べ、その日本語訳を探すお手伝いが最初の仕事だったと思う。
小尾さんは、『ジェイン・エア』について、熱く語ってくれた。
「あの場面でね......」「あのときのロチェスターが......」「あそこでジェインが××するのが本当に〇〇よね」「でも、あそこは△△じゃないですか」
私も一緒になって小尾さんとおしゃべりをする様子に、男性編集者は疎外感を覚えるのが常だった(それはケーキの段階から始まっていたかもしれない)。古典作品を新たに翻訳するうえでの作品解釈における、翻訳者と編集者の真剣な討論なのだが、第三者から見れば、ミーハーなおしゃべりお茶会か、「後期女子」トークだろう。
ゲラの段階になってからは、ソファ・テーブルではなく、大きなダイニングテーブルに移った。あれこれの伝達、確認、見解A、見解B......。一段落つくともう夕暮れ時。お茶も飲みあきたから、と別種の飲料物をいただくこともあるが、これも仕事である。校閲部からのエンピツ書きの疑問点、編集部からの見解に対する、翻訳者からの切り返しという水面下での闘い=共同作業に伴う必需品だ。
こうやって思い返すと、なんと幸せな時間だったことか。もちろん、ケーキや飲食物のことではない。『ジェイン・エア』を介して、小尾芙佐さんの言葉や翻訳への丁寧で厳密な取り組み、なによりも作品への愛情を間近で感じさせていただいた。
あれから数年後、この連載のために、今度は小尾さんの来し方をお聞きした。ピアノを習いたくても家になく、朝早く高校に行って講堂のピアノをひいたことを知った。戦争中の女学生が遭遇した経験も、小さい時から愛読していた父親の蔵書が空襲ですべて焼けてしまったことも。
居間にあるグランド・ピアノが、違って見えてきた。
(構成・文 大橋由香子)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。