2017.07.10

連載「”不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.4 松岡享子さんに聞く(2)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月10日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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"不実な美女"たちの第4クールは松岡享子さんです。

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『グリムのむかしばなしⅠ』
のら書店
2017年6月下旬発売、
定価本体1600円+税

2017年2月16日には、<うさこちゃん>シリーズの作者ディック・ブルーナさんが、そして6月27日には、<パディントン>シリーズの作者マイケル・ボンドさんの訃報が伝わってきました。松岡享子さんが翻訳してきた絵本や児童書の原作者との悲しい別れが続いていますが、ちょうど6月末には、『グリムのむかしばなしⅠ』(のら書店)が刊行されました。このグリムのむかしばなしシリーズは、『100まんびきのねこ』で知られる絵本作家ワンダ・ガアグさんが再話し絵を描いたものです。松岡さんはこのグリムの翻訳が「楽しくて仕方ない」とおっしゃっています。

たくさんの児童書や絵本を翻訳し、『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『おふろだいすき』『じゃんけんのすきな女の子』など絵本や童話の作者でもあり、公益財団法人東京子ども図書館の名誉理事長として活動なさってきた松岡享子さんの、翻訳家としての軌跡をたどっていくこの連載。2回目は、松岡さんがいよいよ英語と出会います。

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<パディントン>シリーズ

2回 なんでもあり、「戦後のどさくさ」という良い環境
風変わりな先生たち、遊びに夢中の生徒たち

1946(昭和21)年春には、戦後の学制改革で新しくなった新制中学、霞ヶ丘(かすみがおか)中学に入学する。やはり校舎は焼けてしまっていて、最初は商業高校に間借りしていた。コンクリートの建物はあるものの、窓ガラスも机も椅子もなく、床に座って膝にノートを置いて書いていた。

途中から、陸軍の軍馬の厩舎に移った。屋根は杉の皮を葺いただけ、窓には角材が打ちつけてあるだけでガラス戸もない。馬小屋だから床はなく土の地面のまま。

のちに屋根の下に天井らしきものができたが、素材は馬糞紙(繊維を圧縮したフェルトみたいなもの)で、文字どおり馬糞と同じ茶色のような黄色、雨が降ると溶けて破けて落ちてきた。

この「戦後のどさくさ」も、松岡さんにとっては良い環境だった。

京都大学を出たばかりの若い社会科の先生は、最初の授業で
「石走る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」を教えてくれたので、万葉集の歌と垂水の地名が重なった。この先生のあだ名は「ケルカモ」となる。「ケルカモ」先生からは、下部構造やボルシェヴィキ、ヴ・ナロード(民衆の中へ)なども教わった。戦時中は危険思想と禁じられていたマルクス主義が勢いを持った時代だった。

「口角泡を飛ばすという言葉がありますが、ボルシェヴィキと言う時、先生は文字通りツバを飛ばしてました(笑)。マルクス主義が何なのか、わけもわからず聞いていましたが、ボルシェヴィキという言葉は、しっかり覚えていますね」

肋膜か何かの病気で兵役を免れたような青白い国語の先生は、いつも『レ・ミゼラブル』の物語を語ってくれた。時には、校外の野原で自由に遊んできて五七五を一句作ってくるという授業もあった。松岡さんの著書『子どもと本』に、「ジャンヴァルジャン先生」として登場している。

軍服にゲートルを巻いた姿の先生もいた。授業開始の鐘がなっても先生がこないので呼びに行くと、職員室にしかない暖房=火鉢をまたいで暖をとっていて、一向に教室に向かう気配もない。この先生は、友だちが体育館の屋上から落ちたと報告に行ったところ、慌てず、さわがず、ひとこと「死んだか?」と言った。戦地でどんな経験をしたのだろうか。

 

「なんでもありの時代でしたね。大人たちは、戦争の後遺症やトラウマがあったり、そもそも食べていくのに必死だったりで、子どもたちは放っておかれ、自主的に遊んで暮らしていました。教室にコの字形に机を並べて、先生に向かって正面は真面目な子たち。左と右の列が、女子のやんちゃ組、男子のやんちゃ組で、私もやんちゃの列でした。私たち女子が変な顔をして向かいの男子を笑わせると、彼らは先生に怒られるわけです(笑)。先生がこない時は、女の子たちは風呂敷に入れてきた道具を出して、5、6人で人形ごっこをします。本で読んだことや授業で聞いたこと、大人から聞いたことを劇にしていました」

例えば、人形を西園寺公望にして腕組みさせる。各国代表の人形たちは「あの人、何を言うのだろう?」「何か言いそうだ」と期待している。しかし西園寺は腕を組んだまま、結局何も言わなかったという国際連盟の人形劇ごっこなど。

人形を男子が取り上げることもあった。男の子たちは分担を決め、人形を次から次にリレーして逃げる。女子は女子で、取られないように、これまた分担を決めて防衛する。校庭を走り抜ける最後の男子の、お下がりの黒いダブダブなジャンパーが風でふくらんでいる姿を、松岡さんは今も覚えている。

生徒の教室には暖房もなく、寒くなると押しくらまんじゅうをした。めいっぱい遊んでいた中学時代だが、英語の勉強は好きでがんばっていた。

「夏期講習でいつもと別の先生に教わったことがあります。その先生が『Good morning は、I wish you a good morning. あなたに良い朝が来ますように、という意味だ』と教えてくださったの。それは今でいうカルチャーショックでした。コップが cup であるのと同じように、おはよう=Good morning. と置き換えられる認識しかなかったのに、Good morning. に意味があるなんて、へー!って驚きでした。英語圏の人たちの文化が、英語という言葉のなかに流れているのを認識した初めてのことでした。言葉とは、生活習慣や思想や価値観が含まれているということを理解したんですね。2年生の時だったかな」

英語の先生が、授業とは別に、何人かの生徒たちを集めて英語を教えてくれた。その会場は松岡さんの家だった。

もちろん、本を読むのはずっと好きだった。学校の帰り道、読んだ本の内容を友だちに語って聞かせた。友だちだけでなく、通りがかりのおじさんも松岡さんの語る話をうしろで聞いていたという。

「でも、算数は苦手。戦後はよく資金を集めるためにバザーをやりましたが、先生に『松岡さんのお母さんは、バザーの時にお金の計算が早く正確にできるのに、あなたはなぜ算数ができないの?』と言われたのを覚えています」

  

中学を卒業する時、学校の名前は歌敷山(うたしきやま)中学と名前が変わっていた。

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分教場と新しい校舎写真と昭和時代の歌敷山中学のシンボル・ソテツ(所蔵:神戸市立歌敷山中学校同窓会)
転校した高校に反発し、読書と英語学習に没頭する

1948(昭和23)年、松岡さんは兵庫県立星陵高校に入学した。
中学と同様に、高校にも戦後の混乱期を思わせるユニークな先生がいた。

ところが、2年生の時、垂水の社宅から六甲へ引っ越したので、県立神戸高校へと転校することになった。神戸高校は、旧制県立第一中学校と県立第一高等女学校が一緒になった名門高校。編入試験を受けた時、英語の和文英訳の問題文にこうあった。
「神戸高校は大変良い学校だと聞いていますので、入学できればうれしく存じます」

「それを見たとたんに、カーッと頭に来て、無性に腹が立ったんです。『別に入学できても嬉しくありません』って英語で書こうかなって考えましたが、そこまでの勇気はなくて書けなかったけれど、ものすごく嫌になったんです。神戸高校の自慢気な雰囲気が気に入らなかったのね。中学の友だちもいる星稜高校のほうが良かったという思いもあって、授業中は絶対に手を上げてやるまいと決意して転入しました」

服装検査があり、女生徒の靴下の素材は木綿あるいはガス*しかダメで、男性教師が生徒の靴下をいちいちチェックすることに、松岡さんは憤り反発していた。

*瓦斯(ガス)糸:ガスなどで毛羽を焼いた綿糸。絹やナイロンはぜいたくだから、木綿やガスしか学校は認めなかったということ。

「前髪を垂らしてはダメで、後ろにあげるという校則もありました。クラスメートに、生え際に赤い痣のある子がいました。前髪をあげなきゃわからないのに、前髪をおろすなという校則のせいで、痣が見えてしまう。そういう規則がすごく嫌でした。部活は何も入らず、とにかく1日1冊、本を読むことを自分に課しました。高校の図書室には数万冊ありましたから、片っ端から読みました。1日1冊のノルマが果たせなくなりそうな時は、岩波文庫の星ひとつ、40円の薄い本でしのぎました。昼ご飯に牛乳とパンを買うからと親にお金をもらって、それで文庫を買ったこともあります。おかげで、一生読まなかったであろうジャンルの本を読んだのは良かったですね。何しろ、小さい頃に鍛えた速読法がありますから(笑)。読み方は雑で、何を読んだかも覚えていませんけれどね」

現在発売中の『チボー家の人々』
(白水Uブックス、全13巻)

この時期に読んだなかで、一番印象に残っているのは白水社の11巻本『チボー家の人々』(ロジェ・マルタン・デュ・ガール著、山内義雄訳、1946年〜52年刊)だという。

1日1冊の読書のほかに、松岡さんには熱中していたことがあった。英語だ。

「この前、高校時代の英語のノートが3冊でてきたんです。それを見たら、自分が思っていたよりずっと一生懸命、英語を勉強していたんだと、今頃になって気づきました」

それは、松岡さんが通っていた英語塾のノートだった。三宮にある英語塾で、先生は神戸外国語大学英語科の先生だった。徹底的に教えてくれたのは、ひとつの語幹に、inter や full 、ment などの接頭語や接尾語をつけると、名詞や動詞、形容詞になることだ。この仕組みを知っていれば、ひとつの語幹からいくつもの言葉の意味がわかるし、知らない言葉でもその意味を類推できる。これで松岡さんの英語のヴォキャブラリー(語彙)が増えた。

また、学校にいても挙手もしない「場面緘黙かんもく」の生徒を見て、英語の野村先生が勉強会に誘ってくれた。

「神戸商大の水戸先生が、うちまでいらしてくださって、学年が1年上の人たちと『カンタベリー物語』を読みました。中世英語ですから難しいんです。水戸先生は独特の理論を持っていらして、日本語には、走り去る、駆け上る、飛び上がる、流れ出す、というふうに2つの動詞が重なる言い方が多いが、英語に置き換える時は、動詞+接尾語や前置詞になると教えてくださった。例えば「飛び去る」を直訳すると fly and go と書きそうになるが、そうではなく fly away とする。英語を日本語にする時もこの特徴に従うということは、のちに翻訳をする時にも役に立ちましたね。
 もうひとつ、水戸先生の持論は、ある言語を、別の言語に移しかえる時に、ひとつひとつの言葉を省いてしまっては良くない、何かどこかで生かさなければいけないとおっしゃるんです」

 

松岡さんは楽しそうに具体例を説明してくれた。バスの停留所で待っていた人は、バスがくると「来た来た」と言う。なぜ「来た」と1回だけではなく2回くりかえすのか? それは英語では Here comes a bus. だからである。

「初めの『来た』は here、2つ目の『来た』は comes だと水戸先生は言うんです。すごくおかしいんだけれど、なるほどとも思えるでしょ。翻訳は、必ずしも1単語1対応というわけにはいきませんが、水戸先生がおっしゃっていたように、言葉には何かしら意味があるのだから、ひとつひとつの意味を掬いとらないといけないということは、心に留めています」

高校3年になると、英会話の個人レッスンに御影まで通った。ハワイから来た日系2世が先生だった。

ここでは毎回ディクテーションがあり、先生がワンパラグラフを、普通のスピードと少しゆっくりめのスピードで2回読み、松岡さんが書き写す。その内容を題材にして英語で質疑応答をした。

「このメソッドは良かったですね。まず聞き取れるかどうか、そしてスペルを間違えないで書けるかどうか。聞き取って書いたのを見れば、英語の理解力、実力がはっきりわかります。思い返してみると、高校時代の英語の勉強は生半可ではなかったです。部活の代わりに英語を勉強していたようなもの。好きだったんですね」

もし星陵高校にいたら、国立大学に進学するグループに入っていたかもしれない。しかし神戸高校ではヘソを曲げていたので、受験勉強もしなかった。進学先を神戸女学院にしたのも、英語ができれば将来の役に立つという考えとともに、受験科目が少なかったからだ。

国語の成績は良く、模擬試験が学校で1番だった時、隣の席の子が「お前が?」と驚いていたのを松岡さんは覚えている。

「文句たらたらだったわりには、毎日楽しかったんじゃないですかね。卒業する時は、二度とこの坂を登ってやるものかと思っていましたが、一昨年、何十年ぶりかで、その坂を登りました。神戸高校の校史編纂室にいる愛校心に燃えた人に誘われてね(笑)。私の名前が書いてある図書室のブックカードも発見してくださった。私、家では反抗しなかったから、学校に反抗していたのかな。あの年頃は、誰かに反抗しなければいけない時期なんですよね(笑)。たまたまその対象になった神戸高校にとっては unfortunate でした。もちろん、いい学校なんですよ」

高校時代の読書と英語学習は、今から思えば、将来の翻訳へとつながっていたのかもしれない。

(3回につづく)

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『えほんのせかいこどものせかい』
松岡享子著、日本エディタースクール出版部 と
『番ねずみのヤカちゃん』
リチャード・ウィルバー著、松岡享子訳、福音館書店
(東京・谷中 ひるねこBOOKSにて)
【参考リンク】
公益財団法人 東京子ども図書館ウェブサイト
のら書店ウェブサイト
こぐま社ウェブサイト
ひるねこBOOKSウェブサイト
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松岡享子さん
(写真提供:公益財団法人 東京子ども図書館)
[プロフィール]松岡享子(まつおか・きょうこ)

1935年神戸市生まれ。神戸女学院大学英文学科、慶應義塾大学図書館学科卒業、ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻ののち、ボルティモア市立の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫「松の実文庫」を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立。理事長を経て、現在は名誉理事長。

著書は、絵本『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『とこちゃんはどこ』『おふろだいすき』、童話『なぞなぞのすきな女の子』、大人向けの『サンタクロースの部屋』『ことばの贈りもの』『えほんのせかいこどものせかい』など。翻訳は『しろいうさぎとくろいうさぎ』『町かどのジム』『おやすみなさいフランシス』『番ねずみのヤカちゃん』など多数の絵本、児童書のほか、大人向けの『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』など。

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公益財団法人 東京子ども図書館
(写真提供:公益財団法人 東京子ども図書館)
松岡享子さんの著作紹介
『サンタクロースの部屋 子どもと本をめぐって』こぐま社 1978/改訂新装版 2015
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1960年代から雑誌に文章を発表したり、講演した記録が冊子になったり、東京子ども図書館の出版部から本は出ていましたが、出版社から一冊の本になったのは、本書が最初でした。

アメリカと大阪での児童図書館員としての体験をまとめた1章、「松の実文庫」や「東京子ども図書館」での経験を通じて、子どもを本の世界にさそうために大事なことを綴った2章、本を選ぶこと、お話を語ること、子どものことばを育てることについての3章、そして講演録から成り立っています。松岡さんが20代後半から40代のはじめ「新しい体験を重ねながら、夢中で働いていた一時期」に書かれたものです。

この本が出た頃のことを、1985年に松岡さんは次のように振り返っています。

「......すでに発表したものを寄せ集めて本にする、ということに対して、そのとき、わたしの中で、ためらいがなかったわけではありません。収められた文章は、それぞれわたしにとっては愛着があり、一所懸命に書きつづったものではありましたが、それでも心の隅には、安易に本を作っているのではないかといううしろめたさがありました。/......けれども......わたしは、いろんなところで、いろんな形で、予想以上に多くの方が、あの小さな本を、わたしが望みうる以上に深く受けとめていてくださることを知らされました。そして、わたしのうしろめたさはうしろめたさとして、あの本を作ったこと は、けっして意味のないことではなかったという励ましを与えられました。ありがたい ことでした」
(『こども・こころ・ことばー子どもの本との二十年』松岡享子著、こぐま社)

このブログ連載の1回目で紹介した、先生が「むじな」の話をしてくれた小学生の時のエピソードも、『サンタクロースの部屋』に出ています。

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題名は、目に見えないものを信じるという心の働きを示唆しており、<子どもである>という時間の大切さにハッとさせられます。

2015年の改訂新装版には、文中に出てくる子どもの本のリストも加わりました。

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松岡享子さんの本が並ぶ子どもの本屋さんを紹介していきます。今月は、東京・谷中にある「ひるねこBOOKS」。子どもの本や猫の本、古本も新刊もあって、北欧のかわいい雑貨も並んでいるという混ざり具合がうれしい空間です。絵本の原画展やイベントも開催されます。(撮影:大橋由香子)
ひるねこBOOKSウェブサイト

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。

 

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